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2022-07-05 47:07

【LIVE】「没個性」と「倫理観」に縛られる日本人

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00:04
どうも、ボブです。
今日は、夕方、子供が寝てる時間にライブをしてみました。
なんとなくですね、今日は【没個性】と【倫理観】に縛られる日本人というタイトルでさせてもらってますが、
よくよく、何も考えずにね、こういうのを話そうと思って打ったら、改めて見ると壮大すぎるタイトルつけてしまったなと、どうしようと思ってるんですけど、
最近ですね、仕事をしている中で、いろいろ思ったことがあったので、ちょっと話してみたいなと思ったんです。
今、介護の仕事をしているんですけれども、介護でケアマネージャーの仕事をしています。
その中でですね、研修をする役になったんですね。
ケアマネージャーのみんなにですね、行う研修なんですけれども、
研修の委員会があってですね、そのメンバーで、何か、どんな研修したらいいかなとか、いろいろ話をして言ってるんですけどね、
その中で、決まった方にはめないと気が済まないっていう、そういう圧をすごく感じるんです。
例えば、この研修を今Zoomでやるか、それとも会場に集まってやるかっていうことも、
基本、集まってやる方がいいよねっていうのがベースにある考え方だったりですね。
それはそれでいいんですけど、結構今ですね、会議でも何でもZoomで使ってやってる会社なんですね。
割とZoomの方が多くの人に聞いてもらって、時間もあんまり移動時間を割かずにできる。
そういうふうに、そういう良い面もあるなぁと思いつつ、なかなかその意見も通りにくかったりはしてるんですよね。
以前に比べたらどんどんね、Zoomでもいいじゃんっていう、そういった意見も多いは多いんですけどね。
でも未だにやっぱり対面、対面だよねっていう意見も多い。
どっちが悪いじゃ全然ないんですけどね。
結果、Zoomでやることにはなったんです。
じゃあ、Zoomでやる。
03:00
準備する僕たちはですね、話し合いをする中でも、各地、福岡なんですけど、福岡県内あちこち、福岡といえども広いんですね。
集まろうと思ったら、なかなか日程を合わせながらやるって大変なんです。
じゃあもうね、今Lineworksとかチャットツール、いろいろ使ってやり取りしてるので、そういった方法をどんどん活用してですね。
話し合いもZoomでやりながら、移動時間、ガソリン代、そういったものをもうなるべく節約しながらやろうよ。
って言っても、やっぱりね、対面に集まってやらないと話しづらいんですよ。
もちろんあると思うんですけど。
というよりも、どちらかというと、今までのやり方、集まってするのが当たり前、対面の方がいい。
それが前提にあっての提案ということが多く感じるんですよね。
今のベスト、その今までのやり方があったとしても、対面の方はそれはそれでいい面もたくさんある。
けれども、今のこの環境と、物価とかいろいろあるこの状況、時間がない、アクセクしている業務の中で、何がベストかっていう考え方ではないんです。
どちらかというと、今までこういうやり方をしているから、だからなるべくそこに合わせていくのがベストだよっていう、そういう発想の方が強い気がするんですよね。
だからそれを考えると、何でこういう意見が全然、提案しても提案してもそっちに引っ張られていくんです。
今までのやり方とかそういったもの。
何かこういろいろ考えたときに、仕事に関しても全部こうなんですよね。
やっぱり何かこう始めるときも必ずやっぱり上司にも確認をしないといろいろいろいろいろんな確認をしていってスタートが遅くなる。
上司の決定に結局やっぱり従う。
現場としてはこうだからこうしましょうよっていう発信はあんまりないんですよ。
どちらかというと、もう上にお伺いを立てて、上がこうって言ったらこうするしかないよね。仕方ないよねっていう、そういう意識の方が強い。
06:01
何でこうなっちゃうんだろうってこういろいろ考えたんですよ。
やっぱりね、今までの小さい頃からの家庭の教育と学校教育、これがすごく影響しているような気がするんです。
最近、僕の子供も風邪をひいたりとかしたときに、親に報告、今大変なんだよということで、孫だから心配だろうと思って報告したとしても、やっぱりこうしなさい。
とにかく病院に行ってお薬もらいなさい。大変になったらもう救急車呼びなさいとか、いろいろ指示命令の方が強いんですよ。
今まで私はこういうふうに育ててきたんだから、この経験があなたたちよりもあるんだから、だから私の言うことをもうちょっと聞きなさいよみたいなね。
そういうふうな伝え方が多い印象を受けたんです。
これもね、さっきの仕事の話ともつながっているような気がして、今までこういうふうに自分たちも言われてきたなって。
それが会社で勤めていても、この感覚は同じだったんです。
会社でお伺い上司から立ててとか、今までの経験、今までこうだったからこうだよっていう、こうしようよっていう、そこに合わせていこうよっていうのも、
本当に小さい時からのこの親にどう言われてきたか、そして学校でどう言われてきたか。
学校でもね、やっぱり先生がこう言ったことに対して従うような部分がどうしても多いですよね。
集団生活ってそんなもんだっていう、この固定概念ありますよね。
先生が決して悪いわけじゃないんです。先生もこのクラスをしっかりみんなで育てていく、成長していくために一生懸命考えてくださってるんですけど、
でも、この中で子どもたちもどんどん自分で自発的にこうじゃないか、ああじゃないかって考えていく機会が減っていってるような気がするんですよね。
集団だからこうしないといけないっていうのがやっぱり強い。
自分個人よりも集団の方が優位なんですよ。
集団の社会の方がそっちを保つために個人を抑える、こういう風な考えが定着していったのは幼い頃だと思うんですよね。
09:18
だから徐々に徐々に知らぬ間にこれ以外の動きをすると違和感を感じてしまうと思うんです。
だから今まで対面、研修に関しても対面が当たり前だった、今までこんな経験をしてよかった、よかった経験をもう一度やらないといけない。
それ以外の方法は不安が出るんです。
不安が出ちゃうとそっちの方法を取れない。
やっぱり今までの経験の方が安心感があるわけですよね。
安心を取るんです。ベストを取るよりも安心を取るんです。
こういう傾向にずっと会社でも家庭でも会ってる。
これを今の現状を真っさらに見た時に、それが本当にベストなのかといったらベストじゃない方法をずっと取ってきたがために、
いろいろデメリットとしてはベストじゃない方法を取ってきているから、結局柔軟さがないわけですよ。
しかもそこで自由な発想ができない。ある固定、決まり決まった方法しか取れなくなってしまう。
介護保険の仕事をしていますけど、役所の考え方、厚生労働省が出す指針、そういったものも本当にね、
そういう柔軟さだったり、今までの経験と逸脱するものがなかなかOKを出してくれないんです。
こういうもどかしさをずっと感じながら介護のケアマネージャーの仕事をしているんですけれどもね、
子育てに関してもやっぱりちょっと難しい部分を感じるんですよね。
子ども、果たしてそもそも保育園とか幼稚園とかね、僕の子どもも幼稚園に行ってますけど、
お友達と遊んだりとか、今も体も元気なもんだからですね、
体を思いっきし動かす機会、いろんな子どもたちと触れ合う機会っていう意味では行った方がいいと思うんですよね。
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でも、行きたくない時もあるじゃないですか。なんとなく。
そういう時でも行かないといけないじゃないですか。
自由さがないし、今、友働きをしないと生活ができないから行かせるわけですよね。保育園とか特に。
幼稚園までゆっくり家で育ててっていうのができるんだったらみんなそうするんでしょうね。
だけど仕事をしてるし、稼がないといけないしね。だから保育園に預ける。
本人がお友達と遊びたいから、だから保育園に行くじゃないんですよ。
そういう時もあるでしょうけど、そうじゃない。行きたくない時も行かないといけなくなっちゃう。
それって似てませんか。介護の現場で考えると、デイサービスに行っているおじいちゃんおばあちゃん。
自主的に行っている方ももちろんいるし、デイサービスはデイサービスですごくいい役割なわけですよね。
だけど、毎日毎日行っている方もいます。週3回の方もいます。
たまに休みたい時もありますよね。だけど家族としては、行ってもらわないと困ります。
うちで一人っきりでおらせることができません。
そういうことでデイサービスに行かせる。
本人に決定権がないんです。
そういう中でデイサービスに行っている方もたくさんいます。
これが良い悪いじゃなくて、子供に関しても良い悪いではなくて、
同じ構図だと思いませんか。
でもこれって、どんどんどんどんですね。
幼い時からそして死ぬまで、個性。
自分の個性よりも周りの都合に合わせるということが優位になっているという状況ですよね。
それって本当に良いことなんだろうか。
個人の自分がやりたいこととか楽しいこととか、自分の特性とか。
チーズさん、ボブさんありがとうございます。
こんな夕方から珍しくライブさせてもらってます。
チーズさん大丈夫ですか。こんな夕方のお時間。
ちょろっとでもいいんでですね。ちょっと喋ってました。
15:04
今話してたのはですね。
その個性、没個性ってタイトルつけてますけど、
自分が子供とか保育園行きたいとか、そういう子がいてもいいんだけど、
そうじゃないパターンも多いなって思ったんですよね。
親の都合でやっぱり仕事があるから、行きたくない時があっても保育園に行きなさいっていうそういった状況。
あと介護の状況でもデイサービス。
行きたいって意欲的に行くことはいいんだけども、行きたくない時もやっぱり行かないといけない。
家族の都合でデイサービスに行きましょうって言って行っているっていう状況結構ありますよね。
こういった時って、その個性よりも周りの人たち、周りの社会の方が優位に立っているわけですよね。
こういうことがたくさん起こってるよなーって感じてるんですよね。
なんかそれについてね、ちょっとなんか話したかったんです。
この会社の中でもそういうことが起こってたんですよ。
一番ね、地図さん、あるある、うんうん、ありがとうございます、共感いただいて。
そう、なんか会社の中でもね、これがベストだろうって今の現状を考えるとベストっていうプロジェクトがあったとしても、
そっちじゃなくて今までのやり方とか、そういったのを優位に優先するっていう、そういったこともやっぱり多いと思うんですよね。
で、なんかね、こういうのも、なんていうか、今までと違うことっていうのは不安になっちゃうんです。
だからこれってベストを選んでるんじゃなくて、不安よりも安心をただ選んでるだけっていう話ですよね。
ただただみんなね、不安なんですよ。
ただ安心を選んでるとか、本人のことじゃなくて周りが助かること、周りの社会のために選択、いろんな選択がなされている。
こういうことだらけ、そういうふうに感じてるんですよね。
これってでも、今までの親から育ててもらった環境、これが良い悪いじゃなくて、育ててもらった環境だったり、学校教育だったり、こういったものがずっと積み重なってきて、
もうこれがベーシックな考えになってるわけですよね。母子個性っていうのが。
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例えば結婚するのも当たり前とか、まだ結婚しないの、子供はまだなの、まだまだっていろいろ周りが掻き立てるとか、家を建てるのが当たり前とか、
そういったのを、誰に刷り込まれたわけでもないのに自分で、それが当たり前になっちゃって、それが幸せみたいな、それも一つの母子個性の考え方かもしれないですよね。
良い学校に行けばいいんだよとか、いまだに言ってますよね。一流の会社に行けばとか、夢を持たないといけませんよとか、そういうのも全部、誰だよ、この価値観を植え込んだのはっていう、そういったのが染み付いている。
これって、地図さん、本当、麻痺してた。母子個性だ。本当こういうことって、これは自分で選んだんだって思いがちなんですけど、本当にそうなのかなと。
ずっとそれを当たり前だよって言われてくると人間、そうなっちゃいますよね。
これも、母子個性の考え方っていうのは、もう縛られていることと同じなわけですよね。本当はもっと別の方法があるのに、安心を選んじゃう。不安だからですね。そっちの方向、別の方法を知らないから不安なんですよね。
だから、ただ不安が嫌だから安心をとっているだけの話で、自分で結局決めたとは言えないんですよ、それは。
こういうのって、介護の仕事をしてても、倫理官、ケアマネージャーも職業倫理とか、えらい問われるんです。言われるんです。研修の中でも、ページ数最低ですね。教科書にもいろいろ書いてます。
この倫理っていうのはですね、善悪を決める、正しい間違い、こういったものを決める基準なんですね。辞書で引くと。
プラス、社会における正しい行いって書いてるんです。倫理官っていうのは、個人に対してじゃないんです。社会における正しい行い、社会のための善悪っていうものが倫理官なわけですよね。秩序っていうのはこういう倫理官に基づいているものなんだと思うんですけど。
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その部分が法律とかでいろいろ決められてるんですけど、法律で全部は決められないので、その他に倫理官としてですね。
これで大事なことではあるんですよ。社会を保つためにとっても大事なことなんですけど、それよりも道徳の方が優位であるはずなんですよね。道徳とどう違うのかっていうと倫理官は社会における正しい行いだったんですけど、道徳は社会じゃないんです。個人に目を向けたものでですね。
自分の良心、良い心ですね。自分の良心によって善を行うこと、正しいことを行うこと、悪を行わないこと、それが道徳なわけですよね。だから客観的にとか社会的にってどう判断されるかっていうものは含まれないんです。
なので本当はこの道徳っていうのがみんなそれぞれ大事で、それをみんな守っていれば自然と倫理官とか社会的な正しい行いにつながっていくはずなのに、個人が個人で守っていけばいいはずなのに、倫理官だったりとか、後、
その没個性の部分ですね。これが当たり前、この安心を選ぶ、この擦り込まれた考え方、こっちばっかり選ぶことで道徳が忘れ去られていってるような気がするんですよね。
でもこの没個性でずっとやってきている限り、なかなか個人っていう部分に目を向けることがなかなかできない。
デイサービスに関しても、そうは言ってもこの仕事どうするの、仕事しないと私たち困るんだよ、そうなんですよ。それを言っちゃうとなかなかどうしようもない。
社会のシステム自体がこうなっちゃっているっていうこの状況が、一介護職が何かこねこね介護保険のサービスをひねくり回したところで、全部が解決できないなーっていうことなんですよね。
この道徳を無視していた倫理観ですね。こっちを優先することで何が何でも命を助けないとっていう、こういう考えになったりもしますよね。命を助けることが一番最優先だという価値観。
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それが寝たきり高齢者や植物状態の人たちをどんどん増やしてしまっている。日本がずば抜けてるらしいですからね。北欧とかね、あっちの方ではそんなことないんですよ。
こういう状況に陥ってしまっている、家で過ごしたいっていうそういった高齢者の方も、施設に行かせないと、入院させないと、本人の望みじゃなくて周りの望みで全部人生の最後決まってしまう。
人生の最初から最後まで人に決められて終わる。そんな悪い言い方かもしれないけど、本当にそうなっていいんですかっていう部分。そこをね、皆さんはどう考えるんだろうなって思うんですよね。
これって最後ぐらいは自分で決めたいよって思ったとしても、今のまんまだったら、もしこのまま認知症になっちゃったら、勝手に誰かに決められちゃうんですよね。
本当にそれでいいのかなと。良くないって思うのであればね、まだ今わかるうちに、今伝えられるうちに、何かこう、自分はこうしてほしいっていうのをね、エンディングノートとか、エンディングノートじゃちょっとめんどくさければね、
何かこう家族に話す機会、そういったのを怖い怖い、死ぬことなんて縁起でもないじゃなくて、やっぱり言っていかないといけないなって思いますしね。
子どもに関してもですけど、子どもも今、フリースクールに行かせるっていう人たちも増えてるようです。
で、この学校に行かせたくない給食で使われている食材だったりとか、食べ物、これも一種の大量生産でされているものですもんね。
こういうのを食べさせたくないんです。でも、そんな意見を出しちゃうと、めんどくさい親みたいな扱いを受けちゃいますよね。
だからもう、学校も行きたいとき行って、行きたくないとき行かんでいいよ、そういう自由なフリースクール、そういうのを目指した学校もできてきてるんですけど、
これをね、義務教育と国が言うのであれば、そういったフリースクールも認めたらいいんじゃないかなって思うんですよね。
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で、フリースクールだって別に、普通に義務教育の一つとして費用をそんなにかけずにね、行かせられるようにすれば、
もっとね、引きこもりだったりとか、不登校でね、もう本当悩んでしまっている子どもとか救える人たちって多いんじゃないかなって言ってる人いるんですよ。
チーズさん、激しく同感。もっと自由に生きていい。
あ、よかった、同感していただいてありがとうございます。
自由さが本当にないなーって思うんですよね。
もっと、なんていうか、選ばせてくれたらいいじゃないかと。
学校教育もとっても素晴らしいとは思うんですが、学校の先生も頑張ってる。
だけど、何でもすぐね、親は学校のせいにするし、学校はもう日本の得意な責任問題、
責任取りたくないから、じゃあいろいろそっちの方にエネルギーを使う。
こういう大人の社会の祝図みたいなのが学校に今あるんですよね。
しかも本当、ちょっと古くねっていうような、今風邪の時代って言われてる風邪の時代ですよと、
ちょっと土の時代のね、昔のガチっと固まったこの中に子どもを入れ込むわけですよ。
怖くね?っていう、責任をなるべく逃れたい、そしてなるべく管理をしたい、
そういう風なね、どうしてもそういう傾向って、集団生活だからあるじゃないですか。
介護施設だってあるんですよ。
だけどその中で先生たちや職員さんたちって、必死に頑張ってくれてるんですよね。
だから本当に頭が上がらないんですけど、
でも構図としては、いざ何か起こった時って、一教師だけじゃ、教師の思いじゃどうもできないこと多いじゃないですか。
給食だって、もっと農薬を使っていないとか、牛乳は、風邪因とかそういったのが心配な人は、
牛乳じゃなくて別の飲み物もいいですよっていう選択肢を与えてないじゃないですか。
米は白米、うちはあんま食べないんです。玄米にしてくださいとかね。
いやいや、普通にそんなのね、預かってもらってんだから、そんな選択肢できるわけないじゃないの。
いくらかかると思ってんの?っていう話になりますけどね。
でも選択できないじゃないですか。
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だったら、全然その学校じゃなくても、フリースクールとか、併用していくとか、
学校に行きつつ、不登校になってしまうような時は、フリースクールも同時併行で、
そっちも義務教育の一環として、お金もそんなにね、多くはかかりませんよっていうような、
選ばせてくださいよって。
そういうことができればね、もっともっと子どもも、こっちが自分に合わない、
この管理社会が合わない、そういった時は、こっちのね、ちょっと自由な方を選べるんだ。
だけどたまにはね、カチッとした中で、自分を磨いていきたい、学校に行こう。
選べるようにしたらいいじゃないの。
なんかね、選択肢がないんです。子どもすら選択肢がないんですよ。
なんということかと。
高齢者になって、子どもの時もそうで、そして最後の最後、70、80、90になった時でさえ、選択肢がないんです。
ケアマネージャーといろいろ話して、自分で選択してくださいって言いながらも、この範囲の中で選ぶ。
狭い範囲の中で選ぶ。
タバコ吸っていいですか?酒飲んでいいですか?ダメです。
何箇所もデイサービス使わせてもらっていいですか?ダメです。
選択してくださいって言いながら、選択させてないじゃないか。
そういう環境の中で、最後までいるんですよ。
僕は嫌だ。介護のサービスとか使わずにやっていける方法ないのかなって思うんですけどね。
個性よりも、周りの社会の安心感だったりとか倫理感を優先していった中で、子どもの時からずっと最後の最後、亡くなる時も直前までこれを続けていくような状況になっているんですよね、構図として。
だから抗うとすれば、選択肢を別に作る方法はないかなっていう風に考えちゃうんですよね。
もう一つ別の選択肢さえあって、選べるようにさえすればいいわけですね。
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今の作られた学校を全部変えようとか給食変えようとか、そういうのは無理なわけですよ。
良かれと思って作ってくれたわけだからですね。
もう一つの第三の選択肢みたいなのを用意できるようになったらいいんじゃないかな。
でもそれより何より、さっきの倫理感と道徳の話で、一人一人が倫理を優先するんじゃなくて、道徳、自分の良心によって善を行うこと、悪を行わないことっていう、
ここを大事にしますって一人一人がそういう価値観を持ってやっていけばですね、倫理感より道徳を優先するっていう風なのを、みんながみんなそういう価値観を増やせばですね、
自然とこの没個性が当たり前だった社会は崩れていくんじゃないかなって思うんですよね。
周りにばっかり合わせてたけど、そうじゃなくていいじゃんっていうね。
そっちの方に進んでいく一人一人の考えがですね、それができればガラッと変わってくると思うんですよね。
どうでしょうかね。
今日はね、その没個性、そして倫理感という縛り、これが今の現状を作っているし、
みんな今のね、30代40代50代60代、皆さん今自分で自主的に動いていると思うんだけど、最後の最後はまた没個性の社会に入っていっちゃう。
介護を受けるとですね、また学校にまた戻っちゃうんですよ。
そうなる前に倫理感を優先するのじゃなくて、道徳を優先する。
没個性じゃなくて個性を優先するような、そういった考え方に切り替える。
一人一人が切り替えるっていう風に意識を持っていけばですね、僕らの介護も、介護の在り方も変えざるを得なくなるはずなんですよ。
そういう風になっていけたらいいなぁって思ってるんですよね。
真面目な子ほど自由を忘れて育ってしまいますね。本当選択肢がたくさんあればいいですよね。
36:03
そうですよね。真面目な子、一生懸命ね。
真面目な子って何ていうのかな、2種類あると思うんですよね。
その真面目一途で一生懸命ね、自分のやりたいこととか好きなことに没頭する感じの真面目な子と、
親の期待に応えようと思って、誰か周りの期待に応えようと思って一生懸命頑張る真面目な子。
この2パターンがあると思うんですよね。
誰かの期待に応えようと思って一生懸命な子はやっぱり没個性になっちゃうと思うんですよね。
そうなってくるとやっぱり最終的には主体性を持った大人に育たなくなっちゃうと思うんですよね。
右を曲折して結局回り回って自主性を持って自分を確立する子どもたちもいると思うんですけど、
ずっとこれが誰かの期待を喜ばせてそれをモチベーションにやっていくのがずっと続くと、
次は社会に出たら上司にいい顔して、上司に認めてもらおう、誰かに認めてもらおう、
認められないと挫折する、鬱になるとか、何か認められないと自分がもう価値がなくなっちゃう、
そういう自己肯定感の低い大人が歓声してしまうと思うんですよね。悪い方向に行っちゃうと。
だから今、自己肯定感っていうワードがたくさん出てくるのはよっぽどこういう大人が多いんじゃないかなって思うんですよね。
これは僕もそうだと思うんです。だからこそ今思ってるんですよね、こういうことを。
だからそうじゃなくて、自分のやりたいこととか個性を生かして、そっちで真っ直ぐ、真面目にひたすら楽しんで生きていくような自由な子がこれからは重要になってくると思うんですよね。
すべて今までの親の育て方や学校の教育や周りの大人たちの考え方、これが今までの積み重ねが今の自分を作ってしまっていると思うとですね、
じゃあこれから自分はどういうふうに背中を見せていかないといけないかな、どういう大人でいようと子供たちに見せていかないといけないかなって本当に思うんです。
39:09
これはすごく大事なことじゃないかなと。
チーズさん、自分軸ですよね。本当そう思うんです。本当に自分の軸じゃなくて他人の軸で、そしてそれがいいって思っている。
はじめまして。略してスタ朝です。スタンドFM、ラジオ朝日製作所。すごいお名前の。ありがとうございます。こんにちは。雰囲気いいですね。フォローさせていただきますのでよろしくお願いします。
ありがとうございます。聞いていただいてたので嬉しいです。ちょっとご紹介させていただきますね。
略して朝です。スタンドFM、ラジオ朝日製作所チャンネル。YouTubeのトムとジェリーの最終話が泣けます。
フォロワーがツイッターは2200人。すごい。2200人。インスタは2100人を突破しました。すごいですね。
インフルエンサーさんですか。アメブロで最新話のイイネ数1105件を突破しました。すごい。そんな方に聞いていただいて恐縮です。ありがとうございます。
いろんな話をしていました。没個性という話ですね。倫理観という名の社会における正しい行いを優先する。個性よりも社会の方を優先する。
こういった考え方がずっとあることで、今僕の周りの会社でのプロジェクトだったり、子育てに関してだったり、介護における状況でもずっと違和感を感じていた。これはなんだろうと思っていたら没個性。
これが全ての現状のように思ったんです。だから全て学校教育や子育て、親からどう育てられたか、周りの大人がどういう人たちだったか、全てこういうことに関わってくるなと思ってたんですね。
でも全て悪いとかそういったことではなくて、学校は素晴らしいところなので悪いわけじゃないです。介護施設も素晴らしいんですけど、周りの社会の行いを優先するんじゃない。
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道徳だったり、個性、一人一人のこういった自分の良心によって善を行うこと、悪を行わないこと、これが道徳の定義のようなんですけど、こういったものをこっちを優先する。
こういう、それを一人一人がですね、それがいいよねってみんなが思ってくれたら、学校のあり方も介護の施設のあり方も会社でのみんなね、発言しない。大人になっても発言しないんですよみんな。
こういう会社での大人しくしてる、そういった大人たち、一人一人が個性とか道徳とかそれを大事にすることができれば、周りが、社会とか学校、会社が変わっていかざるを得なくなると思うんですよね。
そして、そうなった時に第三の選択肢みたいな、フリースクールっていう選択肢もあるよとか、介護、介護も介護保険使わなくても、こういう方法があるよ、生活の仕方があるよ、認知症になってもこういう風に生活できるよ、こういった第三の選択肢が、その価値観が変わってようやくですね、生まれてると思うんですよね。
こういう風に少しずつ変えていかないと、僕はおじいちゃんになって、今の介護の現状、もっと人手が少なくなる、この何十年後かの介護の世界に僕は入りたくない。
この施設、もう学校教育をそのまんままた高齢者になっても持ってきたような、こういった管理された施設には行きたくない。
今のうちから大きなことはできないけど、その考えを発信するだけでもまずは一つ僕の行動かなと思ってるんですよね。
今日はこういった話をさせてもらいました。もうちょっとで終わろうと思うんです。
今、チーズさんお一人になったので、チーズさん、レターありがとうございます。本当にいつも共感していただいてるっていうのがすごく伝わるレターをいただいて、励みになります。
と同時にチーズさんと何か波長が合うというかですね、何かつながるものがあるなーって感じるんですよね。
45:08
でももう子供のことは、ここで言っていいかあれですけど、お互いちょっと心配ですね。
僕の子供もまだまだ熱は完全に治ってないですけど、熱は下がってるけど調子は戻ってないんですよね。
もっといつもの元々の元気な力が湧いてくれたらなぁとは思うんですけど、そっと見守ってるところです。チーズさんのところも元気になりますように。
今日はこれで終わろうと思います。チーズさん、また機会があればコラボなり、何かまたできることがあればいつでもご連絡ください。
チーズさん、長いですね。なかなか治らないですね。そうなんです。長いとつらいですね。回復するまでに、長くきつかった分、回復までに時間がかかるかもしれないですね。
とにかくいい言霊をかけていこうかなと思っております。
ではではご視聴ありがとうございました。チーズさんありがとうございます。
ご視聴ありがとうございました。
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