1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #437 点と線の言語学(アスペ..
2022-04-26 09:50

#437 点と線の言語学(アスペクト) from Radiotalk

関連エピソード
https://radiotalk.jp/talk/618415

主要参考文献
『日本語のシンタクスと意味Ⅱ』(寺村秀夫、くろしお出版)
『日本語のアスペクト・テンス・ムード体系』 (工藤真由美、ひつじ書房)

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
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始まりました、志賀十五の壺。いつもあなたのこと見てます。ビッグブラザーです。
今回は、日本語の何々しているっていうね、こういった表現についてお話ししていこうと思います。
まあ、話し言葉では何々しているっていう形になるかと思うんですけど、
これはあらゆる動詞につくもので、日常生活でもよく使うっていうかね、使わない日はないんじゃないかなと思います。
食べている、飲んでいる、話している、聞いているっていう風にね、いろんな動詞につきますけど、
では、この何々しているっていうのが表す意味っていうのはね、何でしょうね。
まさっきに思い浮かぶのはおそらく進行みたいなものだと思いますね。
進行形、英語のb動詞プラス動詞のing形みたいなもので、今まさにそういう動作をしているっていうことですね。
今食べているとか、そういうのが一番に思い浮かぶと思います。
ただ、日本語のしているっていうのは、そういう動作の進行だけじゃなくて、動作の結果っていうのを表すこともあるんですね。
道に軍手が落ちているって言ったときに、これは落ちつつあるっていう、落ちるっていう動作の進行ではなくて、
あるっていうことですよね。落ちてその状態で留まっているという意味になります。
こういう風に日本語のしているっていうのは、その動作が継続しているっていう意味と、その動作がもう終わってしまって、その結果があるっていうね、2つの大きな意味があるんですね。
この動作の継続なのか、結果状態なのかっていう、どっちの意味を表すかっていうのは、動詞によって決まっているんですね。
動作の継続、つまり進行っぽくなるのは、ある程度時間をかけて行われるような動作を表す動詞で、
読むとか書くとか、笑うとか泣くとか、こういったものは、しているっていう形になると、動作の継続を表します。
それに対して、瞬間的に終わってしまうような動作を表す動詞に、しているっていうのがつくと、結果状態を表すんですね。
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消えるとか、落ちるとか、あとは死ぬとかですね。
こういった動詞は、変化を表す動詞と言い換えてもいいかもしれません。
読むとか書くっていう動詞は、読んだり書いたりしたところで、何か具体的な変化が起こるわけではないんですね。
一方、消えるとか落ちるっていうのは、その動作の前後で状態がガラッと変わってしまうようなものです。
こういう変化を表す動詞に、しているがつくと、落ちているみたいにね、結果を表すということになっています。
この辺の話は、関連トークがあるので、ぜひ聞いていただけたらと思います。
概要欄にリンクを貼っておきます。
このしているっていうのは、よくするっていう形、いわば原形ですよね。
それと対立しているものとして考えられます。
食べているに対して食べるっていうのが、対比して考えられるんですね。
このしているっていう形は、出来事を線で捉えて、するっていう形は、出来事を点で捉えるっていうふうに言われるんですね。
かなり抽象的な言い方ですけど、
このしているとする、線と点の対立がよく現れるのが、2つ以上の文が連続したときなんですね。
具体的な例を考えてみるとわかるんですけど、
旅館に泊まっていた、夜に地震があった。
1つこういう表現があったとして、もう1つ、旅館に泊まった、翌朝山に登った。
この2つを見比べたときに、前者の方は、泊まっていたっていうしているの形を使っていて、
後者の方、山に登った方は、泊まったっていう、過去形ですけどね、するっていう方の形を使っています。
これ逆にするとね、母語話者であればかなり違和感を覚えると思うんですね。
例えば、旅館に泊まっていた、翌朝山に登ったっていうのは、かなりね、言いづらいんじゃないかなと思います。
確かに、旅館に泊まるっていうのは、ある程度継続して行われることなので、
一晩なり何なり泊まるっていうことは、それだけ時間があるわけですよね。
なので、しているっていう形を使ってもおかしくないんですけど、
旅館に泊まった、翌朝山に登ったっていうふうに、
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こういう出来事が連続するような場合には、しているっていうのは使わないんですね。
これが物事を点で捉えるっていうことで、その物事全体が連続して起こっていくような場合は、
しているっていうのは使いません。
一方、旅館に泊まっていた、夜に地震があった、こういった場合は、
物事の連続性というよりは、同時性を表すんですね。
旅館に泊まっていた、で、その出来事の間というかね、
その出来事と同時に、地震があったということを表します。
似たようなことは他の例でも確かめられて、
部屋に入った、電気がついた、こういう言い方をすると、
部屋に入るという出来事と、電気がつくという出来事が連続しているように感じられると思います。
一方、部屋に入った、電気がついていた、という言い方をすると、
その出来事が同時に行われている、そういうふうに感じられると思います。
話をまとめると、しているっていう形は、
出来事の同時性っていうのを表して、
しているっていうのがつかない、するっていう原型の形は、
動作の連続性、よくね、契機性っていう言い方をするんですけど、
継続の契に起こるで契機ですね。
そういった契機を表す、そういうことになっています。
今お話ししたように、しているっていう形は、
動作の進行というかね、動作の継続を表すこともあれば、
その動作の結果、結果状態っていうのを表すことがあります。
その使い分けは、動詞ごとにある程度決まっているっていうことなんですけど、
それだけじゃなくて、しているとするっていうのが対立していて、
文脈の中でね、非常に重要な機能になっているというお話をいたしました。
日本語母語話者であれば、この辺のことは巧みに使い分けているんですね。
でね、このしているの話になると、毎回話してるんですけど、
僕はね、このしているっていうのがよくわかってないんですね。
西日本方言話者の方だとわかると思うんですけど、
しおるとしとるっていうのがあって、しおるっていうのは動作の継続、
しとるっていうのが動作の結果状態っていうのを表すので、
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いわゆる標準語で、している一つで表しているものを、
別個の形式でちゃんと表し分けてるんですよね。
なので、おちおるっていうと、落ちつつあるっていう動作の継続で、
おちとるっていうと、標準語でいう落ちていると一緒で、
動作の結果状態を表します。
そういう使い分けがあるので、僕はね、標準語のしているっていうのは、
いまいちよくわかってないんですね、実はね。
というわけで、今回のお話はここまでということで、
最後まで聞いてくださってありがとうございました。
また次回のトークでお会いいたしましょう。
お相手はシガ15でした。
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