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2025-01-24 28:37

リノベの時間2023.10.12:株式会社ワークヴィジョンズ 代表取締役 西村浩

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ゲストは、株式会社ワークヴィジョンズ 代表取締役 西村浩さんです。

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 建築家/クリエイティブディレクター 東京大学工学部土木工学科卒業、同大学院工学系研究科修士課程修了後、1999年ワークヴィジョンズ一級建築士事務所(東京都品川区)を設立。 土木出身ながら建築の世界で独立し、現在は、建築・リノベーション・土木分野のデザインに加えて、全国各地の都市再生戦略の立案にも取り組む。 2014年には佐賀市呉服元町に同社佐賀オフィス兼シェアオフィス「COTOCO215」を構え、2020年にはベーグル専門店「MOMs’ Bagel」の事業主となり、 マイクロデベロッパーとしても佐賀のまちづくりにも取り組んでいる。 岩見沢複合駅舎(北海道岩見沢市)では、日本建築学会賞(作品)、2009年度グッドデザイン賞・大賞等受賞。 近年では、神水公衆浴場(熊本市)にて、2021年度グッドデザイン賞・金賞、日本空間デザイン賞2021の最高賞KUKAN OF THE YEAR、10数年に渡りエリア再生に取り組んできた佐賀市呉服元町では、2021年度土地活用モデル大賞/国土交通大臣賞など、分野を超えて数多くの受賞歴がある。

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是非お聞きください!

00:00
株式会社ワークヴィジョンズ 代表取締役 西村浩 今晩もリノベの時間をやっていきたいなというふうに思っております。
先週に引き続き、建築と土木の二刀流だったですね。それから町づくり、拠点、これも二刀流っていうね、西村さんの話を聞きたいなというふうに思います。
先週は、過去だけの話だったので、今週は未来について話を聞かせていただきたいなというふうに思います。
それではタイトルコールいきます。
リノベの時間!
この番組は、窓察し断熱計算でおなじみの桜東洋重機株式会社と、建築建材といえば株式会社リクシルの提供でお送りします。
はい、こんばんは。大阪港区でリノベーションをやってます。美想空間大島です。
こんばんは。アシスタント野本です。
よろしくお願いします。
頭ぶつけてましたね。
ヘッドフォンが取れ落ちた。
ああ、なるほどね。そういうハプニングも含めてね。
多分、今週も僕、鼻声が続いてるかなと。ちょっと聞き苦しいかも。聞き苦しいかもですけど。
よろしくお願いします。
お願いします。
この番組は、全国のリノベーションと町づくりで活躍する多彩なクリエイターや事業家をゲストにお招きし、トークセッションでお送りする30分です。
ご紹介お願いします。
はい、それでは早速今日のゲストをご紹介します。株式会社ワークビジョンズ代表取締役西村博さんです。
どうも。こんばんは。
引き続きよろしくお願いします。
早速であれなんですけど、先週、ちょっと僕思ってたのと違ったところが、二刀流みたいな表現をしてましたけど、
建築と町づくり、東京と佐賀っていう二拠点でと思ってたんですけど、そこに土木っていう概念をめちゃくちゃちゃんとやったっていうところがお話をお伺いして、
その土木が町と建築の間のコネクトになったっていう話をお伺いしていました。
学生に向けてめちゃくちゃ聞いてもらいたいなっていうことを言ってたんで、ぜひアーカイブを聞いてもらってですね。
そうね。
生産に向けてね。
いいこと言ってるね。
あれはいいことやったっすね。
アーカイブ聞かないとね。
ありがとうございます。
今週は直近に至るところまでとか、今やってらっしゃるので、結構フィールドとして佐賀とかエリアのこととかめちゃくちゃやってらっしゃったり、リノベーションの領域に入ってらっしゃるかなと思ってて、
その辺のきっかけやったところみたいなのをもうちょっと聞きたいなと思ってるんですけど、明確にこれだってあるんですかね。
03:04
あるよ。
あるんですね。
僕は先週話したようにね、建築と土木のものを作る、かっこいいの作るとかさ、そういうのを目指していたんだけど、それはそれでね、すごい意味のある仕事で、作るんだったらちゃんとかっこいいものとか美しいものとか使いやすいものを作るんだけど、
でも初めて僕がいわゆるリノベーションみたいな人たちと出会ったのが、鹿児島で2010年だったかな、2009年か、リノベーション進歩っていうのが行われたんですよ。鹿児島のあるデパートのオープニングみたいな時にね。
で、その時に初めて大島さんとか、あの時にみんな初めて会ったのよ、大島さんとか竹内さんとかもいたし、あの時は山崎龍もいたな、なんかそういうババさんとかもいたかな、みんな初めて会ってて。
リノベーの
今みんな集まってる人たちが初めて会ったっていう。
みんなが?
みんなが集まって。
その時は?
そうそう。で、そこからなんか変な人たちだなって思いながら。
その時はまた建築土木をゴリゴリの時ですね。
ゴリゴリの時、そうそう。岩見座の駅とかを作ったね、それでいろんなショーもらったり。
結構イケイケの時ですね。
そう、イケイケの。俺スター建築家になれるかもしれないと、俺が思ってた時。で、その時に初めて会って、大島由悲子とかにね、この番組出たね。で、会ったんだけど、大島由悲子があの時俺を見て何と思ったかって言うと、なんか嫌な奴来たなって思った。
今でも言うけど、なんか嫌な奴来たなって思ってたらしいんだよ。
で、ちょうど僕あの頃サーフィンやってたりして。
あ、そうなんですか。
そうそう。で、今はもうやってないけど、もう髪の毛とかさ、金髪になってて。
建築が焼けてて金髪嫌ですね。
確かに。
そう、フェイスブックとかツイッターの写真がさ、なんか青空に白いTシャツで、こう色々黒いやつがいるんだよ。
意外。
で、大島由悲子がすっごい嫌な奴来たなって思ってたっていう。
で、その時に初めてみんなに会って、全然わかんないしリノベの世界とか。
で、そっから北九州のリノベーションスクールとかに展開して行くんだけど、その時にユニットマスターをね、してくれっていうことでユニットマスターになったの。
北九州のリノベーションスクールで。第何回だったか忘れたけど。
で、その時に僕はただリノベーションスクールのユニットマスターで行ったんだけど。
で、スクールってさ、レクチャーがあるじゃない。講師の先生だったの。で、いろんな先生の講師聞いて、すげえなって思って聞いてたんだけど。
で、ババさんのレクチャーがね、その日ある。楽しみだなって思って。知ってはいたんだけど、ババさんのことね。
で、思ってたら、ババさんが急になんか変えなきゃいけないって言ってるって。で、僕のとこにスタッフが来て、西村さん、すいません。あと3時間後なんですけど、レクチャーしてくださいって。
06:06
リノスくんっぽいっちゃっぽいからね。
で、そこで初めて僕はレクチャーをするんだけど、その辺からだんだんその人たちのレクチャーを聞きながら自分の思考が変わっていくわけ。
で、初めてそのスクールに行ったときに、あの清水よつぐさんっていうじゃない。あの大先輩が飲み会のときに、初対面だよ。横に座ってて。僕に何言ったかっていうと、西村さん、飲食店やりなさいって。
で、ここでつぶやくんの耳元で、このおじさん何言ってんのかなって、俺建築家だと思ってるからって言われて、でもちょうどそのときに2014年だけど、佐賀に事務所をね、構えようかなって思ってたんですよ。
それなんとなく。
うん、だし町にちょっと関わってたの。ワイワイコンテナっていう。町に芝生張ったりするのに関わってて。で、まあ色々付き合いも長くなってきたから事務所構えようかなと思ったときに、その事務所ビルを借りるんじゃなくて、自分でそのコンテナをサラチの借りてね、借地してお金払って、今でもそうなんだけどコンテナ、銀行からお金借りてコンテナ置いて、自分のオフィスとシェアオフィスを作って、そこでカフェもやりながらその飲食店やりなさいっていうの。
まあ要は自分でリスクを負って、投資をして、回収して、町に貢献するみたいなことをちゃんと経験しなさいみたいなことだと思うんだけども、まあそれで初めて投資をしてね、事務所とシェアオフィスとカフェをやるっていうことに踏み込んだんだよね。その辺からちょっと面白くなった。
それ一番最初って何年くらいですか?
佐賀に関わり始めたのが2010年とか9年とかなんだけど、2011年くらいから佐賀の街中の空き地に芝生を張ってコンテナを置いて、子供たちとかお母さんたちが来る街になったらいいなみたいなチャレンジを始めた。
それを建築家の立ち位置からそれをやっていた?
そう、佐賀市さんから、まあ元々は僕の記事が載った佐賀新聞、岩見沢の駅の記事が載って、その最後に佐賀新聞の記者さんがね、佐賀の街が錆びれてるからふるさとだし、将来そこが元気にする仕事をやりたいなみたいなことを書いてくれたわけ。
そしたらそれを見た地元の住民の人が電話してきて、市民の人だよ、東京の事務所に、すみません佐賀市民なんですけど、僕も街なんとかしたいと思ってるんで一回来てくださいって言われて、市民に一回来てくださいって言われても金どうするのかなとかさ、交通費どうするんだろうとかいろいろ考えてたんだけど、まあいいかと思って行ったんですよ。
そしたら一年間ぐらいは月に一回ぐらい飲んでるみたいな、財がずっと続いて一年間ぐらい。そしたらだんだん仲間が増えていくじゃない、新しい人が来たとか市役所の人が来たとか県の人が来たとか、だんだん知り合いになった先に佐賀市さんから街をなんとかしたいんだと。だからなんかちょっとアイデア欲しいって言われて、わいわいコンテナっていうチャレンジを始めたんだよね。
ちょっと話取れちゃうかもなんですけど、めちゃくちゃ聞きたいんで、裏切りの上で聞いた方がいいかもなんですけど、街づくりって結果になっていった、今の話って行ってずっとやっていった結果、街づくりになっていってるじゃないですか。っていう考えと、こうなる方がいいよねを考えて逆算していくって両方あるかなと思うんですけど、
09:26
西島さんちなみにどう考えてあるんですか。
人によってやり方ちょっと違うんだけど、僕は割と仮説は立てますね。ただし、仮説も時代が人口減少の時代になってるから、今までやったことない仮説。
佐川の空いてる土地をみんな緑にしようって言って、駐車場を緑に塗ったっていう人の土地を。こうなったら街は良くなるっていう仮説を立てて、それを実現するためにどうしたらいいかってチャレンジを今でもずっとやってるっていう。でもそれを目指してるけど、一個一個やることはその場その場なんだよ。今年これやったから。
俯瞰で見たら、それが点と線的な面になってたよねっていう結果になってるみたいな。
たぶんその通りにはならないと思うけど、そこでやろうとしてたことが何か違う形でも実現できればよくて、その仮説に向かって何か一つずつチャレンジしていくっていう積み重ねをしてるんだよね。
その話続きを裏に述べて聞きたいですね。これたぶんそれで終わってしまいそうなんですけど。今ちなみに身体の時間軸で言うと、建築、東京、土木、街づくり、佐賀、時間の配分ってどんなんなんですか?
東京にも佐賀にもいないっていうのが現実なんだけど。いろんなところにいるんだけどね。土木とか建築とかリノベとかいうジャンルの割合どうですかみたいな話ってよく聞かれるんだけどね。だんだんね、最初はそう思ってたのよ。土木が仕事が増えると食えていくかもしれないみたいな。思ってたんだけど、だんだんその感覚がなくなっちゃうのよ。
なんでかっていうと、僕は佐賀市さんに本当に街をなんとかしたいって頼まれたことが大きいんだけど。だって普通だったら建築家だよ。岩見沢でいっぱい賞を取ったスター建築家になりそうな卵が佐賀出身で。で、呼んだらさ、普通さ、イベントホール作ってくださいとか、普通頼む。コンサートホール作れとか。
設計しろみたいな。 設計しろって言うじゃん。一言も言わないの。街をなんとかしてくれ。なんだその場所。だから良かったの。だから僕はいきなり作るというよりも、街なんとかしてくれってどういうことなんだって言って、なんだこの子どももお母さんもいないし駐車場だらけの殺伐した街に、なんか街中居住とか行ってるし住めるわけねえだろみたいな。で、そこの疑問から始まっていて。だからいきなり作ることじゃなくなっちゃったのよ。
12:03
それ依頼があったのは2014年5年くらい? いや2011年だね。2010年。 もっとほんならリノスクの前ってことですね。 そう芝生ったのはね。別にリロベーションとか思ってないよ。全く。
そこって誰かも言ってたんですけど、結構建築ずっとやってきて、その界隈のそれこそ大島さんとか馬場さんを見ると、なんやとこいつら。この生存力というか、あるものをなんとかして形にしていく力みたいなのが街の人、参加する人、みんながちょっと思ったことないこれ。なんなんこれ。からみんな結構深く入っていったみたいなんで。
そんな感じだったんですか? そうなんです。割と定型ってあるのよ。さっき言った土木だって標準設計がありますとか、街作りの方法って国の事例の中にこんなのがありますみたいなことをみんな真似してるわけ。だからどこも同じことしてて。同じじゃないんだよ街って。社会状況もすごい変わってるし。ずっと右肩上がりの時代だったら通用したかもしれないけど、同じ手法でやってきてるから。
でも右肩上がりが下がりになって劇的に社会の価値観が変わろうとしていて、IT技術も劇的に変わっている中で、同じようにはいかないわけですよ。だから今まではある事例の中に答えがない。だからもうちょっと純粋にこの街とかこの状況を見て、これどうやったらうまくいくんだろうって考えてる人たちが、さっき名前が出たこの辺にいる人たち。
だから突拍子のないことも言うわけ。でもそれは突拍子もないっていうのは、みんな見たことがないし、社会も変わってるから突拍子もないのが当たり前で。でも普通に冷静に考えたら、その状況から言うと突拍子もなくなるよねっていう。だからそこが面白いんだよ今。
だからそこが見出せると未来が見えると思うんだよね。だから僕はいろんなジャンルを回ってきてこうなってるじゃない。それがだんだん境界がなくなってきたっていうのは一つなんですよ。土木も建築もリノベーションも。だから仕事を頼まれた時に僕どっから入ってもいいと思う。メディアも含めて。これ情報発信からやった方が良くない?みたいな。
そのサイクルの中にひょっとしたら道を整備した方がいいっていうこともあるし、いやあの建物リノベーした方がいいよっていう。面白い人いっぱいいるし、みたいな状況になるかもしれないし。いやいやもうでっかいコンサートホール作った方がいいよとかに答えがなるかもしれないし。僕にとってはどれでもいい。
でも新築、イベントホール新築っていうリノベーと違うよねって言われちゃうかもしれないけど、よく言うのはでも街全体で見ればリノベーじゃないですか。このエリア全体をどうしようかっていったところの新築っていうツールを使ったところと古いビルを使って若い人たち集めて面白いエリアを作ろうっていう起点が起こったことは一つの街全体で見ればリノベーなんだよ両方とも。だから僕どっちでもいいと思う。
15:09
なんかあの今話聞きながらふっと思ったんですけど、僕よくその建築リノベーション建築塾で宅建業もやっている企画の会社もやっているので、この3つがあるから割と一つでうちだけでいろいろできるから重宝されるんじゃないですかって思ってたんですけど、道は考えたことなかったですね。道をどうするって発想になかったんで。
だって今は社会はウォーカブルって言っていて、でもウォーカブルは道の話じゃないんだよね。道に特化すると道を歩きやすくする話じゃなくて暮らしやすい街を作るのがウォーカブルの中のツールの一つが道なんだけど、まあだから道っていうのは結構車だらけの街中をいかに小っちゃい子供でも安心して歩ける道に変えていくかみたいなことは今まさに社会の中で。
だから世の中でなんでこの建物こんなにしたらいい感じになるやんかっていうのが分かれへんっていう人の気持ちが分かんなかったんですけど、多分道のこの設想してる道を変えるって。
だって南部の駅前やってるのはそうだよ。
まあまあそうですよね。どっから着手して何に誰が何をどうしたいかが全く分かんないですね。
それはね経験がいる。それはねやっぱり土木の世界とか行政といかに付き合ってるかとか行政の発想とか思考とかその上に政治家がいるから。その辺まで分かってるといいところに点を打てるのよ。攻めるんでね。
それを知らずにやると結構なんか変なとこに突っ込んでいっちゃうかもしれない。
道ってでも確かにそうですね。全く考えたことなかったっすわ。
エリアリノビをやるときにね。例えば一つの建物をやるってちっちゃな点じゃん。そっから波及させていくって結構大変なんですよ。
で公園っていうのもあるじゃん。公園もちょっと大きな点なのよ。これもその周辺ぐらいは良くなるけど波及させていくのは結構難しい。道ってさ長いじゃん。
この道が例えば200m変わると200mのエリアの沿線が変わるからかなりインパクトでかい。だから道が変わるって多分街の価値がガラッと変わるっていうか。
なんか道を触るってなるといろんな人出てくるなっていうイメージがやっぱりあって。
それは出てくる。
なんか出てくるじゃないですか。
出てくる。
例えば道を止めてなんかするっていうだけでもいろんな人出てくるじゃないですか。
そうそう出てくる。
難しいんすよねきっとね。
だからなんだみたいなのってもう長年やってるから合意形成できてるけどすごい大変だと思うよ。
いや最初大変やったでしょ。
そうそう。でも僕はその道をやるんだけど何百mも続いてるじゃん。もう何km道って続いてるんだけど一遍にやらなくていいのよ。
例えばね30mでもちっちゃい例でも変わるとそこに風景見せるのよ。こうなるんだ道車止めるとって。
18:05
そうすると隣がやりたいって言うのよ。
ちっちゃいできるところからやってその風景見せて隣がやりたいっていう状況を作っていくっていう。
今そんなんて取り組んでる事例ってあるんすか。
あるある。
道軸でどうなんすか。
いやだから長野県の作詞っていうところで元々昭和の時代に区画整理で作られたたまたま福井18mの歩行者専用道路っていうのが。
18m?
駅から繋がってんの。そこが横の建物が当時はみんな入ってたんだろうけど全部廃棄。
でこの街何とかしたいって言われた時にいやこれはビルに誰かを入れるっていうことの前にこの既にある人がある。
誰もいないけどボロボロになってるけどこの歩行者専用っていう価値をもう一回楽しめる状況を作ったら横に入りたい奴絶対出てくるぞって。
いうので社会実験を実はもう1年ぐらいやってんだけどみんなで人工芝張ってさテント出してさ。
お座りたくなるようなソファーとか置いてやったらもう子供とかがもうゴロゴロ死にくるわけお母さん連れて。
そうすると最近起こってんのは横のビルにすごいなんだっけ化粧品屋さんが入ったり飲食が入ったりどんどん埋まり始めてる。
人工芝張っただけですよ。だから道の価値をみんなボロボロでダメだと思ってるんだけどいいじゃんって見立てるようになると横に入りやすい。
だから建物に延べとドーボックの空間って接してるじゃないそれって両方で存在してるんだよね。
どっちかがいいわけじゃなくて両方が良くなる影響しながらやってるから道を変えるだけで横のビルの価値が変わるんだよね。
ちっこうエリアっていう大阪市の人工埋立地に僕ら本拠地を置いててそこの人工言うてももう明治とか江戸に埋立てられたところなんで島一応島なんですけど。
そこに商店街があってそこも今歩行者時間決められてるんですよそこを今なんとかしようと思って地元ではそれを活動してるんですけど
その道のアプローチっていう考えは一切してなかったんですよね。
したほうがいいよ。
絶対やったほうがいいですよね。
とにかく社会実験でいいので圧倒的な風景作ったほうがいいよ。
道が芝生になったらこんななっちゃうのみたいな。
いや本当に想像できてない。
で仮にここ全部1日でいいから芝生になりましたってなったら多分これいいわって。
みんな心揺らぐと思うよ多分。
でそこから始まる話はどうしようって。
ちょこちょこやってもあんまりいいと思わなくて。
21:00
圧倒的な風景を見せるっていうのはすごく大きい。
そういう意味で土木の空間っていうのはスケールもでかいし。
確かに。
それ変わるだけで街の見立てはすごい変わっちゃう。
なるほど。
冒頭一番最初に山戸郡山で事前講義をしていただいた時の事例のお話の中に
公園駐車場でしたかね。
神光芝市でっていう話をされてたんですよ。
それ聞いた時はあんまピンと聞けなかったですよね。
ただ今話を聞くとめちゃくちゃピンとするんですね。
全然違うよ。
圧倒的景色を見せて体感させるってことですよね。
でもそこには前回話したようなディテールの話とかあんまなくて。
圧倒的な風景を変えることが大事でそれによって横の不動産の価値を上げるっていう
全くその設計の話とかディテールの話とか出てこない。
でもその先にリノベーション始まるからディテールの話とかハードな話が出てくるんだよね。
結局そのサイクルの中で僕らは仕事してるから
さっき言ったように土木から入ってもいいしメディアから入ってもいいし
どっかから入ることによってこのサイクルを回すっていうのが
たぶん僕らの一番最初の仕事なんですよ。
でもその仕事がすごい多いのよ。
回り始めるといろんなことが連鎖的に起こり始めるから。
同時にいろいろやるってなるとプロジェクトを自分でやるってなると限界あるじゃないですか。
それはどう管理してるんですか。
他の町だと主役になるのは僕じゃないのよ。地元の人なんですよ。
だから地元の人をとにかく連れてくる。お前らがやれって言って。
とにかく多く集めるとかやめてください。行政とかにね。
たくさん来るとかやめてって言って。やりたいやつだけ集めるんですよ。
でさっきの作詞のやつも6人ですよ。6人だけと話して。
プロジェクトこうやろうねって言って。そうすると早いのよ。やりたいこともあるし。
バッとすぐ動く。そしたら市長に怒られるんだよね。
お前そんなんで合意形成したって言えんのか。めちゃくちゃ怒られて。
行政っぽい発言ですね。
でも6人で始めて風景変わってお店出したい人が出てきたときにどうなったかって言うと
次ワークショップやるとめちゃくちゃ集まるの。やりたいですって。
でそれ市長見てめちゃくちゃ喜んでるみたいな。ほら言ったでしょ。
最初に100人とか集めてやるともう揉めるのよ。ただただ意見を言い合って終わるみたいな。
そういうのは動く人だけ最初。
それどのエリアもそういう設定であったんですか。
ただ僕はなんでそれを依頼されるかっていうと佐賀で自分でリスクを追ってやってるから。
佐賀は僕の実践の番。当事者として。だから今日話せるかどうか分からないベイグレーさんやってるでしょ。
あれも僕事業主だからね。ベイグレーさんの。
子供とお母さんが働く、お母さんたちが働ける場所を作るっていうコンセプトだから。
24:02
でそれを自分で投資をして回収しながら街の風景変えるっていうことを実践してるから他の町から依頼が来て。
でその時いつも言うのは僕じゃないですかねやるのって。僕はふるさとだからリスク追って僕はやるけど
人の町で自分が何千万も借金したりしてやることは絶対ないですと。
だからやる人を見つけましょうって言ってやる人に。
その時の立ち位置って何になるんですか?コンサルっぽい立ち位置ってことですか?
まあそうだね。どっちかって言うとプロデューサー的な。
プロデューサー的な。もう一個聞きたかったんですよ。
クリエイティブディレクターっていうこの名前あるじゃないですか。これはそっちの領域でクリエイティブディレクターってことですかね?
結局僕は建築家で始めたわけよ。設計するぞみたいな。
始めたんだけどだんだん中身がないと作ったって意味ねえなってなったじゃん。箱物批判とか。
いやまさにそうなのよ。中身ねえのにホール作るとか言うなみたいな。
そう思った時にこれ俺らが中身考えないとハード作っちゃいけないなと思ったの。
で作る気もしなくなったの逆に。
なんかなんでこの箱作るんですかって聞いちゃうっていうか。
普通だったら一級建築事務所はありがとうございます設計しますって設計するんだけど
いやもう全然作り気しねえわって言って。デザインをどうしていいかもわかんないみたいな。
なので中に関わるっていう。でクリエイティブディレクターっていう肩書きをつけるようになったっていう。
意味と価値があるものを作るんだったら建築家西村が出てくるみたいな感じですね。
出てきて設計をするっていう。
あーむちゃくちゃ腑に落ちる。
それしかないよ。
でっかいもん作ったことないんでね。やったらなんか変わるんすかね。
僕佐賀でアリーナサンライズパークっていうのあれ全体のデザイン監修やってたんだけどでっかいよ。
だいぶでかいっすね。
全体で500億くらいだよ工事費。
でもあれ8400人のアリーナできたんですけどそこに今まで来なかった一流タレントが来るようになって。
もうビーズですよ最初。ビーズの全国ツアーのトップが佐賀アリーナ。
ルーミン来てディズニー来てどんどん一流アーティストが来るようになって。
もう佐賀の風景めちゃくちゃ変わった。
空港も切り口になりましたしね。
空港もリノベーション。
変な牛柄のTシャツ着てるでしょ。
これ実は牛じゃなくて佐賀の柄っていうプロジェクトの僕が勝手に作ったTシャツなんだけど。
水路クリークっていう田んぼに水がうねうねあるんだけどそれを柄にしてそれをTシャツにしたりすることで佐賀の価値を伝えていこう。
そのデザインを空港のデザインに佐賀の柄っていうラウンジがあって天井とかが柄になってました。
それでも活字にして言わんと牛の来てるおじさんになっちゃいますよね。
牛の来たおじさんを想像してください皆さん。
27:05
クリエイティブディレクターと建築家が一体化してるっていうのはなるほどっすね。
建築家って言いながら実は道具でもいいっていうね。
建築家ってあえて名乗ってるのは建築家っていう定義とか働き方をこういうもんだって言わせたいわけ。
だから変えてないの。
それを新しい名前つけると建築家と違う人になるじゃん。
建築家こういう人なんだこれからはっていうところを実践していくようになったらいいなと思って。
社会がそうなっていけば。
建築家かっこいいよね。
そうそう。
建築家か。
クリエイティブディレクターもかっこいいですけどね。
響きはめちゃくちゃいいですけどね。
車を運転しててね。警察にスピードファンに捕まってして職業は何って言われて。
うちのボスがね。建築家ですって言ったらどこの役所だって言われて。
ごんべんのかだと思われた。
なるほど。
意外と言葉だけで言うとよくわかんない。
家ね家。
家ですね。なるほど建築家。
行政じゃないですかと。
そうそう行政じゃないです。
僕らはねそうやってやってますけど。
もうちょっとですね聞きたいことはたくさんあるんで。
さっきの学生さんの話とかそのコネクトするところとかもうちょっと聞きたいんで。
引き続きウラジノベでこのまま行けたらなという風に思ってます。
というところでありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございます。
楽しかった。
28:37

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