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始まりました、志賀十五の壺。 皆さんいかがお過ごしでしょうか。志賀十五です。
我々は話すとき、まあ書くときでもいいかもしれませんけど、 単語っていうのを組み合わせて話してますよね。
まあ当たり前といえば当たり前かもしれません。 なので単語っていうのが一番小さい単位、言語の単位と思われるかもしれませんけど、
まあそういうわけではないですよね。というのが、 分けようと思えばもっと細かく分けることはできて、
つまり、真と母音の組み合わせなので結局、 だからまあもっと小さい音素と言われる単位もあるわけですよね。
なので、我々が話すときはまず音素と言われる音の単位を組み合わせて、
5と言われる単位を作って、でその5と言われる単位を組み合わせることで、 文というさらに大きい単位を作っていると。
まあそういったイメージなんですよね。 そういう一番小さい音素と言われる単位を研究する分野を言語学では
音韻論と言います。 でその単語をどうやって並べるかどうやって組み合わせるかっていうのを研究するのが、
これが統合論と言われる分野なんですね。 でその中間に位置する単語っていうのをどうやって作っているか、
音素をどうやって組み合わせて単語が出来上がっているかっていうのを研究するのが、形態論と言われる分野なんですね。
まあやや堅苦しいですけど、今日のトークはこの形態論についてお話ししていこうと思います。
待ってよ アクセントが 形態論かな 形態論
まあアクセントはともかく その単語がどうやって出来上がっているかということですね。
言語学の最も基本的な考えとして、 言語の音音素と言われるものそれ自体には意味がないんですね。
意味のない音を組み合わせることで意味のある単位を作り上げているということです。
一応これが基本的な考えとなっています。
例えば くっていうような形で書くようなこの詩音自体には 特定の意味はないんですね。
それが例えば他の母音や詩音と組み合わさることで、かーとかきーとか子供のこーとかね、そういうふうに組み合わさることで初めて意味のある単位となります。
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それが単語だってことになりそうなんですけど、ここが微妙に違ってですね、
単語よりさらに小さい単位として形態素っていうのを普通認めるんですね。これもまた硬い話ですけど、
形態素っていうのはよくある定義として意味を持つ最小の単位ということになっています。
この形態素と単語っていうのはかぶることもありますけど、例えば今言ったかーとかきーっていうのは単語と形態素っていうのが一緒なんですけど、
食べるとか言った場合は、食べとるで、言語学では分けて考えますね。
食べっていうものにるっていうのが くっついていると考えて、
食べっていうのはその食べるっていう動作を表すもので、るっていうのは現在という時間を表している要素と。
こういうふうに食べるっていう一つの単語は2つの単位からなっていると考えます。
この単位のことを形態素と呼ぶんですね。
食べるっていうこの一単語は2つの形態素からなっている。つまり2つの意味を持つ最小の単位からなっている ということですね。
あるいは食べたーになると、食べるっていう動作を表す形態素と、たーっていう過去を表す形態素と、この2つの組み合わせからなっている ということなんですね。
言語によってはですね、1単語と1形態素っていうのが完全にイコールであるような言語もあります。
こういった言語を 孤立型言語と言って、中国語とかベトナム語っていうのが代表的なものとして挙げられますね。
そういった言語では、単語と形態素を分ける意味があまりないような言語となっています。
一方 日本語みたいに、食べるもそうですけど、もっといろんな形態素をくっつけることができて、
食べさせる、食べさせられる、食べさせられない、とかね。
こういうふうに、1つの単語が複数の形態素からなるような言語のことを、孤着型言語と言います。
日本語の他には、よく挙げられるのは、トルコ語ですね。
トルコ語とかモンゴル語っていうのが、日本語と同じような孤着型言語となっています。
確かにさっき言ったように、食べるっていうのは、1つの単語が2つの形態素からなっているっていうのは、よくわかると思うんですけど、言われてみればね。
問題は、飲むとか書くとか、こういった動詞に当てはめてみると、どう切ればいいんだって感じですよね。
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のとむ、あるいは、かとくっていうふうに 分けるのかっていうことですよね。
これはどのように考えるかというと、仮名で書いていると、ちょっと気づきづらいんですけど、
いわゆるローマ字表記にしてみて、飲む、書くと書いた場合に、飲むの場合は、NOMが1つの形態素で、うっていうのが現在を表す形態素ということになります。
書くの方も一緒ですね。KAKで、これで1つの動作を表す形態素で、うの方が現在を表す形態素ということで、
こういうふうに考えれば、食べるっていう動詞と 平行的に考えることができるんです。
ということは、日本語の動詞にくっつく、現在を表す形態素っていうのは、るっていうのと、うっていうのが2つあって、
食べるみたいな動詞には、るがくっついて、飲む、書くみたいな動詞には、うっていうのがくっつくと、2つあるんだなと 思われるかもしれませんが、そうは考えないんですね。
これは、現在を表す形態素は、1つだけと考えて、動作を表す形態素、動詞五根と言ってもいいですけど、
この動詞五根が、母音で終わるときは、るという形になって、動詞五根が、死音で終わるときは、うという形になる。
つまり、前に出てくる形態素の音によって、母音か死音かによって、形を変える、そういうふうに 考えるんですね。
1つの形態素が、別個の形で表れているだけだと。
こういうふうに、異なる形で表れることを、異形態というふうに言うんですね。
こういうふうに考えると、言語の説明として、かなりシンプルなものになるんですね。
この単語の研究の、形態論という分野の目指すところの1つとして、シンプルさというものがあるので、シンプルな説明であれば、あるほどいいということなので、こういった説明になることが多いです。
今言ったように、現在を表す形態素は、2つの異形態を持っていて、
動詞語婚が母音で終わるときは、る、死音で終わるときは、うと、こうなっているわけですが、これは音によって、異形態が決められています。
ただ、この異形態の表れ方や条件は、音だけではなくて、
例えば、日本語の敬語の 語と語は、漢語か和語かが 基本的な条件となっています。
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語心配や 語要件などが つきますが、お年寄りやお子様のように、和語の場合には 語がくっつきます。
言語学では、語と語は 同じものとみなして、漢語か和語で 表れ方が異なると分析します。
これも シンプルな説明を目指した 結果です。
今回のトークは、言語学の一分野である 形態論の話でした。
最後まで 聞いてくださって ありがとうございました。
お相手は 志賀十五でした。