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どうもボブです。今日も介護のお話をしたいんですけれども、
なんかあの最近ですね、新規で依頼が来てお話しする時に、結構病院からの依頼が多くてですね、
病院を今から退院します、退院してご自宅に帰る、その準備をケアマネさん一緒に考えてくださいということで、
病院に行って病状を聞いて、ご自宅にも行って、ご自宅の環境を見て、これでちゃんと帰れるかな?
環境をもうちょっとね、福祉用具とか手すりつけたりとか、いろいろして整えた方がいいかな?
いろいろね、準備をしていきます。その中でですね、ふとよく思うことがあるんですけど、
病院で見る顔と、病院でその本人さん、利用者さんですね、を見る顔と、ご自宅に一時的に家屋調査といって、
うちでちゃんと生活できるか、一時的にね、病院の人が連れてきてくれる、その時に状況を見るんですけど、
その時の本人の顔と全然違うんですよね。で、やっぱり病院ではやっぱりちゃんと患者になるんです。
患者になりきるんです。うちに帰ればちゃんと家の中のお父さんの顔になるんですよね。
で、その後、デイサービスに行くこともあります。デイサービスに行きました。
デイサービスに行った時の顔はまた違うんですね。デイサービスでの顔になっている。
人はそこの環境に合わせた顔に変わっていくんだっていうふうに最近強く思うんですよね。
病院とかデイサービスとかそういった環境が変わる状況だけに限らず、やっぱりうちにいてもですね、
同じうちにいたとしてもバリバリ仕事で働いていた時の顔と定年退職してちょっとやることもなくなって、
家でちょっと役割がなくなっちゃったよって思いながら、肩身狭くうちで過ごしているお父さんの顔。
同じお父さんでも同じ家にいてもなんかちょっと違うっていう経験見たことありませんか?そういう状況。
やっぱり人はその時その時に合わせた顔に変わっていくんだけれども、それが本当に自分の本当の顔なのかっていうこと。
これがわからないとこなんですよね。
もし高齢者になってですね、今までは強いお父さんだったんだけれども、心の優しい方に限って、そういう人に限って、
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ちゃんとその環境に合わせちゃうので、自分はもうこの程度でいいやっていうふうな自分で自分の仮面を、
顔を変えて仮面を作ってしまって、自分はこの範囲でやっていこうっていうふうに狭めてしまうような方っていませんか?
逆にもう狭めずに年を取っても自分のプライドをしっかり保ちながら行こうって思ってる人は思ってる人で、周りから頑固だとかわがままだとか、
年取ってんのに若い時のまんまと同じで思ってる、分かってないみたいな色々言われるんですよね。
どっちも苦しい。プライドを保とうとしたって苦しいし、プライドをもうへし折って、自分は今までの自分と違うんだ。
もう年取ってこうなっていくんだっていうふうに変えていく自分。それもね、みんなに調和を合わせているからいい面もあるんだけども、
なんか自分これでいいのかってちょっとね、もう諦めてしまう思考になって、どんどんね体も弱ってしまう、心も弱ってしまう。
そういうことって、おー彼少な彼、あると思いませんか?僕は見ていて本当にねこれ感じるんですよね。
じゃあどうしたらいいんだろうなーって思った時に、今までの自分のお役目とか役割と、また年齢によってこう変わってくるものだっていうふうに思ってしまえば、
新たに今までできてたことができなくなるじゃなくて、この境目から新たに自分のやりたいこととか、自分の役目っていうものをもう一度見つけるために出るわけですよ。
そういう感覚でいるっていうのはとっても大事なんじゃないかなって思うんです。そういう方も実際見てているんですよ。
そうしていくと、今の歳で今の体でできることってなんだろうっていうふうに発想すると、それだけで全然違ってくるんですよね。
これ、数比術。僕もね興味があって数比っていうのを見たりするんですね。
青年月日。僕は1984年っていう生まれなんですけど、何月何日ってそれを全部合計して足していくと、自分の今の運命数というのが出る。
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何月何日の何日っていうのは過去生で今まで生まれて、今までの過去から生まれて最初子供の頃ぐらいまで持っている自分の数字っていうのがあるんですね。
それがあって今の運命数、自分のこの人生の中心的な数字があって、その後未来数っていうのがあるんですよね。
それが呼び方いろいろあると思うんですけど、それが何月何日のこの2つの数字を合わせた数字なんですね。
それが未来の。未来といっても60歳以降ぐらいで考えていいと思うんです。
60歳以降から来世にかけて自分のこの数字がこれなんだよっていう数字があるんですね。
ということは数比で言っていることの考えで言うと、ちょうど60とか大体そのくらいですね。
自分のバリバリメインで動いてきた年からまたちょっとステージが変わる。
そういう切り替えのタイミングっていうのはこの数比的にもあるんだよっていうことなんですよね。
そう考えると、今まで現役で働いてきた時と今の自分は運命的な役割とか運命的な働きって違うんだということなんですよね。
僕は運命数が3なんですね。
3っていうのは色々好奇心旺盛で色んなことに手を付けて楽しいとかワクワクしてやっていくのがメインの数字なんです。
未来は8なんですね。
8っていうのはリーダーシップとか発揮してグイグイやっていくようなリーダー的な役割らしいんですね。
全然自分にはその実感はないんだけれども、そっちの方向に向かって今僕は40歳ですけど向かっていってるんだということなんですね。
そう考えると、みなさんね、この数比信じる信じたいはもう限らず、もしかしたらこの役割っていうのが変わるタイミングっていうのがあるんだよっていうことをね、もしかしたらそんなのあるかもしれないと思えば、
じゃあ、今何をやりたいか。
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それが別にデイサービスとかそういったことじゃないかもしれない。
何か他に趣味だったりとか、今の体でできる楽しみ、最大限の楽しみをやる。
これ障害がある人だろうが高齢の方だろうが、今この瞬間を最大限幸せに生きるにはどうしたらいいかっていうのをただただ常に考える。
これはもう全員が一律同じ条件だと思うんですよね。
今いろんな場所で変えてきたこの仮面、顔が変わるって最初言いましたけど、ある種本当の顔は中にあって仮面を変えてきてる。
そういうイメージだと思うんですよね。
いろんな仮面を変えながら被せてきた。
でも本当の本当の自分は何を求めているんだろう。
ということで何かこれって直感で一番自分が感じることだと思うんですけど、何か違和感がある。
何かこれじゃないっていうのを周りが進めるから仕方なくやるっていうことは多いと思うんだけども、
そうじゃなくて何かこれやってみたいなっていうのを抑えずにやってみる。
やってみた時にあって思った時はもうそれをねちょっと続けてみるっていうね。
何かこう直感に従いながらこれはどうしてもちょっと肌に合わない。
こういうのをなるべく避けていくっていうことをやってると、
もしかしたらケヤマネさんやいろんな介護の人たちから頑固だわがままだとか何かいろいろ言われるかもしれないんだけども、
でもそれでいいんだと思うんですよね。
それは自分にしかわからない。他人にはわからないことなんですよね。
今までのとりあえず病院で入院中にじゃあこうじゃ言われて、こうしないといけませんよって言われてきた。
一旦それはそれで受け止めておいて、
じゃあ自分はどんな生活したいのかっていうのをちょっと感覚的にね、
いろいろケアマネージャーとかにもね本当はこうしたいんだっていうのを教えてもらいたいなとは思うんです。
そういうつもりでねいろいろこう提案をしたりとか聞いていったりしてるつもりなんですけれども。
必ずしもね退院して何かでサービス使わないといけないとかそういう提案って多いんですけど、
それじゃないちょっとね自宅での役割、鼻に水をやるとか今までやってなかったけどちょっと洗い物をしてあげるとか洗濯物を畳んであげようとか、
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どうせ家にいるんだったら、男子はもう台所に入らないなんて、そんなのは働いてる時の話で、
暇になったんだったらもうやってもいいじゃないかよっていうことなわけですよね、何のプライドですかと。
でもそれじゃなくても、会いたい人やりたいことがもし別であるんだったらそれやればいいし、
何かねこういろいろチャレンジしてみる。
高齢になってからこそチャレンジしてみる。
そういうのを直感で動いていかないとエンジンかからないんですよね。
何せ動き始めが一番エネルギーかかるんですから。
だから最初ちょっとねせっつかれながらでも動いてみてもいいかもしれないんですが、
でもやっぱりちゃんとやるかどうかは自分で決断をするっていうことがとっても大事だと思います。
何の話してたかわかんないですけど、何か伝えたいことは伝わったでしょうか。
いろんな、みんな仮面をかぶって人は場所で顔を変えていくんだ。
でも本当の自分を今役割が変わったタイミングが今来ているんだと思いながら、
何かにチャレンジしてみるということをやってみるというのは大事かなと思いました。
ただね、どうもこうも今までの病気とか入院生活での苦しみとかいろんなので、
動く勇気というのがへし折られてしまっている状況の方もたくさんいます。
こういうのはやっぱりね、アドラー心理学でいう勇気づけのアプローチって言って、
縦の関係から横の関係に切り替えて支援者は本人の本当の気持ちとかを引き出していくような
関わり方をやっていくのがとても大事なんだろうなと思いました。
ということで、またタイトル何にしようかなと思いながらですけど、ご視聴ありがとうございます。