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みなさん最近テリヤキバーガーを食べてらっしゃいますでしょうか。志賀十五です。
かけ言う私は、そんなに食べてないですね。まあそもそもジャンクフードっていうのを、なんていうんですか、定期的に食べるたちでもないので。
ただまあ、時々そういうジャンクフードは、がっつりね、食べたくなりますよね。
今日のトークは、トークタイトルにもございますように、テリヤキバーガーは何が面白いかっていうことでやっていきます。
これは当然、いつも聞いてくださっている方は察しがつくように、言語学的に何が面白いかっていうことですね。
テリヤキっていうのは、まあテリーも焼きも日本語ですからね、まあテリヤキっていうのが日本語で、それに外来語のバーガーっていうのがくっついていると。
まあこういう複合語、つまり単語の足し算っていうのは、まあ平気であることですね。
その語源が和語なのか漢語なのか外来語なのかにこだわらず単語の足し算っていうのは、日本語は平気でできますよね。
まあそれも面白い程度は面白いです。
テリヤキバーガー、この場合は和語と外来語の複合語ということになっています。
まあそれはそれで面白いんですが、今日注目するのはそこではなくですね、このバーガー、まあバーガーだけでも通じるかな、使うかなバーガーだけで。
まあやっぱりバーガーの前にテリヤキなり、月見なり、これ日本語ですけどチーズバーガーなり、
まあなんかの単語が来て、その後バーガーと来て、ある意味そのハンバーガーの一種だということを示しているっていう感じですよね。
このバーガー自体はどこから来たかというと、今言ったハンバーガーから来てるんですね。
ただこのハンバーガーっていうのもよくよく考えてみると、なんか変な気がしませんかね。
テリヤキバーガー、月見バーガー、チーズバーガーというふうに考えると、ハンバーガーはハムバーガーっていうふうに切れるのか。
そうするとハンバーガーに挟まっているのはハムじゃなきゃおかしいけど、
ハムが挟まっているわけじゃないのにハンバーガーと言っている。こういうことになりますよね。
チーズバーガーはチーズが挟まっている。チキンバーガーはチキンが挟まっている。
でもハンバーガーはハムが挟まっているわけではないし、ハンっていうなんかよくわかんないものが挟まっているわけでもないですよね。
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ではハンバーガーのハンというのはハムじゃないとしたら何なのかというと、これはそもそも前提がおかしくなっていて、
ハムとバーガーで切ることはできないんですね。語源を考えると。
というのが、ハンバーガーの語源はドイツの都市のハンブルグというのに由来していて、
このハンブルグにerがついて、ハンバーガーとなっているんですね。
だから切るとしたら、ハンバーグとアーで切るんだったらわかるんですけど、
現代ではハムとバーガーで間違ったところに切れ目を入れてしまって、バーガーだけが一人歩きをしているという感じなんですね。
そして今までいっぱい例を出してきたように、このバーガーというのがチーズなりチキンなりあるいはテリヤキなりについて新しい単語を生み出しているということです。
今お話ししたように、ハンバーガーという単語はハムとバーガーで語源を考えると本当は切ることができないんですね。
なぜならそれはハンブルグが語源だからなんですけど、
こういった現象のことを言語学では異分析というふうに言います。
異なる分析と書いて異分析なんですね。
この異分析は日本語でも観察されて、確か関連トークがあるはずなのでそちらも聞いていただきたいんですが、
最近よく見るのは、やむおえないというやつですね。
やむおえないというのは、おは和音のおで書きますよね。つまりやむおえない。
ただ最近の使い方を見ると、特にツイッターなんかで検索すると、やむおえないというふうに区切っちゃって、
おっていうのをあいうえおの方のおで書いてる例がたくさん見つかります。
これもハンバーガーをハムとバーガーで切ったのと同じように、やむおえないをやむおえないっていうふうに切ってるってことですね。
他の日本語の例として、潔いっていうのに対して潔悪いみたいな言い方を、皆さんもしかしたら聞いたりとかしたことあるかもしれませんけど、
潔悪いっていう言い方はこれも本当はおかしくて、
というのも潔いっていうのは潔いではなくて、潔いのこの潔いが濁って潔いになっているので、やっぱりこれも区切るところがちょっとずれちゃってるってことですね。
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語源としては潔いなんですけど、潔良いというふうに解釈してしまって、その良いの部分を悪いに変えて、潔悪いっていうような言い方をしてしまったりします。
こういう異分析が起こるのは、大抵似たような形式に引っ張られるっていうことだと思うんですよね。
こういうのは言語学で類推っていう言い方をするんですけど、今の潔いの場合は、なんだろうな、例えば気持ち良い気持ち悪いみたいな対応を思い浮かべて、
それと平行的に考えて潔良い潔悪いみたいなペアを想定してしまっているっていうのはあると思います。
やむを得ないのをあいうえおのをで書くのも、どうだろうな、これは手に負えないとかとちょっと平行的に考えている可能性はあるかなとなんとなく思いますね。
このように似た形式があると、それと同じように考えてしまって、つまり類推が働いて、異分析は起こっているということができると思います。
では、このような異分析は間違っているかというと、これはなんとも言えないですね。
僕は正しいも間違ったもないと考えているので、やむを得ないのをあいうえおのをで書いても別にいいと思うし、潔悪いって言い方も別にやってもいいとは思うんですよね。
少なくとも言語学の立場からは、間違っているとか直せとかそういった指摘はできないんではないかなと思います。
多分、こういう異分析を語用だって言って指摘する人はたくさんいると思うんですけど、指摘したい人は指摘すればいいんじゃないかなと思います。
その人の人生なんでね、僕は知ったことではないんですけど。
むしろこういう異分析みたいな、語用みたいなものが原動力となって、言語が変化していっていると言ってもいいんではないかなと思いますね。
そういった面で異分析っていうのは注目に値するんではないかなと思います。
というわけで、今日はてりやきバーガーから異分析というものを考えてみました。
最後まで聞いてくださってありがとうございました。
ではまた次回のトークでお会いいたしましょう。ごきげんよう。