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始まりました、志賀十五の壺。みなさんいかがお過ごしでしょうか。
倉敷ちぼり公園です。 結構ね、昔は漫画読んでたんですけどね。
最近はめっきり読まなくなってしまいました。 漫画雑誌ですよね。
今だと電子書籍とかね、電子版で漫画を読めたりすると思うんですけど、
まあ僕がね、学生の頃っていうか、 超中高とかこの辺ですよね。
は、もっぱらその漫画雑誌、特にジャンプですよね。
ジャンプ、サンデー、マガジン、チャンピオンとか、
こういった週刊連載系の週刊漫画雑誌はよく読んでおりました。
で、そんな中にタカヤっていうね、漫画があったんですよね。
僕と世代が同じくらいの方は、 まあ知ってるっていうかね、覚えてる方もいらっしゃると思うんですけど、
正式名称はタカヤ戦部学園激闘伝というね、そういった名前になっております。
ジャンルとしてはね、一応格闘系みたいな感じだったんですよね、当初はね。
ただ、なんかそういうバトル系から、 なんか最後ね、よくわかんない感じになって、
どちらかというと短命に終わった漫画ではないかなと思います。
漫画雑誌ってそういうのがありますよね。いわゆる打ち切りというやつですけど、
そんな中でも印象に残った漫画ではなかったかなと思います。
で、そのタカヤの中にですね、印象的なセリフっていうのがあって、
今回それがタイトルになってるんですね。 胸が当たってるんですけど、
当ててんのよっていうね、まあこれですけど、 タカヤってね、別にそのオイロ系系の漫画ではなかったんですよね。
当時だと多分、 1500%がやってたか終わりぐらいの時期じゃないかなと思うんですけどね。
その後か、 まあこのぐらいの時期にトラブルが始まったとかね。
まあそういういわゆるオイロ系系の漫画は他にあったんですけど、 タカヤの中にもね、まあそういったシーンはあったと。
で、この当たってるんですけど、当ててんのよっていうこのやり取りがね、 これもまた印象に残るものじゃないかなと思います。
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まあそういった意味でね、 そういった意味でっていうか、このセリフが印象に残ってるっていう方もいらっしゃるんではないかと思います。
すごい懐かしいですね、当時のジャンプね。 タカヤが連載してた頃は、今もやってますけどワンピースね。
ワンピース、ナルト、ブリーチっていうのが 3本柱みたいな感じで。
で、他にもね、スポーツ系だとテニプリや、 あと
アイシールド21とかね。 デスノートっていうちょっと
少年漫画っぽくないようなものも 連載されてたりとかして、当時はすごい楽しみながら読んだのを覚えております。
それはそうと、この胸が当たってるんですけど、当ててんのよ。 これはね、なかなか日本語の面白い特徴を端的に表してるんじゃないかなと思います。
当たるっていうのは 自動詞ですね、これね。
それに対して当てるっていうのは多動詞です。 どういうことかというと、自動詞っていうのは主語しか基本的には必要
ないような動詞で、多動詞っていうのは主語と目的語
がとをがつくような名詞が出てくる動詞です。 で、日本語の
この自動詞と多動詞を考えるときに一つ面白いのは、 当たるっていうのと当てるっていうので形が異なるということですね。
ここにはいくつかね、その規則っていうか形の上の特徴っていうのはあって、
当たるみたいにあるっていう音が入っていると、 自動詞なんですよね。
こういう自動詞多動詞の形の話は過去にエピソード配信してますので、ちょっと探すの面倒くさいんですけど、
そちらを url 概要欄に貼っつけておりますので、 その形の話は形の話としてそっちを聞いていただいてですね、
今回着目したいのは意識性というところです。 当たるといったときは
意識性っていうのが特に問題にならないというか まあそもそも誰が何をしたっていうその動作主ですね
動作を行う人っていうのが出てこないので、 まあそこに意思があるかどうかっていうのは問題にならないんですけど、
当てるとなった途端に 動作主が出てくることになるので、誰がの部分が出てきますので
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まあわざとっていうようなね、 意思的にその動作を行っているっていうことが
含意されます。これは結構面白いと思いますね。 多動詞っていうのは
まあ確かに主語と目的語が出てくるっていうことなんですけど、 意味的には意思性がプラスされるっていうような
言い方ができると思います。 こういう意思性のありなしが顕著に現れるのは他にも
これ焼けてないよって言われて焼いてないんですって答えた場合 これもねわざと
そういう意思を持って焼いてないっていうことがわかるんですよね まあ他にも何でもいいですけどね
曲がってますよに対して曲げてるんですとかね こういう多動詞を使えば
意思的にそういうことをやってますっていうのが日本語では含意されるんですよね まあもちろん多動詞を使っても
意思性っていうのを消し去ることはできるんですよね 例えばうっかり
当ててしまったみたいな言い方はできるんですよ そういう場合はうっかりとかてしまうっていうようなものを使って
多動詞の持っている意思性っていうのをキャンセルしてるみたいなね まあそういうことができると思います
こういうふうに特にこの当たる当てるみたいに 焼ける焼くとかね
自動詞と多動詞がペアになっているような動詞の場合は多動詞っていうのは意思性 っていうのが
デフォルトとして備わっていると言えそうです
この意思性というのが問題になるのは 自動詞と多動詞だけではなくて
詞役文でもちょっと関わってくるんですね 詞役文っていうのは何々させるみたいなものです
でそういうさせるみたいなものがついた 詞役動詞っていうものは
まあある意味で多動詞と似てるんですよね 例えば
立てるっていう多動詞と 立たせるっていう
詞役動詞 まあこれは自動詞の立つにさせるがついているわけですけど
立てると立たせるっていうのは意味的に非常に近いです 近いですが
その違いが現れるのは 非詞役者というか
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まあもっと言うと目的語が 意思を持っていない場合は多動詞の方が好まれます
つまり看板を立てるみたいな言い方になるんですね 一方
非詞役者が意思を持っているようなものの場合 特に人間みたいな場合は
生徒を立たせるっていうふうに詞役動詞の方が好まれるんですね これは逆にするとね結構奇妙に感じられるんじゃないかと思います
看板を立たせるとか生徒を立てるとか まあもしかしたら言えなくもないかもしれませんが
意味が若干変わってきたりとかね あるいは不自然な感じがするんではないでしょうか
ですので今日の話をざっくりまとめると 自動詞と多動詞でこうペアになっているような動詞の場合
多動詞を使えば 意思的に何かやったみたいなのが含意されます
多動詞と詞役動詞を比べた場合は
非詞役者 まあこうむるっていう字の非ですけどね
非詞役者が 意思を持っていない場合は
多動詞が好まれて意思を持っている場合は詞役動詞が好まれるというような まあそういった傾向があるというお話でございました
というわけで最後まで聞いてくださってありがとうございました ぜひ関連エピソードも聞いていただけたらと思います
お便りも募集中でございますのでどうぞお気軽に送っていただけたらと思います それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう
番組フォローも忘れずよろしくお願いします お相手はシガ15でした