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おはようございます。今日は5月の1日です。
おはようございます。今ね、朝の7時半ぐらいですね。
今日は連休の合間に1日だけ出勤する日があって、今日は出勤です。
今日はですね、豊臣秀吉の功績ということをお話ししたいと思います。
何のこっちゃなんですかね。
豊臣秀吉という人は三大英傑の一人。
織田信長、徳川家康、豊臣秀吉。
日本画の英雄のね、戦国時代の英雄の一人ですよね。
いろんなことをしたと思うんですが、一つだけ挙げてみるとね、
豊臣秀吉がしたことは、これすごいなと思ったのは、
キリスト教バテレン追放令を出したということですね。
キリスト教を禁止したということですね。
これが僕は、秀吉さんすげえなと思って。
バテレンというのは神父さんのことね。神父さんを追放しようと。
だから、後々、キリスト教を禁止にしたのは多分家康だと思うんですよね。
秀吉がしたのはバテレン追放をまずしたんですよね。
だから、ひょっとしたらキリスト教そのものは禁止してないのかな。
ちょっとその辺の関係はよくわかんないんだけど。
とりあえずバテレンを追放しようと。
これすごいなと思って。
何かというとね、
当時、僕たち社会科で習ったのはフランシスコ・ザビエルさんという人を習いました。
イエーズス会というキリスト教、カトリック系のイエーズス会の一員ですね。
イエーズス会って何かというとね、
軍隊みたいなところなんですよ。
厳しくて、貧しくて、シャキッとしてて、間違ったことをしない。
自分の一生を神様に捧げますみたいな。
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そういう厳しい一団なんですよね。
だからね、そういう厳しい一団だから、イエーズス会自体は一人一人はそんなに悪い人じゃないと思うんですよね。
ただ、そこの後ろにいる人が悪い人らしいんで。
ちなみに、歴史をたどるとですね、コロンブスさんが新大陸、アメリカ大陸を発見したのは1492年。
そのおよそ100年後、本能寺がありましたね。
ということで、当時のヨーロッパは大航海時代って言われてる時代ですね。
大航海時代って何だろう。かっこよく聞こえるけど、
要は新しい土地を見つけてそこを征服しましょうみたいな。
そこの財宝を奪って、人は奴隷として連れてきて売ってみたいな。
日本は無茶苦茶な時代だったんですよ。
奴隷戦の時代ですよね。
他の国に行って全部買っ払うみたいな。
そういう時代で、それを貿易と言ってた時代があったわけですよ。
貿易でもなんでもない略奪なんですよね。
とはいえ、うまく略奪すると。
コロンブスからもう100年経ってるんで、なんとなくうまい略奪の方法を見つけたわけですよ。
それが宗教、神父をまず送り込んで、国の内情を調べて、どうやって略奪しようかという。
計画的に略奪するようになったんですよね。
それがイエズス会ですよね。
イエズス会の人に聞いたら、そんなことありませんと言うかもしれないですけど。
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イエズス会の人たち自体は悪くないんですよ。
別に悪くないと思います。
ただ、後ろについてる人たちが悪いですよね。
日本を乗っ取ろうとしてたわけですからね。
実際に人身売買も行われてて、日本の貧しい人を売り買いとか、実際にあったみたいで。
実際にそれを見て、秀吉さんはそれダメって言って。
しかも神父は出て行けとまで言って、お前らはろくなことしないから出て行けと追放しようとしたわけですね。
それは本当に良かったなと思ってね。
神父が居着いたら、だんだん神父の数を増やして、だんだん色んなことをやってたわけじゃないですか。
神父は大名に取り入って、キリシタン大名を作り上げて、それを味方にして。
この敵国を略奪なんだけど、最初期の頃は武器を持って行って、相手を皆殺しにしてみたいなんだったけど。
それじゃ労力もかかるし、めんどくさいというか労力もかかるし、自分たちに対するデメリットも大きいということで、
うまい略奪の方法ないかなって考えながら日本にやってきたわけですよ。
うまい略奪の方法というのは、キリシタン大名というのを作って、日本の勢力を真っ二つにして、それらを戦わせて、
日本の戦力をなくなったところでバッと送るみたいな、そういう腹積もりだったとは思うんです。
ただイエス会の人たちはそんなことは思ってないと思うんですよね。
ということでそれをパッと見抜いた、パッと分かんないけど、
秀吉さんはもう出て行けん、お前らろくなことしねえわみたいなことで追い出した。
そういうことがありますね。
だから海外からやってきてですね、日本人同士をまずは戦わすわけですよ。
国力を落としたところでパッと。
それはですね、大成功したのは明治政府ですよね。
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しかも明治時代はさらにね、明治時代日本が真っ二つに分かれたじゃないですか、幕府側と反幕府側ね。
で、新しい日本になる。
さらにね、さらにもっといい方法を考えて、何かというと武器を売るっていう方法。
武器を売るっていう方法。
だから要は、薩長側に武器を売ったのはイギリスって言われてますよね、明治でしょ。
幕府側に武器を売ったのはフランスって言われてますよね。
でも多分ね、同じ会社なんです。同じ会社のイギリス視点とフランス視点でね、双方に武器を売るという方法をどこかで考えたわけですよ。
だから秀吉さんの時代はちょっとうまくいかなかったんですよね。
まだそこまで相手の国を戦略する技術に長けてなかったですから。
ところが明治ぐらいになると、明治江戸末期になるとちょっといろんな技がうまくなってきて、うまくいきました。
ということで、秀吉さんの功績としてバテネの追放と神父を追い出したというのが結構大きいなと思って話をしていました。
なんとなく今も似たようなことを行われてるんですよね。
ということで、今日は豊臣秀吉さんの功績ということをお話ししてみました。
失礼します。