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始まりました、志賀十五の壺。皆さんいかがお過ごしでしょうか。サイモン&ガーファンクルです。
日本史を習うときに、まず縄文時代から始まりますよね。そして弥生時代に移り、その他諸々続いていきます。
弥生時代だと、稲作が始まったとかね。その前の縄文時代は縄文土俵を使っていたとか、そういった話なんですが、
その当時日本で話されていた言語、当然言語は使われていたはずですが、その縄文時代や弥生時代に話されていた言語は、果たして日本語だったのだろうか。
これは立証の仕様がないといえばないです。テープレコーダーというか、録音機器はもちろんですけど、文字資料も残っていない時代の言語ですので、どっかしらのタイミングで現代の日本語の祖先となる言語が日本にやってきていたわけですが、
定説ではね、弥生時代の言語はすでに日本語だったと考えられています。
ではその前の縄文時代の言語はどうなんだというと、これはいろんな見方があるようです。
今回はそんな縄文語とも言えるような、縄文時代の言語の話をしていきます。
今回参考にしているのは小泉珠津先生のまさに縄文語の発見という本です。
これは新版が出ていて、新版自体は非常に新しいです。2021年に出ております。
この小泉先生の説を今日紹介していきますが、
小泉先生の説というのは、縄文時代の言語、縄文語も日本語だったというか、
現代の日本語は縄文時代から受け継がれているものだという考えです。
つまり弥生人の話していた、それを仮に弥生語と呼ぶとして、
弥生語というのが日本列島を全部を塗り替えてしまったわけではなくて、
寅人の言語の影響を受けながら、言語の変化はあったけれど、
それが現代語にも受け継がれているという考え方なんですね。
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今回は縄文語、縄文時代の日本語というのをテーマにお話ししていきますので、
おそらく次回、弥生語、弥生時代の言語についてもお話ししようと思います。
さて、その縄文語というのは果たしてどんな言語だったかというと、
小泉先生はその痕跡が現代語にもあるというふうに考えていらっしゃいます。
それはどういうふうに確かめられるかというと、
方言集権論という考え方を使っています。
これは多分過去のエピソードでお話ししたこともあると思います。
方言集権論。これは柳田邦夫が提唱した考え方で、
日本の場合、昔中央というのは京都、あるいは奈良、いずれにせよ関西圏だったわけですけど、
その関西というのが中心で、そこから同心園状に言語の輪みたいなのが広がっていると。
で、列島の端っこの方になるとより古い形が残っていて、
関西に近ければ近くなるほど新しい形が使われているという考え方なんですね。
柳田邦夫を挙げた例だと、これ下牛公という本があるんですけど、下牛って片つむりのことですね。
その片つむりの呼び方の分布というのが、まさに同心園状に関西を中心に広がっているというか分布していて、
一番新しい形がデデムシみたいなもの。
これが関西中心に使われていて、その外側にマイマイ、片つむり、一番外側、列島の端っこの方はなめくじというのが片つむりを指す語だそうです。
方言集計論だとデデムシというのが一番新しくて、なめくじというのは古くは中央でも使われていたでしょうけど、一番古い形で今では列島の端っこに残っていると考えるんですね。
この方言集計論的な考え方を当てはめると、それに沿って縄文語というのを考えると、
やはり日本列島の端っこの方に縄文語の痕跡があるはずだと。それが小泉先生の主張なんですね。
例えば東北方言だと、中舌母音っていうのが一つ特徴的です。
中舌母音は、イとウの間みたいなもので、その音色のバリエーションというのはいくつかあるんですけど、特にシチジとスツズの区別がなくなってしまいます。
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ですのでシシマイのシシっていうのと、物を焼いた時のススっていうのと、お寿司の寿司っていうのは全部セスみたいな発音になってしまうんですね。
あるいはツツヌケのツツっていうのと、お父さんの父っていうのは両方ツツみたいな発音になってしまいます。
イとウの中間みたいな母音が東北地方にはあるんですね。
こういう中舌母音、あるいは一つ仮名ということもできますが、この一つ仮名っていうのはどういうことかというと、
いわゆる共通語だとシに点々のジとチに点々のジ、あとスに点々のズとツに点々のズ。
これらは区別されないんですね。両方ジ、ズという発音になってしまいます。
こういうのを二つ仮名と言うんですね。四つ仮名の地域っていうのもあって、今回はちょっと扱いませんけど、
共通語とは違ってシに点々のジとチに点々のジ、スに点々のズとツに点々のズに発音上の違いがあるものもあります。
東北方言の場合は逆で、逆っていうか、二つ仮名がさらに区別されないので、
シに点々とチに点々とスに点々とズに点々とこれらの濁音に発音上の区別がないんですね。
それが中舌母音であるっていうことと裏表なんですが、そういった特徴がある方言は他に出雲方言があるんですね。
山陰地方です。こういった中舌母音っていうのが一つ縄文語の特徴であったろうというのが小泉田本先生の主張です。
この中舌母音の分布っていうのは裏日本的というか、日本海側にかつては分布していたんですが、
それがやがて関西方言によって、これが弥生語と考えられてますけど、関西方言によって分断されてしまって、今では東北東出雲と、
あるいは日本海側に点々と見られるだけになっていると言うんですね。
ですので縄文時代に話されていた日本語、縄文語っていうのは、
イーとかウーっていう狭母音とか言ったりするんですけどね、このイーウーの母音はもっと中舌寄りだったと考えられます。
さらにはイーとウーだけではなくて、エーとオーにも裏日本的な特徴があります。
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それはやや狭母音的ということで、狭母音ということはエーっていうのがイに近いような発音、オーっていうのがウに近いような発音であるということです。
実際、出雲方言だと虫のことをモスっていう風にオーで発音するっていうのがあって、
このことがオとウの距離が近いということを示しているということです。
このウとオの混同みたいなものがイとエーでも観察されるということで、やはりエーとオーっていうのが狭母音的だというのが裏日本の特徴です。
というわけで、方言集計論的な考えに基づけば、東北方言の母音の音色っていうのが縄文語の名残だということで、母音だけではなくて、
前鼻音と言われるものがあるんですけど、濁音の前に鼻に抜けるような音が加わるものです。窓のことをマンドって言ったりね、こういう風にンっていう発音が出るっていうのも裏日本的な特徴なので、これも縄文語の名残だろうと言うんですね。
それでは次回は弥生語についてお話ししていこうと思うので、合わせて聞いていただけたらと思います。
それではまた次回お会いいたしましょう。お相手はシガ15でした。
またねー!