当時、『おんなになあれ』歌ってた時の飛鳥さんにしてもね、今回出てきている『プライド』っていう楽曲だった時の佐藤純子さんなんですけども、
あとその当時のディレクターであった西嶋さんもそうなんですけど、
当時私の楽曲を本当に多く手掛けてくださった、作曲してくださった小森田実さんとかもそうなんですけど、
未だにずっと縁が続いているっていうのって、なんかすごいなって思うんですよ。
どうです?思いますよね。
私本当それがね、当時SNSが普及したってことがかなり大きいと思うんですけども、
SNSがなければもしかしたらもうちょっと疎遠になっていた方々もいらっしゃったと思うんですけども、
でも1回それぞれ皆さん自分自身の道へ別々の道を行っているんですね。
別々の道でそれぞれ頑張っていて、そしてまた再会みたいな、なんかそれってすごい面白くないですか。
めっちゃこの縁って何なんだろうって、すごく思いますね。
でもやっぱり縁があるっていうことっていうのはなんかあるんだろうなって、ようやくこの歳になってね、ようやくですよ。
この歳になってようやくそう思うようになりましたね。
やっぱり10代の頃って本当にこう、何だろうこう、突っ走ってただけの私だったから、
もう本当みんなになんかこう迷惑かけたりとかいっぱいしたし、
本当なんかどんな、よくね私母がね、よく言ってたんですよ。
子供が生まれてもう本当にその親としてこう自分がこう、親としていなきゃいけないってこうね、
思った時によく言われたのが、いやあんた子供を産んでなかったらもう絶対痛い大人になってただろうから、
もう子供産んで本当によかったわ、人間ちょっと丸くなって本当によかったわってよく言われてましたね。
だからそれくらい。
親は、母は東京にたまにね、こううちに掃除に来たりとか様子を見に来たりとかたまに来てたんですけど、
スタッフの人と会うたんびに、もう本当にいつもすみませんって謝っていましたね。
どういうこと?お世話になっていますじゃなくて、もう本当にいつもうちの娘が本当に申し訳ございません、すみません。
って、毎回めっちゃ謝ってました。
っていうことは、それだけ人に迷惑かけてたってことなんだなって、今になって思いますね。
どんな10代だったんでしょうね。
これあのなんか、当時の人に私インタビューしてみたいわ。
でもね、当時の人もね、結構ね、もう亡くなってたりするんだよね。
私のことよく知ってる人たちとかね。
だからね、もうこれ聞けないかもしれないんだけど、どっかのタイミングでちょっとインタビューってどうよ、これ。
どんな人だったか。
ただね、人間の記憶ってね、曖昧だしね。
で、まあ多少美化してたりとか、で悪いことっていうのは余計なんかそれが大きく、
もっとひどい、こいつこうだったなみたいなひどい印象が膨らんでたりとかするから、
私結構人の記憶って当てになんないなって思ってるんですよ。
まあ自分の記憶は一番当てになんないんですけど。
だからね、なんかそんななんだろうな。
ちょっとでも聞いてみたいな。
10代の頃に出会った人たち。
でも今ふっと頭に思い浮かぶ人たちはもうみんないない。
天国にいると思う。
残念だな。
まあこれで私の過去っていうのはみんなに知られることはなかったということで
ほっとしている今日この頃です。
さてここで1枚お便りを読ませていただきます。
ラーメンライスラブさんからいただきました。
「さすが美穂さん、デビューも自分で勝ち取ったのですね。
10代でアイドルでなければどんな歌手デビューをイメージしていたんでしょうか。
私はCMソングやドラマ主題歌、アニメ主題歌でバンバン流れる歌姫の声に魅了されまくっていました。
アルバム、『Vocalization』、『POP THE TOP』あたりが好きです。
ご自分でこのアルバム好きっていうのはありますか?
そして聖子さんカバーライブは楽しみですね。
アルバム曲も全部、全曲知ってますので野﨑さんの選曲に注目してます」
この間の放送ですよね。
聖子さんカバーライブ、森川美穂、松田聖子さんを歌いますみたいな。
これファンクラブのイベントとかコンサートで歌わせていただこうと思って。
1部、2部ってあるんですけど、2部で聖子さんを歌いますっていうね。
コンサートをちょっと1回やらせていただこうかなと思うんですけども。
これはちょっとね、野﨑さんにかかってるんでね、野﨑洋一にかかってるので、
野﨑さんがどんな楽曲を選曲してくださるかに私も注目しています。
さて、10代でアイドルでなければどんな歌手デビュー。
私ね、やっぱりね、歌謡曲本当好きだったんで、
もうどっちかって言ったら歌謡曲をひたすら歌いたかったかも。
だからアイドルを目指してたわけでもないし、いわゆるシンガーソングライターでもないし、当時ね。
だからもう本当に、すごく洋楽が好きだったかって言ったら別にそうでもないし、
なんかひたすら歌謡曲を歌うような、いわゆる歌手ですね。
昔で昭和で言う歌手っていう感じで、本当は私はデビューしたかったです。
デビューしたかったですって言われてもね、そんなこと言われてもね。
だからそうだな、なんだろうな、誰っていうのすっごい難しいんですけど、
誰っていうのはないんですけど、
沢田研二さんにはめちゃくちゃ憧れてましたけども、
女版ジュリーみたいなのに憧れてたのかもしれないですね。
でもジュリーもどんどんご自分で作曲とかをされるようになってから、
すごくアーティスティックになっていかれた時期もありましたし、
どんな感じなんだろうね、どんな歌い手になってたんだろうね。
でもこれはそう思っても答えは出ないよね。
想像でしかないもんね。
私が好きなアルバムっていうのは、
10代の頃に出したアルバムで、『1/2 Contrast』っていうアルバムがあるんですよ。
これは夏をテーマにして、都会で暮らす夏とリゾートで感じる夏と、
多分そういう区分けをしてた、『1/2 Contrast』っていうアルバムがあるんですけど、
このアルバムが10代の頃に出したアルバムでは一番好きです。
20代で出したアルバムの中では、
私、小林信吾さんがプロデュースしてくださった『Solista』っていうアルバムがあるんですけど、
このアルバムがやっぱり何より大好きですね。
まだ聴いてないよっていう方は、ぜひお聴きいただければなと思います。
50代で出したアルバムは?とか、40代で出したアルバムは?っていうのが言えるのがまたすごく嬉しいんですけども、
私、この間5月で56歳になりましたから、60代で出したアルバムの中で一番好きなアルバムは?っていう質問がいただけるように、
さらに頑張っていきたいなと思っていますので、どうぞ皆さん応援よろしくお願いします。
ということで、毎週この水曜日午前中に新しいエピソードを配信しています。
番組のメールフォームからお便りも募集していますので、ぜひ聞いてみたいなとかいうことがありましたら。
あと、相談とかでもいいですよ。何の相談?相談なんてあんまりないと思うんですけど、もしね。
でも私たち人生生きてると、どうしようかなとか迷うこととかっていうのってやっぱりありますよね。
そういったことを共有できるといいかなって思います。
私なんか相談をされて、それをメッセージとしてお伝えするっていうのはそんなおこがましいことはできないんですけど、