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2022-04-27 16:55

【心理】倫理観という「縛り」

ボブです。
倫理とは、社会における正しい行い、善悪の基準
つまり、社会秩序のためのもの。
デメリットは正義と悪の争いを生む、劣等感を生む、個性を失う、個人への介入…

介護で苦しむ家族、家族関係の悩みなどいろんな問題の原因になってる気がします。
#介護 #ケアマネ
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00:05
どうも、ボブです。今日はですね、倫理観という縛りという話なんですけど、
これ最近ふと思ったことなので、あくまで個人の僕の考えということでお聞きいただければと思います。
最近ですね、いろんな場面でこの倫理観というものが、
自由な考えとか、自由な発想とか、気持ちを縛ってるっていうふうにすごく思ったんです。
この倫理観っていうのは大事だと思うんです。大事だと思うんですけど、これがあることで、これを守っていない人がいたとしたら、
集団でそれを責めるみたいな、そういうのがあったりしませんか。そしてこの倫理観というもの、目に見えないこの倫理観があることで、
自分はこうしないといけないっていうのに押しつぶされるパターン、こういうのもあるんじゃないかなと思うんですよね。
例えば、ゴミのポイ捨てとか、これダメですよっていうのも、これは倫理としてあるんじゃないかなと思うんです。
いいことだと思うんですよね。あと、浮気はダメですよとかですね。
そういうのも、みんなの価値観としてそう思っている分には別に悪いことではもちろんないでしょうし。
今ここでね、倫理観というのが縛ってるんだっていう話を今、僕はしたいと思って話してるんですけど、ここでその一つが浮気とかの話ですよって言ったら、浮気を肯定するんですかっていう話になっちゃうかもしれないんですけど、そういうことを言いたいわけでは全然ないんです。
浮気はダメだとは思ってるんですけどね。でもこういうですね、目に見えない、みんながこうだよねって思っている常識的な、その倫理的な、守らないといけないよねっていう部分、こういう浮気とかポイ捨てとか以外でもですね、
例えば、これちょっと種類違うんじゃないかなって思うかもしれませんが、その結婚とかですね。結婚、何歳までに結婚してとか、子供を産んでとか、こういうのもこれ倫理とはちょっと違うと思いますよ。でも縛っているみんなの共通概念みたいな、そういうふうに思っていただければいいんですけど、
結婚しなければいけないとか、あと縛っているものは家族的な関係ですね。これも、長男だからあんたは家を守っていかないといけないわよとかですね。そういう部分もこれ縛りの一つだと思うんですね。
03:17
調べてみたんです。倫理ってそもそも何ですかっていうことですね。倫理とは、善悪を決める基準、社会における正しい行いですね。これが倫理というものです。秩序に対する考え方なわけですね。
ただ全ての行いが、やっぱり法律に決められているわけではないので、みんなの共通観念としてですね、この善悪の決める基準としてこの倫理観というものがある。これ非常にわかるんです。
ただこの倫理っていうのは、もう社会全体、社会における正しい行いということで、社会全体のためみたいな感じですよね。さっきの長男だからこの家を守っていかないとみたいなのも、これは家族単位の話ですね。
家族という社会の秩序のための倫理観ですよね。正しい行い、善悪の基準なわけですよね。それに対して道徳っていうのは、ほぼほぼなんか似てるんですけど、道徳の場合は自分の良心、良い心ですね。
良心によって善を行うこと、そして悪を行わないことなんです。ニュアンスはほぼほぼ一緒なんですけど、ちょっと違うのは、社会全体のためとかいう部分ではないんです。あくまで自分の良心によって善悪を判断することですね。善悪の基準。
自分が単位なんです。社会のため、家族のためという部分はそこにはないんです。人として、自分個人としての善悪の基準が道徳という部分なんですね。
なので、基本この道徳っていう部分を基準としていけばいいとは思うんですけど、この倫理観、全体の秩序を保つための善悪の基準ということになってくると、なんかね、ちょっとおかしくなってくる部分があるんじゃないかなって思うんですね。
06:04
今、僕は介護の仕事、ケアマネージャーの仕事をしているんですけど、よく出くわすのが、家族だから親をずっと見ていかないといけないっていう縛り。
嫁だから旦那を介護しないといけないという縛り。
そして、緊急時とかにですね、何が何でも命を助けないといけない。それがたとえ寝たきりや植物状態になったとしてもという縛り。
あと、家で過ごしたい。だけど、周りの近所の人たちとかが困るから、周りの秩序のために入院させないと施設に行かせてください。
本人の望みじゃなくて周りの望み。これが倫理観というかですね、周りの秩序のための判断。
ということが、この介護医療の現場の中でよく見られるなって思うんです。
ただ、周りの社会のために、そして命を守るために仕方ないでしょう。そういう判断ですね。
これが善悪を決める基準に、この倫理観の中ではなっているとしたら、本当にそれ本当ですかって思うんです。
逆に、この倫理観に外れたことをやってしまうのが、周りの支援者とか周りの人たちは怖いんですよね。
それ守らなかったら、自分に責任もかかってくるっていうその責任問題。それがまた怖いんですよね。
そもそも、社会にとっての社会のための善悪という考え方って、善と悪で対立することになっちゃうんですよね。
もしかしたら、この倫理観って対立とか、不満だったりとか、仲間外れとかですね、あと劣等感、そういったものを生み出すものになってしまってるんじゃないかなって思うんです。
良かれと思って、社会全体を保つために作ったこの倫理観が、こういった争いの種だったり、価値観の合わないバトルですね、こういうことを生んでる。
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一つの例としては、やっぱりマスクがあるんじゃないかなと思うんです。
マスク、みんなした方がいいよ、みんなで予防しようよって言ってますけど、デイサービスとかでもよくあるんです。
認知症の方がマスクを着けてない、言ってもやっぱりわからないので着けなかったりする。
それをね、マスク警察の他の高齢者がいるわけですよ。
マスク警察の高齢者が、もうその人をね、もうどうにかしてくれ、この人は早くここから追い出してくれ、どうするんだって怒って対立して争って、そういうことがあったりしました。
これは良かれと思って言ってるわけですよね。
みんなその社会を保つために、この人一人が守らない、ルールを守らない、そういう人がいたら排除しないといけない、そういうふうに思考が働くんですけど。
でも、もし、これは倫理観の中でその善悪の判断ですけど、
今、諸外国、海外とかマスクガンガン外していってますよね。
で、日本は今こういう形を継続してますけど、日本人は多分このまま行くんだと思います。
それは良いんですけど、本当の本当、この倫理観の概念さえなければ、争うほどの出来事じゃないかもしれないんです。
海外マスクしてないんですよ。
それで、ここではそうしている、こういうルールなだけで、
ここまでそのマスクしてなかった人が周りから責められて怒られて、しかも認知症があるから理解ができていない、悪気があってしてるわけじゃない人が、
ここまで言われて怒られて傷つけられないといけないのか、そういうふうにちょっと思ったりするんです。
こんな倫理観なんて社会のための基準、善悪の基準なわけだから、社会の全体の考え方が変われば、この基準なんてコロコロコロコロ変わるものなんですよね。
でもマスクしないのが当たり前ですよって、もしなったとしたら、後々なったとしたらですね、この人の傷はどうしてくれるんだ、みんなから責められて怒られて、この人の傷は誰が責任を持ってくれるんですかね、逆になっちゃうんです。
12:01
そのマスクが云々じゃないんです、今回の話は。
この倫理観というものって、もしかしたら個人への介入じゃないかなと思うんですね。
アドラー心理学とか他のいろんな考え方でも、個人へ何か介入、周りから介入することって、これ良くないことですよって言われるんです。
何か困ったことがあったら援助するっていうことは支援者として大事なんですけど、介入する、本人をね、これ強制的な働きなんですね。
この介入すること、これがいろんなもののストレスの元凶になっているような気がするんです。
芸能人が浮気したからって周りがやや言う必要ないじゃないですか、本人たちの問題なのに、周りは倫理観という盾でですね、みんな攻撃するわけですよね。
家族が必ず介護をしないといけないという倫理観のせいで、家族はもうすごく潰されてしまうんですよね。
それが当たり前なんだ、もうそうしか方法がないんだっていう、狭めてしまう。自由な発想も方法も浮かばなくなってしまいますよね。
家族はこうあるべきだということで苦しんでる人がどれだけいることか。
この倫理観というもののせいで、個人の道徳というものそのものも歪められているような気がするんです。
人に悪い言葉使っちゃいけませんよって言いながら、この倫理観があることで人に悪いこと言ってもいいんだっていうような考え方にすり替わってしまいそうで、戦ったりね、そんなことしたらいけないわけです。
善と悪を明確に分けてしまうこと、これが善ですよって決めてしまうこと、これが本当にむしろ良くないことじゃないかなと。
そしてこういう倫理観はあくまで社会全体の秩序のため、個人のためじゃないんです。全体のためなんです。
だからその全体のために個人がどんどん苦しい思いをしていくっていうのは、これは本当にいいことなんでしょうかということですよね。
もしかしたらこの倫理観とかいうようなこういう秩序というのはですね、このただただピラミッド型のこの社会、これを維持するための手段だけなのかもしれない、そういうふうに最近思うんですよね。
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企業倫理とかもありますよね。これもこの会社の組織のためのものであって、こういうことでこれをピラミッドを保つ、そういうためのものということで、じゃあ人として本当に大事なものなのかといったら道徳が大事なんですよね。
これを正義と悪のための盾に使っちゃいけないんですよ。倫理観なんてものを。
あ、しまった。長くなっちゃいました。ついつい話しちゃったんですけど、なんかおかしいな苦しんでるのはなんでだなんでだなんでこの人苦しまないといけないんだと思ったら行き着いたところが、この倫理観という縛りだったのかもしれないって思ったのでお話をさせていただきました。
ちょっと解釈いろいろあるかもしれないので、不快に思う方もいるかもしれませんが、あくまで伝えたいことは倫理観が良いとか悪いとかではないんですけど、困ってる原因はこういう部分にあるのかなってちょっと個人的に思いましたというお話です。
ではではご視聴ありがとうございました。
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