2024-04-20 34:53

vol.77 害獣被害の現実 -動物を食べ物に加工する葛藤- ゲスト: 川端俊弘さん(罠ブラザーズ)

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農家の被害/高山植物の被害/離農の原因のひとつ/1000キロの柵/なぜ獣が増えたのか/オオカミ再導入案?/人間からみた生態系バランス/いただきますの意味/おいしい、まずいの二元論ではなくなった/知る必要がなくなった動物が食べ物になる工程/生田 武志 (著) いのちの礼儀/葛藤のキャッシュの処理の仕方/


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サマリー

長野県では、農業や林業への被害が大きく、年間の農林肥料の依頼額は約74億円で、そのうちシカがほぼ30%を占めています。農作物被害や林業への影響が深刻であり、人間の活動や環境の変化がシカの爆増に影響していることが指摘されています。動物の繁殖とバランスの崩れについて考える中で、動物の捕獲や食べることに対する葛藤や悩ましさが生まれます。食事を通じて動物の命や自身の命を大切にすることの重要性を感じ、命への向き合い方について気づきを得ています。ゲストの川端俊弘さんとの対談を通じて、動物を食べ物に加工する葛藤や現実についての話がされています。

農業と林業への被害
東京チェンソーズと、やまとわの自然資本論〜
東京チェンソーズの高橋です。
やまとわの倉です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
前回罠ブラザーズの川端さんが来てもらっておりますので、そのまま引き続きよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
罠ブラザーズ川端です。
前回罠ブラザーズのサービスと、猟奇とか有害鳥獣みたいな話を聞いてきたところなんですけど、
その辺をもう少し深掘りしたいなというところで、前回の時に鹿が平成元年に比べて8倍ぐらいに長野県では増えてますよみたいな話とかがあったと思うんですが、
その辺、獣害の話とかって結構サラッと聞くこと、農家さんが困ってるみたいな話とか、林業に関しても結構問題だよねっていうようなところがあると思うんですけど、
その辺の現実というかリアリティーをちょっと深掘りしたいなと思ったんですけど、
川端さんの周辺でも農業被害とか林業被害も含めて、どんな切実さがあったんだろうかみたいなのって、どんな感じですか?
そうですね、やっぱり地域で生活していると知り合いに農家さんが多いので、その人たちの話を聞くのが一番リアルだなと思うんですけれど、
ある友人の農家さんがジャガイモを何十キロと植えて、収穫直前に動物、イノシシだったりシカに食べられてしまって、ほとんどの収穫ができなくなったという話だったり、
田んぼの中に動物が入ってしまって、イネを倒されたりだとか、そば畑をたくさん作っていたところにまたシカが入ってきて、ほとんど食べ尽くされてしまったみたいな話はよく聞きまして、
そこら辺をちょっと調べてみると、長野県の年間の農林肥料の依頼額が、ここ最近で年間7億4千万円くらいあるということなんですね。すごい額だな、やっぱり相当だなと思って。
で、その7億4千万円の中のシカが占める割合が29.4%、ほぼ30%くらいだ。それ以外が他の動物ですね。イノシシだったりとかカラスだったりとか、タヌキとかキツネとか他の動物だったりするんですね。
その中でもやっぱりシカは長野県では農林業の被害を、農作物もそうですし、林業でも樹皮をかじってしまって立ち枯れするとか、いろいろあると思うんですね。そういうのが非常に大きな被害だなというふうには思っています。
この間、林業地に、長野県内の林業地に行かせてもらった時にも、海抜再造林の現場があったんですけど、海抜再造林。全体を、木を全部切って、幹抜じゃなくて一帯を切って、そこにもう一回スギを植えるみたいな、ヒノキとかスギとか、長野から松だと思うんですけど、植えるみたいなところで。
獣害の現実
5、6ヘクタール海抜して、植林した地樹が全部、ちゃんとビニールが、ビニールっていうものが盛ってあるんですよ。ガードしてあるんですよ。
そうですね。
それを掘り返して全部食べられたっていうので。
なるほどね。
でもよっぽど食べるものないんだよねってことはやっぱり。
周りも、新予住に杉林とかで食べるものないっていうのもあるかもしれないですけど、すげえ執念だなと思って。結構食べにくいように、サクしてあるみたいなやつを、全部掘り返して食べてたから。
すごいですよね。
それって、本当に金額だけの話じゃないじゃないですか。
そうですそうです。
もう一回売れんの?っていう。
いや本当だよね。5、6ヘクタールって相当だよね。
すごいですね。
結構な面積だったりするし。
あとは、農林業のことはもちろんなんだけど、僕が暮らしている南アルプス、稲谷とかだと南アルプスの高原、鉱山植物とか、生態系に対しても結構インパクトがすごい出てて。
昔はここ一面花畑だったけど、全部食べられちゃってるみたいな話もあって。
なんかあれだよね、アセビとかトリカブトしか残らないとかっていう。
すごい話ですね、また。
結構その現場とかを見ると、やるせないとかが辛いんですよね。
農家さんの話でも、すごく丹精込めて作った野菜が本当に直前にダメになっちゃって、泣いてしまって利納しちゃうみたいな話も聞いたりするので。
それまでやってたことが、一晩で無に来す辛さっていうのは想像でするんだろうなというふうに。
そうですよね。僕らもやられましたよ。トウモロコシ収穫前夜にやられた。
それは鹿にやられてるんですか?
鹿じゃないですね。イタチだったから。
本当に前日に来ましたね。
数年前ですけど。
かじられてるってことやっぱり。
そうそう。ありとあらゆるスイートコーンをちょっとずつかじっていく。結構かじってるのもあるけど。
いいとこだけね、かじって。
シカの増加とその要因
そうだよね、いいとこ取りしてる感じ。
悔しいみたいな。
柵とかを覆ったりしてガードしても、なかなかその時は良かったりしても、動物も学習するので、いろんな方法で突破してくるじゃないですか。
そうですよ、本当。動物も生きるために必死だから。
下を抜けたり、上を飛んだり。
ちなみに長野県だと山と里を分かつために防護柵を設置しているんですけど、
結構皆さんも多分山に行くと強固な柵みたいなのを見ることがあると思うんですけど、
あれ長野県で1000キロぐらいあるんですよ。
1000キロもあるんだ。
それぐらい里と山をゾーニングして分けていっても、結局その時作るはいいんですけど、
やっぱり倒木だったりとか、動物が飛び越えたりとか、穴を掘って破壊したものを、
結局治す忍則と体力と器用がないっていう問題もあるんですよね。
1000キロメンテできないですもんね。
いやー、無理だな。
そうなんですよ。
しかも山の縁。
確かにそこまで行くのも大変なんですよね。
ちょっとした大雨とか風で枝が落ちてきて、それでガシャンって壊れたりして、
もうそのまんまだったりしますしね。
それをいちいち直したらまた次の風で落ちてくるみたいなこともあって。
確かにやってもやってもキリがない状態です。
それはやっぱり大変だなと思います。
結局電柵とかネットとかもそういう草、生い茂る草とかで機能しなくなったりとか絡まっちゃって、
むしろ整備するのが大変だったりとかするっていう。
結構その辺の設計が重要というか難しいなとすごく思いますよね。
根本的な解決策な感じは全くしないじゃないですか。
そうですね。
バータリー的というか対処療法的な感じにしかやっぱり見えないというか、
しょうがないんだけどね。
今はそうせざるを得ないから、一旦それでっていう形なんでしょうけど。
それこそ平成元年から8倍、多分8倍どころじゃないぐらい増えてる可能性もあると思うんですけど、
それは何でそうなっちゃったんだろうっていうのを考えると、どういうふうに言われてます?
そうですね。やっぱり一つは狩猟者が減っていったっていう部分が一つですね。
今まで漁師としてやっていた人がどんどんやめていって減っていったっていうのと、
大きなところは人が里山を使わなくなっていったっていうところかなというふうに思っていまして、
今まで山の恵みを得て生活していってた人がどんどん町場に移動するにあたって山に入らなくなってしまったがゆえに、
林業の方以外が入ることがなくなった。少なくなってしまって、農物の楽園になってしまったんじゃないかみたいな話があって。
農業をたくさんやってた時期からすると農業の人も減っていったわけじゃないですか。
そうすることによって今まで使われてた農地が使われなくなって荒れ果てることによって草が生えて、
山と畑を分かつゾーニングがなされないことによって動物が野菜とか作物を食べやすくなって、
どんどんどんどん栄養をとって増えていったんじゃないかなというふうな、いろんな理由があるかなというふうに。
そうですよね。1個で産んだってことでは全くないと思うんですけど。
やっぱり聞くのは人間の無意識的餌付けによる鹿たちの健康状態が良いっていう。
美味しい栄養価の高い野菜が近くにあるところにあるからね。
細金の自然写真家の宮崎学さんとか、まなぶさんか宮崎学さんの本とかで読むと、
結構エンカル、雪溶かすエンカルを鹿がめっちゃ舐めにくるみたいなのがあって、
そういう山の餌、山の中に生えてる餌、食料が減ってるっていうのもよく言われるっちゃ言われるけど、
それ以上に人間界にアクセスがしやすくなって、それこそ人に出会わずに山から降りれる状態になるし、
そこで採れる野菜とか果樹とかの栄養価高いものが採れて、しかも冬がそこまでめっちゃ寒くないというか、
雪が厳しくて、子育て中の鹿がなくなるリスクも減ってるみたいなところで、
たくさん産む環境だし天敵も減っている、人間という天敵も減ってるし、
栄養価の高いものをたくさん食べれて、たくさん子供を産めるっていう、そういうのが絡み合って爆増したみたいなのを聞くと、
どこをどう捨てばっていう感じです。
なんかさ、8倍とかってなるとさ、普通に里山に人が暮らしていようが関係ないぐらい、
そうですね。
降りてきそうな感じもするもんね。
そうですね。
前見た映像というか、知り合いの山で自転車走っている人がFacebookでアップしてたやつで、本当になんか鹿牧場みたいになってるんですよね。
普通の山を見ると、そこにいっぱい鹿がいるってことでしょ。
そうそう、それも本当に牧場なんですけど、元牧場跡地に、
鹿がいっぱいいるんですよ。
鹿が、もう、え、これ飼ってんの?みたいな感じ。
たぶん、したくさんポインパイン入ってて、日当たりも良くて、半数して日向牧場にはちょうどいい場所なんじゃないですか。
それが本当に数百で済まないぐらい、たぶんいるような感じだったんですけど、これはもう、そのまま飼ってしまいたい。
確かにね。
鹿牧場として。
繁殖力がめっちゃ高いんですよね。
ほぼ3歳以上で、ほぼ全てのメスが繁殖できるようになって、毎年一頭ずつ産んでいくっていう。
なるほど、若い段階で産めるんだ。
結構そうなんですよね。
どんどん売買ゲームのように増えていくっていうのも一個あって、
捕獲していかないと、どんどん増えていっちゃうなっていうような課題がありますね。
生態系のバランス的にめっちゃ崩れてるって、本とかネットとかの記事とかでも読んだことはあるんですけど、
日本だと狼が絶滅してしまって、天敵が人間以外いなくなって、頂点の捕食者がいなくなってしまったが故に爆増しているっていう理由も1個考えられるんだろうなと。
狼がいなくなったのはもうだいぶ前だと思うんですけど。
アメリカだと30年くらい前かな、多分イエローストーン国立公園ってところも同じような状況になっていて、向こうは多分ヘラジカだと思うんですけど、
それがやっぱり生態系を崩しているっていうふうなところから、狼を再度放ち直してというか。
狼再導入論ですね。
そうそうそう、狼再導入論。
で、やっぱり狼が捕食するというか、あとはヘラジカとかが結局逃げないといけないからエリアが分散したりとかで、生態系が元に戻りつつあるみたいな話とかも。
雑誌とかでも読んだことはあるんですけど、かといって日本で狼もう1回放ってたんで、現実的かというとそうではないと思うんですけど。
動物の繁殖とバランスの崩れ
なんかそういう意味での、人間も増えすぎてると思うんだけど、正直。
なんかそういうバランスが崩れた時に起こってしまう問題なんだろうなっていう気はするよね。
そうですね。バランス崩れ始めると結構どうしようもない状態できますもんね、何事もね。
結構これ、なんかそもそもバランス崩れてるってなんだっていう話になるんですよね。
なんか人から見るとバランスが崩れてるって意味なんですけど、多分動物はただただ生きてるだけで、動物からすると住みやすいから繁殖、繁栄みたいな形になるんですよね。
そうです。鹿にとっては間違いないですね。
一個難しいのが、鹿をどうしても農林魚に悲劇を与えてしまうから、しょうがなく捕獲するとしても、ただただ生きているだけなので、
簡単にというか悪として捉えるのは、やっぱり難しいなというふうに思ったりはしますね。
やっぱり可愛いじゃないですか。
可愛いですね。
そこは葛藤、葛藤というか悩ましさありますよね、確かに。
次がベストとかってわけでもないもんね、本当に。
そうなんですよね。
それを考えだすととても悩んでしまう。
やっぱりそこを考えずに生きていくと、ずっと考えずに生きてきたんですけど、
両親になることでそういうのを考えざるを得ないっていう形になったのは、僕個人の中ではすごくいいことだなというふうに思っていますね。
今までいただきますというのも、作ってくれた人にいただきますという感謝をしていたんですよね。
なんとなく食べ物に感謝しましょうみたいなので、小さい生まれた時からずっとやってきたじゃないですか。
ただこの両親になった後に、自分が捕獲して最後を見た歯科医に対していただきますもするようになったんですね。
そうするとやっぱり、ちゃんと味わって自分の血肉にしていこうっていう気持ちがすごく強くなって、
今まで以上にちゃんと食べようっていう気持ちになったんですね。
自分の血肉にして糧にしていくっていうことの大切さというか、ちゃんと食べたもので自分ができているんだなっていうふうにすごく強く思ったんですよ。
それが両親になってとても良かったことだなというふうに思っています。
そうですね。それはさっきのバランスってなんだろうみたいな話もそうですけど、
自然界と自分との接続みたいなところで、正しさって難しいけど、命をいただくっていうことに対して意識的であるっていうことがすごい大事というか、
自分の中で重要になるっていうことなんですかね。
命への向き合い方と食事の重要性
食べるものの顔まで見ることってあまりないじゃないですか。野菜は収穫はそうなんですけど、結構言語化するのは難しいんですが、
食べるものをちゃんと顔まで見るって意外に大事なんだな感覚なんですけどね。
美味しいかまずいかの二言論で考えられなくなったんですよ。
じゃあこの最後を見取ったというか、手を自分で出した地下に対して美味しくないって簡単に言えないんですよね。
どうにかして美味しく食べようっていう気になるというか、それは結果食事をすごく大事にすることになって、
その食事を大事にすることは自分自身だったり家族だったり仲間の諸君を通じてその人たちの命も大事にすることだなっていうふうに思っていて、
すごくそれは大事な知見を得たなっていうふうに思います。
そうですよね。結局目のついた生き物を殺す経験って結構印象的だと思うんですけど、魚釣りですらやっぱり占めるって結構勇気がいるじゃないですか。
ニワトリでもそうだし、お肉も含めて、そこの命をもらう瞬間っていうのは結構みんなやらないというか、やれないしやらないようにしてますよね。
見ない、そうだね。見なくていいから見ないようにしちゃってるっていう感じなのかな。
気にしてないっていうだけなのかもしれないけど。
そうですね。でもそれこそ経験するとかやろうとしてみるっていうのは結構やってほしいなって思いますよね。
僕も鹿とか捕撮とかをしたことはないけど、怪胎まではしてるけど。
なんかすごい外部化して誰かにそれをやってもらってるけど、何となく命というかそういう例えば量的なもの、漁師さんとか魚もそうだけど、
に対する想像力っていうのは働かない状態っていうのはやっぱりしんどいなっていうのは感じるので。
しかもなんかちょっと隠されてる感じはするよね、ここの部分って。
そうですね。
産業としてもすごく。
分業することによってその罪悪感とか気持ちなくお肉を得ることができるようになったっていうすごくいいことの反面、
何かを失ってしまったような気がして。
いやー本当そうですね。
別に知らなくてもいいことでもあるかもしれない。それは幸せなことなんですけど。
知ったほうがいいことだと思いますね。
知りすぎて食べれなくなるっていうパターンも絶対出てくると思うんですけど。
でもそれも選択の一つだなというふうに思っています。
その経験を通じてやっぱり助けるっていうことに重きを置くっていうのも一つの選択だと思うし、感謝して食べるっていうのも大事だと思う。
何も考えずにおいしくないから捨てちゃおうっていうのが僕は一番嫌ですね。
3年前、4年前くらいに生田たけしさんって読み方間違ってないと思うんですけど、
命への礼儀っていう本、書籍がそれを2019年くらいに発行されている本なんですけど、
今まで僕が読んだ中で一番衝撃的だった本で、
それが人間と動物の歴史、ペットと畜産動物とかの間違いだったりとか、
本当に動物捕殺っていうのがどういうふうに行われて、どういう環境で育ったものを加工している、
それを口にしているとかっていうのがかなりセキュララに書かれている本になるんですけど、
たぶん読む人が読んだら本当にお肉食べられなくなる人が書いてるんだろうなって思うくらいの本で、
でもすごい一回みんなに読んでほしい。コンテンバって500ページくらいってすごい厚みもある本なんですけど、
これ本当にちょっとでも興味ある人がいたら一回読んでほしいです。
僕も漁師さんのところに4日間くらいお世話になって、鹿の解体作業とかをさせていただいて、
自分の手でしたこともあるのももちろん経験値としてはあるんですけど、やっぱりその知識として何も知らなすぎたなっていうのが、
その本を通してすごく感じて、その命に対しての向き合い方みたいなのって本当に何が正しいんだっけみたいなのが、
読むだけでも相当考えさせられる本だと思うんですよね。
いまだに僕も動物を目指して最後自分で手を下す時は、漁師でもあるし、必要なことだと思ってやったりはするんですけれど、
ちょっとした何か心にキャッシュみたいなのが溜まっていくなというふうに思ってまして、
それは多分人により気になるんですよね。
10しかない人がそれをやってもうダメだってなる人もいれば、1でも最初から無理な人もいれば、
漁師はそこら辺の適性が多少あって器が大きいんですけど、絶対みんなちょっとずつ何かが溜まっていっていると思うんですよね。
僕は少なくともそうなんですよ。
命を取るわけですから、どんだけシステマチックに機械的に必要なことみたいな自分をやっても、
何かが溜まっていってて、それをどう解消していくかっていうものが自分の中で課題だったりするんですけど、
そもそもそれは強として受け入れるべきなのか、何も考えずに馴染んでいくのかみたいな、
必要なことだとかいただきますのためにと思いながらも、いまだにちょっとモヤモヤしたりとか、
1つエピソードとして年明けぐらいから捕獲した動物のメスのお腹に赤ちゃんがいる状態で捕獲することがあって、
捕獲しているって解体、生育している時はもう1つ感情を切り分けてやっているので、
何も考えずにではないんですけど、やっぱりいつもよりか手を合わせる回数が多かったなぐらいな気持ちでやっていたんですね。
生育を。で、次の日それを他の人に喋っていくうち、
昨日こういうことがあってお腹の中に胎児がいてっていう話をしているうちに涙が止まらなくなっちゃって、
悲しいとかではなくて、喋ってるうちになんか分からないですけどずっと涙止まらなくて、
なんでかなと思って掘り下げてみると、僕はその母とこの死を通じて、僕にも子供がいて、
その子供の死っていうものを感じてしまったんだなと思って。
もう、胎児を見ることによって。
ただなんかこう、そこを掘り下げないと自分で気づかなかった理由として、
やっぱりその自分のこの死みたいなきつい体験が僕の中でキャパオーバーをしてて、
それ以上頭が働かないんですよ。
だからこう、ただただ涙が出るみたいなことがあって、
強引にそれをこう自分の中で考えると、
動物の親子の死を通じて人の死を感じることがあったんですね。
なんかそれってすごくリアリティのある話、体験だなっていうふうに思って、
生きている、すぐ隣に死があるっていう部分もしっかり受け入れて、
人は生きていくべきだなっていうふうに思ったっていう体験があって、
今までずっとやっている狩猟体験の中ですごく印象に残っていることですね。
それは結構最近なんですか?初めの方?
実はここ最近ですね。
そっかそっか、年明けって言ってました。めっちゃ最近ですね。
今の話も聞いてても、言葉にできないこととか言語化しづらい感情みたいなのが、
やっぱり僕らの中にきっとあって、
なんかそれとどう付き合う、向き合っていくのかみたいなのは、
なんかありますね。なんかすごい今の話聞いてても、
その感情がどういうものだったのかっていうのは、
僕も想像はできそうな気はするし、
なんか教訓めいた言葉に変えちゃうこともできそうなんですけど、
なんかそうじゃない気がしますね。今の話聞いてて。
本当にそうですね。
なんか動物の命使って命の授業はしたくなくて。
でも本当そうなんだな。
それって本当にリアルに、ちゃんとその後に食べるっていうことがあるから、
多分キャパオーバーにはギリギリならない気もしてるんですよね。
僕は理学部の生物学科だから、
実験動物を使った実験とかもやっぱりやったことあるんですよね。
それこそアフリカツメガエルとかヒヨコとか、
あとはラッドマウスみたいなものを実験として、
本当に授業の中で殺さないといけないシーンっていうのを体験したことはあるんですけど、
個人的にはやっぱりそれがちょっとあまりにも耐えられなくて、
そっち側の方向にはいけなくて、やっぱり植物の研究の方に行ったんですけど、
動物実験はどう頑張っても僕はできないと思って。
だけど、やっぱりそれ結構見えないことってすごい多いんだなと思ってて、
やっぱりその人が使ってる薬とか一つ取っても全部多分動物実験。
確かに。
大量にやった上で使えてる状態が作られてるっていうのは、
事実として多分あって、今動物実験すごく減ってる方向に多分進んではいると思うんですけど、
でもやっぱり食べる方だけじゃないところでも命と関わってるというか、
そっちは結構本当に結局食べるわけでもないから、
より僕は心が痛みすぎてちょっともう無理だったっていう感じだった。
言ってしまうと進歩の過程みたいな。
そうそう、それで結局人の都合だって思ってしまうので、
多分その上で長生きができる環境だって思ったりとかしてるのは事実だと思うんですけど、
いやーでもそれを仕事としてやられてる方々がやっぱり、
前の会社も動物実験は途中から禁止になってなくなりましたけど、
なんかすごい難しい問題だなってずっと思ってて、それは。
そうですね。
動物を扱う漁師の先輩方の考え方
例えば川端さんの周りにいらっしゃる方で、漁師さんで、
そこに対してふと自分の中で腑に落ちるというか、
人それぞれにきっとそういう体験を通して、
これはこういうことなのかもしれないなって自分の中で腑に落としていくような作業もあるのかもしれないんですけど、
先輩漁師さんとかと話をする中でそういう話も結構されるんですか?
そうですね、今なんか最近会う漁師の先輩方だったりには、
みんな聞いてますね。
どうしてます?って。
このチャッシュどうしてます?って。
気になります、気になります。
ただ、みんなやっぱり言語化できてないと思います。
ここに関しては。
一つあるのが、動物をちゃんと強いものとして扱っている漁師の先輩は、
もうこれは特にその先輩はドンカーでもあるので、
もうこれは対人間と動物のある意味戦いなんだと。
なのでそこはもう自分は人間である時点で、
その人間のサイドからでしかものを見ない。
かわいそうだと思うけど、
それ以上に心を動かさないようにしてるっていうような話はしていますね。
動物をちゃんと強いものとしてリスペクトすることによって、
その気持ちを丸めているんだなというふうに思っています。
年上の先輩方は意外にそこら辺はもう根底にありすぎてて、
動物を捕獲して食べる、取るっていうことは根底にありすぎてて、
考えないっていうか、考えてはいるんですけど浸透しすぎちゃって、
染み込みすぎちゃって、
特段言語化するまでもないみたいなこともあるかなというふうに思ってますね。
答えが出てないです、僕みたいに。
関わってる年数とかによってもだいぶ考え方が変わる、
向き合い方が変わるっていう。
そうですね、そうかもしれないです。
命のやり取りの難しさと共存の考え方
いやでもすごくいい話というか、
こういう河童さんが考えてらっしゃることも含めてお聞きする中で、
命のやり取り、やっぱり難しいなというか、
そこの前提がないとワナブラザーズの話しづらいわっていう話もあったので。
本当そうだね。
そうだよね。
あったので、そういう葛藤とかさっきの、
やっぱり増えすぎてるのを何とかしなきゃねみたいな話の時に、
どの視点で語るかですよねみたいなことがあったり、
でも切実な林業とか農業の課題ももちろんあるし、
そこどう利益つけていくんだろうみたいなのは結構答えが出せないけど、
その中で今信じたいものとか信じられるもの、
もしくは共存ってきれいな言葉で言っちゃうとあれなんですけど、
里山的なちょうど中間地点を設けていくっていうようなことも含めて、
考えたいよねっていうことを、結局なんか当事者、農業被害だったら農業被害の人たち、
農家さんが引き受けていて林業被害は木こりとか山梨が引き受けているところに対して、
僕らもうちょっと意識的に、僕らっていうのはどの立場かあれなんですけど、
いろんな人たちがシェアしないと変だよねみたいなことも出てきているのかなと思うので、
次回、今回のやるせなさ、言葉にならなさを抱えながら、
ワナブラザーズはどうして生まれたのかみたいなところに行けたらいいのかな。
そうですね。
今回は結構僕の中でも難しいなというか、
簡易に言葉にしたくないなっていうことも感じたところなので、
お肉、命との向き合い方どうしようっていうのは思うけど。
そうですね。ちょっと次回はその辺りから話していけたらと思います。
はい。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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