00:00
今回は、動詞の日英対照というテーマで お話しします。
日英対照は、日本と英語を比べることです。
比べるといった時に、対照と言わずに 比較という言い方をすることがあります。
言語学では、この比較と対照は 厳密に区別されます。
対照といった場合は、比べるのです。
比較といった場合も、比べる目的というのが、 系統関係を確かめるために、
あるいは、親戚同士の言語を比べる時に 比較という言い方をします。
ので、比較言語学といった場合は特に、 まあそういった意味合いが強くってですね、
比較言語学っていうのは、ほとんど歴史言語学と 同じと考えていただいて結構だと思います。
ですので、日英の比較言語学っていう言い方は、 専門的には筋が通ってないんですよね。
日本語と英語っていうのは、系統関係にないので、 そういった系統関係に関わらず比べるときは、
対照言語学という言い方をします。 では、BGMかかれい。
始まりました4月15のツボ。皆さんいかがお過ごしでしょうか。 未来とはとソメイティです。
で、今回は系統関係にない日本語と英語を比べる対照ということで やっていくわけですけど、
特に動詞をテーマに、さらに動詞の自他をテーマに お話ししていきます。
自動詞と他動詞の話は、もう過去に何度もやってるんですよね。 その中でも、
日本語についてですけど、 日本語において
他動詞っていうのは、 意図的に、意思的に何かを行うような場合に使われて、
自動詞っていうのは、 そういうのが欠けてるっていうようなお話をしたことがあります。
例えば、この卵焼けてないんですけどに対して、 焼いてないんですって言った場合は、
まああえて、 焼いてないんだ。そこに意思性っていうのが関わってきます。
他動詞っていうのは、そういった動詞ということができると思いますね。 焼けるっていう自動詞の方は、
意思性を書いているわけですけど、 焼くっていう他動詞になると、何か意思があるものが、
その目的のために、 対象に何か働きかけて、変化をさせるっていうようなものが他動詞ですので、
03:09
そういった意味では、無生物主語っていうのは、 ちょっとね、日本語の場合は馴染みづらいですよね。
もしかしたら、そこに意思性との関わりっていうのがあるかもしれません。
で、今回参考にしている書籍は、 英文法を考えるという池上義彦先生の本です。
千熊学芸文庫から出てるんですけど、 その池上先生の説によると、
日本語の他動詞っていうのは、今言ったように意思性っていうのは確かに関わっていて、
で、その意思を持ったものが何か行為するわけですけど、 その結果っていうところは、
願意しないという主張を池上先生はなさっております。
例えば、紙を燃やすって言った場合、 その実際に紙が灰になるところまでは、日本語の場合は願意しないと言うんですね。
ですので、日本語だったら、 燃やしたけど燃えなかったっていう言い方ができると言うんですね。
で、この辺はね、結構言語学でも話題になるんですよ。 結果を願意するかどうかっていうのは、他動詞がね。
で、僕はね、ちょっとよくわかんないですね。 燃やしたけど燃えなかった。
言えるのかなどうかなっていう感じがします。 ただ、
英語の場合はこれはダメで、英語だと燃やす燃えるっていうのは burn っていうのが自他両形の形ですけど、
燃やしたけど燃えなかったっていう言い方はできなくって、 他動詞でburnっていう言い方をしたら、
その結果まで願意されていると言うんですね。英語の場合は。 で、そこに日英で差が出ているということです。
ただ、すべての動詞でそういった差が出てくるわけではなくて、
日本語の場合でも結果まで願意するということがあります。 例えば殺すみたいな動詞ですけど、
まあこれは相当 他動詞らしい他動詞とよく言われるんですよね。で、これについては関連エピソードがありますが、
殺すっていうのは意思を持って行為を行い、 日本語の場合も結果まで願意すると言うんですね。
なので、さっきの燃やしたけど燃えなかったとは違って、 殺したけど死ななかったっていう言い方は日本語でも不自然となるということです。
殺したと言ったら必ず死ぬとこまでまあ願意するということですね。 さっきも言ったようにね、燃やすっていうのが
06:05
その灰になるとこまでっていうか、 結果まで願意するかどうかっていうのは僕はちょっと感覚としていまいちピンとこないんですけど、
他の動詞だとね結構面白いなと思いますね。 池上先生が挙げている例だと説得するっていうのがあります。
英語だとパースウェイドっていうのがそうですけど、 この英語のパースウェイドっていうのは、
説得してその 説得の目的が達成するとこまで願意するらしいんですね。
日本語の場合はどちらかというと説得するっていうのは、 その行為というか動作を表しているだけで、その結果までは願意されないそうです。
なので説得したけど来なかったっていう言い方が日本語では平気でできます。 これは確かに日本語だったらいけるなぁと思いますね。
一方英語の場合はパースウェイドって言ったら必ず、 例えば来るように説得したんだったら、来るとこまで願意されるんだそうです。
これもなかなか面白いですよね。パースウェイドっていうのは、説得するっていうのは英語では結果を 願意するんですけど、
招待する、インバイトの場合は結果まで願意しないそうです。 だから同じ他動詞でもその結果まで願意するかどうかっていうのは動詞によるわけですね。
日本語だったらやっぱり招待するっていうのは結果まで願意しませんので、 招待したけど来なかった。
当然平気ですよね。英語の場合もインバイトしたけど来なかったっていう言い方はできるそうです。
のでパースウェイドとインバイトでそこに結果を願意するかどうかで差があるんですね。
ですので日本語の場合も英語の場合も、おそらく他動詞っていうのは意思をもって何かしらの行為をするっていうのは共通しているんですけど、
日本語の場合はどちらかというと行為が中心というか、 行為に焦点が当てられている感じで、
英語の場合はどちらかというとその行為の結果の方に焦点が当たっているような、 まあそういった違いがあるということができます。
さっきも言ったように僕はちょっと母語話者の感覚としては、燃やしたけど燃えなかったが言えるかどうかは
わかんないんですよね。その反省できないというか、 母語ってそういうもんなんでね、言えると思ったら言えるし言えないと思ったら言えないっていうか、
もっと自然な談話とかで確かめないといけないことだと思います。 殺したけど死ななかったはやっぱり厳しいかなと思いますね。
言うとしたら殺したはずだけどみたいにちょっと 動詞の形を変えるっていうか、プラスアルファで何かしらつけないと、
09:04
殺すの場合は厳しい気がしますね。 逆に説得するとか招待するの場合は、説得したけど来なかったとか言えるっていうのは、
この辺ははっきりわかるんですけど、燃やしたけど燃えなかったとかは ちょっと微妙なラインかなと思います。
で今回は日英対称ということですけど、これがね、他の言語でどうなのかっていうのも面白いと思いますね。
で実際死ぬみたいな、死ぬちゃうわ、殺すみたいな多動詞らしい多動詞でも その結果まで含意しないっていう言語はあったと思います。
殺したけど死ななかったっていう言い方ができる言語が確かあったはずなんですよね。
ですので、いろんな言語でその結果まで含むかどうかっていうのは 異なるということでございます。
というわけで今回はここまでということで、最後まで聞いてくださってありがとうございました。 また次回のエピソードでお会いいたしましょう。
番組フォローも忘れずよろしくお願いします。 お相手はシガ15でした。
またねー!