1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #376 カオスを切り分けること..
2021-10-22 11:09

#376 カオスを切り分けることば from Radiotalk

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関連トーク
「抽象化・具体化能力としての言語」
https://radiotalk.jp/talk/624797
「兄弟姉妹の言語学」
https://radiotalk.jp/talk/586028

参考文献
『ことばと文化』 (鈴木孝夫、岩波書店)

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
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志賀十五の壺です。
この番組はね、今言ったように志賀十五の壺っていう番組名でやってるわけですけど、
一応サブタイトル的なものに、10分言語学っていうのをつけてるんですね。
前までね、言語学ラジオってやってたんですけど、
ふとね、この番組の強みっていうかなっていうのを考えたときに、
最低10分程度で終わるっていうことが思いついたんですね。
これは、Radiotalkっていうアプリの中だと気づきづらいんですけど、
他のポッドキャストの番組なんかと見比べたときに、
20分とか30分とか、あるいは1時間を平気で超えるような番組もたくさんあるので、
10分あるいはそれ以下っていうような一つのエピソードがこれだけ短いっていうのは割と少なくてですね、
だったらそれを逆手に取ろうということで、
10分言語学というサブタイトルをつけました。
これは長所でもあり短所でもあるかもしれません。
でももしかしたらね、
10分で聞けるんだったらということで、
とっつきやすくなっているとうれしいなと思います。
今言ったように10分程度で言語学の話をするということは、
言語を主に扱っているわけですけど、
言語っていうのが一体何をやっているかっていうと、
当然人と思いつくのはコミュニケーションツールとしての言語ですよね。
他の人と意思疎通を図るための言語ということです。
言語がないと我々おそらく意思疎通というかね、
高度なやりとりっていうのは不可能であったろうと思います。
言語というものがあるので、
我々人間は遺伝子以外にいろんなものを伝えることができるということなんですね。
社会的文化的なものを次の世代に引き継ぐことができるっていうのは、
遺伝子というか本能ではできないことなので、
それがやっぱり大きく他の動物と人間を区別しているものではないかなと思います。
こういう風にコミュニケーションツールとしての言語っていうのは結構皆さん思いつくと思うんですけど、
もうちょっと本質的なだけにあまり気づかれない言語の機能として、
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反中化というものがあります。
これは言語の世界を切り分ける力と言ってもいいかもしれません。
どういうこっちゃってことですね。
これは当然比喩表現で、言語っていうのは刃物ではないので、
その世界をね、みじん切りにしたりイチョギリにしたりするわけではないんですけど、
この反中化能力としての言語の話は過去に何回か多分やってると思うので、
関連トークとして概要欄貼っつけておこうと思うので、そちらも合わせて聞いていただけたらと思います。
反中化っていうのはどういうことかっていうと、
あるいは世界を切り分けるっていうのはどういうことかっていうとですね、
現実世界っていうのは連続体というかカオスで、
人間はそれに対峙するときにどうしても言葉というものが必要になるっていうことなんですね。
例えば日本語では水とお湯っていうものを区別しますよね。
でも水の温度っていうのは、
当然連続体でどっからが水でどっからがお湯かっていうのは正確な定義あるかもしれませんけど、
多くの人にとってかなり曖昧というかね、連続体を成しているものだと思います。
当然0度を下回ると氷になって100度を上回ると水蒸気になるわけなので、
ただこれだって人間が勝手に氷になる温度を0度、水蒸気になる温度を100度としてそれを100等分しているので、
後から作った単位のわけですよね。
だからやっぱりここでも現実世界はカオスでそれを切り分けているということになっています。
だから水とお湯の区別なんてないといえばないというか、
水とお湯の中間、いわゆるぬるいみたいなものも段階的に存在しているわけですよね。
ただ日本語は水とお湯っていうものを区別しますが、
英語はお湯を表す単語はありません。
単一の語で表すことはできないんですね。
水は当然ウォーターですけど、お湯っていうときはホットウォーターっていう風に就職語をつけなきゃいけないということになっています。
なのでここでは日本語と英語で水という液体を切り分けるかどうかっていうのが異なっているということになっています。
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ちなみにマレーシアで話されているマレー語っていう言語では、
氷っていうのも含めて氷水お湯っていうのを一つの単語で表すそうです。
だからあの水っていうもの、現実世界のものを日本語はお湯水氷で区別しますけど、
そういった区別がマレー語ではないということになっています。
切り分けていないということですね。
こういった例は探してみるといっぱいあると思います。
例えば兄弟を表すような名詞で、日本語は兄弟、姉妹っていう風にその年齢差を区別するわけなんですけど、
英語はありませんよね。性別しか区別しなくて、ブラザーとシスターしかありません。
言おうと思えばリトルシスターみたいな言い方はできますけど、単一の語はないわけですね。
これもまた言語によってはですね、
年上の兄弟、年下の兄弟を表す単語はあっても、性別を表し分けるわけではないっていう言語もあるんですね。
こういった兄弟名詞の言語学については関連トークがございますので、ぜひ概要欄のURLから聞いてみていただけたらと思います。
今言ったように言語っていうのは現実世界では連続体であるものをそれを捉えるために切り分けている、半中化しているということです。
この半中化っていうのは特殊化という意味でもあるし、一般化という意味でもあると思います。
この2つは表裏一体だと思いますね。
これも関連トークで詳しく話しているので聞いていただきたいと思います。
ではなぜ言語によってその言語の切り分け方、半中化の仕方が異なるかというとですね、
やっぱりその和社や共同体というかね、社会のものの見方というか、そのものやこととの関わり方っていうのが強く反映されてるっていうのは一つあると思うんですね。
水とお湯の例で言えば、日本っていうのは火山国なので温泉が各地ありますよね。
だからそれだけお湯っていうのが身近だったので、水と区別してお湯っていう単体の語があるということになります。
湯水のように使うっていう日本語はなかなか面白いですよね。
これは贅沢するっていうことですけど、言語によっては真逆の意味になるでしょうね。
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その贅沢をするだけ水が大量にあるっていうのは日本の特徴でしょうね。
あるいは、米を表す単語って日本語にはいっぱいあって、米という植物のことを植わっている状態だったら稲、それを中核したら米、
大抵食べる状態になったらご飯、あるいは飯みたいにいっぱい一つの植物を表すのに場面場面で異なる単語を使ってるわけですよね。
英語だとライスの一言で済んでしまうわけです。
これもやはり日本っていうのが稲作をずっとやってきていて、米っていうのにかなり愛着があるというか関わりが深いので、それだけ表し分ける語があるということです。
ただね、この民族とか社会っていうのと言語っていうのを安易に結びつけるのもちょっと危ないんじゃないかなっていう気もしないでもないんですね。
例えば日本語には助数詞っていうのがあって、一枚とか一粒とか一本とか、こういったものはそのものの形状によって使い分けてるんですけど、
だからといって日本民族っていうのは形にすごいこだわりがあるんですねって言われると、なんかしっくりこないなーっていう気がすると思います。
なのであんまりその民族性や社会っていうのを言語に安易に結びつけない方がいいんではないかなっていうのが僕の考えですね。
というわけで今日は言語の持つ反中化という能力のお話でした。
最後まで聞いてくださってありがとうございました。
ぜひ関連トークも聞いていただけたらと思います。
お相手は志賀十五でした。
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