最低限度の生活
まずはトピックを取り上げて、健康について考え直す番組、Rethink Healthということで、今回は森野くんよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
初回からだいぶ空いてしまったんですけど、ここからまたちょっとテンポよくいろいろできたらなという感じで、
初回はお互いの自己紹介とか、ザックバラにいろいろ話したって感じなんですけど、今回はテトピックを決めながらしゃべれたらなというので、
硬い感じにはなるんですけど、お互い日本人で日本国に住んでいて、日本国憲法の第25条の中に、
全ての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有するっていう、第1項に書いてあるんですけど、
健康に過ごす権利はみんなありますと。文化的なっていうのと最低限度のみたいなのって結構人によって解釈違うんじゃないかなとか、
あとなんか実はその第2項みたいな方もあるみたいな話があって、ちょっと改めてこの辺から書いてみようかなという感じですかね。
森野くん的に最低限度の生活ってなんだと思う?
そうですね。
定住のお家があって、定食、仕事があって、三食食べられてたらいいかなっていうのが最低限度って難しいですね。
仕事も入るんだ、森野くんの中では。
僕の中ではこう仕事も入る気がしますね。ちょっとその文化的っていうのにも引っ張られてる気がします。
確かに。
なんかこう生活を営むっていう、営むっていうのがなんとなく児童的なというよりは能動的な色もあるような気がして、
確かに。
そうなると整形を立てるっていうのに近くなってくるのかなと思って、なんとなく仕事が入ってきましたね。
確かに。なんか自分は一旦こう生活とか排除したときに、最低限度の生きるみたいなところから考えちゃったけど、
なんか動物的に生きるんだったら結局食事と睡眠と、やっぱり全く動かないのは良くないから適度な運動とみたいな、
あとはこう清潔に過ごせるとか、雨風しのげるとか、そんなところが最低限度の生きるっていうところで、
生活とかっていうのがまた色々あるんだろうね。
健康と文化
そうですね。つくんでる言葉ですね、色々と。
生活の中に、いわゆる今の生活っていうと家で家事をするとか、暮らしだよね。
リハビリ的にはADLとかIADとかそういう言葉があるけど、
家で住むADLだけじゃない、IADL的な多分金銭管理とか買い物とかちょっと入ってた気がするけど、
そういうのはやるのが生活っぽい感じで、そこにこう仕事とか働くとかっていうのも入ってくるのかどうかみたいな。
自己実現力っていうのもなんか変わってくる気がしますね。
自分で生活、ちょっと違うかもしれないけど、自分で生活を営んでいるっていう実感。
自己効力感ですかね、どっちかっていうと。
とかもなんかこの生活を営むっていう風に書いているのを見ると僕はそんな印象がありますね。
あとやっぱ年齢によっても違うんだろうなって感じがして、自分だとやっぱ子育てもしてるから、
子供の時代っていうか未成年の間っていうか、多分全世代に当てはまるこういう全ての健康で文化的な最低限のって感じだと思うけど、
多分子供のうちに働くみたいなのは入ってこなくて、20代以降、20、30、40、50ぐらいとか生産年齢人口みたいな言われるところは、
ただこう暮らしをしている、生活しているだけだと足りなくて、社会活動とかも含めたところが入ってくるような気がするし、
また高齢になってきた時の配分も違うから、
だからその最低限度と文化的なみたいなのが幅広いなって気がする。
確かに。
健康で文化的な最低限度の生活ですね。
健康で文化的。
健康な生活、文化的な生活、そこがなんかあれなんですかね、対になってるんですよね。
そうだね、確かに。
健康な生活、文化的な生活だし、健康で文化的な最低限度がどこにどうかかるかって結構。
そうなんですよ。
健康の定義みたいなのもWHOみたいなよく言われるところだと、身体的にも精神的にも社会的にもみたいなところだろうから、
文化的なっていうのと社会的な健康みたいなところが結構あるような気がして、
身体、精神にもつながるんだけど、身体と、まあでも身体と文化もあるのかな、考えてる。
そうですね。あるとは思うんですけど、脳とかっていう感じになってきますね。
文化って何なんだろうね。
うーん、なんかすごいシンプルに考えると、健康な生活だけではダメだから文化的なっていうのも入れたっていうのがなんかシンプルな成り立ちなのかなと思ってて。
そんな気はするよね。
そうなると、さっきのWHOのこの健康の定義、身体的に精神的に社会的にっていう、ここもこの条文で加味しているのであれば、それにもない要素が文化的っていう部分にはあるっていうことなんですかね。
うーん、多分。なんか、本当にだから最低限度に健康的なって言ったら、だから食とかその最低限のインフラが整ってて、
生きてはいけるけど、多分味気ない感じになっちゃうんだろうなって気がして。
文化がまたこう娯楽的な文化と、もうちょっとこう土地に根付いたなんか伝統とか宗教的なこととかも結構幅広いような気がして。
確かに。どの色が強いんですかね。
だからまあ日本だと宗教感とかはちょっと薄いけど、まあでも意外となんか奥底に根付いてる部分はあるし、とか。
国の役割
そうですよね。
だろうな。だからそれが本当土地とか年代、人によって違うんだろうなっていう気がするんだよね。
文化っていう言葉の響きからこの文明家で聞くと、ちょっと娯楽要素の色が強い印象を受けるんですよね。
なんかこの土地に根付いてる文化とかっていうのがここに入ってくるイメージがあんまりできなくて。
そうだよね。
生存権ですね。
あとなんかなんとなくだけど、文化的なっていうのがなくて、健康で最低限度の生活一難の権利って言ったら、毎日淡々と過ぎていってそうな雰囲気を感じて。
なんか文化っていうのが入ると、もうちょっと季節感とか、流れがあるっていうか。
日による違いがあったりして飽きない感じがするんだけど。
動物的な生きるっていうよりも、もうちょっと人間らしさが入るのが多分文化的なのかなみたいな。
なるほど。生き甲斐とかにも近いんですかね。
意外にも近そうな気はするよね。
海外でね、生き甲斐っていうのが注目されてるって話もありますけど。
だからこういう、そうだな。だからもう1回その各国のことを見ていくと、こういう文化的なみたいな文言がないところとかもあるかもしれないよね。
確かに確かに。
生きてればいいでしょみたいな。
なんかフランスとかはめっちゃありそうですよね。文化的な。
そういうイメージですけど。
わかんないけどね。そっちに寄ってるとかもあるかもしれないし。
でもそうだな。だからここで健康っていうのが入ってるから、なんか国民会保険にしたみたいなのもあるかもしれないし。
そういうのない国ももちろんあるわけだから。
だからもう基本的にだから自己責任ですって感じだったら、こういう文言がそもそもないとかもあるかもしれないよね。
でもさっきのあれかな。国民会保険とかはその第2項っていうのに書いてある。
国はすべての生活場面、生活分面について社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
この辺がまたちょっと広いなって感じがして。
福祉とか社会保障、公衆衛生だから。
だからあれだな、こう健康的な生活を淡々と続けてたとしても、やっぱりリスクがある。絶対病院病気になったりとか、
この特定の地域で感染症が広がったりとか、自然災害もあるし。
だからどっちかっていうと最低限はマイナスになっても戻れるところは国がなんとかしましょうみたいな感じになってるのかな。
なるほど。
だからそうすると、国が何かマイナスになってもどっちも戻れるように保障はしてくれるから、
ちょっとプラスの生きがいとか人間らしさが出るように文化的って入ってるのかなみたいな。
なるほど。
なんか最近になって、この社会的な交流が大事ですよとか、
それがこう、なんか健康寿命の真理とかクオリティオブライフの向上につながりますよっていう論調があるじゃないですか。
人との繋がりがとか、その趣味とかの存在があって。
それをこのなんか昭和7日、昭和20年とかそれぐらいの制定の頃にそこまで見据えてたわけではないんですかね。
なんだろうね。だから頭のいい人はそこまでちょっと想像してたっていうか、
多分今よりももっとインフラも整ってないし、医療の技術も。だから多分マイナス面っていうか課題がたくさん見えてたと思うし、
今でももちろん課題はあるんだけど結構減ってきてはいるだろうけど、
いやでもやっぱ課題解決するだけじゃダメだよねみたいなのがあったのかな。
そのこう、誰かの言葉でありますよね。
我々はファンだけではなくてバラモモとのエロみたいな暇と生活の倫理学でしたっけ。
退屈の倫理学。
そういう生活って淡々とじゃなくてそういう楽しみとか喜び大事だよねって、
どうやってそういうのが生み出されたんですかね。
なんだろうね。でもなんか自分たちをもともと医療職だと病院とかで働くっていうと、
いかにマイナスから立ち戻るかとかマイナスにならないようにっていうことばっか考えちゃいがちっていうか、
なんだろう、そういうことしてるとやっぱ他の娯楽も必要だよねって個人的にもすごい感じるし。
でもどうなんだろうね。この憲法を制定するとか例えば国の法律考えるときって、
文化的な生活を感じる瞬間
こう穴がないようにめっちゃいっぱい考えて何が必要なのかみたいな考え続けてると、
いやこれはちょっと人間味がないなってなって、やっぱ文化欲しいよねって自然となるもんなんか。
あれですかね。この成り立ちは不思議ですね。
そうね。ちょっと憲法の成り立ちまでは詳しくないけど、意外と深掘ると考えどころがある。
自分の生活で文化的だなーって感じる瞬間ってありますかね。
文化的だなーって感じる瞬間ね。
まあでも、なんだろうな、地域のお祭りに参加したとか、
うちの地元でも大きいお祭りがあったりして、地元って愛知県の豊橋ってところだけど、
鬼祭りっていうのがあって、うちの国の重要向け文化財みたいなやつで、
もう結構毎年2月にあるんだけど、1回終わったらもう次の年の準備がそこから始まってとか、
年間通してずっとなんかやってるっていうか、もちろん直前になったら準備とか大変なるんだけど、
やっぱあれは文化的だなって感じるのはあるし、
だからその地域のやつと、今で言えば美術館行ったりとか、
多分そういう芸術的なのに触れたときは、こういうのは文化的なのかなーみたいな感じはするし、
もちろんなんか小説読んだりとかね、アーティスト音楽とか映画でも、
なんでもこうなんか生活必需じゃないものに触れたら文化的なのかなって感じはするかな。
森のくんはどう?
そうですね、僕、自分の趣味として漢歌を読むのが好きなんですけど、
それはなんか文化的な高尚なことしてんじゃないっていう、なんか変な自覚はありますかね。
確かに。今自分が言ったのはもうすでにあるものとか、どっちかっていうと受け取る側の感じだけど、
森のくんはね、こう振り出す感じだもんね。
そうですね、確かに。もちろんこう読んだり享受するのも好きは好きなんですけどね。
これを国が保障する、今の我々のこの文化的と思われる生活を国が保障しようとしたらどういうアクションになり得るんですかね。
なんだろうね。だからなんか、一つやっぱ生活保護の人にどこまで保障するのかみたいのは多分基準な気はするんだけど、
住む場所と金銭的にどのぐらいかっていうのと、どうなんだろうね。
あとはどこまでそういう文化活動みたいな支援してるのかわかんないけど、
国としてやってんのか、NPO的にやってんのかと。
どうなんだろうね。あんまり、だから医療を受けるとか保障の制度を受けるとか、
マイナス面を保護するような取り組みは効くけど、プラスアルファの文化みたいなとこっていうのはあんまり効かないっていうか、
それこそあれかな、あとその障害者支援系の福祉活動とかも関わったりするけど、
生活のサポートとか、その仕事面の就労だったりのところはあるけど、やっぱ娯楽のサポートっていうのがあんまりなくて、
結構週末の過ごし方とかがよくわかんないみたいな障害のある方も結構いるっていうので、
国としての文化的な生活
NPO立ち上げて、その障害のある方の娯楽のサポートみたいなしてる団体もあるし、知り合いがやってるやつで。
やっぱまだ娯楽みたいのは答えがないし、やっぱ難しいよね。
確かに確かに。なんか国王とかだと美術館が無料のところが多いとか、
ロンドンでも大英博物館って無料ですよね、入場が。
そういうところも国ができる策としてはあるのかなっていうところですね。
国立とか国営の施設は誰でも入れますよとかね。
図書館とかもね、無料ですし。
無料ですし。
あー確かにね。確かに。
そういうとこに散りばめられているのかも、実は。
あと思ったのは、公営ギャンブル。
その色もあるのかなと思ったんですよね。
確かにね。
国、まあなんかそもそも税収増やすためにみたいのもあったかもしれないけど。
まあでもやっぱギャンブルってね、娯楽の中であるし、
それをこう許可するかどうかっていうのは結構この観点にもなるのかもね、もしかしたら。
そうですね。
何だったかで、
最近、あれも前回から話したかもしれないですけど、
なぜ働いていると本が読めなくなるのかっていう本を今ちょうど読んでるんですけど、
ここで、昔は囲碁会館みたいなところに無料で市民が使える囲碁できる場所に通ってた人たちが、
その協定か何かができたときにみんなそこに流れていったみたいな話があって、
なんかそれもいわばどっちも娯楽っちゃ娯楽ですよね。
そうだよね。
より刺激的なのかな、そっちの方が。
まあなんか、それこそ何していいかわからないっていう人に向けてのこの場を提供、国がね、しているっていうのも取れるかもしれないですね。
自分もその本読んだから。
ちょっと知り合いと読書会みたいなやつもやったし、
その辺の話をしてみるのもまたいいかもね。
確かにそうですね。
まあこんなもんかな、とりあえず。
そうですね。
日本人的には根幹の部分だから、いつかまた立ち戻って考えてもいいし、
ちょっと第2項の社会保障とか福祉とかの話はちょっと今回しきれなかったから、
もうちょっとコミュニティというか組織全体での健康度を高めていくためにはどうしたらいいんだろうかね、みたいな話もまたしていきましょうかね。
はい。
じゃあ今回は以上です。ありがとうございます。
ありがとうございます。