1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #298 相対的に共感してもらえ..
2021-04-23 08:46

#298 相対的に共感してもらえないこと from Radiotalk

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育 #絶対共感してもらえないこと
00:01
こんにちは、志賀十五です。 今日も志賀十五の壺をやっていこうと思います。
まずはお便りいただいているので、そちら読み上げたいと思います。 こちら、ラジオネームじゅんさんから頂きました。
ギフトと一緒に頂きました。ありがとうございます。
あいまいな言語の話ですが、他の言語にも適用できそうですけど、どうなんですか?ということですが、
これは日本語がよくあいまいな言語って言われてますけど、実際は、例えば主語が出てこない時なんかは、
一人称主語として解釈されるみたいな話をしたんですよね。
その本なら、もう読んだとか、何の文脈もなしにポーンと言った時は、
普通、主語は一人称として解釈されると。 で、こういった原理は他の言語にも当てはまるのかどうかということですよね。
まあ、当てはまる言語もあってもおかしくはないと思うんですけど、 言語によるとしかちょっと言えないですかね。
例えばラテン語みたいな言語だと、
その動詞の活用というかね、屈折とかよく言われるんですけど、 主語が一人称なのか二人称なのか三人称なのか
によって動詞の形がいちいち変わるので、 まあそういった言語も
当然主語は出てこなくても平気ということになりますね。 なぜなら
その動詞の形を見れば主語が何なのかわかるのでということです。
逆に英語みたいな言語は主語は必須なんですよね。 あれも一応主語によって動詞の形が変わっているといえば、かなり部分的に変わっていて、いわゆる三単元のSというやつですね。
主語が三人称で単数で、かつ時勢が現在の時のみ動詞の形が変わるという、 かなり化石的に残っているわけですね。
ただ英語の場合はもう主語は必須の言語になってしまっています。 つまり動詞の活用を単純化してしまったその代償として
主語が必須となってしまっているということですね。 まあ言語の変化っていうのは大抵話者が楽したいっていう欲求から出てくるもので、
03:00
これは音韻の面にしろ文法の面にしろ様々な面で見られるんですが、 言語のどこの側面を楽にするか
っていうのは、まあ言語によってまちまちなんじゃないかなと思います。 まあ端的に言えば
それぞれの言語にそれぞれの理屈があるっていうことですね。 その中でもある程度どんな言語にも当てはまるような普遍的なものもひょっとするとあるかもしれないんですけど、
といった感じです。 というわけでじゅんさんお便りどうもありがとうございました。
さて今回のトークのメインテーマはですね、 お題トーク、今週のお題トーク
絶対に共感してもらえないこと。 まあこれに沿ってやっていこうと思います。
絶対に共感してもらえないこと。 まあそんなもあるわけねえじゃねえかっていう感じですよね。
当然これは たとえっていうかね比喩っていうか
理解してくれる人が少数であるっていうことですね。相対的に見れば数が少ないかもしれません みたいなことで
マジで絶対に共感してもらえないとか思っている人がいたら相当めでたい奴だなあっていうことですね。
でもまあ時々いますからね、この本気で絶対に共感してもらえないとか思ってたりとか
ラジオトークの中でも私って人から変わってるって言われるんですとかね 自分独自の視点で世の中のいろんなことを語っていきますみたいな番組があったりするんですけど
人から変わってるとか言われたって まあたかが知れてるしお前独自の視点なんかねえよっていう感じですよね
だからまあ絶対共感してもらえないことっていうのもまあ理屈で言えばないんですけど
まあそういうことをねマジになって突っかかってても話は進んでいかないので 相対的に見て
共感してくれる人が少なそうなことを僕の場合考えてみると この番組でも過去にちょいちょい話していると思うんですけど
人工言語を作っているっていうのはまあ相対的に見ると やってる人間はそう多くないんじゃないかなぁと思います
まあどんな言語かっていうのは 詳細欄の方にその文法書のねリンクを貼っておこうと思うので本当に興味のある
方は見ていただけたらと思うんですが まあラジオトークやってる
人の中には あんまり人工言語を作っている人はいないんじゃないかなぁと思います
言語を作るって言うと 日本語でも何でもその単語のリストみたいなものを置き換えるみたいな
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人っていうのはこういう単語にしようとか 太陽っていうのはじゃあこういう言い方かっこいいな
こういう言い方にしようとか そういう単語の置き換えみたいなのを思い浮かべるかもしれないんですけど
これは全然違ってですね そもそも人工言語に限らず
言語っていうのは 物の名前
まあ物に限らないので物事の 名前のリストではないんですね
人っていうのがあらかじめあってそれを名付ける 太陽っていうのがあってそれを名付ける
あるいは食べるっていう行為があって それを食べるっていうふうに名付けるっていうことではなくてですね
順番としてはむしろ逆で 人という名前を与えることによって
まあその概念ができる 太陽しかり食べるっていう行為しかりですね
こういうのをよく世界が分節されるとかね 切り分けられるみたいな言い方をされるんですよね
こういった考えは言語学の基本となる考えで こういった意識を持っている人は意外と少ないかもしれません
例えば外国語を学習の時に単語を覚えるのに 日本語だとこうでっていうふうに置き換え式に覚えたりとか
翻訳とかする 和訳とかねそういった作業をするのに 単純に日本語で置き換えればいいんだみたいな
そういう認識の人が多いと思うんですけど そうではなくて
新しく言語を学ぶっていうことは 新しい世界の切り分け方を学ぶっていうことなんですよね 本来は
そういった姿勢はもうちょっと世間一般に広がってもいいような気がするんですよね 個人的には
で僕は先ほど人工言語を作っていると言ったんですが
人工言語を作るっていうことはつまり 新しい世界の区切り方っていうかね分け方を作り出しているということなんですね
もともと世界にある物事に名前をつけるんではなくということですね そういったことをやっている人間は相対的に見ると少ないかもしれないなぁという
今日のトークでございました というわけで今回のトークはここまでということでまた次回お会いいたしましょう
ごきげんよう
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