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2023-09-22 1:52:53

#151 ざっくり西洋美術史 —ピラミッドからスネ夫まで—

古代文明から現代に至るまでの西洋美術史をざっくりと解説し、今のアニメや漫画にどう繋がっているのかを話しました。

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おたよりお待ちしてます💁‍♀️
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サマリー

resizefmは、最近気になっているサービスやデザイントピックスを取り上げてのんびり話すポッドキャストです。Motoyamaさん、三連休なんかしましたか?USJに行ってきました。エジプトやメソポタミア文明から始まる西洋美術史の宗教的な部分と洞窟壁画やピラミッドを含む最初の美術作品群、および古代ギリシャの芸術的発展について話しています。また、モザイク画と宗教画が登場し、美術の表現の変化をもたらしました。本エピソードは西洋美術史のざっくりとした概要をピラミッドからスネ夫までを中心に解説しています。壁画の技法や建築の方法、教会の光の利用、絵画のモチーフなどに触れており、美術と宗教や権力の関係性を示しています。ルネサンスは中世から近世に移り変わる時期で、都市国家を形成する商人たちが力を持ち始めた時代です。美術的には写実性や感情表現が重要な要素となり、レオナルド・ダビンチやラファエロなどの画家が遠近法を用いて緻密な描写を生み出しました。プロテスタントとカトリックの宗教戦争の背景により、バロック様式が生まれ、人間的な絵と一般市民に向けた広告的な描写が増えました。バロックの絵画はドラマチックでストーリー性を持ち、強い表現手法が特徴的です。バロックからロココへ...西洋美術史の流れをたどります。バロックでは風景画や生物画が描かれ始め、ロココでは華やかな絵や王立美術アカデミーが重要な要素となります。18世紀に近世の後半になります。フランス革命によって貴族と上層市民が対等な位置になり、貴族主義的な要素がロココ主義から古典主義へと変わっていきます。産業革命によりアカデミーに反抗する美術家たちが出てきて、印象派の描き方や点描派などの新しい表現方法が発展していきます。18世紀後半には日本でも西洋の文化が徐々に取り入れられるようになります。ゴッホの絵画は、ジャポニーズブームの影響を受けており、浮世絵の平面的な描き方や鮮やかな色彩を取り入れています。また、印象派の影響を受けつつも、特定の色や形態を抽出して再構成するような表現を行っていました。セザンヌも同様に色や形を単純化し、抽象化した表現を取り入れていました。古代ローマギリシャの宗教画から始まり、ゴシック様式、ルネッサンス、バロック、ロココ、フランス革命、産業革命を経て、印象派、キュビズム、未来派、ダダイズムと美術の流れとともに抽象化され、最終的には日本の漫画につながっていきます。キュビズムと印象派の影響を受けたスネオの表現について考察し、日本の絵画における独自性とアートの意味についても言及します。今回のエピソードでは、ざっくりとした西洋美術史の概要についてお話します。

00:06
Takaya Deguchi
こんにちは、Deguchiです。
kudakurage
こんにちは、Motoyamaです。
resizefmは、MotoyamaとDeguchiが最近気になっているサービスやデザイントピックスを取り上げてのんびり話すポッドキャストです。
よろしくお願いします。
Takaya Deguchi
お願いします。
Motoyamaさんの三連休
Takaya Deguchi
Motoyamaさん、三連休なんかしました?
kudakurage
三連休?ああ。
三連休って概念がない?
いや、なくはないけど。
三連休何したっけ?
え?何やったか全然覚えてないな。
何かやったかな?
Takaya Deguchi
ない。
kudakurage
記憶がない。
記憶がないな。
Takaya Deguchi
USJ行ってきたんですけど。
kudakurage
え?USJ行ったんですか?
Takaya Deguchi
USJ行ったというか、
何人かで
奈良と大阪に行ってきたんですけど。
ついでにUSJ
20年ぶりに
kudakurage
行ったんですけど。
任天堂ワールドに
僕もちょっと行きたいと思って
ずっと思ってる。
あそこってなんか今は
普通にってことはないけど
そんなに困難じゃなく
入れるんですか?
Takaya Deguchi
僕もなんか、正直なんか
人任せにしてたんで。
なんかね、チケットがすごい難解
なんですよ。
基本ファストパスみたいなのがないと
kudakurage
そうだよね。
Takaya Deguchi
行けないんですけど。
ディズニーって
ファストパス持ってると
どんなアトラクションも
アトラクションごとにあるんだっけな。
なんかちょっとディズニーとちょっと
形態が違くて
なんかこう、このアトラクションは
ファストパスで行けるけど
任天堂は行けるけど
ハリポッターは行けないとか。
なんかね、何パターンか色々
セットみたいな
プリセットみたいなのが何個かあって
なんか難しくて
ちょっと人任せにしてたんで
僕はよく分からず
行ったんですけど
3連休の最終日に
最終日だっけな
に行ったんで
結構混雑してましたけど
パスが取れれば
普通に乗れました。
kudakurage
なんかその
チケットが、僕最近は
分かんないけど、最初のさ
去年だっけ、あれ
開演したのっていうか
Takaya Deguchi
いつだっけ。もうちょい前じゃないっけ。
kudakurage
もうちょっと前だっけ。その頃は
結構やっぱりさ
人気というかさ、すぐ埋まってる印象が
あったから
人数制限してたとこも
あったと思うけど、そのコロナとかで
最近は
どうなんだろうなと思って
Takaya Deguchi
取れはする
みたいな感じでしたね。
僕らもチケットめちゃめちゃ前に取ったわけじゃなくて
行く
3日前とか
kudakurage
それぐらいに取ってきてたから
Takaya Deguchi
いやなんか
任天堂ワールドはよくできてましたね。
なんていうのかな。
盆地みたいになってるんですよ。
盆地?
そのエリアに入ると
四方が囲まれてるんですよ。
kudakurage
あーはいはいそうだよね。
Takaya Deguchi
だから
マリオの世界観に
一気に変わるっていうか
なんか土管
入り口に土管があって、土管から
入ってくるんですけど、その土管を出ると
もうピーチ城みたいな。
その
作り込みはやっぱ
すごかったですね。
なんかね
USJって結構
ちょっと俗っぽい形なんですよ。
なんて言ったらいいのかな。
ディズニーランドほど
ディズニーランドに比べるとちょっと隙がある
っていうか
隙があるね。
なんか人間っぽいっていうか
なんかディズニーランドでキャストみたいな感じじゃないですか。
そのスタッフも
なんかこう演じてる
一部ですみたいな。
なんかそれに比べるとUSJって
結構いろんなものの養成集めみたいな感じ。
なんか今って
僕も言って知ったんだけど
任天堂もあればハリーポッターもあれば
kudakurage
そうだね。なんか
一時期はもう本当の一部の
映画の世界を
表現するって言ってたけど今はもうなんか
あらゆるエンターテイメントを
なんか全部使う
Takaya Deguchi
っていうかさ。ポケモンも
いればキティちゃんもいるし
なんかスヌーピーとかも
いれば呪術回線があったり
ワンピースがあるみたいな
なんか感じだから
あんまなんかこう統一感
みたいなのはあんまないな
っていう感じなんだけど
でもやっぱまあ任天堂の
オリジナリア、まあハリーポッターも
良かったけどなんかすごいね
やっぱ作り込まれてるな
みたいな。衣装とか
なんかこうその世界
なんかまあマリカーがあるんですけど
マリカーのアトラクションがね
それに沿った衣装になったりとか
なかなかのそのマリカーのアトラクションの
中のちょっとしたムービーとかも
なんかそれ専用の
グラフィックが作られてたりとか
なんかすごい良かったですね。
うーん。
kudakurage
ブロック
Takaya Deguchi
まあよくなんかインスタとかに
あがってるんですけど
ハテナブロックがあるんですよ
エリアの中にね
で時計っぽい
バンドみたいのを別売りされてて
買うんですよ
それでブロック叩くと
チャリンつってコインが
貯まってくみたいな
でそのコインを
貯めるとアプリ内で
なんかランキングみたいのがあって
そこにいる他の人と競うことができたりとか
なんかまあたまにこう
レアなコインというか
バッジみたいなものが
降ってきたりとか
あとなんかアイテムをこう
そのマリカーの中で
使えたりとか
何度も起こさせるような
リテンションさせる仕組みが
kudakurage
あったりとか
Takaya Deguchi
面白いなと思ったし
一個一個の値段が結構高めで
そのバンドとかも
3、4千円とかするのかな
kudakurage
そうなんだ
結構するんだね
Takaya Deguchi
なかなか
いい商売だなと思って
kudakurage
見てました
Takaya Deguchi
外国人がめちゃめちゃいましたね
kudakurage
やっぱ
まあね
そうだよね
この前もさ
任天堂東京とかも
やっぱりもう外国人ばっかだしね
いやでもいいな
USJのマリオのやつ
行きたいなってずっと
思ってるから
Takaya Deguchi
いやあれは良かったし
5歳児の子供も
一緒にいたんですけど
なんかすごい楽しそうにしてましたね
kudakurage
まあ絶対楽しいよね
だって大人も
楽しいじゃんあんなの
楽しくないわけないじゃん
もう子供が
Takaya Deguchi
いやあれはテンション上がりましたね
kudakurage
任天堂東京ですら
大人が楽しいんだもんだって
だからもう子供も行ったら
Takaya Deguchi
もうめちゃくちゃ楽しい
kudakurage
もうグッズ買っちゃったしね
テレサも
いや本当
いやなんかまた多分
サブトピックスで
話そうかなと思ってたけどさ
今京都も
なんか作ってるじゃないですか
任天堂京都も
最近だっけな
東京と同じように
販売するところが確かオープン
したのかするのかっていうのが
あったし
あとなんか2024年ぐらい
に向けて
なんか任天堂ミュージアム
っていうまた別の
博物館みたいなのも今作ろうとしてて
もうなんか
その辺セットで行きたいな
Takaya Deguchi
なんか
そのUSJの任天堂ワールドには
今度ドンキーコングのエリアが
kudakurage
できるらしいですね
Takaya Deguchi
ドンキーコングの
どういう感じか分かんないけど
ゲームソングとか流れてたらすごいテンション上がりそうだな
kudakurage
あーそうだね
なんか
全然関係なくないけど
あの漫才コンビの
Takaya Deguchi
カミワザっていう
kudakurage
YouTubeでさ
ドンキーコング
ツッコミの方が
めちゃくちゃ好きで
ドンキーコング
BGMあの曲がすごい
Takaya Deguchi
トゲトゲ迷路ね
kudakurage
そうそうそうそう
タルタルの
Takaya Deguchi
タルタル迷路じゃなかったっけ
kudakurage
そこの曲が
すごいっつって
Takaya Deguchi
あートゲトゲタル迷路ね
kudakurage
あートゲトゲタル迷路か
でそのねなんか作った
レア社が作ってるから
あのドンキーコングシリーズって
だからなんか
そのレア社で働いてた
その音楽作った人に
Takaya Deguchi
会いに行くみたいな
kudakurage
そうそうそうデイビッドワイズさんに
会いに行くってやつ
Takaya Deguchi
見てましたけど
面白かったよね
kudakurage
向こうから歩いてくるって
ある程度なんか事務所というかね
そこは知ってたから
その辺まで行って歩いたら
Takaya Deguchi
出会うっていうね
あれ良かったよね
いや雷のYouTube面白いから
kudakurage
見てますね最近
Takaya Deguchi
たまに見てるな
大人の世代だから
やってるゲームを結構オマージュしたネタが
出てくるんですよね
ドンキーコングとか
kudakurage
メタルギアとか
Takaya Deguchi
中途半端な古畑忍三郎とかね
そうね
あと水戸間を見にサッカー行くとかね
kudakurage
まあちょうどねイギリス行ってた時に
ブライトンの
試合見に行ったりとか
練習の風景を隙間から見に行ったりとか
なんかしてたよね
Takaya Deguchi
あれねドンキーコング2だけど
ドンキーコング1の曲も結構好きですね
kudakurage
ドンキーコングやってた頃は
そんな意識したことなかったけど
確かにあの
BGMすごい良い曲が多いよね
Takaya Deguchi
めっちゃ良い曲ですよね
たまに作業用
kudakurage
BGMにしてますもんね
あれは本当
ゲームらしくない
すごい良い曲だなっていう感じが
するな
なんか普通に
スーパーファミコンで
作ってあったというか
流れてたっていうのが
信じられないくらい
Takaya Deguchi
良くできてるような気がするね
なんかUSJで
ちょうどハロウィンの時期だったんです
ハロウィンの時期のイベントがあったんですけど
なんかポケモンが
こう
DJするみたいな
そういうショーみたいなのが
あって
DJゲンガーみたいな
ゲンガーね
それもなんかポケモンの
初代のBGMとかを
ベースにちょっとアレンジした
なんかハロウィンっぽいような
曲やったりとか
それもなんか良い感じでしたね
ミミックとかが出てきたり
良いな
kudakurage
めっちゃ暑かったですけどね
Takaya Deguchi
暑かった
日陰がないんですよね
kudakurage
まあそうかもね
だから
今度あれかな
任天堂ミュージアムとかできたら
それも行って
USJも行ってみたいなの
やりたいな
Takaya Deguchi
USJはなんか
大阪の市内から近くて良いですね
kudakurage
ああ
Takaya Deguchi
タクシーで行っても
20分ちょいどこで
kudakurage
行けるんで良かったです
Takaya Deguchi
で帰りはサウナに入って
帰ってきました
自サウナに入るのが良いですね
kudakurage
サウナにも入ったんですけど
Takaya Deguchi
サウナ
3日間行ってて
3日間サウナに入ってきました
kudakurage
僕だけ
じゃあ
そろそろ本題も
話そうかなと思うけど
美術師の話
kudakurage
まあマリオとかもね
僕は影響を受けてるんじゃないかな
って思ってる話を
今日はしようかなっていう
話なんですけど
あの西洋美術師っていう
西洋美術師の話をしようかな
Takaya Deguchi
だいぶ
kudakurage
こじつけましたね
いやこれがね意外と
そうなんですよ
かなりやっぱり
過去の芸術
アートっていうか美術だよね
美術の
流れがやっぱり
現代の
西洋美術史の始まり
kudakurage
そういうエンタメ
とかも含めた
イラストレーションとかも含めて
かなり実は影響を受けてる部分っていうのが
あるんですよ
あんまり気づいてないだけで自分たちが
だからまあそういう風な
話をしようかなと思って
まあ西洋美術師なんだけど
今回ちょっと
キャッチーなコピーを
サブコピー作ったんですよ
サブコピーが
ピラミッドからスネオまでっていう
タイトルをつけたんですけど
ピラミッドから
スネオから始まって
始まりは別にもっと別のものがあったかもしれないですけど
大体昔っていう意味で
ピラミッドっていう部分から
スネオまで
Takaya Deguchi
今日話そうかなと思って
全然ちょっとよくわかんないですけど
kudakurage
全然よくわかんないよね
それが最終的に
つながるっていうのがわかると思うんで
そういう話を
しようかなと思ってるんですけど
まあ何もない
ところから
美術の専門家でもないので
話すことはできないので
一応教科書的なものを
用意して
それベースで話そうかなと思ってるんですけど
教科書が
一番親切な
西洋美術師っていう本ですね
これが
割とぎゅっと
されてて
ピラミッドぐらいのところから
現代のあたりまでぎゅっとされてて
割とコンパクトになってたんで
それを
僕が読んで
さらにそこからぎゅっとした感じのやつを
ざっくり話そうかな
っていう風に思ってるんで
もしかしたら
僕の解釈が間違ってる部分とか
だいぶ抜け落ちてる部分とかっていうのは
多分にいっぱいあるかもしれないですけど
その辺は
気になったら
コメントとかお便りとかで
指摘してもらえればいいかなっていう風に
思ってますね
そもそも
美術館とか
展覧会とか
いろいろな部分で
美術というか
そういうものを目にする機会っていうのは
あるとは思うんですけど
どう楽しむか
っていうのを
なんとなく知っておくと
いいかなという風に思っていて
美術の楽しみ方は
いろいろあるけど
ざっくり
2つに分けてみると
精神的側面と
物理的側面っていうのがあって
精神的側面っていうのは
どういう意味を込めて
描いてるかみたいな
部分
どういう意味があるんだろうっていう部分を
考えたりとか
知ったりするみたいなところが
一つ
もう一個が
物理的側面って言ってるんだけど
どういう方法で
描いてるかとか
どういう素材で描いてるかとか
どういう表現で描いてるかみたいな
技術的な側面
どっちかっていうと
その両方を
考えながら
見ると絵画の
楽しみ方としてあるんじゃないかな
だからもしかしたら
中には宗教画みたいなのも
あるじゃないですか
僕は日本人からしたら
なかなか宗教画
っていうのを身近に感じることは
多分難しいと思うし
仏教とかはまた別かもしれないですけど
だからその辺で
分かんないなみたいな感じになっちゃう可能性もあるけど
ただ
どういう方法というか
なんか
筆のタッチとか分かんないですけど
素材とかで描いてるのかなっていうのを
観察するだけでも
ある可能性があると思っていて
だいぶ前に
トガシさんの古典
とか言ったけど
そこでも何描いてるのか
っていうのはもちろん知ってるっていうのも
あるけどどっちかっていうと
僕はどういう風に描いてるのかなっていう部分に
着目して見てた部分が結構大きくて
意外とここ
普通に描いてその上で修正機で
修正機みたいな
白いやつで塗りつぶして
光を表現してんだなみたいな
そういうのも含めて
技術的な部分
として見て楽しむみたいな
ところとかもあったりしたんで
だからその両方の側面
で見ていくと
面白い部分っていう
楽しみ方として
十分に楽しめる部分があるんじゃないかな
っていう風に思っていて
実際
西洋美術史
みたいなのを見ていくと
その両面の
変化っていうのがあるわけですよ
どっちか一方だけ
ググって上がっていってる
っていうわけじゃなくてやっぱり
ある程度
描くどういう意味を込めて
描いてるのかとかどういうものを描いてるのか
っていう部分と
どういう風な技術で
描いていってるのかっていうのも両方
変化していくっていうか
それぞれが一気に両方上がっていく
みたいなことがあんまりないわけですよ
だからそういう部分でも
この2つを軸に
見ていくと
美術史みたいなものが
分かってくるみたいな
ところがあるのかなっていう風に
思ってるって感じですね
早速
美術史に入っていくんですが
そうだ
さすがにこの内容を
話すにあたって
何も絵を見ずに
話すのは多分困難かなと思うので
一応
出口くんには
僕が参考資料として
用意した
Google画像検索の
画面を
共有しようかなと思うんですが
一応
小ノートのほうにも
Google画像検索の
この辺見ておくと
いいんじゃないかなっていうのを
リンク集を用意しているので
それを
もし分かんなければ
見ながらとかやって
聞いていただければなっていう風には
思うんですが
最初さっき言ったように
サブコピーでも言ったように
ピラミッドから
っていう話だったんで
ピラミッドあたりからとりあえずざっくり
話していこうかなと思うんですが
多分一個一個丁寧に話してると
めちゃくちゃ時間かかりそうなんで
結構飛ばしながら
話すんですけど
一応分かってる時点で
文明とともに
美術は始まっていくんで
最初は西洋だったら
エジプトとか
メソポタミア文明みたいな
ところから
美術の歴史みたいなところが
始まっていくんですけど
美術のものとしては洞窟壁画とか
多分歴史の授業とかで
なんとなく見たことあるかもしれないですけど
洞窟壁画とか
そういうものだとか
エジプトだったら
ピラミッドとか
来世思想って言うんですけど
死者の復活を願う美術みたいな
のが多いっていう
ような感じですね
だからそういう
服装とかって言うんですけど
なんて言うんだろう
お墓だとか
そういうものにまつわる美術というかね
でもそれも
結局
本当この美術の
最初の方って西洋美術の
結局宗教とか
権威みたいなところに
結びつきが強いんですよ
内容としては
意味っていうかね
この辺も結局
洞窟壁画がどういうものなのか
っていうのがまだ
誰も分かんないんで
それは分かんないんですけど
少なくともエジプトのピラミッドとかっていうのは
やっぱりそうで
宗教的な部分とか権威的な部分との
結びつきが強いって言われていて
信仰だとか権力を
象徴づけるようなものとして美術が活用されている
それを美術として
僕らが捉えてるっていうのがあるかもしれないですけど
っていうものですね
だいたい
西洋の歴史観で言うと
古代
紀元前古代中世
近世近代現代っていう風な
区分がなんとなくあるんですけど
その宗教的な部分っていうのは
中世か
近世くらいまでが
だいたいそういうもののメインになっていたり
するみたいな
最初の方は
そういう感じで
そういう文化
メソポタミア紀元前のメソポタミアとか
エジプトの美術として
あったものがだんだん
古代ギリシャの芸術的発展
kudakurage
西洋の方でも都市が文明が
発達してギリシャとか
ギリシャ文明とか
そういうので同じように
やっぱり服装品とか
宗教的な意味合いを持って
西洋美術っていう意味で
本当の西洋美術っていう意味での基礎が
作られていくギリシャで
その辺は紀元前というよりは
もうちょっと古代ぐらいになってくる
紀元前ぐらいから始まって古代から
ぐらいになってくるっていう部分ですね
最初の方は
絵画っていうよりも
どっちかっていうと建築とか
彫刻とかその辺の頃の
作品っていうのは
作品見てると
面白いんだけど最初は
彫刻とかも
人間をモデルにした彫刻なんですけど
直立不動みたいな
顔も真顔みたいな
彫刻だったのが
だんだん
いろんな方向から見て楽しめるように
っていうので
体を一律式
ひねるような作品になってくんですよね
最初の方って
それがだんだん
めちゃくちゃひねるようになって
だんだん徐々になっていくみたいな
だからひねっていればひねっているほど
新しいっていう風に
考えると
分かりやすいんですけど
本当に一番最初は直立不動みたいな感じなんだけど
だんだんひねり具合が
過度になっていって
ひねりまくっていくっていうのが
それはどの方向から見ても
楽しめるようにみたいな部分が
あるみたいな感じ
だったりしますね
その辺は古代なんで
割と
サクッと飛ばして
もうちょっとあるか古代は
その件はあれだよね
パルテドン神殿だっけ
アリストテレスとかの
頃の時代だと思うけど
建築としては割と
四角い箱みたいな
感じのイメージなんだけど
そこからもうちょっと進んで
ローマ時代の宗教画とモザイク画
kudakurage
古代の美術になってくると
キリスト教とかが
生まれてきて
紀元後だから
紀元前じゃなくて
紀元後
になってくるとキリスト教とかが
出てきて
宗教画みたいな部分が
メインになってくるんですよね
その頃の宗教画っていうのが
壁画が
メインなんですけど
ここでもまだ
最初の頃は
モザイク画とか
モザイク画っていうのは
モザイクなんで
ある程度の大きさの
粒の塊で描いていく
みたいなやつですよね
具体的には色のついた
石とかガラスとか
そういうものを
ある程度の大きさに砕いて
細かくして
漆喰が塗られた壁に
まだ乾かないうちにそれを埋め込んでいく
っていうような絵ですよね
こういうのが
残ってる理由としては
やっぱり色褪せにくいとか
ある程度
丈夫で残しやすいっていうのが
あって
こういうのを作ってやってるんですけど
ただこれって
細かい表現がやっぱり難しいわけですね
ある程度の粒を
埋め込んでいかなきゃいけないから
ただ細かい表現
しようと思えばできるけど
壁画とテンペラ技法
kudakurage
しようと思えばしようと思うほど
巨大になっていくっていうかさ
ある程度でかくすれば細かいものを
入れても
遠くから見れば細かい線とかが
作れたりするから
いいんだけど巨大になっていく
っていうのもあるし
普通に絵の具とかに比べたら
コストがめちゃくちゃ高いわけですよ
顔料の原料になるものの粒を
そのままでっかいまま
使うみたいな感じだから
埋め込むみたいな石をそのまま
埋め込むみたいな感じだから
コストが高くついちゃうんで
結構大掛かりなもの
っていうかね
感じだったりするんですけど
それもあるんだけど
それよりももうちょっと
コスト安くした
フレスコ画っていうのもあって
これは何かっていうと
これも同じように漆喰を塗った
壁が乾く前にやるんですけど
そこに
さっきの顔料に
当たる原材料に当たるようなものを
もっと細かく粉状ぐらい
な感じにして
それを水で溶いて
それを漆喰に染み込ませるみたいな
乾く前に
っていう風なやり方にすることで
コストを抑えつつ
ある程度細かい線も描けるようになって
その退色とか
色褪せしにくいみたいな
部分も実現した
やつで
これはめちゃくちゃそういう意味では
モザイク画に比べて全然いいんだけど
ただこれもやっぱり
難しい部分っていうのもあって
それは何かっていうと
描き直しができないとか
漆喰に直接
染み込ませていくみたいな感じだから
とかあと乾く前に
全部やんなきゃいけないから
時間制限があるとか
手早くやんなきゃいけないみたいな
部分があるみたいな
手法 最初の頃は
こういう壁画が結構メイン
みたいな感じ
ですね 材料的とか
材料的に技術的にとかっていうのも
含めて
多分この頃も
もしかしたらそういうものじゃない
いわゆる現代でいう
絵の具と
キャンバス的なものの
作品ももしかしたらあったかもしれないですけど
多分残ってないと思うんだよね
これは僕の予想なんだけど
簡単な
要は保存ができてない
ことの方が多いんじゃないかな そういうものっていうのは
色褪せしやすかったりとか
もしかしたら剥がれやすかったりとか
なんかもう
そもそもものとして
壊れちゃってるとか
そういうので だからこういう壁画が
この頃に多いっていうのは
結果として残ったものが
この壁画とかっていうものしか
ないっていうのが
現状なんじゃないかなっていうような
気がしてるって感じですね
技術的な部分としてはそういう
部分が古代
キリスト教始まってから
描かれていたわけだけど
内容としてはやっぱりキリスト教を
布教するためのメディア
というかね そういうものとして
美術が利用されている
っていうような感じですね この頃は
ほぼほぼキリスト教
みたいな
特にこの頃は
まだまだ全然
見る人というか民衆
キリスト教っていうのは別に一部の人っていうよりは
みんな誰にとっても
みたいな感じじゃないですか 誰にとっても
布教していくみたいなものなんだけど
でも識字比率
みたいな部分っていうのが
やっぱり低くて
みんな額が高くて
文字が読めるわけじゃないみたいな
部分があるので
それを布教するにあたって
絵画で伝えるみたいな部分
の方がやっぱ
効率的だから そういうメディアとして
美術が利用されたっていう部分が
あるっていうような
背景がありますね
だから今後も結構
美術っていうのは
何かっていった時に
ロマネスクからゴシック様式への変化
kudakurage
効率的な伝達手段としての
メディアっていう側面がすごく
強いんですよ
何か美しいものを描いてやろうみたいな
ところっていうよりは
どっちかっていうと
現代的な部分で言ったら
広告とかポスターに近いようなイメージなんですよね
それがたまたま
その対象が
宗教だったりとか
するっていうだけで
Takaya Deguchi
じゃあこの頃の
絵を描いてる
人は
そういう宗教的なもの
人から依頼されてたってことなんですか
kudakurage
そう考えていいと思います
だから結構
美術史見ていくと
描いてる人と
いわゆるパトロンって言われるような
オーナーにあたる人の
関係性で結構
作られていることが多い
もちろん技術的な部分っていうのは
どっちかっていうと
描いてる人側とか
技術者側なんだけど
内容に関してはほぼほぼパトロンに
すごく影響されることが多い
後々それが
現代に近づくにつれて変わっていくんだけど
最初の頃は
特にそうで
その対象がほぼほぼ最初はキリスト教とかっていう
宗教側とかに
ほぼ寄ってるみたいな
イメージですかね
この頃はやっぱり権力的な
部分とか
金銭的な意味でもやっぱり
宗教、キリスト教とかが
メインだった
っていうような感じかな
そこから中世に
入っていくんですけど
この頃中世でもまだあんまり
絵画っていう意味では
あんまりいわゆる
絵画みたいな部分っていうよりは
もうちょっと壁画とかに近い
部分があるんですけど
特徴としては
建築がちょっとずつ
変わっていくっていう
部分かな
なんか2つ
様式がこの頃あって
最初ロマネスク様式
ローマのっていうような
イメージですねローマの様式っていう
古代ローマのローマが
発達してくるから都市として
でその
ロマネスク様式っていうのがあって
その後ゴシック様式っていう風な
ものに変わっていくんですけど
建築の方法としては
今まで割と箱
マイクラの箱家みたいな
長方形っていうか
立方体の家みたいな
建築だったのが
ロマネスク様式になると
かまぼこ型というか
壁で支える
で上の
アーチ状の屋根を支えるみたいな
ような
建築になって
いって
その後ゴシック様式になると
今度柱
4本の柱で
上の屋根のアーチ状の屋根を支える
みたいな形になっていくんですけど
これが割と
絵画的なもの
に色々影響を与えていて
これも教会建築なんですけど
ロマネスク様式の場合は
どうしても壁で支えなきゃいけないから
壁自体は
取っ払えないわけですよ
なかなか
そこで
一応教会なんで
宗教画というかそういうものを
祭壇に用意する
みたいなのが必要なんで
木の板に
大きく描いたようなやつ
っていうのが飾られたり
するんですけど
それを
この頃はテンペラ技法
っていって
油絵具にすごく近いんですけど
さっき言ってたフレスコ画
とかは
普通に壁に漆喰塗って
染み込ませてみたいな感じだったんですけど
この頃になると
割と真っ直ぐな木の板を用意して
その上に卵黄
卵黄を
固着剤っていって
定着させるものとして
用意して
そこに顔料の色を
混ぜて
絵の具みたいなのを作って
それを塗って描くみたいな
そういう
テンペラ技法ってやつ
を使って
木の板に描くみたいな
だいぶ現代の
ちょっとずつ現代の絵画っぽくなっていくんですけど
手法としては
油絵みたいなね
っていうやつでやってて
ゴシック建築になると
さっき言ったように柱で支えるようになるから
壁が
ある程度必要なくなるというか
ガラスとかの
素材もその前からずっとあったんだけど
建築材としては
なかなか使えなかったわけですよ
壁はある程度
耐久性というか
荷重がかかるから
ガラスを
使うことがなかなか難しかったんだけど
ゴシック建築になって
柱で支えるっていう形になったから
割と
ガラスとかも
使えるようになって
ガラス使えるんだったら
っていうので
ステンドグラスみたいな文化が
だいぶ増えてきたというかね
ゴシック建築の頃から
このステンドグラスのいいところは
教会っていう部分も
相まって
外からの光がかなり
取り入れやすいわけですね ガラスだから
それまで結構
暗い中で
教会っていうのが
凄い厳かな感じだったのかもしれないですけど
それが
ゴシック建築になると
めちゃくちゃ光合宿になるみたいな
中から見たら多分
色取りより輝く光が入ってくる
差し込んでくるみたいな感じになるから
ステンドグラスだと
特別な体験っていうのを
生み出してたんじゃないかっていう部分とか
あとモチーフ自体
ステンドグラスに描かれている
モチーフ自体が
キリストだったりとかマリア様だったりするんですけど
その辺が
モチーフ自体がすごく
光によって
発色よく光輝いて見えるみたいな部分
から結構
宗教とか信仰的な体験を
象徴する方法として
すごく利用されたっていうような
あるんじゃないかなっていうような感じですね
美術と宗教・権力の関係性
Takaya Deguchi
ロマネスク
様式建築は
暗い感じなんですか
kudakurage
基本やっぱり
壁が
必要になるんで
壁で支える建築方法なんで
壁がドーンって
まず少なくとも左右には必要になるから
どうしても
Takaya Deguchi
暗くなりがちというかね
kudakurage
テンペラ技法も
一応どんな感じかっていうのを
見せると
こんな感じですかね
Takaya Deguchi
この頃に描かれた絵
kudakurage
基本的にはやっぱり
キリストとマリア様みたいな
ところが
描かれていて
技術的にも割と平面的な
印象なのかな
ある程度の陰影はあるけど
平面的な印象で描かれている
っていうような感じかな
この辺が中世ですかね
飛ばしてますけど
もうちょっと色々あるんですけど
この後ルネサンスっていう
もうちょっと近世に近い美術が
生まれてくるんですけど
実はその中間というかね
中世なんだけど
そろそろルネサンスが入るよね
みたいなところもあって
そうなってくるとまたちょっと変わってくるんですけど
その辺は
ある程度飛ばしてもいいかな
結局それがルネサンスに繋がる
ルネサンスと同じような話をしている部分が
あるので
プロトルネサンスっていう
フィレンツェ派とかシェーナ派っていう
色々一応言葉としてはあるんだけど
ほぼほぼルネサンスの様式を
取り入れ始めたみたいなところ
があったので
ルネサンスの背景
kudakurage
先にもうルネサンスの話をしてしまった方が
いいかなと思うんで
ルネサンスに行くと
ルネサンスってよく聞く
と思うんですけど
これ何かっていうと
中世っていうのは
歴史的に
ヨーロッパの歴史的に
ローマ教皇が権威を振るってた時代
なんですよね
中世は
キリスト教とかの
トップが
権威を振るってた時代
だったのが
ある程度
十字軍の
遠征があったりとか
全部失敗するんだけど十字軍の遠征は
地中海での
イタリアとかを中心にした
航海ルート
地中海内とかその辺の海での
そういう貿易も
あったりして結構商人が経済力を
つけ始めるんですよ
貿易ルートがある程度できていて
経済力っていう意味で
商人が割と
力を持つようになっていくんですよ
政治的な力も含めて持つようになっていくんですよね
ルネサンスぐらいになってくると
で何か
今でもヨーロッパの方だとあるけど
マイスター制度
親方制度って言われてるもの
ある程度職業の組合があって
親方にならないと
店開けないですよみたいな
制度が今でも
確かあったりするけど
そういうなんかギルドって
呼ばれるグループ
組合みたいなものみたいなのが
生まれてそのギルドの代表者を中心とした
都市国家
形成みたいなのが生まれていくんですよ
自治都市国家みたいなのが
ある程度そういう商人
っていう部分とか
そういう職人みたいな部分が
なんとなく
ローマ教皇とか
っていう宗教的な人たちも
力は強い 依然として強いんだけど
その辺の人たちも
結構力をつけていくっていうような
ちょっとずつ時代になっていって
そういう意味でも
そういう人たちが
都市国家を作っていく
今まで経験したこと
なかったようなことをやろうとしていってるから
なんかお手本
あった方がいいよねみたいな
ところがあって
何をお手本にしよう
ってなった時にすごい
昔古代の
共和制ローマっていう
それも割と
今でいう民主主義的な
というか
みんなで寄り合いで
政治をしていたような時代
のものがあって
その辺は結構上手くいってたよね
みたいなところから
それを参考にしようっていう動きが生まれる
わけですよ
ワントップっていう感じじゃなくてね
だからそれを
含めて
ルネサンスっていう
再生とか復興っていう意味なんですけど
古代ギリシャを
もう一回再生しようみたいな
その共和制ローマの頃の
その頃の
思想みたいなものをもう一度生まらかせよう
みたいなところから
ルネサンスって言われているっていうところが
あるんですよね
Takaya Deguchi
歴史的な流れとして
kudakurage
でそれを組んで
美術的な部分とかっていうのも
ルネサンスだよねみたいな感じで
あの頃のものっていうのを
もう一回再生復興しようみたいな
感じで言われている
っていう側面がある
Takaya Deguchi
じゃあギリシャのその頃を
復活させる
kudakurage
っていうことなの
モチーフとしてはそうですね
あの頃のやつを
もう一回ただ
同じことを繰り返すっていうよりは
技術的な部分としては
発展させようみたいな部分はあったとは思いますけどね
その美術的な部分として
Takaya Deguchi
実際的にはどれくらいあるんですか
そのギリ
復活っていうのは
何年ぶりの復活とか
どれくらいの差がある話なんですか
kudakurage
うーん
だから中世は
少なくとも
吹っ飛ばしてるって考えてもいいかな
と思いますから
年代的に
どれくらいなんですかね
Takaya Deguchi
ルネサンスって
西暦でいうとどれくらいの話ですか
kudakurage
うーんとね
17年とかだな
割ともうかなり
現代に近づいてるんだけどそういう意味では
17年
歴史区分
この辺
歴史そもそも僕
学校で習ってなかったから
あんまりね
詳しくないんだけど
だいたいさっき言ってた
紀元前は紀元前だよね
古代っていうのが
だいたい1世紀から
5世紀ぐらい
中世が5世紀から14世紀ぐらい
中世長いんだよねだから
でルネサンス
っていうのが近世の始め頃
だから15世紀か
15から17世紀ぐらい
近世っていうのは
だからその
10世紀ぶりぐらいなんだよね
Takaya Deguchi
なんか急にどうした
美術的な変化
Takaya Deguchi
っていう感じですけどね
kudakurage
中世が長いんだよねやっぱり
だからそういう意味は
Takaya Deguchi
あの頃は良かったっていう割には
だいぶ経ってるけど
急にあの頃は良かったんだって
kudakurage
思ったんですかね
あの頃は良かったっていうか
中世がローマ教皇のワントップだった
やっぱり宗教的
政治的に
教会には栄えられないみたいな
そういう感じだったのが
ようやく近世になって
商人たちが力をつけ始めた
貿易とか
でそれで
その人たちが本当に政治的な
意味でも力を持ち始めたんで
いわゆる政治的な
部分に参加していく
都市国家が作られていくわけだけど
そういう風に
自分たちでももう10世紀くらい
何もやってなかったよねみたいな
感じだから何か参考になるもん
ないかなって言って
古代の頃にそういえばなんか共和制ローマって
あったなって
その頃のやつを参考にしようみたいな
になったってことです
Takaya Deguchi
すごい話ですね
2020年代になって
江戸時代の頃の
あれは良かったねって
kudakurage
そうそうそう
江戸時代どころじゃないよね多分もっと前
10世紀だったら
なるほど
まあでもそれほどやっぱり
中世の頃の
そのなんていうの
宗教ローマ教皇とかの力が
ずっと強かったってことだよね
長いこと
なんで弱まったの
なんで弱まったのかは
いろいろたぶん理由はあると
思いますけど
十字軍の遠征とかもあるんじゃないですか
やっぱり全部
すごい多大なコスト払ってるけど全部失敗する
Takaya Deguchi
あれか
あれか
kudakurage
すごい腐敗してた時代の話
Takaya Deguchi
キリスト教の
kudakurage
上の方が
っていうのもあって
ある程度みんな不満を
持ってただろうし一方で
商人も力をつけたんで
全部が全部じゃないと思うけど
一部の地域とかでは
結構商人も力をつけて
自治国家みたいな部分
っていうのが形成されていった
っていう感じですね
飛ばさないと
終わんないんでだいぶ飛ばすんですけど
この頃も結局は
古代のやつを
もう一回再生させようって話だから
結局宗教画なんですよ
書いてるものはね
テーマはそうなんだけど
技術的な部分ではかなり変わってて
遠近法だとか
あと写実性みたいなものを
追求する部分とか
Takaya Deguchi
写実性
kudakurage
よりリアルな感じっていうかね
Takaya Deguchi
でも宗教画なんですよね
kudakurage
そうです
Takaya Deguchi
リアルって何なんですか
kudakurage
要は前はもっと
ベタッと平面的だったのが
すごい立体的に見えるから
Takaya Deguchi
そういう意味の写実か
kudakurage
すごいちゃんとした人間の形してるとか
そういう意味です
実際にさっきの
僕がちょっと見せた
天ペラ川跡のやつとかも
見て比べるとわかるんですけど
この頃の絵って
一応人の形の
手はなしてるんですけど
人のプロポーションとしては
ちょっと崩れてるんですよね
ある程度綺麗に
人工的な綺麗な部分を描こうとしてるというか
それに対して
ルネサンスの頃っていうのは
ちゃんと人間を描こうとしてるっていうか
人間として
そういうキリストだとか
これアダムとイブの
楽園追放っていう絵なんだけど
そういうものを
描こうとしてるみたいな
っていう意味での写実性とか
あと感情表現が
豊かになるっていう部分があって
これもより人間的な感じになっていく
っていうのとに近いんですけど
それまでの絵って
結構うっすら笑ってるとか
無表情とかっていうような感じだった
傾向だったんだけど
それをもうちょっと感情豊かに描くみたいな
この時は悲しいから
めっちゃ悲しい顔描くとか
そういう感じ
のスタイルになっていく
ルネサンスだと
代表的な画家だと
レオナルド・ダビンチとか
その辺の人がやっぱり
めちゃくちゃ写実性だとか
遠近法だとか
すごくわかりやすく
描いてる部分があって
特にレオナルド・ダビンチとかだと
医学とか解剖学まで
詳しい通ずる人じゃない
なんですけど
そういう人間を解剖してまでも
中身を知って
上でさらに写実的に描くみたいな
筋肉がこうついてるから
こういう風になってないとおかしいよね
みたいな風に描くみたいな
そういう人だったりとか
結構他の
科学的な部分も詳しいから
そういう意味でも緻密な
遠近法を用いた
描き方とか構図
っていうのを生み出していく
っていうような感じですね
ラファエロとかも
この辺の時期の人で
この人もやっぱ同じように
遠近法を用いた構図の
描き方みたいな
感じなんですけど
この辺割とラファエロとか
レオナルド・ダビンチもそうですけど
っていうのが割と
今後また
結構宗教絡みの
こういう美術の基盤になっていく
っていうような感じですね
この頃はやっぱり
宗教がメインではあるんですけど
やっぱりさっき言ったように
商人が力を持ち始めてるっていう意味で
めちゃくちゃ富裕層ではあるんだけど
そういう人がパトロンになるっていう
富裕層の影響
kudakurage
ケースもちょっとずつ出てくるんですよ
そういう人がパトロンになるとどういうことが
起こるかっていうと
一般人というかいわゆる富裕層の人たち
っていうのがちょっとずつ
世界に紛れ込んでいくっていう
メインは宗教がなんですけど
そこに自分を
紛れ込ませるっていうようなことが
起こり始めるんですよね
なんでそういうことをやるかっていうと
なんていうの
神的な人じゃないですか
アダム・イブ・キリスト・マリアみたいな
神的な
宗教がなんだけど
そこに自分が紛れ込むことによって
自分の権威を示そうとしたっていう部分が
多分あるんだよね
そういう意味でも自分たちがパトロンになって
自分を脇役として
そこに紛れ込ませる
みたいなことが
起こり始めるっていう
この
東宝三博士の礼拝っていう
絵があるんですけど
ディチェリの絵かな
これも基本的には中心にある
マリア様と
赤ちゃんのキリストの絵ではあるんだけど
その一部
例えばその手前にいる
赤いマントの人とか
左端の方にいる
ちょっと
ふすんとした顔の人とか
あとキリストに
直接触れてる白髪のおじいさんみたいな
人とかっていうのは
一般人というか
これを三博士って
詳しい人みたいな
人として
自分を紛れ込ませて
それにキリストとかに
越見してるみたいな
そういう絵として描かせてる
みたいな
そういう
神と自分が近しい存在なんだよ
っていうふうに示すことによって
牽引付けみたいなところがある
みたいな
っていう意味でちょっとずつ
めちゃくちゃ富裕層ではあるんだけど
そういう人が海外に
登場し始めるっていうような感じですね
ルネサンスの頃になると
もちろんなんか肖像画とかも
この辺から
描かれ始めたっていうような
話は書いてあったかな
だからパトロンが
それまで教会とか
教皇みたいなところだったのが
ちょっとずつそういう
めちゃくちゃごく富裕層も
パトロンになり始めたっていうような
印象ですね
王宮文化
みたいなのもちょっとずつ
生まれていって
その王宮主導
宮廷主導の美術っていうのも
この頃からちょっと
この頃って言ってもだいぶルネサンス
後半ぐらいになるのかな
マニエリスムって言ってるんですけど
いや別に後半とかでもないんだな
普通に15世紀だな
その宮廷主導の美術っていうのも
一方で生まれていって
この宮廷っていうのは
主にフランスとかかな
それまでのルネサンスの話って
割とイタリアとかなんですよ
言ったように商人が貿易で
っていう話だったんで
地中海を中心とした
都市国家形成なんで
地中海の中心というか
一番出っ張ってて一番行きやすい場所
って言ったらイタリアなんで
イタリア辺り古代ローマとかも含めて
ですけどイタリアを中心として
もらったんですけど王宮文化っていうのは
どっちかっていうとフランスの
ものでフランスの
宮廷を主導とした
美術っていうのも一方で生まれていって
その辺は
いわゆる富裕層ですよね
トップに立つような人たち
なのでそこが
美術として発展して
その辺の頃のやつを
マニエリスムって言ってるんだけど
ルネサンスっていうのはどっちかっていうと
さっき言ったように写実性
みたいな部分も含めて
自然な美っていうのを
追求してたより
本物っぽいみたいな
追求してたんですけどこのマニエリスム
の考え方っていうのは
どっちかっていうともうちょっと人工的な美というか
ある程度
人間っぽく描くんだけど
もうちょっと人工的に操作した
こっちの方が綺麗だよねみたいな
操作した美というか
そういうものが
発展していくんですよね
なので普通に
人間っぽいんだけどなんかちょっと違和感
あるみたいな
持ってるってことですね
Takaya Deguchi
持ってるってことですね
kudakurage
そうそうそうそう
やたら色白にしてたりとか
自分がいいと思う体のスタイルに
してたりとかっていう
目はもうちょっとパッチリしてた方が
いいかなみたいなとかそういう感じですよね
Takaya Deguchi
インストのフィルター掛けてるみたいな
kudakurage
だからこういうものがどっちかっていうと
宮廷の人たちに好まれた
というか
こっちの方がやっぱり綺麗だし私綺麗だから
いいよねみたいなそういう華やかさみたいな
部分も含めて
こう発展していった
独自のまたイタリアとかの
ルネサンスとは違う部分として
発展してた部分があったっていう感じですね
とはいえただ
ルネサンスの頃に生まれた技術的な部分っていうのも
取り入れながらっていう感じですけどね
だからこの頃
もうちょっと
後かなになると
経済力的な部分とか軍事力
とかの部分でもだんだん
フランスの方
宮廷の方がイタリアの部分を
通していくっていうのがあって
もうちょっと後々だった
ような気もするけど
芸術的な分野でも
イタリアの人たちの方が先に
ルネサンスで発展してたので
ただ
その人たちの力も
使いたいみたいなところで
イタリアから招兵して
核したりとかっていうのが
ちょっとずつ起こり始めるみたいな
この辺の
力関係経済的な力関係に
やっぱりどうしても画家たちは
左右されていくみたいな
パトロンに対してね
この後もそうなんだけど大体往々にして
だからいろんな考え方とかを
持って描いてたりするんですけど
画家たちも
とはいえ経済的な部分には
抗えないので
パトロンに合わせて立場をコロコロ変えるっていうのが
よく見えるっていう
とはいえ技術的な部分は
そのまま持ち越すので
描くものが変わっていくとか
描き描くどういう風に描いた方がいいっていうのが
よりパトロンに好まれるように
表現が変わっていくとかっていうような感じ
になっていくって感じですね
宗教戦争とプロテスタント
kudakurage
そうだね
で次にバロック
っていう時代に
バロック様式とかっていうものの
時代に入っていくんですけど
ルネサンス後
これは何かっていうと
背景に宗教戦争
みたいなのがあって
そのなんか宗教
リリスト教でもカトリックとかプロテスタント
大きく分けてカトリックプロテスタント
っていう風にあるんですけど
そこの争い
みたいなのがあって
これが生まれた背景とかもあるんですけど
プロテスタントは割と厳粛な
聖書にのっとったもの
カトリックはもうちょっと俗的なもの
俗的っていうと失礼になったりするのかもしれないですけど
もしかしたら
普通にだから
今までのものがずっとカトリックとしてあって
いやなんかちょっとあの教皇
やりすぎじゃねえみたいな
ところもあったりとかして
もうちょっと聖書にのっとってやろうよ
厳粛にやろうよみたいなのが生まれたのが
プロテスタントっていうのは
ざっくり言うとそのような感じですよね
そういうだからカトリック
vsプロテスタントみたいな
宗教戦争の背景もあったりして
そのプロテスタント側の
言い分としては
その聖書だと
偶像衰敗は禁止されてるよねみたいな
お前らなんか
やたらキリストとか
マリア様とか書いてんじゃんみたいな
でもなんかそういうの禁止されてるよね
みたいな部分
と言い分としてあって
まあその辺の
影響を受けて
直接書かないみたいな
そのマリア様とか
そういう神的なものを
直接書かない
っていうような感じになってくるんですよ
だからまあこれ今僕が
表示している絵も
無限在の
親鳥っていうようなやつ
一見
マリア様的な
風に見える
象徴としては見えるんだけど
間接的にそういう風に見せてるみたいな
もので
普通の女の人なんだけど
例えばこの青い歯衣を
まとってるとか
下の方に三日月っぽいものが
描かれてるとか
そういうもので間接的に
これはマリア様に見えるよね
みたいなのを
匂わせるような表現
っていうような意味で
だからそういう意味で
より一般人的な感じになってく
みたいな書いてるものが
直接神を書いてないみたいな
一般人なんだけど
神を装うみたいな匂わせるみたいな
そういう表現になってくるような
感じですね
とか神をより身近に
感じさせるっていう部分もあったんだと思うけど
これも同じように
バロックの特徴
kudakurage
聖母とキリストを
描いたような絵なんですけど
すごい人間的な感じじゃないですか
こういう風に一見してみると
それらの農民の人たちと
一緒に写ってるような
絵なんだけど
一般人っぽく描いてるんだけど
よくよく見ると頭の上に光の輪っかがあるみたいな
すごい
細ーく描いて
光の輪っかを描いて
これは実は
天使の輪っか的なものなんですけど
光輪って言われる
そういうもので
暗に匂わせるみたいな
しかも庶民に
より身近な存在として描くみたいな
庶民っぽく描くっていうのも含めて
より庶民と身近な存在として
描くみたいな部分が
この頃のバロックの頃に
描かれていたような
表現ですね
Takaya Deguchi
抽象的に抽象度が
kudakurage
上がったっていうことね
Takaya Deguchi
神の表現が
kudakurage
そういうことですね
っていうのと
より一般市民に向けて
っていう
広告的な意味では
感情移入を誘うような
演出みたいなのも含めて描いていて
この絵とかも
ロレッドの聖母ってやつも
わかりやすいんですけど
すごいコントラストをはっきりさせて
ドラマチックな感じで描いてるんですよね
このバロックの頃は
かなり強めの絵画っていうのが
多くてすごい劇的な感じ
描いてる内容も割とストーリー
みたいなのを感じさせるような描き方
っていうのが多い
っていうような印象ですかね
これはどっちかっていうと
手法的な感じなのかもしれない
表現手法的な感じなのかもしれないですけど
ドラマチックな演出みたいな部分っていうのは
結構このバロックの時代から
生まれ始める
それまでのぺってことはないけど
割と明るい印象というか
割と照明が全部に当たってる
日光が全部当たってるっていう感じだったんだけど
バロックの時代
kudakurage
ちょっとバロックの頃になると
光が差し込んでるような
印象っていうような
感じの表現になっていくって感じかな
このバロックの頃から
ちょっとずつ
それまで
宗教画ではあるんだけど
生物画とか
風俗画風景画みたいな部分も
ちょっとずつ描かれ始める
ただまだそれが
間接的な意味での
何かを暗示しているようなものだったりするんですけど
要は
風景画なんだけど
それまでこのモチーフを
ドアップにして描いてる
っていうようなものだったのが
エジプトへの逃避とかっていうやつ
を見ると分かるんですが
今までは
同じエジプトへの逃避とかでも
モチーフ自体
人物自体を大きく描いていた
のがちょっとずつ
あるというかね
大体背景の方が大きくて
登場人物がちっちゃくなるみたいな
そういう絵も
生まれ始めて
そういう風景画みたいな部分
っていうニュアンスが
生まれ始めるみたいな
あとさっき
あったような
より市民が登場してきて
より
俗市民自体を描いたもの
とかっていうのが出てきたりとか
生物画なんだけど
これは
ミケランジェロの
果物籠っていうやつで
普通に果物を描いたような
ものなんだけど
あんに枯れてる部分があったりとか
リンゴに虫食いが
あったりとかっていうのも含めて
死とかそういうものを暗示する
みたいな風に言われてたりするんですけど
そういう何かの意味を
込めて生物画を
描いている部分っていうのがちょっとずつ
生まれ始めるっていうような
時代ですね
この辺は初期かな
生物画とかそういう風景画の
さらにもうちょっと
ルネサンスとかが進んでいくと
今度またさっき
貿易例とかっていう話が
あったんですけど
さらに
オランダで新しい
文明というか
都市国家形成が生まれ始めるんですけど
この頃に
大航海時代になるんですよね
大航海時代になると
オランダみたいな
海に地中海っていう
部分じゃなくてもうちょっと
外洋に近い部分が
すごく発展し始めるんですけど
大航海時代になることによって
今までさっきは
すごいごくトップの富裕層の
がめちゃくちゃパトロンになってた
時代だったんですけど
中産階級って言われる部分が
生まれ始める
ある程度お金とかっていうのを
持ち始めて
中産階級による民主主義的な
資本主義経済体制みたいな部分
っていうのが確立し始める
っていうのがオランダのほうで
起こっていくわけですよね
ある程度
めちゃめちゃ金持ちではないけど
それなりにお金持ちみたいな人たちも
生まれ始めるみたいなところがあって
そういう背景から
家庭鑑賞用の絵画みたいなものも
生まれ始める
描かれ始めるんですよ
今までは割と宗教画
とかっていうのがメイン
ルネサンスの頃のさっきの
ごく富裕層も
古代のやつを
参考にしようって話だったから
テーマとしては宗教画だったんだけど
中産階級になると
家庭で
家に飾り用の絵を
ちょっと注文しようか
みたいな感じになってくるんで
よりテーマとしては
宗教のものが好まれ始める
っていうのもあって
風景画とか生物画みたいな
宗教的な意味合いを
そこまで深く持たないものっていうのが
好まれ始めるっていうのも
あって
さっきの果物籠みたいなやつとか
そういうのも描かれ始めたり
とかもちろん
自分の肖像画みたいなものも
あったりとか
そういうところがこの辺から
描かれ始めた感じ
ですね
ロココの時代
kudakurage
これとかもそうかな
ワイン商人のギルドっていう絵も
これはギルドって
言ってる通り自分たちを描かせた
みたいな感じですよね
ただ様式としてはさっき言った
ブロックのちょっと劇的な感じ
コントラスト強めな感じ
っていうのは受け継ぎつつ
描かれてるものは自分たちみたいな
とかその頃のオランダの風景
風車が描かれてますけど
なんか
映画みたいなものとか
特にこれは宗教的なイメージは
ほぼほぼないですよね
この頃になると
外公開時代なので
保鮮大公開時代は
保鮮ですよね
布とかも手に
入りやすかった部分もあるだろうから
それも含めてこの頃から
ようやく油絵の具的なもの
その手もいっても
チューブから出てくるようなものではなくて
自分で油絵の具作るんですけど結局
油絵の具的なものとか
カンバスの
組み合わせで割とこう
手軽に描くみたいなのが
ちょっとずつ画材としても
変わっていったって感じかな
でよく日本でも
人気のフェルメールっていうやつも
フェルメールさんも
この辺の頃からの人たちですね
フェルメールも別に
宗教画を描いてるわけではなくて
割と風俗画って
言われている一般
俗市民を描いたもの
これはなんか地理学者
俗市民っていうよりはもうちょっと階級は
上かもしれないですけど地理学者を描いたものなんですけど
そういう人たちを
描いているでフェルメールさんの特徴
とかっていうのは結構窓から
差し込む光みたいなのを表現みたいなのが
割とよく言われる部分ですけど
その辺もバロックっぽいっちゃ
Takaya Deguchi
バロックっぽいよね
牛乳を入れる人
kudakurage
みたいなやつ
そういうやつとかね
描き方としてはなんかすごい透き通った感じが
する光を描く
みたいな感じの人ですよね
Takaya Deguchi
どっかで見たことあるな
kudakurage
まあ
フェルメールさんとかは結構
有名だし
日本人も結構好きな人
多いから展覧会とかも
多いんで見る機会はすごく多いかな
Takaya Deguchi
って思いますね
オランダの人ですよね
kudakurage
そうだったはず
そうですね
地理学者っていう部分も
結構大航海時代を反映しているような
印象ですよね
でその次に
さっそく行きますけど
一方その頃フランスの王宮では
みたいな感じなんですけど
今度まあロココ
っていうロココ帳とかって言われたりするけど
ロココっていうような様式みたいなのが
まあ王宮の方では
流行り始めていて
それまでなんか
前は何でしたっけ
マニエリスムだったっけ
マニエリスムっていう
人工的な美みたいなのが
いいよねみたいな
私もっと綺麗にしてよみたいな
感じだったんですけど
そっからロココっていう
もうちょっとナチュラルな感じの
流行り
流行りですよねこの辺は
になっていくんですけど
でもやっぱ王宮なんで
華やかな印象っていうのはやっぱりあって
華やかな絵が描かれているわけですよ
やっぱりこういうのも含めて
これはイギリスだったかな
ただやっぱりなんかすごい
王宮らしさっていうか
華やかさとか
ただ軽快な感じで
自分たち貴族の様子が
描かれているっていう絵が
ロココでは
多いっていうような感じですかね
バロックっていうのはどっちかっていうとさっき言ったように
劇的でドラマチックな感じ
だったんだけどそれは幻覚とか
権威みたいなものを多分
強調しようとしてたんだと思うけど
こっちはどっちかっていうともうちょっと
軽快な様子というか華やかな様子みたいな
もうちょっと個人の
感覚を楽しませようとするような
楽しむっていうような感じの印象の絵
ですよねなんかのどかな楽しげな
イメージというかピクニック
している様子とか貴族たちが
でなんかロココ
とかの特徴としては
その絵画だけじゃなくて
そういう
タンスとかそういうものも
なんかこう草花の
モチーフであしらったりとか
なんか結構曲線を使う
まあ割とアールヌーヴォー
っていうものに近いような
印象の装飾
のものが多いですねロココは
でこの頃に
また一つ重要なものとして
王立美術アカデミーっていうのが
なんかできるんですけど
まあこれは何かっていうと
定期的な展覧会みたいなのを開いて
そういう芸術家
たちに作品を
売り出すためのサロンを
作ったんですよなんか
まあ相手は貴族とか
富裕層に向けて売り出すみたいな
っていうなんか場を用意して機会を
用意してあげて
それでこうみんな頑張ってね
みたいな感じの
場所を作ったんですけど
だんだんやっぱりその
芸術家たちはより自分たちのものが
認められるとか売れるとか
っていうもののために
だんだんアカデミーの意思に沿った
ものその評価に
従うような表現みたいなのがどんどん
追求されていくっていうような感じで
また独特のものができて
上がってくんですけど
結構この王立美術アカデミーっていうのが
一つ重要な部分としてあって
これ自体っていうよりは
だんだんそれに反抗する人たちが
出てくるんだよね
あいつらに
従ってるのなんか嫌じゃねーみたいな
部分が
出てくるっていうのが
後々出てくるんですけど
そういう意味で
ロココの頃の
王級の美術様式っていうのは
一つ重要な部分が
Takaya Deguchi
あるっていうような感じですね
美術史の流れ
kudakurage
ロココって白っぽい感じなんですかね
白っぽい印象はあるね
なんか僕も
一昔前の紅茶家電
っていうイメージ僕の中で
紅茶家電ってあるじゃないですか
紅茶のブランドというか
今ちょっとパッケージとかも
全部変わって
全然違うような感じになっちゃってるけど
なんか一昔の紅茶家電って
そういう僕のロココ調
っていうようなイメージが
僕の中であるっていうような感じかな
Takaya Deguchi
白と青みたいな
kudakurage
なんかフランスっぽいっていうか
うんそうそうそうそう
王級文化ですよねやっぱりその辺は
でもうこの辺が
18世紀とかになるのかな
だいぶ
だからだいぶ
もう近世の後半
ぐらいになってくるのかな
貴族から上層市民への変化
kudakurage
その次にフランスの王級文化
っていうのがずっと貴族によって
続いてたんですけど
フランス革命が起こるんですよね
フランス革命が起こって
それまで貴族が権力
独占してた部分が
破壊されるわけですよ革命によって
でその
いわゆるブルジョワっていう
なんていうんだろう
さっき言ってたようなもうちょっと経済的に
力を持ってた市民ですよね
とかっていうのが
ある程度力をまたフランスの方でも
結局持つようになるみたいな
フランス革命によって
最終的には
王級も完全に
排除されるっていうわけじゃなくて
貴族たちもブルジョワたちも
貴族と一緒に並ぶみたいな
そういう連立して
やるみたいな状況に
なるんですけど
そういう意味でフランス革命っていうのは
貴族と上層市民
上級市民っていうより
対等な位置にしたっていうような感じの
ものですね
ただそれによって貴族たちは
それまでどおりの
生活というか
kudakurage
それまでどおりの生活とはちょっと違うような感じ
になっていくので
それでロココ主義みたいな
ロココのやつっていうのは
終焉するみたいな貴族主義的な部分
っていうのもあって
もうちょっとまた
美術的な部分でも変わっていくんですけど
その頃が
新古典主義とかロマン主義って言ってるんだけど
また古典いいよね
って言い始めるんですよ
だからこれは流行りだよね
結局
さっき言ってた
王立美術アカデミーで
結局また古典が流行り始める
それが古典って言ってるのは
古代ローマギリシャ
ローマギリシャの頃もそうだけど
ルネサンスの頃もそうだね
ルネサンスは古代ギリシャローマを
参考にしてるんだけど
あれの頃のルネサンスのやつも
いいよねって言って
それもさらに再評価するみたいな
っていう結局
カウンターカルチャーの波みたいな感じになってるんだけど
この頃の
再評価っていうのは
ルネサンスの頃はテーマは一緒だけど
技術的な部分はあれって話だったんだけど
変わってるみたいな感じだったんですけど
この頃の再評価は
割とあれ
伝統的なタッチというか
あの頃の描き方良かったよねみたいな
あれで多分
バロックとかの影響も受けている部分は
あるだろうけど
ただもうちょっと
昔っぽいような描き方みたいな
部分が多いような印象
ではありますね
この辺のよく見る
ナポレオンの絵とかかな
ジャック・ルイ・ダビットとかっていう人が
描いているようなものとか
この辺とかは
昔っぽい絵っていう印象かな
ナポレオンの絵とか
構図とかも含めて昔っぽい
って感じかな
民主を導く自由の女神
ドラクロアっていう人が描いた絵とかも
割と有名な
何となく見たことあるものだったりする
と思うけど
描き方としては割とバロックの影響も受けつつ
ただちょっとタッチとしては
昔っぽいというかね
古代、ルネサンスの頃とか
もうちょっと前の
感じの印象もあるっていう感じかな
ターナー
アカデミーへの反抗と印象派
kudakurage
この頃ターナーとかっていう
この辺の人も
有名だけど
あるんだけど産業革命が起こり始めるんだよね
この頃から18世紀だから
イギリスを中心に
産業革命が生まれ
始めて
画家主導で
絵画が描かれるっていう
今までパトロンがいて
描いてたんだけど
その辺がもうちょっと画家が自由に始めるっていう
要はみんなちょっとずつ裕福になって
いってるんだよね多分
そういうのも含めて画家が主導して
こういうのを描こうって
描きたいみたいな感じで描かれ始めていって
その頃に生まれたのが
今有名なのがターナーとかミレーとか
っていうような人たちで
ターナーとかも
割と風景画みたいなのを
よく描いてる
魚の絵とか船の絵とか
そういうのが
よく描かれていたりとか
っていう感じかな
まあこの辺の
絵っていうのは基本的に
前言ってた王立美術アカデミー
では評価されないわけですよ
基本的に
なんで評価されないのか僕にも
よく分かんないけど
私たちは好きじゃないみたいな感じだよね
そういうのは評価しないみたいな
感じだったんだけど
アカデミーに反抗する人たちっていうのは
ちょっとずつ出始めるんですよね
この頃から
貴族たちを基本的に
アカデミーでは描いてたりするので
貴族たち
さっき
貴族の生活を描いてるとか
っていう話もあったんだけど
割と言ってもそうは言っても
綺麗に描かしてるとか
いい場面を描かしてるみたいな部分がやっぱりあって
でも実際
それ違うよねみたいな
そんなところばっかじゃないよねっていうのも
訴える人はいて
そういう人たちが反アカデミズム
な感じの運動というか
美術を描いていくんですけど
例えば
クールベっていう人は
貴族
だけど
そんな綺麗な部分だけじゃないよね
もうちょっとなんか
体とかも
贅肉がついて
見にくい部分あるよねみたいな
そういう部分も見にくい部分も
全部包み隠さず
描いたほうがいいんじゃないのっていうような考え方の
レアリズムっていう
考え方の
文化というか
様式じゃないなこれは
そういう描き表現っていうのも
生まれ始める
ただそれは反アカデミズムって言われて評価はされないみたいな
アカデミーの人たちから
でもこのクールベっていう人は
美術史上
初の個展っていうのを開催したらしくて
それをやるきっかけが
パリ万博だったらしいんですよ
そのパリ万博に
自分が描いた
その包み隠さず描いた絵っていうのを
出品したら拒否されて
いやこんなの
ダメだっつって
でそれにムカッとして
そのパリ万博が開かれてる
向かいの建物借りて
そこで個展を開くっていう
皇居に出るっていう
人でそれが世界
美術史の個展の
最初だって言われてるらしいですね
だからこの頃から
その反アカデミズム的な
人たちっていうのが
対等し始める
対等っていうか出てき始めるっていうかね
ある程度
今認められている人たちっていうのが
結構そういう人たちが多くなってくるんですよ
アカデミーは結局ずっと
同じようなものを描いてるからっていうのがあるのかもしれないですけどね
その印象派って
よく聞くと思いますけど
印象派の人たちも
結局その反アカデミー
グループだった人たちなんですよね
アカデミーに
従わない人たちだったんですけど
この人たちはただ
反発するっていう部分も
あったんですけど
その実験的な取り組みっていうのも
一方でやっていて
それが印象派に繋がってるんですけど
実験的な取り組みとしては
どう光を表現するか
っていう風に考えた時に
どうしてもやっぱり
混色する
絵の具を混色していくと
原稿混色の理論で
どんどん色がくすぶっていってしまうんですよね
それだと
自分が思ってたような
普通に見てるような
色っていうのが再現することができない
その明るい色で
再現することができないっていうのを
なんとかできないか
つってそれを
やったのが印象派の描き方で
どういう風に描いてるかっていうと
できるだけ原色の色を使う
まず基本的に
原色かそれに近い色の絵の具を使う
っていう部分
色んな色を混ぜないって話ですよね
ただそれを
混ぜないし重ねないで
細かく並べて配置する
っていうような描き方をする
だから印象派って
筆のタッチが
見えるような感じというかさ
点々と書かれているような
印象
っていう風になってて
理論的には
花崩混色に近い理論
なんですよね
実際には光じゃないんで
目で見ると
近くで見ると
色んな色が並べてある
っていうような感じなんですけど
遠くから見ることによって
いわゆるディスプレイの原理と同じですよね
赤と青と緑っていうのを
実は細かく並べてあるだけで
遠くから見ると
それが重なり合って
別の色として見えるような感じ
の技術を
生み出していったっていうのが
この印象派の人たちで
それによって
反射する光で
点描派と新しい表現方法の発展
kudakurage
花崩混色するっていうような
描き方をするっていうような
の人たちですね
このモネとかルノワールとかが
日本でも有名な人たちですね
モネとかは割と
象徴的な
人でなんか色々見たことあるだろうと
思いますけど
ルノワールとかも結構ね
綺麗なんですよ
明るい印象の
楽しげで明るい印象の絵とかが
多いかなルノワールとかは
で光とかっていうのも
なんか
バロックは強調した光だったんだけど
なんかもうちょっと違う
こもれ日々的な印象のこういう描き方っていうのが
ルノワールが多い
っていう感じかな
でもそれを印象派の
さっきのてんてんてんてんっていうような
原色の描き方でやってる
より原色に近いんでかなり
色鮮やかっていうような
印象ですねルノワールの方が
モネも物によっては
色鮮やかなのかな結構暗い
モネはなんかくすんだ印象っていうのは
ちょっとありますけど
後々これを
引き継いださらに
点描派って言われる
ちょっと点を細かくしようって
いう人たちも出てくるんですけど
そういう人たちも
引き継がれつつ印象っていう描き方
考え方とか
割と理論的な部分も含めて
発達していったっていう部分があるかな
その色彩論とかさっきの
原宝根植とか
花宝根植的な部分とかも含めて
でこの頃から
18世紀とかだから
18世紀後半とかになるのかな
日本も
開国迫られて
日本の文化とかっていうのが
西洋にちょっとずつ出始める
っていうのがあって
ゴッホのジャポニズム
kudakurage
ジャポニーズブームっていうのが
起こるんですよ
ジャポニーズブームの頃に
結構影響を受けているのがゴッホで
ゴッホは結構
よく言われてるのは
Takaya Deguchi
北斎
kudakurage
そうそう北斎とかの
浮世絵か
浮世絵とかをめちゃくちゃ
研修してたとかっていう話が
よくありますけどゴッホはめちゃくちゃ
ジャポニーズブームっていう日本の
浮世絵とかに影響を受けてて
ただ印象派の
影響というかそういうのも
あるから描き方としては割と
印象派的な
タッチの見える描き方なんだけど
ただその印象派の
人よりもよりこう
ジャポニーズブームの影響を受けている部分として
平面的な部分があるんですよ
浮世絵って結構
平面的な描き方
色をはっきりさせて
平面的に描いてる部分っていうのが
あるグラデーションで
陰影をつけてるっていう印象はあんまりない
感じの描き方なんですけど
それに影響を受けていて
割とこう
平面的な描き方
っていうのをゴッホは描いているっていう
印象ですね
確か浮世絵をそのまま描いてる
っていう作品もゴッホは
あったはずどっかにあった気がするけど
Takaya Deguchi
見当たらないな
ちょっと暗い印象なのは
kudakurage
これはゴッホだからなんですか
Takaya Deguchi
印象派の中でも
kudakurage
あーゴッホ
だからなのかもしれないですね
暗い印象ね
Takaya Deguchi
ちょっとなんかこう色が
なんていうの
くすんだ感じに
さっきの印象派に比べると
なった感じなんですけど
kudakurage
まあ
それはゴッホの
タッチなのかもしれないですね
表現なのかもしれないですね
精神的なもの
ただ色としてはさ結構原色使ってる
ゴッホとセザンヌの影響
kudakurage
使ってるじゃないですか
ただちょっと青っぽいから暗く感じるとか
Takaya Deguchi
っていうのはあるかもしれないですけど
なんかひまわりとかもなんかこう
純粋なこう黄色っていう
ちょっとなんかくすんだ
kudakurage
黄色っていう
まあまあまあまあ
でもモネとかもね結構これぐらいの
くすんだ感じっていうのはあるから
ものによっては
鮮やかなものもあるけど
割とくすんだ印象のものとかも
まあいわゆる
まあでも
割と鮮やかな方なのかな
なんかモネの方が
Takaya Deguchi
なんかモネの方がなんかこう
kudakurage
透明感があるっていうか
そうねそうかもしれないね
Takaya Deguchi
だいぶ時代は
進んできた感じがありますね
kudakurage
そうですね
印象派になるとだいぶ
もの自体もやっぱもう全然
宗教画とかがかけ離れてるし
描き方とかも
割と変わってきてるから
まあだからたぶん現代とか
特に日本人とかが
見て面白いって思うのは
たぶんこの辺ぐらいからなんですよね
やっぱり
印象派とか
もうちょっと前のターナーとかミレイとか
やっぱりその宗教的な部分から
切り離されて
新しいことをやろうとしてる人たちの
絵画っていうのが割と人気な
印象あるよね
Takaya Deguchi
あんまこう浮世時代
こう風景を切り取ったりとか
kudakurage
そういうのが多いのか
そうですねまあでもなんかこう結構
ジャポニズムの影響っていうのはたぶん
西洋絵画において
割と影響を受けた部分があって
そのさっきの平面的な色彩の
感じとかまあ
割とこう彩度の高い
鮮やかな色を使うっていう部分も
たぶん影響を受けてるだろうし
構図的な部分も
なんかそれまで割と
安定した構図っていうのが多かったんですけど
その
こういう宗教画とかも含めて
なんか結構どっしりした感じというか
さっきのドラクロワー
とかでも
印象としては
こう
三角形の感じだよね
中央が
こうあってそっからこう
なだらかに山状になってる
みたいな構図の描き方っていうのが多いんですけど
割と安定してて
主題が真ん中にあって左右対称
っていう印象
ただジャポニズムは割と構図が結構
ダイナミックな感じになっていくっていうのは
なるほどね
その辺を取り入れてるっていうのは
感じの部分は確かあったはずですね
Takaya Deguchi
浮世絵ってなんか漫画っぽいっすよね
kudakurage
うん
結構大胆な構図をしてることが多い
ですね
よくある橋が描かれてるやつは
雨が降ってて橋が描かれてる
浮世絵ってあるじゃないですか
あれとかも割と構図的には
結構大胆
それまでの西洋美術史からしたら大胆な構図だよね
うん
結構バツってこう
斜めに切るみたいな感じの構図みたいな
Takaya Deguchi
板川博之か橋のやつ
kudakurage
まあだから
ゴッホとかはやっぱそのジャポニズムの影響を受けて
その
構図的な部分もそうだし
ちょっとその対象から特定の色を抽出して
再構成するみたいな
表現
っていうのをしていて
その遠近感っていうのも
遠近法で案に書くっていうよりは
もうちょっと
色の配置で書くみたいな
うーん
まあ表現をよくやっていて
ちょっと具体的な例をなかなか出すのが難しいんですけど
まあ多分
そういうので
平面的な感じなんだけど
その奥行き感を表現するみたいな
ことを
まあ結構やり始める
まあちょっと抽象的な技術になってくるんだよね
この辺から
とか輪郭線で囲むっていうのもこの辺ぐらいからなのかな
なんかこう輪郭線が
明示的に出てくるみたいな
Takaya Deguchi
うーん
kudakurage
それまではなかったんですか
それまでは割と
なかったですね
こういう表現っていうのは
まあ要はこれって多分平面的に描くっていうところから
始まってるんだと思うやっぱり
その
単色ではないんだけどある程度
一つの色代表的な色を抽出して
それを書くっていうところから
やっぱりこう
じゃあ囲みがないと
全部ペタって一緒になっちゃうじゃないですか
だから
それを多分表現するためにその輪郭線的なものが
生まれ始めるんだと思うんだよね
この辺から
印象派とポスター芸術
kudakurage
でここは
かなり印象派の影響を受けてるんですけど
セザンヌも結構この辺
後期印象派で有名な人で
まあだいぶ
えっと
現代にも影響を与えているような
人なんですけど
セザンヌも同じように
なんか特定の色を抽出して
割とそれを
主題というか
その対象に対して
二次元的に描いていくっていうような表現が
多いんですけど
ある程度立体感は
まだ残ってるんですけど
セザンヌはもっとでも
抽象化する部分として
色だけじゃなくて形態とか
空間表現的な部分も
単純化して
描くみたいなことをやり始めていて
なんか
これとか見ると
わかると思うんですけど
リンゴとかよく描いてるんですけどセザンヌは
リンゴなんだけど
割とこう丸
これは丸みたいな
ちょっと細長い丸みたいな
割と単純化して描いてる部分が
あるんですよね
っていう
抽象化して
二次元上に表現するみたいな
ことをセザンヌは
やり始めている
この辺も印象派とかを
引き継ぎつつまたちょっと違う部分
の実験をしてる部分は
多分あると思うんですけど
構図的な部分も
3次元空間を
どう再構成して描くかみたいな
写実的な部分
としては違う
もしかしたらよく見ると
不自然なのかもしれないけど
なんとなくイメージというか
印象の中では自然さみたいな
ものを感じするような
絵っていうのを描く
僕の感覚からすると
目をつぶって思い出すような
絵みたいな
印象派って割とそういうような
絵なんですけど
絵の中で出てくるような絵とか
そういうような感じですよねイメージとしては
だからよくよく
見ると不自然なんだけど
この絵とかもよくよく
見ると机の
後ろの机の
位置が
段々になってて
全然合ってないんだけど
こういう感じのイメージだよね
みたいな風で描いてる
印象派っていうのは
だから実際の写実的な絵とは
ちょっと変わってくる
別の表現として生まれ始める
部分ですよねこの辺は
空間表現を
2次元にどうイメージとして
再現するかみたいな
感じの表現
これが結構やっぱり
語法も含めて
現代の芸術的な部分
美術的な部分に影響を与えてる部分
っていうのがすごくあるっていうのは
印象ですね
多分この辺っていうのは
さっきの産業革命
とかも含めて
カメラとかがより
生まれて普及し始めてる
っていう部分もあって
多分その写実的な部分っていうのは
カメラが担うようになっていった部分があると思うんだよね
その肖像画とかっていうのは特に
っていう意味での
必要性とかっていうのもなくなっていった部分があるんじゃないかな
って僕は思っていて
そういう背景で
自分たちがどういうものを
描いていくべきなのかとか
考えてた時に印象派みたいなものも
生み出されていったんじゃないのかなっていう
感じですね
でまあ
産業商業とかも
発達していくんで
ポスター芸術とかも
この辺から生まれ始めるって感じですね
工業製品とか
量産されていくんで
それが
より街の行く人に
目を引きつけてもらうような
引きつけるような
っていうのを描く時に
大胆で明快で
色彩とかも鮮やかで
より目が
引きつけられるようなもの
っていうのでポスターとか
広告が作られるんだけど
そういうものを作るってなった時に
多分こういうさっきの
ジャポニズム的なものじゃないけど
ある程度鮮やかで
構図としても
異質なものというか大胆なもの
を採用しつつ
明快にするためにセザンヌ的に
割と平面で落とし込むみたいな
っていうのは
ものが採用され
始めてポスター芸術
っていう風に言われてるんだけど
この辺になってくると
今のイラストっぽい表現みたいなもの
になっていくっていう感じですね
ムンクとかも
この頃ですね
古代ローマギリシャからバロックまで
kudakurage
これも割と印象派っぽい
ものもありつつ
もう完全に
異質的なものではないじゃないですか
イメージの中のものですよね
叫びっていう作品とかも含めて
イメージの中で
これは確か誰かが叫んでて
それを耳を塞いでて
っていうような確か
絵だったように思いますけど
そういう
自分の心の内面的な部分も
含めて絵に落とし込むみたいな
っていうような
描き方 この辺から
物理的なモチーフじゃなくて
内製的なモチーフっていうかね
ものも割と書かれて
いるんですよね このムンクのやつも
そうなのかもしれないですけど
っていうところでそろそろ
現代 近代から
現代に入っていくんですけど
この辺からさっきの産業革命もあって
デザイン史でもやった
アーツ&クラフト運動とか
アールヌーボーとか
アールデコとか
もうちょっと先にバウハウスとか
そういうデザイン的な歴史も
工業製品と
美術の融合みたいな部分
の歴史もあるんですけど
その辺はちょっと飛ばして
それで
現代の美術で有名な部分を
紹介していくと
キュビズムあたりですよね
キュビズムも
やっぱり印象派の影響をすごく受けている
わけですよ これは描き方っていうよりも
考え方に多分近いんだと
僕は思ってるんですけど
さっきセザンヌがやったような
空間表現というか
3次元のものをどう2次元
上に単純化して
再構成して描くかっていう部分の
挑戦の一つとして
キュビズム的な考え方が
Takaya Deguchi
ある
kudakurage
キュビズムってピカソとかでしたっけ
そうですね ピカソとか
ブラックとかって言われてますね
その2人が中心ですね キュビズムの
これは
空間っていうのを
どう表現したかっていうと
他方面からの視点っていうのを
同一平面上に
同時に描くっていうことを
やったっていう感じですね
キュビズムの由来としては
どっちかっていうとブラック
最初に描き始めたのはピカソなんだけど
それに影響を受けたブラックが
よりキュビズムを発展させていって
それがきっかけでそれがキュビズムと言われるのが
あったんですけど
だからブラックの方が
より切り刻まれていて
立方体がいっぱい
積んであるような感じに見えるんですよ
これは
対象周囲の空間ごと
切り刻んでそれを
他方面からの視点として
再構築させたから
立方体を積み重ねたように見えるから
キュビズムって言われてるらしいんですけど
そういうようなものですね
よくゲルニカとかが
有名ですけど
これも
正面から見た顔と
側面から見た顔っていうのを
同時に描くみたいな
とかっていうので
どう3次元を
2次元に落とし込むかっていうものの
表現の一つですよね
Takaya Deguchi
急に大きい変化が出てきましたね
kudakurage
そうですね
ピカソーはいきなりこういうのを描き始めたっていうよりは
結構いろんな描き方をしてて実は
いろんな時代があるんですよ
青の時代とか
青の時代とか
ピンクだったかな
そういうピンク色みたいなものの時代とかもあったりして
いろいろやってるんですよ
バラ色の時代か
青の時代バラ色の時代があって
キュビズムがあってさらにまた
ちょっと変わってくるんですよその後
いろいろ実験的な
取り組みをしてる人ですね
でも多分
考え方としてはかなり印象派の影響を
すごく受けてる
原色的なものを使うとかっていうのも含めてね
平面的な表現っていうのを
空間を平面的な表現として
どう落とし込むかっていう部分を
発展させているっていうような
印象派のやつを
でさらに
その後未来派っていう人たちが
また別のとこから出てくるんだけど
未来派っていう人は何かっていうと
なんかね
美術的な部分とはまた違う文脈で
出てくる人たちなんですけど
なんかこう
産業が発達して工業化していって
今まで宗教的なものを
今まで宗教的なものが
根本にあったんですけど
どっちかっていうと
科学主義的な考え方っていうのが
主流になっていって
それを背景に
思想として
躍動とかスピードみたいな部分っていうのを
テーマに掲げるような
考え方として出てくるんですよ
なんかこう書いてあったのは
イタリアの詩人である
フィリッポ・トマゾ・マリネッティは
1909年に
外派宣言を発表して
芸術家に必要なのは
勇気大胆反乱だと
王道したって言ってるんだけど
そういう勇気大胆反乱
もうちょっと動きとか
躍動スピードみたいなものを表現しよう
みたいな
ことを言っていて
最初そういうものをどういう風に
表現したらいいかはよく分かってなかったんだけど
ピカソとかの
キュビズムを見てこれだっつって
キュビズム的なものを
取り入れて
動きとかスピード躍動みたいなものを
表現しようとしたっていうような
感じのものが多いですね
この未来派っていうのは
さっきのキュビズムが
いわゆる3次元空間を2次元に
落とし込むっていう部分があったと思うんですけど
多分この未来派になると
動きとかっていう意味で
空間的な
多方面的な視点っていうよりは
時間的な多方面的視点みたいな
この時間とこの時間と
この時間とこの時間を同一平面上に描くみたいな
ことをやろうとしてる
それをキュビズム的な手法で
じゃないかな
っていう風に解釈が多分できるんだと思うんだよね
この絵とかは
見ると多分なんとなく分かるけど
その動き的な部分を
切り刻んでただ同一平面上に描く
みたいなとか
なんかね階段を下りる
みたいなやつとかもなんかあった気がしたけど
だからキュビズム的な
手法を取り入れつつ
空間だけじゃなくて
時間にまではめるみたいな
考え方の表現を
していった人たちですね
なるほど
だから結構こういう
印象派から続く
何かを
抽象化してその平面上に
落とし込むみたいな部分
っていうのを
が結構現代美術に
すごく考え方として
受け継がれてる部分
っていうのがあるっていう印象が
あるような気がしますね
それを発展していったのが
キュビズムであり未来派であるっていう
歴史的にはその後
ダダイズムっていう
前でぐちくんも話してた
マルセルディシャンとかどっちかっていうと
これってもう美術っていうよりは
芸術に入っていくみたいな
最初の媒体としては
美術的なものなんだけどだんだん
もうちょっとそれに枠には
収まらない芸術的なものだよね
なんか批判精神
に富んだ芸術みたいなこと
言ってたりするけどダダイズムは
マルセルディシャンとかも
なんか便器にサイン
書いただけのものとか
そういうのが有名だけど
どこから美術作品として定義
できるのかっていう問題提起的な
部分っていうのを
美術とか芸術に落とし込んでいった
っていう感じですよね
Takaya Deguchi
ムナーリも未来派なんですね
kudakurage
うんそうそうそう
この辺になってくるともう
考え方みたいな感じになってくるよね
だんだん抽象化されていってる感じ
ですよねそのテーマとかも含めて
書き方とかも
考え方みたいな
抽象化された部分が
美術に入ってくる
最初は宗教画家が始まってんだけど
なるほどね
だっくりそんな感じですねだいぶ長くなったけど
歴史として
なので
まとめると
古代ローマギリシャの宗教画から始まって
ゴシック様式で
荘厳な感じになって
ルネッサンスでやっぱり
古典良かったよねつって
ただ写実的に本物っぽく書こうよ
っていう技術が発達して
一方でマニュエリスムっていう
王宮主導で人工的な美
自然なものじゃなくてもっと人工的な美が
いいよつって書いたんだけど
民衆たちはバロックの時に
もっと劇的なドラマチックな
庶民に向けた宗教画になって
大航海時代を迎えたことによって
ルネッサンスから産業革命まで
kudakurage
また中山階級が
台頭してくるから
その宗教画だけじゃなくてニュートラルな
テーマも書かれ始める
っていうのがあって一方王宮ではやっぱり
結局華やかなものを書くっていう
ロココがあって
だけどやっぱり
フランス革命で結局王宮も
抑えられて貴族の地位が下がるんだけ
下がることによって
また古典がいいよねみたいな流行りが
生まれ始めて
産業革命が起こって
書くもの自体が風景画とか
生物画みたいな
画家主導になってきて
パトロンっていうのがだんだん
パトロン主導じゃなくなっていく
画家主導になっていく
画家主導になったことによって
アカデミーに反発する人たちが出てきて
その印象派みたいな新しい実験が起こって
日本の文化とかも
印象派から漫画へ
kudakurage
受け入れつつ
ゴッホとかセザンヌとかポスター的なイラスト的なものが
生まれてさらにその印象派を
発展させたキビズムっていうのが
とか未来派みたいなものが
生まれて
もっとさらに抽象化されて
ダダイズム的な
もっと考え方的な部分に
入っていくみたいな
より高次元なものになっていく
っていうような感じ
でスネオに繋がるって話ですね
Takaya Deguchi
スネオは何だったんですか
kudakurage
そのスネオの話を最終的にしようかなと思うんですけど
スネオって何なのか
っていう部分なんですけど
まぁスネオですよね
スネオ
スネオってキビズムだって
よく言われてるんですよ
その
スネオって
正面向いてるんだけど口は横についてるのか
髪の毛の表現は
横から見た感じだよねって
なってるじゃないですか
これってだからキビズム的な表現なんですよ
正面から見た部分と
側面から見た部分と
他方面から見た視点を
Takaya Deguchi
同一平面上に収めるっていう
kudakurage
なるほどね
だから結構スネオは
例えばの例で出したんですけど
日本の漫画とか
キュビズムの影響とスネオ
kudakurage
イラストとかも含めて
かなりキビズム的な影響
っていうのをすごく受けてるわけですよ
もっと言ったらセザンヌとかの頃から
始まる
より抽象化して
単一色で描くとか
輪郭線を描くみたいな部分で
結局ゴッホとか
セザンヌとかその辺からの影響
っていうのがあるわけですよ
単純化して描くみたいな部分
そういう意味でスネオは
西洋美術の影響を受けてるんじゃないか
っていう話ですね
でこの分かりやすい
分かりやすいっていうか前もちょっと話したけど
スラムダンクの話したじゃないですか
映画のThe First
スラムダンクって
これも結局漫画から
それを再現しようとしてやってるから
キビジョン的な表現というか
影響を受けていて
映画のThe First
スラムダンクは全部3DCG
で作って
モデリングして作ってるんですけど
漫画的な表現というか
見え方っていうのをすごく重視してる
映画なので
そのまんま人間のモデリング
をしたものを動かすっていう風にしちゃうと
なんか
漫画のやつと違うなっていう
ようになってしまうんですよね
だからよりその漫画のタッチに
似てるようにするために
目の位置を
わざと変えたりとか
大きさを変えたりとかっていうのを
デフォルメしてやってるって話を
前したと思うんですけど
それって結局キュビズム的な
考え方なんですよね
3Dを2Dとして見た時に
より他方面から見たやつを
同一平面上にどう落とし込むかみたいな
ことだから
現代の
エンタメも含めた
美術的なものっていうのは
そういう印象派とかキュビズムとか
そういうものの影響を
実は受けているっていうような
ことですね
Takaya Deguchi
確かに
そもそも印象派が
浮世絵
から影響を受けてて
浮世絵が漫画っぽいじゃないですか
デフォルメされて
キュビズムも確かに
kudakurage
そうなのかもしれないですよね
そうですね
でも日本の場合はまた違うのかもしれないですけどね
なんか
そもそも浮世絵っていう文化が
それがどっから始まったのかっていう話が
あると思うんで
その辺はまた調べないといけないんですけど
浮世絵がそもそも2次元化して
ある程度
単純化されてる部分っていうのがあるじゃないですか
それを
あっての今の日本の
漫画の文化とかイラストの文化っていうのも
あるような気もするから
どっちかっていうと逆輸入っていうよりは
キュビズム的な
顔の描き方とかっていうのは
キュビズムの影響を受けてると思うけど
単純に
単純化するとか
平面的に色一色で描くとかっていうのは
もしかしたら
日本の文化の延長に
Takaya Deguchi
あるのかもしれないよね
歴史を聞いていくと日本の
絵は結構やっぱ
kudakurage
独自の文化なんですね
Takaya Deguchi
独自ですね
kudakurage
あんま宗教があってないですよね
Takaya Deguchi
なくはないんじゃないですか
kudakurage
多くはないかもしれないけど
Takaya Deguchi
殿様を描いた絵とかよく見るけど
kudakurage
あーまあそうだね
Takaya Deguchi
仏像を描いた絵とかって
まあ仏像っていうのが
そもそもあれか
仏そのものを描いた絵
とかってあんまないですよね
kudakurage
多くはないのかな
Takaya Deguchi
でも見るっちゃ見るけどね
なんか有名なこれみたいなのって
kudakurage
あんま思い浮かばないな
まあでもね
神社仏閣とか行くとさ
壁画的なものっていっぱいあるじゃないですか
屏風とかもあったりするから
まあそれ
まあでもそれも結局
神自体を描いてるってことは
あんまなかったりするんだよな
神描いてるものもあるけど
茶室文化みたいなもののほうが
強いのかもしれないよな印象としては
Takaya Deguchi
なんかそもそも抽象化されてる
kudakurage
っていうか
それはあるね
まあでもなんかその辺はやっぱり禅とかが絡んでくるような
気がするよね
ゴテゴテさせないみたいなさ
引き伸びみたいな
そういうところが
歴史的にあるような感じがするよね
Takaya Deguchi
あとやっぱお金や権力に影響が
結構強いですね
日本の絵画と独自性
kudakurage
そうですね
結局だからアカデミズムに
反抗する人たちが出てくるまでは
結局やっぱりパトロンの
ことを聞くみたいな感じなんだよね
だからそれまではなんか違う
考え方を持ってこうだって書いてたんだけど
なんかそこが衰退して
別のパトロンが出てきたら
やっぱそっちだわみたいな感じで
行くみたいなコロコロ変えるみたいな立場を
Takaya Deguchi
結構初期は商業的な
絵が多いってことなんですよね
自分の表現っていうよりは
パトロンから
kudakurage
お金をもらって
描くみたいな感じなんですよね
基本的にはそうですね
でも途中で中3階級が
出てきてそういう宗教画とかから
離れてもそういう人たちがパトロンだから
っていう部分もあって
もうちょっと先に行かないとその画家たちの
意志っていうのが出てこない
だからその辺が出てくるのが
産業革命があって反アカデミズム
的な人たちが出てきて
からなんだよね
Takaya Deguchi
ある程度こう世の中が
安定しないとそういうことが
kudakurage
できなかったってことなのか
そうですね まあでも産業革命
そこってそういう人たちも
喰えてる人っていうのはなかなかいなかったとは
Takaya Deguchi
思いますけどね
kudakurage
なるほどね
だいぶ長くなったけど
これでようやくピラミッドからスネ夫まで
Takaya Deguchi
行きましたね
なかなか日本で
人気のある画家
誰でしたっけ
kudakurage
名前忘れちゃった
印象鼻あたり
モネとかフルノワールとか
Takaya Deguchi
セザンヌ
なぜ日本人が好きなのかってのは
なんとなくわかる気が
kudakurage
そうですね
そもそもそれまでが
富裕層だとか宗教画だったりする
わけだから書いてるテーマが
その辺が日本人にとってなかなか
とっつきにくいっていうのは
あるかもしれないですけどね
そんな感じで
最後に
あんまり紹介はしないけど
最近僕もちょっと調べてみたら
やっぱり
こういう西洋画の
古典って日本やっぱ
多くて
多いやつが多くて
最近
開いたりとか
今開かれてたりとか
直近でもうすぐ開かれるみたいなスケジュールも
いろいろ見てたら
だいたいゴッホとか
キュビズムもあったけど
あとはターナー
とかモネ
モネ多いねやっぱり
印象派の人たち
イマーシブミュージアムって前紹介したやつも
印象派のやつだし
モネのやつとか
モネとかルノワールのほう多いよね
ペルメールも結構
日本人好きだったりするけど
Takaya Deguchi
初期の中では
割とこう
kudakurage
日常を切り取ったような
そうそうそうそう
っていうのが多かったんで
それもショーノートにリンクを貼っておこうと思うので
いっぱいのやつを聞いて
見に行ってみるとまたちょっと
面白い視点で見れるかもしれないですね
っていうような
Takaya Deguchi
感じですね
なんとなく海外旅行とか行くと
美術館とか行くじゃないですか
そうすると
有名な絵があったりして
でもなんかいまいち
点で見てるから
歴史的な繋がりが
わかんないんですけど
話を聞いていくと
なんでその絵なのか
なんとなくわかりますね
kudakurage
そうですね
最初も言ったように
どういう意味で描かれてるかっていう部分と
あと
どういう方法とか素材とか表現で
描いてるかっていう両方の側面で
見るといいんじゃないかな
美術の歴史とアートの意味
kudakurage
っていうような気がしますね
意味的な部分
宗教は特に日本人にはなかなか
馴染みにくい部分があるかもしれないので
その場合はどっちかっていうと
どういう手法でとかどういう表現で
っていう部分を楽しむっていう風に
するととっつきやすいのかな
っていう感じですね
はい
ということで美術の
歴史やりましたね
だいぶざっくりこれでもかなり飛ばして
凝縮して
紹介してるんですけど
やっぱり時間かかりましたね
Takaya Deguchi
なんとなく
この間のデザイン誌と含めると
なんとなく流れが掴めますね
kudakurage
こうやって見るとでもデザイン誌は
本当にごく一部なんだなって思うよね
Takaya Deguchi
歴史がやっぱ浅い
kudakurage
歴史が浅いよね
産業革命以降だからね
Takaya Deguchi
その中にUIデザインなんてどうなんだ
っていうさらに歴史が浅いっていう
kudakurage
そうですね
まあでもなんか
さっきの
もちろんアールヌーヴォーとか
そういうのもロココの影響を受けてそうな
感じの部分とかそういうのもあるし
やっぱ美術家の影響っていうのはすごく
Takaya Deguchi
あるなと思うし
歴史がつながってるんだなというのは感じますね
kudakurage
ダダイズム的な部分もやっぱり
今取り込まれていってるような
気もするしね
クリティカルデザインとか
もうちょっとその先にスペキュラティブデザインとか
ものがあったりするから
デザインもやっぱ美術的な
影響っていうのはすごく受けてる
ような気はしていますね
っていうような
だいぶ対策になってしまいましたけど
話でした
なのでスネオ見たら
キュビズムだなって思ってください
今後からは
でもそういう視点が生まれるのって
結構面白いなと思うんだよね
このイラスト実はキュビズムだなみたいな
Takaya Deguchi
なんかスネオに違和感を感じてた
理由が分かりました
kudakurage
まあでも違和感感じつつも
印象としては別に普通じゃないですかなんか
こういう感じか
夢の中の印象っていう
こういう感じなんだよ多分
印象派なんだよね
Takaya Deguchi
口の動きは分かりやすいですよね
kudakurage
そうだね
Takaya Deguchi
アニメにしやすかったのだっていうのは
kudakurage
じゃあちょっとだいぶ長くなってしまったので
その辺で終わろうかなと
思います
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ということで今回はここでまた次回お会いしましょう
Takaya Deguchi
さよなら
01:52:53

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