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始まりました、志賀十五の壺。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
たべっ子動物です。
今回は、言語っていうのはデジタルなものだっていう話をしていこうと思います。
デジタル、対語はおそらくアナログになるかと思います。
いざこのデジタルとアナログって何なのかと言われると結構難しいですよね。
デジタルっていうのは切れ目があるというか、断属的であるというふうに言うこともできると思います。
一方アナログっていうのは、断属的に対して連続的だということですね。
切れ目がないっていうのがアナログということができると思います。
やはり一番わかりやすいのは時計ですよね。
デジタル時計とアナログ時計っていうのがありますけど、
デジタル時計っていうのは、例えば10時から10時1分っていうのがコロッと変わっていくわけですが、
アナログ時計っていうのは徐々に変わっていくというか、移り変わっていくということで、
それが一番わかりやすいんではないかと思います。
こういったイメージからっていうか、こういった時計の例なんかを考えると、
デジタルっていうのはどうしても、より現代的で機械っぽいとかね。
人間っていうのはどっちかというとアナログ的で、
微妙な気持ちとかは当然アナログ的なものなんじゃないかとかね。
そういうふうに思われると思うんですけど、
ただ言語という点においては、それはもう本質的にはデジタルなんですよね。
さっき言ったように人間の感情とかね、あるいは思考とか、
こういったものっていうのは当然アナログなものなので、
憧れと同時に嫉妬があるとかね、
嬉しさもあればちょっと悲しい気持ちもあるとか、
情けないようでたくましくもあるとか、
そういった複雑なものが入り組んでますので、
そういったものを表すものが言語だとすれば、
当然それもアナログじゃないかと、そういうふうに思われると思います。
別に感情とか思考とかに限らず、動きとかもそうかもしれないですよね。
歩くっていうのと走るっていうのと、
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その間にもその中間的な移動の動作っていうものはありますので、
そういった例はあげようと思えばいくらでもあげられます。
だったらやっぱりそれを表している言語というのも、
当然アナログだろうと思われると思います。
ただ言語っていうのは、さっきも言ったように本質的にはデジタルなんですね。
ある意味で現実世界というか、我々が生きている世界、自然、
そういったものが連続的なものだとすれば、
それをデジタルな世界に切り分けるっていうのが、
言語のやっていることと言えるかもしれません。
言語において最も基本的な単位となるのは音素というものです。
音素。
まあ、シーンとかボインとかそういったものですけど、
例えば日本語には、「た」っていうシーン、Tで書かれるようなシーンと、
「だ」っていうDで書かれるようなシーンがあります。
これは正音と濁音と言い換えてもいいんですよね。
このトゥっていうシーンとズっていうシーンは、
デジタル的な関係なんですよね、ある意味で。
このトゥとズは、要は声帯が震えているかどうかっていうだけの違いなんですよね。
例えば、炊くっていうね、ご飯を炊くっていう動詞と、
誰々を抱くっていう動詞があって、
この炊くっていうのと、抱くっていうのは、
正音か濁音か、さらに言うとトゥとズの違いということになっています。
このトゥとズの間の発音を頑張ってしてみようとしたところで、
例えば、抱くみたいに、なんかどっちつかずっぽく頑張って発音したとしても、
抱くと濁の中間の意味にはならないんですよね。
抱くと濁っていうのは連続したものではありません。
で、ちょっとこれ真音だからね、わかりづらいですけど、
母音だともうちょっとはっきりして、
手に入れるっていう意味のLと、
なんだろうな、
ゴマとかをいるっていう単語がありますけど、
このLといるっていうのは、
さっきの話と似てますけど、
エとイという母音だけが違います。
で、実はこのエとイっていうのは、
中間的な音も出そうと思えば出せるんですよね。
エルみたいに言えば、
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まあ音声学的には、物理的な音としては出すことができます。
が、日本語において、
イとエっていうのはやっぱりデジタルな関係ですので、
連続してないんですよね、そこはね。
たとえイとエの中間で、
エルみたいな発音をしたとしても、
ゴマをいるっていう意味と、
そしてそれをゲットするみたいなね、
それは併せ持った意味にはなりません。
し、その中間の意味っていうことにもなりません。
そういった意味で、
我々の用いている言語っていうのは、
デジタルなものということができるんですね。
これはね、結構直感に反しているとこは、
あるんじゃないかなと思います。
確かに言語っていうのは微妙な感情を表したりもできるので、
なんとなくアナログっていう感じがするんですが、
そうとは言えないんですね。
さらに言うと、人間の他の側面は確かにアナログっぽいところはあって、
言語っていうものはいろんなものを表せますけど、
例えば表情っていうのもいろんなことを表すことができます。
状況によっては言葉以上に何かを表すと思いますけど、
例えば泣き笑いとかね、
あるいは愛想笑いみたいなものは、
アナログなものと言えるかもしれませんね。
その中間のものというか連続のもの、
何かこう混じり合ったものっていうのを、
言語以外のものは表すかもしれません。
この言語のデジタル性みたいな話をしましたけど、
これは分離性と言い換えることもできます。
連続してないということですけど、
このあたりの話は過去にエピソードを撮ったことがあるんですよね。
聞いたことある方もいらっしゃるかもしれませんが、
シャープ368で結構似たような話をしています。
そっちを聞き直してみたら、
なんていうかね、まあまあうまく話せてますので、
似たような話ですけど、そっちも合わせて聞いていただけたらと思います。
他にも、例えば赤と青っていう色を混ぜたら紫になりますけど、
その言語の世界で赤と青をある意味混ぜて、
例えばアコーみたいな言い方をしたとしても、
紫っていう意味にはならないんですよね。
これが言語のデジタル性の話にうまくマッチしているかどうかは別にして、
自然界一般の現象と言語っていうのは結構大きな隔たりがあると思います。
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動物が用いる言語的なものっていうのも、やっぱり人間の言語とは違って、
このデジタル性っていうのが一つ人間の言語を特徴づけているものではないかと思います。
あとね、シャープ368は確かね、文字の話もしてて、
で、今回の話でも、たくとだくの話をしましたけど、
例えば、だくのそのだの点々、だく音の点を一個取って書いたとしても、
やっぱりたくとだくの中間的な意味にはならないですよね。
そういう意味でも、文字の上でもやはり言語っていうのはデジタル的で、
断続的で、不連続的であるということができると思います。
というわけで、今回はね、人間の言語を特徴づけているデジタル的な側面のお話でございました。
ぜひ関連エピソードも聞いていただけたらと思います。
それではまた次回のエピソードで終わりいたしましょう。
番組フォローも忘れずよろしくお願いします。
お相手はシガ15でした。
またねー!