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始まりました、志賀十五の壺。皆さんいかがお過ごしでしょうか。志賀十五です。
今回のトークは、まずお便りをいただいているので、そちらご紹介したいと思います。
まずは1通目、佐藤さんからいただきました。ギフトと一緒にいただきました。ありがとうございます。
300回もめでたいですぞっていうことでね。なんかすごいムックみたいな感じになってますけど、どうもありがとうございます。
そうなんですよ。前回のトークがですね、収録のトークの配信の300回目っていう、まあ記念すべき回だったんですけど、
まあ300回も配信していると、あんまり感慨深いものもないなぁみたいなことを言ったんですね。
それに対する励ましのメッセージっていうことでね、佐藤さんどうもありがとうございます。
まあ今日301回目、次回302回目っていう風にね、また積み重ねていこうと思うので、どうぞよろしくお願いします。
2通目です。ポムさんからいただきました。
こんにちは。いつも拝聴しています。オープニングの音楽なのですが、志賀さんの音声に対し音が大きいと思います。
また音楽に疾走感があって、私個人の感じ方ですが苦手です。
イヤホンで聴いているので、たまに辛くて聴くのをやめてしまう時があります。
番組の伸びについてお考えになられているとのことでしたので、音楽なしもご検討いただけますと幸いです。
ということでポムさんどうもありがとうございます。
検討いたしました結果、別に変えずにいこうと思います。
今BGM流れていることからね、お分かりいただけると思うんですけど、
音が大きいということなので、いつもより若干音量を下げて今流しています。
これでしばらくやってみて、様子見っていうかね調整しつつやっていこうと思います。
ポムさんはこの今終わるこの音楽が苦手っていうことですけど、
まあ気の毒ですけどね、どんまいですって言ったとこですね。
それぞれ個人個人感じ方は違うので、苦手だっていう感覚は大事にしてほしいんですけど、
僕自身は別にそう感じてないし、
むしろこういうBGMをつけてからリスナーさんが増えたっていうこともあるので、
ポムさんにはちょっと申し訳ないですけどBGMはこのままやろうと思います。
ただ音量はご指摘いただいたのでいつもより小さめでお送りしております。
まあだいたい2分とか2分10秒ぐらいでBGMが終わるので、
まあその辺までジャンプしていただくか、
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まあ残念だけどもうこの番組を聞かないっていう判断されてくださってもまあそれは仕方ないかなと思いますね。
というわけでポムさんどうもお便りありがとうございました。
さて今回のトークのメインっていうかねテーマは
来世はこうなりたいっていうのがお題トークであるのでこれについて考えようと思います。
まあこの生まれ変わったらどうのこうのとかね、これは来世ってことですけど、
まあ前世とかね、前前前世とかいう歌が流行ったりしましたけど、まあそういう生まれ変わりっていうのはどうなんでしょうね。
日本人の国民性としてそういうのがすっと受け入れられるものっていうことなんですかね。
なんとなく僕は仏教的なものだと思ってたんですけどその輪廻っていうのがね、
どうやら仏教に限ったものではないみたいですね。いろんな宗教で見られるもののようです。
まあいずれにせよこういうふうに来世はどうこうとか生まれ変わったらどうこうっていうのが
日常会話的にね出てくるぐらい日本人のその真相真理っていうかなそういうものに根付いている考えっていうことですよね。
僕自身はですね、仏教徒なんですよ。そんな真面目な仏教徒っていうわけでもないんですけど、お経は少し読めたりとかまあその程度です。
仏教の考えで言うと、輪廻っていうのは苦なんですよね。苦ってあの苦しむの苦ですね。
でこれはご存知の方も多いと思うんですけど、 仏教の観点から言うと、この輪廻っていうかねその生まれ変わるっていうことから脱すること、
まあこれ下脱って言いますけど、その下脱を目的としているので、
来世はこうなりたいって考えていることはものすごく目標が低いっていうことですよね。
この現世っていうかね、今の段階で下脱は諦めているっていうことになっちゃうので、 まじめに考えるとこういうことが言えるっていうことですね。
僕自身は今のところ下脱動向っていうのを考えるほど真面目な仏教徒ではないので、
どういうことだこのお題はとかね、まあそういうことは言いませんけど、 でもまあラジオトークのトーカーさんあるいはリスナーの方にはそれぐらい
真剣な仏教徒の方がいてもおかしくはないですよね。 よくまあ日本人は無宗教だみたいなことを言われたりしますけど、
まあこういう質問が簡単に出てくるっていうのもそういった宗教観の現れなのかもしれません。
いい悪いは置いといてね。 先ほど僕はお経を読めると言ったんですけど、
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まあ特に般若心経は読めるんですよね。 でこれもご存知の方多いと思いますけど、
お経の中には本語っていうのがまあよく出てくるんですよね。 本語。
まあカタカナではっていうかね言語学でもサンスクリットとよく言われるものです。 実はサンスクリットだけで
もう言語っていう意味が含まれているので、 サンスクリット語みたいな言い方は日本語語みたいにちょっと重なっている部分があるんで、
まあ単にサンスクリットというだけでいいんですよね。 サンスクリットは現代インドにおいてもある意味生きた言語っていうか、
憲法でインドのね、インドの憲法で22の指定言語があって、でそのうちの一つにサンスクリットも含まれてるんですよね。
インドア大陸っていうのはめちゃくちゃ言語の数が多くて、多言語な社会ということになっています。
このサンスクリットっていうのはどういう言語かというとですね、 インドの公用語の一つでもある英語とかヒンディー語とか、
グループで言うとこれらの言語と同じ言語なんですよね。 インドヨーロッパ語族という言語に属します。歴史的に見れば。
これはですね、遡ること1786年にですね、イギリス人のウィリアム・ジョーンズっていう言語学者がサンスクリットと
古典ギリシャ語とラテン語っていうのがすごく似ているっていうことを発見したんですね。 でそこから言語学っていうのが始まったとも言えます。
1786年っていうのは言語学史上最も重要な年の一つなんですよね。
でこの1786年を境にインドヨーロッパ祖語っていうものですね。 もともとどういった言語を
祖先が話していたのかっていうのを研究する言語学が始まったんですよね。 これを比較言語学とか言ったりするんですが、
そういった意味でもサンスクリットっていうのは 重要な言語ではあるんですが、
先ほど言ったようにですね、 お経にサンスクリットが出てきたりするので、その仏教を通して
日本にもサンスクリットは観察されます。 まあよく言われるのは旦那とかね、まあ旦那ってもう今では仏教用語ですらないですけど、
これは英語のdonorとかと同じですからね、与える人みたいな意味から来ているわけです。
あるいは日本語の五重音標っていうのがありますよね。 赤サタナーとかいうふうに並んでいるあれですけど、
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あれもサンスクリットの音韻学が元になっていると言われていたりします。
まあこういうふうにサンスクリットっていうのは東でも西でも かなり重要な言語であるっていうことですね。
というわけで今回のトークはここまでということで、 また次回お会いいたしましょう。ごきげんよう。