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2020-12-11 12:59

音声008:会社を辞めてから4ヶ月後に最初の本を出版できた経緯

プロコーチの大下千恵さん(@yawn_c)と対談しました。

前回に引き続き、「生きていくための勉強の仕方」についてお話しています。

* 次の職場を決めずに会社を辞めるのは不安ではなかったか?

* 会社を辞める決断を下せたのは「怪我の功名」

* 特殊な検索条件で仕事を探す

* 独立後最初の仕事は月額xx万円

* 強制的に身ゼニを切らされて良かったこと

* 勉強してから仕事をする、ではなく、仕事をすること自体が勉強になるようにする

* 会社を辞めてから4ヶ月後に最初の本を出版できた経緯

再現性はまったく期待できない内容ですが、一つだけ言えるとしたら、

* 仕事をするために集中して勉強をしたうえで、その仕事にありつこうとするのではなく、

* まず仕事にありついてしまったうえで同時進行で勉強をする、

というアプローチです。

これは、資格試験の勉強において、「いきなり過去問に取り組んでみてアタリを付けた上で勉強する」というやり方に似ているかも知れません。

以下のツイートの内容に通じます。

次回予告

会社を辞めた直後から昼はマニュアル制作の仕事、夜と休日は本の執筆、という日々でしたが、いずれの仕事も半年ほどで収束。

「次はどうしようか?」と悩んでいたところ、一本の電話が──。

キーワードは「脳内SEO」です。

次回に続きます。

千恵さん・大橋へのご質問などありましたら、Twitterのハッシュタグ #シゴタノラジオ または おたよりフォーム よりお寄せください!

▲仕事をしながら勉強するイメージ。



This is a public episode. If you would like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit shigotano.substack.com
00:00
ではね、前回ちょっと自己紹介みたいな感じで、大橋さんのこれまでをちょっとお伺いしたんですけども、大橋さんその時に、マリの仕事を終えて、ちょっと体の休養も含めて実現するために、一応次のお仕事を決めずにお仕事を辞められたって言ったんですけど、そのあたりって不安だったりとか、なんかやることいっぱいだったり、逆になかったりしませんか?
そうですね、当時はそういう言葉なかったんですけど、いわゆるブラック企業だったなと思うんですよね。ただ、ブラックだけれども良かったというのは何かというと、残業代ってあるじゃないですか。残業代ね、全部もらえたんですよ。
基本給よりも残業代の方が多い月が結構あって、だからたぶんその20代としてはですね、かなり給料いただいていたので、1個して1ヶ月2ヶ月は暮らせるし、あと僕東京に実家があるので、最悪実家に住めば家賃かからないなっていう可能性というか保証はあったので、だからそういう意味では不安はそんなになかったんですけどね。
ただ、体壊したことがあったので、何を壊したかというと背中が痛くなったんですよ。これはおそらくずっとPCに向かっているので、あと姿勢が悪かったのかもしれないですけど、それで背中を痛めてちょっと辞める直前の1ヶ月ぐらいをですね、まず午前中にハリキューに行って、ハリをしてもらってから住宅出勤みたいなですね。
で、その時にうつ伏せになってベッドでね、ハリの治療を受けている時って、もうそこの時はですね、別に本も読めないし、当時はiPhoneとかもないから、とにかく何もせずに目をつぶってね、先生の話聞かれることに答えたりはしますけど、そうすると初めてそこでね、なんで今この仕事やってるんだっけみたいな、ふと我に帰る時間だったと思っていて。
瞑想の時間というか。
そうですね。
それまでだから、文字通り迷って走る瞑想をしていたのが、背中を壊すことによってコンテンプレーションですね、瞑想をですね、マインドフルネスな瞑想をする機会がたまたまというか、得られて。
そこであ、そうだ、自分文章書きたかったんじゃんっていうことに思い立って、もうそしたらですね、今の仕事はこれから続けるのかどうかっていうのを、そういう問いっていうのは常に持ってたんですけど、あまりにも忙しいからその問いを棚上げしてたわけですよ。
あー、なるほど。
でもそれを一旦棚上げしてたものをですね、下ろしてきて、これを仕事にするにはどうしたらいいかなっていうふうに思ったときに、思うよりも前にですね、今の会社やめるしかないじゃん、ということで、もうとにかくだからやめないと次が開かないなと思ったので、やめるという選択肢をまずは見つけて。
まずそれでやめちゃった。
やめちゃった。
この後とかって一応ね、前からのお客さんとかいるわけじゃないですか。
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会社で?
そう、会社。
まあ、いたのかな?
えっとね、一応2Bの事業の会社だったので、個人でお客さんと繋がるってことはなくてですね、なので、ちょうど僕が所属してたプロジェクトがですね、3月31日で納品しなきゃいけない仕事だったんですね。
で、4月1日に会社さんがカットオーバーって言うんですけど、その新しいシステムで事業を始めると。
まあ、でも僕は3月30日で辞めるので、それを見届けることなく辞めたわけですけど、ちょうどタイミング的には区切りが良かったというのはありますけど。
そこから一応何でしょうか、自分で仕事をやっていく、休業が先としても自分で仕事をやっていくって多分結構色々知らなきゃいけないこととかあると思うんですけど、どうやってやってきました?
当時ですね、2000年の4月っていうタイミングだったんですけど、僕が象徴的に覚えてるのはですね、日経新聞を当時取っていて、そこの一面にですね、派遣社員が100万人を超えたみたいな見出しが結構大きめに載っていたのをすごくビジュアルに覚えてるんですけど、
そうか、派遣社員という働き方があるのかというふうに思って、今でこそ当たり前というか、多くの人がそういうスタイルやってると思うんですけど、当時はまだそんなに多くなかったんでね。
今はもうないですけど、社名が変わったのかな?インテリジェンスという会社があったんですよ。その会社に例を取って、自分はこういうマニュアルを作るみたいなね、日本語の文章を書く仕事で、いきなりこの本を書けたらいいけど、本はいきなりは書けないので、自分が持ってるこのITの業界のスキルとかもあるし、それに対する知見もあるので、そのマニュアルを作る、つまりシステムを作ればマニュアルは必ず必要になるので、
マニュアルを作る仕事ってないですかね?っていう特殊な原則条件でね、相談をしたら、でも何社かあったんですよ。それで、マニュアルを作ってほしいプロジェクトを考えてる会社があるので、ちょっとここに連絡してみましょうかというふうなことで、じゃあ派遣社員でしばらくやればいいかなと。
派遣社員って、言ったら期間限定のサブスクじゃないですか。
そうですね。
受け取る方のサブスクね。
はい。
だから、
初めて聞きました。
あ、そうですか。サブスクじゃんとか思って。当時はサブスクって言葉ないですけど。
ないですね。
それで、まずは派遣社員として、金額言ってもいいのかな。
大丈夫じゃないかな。
当時ね、45万円だったんですよ。
でもね、僕その時に初めて、まず最初の先例としてね、45万円をもらえるんですけど、でもそこには所得税とかも全部含まれてるんですね。
だけど、45万円ももらえると思って結構嬉しかったんですけど、でも後から住民税とか所得税とかをボコボコっと引かれてね、それで、あ、こういうことなんだと。
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で、そこでね、こういう経理とかの勉強をしようって気持ちになったんですね。
お金の勉強が早い段階だったんですね。
もうだから、まさに未然じゃないですか。
で、なんか知らないけど、自分の口座からなんかいろんな名目で数万円とか単位で落ちていくので、しかも不定期だから、これどういう仕組みになってるんだろうかと。
どれぐらいお金を取っておいたらいいんだろうかっていう不安があったので。
でも結局そういう不安のおかげで、いろいろと勉強するモチベーションというかね。
モチベーションというよりも、知らないではいられないっていう切迫感みたいなものがあったから、僕はそれは良いことだと思ったんですけどね。
そもそもですね、契約をするときにですね、そらっとしか言われなかったんですけど、今回のお客さんの場合は、派遣社員っていうね、派遣社員の場合はですね、社会保険とかつくんですよ。
なんでちょっと社員っぽい、だから派遣会社の社会保険をもらって、そこから派遣されるという形態になるんですけど。
でも今回のクライアントの場合は、個人事業主として受け入れの契約になりますのでって言われて、そうなんですかっていう、何も考えずにそうなんですかって答えたんですけど。
でもその意味するところはさっき言った、税込みでもらうよということだったんですよね。
そこで一つ先例を受けて、でも受け入れの方がなんとなく事業をしている感じでいいなとか思って。
それは一つの良いきっかけだったんですよね。
そこから割とこの朝9時から17時っていう契約だったので、ちゃんと5時に帰れるんですよ。
国の日の5時とかじゃなくて。
その日の17時に帰れるんですね。
僕は当然ね、前の会社は定時からが始まりだみたいなところがあったので、異常だったんですけど、
もう帰っていいのか、まだ明るいんだけどみたいな感じで。
それで時間を持て余して、そこで家帰ってから、あれ俺どうしたらいいんだろうとか、時間の使い方がわかんないわけですよ。
そうですね、麻痺しちゃってましたからね、一回。
だからそこでですね、あ、そうだそうだ、本を書こうと思ったんだと思って。
本を書くための、勉強してもしょうがないので、ライターで独立するっていうセミナーがあったので、そのセミナーに申し込んで。
そこで知り合った人が、編集プロダクションの社長を知り合いにいるから紹介しましょうかって言ってくれるコネクターがいたんですよ。
コネクターがいたから、その人を経由で編集プロダクションの社長に会いに行って。
それでそこで行ったらですね、あ、なるほど、今までIT企業にいたんですねと。
そしたらね、今ね、こういうちょっと止まっちゃってる企画があるんだけど、この企画一緒にやってみないかというふうに行った日に言われてね。
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その企画っていうのは、いわゆるパソコントラブルを起きたときにどういうふうに解消すればいいかみたいな、そういうおじさん向けのトラブル対策本だったんですけど、
著者の人がちょっとこう忙しくて、止まってたんですね。
言うこえる話なんですけど、それをおじさんが著者の人と2人で組んでね、協調という形で、この企画、止まっちゃった企画をそのリブートして出版まで持ってってくれないかと言われて、
それが5月だったんですけど、5月に話を聞いて、もうそこからダブルワークですね。
日中は派遣会社でマニュアルを作っていて、夜と休日は書籍の執筆みたいな。
今思っても割と早いなと思うんですけど、8月にはその本が出たんですよ。
早いですね。
早いですよね。
みんな行こうと思ったところからも早いし、出版自体も早いし。
そこで結局本を書くのは初めてじゃないですか。
だから、ライタースクールとか出版の学校とかあると思うんですけど、それに行かずにいきなり本を書くという。
その中で、編集者ってこういう人なんだとかね。
編集プロダクションとライターとデザイナーとかって、そういう業界の登場人物っていうのはいるじゃないですか。
そういうところから、今まで会ったことのない人たちに会ってですね、それぞれにキャラクターが立ってるわけですよね。
なかなか独特の世界でどういうふうな思うか思っていて、どういうことを言うと起こるのかとかですね。
そういうのを実地で学びながらですね、全部記録取ってるんですけど、それで本を書くというのも一つの大きな勉強だったんですけど。
非常にそれがね、僕にとっては学びになったし、人にこの気持ちよく動いてもらうにはどういうふうに耐えればいいのかとかね。
そういうのを怒られたり失敗したり、あるいはこっちが怒ったりすることを通して学べたなと思っているので、非常にそれは良かったですね。
今の大橋さんので、良かった行動というかちょっと特徴的な行動だなって思ったのは、基本それこそ家にいたかったと思うんですけど、当時から。
でもなんか新しいことを入れに行くときには出て学びに行ってるというか。
そうなんですよね。自分でも驚きますよね。本当自分かこれみたいな。
その時に本いっぱい読んで勉強してますとかじゃなくて、いっぱいブログ読みましたじゃなくて、スッと行って一番最短距離を案外取りに行かれてる。
確かにそうですね。そっちの方が早いっていうのを直感的に思って動いたんでしょうね。
実際に分からないことが何が分からないかって分からないわけだから、それを教えるよっていう空間に行くのが一番早いですよね。
そうですね。そういう人たちが集まってる場所に行くと。
それが初めて分からないことが分かって、勉強しなきゃいけないことが分かるし、締め切りも近づいてくるみたいな場に身を受けたのかなっていう。
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本はそれで、なんか私そういう出版の流れ初めて聞きました。
でもこれは本当にだからそれこそアドリブというかね。困ったらセミナーに行けばいいっていうわけじゃないじゃないですか。
そうですね。
たまたまそのセミナーに行ったところで知り合った人がそういう繋がりがあったみたいな、わらしべ長者的な感じもあってね。
あれですね、その本書いてる人はいないんだけど書くって言われた時に、まだライター講座行ってないんで、自分ではまだとかじゃなくて、書きますって言っちゃったっていう、出ちゃえたっていう。
決めちゃった。
その編集プロダクション今も存在していて、当時は毛袋のって言ったら分かっちゃうのかな。
まあいいんだけど、当時は小さなマンションの一室にあってね、小さな事務所だったんだけど、今は日本を代表する編集プロダクションになっていて、いや、歴史の流れを感じるんですけれども。
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