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2021-01-27 51:22

【GMV306】グッドバイブスやタスクシュートは「怖い」のか?

成長戦略はいらないとまでいったら言い過ぎなのでしょうが。
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おはようございます。グッドモーニングバイブスです。
昨日ですね、久しぶりにこの番組でも盛んに登場させていただいている、僕が勝手に言及しているってことですが、東京アラハイ研究会の北信也さんと久しぶりに喋ったんですね。
思いのほか何のかわかんないですけど、少なくとも普通に喋れてよかったんですが。
その中でですね、面白い話が出まして、面白い話はいっぱい出たんだけど、タスクシュートとグッドバイブスって相入れないって話が一つ出たんですね。
相入れない感じはよくわかるんですが、相入れないってどういう、だから昨日ノートにもそのことをちょっと書いたんですけどね。
相入れないっていうふうに、必ずしも北さんはですね、私の感じからするとタスクシューターで、タスクシュートを最近なさってたのはイメージあるんですけど、基本タスクシューターはバリバリって感じの方じゃない。
そこに持ってきてグッドバイブスに至っては、以前も昨日もおっしゃってたんですけど、怖いっていう表現があって、ここが非常に今日考えたかったことなんですけど。
つまり、どっちともがっつりじゃないんだけど、相入れないことはわかるっていう感じがまずあるんですよね。
っていう印象があるぐらい相入れない感じってあるんだろうなっていうのがまず興味が一つ湧いた点と、もう一つが怖いとはどういうことなんだろうと思ったんですよ。
宗教というのは、外して怖いということになってるわけですよね。
真っ当な人は近づいてはいけませんと。
ただ私は寺に生まれたんでね、宗教は真っ当な人が近づくものではありませんと言われてもなということを考えざるを得なかったわけですよ。
今より風当たり強かったからですね、はっきり言って。
その真っ当な人たちというのは、1980、僕が生まれたのは70年代ですけど、真っ当な人は今でもそういう風におっしゃる方いますが、リベラルで少し信条作派。
共産主義ってわけじゃないでしょうけどね。
そこから見ると宗教は極めていかがわしい。だから真っ当な人は近づかないっていうのは常識だったんですよね。
ちょっと変わったんですが、90年代に入って私の感じでは。
それは良いんですが、そういうことがあり、グッドバイブスというのは多分そういう新宗教的な怖さみたいなものを中身がどうであれ漠然と感じさせ、感じられるということなのかなと思ったんだけど、
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これだけだと、つまり私は寺に生まれたから真っ当な人間には近づくべきではない人間みたいな話でしかないので、もうちょっとさすがにズームインしてみてですね。
何が怖いのかを突き詰めて本人に聞かないと多分わかんないんですけど、ライフハック側からして一番受け入れられなさそうな点としては、おそらく2つ3つなんですよね、と僕は思うんです。
1つが時間はなくならないという話が、私もこれはタスクシュートから僕は由来してるんですよ。グッドバイブスでそれを後押ししてくれてるって感じなんですよ。
で、この時間はなくならないというのは、宇宙物理学的に言うと多分間違っちゃいないと思うんですよね。時間なくならないというのは。だから時間なくならないっていうのは世俗的には違う意味だって言われるはずなんですよ。
それは私はライフハック研究会とかタスクカフェとかでも何度もお話しましたけど、締め切りが来るってことですよね。絶対そのはずなんですよ。この前の締め切りは電車に乗る時刻とかも含みますけど、要は帝国までに何かを終わらせておかなきゃならない。
どこかにいなきゃいけない。何らかの準備が終わってなきゃいけないという意味であって、時間がなくならないというのは比喩ですよね。時間がなくなるというのは比喩ですよね。なくなるわけじゃないですよね。締め切りが来ちゃうってことですよね。何かをやる前に。
これは私はですね、グッドワイブスであろうとタスクシュートであろうと少しも怖いことは喋ってないと思うんですね。なくならないはずなんですよ。死ぬって話があると思うんだけど、これだって締め切りが来ちゃうってことじゃないですか。ある意味では。何かをやる前に締め切りが来てしまいましたってことですよね。
なぜこれはそんなに宗教的だという話になるのか。私はむしろですね、時間がなくなるという話の方がある意味よっぽどスピリッチュアルじゃないかと、この回でも何度も言ってるんですけど、自分の感覚は疑いえないんですよね。絶対に正しい感じがするっていうのはあるじゃないですか。でもこれこそ宗教とも言えるんじゃないかなと思うんですよね。
どういう形で時間がなくなるという言い方ができるのかというと、僕には約束の時間が来てしまいましたというものと締め切りが来ちゃいましたということ以外は考えられないと思うんですね。死ぬはさておきにしておいてもいいと思うんですよ。もともと問題になってないじゃないですか。
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ライフハックバリバリやってる人でも時間がない時間がないって言っているのは死にそうだ死にそうだって言ってるのとは全く違うはずなんで、これは多分間違いなく時間が来てはならない時間が先に来ちゃいましたっていう意味ですよ。
この問題はですね、私はライフハックの中では一番タスクシュートが解決できる問題で、他の方法よりはるかに引い出てると思ってます。他の方法は時間の計測というものをタスクシュートほど厳密にやれませんからね。
この点ですでにどう考えてもタスクシュートでいいと思うんですよ。他にもっとすごいのがあれば別ですけれども、今のところないと思うんですね。そしてタスクシュートでできちゃう上にそのタスクシュートでいつ見ても時間はあるんですよ。
今も使ってやってるわけですよ。つまり今ここにあるわけですよね。これがどういう意味で怖いのかですよね。そうじゃなくて、時間を未来のために節約するっていう考えが否定されているのが怖いんだという。これも今こうやってしゃべってみると怖さはどこにあるんだろうって思うんですよね。仮に受け入れられない理性をですね。
受け入れないとダメだよって倉園さんは一回も言ってないですから。なんか受け入れられない人はグッドバイブス強制施設みたいなのに送られますとかそういうことは起こりませんからね。
奴隷に怖さがあるのかという。つまりですね、よく作主という、これも僕は比喩だと思ってるんですよ。作主というものは蟹交戦やってるんじゃないんだから、そういう言い方をするのは危険だと思うんですよむしろ。そっちの方がよっぽど怖いんじゃないかと思うんですけどね。
作主というじゃないですか。旦那のために奴隷のように舵をさせられて作主されて私のキャリアに傷がつくと。だから時間がないといけないんだという話なんですけど。
まずこの話はいろんなものが含んじゃいましたから、一個に絞りたいんですが、時間を未来のために取っておくとか、時間を自分のために取っておくってことはできないと思うんですね。この考え方って逆算から来るんだと思うんですよ。
逆算か、同じことなんだけど、未来のシミュレーション。これもですね、これは明瞭にWoodvibesでは僕は否定的だと思ってます。未来のシミュレーションは手放した方がいいっていう感じだと思いますし、タスクシュートを多分、僕の考えですが厳密にやってればこれに成功はしえないっていう風になります。
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3日分、3日分じゃない、1週間分厳密にやってみたらいいと思います。ものすごい外すと思うんですよ。1週間分、できれば1週間ずつ半年に渡ってやってみたらいいと思うんですよ。
5分5分行けば相当いいですよね。でもそれは5分5分ですからね。5分5分ってことは天気予報よりはるかに壮大に外すということにきっとなると思うんですよ。これが成立しないのに自分の時間を未来に取っておいたって使えるかどうかはわからないじゃないですか。5分5分ですよね。
5分5分ってことは長半博打ですよね。これは所詮5分5分ですよというのは宗教的で恐ろしい話ですかね。私はそうはどうしても思えません。
成長戦略みたいな話もそうなんですけど、散々番組でしてきて、そうなんですよね。倉園圭造さんに志村健さんの話をいただきましたが、同じ話をすることにタブーは設けないようにしているこの番組でも過剰に同じ話が続くと辛くなってくるというのは、これもイリュージョンだけどありますよね。話してってのは。
なんか新しい話がしたくなります。
昨日、べっくさんと楽しく喋らなければですね、この未来思考の無理っていうこの番組ではもう耳にタコができているレベルの話はしないで違う話をするべきなのかもしれませんが、未来を描くというのは脳内で終わっちゃうと思いますよ。
番組でも、来田さんと倉下さんが登場されてた番組でも、昨日もその話は来田さんから出ましたけど、ここ10年って話がありました。
ここ10年だってですね、その間に東北の大震災があり、それに引き続いて福島の原発事故があり、で2019年あたりからコロナで、そして来田さんがお話しされるにはすごいとてつもないインド人上司がいると。
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それだって私が話を聞いたのは、せいぜい2016、17年の後だと思うんですね。今から10年前というのは2010年、11年。その頃、少なくとも来田さんはインド人の話はかけらもされてなかったわけですよ。
これが予測のつかない未来ってもんだと思うんですね。予測の上にでも未来の成長戦略というやつ立てるじゃないですか。実際には私たちは空白の紙の上にそれを描いちゃいますよね。
空白の紙の上に描くということは背景がどうなっているかわかりませんということですよね。何でもいいんですが、それこそライフハック界隈の成長戦略みたいなものを紙に描くとするじゃないですか。背景があるはずですよね、それには。
地震も起こらずコロナも来ないという、そして東京オリンピックが行われるという背景の上で東京ライフハック研究会を3月に一遍でも何でもいいんですが、やるということなのか、コロナが来たからオンラインでやるということなのか、大きく変わると思うんですよ。
参加する人も、参加する人の規模も、使えるお金も、必要な経費も、これを描けるだろうかというと、描けないですよ。
私たちは自分の時間、東京ライフ研究会をするための時間を確保するために日頃から生産効率を上げておいて、何らかの時間の余裕を作って会を開催するわけですが、そんなことが果たして可能なんだろうかというと、僕はできないと思うんです。
どう考えてもそういう考え方は実際には採用されていないと思うんですよ。
何時間、3時間とか、7時間とか、10時間とか、4日とか、自由に使える日があって、会場を取り予約をして、その人数を調べて、PTXか何かにセットして、集まる時間を決めて、その日に行くべき懇親会場も決めて、今まで来てくれた人にメールを送ってやるわけですけれども、
やると考えるわけですけれども、でもその時に緊急事態宣言ですってことになったらできないじゃないですか。
このように描いたものは一切なしにして、やるものはZoomになるから会場の予約もいらないし、もちろん懇親会場というものも存在しないわけじゃないですか。
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たったこれだけの何度か何度もやってきて、ものすごく見えやすいことですら、その時の背景によってやることが大きく動いちゃいますよね。
で、ご自身の体調というものもあるじゃないですか。今回Xさんがそうであったようにですね。その日に絶対に開催できるとは限らないわけですよね。
同じ形でできるかどうかも、時間も変わるし、やっぱり来てくれる人も東京会場でやるのとZoomオンラインでやるのとでは違ってくると思うんですよ。
これをですね、すべて想定していった方がいいということは、どうしても僕は背景の変動というものがほとんど起こらないという前提を必要とすると思うんですね。
震災とかコロナとかはないという前提を必要とすると思うんですよ。でもこの前提は無理があると思うんです。絶対そういう背景の変動はなきゃおかしいですよ。自分の体調も変わるじゃないですか。変動せざるを得ないですよね。
だから保険を打っておくって言うんでしょうけれども、私は保険を打ち切れないと思うんですね。そして保険を打ってまでやる方が、保険を打ってまでそういう未来を全部絵を描いておくべきなのか。
僕にはどうしてもそうは思えないんですよね。つまりこれも北さんのそのまま受け売りになっちゃうんですけど、ライフハック界隈が衰退したここ10年というものがあったとすればですね、それは成長戦略を描いてなかったとかいう理由じゃなくて、その戦略を間違ってたからというのでもないと思うんですよ。
ということはもう一回成長戦略を描けばうまくいくっていう感じではないと思うんですね。そこにはどうしても私たちは毎秒毎秒変動しているっていう観点というべきなのか。
何ですかね、見えないってことはないんですよね。空見上げりゃ空動いてるじゃないですか、雲ですけど。変天って日々起こるじゃないですか。日々起こるからみんな今起こっている首相も苦労してるわけじゃないですか。想定された通りにはいかないわけですよね。
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想定された通りに言ってればGoToやってますよね、今でも。できなくなったわけですよ。あれほど結構頑固な人のやりたいと思って、日本で一番権力がある人が、しかもその人は結構頑固で、何としてもやりたいと思ったことも潰れちゃうんですよね。想定しきれないからですよね。
しかもみんな言うんですよね。増えることがわかってたって。つまりそれぐらい想定しやすいことでもぴっちり想定して、つまり増えることがわかってたということは、みんなが怒り出したり支持率が下がることもある程度は想定できたって話になるんだけど、だとしてもできないことがあるわけですよね。想定しきれないことがある。
これはですね、私のように何の権力もなく、そういうデータとかもなんとか庁とかが勝手に用意してくれるデータとかもない中でですね、どんどん日々が変更に次ぐ変更が行われる中で、なぜ私の想定だけはそんなに想定通りにいくのかというと、いくはずがないと思うんですよね。
だから私は未来のために自分の時間を節約してとっておくという考え方には有効性が全く考えられないというだけなんですよ。これ怖い考え方なのかな。どうもそこがね、よくわからないくなってきたんですよね、最近ね。
僕はもともと確かに成長戦略を描いたことなんてないです。一回もないですよ。うまくいく気がしなかったんですよ。
本当に48年生きてきて、その真似事みたいなこと、真似事の真似事みたいなものを、それこそトーラ圏とかに行ってみんなに合わせて作ったりしてみました。その程度のことしかやったことがありません。
僕の生き方って行き当たりばったりじゃないですか、めちゃくちゃ。一番最初アメリカに行ったのはなぜかというと、3年で派遣法というものが当時ありまして、
埼玉ドコモサービス、埼玉料金センターというところに派遣社員として行ってたんですけど、3年で派遣社員は辞めなきゃいけないというんで、もう他のところ一から行き直すのはめんどくさかったんですよ。
で、たまたまドコモサービスに勤めていた頃に、これは違法じゃないですよ。ドコモサービスとドコモは当時別会社だったから、ドコモの株を未公開で買って、そのお金がまとまってできたんで、逃兵して逃げたんですよ。
これが私がアメリカに留学した理由なんですよ。このままとんづらこいてアメリカで生きていこうという、すごい気楽な考え方だったんです。何の戦略もないですよ、はっきり言って。行けばなんとかなるだろうレベルですよ。
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って言ってなんともなってないんですよ、現に。ただ心理学の学士を取り、おそらく博士課程は終わらせるだけの資金的余裕も勉強的余裕も肉体的余裕も一切ないなと思いながら、それでもネバダの砂漠のど真ん中とかに行き当たりばったりと行ったんですよ。
そしたら案の定ですね、アトピー持ちが砂漠に住んじゃいけないですよね。もう肌がピリピリになって、ものすごいひどいんですよ。ほとんどの日が、冬でも夏でも関係なく湿度7%とかいう数字になるんですよ。本当かどうか知りませんけどね。
とにかく低いことは間違いなくて、すっごいんですよ。静電気だらけで。何触っても静電気なんですよ。僕静電気恐怖症なんですよ、これで。当時ソニーのクリエとか充電するじゃないですか。ベリッてくるとかいうレベルじゃないんですよ。なんか電気ショックを受けてる感じなんですよ。静電気も電気ショックなんですけどね。静電気っていう感じのものとは違うんですよね。
で、方法の手で逃げ出そうと思ったところにですね、祖父が亡くなったので葬式に戻るという理由付けをして、引き上げて日本に帰ってきちゃったんですね。ほぼほぼ。
まあタイトベーするつもりもあったんですよ。行き当たりばったりなんで。ただもうネバダはごめんだと。行くならもう少し湿度があるところにしようと。できればカンザスに戻ろうと思ってたんですけどね。そしたら、仕事のこの番組でも何度も登場させていただいている大橋英三さんと会って、なんかよくわかんないけどそこで仕事があるというんで。渡りに船で仕事してたわけですよ。
まだビザ取ってたしね。申請もしてたし。違う大学も探してたし。違う大学に願書も出してたし。すげえめちゃくちゃじゃないですか。何も考えてないんですよ、僕は結局。なんか考えてるフリだけはしてたけど。
で、そのたまたま大橋さんとやった仕事がですね、そこそこ読まれて。当時日経ビジネスオンライン、NBOというやつですね。そこそこ読まれて。そしたらたまたま、これも非常に不思議なんですけど、今思うと。
全然その会社ではやっていない事業の新規事業という、僕全然わかんないですよそれは。何がどうだったのか。僕と何の関係もない話だったから。ある会社で、なんか編集プロダクションを、もう部のなのかかなのかを立ち上げようということになったらしくて。
そこの人がたまたま僕の話が好きだということで、僕の専属の、僕当時はその意味もわかってなかったから、何をしていたのかも知らずにやってたんですよ。専属の編集、編プロになってくれたんですよ、行ってみれば。でもその人しかいないんですよ、その顔多分。わかんないですけどね、僕その会社ほとんど行ったことすらないから。
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で、ライフハックスという本を出したんですよ。これが僕の商業での諸著作になりましたね。で、それもたまたま従販がかかったんですよ。僕はただ適当に好き勝手なことを書いただけなんですけど。何にも考えてないんですよ。その時何が起こってたのかも僕よくわかってなかったんですよ。
で、そのままその人が持ってきてくださる企画に乗っては何か書いてた。それは小橋裕三さんと一緒にやっていたスピードハックスとかチームハックスとかとはまた別の流れでですね、その人が持ってきてくださる本は片っ端から書いてた。
で、もともと物書くというか文字を書くのは好きだったから好きだったんですね、結果として。何の苦労もなかったんですよ。行き詰まるとかスランプに落ちるとか。ちなみにその時のことだから思い出せたんですけど、僕はアウトラインを使ったり文章構成とか企画案とかを作ったことは一回もなかったんですよ。
なぜなら全部その人が作ってくれたものをただ書いてるだけだったから僕は。で、その人の作った通りにすら書かないんですよ。その人が作ってくださるんだけどそれを参考に僕が書きたいことを勝手に書くんですよ。
そういう風にして書いてったらたまたま当たったりしたものは結構多かったんですね、最初のうちは。で、その人はなんとびっくりしたことにタイの方かなんかと結婚していきなり会社辞めちゃっていなくなっちゃったんですよ。
そしたらもう一人でやっていくしかないじゃないですか。まあ大橋さんいたんだけど、大橋さんもその頃にはもう本格の辞めていたので、辞めてたのか分かんないですけどあんまり出されなくなったので、もう一人でやるしかないんだけど、やり方分かんないわけですよ。やり方分かんないからしょうがないから、本当にこれは本当なんだけど、
なんか適当な市街とか歩くと、あるじゃないですか出版社とか行って、なんかチュアースとか行って、こういう本出してきたんですって言うと一応相手はしてくれるんですよ。
そういう中で、なんかこうポツリポツリと、ほんとポツリポツリなんですけど、お友達作って本出してたんですよ。そしたらたまたまいくつかのものがまた当たって、いくつかは全く当たらなくなったんですけどね、その辺がやっぱりプロのヘンプロさんってすごいんですよね。
少なくとも10版は出すみたいな企画と、出版社さん見つけてくださって来てたんですけど、僕勝手にそれをやり出すと、なんか乱攻撃しちゃうんですよね。初版で終わるのから7版まで出るみたいなの、乱攻撃しちゃうんですよ。
そうじゃない方が本当はやっぱりいいんですよね。安定して生きていくには。でももう国際結婚してどっか行かれちゃったんで、日本にいるかもしれないですけどね。
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ということがあって、なんかこうしてるわけですよ。ないんですよ、僕には。そういう戦略みたいなもの。かけらんぼ。あるふりはしてきたんですよ、一応。
人と何か一緒にやるときって、そういう企画書みたいなものがないといけないというふうに皆さん思われているので、なんとなくは作るんですよ、僕は。
だけどそれはその時、適当に作ったやつを、そこら辺の紙に適当に書いたものを、もっともらしく清書してお見せはするんですけれども、実際に私はそれに沿ってやっていきたいという気持ちはないので、
結果としては行き当たりばったりになっていくんですね。ただ僕は、そうやっているうちに震災が起きたじゃないですか。何度も言うようなんだけど、でも何度かしか言ってないかもしれませんが、
あの時渋谷の東急会館の最上階にいたんですよ。未来が読めるならいないですよ、あそこには絶対に。だってあそこにいたら危ないじゃないですか。自分の家にいますよね、未来が少しでも読めるなら。
少しってのは半日先ですよ。だって半日先が読めないからあんなところにいたわけじゃないですか。あんなところにいたら一文字目だと死んでますよね、既に。
そんなに新しい建物でもない最上階に、それほど重要だったという、わけでもない。
当時は重要だと思ってたけど、重要だと思ってるからそこに行くんですけど、後から考えれば命かけていくような会合に行ってたわけじゃないわけですよ。でもいたと。読めないわけじゃないですか。
これのどこが宗教的なのかな。僕は読めるという方がよりほど宗教的な気がするんですよね。半日先だって読めてないのが事実だと思うんですね。
まして半年先とか読めっこないと思うんですよね。どういうふうに考えても読めるわけがない。
だから僕はこのグッダワイブスが宗教的だとかスピ的だとかいう話にどこがそう感じられるのかっていうのがちょっとわからない。
キレイごとっぽく聞こえるぐらいならね、わかりますよ。何でも仕事は本気でやるとか。これだって大した話、大してキレイごとって、だってそのぐらいのことをそれこそ北信也さんだって言いそうじゃないですか。
彼の言うことは僕の言うことよりもはるかにまっすぐなので、僕とかグネグネしてるじゃないですか。なんかこう変に者に構えたような言い方するじゃないですか。
だからそういうものがキレイごとだということであれば、決してそれはそれほどのことだとは思わないんですよね。
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僕がグッダワイブスが独特だと思うのはそういう一個一個の話ではなくて、その一個一個を全部かなり細かい具体的な事象について当てていくところが独特だと思ってるんです。
つい私たちは未来のシミュレーションしちゃいますよ。それは例えば仏教みたいな話が出たときは、10年計画みたいなものについて考えちゃうわけですよ。マクロに考える。
だけどネットバイブスはこれをグッとミクロにしたところが特徴的で、3分先の奥さんの期限を予測するのをやめましょうみたいなところがあるんですよ。ここが私にとって斬新だったし有効だったんですよ。
10年計画みたいなものを手放せって話なら、もうとっくにやってたわけですよ。僕はですけどね。だからレビューみたいな考え方もありますけど、僕はあの方がそうは思われてないのは承知ですけどね。
レビューするって方がよっぽど宗教的だと思うんですよね。レビューが有効であるという方がある意味では。スピリチュアルじゃないですか。だって当たるはずがほぼないものを当たってないことについて反省するわけですよね。それはやや人知を超えてるところがありますよね。
例えば東急会館の球会にいたということは反省材料になりますよね。そういう観点を取るならば。なぜお前は地震が来ることを全く考えておかなかったんだということになっちゃうじゃないですか。それってスピリチュアルな感じがしませんか。私はそんなことを考えるのは無駄だと思うんですね。
そんなことを考えたってどうにもこうにもならないけれども、ある種の人はそうは考えないのかもしれません。老朽化した渋谷のど真ん中の最上階に行って飯を食うなんてとんでもないと。もっと安全で健康で。
例えばですけれども、郊外の寿司とかの安全な1階のところで食事をして、いざとなったら非常口から逃げられるようにしておきなさいっていうのかもしれない。僕はこれは結構スピリチュアルだと思いますね。
この生き方ってものすごく自分の肉体に対する自分の運命に対する徹底的に支配的なものを感じる。こういう考え方を取るというならば。でもこれがなろうことならPDCAですよね。渋谷の9階で打ち合わせをするという計画にしてありましたと。そんなのは頻繁にですよ。僕はしょっちゅうやってました。
でもそれは後から考えればとても良くない予想でしたと。マグニチュード7の地震が来るなんて全く思ってませんでした。反省しなさいと。そういうことですよね。PDCAというのをラスクシュードなりに投入するということはそういうことになっていくと思うんですよ。そんなの無理だと僕は思うんですね。そんなことは僕はやる気がしない。やっぱり東急会館の9階で平気で食事をしちゃうのが僕ですよね。
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たまに言われるんですよ。妻に。昔ですけど朝カツとかしてたわけですよね。僕はしてないんですけどね。やっぱりしてるフリをしてたんですよね。ある意味。僕朝は好きなんでいいんですけど。5時とかに起きるわけじゃないですか。起きるのは好きだからいいんですけど。ついでにツイートとかをしてたわけじゃないですか。多くの人を見習って。そうすると奥さんに怒られるんですよ。
朝の暗い段階で起きて車に轢かれたらどうするんだと。よく老人はそうやって轢かれて死んじゃうんだよと。誰も助けてくれないじゃないかと。見てないところで轢かれて家族も寝ていますと。だからやめろと。
これはPDCAですよね。僕は非常に悩んだし当時は喧嘩になったんですけれどもね。確かに暗いんだけどこの時間以外に散歩できる時間ないしねっていう。これは発泡ふさがりなんですけど。グッドワイブスで言う。グッドワイブスだけじゃないですけどね。カウンセリングで全てで言う発泡ふさがりなんですけどね。夕方に散歩すれば済む話なんですが。
何故かできない理由を見つけて反論して喧嘩するんですよね。変な話なんですけどこれも。つまりですね。未来予定とか逆算とか。自分の時間をとっておいて節約して使うとか。全てですね。僕はそれは十分みんなコンセンサスを受け入れてるからそれで納得されてるだけで十分スピだと思います。
できないことをやろうとしてるわけですから。ほぼほぼ不可能なことを無理してでもやれないとダメだっていうわけなんです。からすると僕はタスクシュートで僕が言ってることなりグッドワイブスで倉野さんが言ってることなりは一個一個取ればですね。至って普通の話であって若干キレイごとに聞こえるのが中に挟まってくるかもしれませんけど。
そんなに陣地を超えてるところはないし、カルトっぽいわけじゃないと思うんですよね。
もう一つついでに言うならば。
未来予想する成長戦略を取るということは結構怖いことなんですよ。これも多分これを提唱されてる方がそういう意識をお持ちじゃないから、あえて言うと感じ悪くなるからあんまり言わないほうがいいかなと思うことも多いですけど。
これは結構やっぱりですね、怖いことだと思うんですよ。成長するということは成長可能な余地があるという話ですよね。
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そうすることが良いことだということであるならば、何か何かを達成するとかでもいいんですけど、良いことであるというならば、そうなってない状態は悪い状態だっていうことになりますよね。
ここに落差がありますよね。差があると言えばいいですよね。
価値を高めるっていう言い方ができるならば、当然価値は低いものがあるっていう言い方が絶対にそこに出てくるわけじゃないですか。
そして、そんなんでいいんだろうかって自問するって話も昨日もいただいたんですけどね、北さんが。
これを多分限定領域であくまでもそれは自分自身にだけ適用してるんですってことだと思いますし、そこを疑うわけじゃないんですけど、どうしたってそれを聞けばですね。
例えば私が聞いたってですね、成長できる余地があるのに成長せずにいるのはダメであるって言われてる感じにならざるを得ないところがあると思うんですよ。
僕はそうは感じないから少しも問題はありませんけれども、さっきも言いましたけれども、どうしても自助気味になるじゃないですか。
行き当たりばったりって、僕は結局その言い方自体がおかしいとは思うんですよ、本当は。
ああいうふうにしかできなかったと思ってるんです、本当はね。
成長戦略を描いたほうがうまくいくのに、自分はたまたまいい加減な方法でアメリカに行って逃げてきて逃げて戻ってきて、それで何とかなっちゃってますというのは何か自助気味じゃないですか。
しかも本当はそれじゃよくないっていう、そこにはニュアンスがあるじゃないですか。
その間失ったものはいっぱいありますよ、お金とかね。
2000万単位で失ってますからね、アメリカに行って戻ってくるその間に。
学校に行ってアメリカで5年も生活すればそれぐらいではなっちゃいますけれども。
だからドコモサービスに勤めていた頃にはあったものがすっから勘になって戻ってきてるだけなんで、しかも手に入ったものは何かというと学資ですからね。
すでに自分、日本で持ってた最終学歴と同じものをアメリカで5年かけて戻ってきてるわけですから。
そういう意味では無駄ですよね、そういう言い方をするならば。
ダメ人間っぽいじゃないですか。
で、私が思うのはですね、でもそうじゃないと思うんですよ。
なぜならば想定できないものは想定できないんで、私はああいう風になったのは一個一個についてはですね、
その時その時でまともな判断してるつもりでいたわけですよね。
結果としてはめちゃくちゃだったけれども、それは後から振り返るからであって、後から振り返れば誰だって正しい線が引けるわけですよ。
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これを事前に引こうっていうのが無理だし、事前に引けない人がダメ人間みたいに言われるっていうのが無茶だと思うんですね。
その方が僕は宗教的で怖いことなんじゃないかなっていう風に思うんですよ。
これをもう少し受け入れないと、相模原の事件みたいになるとまでは言わないですけれども、
人は結構それで苦しむことになってしまうし、時々欲打つ気味になっちゃうっていうのもしょうがないと思うんですよね。
一番受け入れ難いのはむしろ、生まれながらに価値ワックスってあれなのかもしれないです。
でもあれ怖いんだろう。あれが怖いっていうことは、生まれながらに価値の上下はあるっていう方が怖くないってことですよね。
僕はどうしてもそっちの方が怖いと思うんですよね。
その考えが非常に怖い世界を作り出したことが何度かあると思います。
そういう意識があるわけじゃないところにそういう話を持ち込むのは部粋なんですが、部粋で危機じゃないっていうレベルでは済まされないかもしれないけれども、
昔はそうだったんですよ、1960年くらいまでは。
1960年くらいまでは小説家の人とかでも、例えば腕がない子を生まれてこさせた方がいいかどうかは国が決めるべきだとかいうことが本当に割と真剣に議論されてたんですよ、まだ。
あんなにリベラルな強い時代だったように見えてもですね、全然リベラルな作家さんなんですよ。
それでもそういう話はしてた。私たちはそういうふうに考えるんだろうなって思うんですよ。
こういう子は生まれない方がいいとかっていう話が出てくるわけじゃないですか。
それはなぜか、生まれてきた人はすべてみんな価値マックスっていうのは受け入れられないっていうことですよね。
でもそれを他人が見てわかるのだろうかっていうのはやっぱりどこか絶対あるわけじゃないですか。
他人がそれを見て、なぜその人は腕が何本だから不幸になるとか幸福になるという話になっちゃうのかと。
この成長戦略という話は、つまり成長できる余地がある者は成長していないとか、
スキルが発揮できる余地がある人がスキルを学んでないということはダメであるってことですよね。
それは価値が低いっていう意味ですよね。
そうすると他人にも絶対それを適用することになっていくような気がするんですよね。
一生懸命頑張っている人はそう言われないで済むかもしれませんけれども、
なんかこうだらっとして見える人は、そしてその人がスキル不足で失敗しているように見える人は、
結局人の攻撃の対象になっていくんではないんだろうかっていう気がするんですよ。
42:05
その延長戦じゃないですか。
最近ロッテで、この話僕も多いですね。千葉ロッテで。
ミマっていう楽天から来たピッチャーがいるんですけど、
息子さんが手がないんですよ。手が。
生まれてきたんだけれども、ピッチャーだからよくあるじゃないですか。
子供をピッチャーにさせたいと。
でも慣れない、少なくともどっちかの最初からどっちで投げるかは決まってしまうし、
投げてない方ではキャッチングできないわけですよね。
グローブをはめられないから。
昔アボットくんっていうピッチャーが大リーガーでいて、すごく話題になったんですけど、
片手で投げて片手で取るんですよ。
グローブを足元に置いたのを素早くはめてですね。大リーガーですからね。
で、ミマ投手が、いや、なくても全然いいじゃないかって言ってたんですよ。
こういうふうであることは、今はプロ野球の選手にとっては、
非常に感じたものがあったんですよね。
昔はほんとに、せいぜい50年前って言っても50年も前なら大昔ですが、
小説家が逆に近いことを言ってたわけですからね。
どっちかって言えば小説家の方がやっぱりリベラルであっていいわけじゃないですか。
なるべく万人に、
視点がいっていいはずだし、
肉体的な価値負けで自分の価値は決まらない世界に生きてますからね。
だいたい作家さんって運動神経すげえ抜群だとかいうことはあんまりないですからね。
野球選手っていうのは体が資本だし、
肉体で勝負してるわけだから、
やっぱりその、なるべく、
健康であればあるほどいいですし、
そんなに小説家が健康志向であるってことはね、
昔はなかったじゃないですか。
やたら酒飲むとか、やたらタバコ吸うとか、
アスリートそういうことはしませんよね。
この辺ででも今の時代ってやっぱり違ってきたと思うんですよね。
その、自分のお子さんだとやっぱりあるんですよ、そういうのって。
あの、あたしも、
手と足の本数、指の本数を看護師さんが2度チェックしてました。
そういうものなんだなって思いましたからね、やっぱりね。
即座にですよ。
生まれて1分後にやったことがそれでしたよね。
そういうものなんだって本当に思いました。
だけれども、
自分のお子さんが、
自分のお母さんが、
自分のお父さんが、
自分のお母さんが、
と思いました。
だけれども、
今だったら多分ですね、
生まない方、
生まれてこない方が良かった的な意見は、
ずっとこう下がったと思うんですよ。
45:02
つまり、
それは、
その段階での価値がすでに、
どうであっても同じで、
MAXだっていう発想に近いと思うんですよね。
そのまんまみんながみんな受け入れられるというわけではないでしょうけれども、
近いとは思うんですよ。
たまったもんじゃないと思いません?
たまったもんじゃないと思うんですよね。
自分がこう、
自分がだった場合ですよ。
こういう疾患が将来ありそうだから、
この段階で薬を投与して、
生まれてこないことにしようと。
たまったもんじゃないですよね。
それが他人が決めるっていうのでは。
でも、多分他人が決めることにしかなり得ないと思うんですよ。
これが、
怖くないと言うんであればですね、
Good Vibesが怖いっていうのはですね、
私にはちょっとわからないと思うんですよね。
簡単な話ではないのかもしれませんけれども、
少なくとも、
成長っていう言葉が含むニュアンスは、
怖いと僕なんかすごい思うんですよ。
成長するほうがいいっていう話って、
二重に怖いと思うんですよね。
そこに一本一本の善悪が絡んでくるから、
もう一つは、そこに怠惰って問題も絡めてくるから、
私どっちもですね、まっぴらだと思いますね。
なぜそれを他人が決めることができるのかと、
この点に関しては私には、
トラウマとイリュージョンがあるのかもしれないです。
この種のことに関しては、
私はすごい潜在的な反発思考があると思いますね。
だから若干割引いて聞いていただきたいと思うんですけど、
僕は自分が成長しなければいけないと言われたり、
まだやれる余地があるとか言われるのが、
とても嫌いなんですよ。
それをまして未来に固くされるのって、
本当に勘弁してほしいと思うんですよ。
だから私娘の受験とかも、
気乗りがしない部分がいっぱいあるんですね。
そうしたら未来の有利に生きられるっていう感じって、
どうも感じが悪いと思うんですね。
つまりそれは現在に不服を持てって、
やっぱりどっかこっか言ってると思うんですよ。
明らかに。
なんでそんなことをしなければいけないんだろうって思うんです。
もちろん現在がですね、
あると思いますよね、そりゃ。
この寒いのに、
どっかに隙間が空いていて、
ストーブが一台もつかなくて、
食べるものもあんまりないっていう状態であれば、
今よりはるかになんとかしなきゃいけないと思うべきなんでしょうけど、
今日もですね、
48:01
どこまで行ってもこの未来により良いものを語る。
未来により良いものを堅くさせて、
現在に不服を持つのが常識だっていうような感じ。
これはすごく嫌なものを感じるんですよね。
前にこの番組でも一度お話ししましたね。
置かれた場所で咲かせなさいみたいな。
つまりですね、
あれがダメだっていうのは、
状況が過酷な人のためにっていう話ですよね。
でも私はそれよりも何よりも、
なぜ咲かなきゃいけないんだって思っちゃう口なんですよ。
僕は逃げたような人間ですから、
そしてそのアメリカからも逃げたような人間なので、
これを今も結局のところ空気を感じで僕は自重気味に言ってるんですよ。
これを普通に言うと叩かれるだろうなというイリュージョンがあるわけですよ。
本当は叩かれるようなことじゃないんですよ。
私が私のお金を使ってむちゃくちゃなことをしたっていいわけですよ。
何なら2000万を全部ギャンブルにすったっていいと思うんですよね。
それを他人にどっこ言われるわけではないと思うんですよ。
だからそういうところが僕にはたぶんあるので、
根っからあるので、
そんなに結局言いつくろえるような人生にまとめておいたんですよね、僕はね。
そのことには一定のまたそれで面倒くさいコンプレックスがあるんですけれども、
つまり例えば倉座のケドさんのお話とかを聞いていると、
そこまでは一回もやれた試しがないっていうような何かを感じちゃうんですけどね。
それはそれとして、
ここは僕はタスク周刀とグッドバイブスが両立したところだと思うんですけど、
つまり未来の絵を描かずに、
過去の何も反省しなくてもそれをやっていられるっていうのが大事なんですよね。
タスク周刀をやっていられるということと、
いつかどこかで、例えば未来のどこかに自分が成長するなり、
何かを成長させるなりして満足したとしたってですね、
そこで満足しなければおかしいじゃないですか。
そうしないと永遠に不満を囲ったまま死ななきゃいけないんですよね。
死って人はたぶんさすがにいないと思うんですよ。
満足してしまうと成長が止まるとか、
ダメ人間になるっていう話も、
それこそ耳にたこができたほど私だって聞かされてきましたけれども、
それだってどこかにやっぱり限界がありますよね。
私はそれが今この瞬間であっていけないはずはないってやっぱり思うんですよ。
いけないはずはないんですよ。
そうでないというのは、
やっぱりこれも何度も同じような話の繰り返しになっちゃいますが、
それに不満を抱くように自分で決めて、
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そういう努力をしているせいだと思うんですよね。
やっぱりそれをやらないほうが、
それをやるっていうほうがいいっていうのは、
僕はそっちのほうがスピーっぽいし、怖いと思うんですよね。
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