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始まりました、志賀十五の壺。中共君をぶっ倒します。太田上田です。
お便りいただいております。
KJさんからギフトと一緒にいただきました。ありがとうございます。
言語のレシピ、こういう本があるんですけど、ちょっと後で言いますね。
言語のレシピのレビューにずっとお便りしたいことと共通する内容がありました。
以前、海外インディーズゲームの日本語化をしている方々の記事を見たことがあります。
それは日本語化と翻訳は違うということです。
ゲーマーはとにかくゲームを遊べればいいし、制作者は多くの人に売りたい。
なので機械翻訳にかけてどうしても通じないところだけを修正するのだとか。
その中できちんとした文章だと機械翻訳でうまくいかないことがある一方で、
毒、ダメージ、120みたいな方式だと全言語に変換できたそうです。
これを見たときに朝のライブでよく出てきたフィジンとかクレオール言語のことを思い出しました。
そして言語はどこまで分解できるんだろう。
日本語が日本語、英語が英語と言えるボーダーラインってどこなんだろうとぼんやり思いました。
シガさんの話はよく何かを考えるきっかけになっています。
いつもありがとう、いい薬ですということで。
長島和重さんからのお便りでございました。
まずこの言語のレシピっていう本はどうなのかな。
この番組で紹介したことがあるかどうかちょっと忘れちゃったんですけど、
確かLINEのオープンチャットでは紹介してたんじゃないかなと思います。
これは岩波現代文庫から出ているベイカーというすごく著名な言語学者がいるんですけど、
の書いている本でございます。
言語のレシピ、多様性に潜む普遍性を求めて。
これはなかなか面白くてですね、文庫にしてはやや分厚めですけど、
しっかり読んでいけばね、言語学の知識のない人でも楽しめる内容になっているんじゃないかなと思います。
この本の副題にあるように言語の多様性と普遍性っていうのは言語学の一つのテーマなんですよね。
多様性っていうのは色々あるっていうことで、普遍性っていうのは同じだっていうことですけど、
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この番組でもたびたびいろんな言語を取り上げてますけど、言語っていうのはいろんな形で現れます。
それはいろんな側面で言います。音の側面でもそうだし、
単語の作り方の側面でもそうです。そういうのを形態論と言います。
あるいは単語の並べ方ですね。統合論と言われる分野でもそうだし、
あらゆる側面で言語っていうのは多様であります。
が、その一方で、今回のKJさんのお便りにあるように、
翻訳が不可能だっていうほど多様というわけではないんですね。
翻訳しようと思えばできる。理解しようと思えばできるぐらいのレベルで多様であると。
ということで、何かしら普遍性っていうものがすべての言語に共通してあるっていうのが、
言語学の基本的な考えなんじゃないかなと思います。
その言語の普遍性っていうのを探っているのが、
例えば、生成文法と言われるノーム・チョムスキーというね、
これもまた非常に著名な言語学者ですけど、チョムスキーの生み出した、
打ち立てた生成文法という分野は、
普遍文法とか言って、人間だったら誰しも持っている、
その言語の根本みたいなものを探ってるんですね。
言語っていうのは表面上は全く違うように見えても、
その真相というかね、潜在的なレベルでは同じだっていうのが、
特に生成文法で考えられているものです。
だからこそ、翻訳ができたりするし、
どんな言語でも学ぶことができるし、
またあるいは、生まれたての子供だったら、
どんな言語でも、人種とかそういったものに限らず母語とする可能性があるということなんですね。
機械翻訳っていうのはね、相当発達していると思います。
特にメジャーな言語を中心にね、かなりいいところまでいってると思うんですが、
僕はね、ちょっとお便りにあったゲームとかはうといんですけど、
きちんとした文章だとうまくいかないことがあっても、
毒ダメージ120みたいな方式だと全言語に変換できた。
なるほど。
まあこういうふうに過剰書きっていうかね、リストっていうか、一緒か。
まあそういうふうに一個一個置き換えていくだけだったら、うまくいくんでしょうね。
それが文というか、より複雑になっていくと相当レベルが上がるんだと思います。
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お便りの中にあったピジンとかクレオルっていうのは、これは言語接触によって発生した言語のことで、
ピジンっていうのはお互い母語が違うもの同士がコミュニケーションのためにその場的にね、作った言語のことを言います。
クレオルっていうのはそのその場限り的なピジンが母語として使われ始めると、クレオルという言い方になるんですね。
ピジンっていうのはそれを母語とする人はいないんですが、
それが母語として使われるようになるとクレオルというんですね。
どちらも言語接触から発生した言語なわけですけど、段階的だしピジンとクレオルっていうのは非常に、
なんというかな、隔たりがあるものだと思います。
そういったピジンとかクレオルって言われる言語は、簡易的な場合が確かに多いんですよね。
単語の変化っていうのが非常に少なくって、
例えば動詞に現在形とか過去形とかそういったものがないとか、
主格だとか対格だとか予格だみたいな名詞の変化も非常に少ないです。
まあそういった意味ではさっきのね、箇条書き的なものとちょっと似てるかもしれないですね。
あるいはピジンやクレオルっていうのは孤立語的なことが多くって、
これ前回のエピソードでお話ししてるんですけど、
一つの単語の中に一つの情報しか入ってないみたいなね、そういった言語が多いです。
これもやっぱり簡易的みたいな側面があるんじゃないかなと思います。
ぜひね、言語のレシピ読んでいただけたらと思います。
KJさんはもうお読みになったのかな。
まあ多少ね、気合がいるところもあるかと思うんですけど、面白いと思います。
続いてのお便りです。
たぶちせなさんからいただきました。ギフトと一緒にいただきました。ありがとうございます。
500回おめでとうございます。
いつも学びも多く、β版あたりからキチの番組なので、これからも正解を祈っております。
ということで、たぶちせなさんどうもありがとうございます。
これはね、前回じゃないか、前々回だかなんだか、500回このエピソードを配信したということで、
お祝いのメッセージいただきました。ありがとうございます。
相当初期から聞いてくださってるっていうことですね。ありがたいですね。
これもね、難しいんですよ。
聞いてくださる方がいるのは非常にありがたいっていうか、聞いてくれる人いないとなんだかね、
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モチベーションも下がってしまうんですけど、
そういった人たち、聞いてくれてるリスナーをどれだけ引き止めておけるかみたいなのもね、
難しいんですよね。ある意味どうしようもないとこなんでね。
それと同時に新しいリスナーも獲得しなきゃいけないっていうかね。
僕は無理になんかね、その、
小山田、新山田、南田でそれぞれに合わせた話をしてるっていう感じはないんですけど、
ある意味でね、来る者は拒まず、去る者は追わずの精神でやってますけど、
昔聞いてくれてた人とかね、お便りくれてた人とか、どうしてるかなとかね、時々思いますね。
元気ならそれでOKっていう感じですけど、
そんな中でね、ずっと聞いてくださってるのは非常にありがたいことでございます。
というわけで、今回はお便りをご紹介するという回でございました。
こんな感じで今後もお便り募集しておりますので、
番組の感想や励ましももちろんですけど、
言語学に関係ない質問でも、あるいはお悩みでもね、
募集しておりますので、どうぞよろしくお願いします。
それではまた次回お会いいたしましょう。
番組フォロー忘れずよろしくお願いします。
お相手はシガ15でした。
またねー。