1. Ray Wow FM
  2. #33 シャドープラクティス STEP1
2020-02-27 26:01

#33 シャドープラクティス STEP1

組織的にシャドーを統合するための方法をSTEPに分けて解説しました。STEP1では、シャドーの投影が引き起こす問題として、他責的や暴力的なコミュニケーションになる問題点を取り除き健全な組織におけるコミュニケーションを作り出す基礎的な方法について説明します
00:05
おはようございます、Rayです。
本日も、Ray Wow FMの時間がやってまいりました。
Ray Wow FMでは、主に株式会社耳に関する様々なテーマを扱って、
時にはゲストもお招きしながら、ゆるくやっていくラジオとなっております。
はい、本日はですね、前回に続いて、シャドーについて話をしたいと思います。
シャドーの定義は前回したように、否定してきた、見たくないもう一人の自分という形なんですけども、
過去の現体験からそういった影を作り出してきたと。
そのシャドー側を引き起こす問題の一つが、シャドーの投影というもので、
その見たくない自分というところを、目の前の人に行動として見た場合に、
本当は羨ましいと、
否定してきた自分、もう一人の自分の行動というのを目の前の人が行っており、
さらにそれが自分の身近なコミュニティにおいて認められている、
非難されていない状況に対して不公平だと感じ、
その不公平さというところにおいて、闘争闘争反応というものが引き起こり、
怒りを投影したり、嫌悪を抱いたり、場合によってはそのコミュニティから逃げ出してしまうと。
そういうのが起きてしまうんですけれども。
問題点としては、
人によって怒りを投影する人もいれば、
全然そんなの気にしないよという人もいる中で、
人間的な対立関係を生んでしまい、
特に本人が自分の影を相手に見ているんだと気づかなければ、
やたら相手を非難してしまうという形で、非常に多色的な行動になってしまい、
そのコミュニティの例えば協調性とかを失ってしまうような、
そういった結果に繋がり得るというところもあり、
このシャドウというところは、
会社であれば会社の組織の健全な文化を形成する上では、
割と慎重に取り扱わないといけない事情なんですけれども、
多くの会社というのは、これに対してどういうふうに取り組んでいるかというと、
組織が大きくなっていくと、
マネージャーという人がそういった事態に対して問題だという形で検知をし、
介入して当事者同士の間で調整を図ると。
朝廷という形で、
なぜそんな対立関係があるのかというと、
なぜそんな対立を起こすんだと。
事情を聞いて、それぞれの事情を聞いた上で、
まあまあという形で落ち着かせたりするという措置を一般的にはとりますよね。
例えば、目の前においてだらしない行動をしている人がいたとき、
それに対して闘争反応を示して怒りを投影する人がいたときに、
まあまあ、目の前の誰々も悪気あってそういうふうにやっているわけじゃなくて、
それなりに本人も努力しているんだよ、みたいなところがあったり、
努力が足りないというところもあるので、
03:01
誰々も今後は頑張るように言い聞かせるから、みたいな形で、
マネジャーと呼ばれる人は、
ピープルマネジメントの役割として介入し調整するというところをやるんですけれども、
果たしてそれでいいのかなというところはあります。
特にあまりにも多責的で、相手を傷つけてしまうような暴力的なコミュニケーションですね。
そういった場合に関しては介入して、そういった行為をやめさせる、
ストップさせるというのが大事なんですけれども、
そうでない場合にマネジャーが介入して、調整するというところは、
実は誰の学びにもなっていないということに気づきました。
これは結局、介入して、それぞれに対して、両者に対して、
まあまあという形で落ち着かせたとしても、
それぞれはなんだよ、あいつ、みたいな形で、
やっぱり対立構造の中の相手に対して不満を抱きながらも、
大人としての振る舞いをするので、
組織、会社においては、なるべくそういう闘争反応とかを示さないようにするんですけれども、
心の中では、なんだよ、あいつ、という形で、
相手を受け入れない気持ちというのは、結局より強化されるというか、
白紙に近い形で残ってしまうんですよね。
マネジャーとしては、介入して、調整して、一応場を取り持つことで、
あ、やったな、という形で自分の仕事をやった感というものを持つんですけれども、
結局、本人、両者の方に対しての学びですよね。
今後の改善につながるような、根本的な対応策というのはせずに、
対処で終わってしまう。その場だけの処置で終わってしまうと。
なので、根源的な原因とか問題というところを見ることなく、
その場だけの対処で終わってしまうので、
繰り返し、繰り返し、そういった問題が起こるんですね。
大きな組織の場合は、部署移動とか、そういった同じ仕事で、
そういった人たちが顔を合わさないようにとか、
その仕事をしないようにという形で、
多分、人事的なアサインメントという形で、
措置を取るんですけれども、
それもマネージャーの人が、いよいよ介入して調停したけれども、
その場では取り持っていたけれども、
なかなか根本的に馬が合わないとか、相性が悪いようなので、
人事のという形でアサインメントを行って、
2人が直接的に話をしないようにしようという形になるんですけれども、
これも、よっぽど対立構造がひどければ、
ひどく業務に支障があるようであれば仕方ないんですけれども、
本当にそうなのかというところも、
やっぱり、僕自身は疑問としてありました。
やっぱりそこは、内容によっては、
シャドウというところが引き起こす対立構造というところがあり、
ある意味、それぞれ錯覚なんですよね。
つまり、だらしないよう行動するとか、
弱音を吐いたりとか、頼りない人を見たときに、
その人、キャラだよねという形で受け入れられる人もいれば、
大きな怒りを感じたりとか、大きな嫌悪を感じたりする、
そういう、あるいは、
その人がいるのであれば、僕は会社を辞めますとか、
06:00
この部門を辞めますみたいな形のことを言い出すような人がいる場合に、
それって何なのかというところは、やっぱりひもといて、
全員の学びにしないといけない。
両者、対立構造を行う両者の学びだけではなくて、
マネージャー自身も何が問題なのかというところを踏み込んで、
理解しないといけないというところが、
結構、このシャドウの根深い問題で、
ほぼ多くの会社、組織においては、
あまりこういうことに気づかずに、取りもったりするんですけれども、
実際のところは、やっぱりこういった問題が起きてますね。
マネージャーの人というのは、
実はこういった人間関係とかにおいて問題がないかというのを、
例えば、定点観測しながら、
問題が起きたら、その場に介入して調停する。
これはですね、例えて言うと、
マネージャーの人の命の無駄遣いでもあるんですよね。
つまり、人間というか、人間なんですけれども、
人間関係の中で、問題が起こるかどうかというところを、
ある意味、人、
社員の人、人間というところを常に、
人間になるマネージャーを観察しながら、
何か問題が起きてないかな、
問題が起きたら、そこに行って、
すぐに駆けつけて修繕するという形を行っているんですけれども、
これ結構、命の無駄遣いなんですよ、実は。
何かというと、
トヨタの自動化という考えがあるんですね。
これ何かというと、
自動化の自動の動の動というのは、
動く方の動ではなくて、
働く方の動なんですね、自動化。
自ら働く、化ける自動化ですね。
これは何かというと、
トヨタ自動車の元々の源流というのは、
自動織り機みたいな形で、
織物を織る機械というところが、
元々源流にあるんですけれども、
トヨタの創業の、
トヨタ作品さんが、
おばあさんが、自分のおばあさんとか、
あるいは女性のスタッフの人が、
織物を織っていたりするときに、
自動織り機なので、
どんどん織物が自動的に織られるんですけれども、
途中で糸が切れたりとかしたりとかする中で、
不具合が起きたときに、
機械がそのまま動き続けているので、
不具合が起きた状態なんですよね。
それを、
人間がある意味干渉して、
どの織り機が、
不具合が起きたのかなっていうのを常に監視しながら、
不具合が起きた織り機があれば、
そこに駆けつけて、
修繕するみたいな形をしてたんですよね。
一人で監視できる織り機の数っていうのは、
せいぜい、例えば数十とか、
限られるので、
常に機械の盤人、
機械の監視員みたいな形で、
常に機械のために働かされるみたいな形になっていたと、
いう形があったんですけれども、
それを見て、
これって命の無駄遣いじゃないかっていう風に感じる。
どうしたかっていうと、
09:00
機械自身に、
自分が不具合を起こしたのであれば、
止まるという、
そういった機構を取り付けたんですよね。
つまり機械自体に人間の働き、
つまり認知して、
問題があれば、
これ不具合が起きたから止まります、
みたいな感じで、
機械が自分で自分を止まる、
問題を検知して止まるっていう認知機能をつけたっていうところではあるんですけれども、
人間の働きを機械に取り付けて、
っていう考えが、
自動化の働く方ですね。
人間の働きっていうところを機械に入れ込むと。
つまり、
単に動作するっていう形で、
動くだけではなくて、
働くまで盛り込むことによって、
機械っていうところが自動的に止まる。
止まるっていうことがあれば、
あの機械、
ちょっと不具合起こしたなっていう形がわかるので、
人間も、
止まった機械だけを、
監視すればいいので、
監視するべき機械の数っていうところが、
非常にもう、
大きく、
多い数の機械を、
だけを監視すればいいっていうふうになるので、
監視のために人が張り付くっていうことがなく、
命の無駄遣いにならないっていうところがあるんですよね。
そういった考えで、
トヨタっていうのは、
自動化っていうところを大事にしてます。
ソフトウェアで言えば、
テストコードを書いて、
機械が自動的に単体制度の段階で止まるっていう形で、
不具合を検知できるようにするっていうところがあるんですよね。
これも近い考え方ではあるんですけれども、
いずれにしても、
機械に人が使われるっていうことがないようにするっていうのと同じように、
社員っていう人たちの、
マネジメントをする役割のマネージャーっていう人が、
常に人間を観察しながら、
問題が起きたときに、
駆けつけて介入して、
頂戴するっていう役割っていうところは、
結構命の無駄遣いだと思っていて、
なぜならば、
結局駆けつけて対処したとしても、
根本的な、先ほど話したように、
問題の解決になっていない場合に関しては、
結局それって何なの?っていう形で、
問題の対処にしかならないんですよね。
じゃあ何をすればいいかっていうと、
これが自動化の働きなんですよね。
マネジメントの自動化っていう形で、
本来のあるべきマネジメントのやり方っていうところを、
マネージャーが介入してやるのではなくて、
本人たち同士の間に、
認知機能っていうところを、
インストールして組み込むことによって、
本人たちの間で解決させると。
それでもどうしようもない場合っていうところのみに、
マネージャーが介在して、
介入するっていうやり方をする。
これがマネジメントの、
本来的な自動化だと思ってるんですけれども、
そのときの、じゃあどういう認知機能を、
高度な人間の認知の働きっていうところを、
社員にどういうふうにインストールするべきか、
という観点で見たときに、
このシャドウっていうところの考え方なんですよね。
このシャドウの考え方を、
認知っていう形で組み入れることで、
自分が目の前の頼りない怠け者、
あるいは弱気であったりとか、
そういう人に対して怒るっていうところって、
あれ、これってそもそも、
なんで自分だけが、
こういう闘争反応を示してるんだろう。
これはもしかすると、
自分のシャドウっていうところを、
12:00
相手に投影している部分があるのではないか、
っていうところがあると、
本来の正しい認知っていうところに、
認知が強制されていくので、
そうすることによって、
根本的な問題解決すると。
そうではなくて、
一旦自分のもしかしたら、
その認知にシャドウの投影してるのではないかな、
って形で振り返ってくるのも、
いやいや違うと。
目の前にいる相手は、
明らかに組織の協調性を崩すようなルールを
逸脱したことをしているっていうのであれば、
そこは、
相手に対して非難をして、
それでも、
なかなか変わらない場合、
状況が変わらない場合は、
マネージャーにエスカレーションして、
問題解決してもらうっていう形で、
第三者的な立場で介入してもらうっていうのは、
有効な手段だと思うんですけれども、
やはり、
むやみやたらにマネージャーを介在させて、
その問題の根本的な問題に目を向けずに、
処置対処だけを行ってしまうと、
また同じ問題っていうのが、
繰り返し発生してしまうっていうところがあるので、
全員にとっての命の無駄遣いなんですよね。
こういったところっていうところが、
組織においてよく起こり得る、
シャドウが引き起こす問題点なんですけれども、
それを、
どういうコンセプトで解決していくかっていう中で、
マネジメントの自動化ですね。
この考えが、
まず非常に一つありますと。
ただなんですけども、
実際のところ、
そんな会社において、
そんな対立構造とか、
闘争闘争反応を示すようなことっていうのは、
そんなに実はあるようでないというか、
日常茶飯事ではないんですよね。
実はこういうのが起こるっていうところは、
実はもっと近しい関係、
プライベートな家族とか、
恋人同士とか親友とか、
仕事の中でもものすごい、
身近にいる人とか、
そういう人同士にやっぱり起こり得るので、
どちらかというと、
会社っていうワークプレイスもあるんですけど、
家族とか、
プライベートな部分っていうところで、
起きたりしますよね。
なんかちょっとした家で、
片付けをしてないからっていうので、
喧嘩になったりとか、
ちょっとしたことから喧嘩になったりとか、
いざこざになったりとか、
対立構造が生まれるっていうところは、
割とこういう、
身近にいればいる、
目の前の人が、
なぜ、
目の前にいる人っていうのは、
より距離感としては、
自分に近い存在として認知していくので、
その目の前にいる人が、
なぜ許されているのか、
怠けて例えば許されるのか、
自分はこんなに頑張ってるのに、
みたいな形で、
シャドーの投影が起こりやすいですね。
なので、
実はこのシャドーの、
自分のシャドーを投影してるなっていうのを、
気づく機会っていうところは、
プライベートの部分の方が、
多かったりする場合もありますね。
ただ、
その会社でこういったシャドーの理解をしてもらうと、
それをきっかけに、
プライベートで自分のシャドーを投影してるっていうことを気づき、
そこから、
自分の行動っていうところに向き合うようになり、
それが結果として、
会社における人間関係にも役立つみたいな形で、
結構つながってる部分もあるので、
ありますね。
実際にそのうちの社員、
15:00
PMの人なんですけれども、
このシャドーの概念を理解してもらったときに、
こうこうこういう話があってっていうので、
そのPMの男性の人が、
奥さんですね、
奥さんにも話をしたらしいんですね。
こういうのがあってって。
その後に、
そのPMの旦那さんと奥さんの間で、
ちょっとした喧嘩があったときに、
少しこう、
例えば怒ったような口調に、
そのPMの人がなったときに、
奥さんから、
それシャドーよ、みたいな形で、
突っ込まれたみたいな話があって、
ああしまった、
シャドーの話するんじゃなかった、
みたいなことを言ってたっていうのがあったんですけども、
これは結構面白いなと思っていて、
つまり何かっていうと、
両者において、
そのシャドーの概念を理解されていると、
相手から、
ある意味突っ込まれる、
シャドーっていう形で、
気づかされる、
そういったことが起こり得るんですよね。
これを、
フィードバックですけれども、
そういうことによって、
自分の認知、
ハッとするという形ですね。
シャドーの投影しているということを気づくと。
これを、
インメミにおいては、
突っ込みやり突っ込みですよね。
その行動に対して、
シャドー投影している、
行動に対して、
第三者的に突っ込んであげることで、
本人が気づくということがあります。
結構ね、
これって効果的で、
シャドーを投影している人に対して、
なんでそんなに怒るんだよ、
みたいな感じで、
そこまで怒ることじゃないじゃないか、
別にあいつだって、
悪気があって、
ああいうふうな態度を取っているわけじゃないよ、
って言ったとしても、
いやいや、そうじゃないっていう形で、
火に油を注ぐ形で、
余計に、
自分の価値観っていうところを、
正当化しようとして、
こう、
相手を非難してしまうということもあり得るので、
でもね、
結構このシャドーっていう形の認知が前提にあると、
シャドーっていう形でね、
フィードバックとか突っ込んであげるだけで、
ああっていう形で気づいたりすると、
そこで、
いやいや違う、
相手にはやはり明らかに悪い部分があるという形で、
もう一回、
相手を見つめ直すと、
あるがままに正常な形で認知できる、
ということもあったりするので、
この突っ込みって結構重要だったりしますと。
で、
重要なのは、
この気づきの機会を作るために、
会社において、
シャドーっていうところを、
結構、
フィードバックする機会を作っています。
で、
それをどういう風に行うかっていう中で、
いくつかのステップにおいて、
イメミにおいては、
このシャドーっていうところを、
習慣的に会社における、
組織行動に組み入れているんですけれども、
最初に起こったステップっていうのは、
もちろんシャドーっていうところの、
その概念を認知してもらうっていうアプローチですね。
その中で、
ついつい出てしまう行動っていうところに対して、
シャドーっていうことをフィードバックしてあげると。
で、
一方で、
イメミにおいては、
スラックチャンネル、
スラックと呼ばれる、
そのチャットコミュニケーションっていうのを、
めちゃくちゃ活用していて、
全優勝エンタープライズ企業中、
18:01
マチュリティスコアっていう、
成熟度が1位になっているんですけども、
それぐらい、
スラックを非常に活用しているんですけれども、
特に、
特徴的なのが、
スラックにおいて、
感情とか、
怒りとか、
悲しみとか、
そういった部分を、
出していいっていう風にしているんですよね。
なので、
あからさまに、
誰々はムカつくっていうよりは、
自分が、
苛立っているっていう形で、
アイフィールとかっていう形で、
自分を主語として言うことっていうところは、
もちろん、
お作法としてはありつつも、
その感情を出していいと、
ムカつくとかっていう形で。
で、
その場合に、
よくよく、
考えてみると、
10年昔とかを考えると、
メーリングリストとか、
電子メール、
Eメールにおけるマナー、
手出しっていうところに関しては、
感情的になって、
その議論が、
エスカレートしていくっていう時に関しては、
それ以上、
メール上で、
感情的になってはいけないっていう風に、
そういえば、
イメミでも、
ルールを作っていたなと思っていて、
これは当時も、
割と今もそうだと思うんですけれども、
オンライン上で、
感情的になるのは、
ご法度ですよ、
みたいな形で、
よくないですよと。
そういった部分で、
何か対立が生まれるのであれば、
別途、
対面で、
フェイストゥーフェイスで、
ちゃんと話し合ってやりましょう。
その時に必要であれば、
第三者の人が、
調停っていう形で、
入って取り持ちますよ、
っていうところは、
よくある話だと思うんですけれども、
これだけ、
オンラインにおける、
コミュニケーションっていうのが、
一般的になる中で、
やっぱり、
なかなかすぐに、
そういった形で、
対面の、
調整っていうのを行うのも、
難しかったりとか、
あるいは、
そもそも、
ビジネス環境っていうところが、
顕在的な課題を解決する、
っていうような、
課題解決型の、
ビジネスの、
価値提供っていうところから、
その、
潜在的な、
不満とか、
潜在的な、
実は、
ニーズっていうところに対して、
アプローチしていくような、
感情とか、
感性っていうところが、
大事になる中で、
オンライン上での、
やり取りっていうのが、
すべて、
論理とか、
合理とかっていう形のみで、
成立するっていうのは、
ちょっと違和感があります、
っていうところも、
ありましたので、
そういった意味では、
感覚とか、
感情とかっていうところを、
出していこうっていうところが、
まず、
ベースにありますと、
その中で、
例えば、
スラックとかでも、
社員の人が、
つくとかっていう、
そういった、
感情を、
吐露するっていうところが、
あるんですけれども、
そのときに、
内容によっては、
それ、
シャドーの投影だね、
っていうところが、
ある場合にのみ、
シャドーっていう形で、
フィードバックとか、
突っ込んであげたりとか、
リアクションしてあげる、
リアクジですよね、
リアクションしてあげる、
っていうことが、
あります。
そうすることによって、
これって、
実は、
自分が、
気づかなかった、
シャドー投影、
実はしてたんだな、
っていう形で、
また、
こういった、
オンライン上での、
シャドーっていうところを、
理解して、
なるべく、
突っ込んであげるとか、
フィードバックして、
認知っていうところが、
結構、
働くように、
まず、
ステップ1として、
シャドーの理解、
浸透っていうのを、
やりました。
抵抗することによって、
どういった結果が、
21:00
起きたかというと、
例えば、
多責的だったりとか、
ついつい声を荒らげたり、
シャドー投影してしまう人に、
関しての、
その、
相手へ、
シャドー投影する、
っていう形で、
怒りを、
例えば、
ぶつけるみたいなところが、
少し抑制される効果、
っていうところが、
ありました。
そうすることによって、
何が起きるかっていうと、
ついついやっぱり、
そういうふうに、
声が大きい人とか、
っていうところは、
やっぱりその、
周りにあたる影響が、
大きくて、
特にその人は、
シャドーの投影、
っていう形で、
あいつはなんだ、
あんなふうに、
怠けたりとか、
弱気になったり、
頼りないっていうところは、
どうなんだ、
みたいな形になってしまうと、
あたかもそれが、
正、
っていう形で、
その、
なんとなく空気感が、
生まれてしまうんですけれども、
そういったところが、
正常に抑制されることによって、
いやいや、
違うと、
その、
時にはそういう行動も、
大事なんだよ、
っていう形で、
それが、
その人らしさだし、
っていうことも、
やっぱり、
言えるようになる、
っていう形で、
少し健全な空気が、
生まれていきますと、
あるいは、
つまりその、
声が、
なかなか出せなかった人の声が、
出てくるようになる、
っていうところの、
そのバランス感、
バランス感が、
ですね、
声が大きかった人は、
少しボリュームが下がる、
声のボリュームが、
小さかった人のボリュームが、
上がる、
みたいな形で、
ボリューム調整が、
まず、
ステップ1では、
行われました。
次に、
ステップ2ですね、
ステップ2では、
どういうことを、
行ったかというと、
あえて、
シャドウを、
投影させるような、
行動を、
スラックチャンネルとか、
普段の振る舞いで、
まあ、
主に、
スラックチャンネルですけども、
行うと、
あえて、
シャドウを、
投影しがちだった人が、
ステップ1で、
抑制されるので、
ますます、
会社において、
まあ、
その、
変な話と、
ぶつかり合う、
みたいなことが、
起きなくなるんですよね。
健全、
っていう意味では、
いいんですけども、
起きなくなってくると、
そうすると、
あの、
そういうことを、
目にする機会が、
ないので、
まあ、
ある意味、
無菌状態、
みたいな、
無菌状態、
無菌状態、
みたいな、
状態が、
起きなくなる、
みたいな、
感じになるんですよね。
その状態のまま、
外に出る、
例えば、
その、
つまり、
社外の人との、
ビジネスを、
していく上に、
おいては、
外っていうのは、
ある意味、
その、
無菌状態じゃなくて、
あらゆるウイルスが、
あるような、
まあ、
そういう状態なんですよね。
まあ、
そういう状態のところに、
こう、
踏み出すと、
無菌状態の人が、
踏み出すと、
急に、
こう、
やられちゃう、
みたいな、
ところがありますと、
例えば、
当社が、
たまたま、
その、
シャドウを投影する、
特に、
例えば、
その、
ベンダー扱いして、
高圧的に、
コミュニケーションを、
例えば、
取ってくるような人だった場合に、
やられちゃうんですよね。
無菌状態で育った人、
からすると、
そういった部分で、
やっぱり、
その、
我々の、
特に、
いみいみのビジネス、
っていうところは、
いろんなパートナーの方と、
お仕事をします。
まあ、
24:00
多くの会社も、
その、
自社だけで、
あの、
ビジネスコミュニケーションにおいて、
やっぱり、
その、
シャドウっていうところが、
浸透しきっていなく、
まあ、
日常は、
茶飯事とは言わないけれども、
そういう投影、
シャドウの投影っていうのが、
飛び交っている状況っていうのは、
あり得るんですよね。
で、
そこにおいて、
特に、
いみいみの場合は、
その、
ビジネスコミュニケーションにおいては、
あの、
何だよ、
あの、
取引先みたいな形で、
あの、
捉えてしまうと、
まあ、
距離感が縮まらないし、
まあ、
やられちゃって、
もう嫌です、
あの、
人と、
あの、
仕事できません、
みたいな感じで、
逃げる、
逃げる方の逃走反応を示しちゃっても、
困るし、
まあ、
そういったところで、
まあ、
いわゆる、
その、
無菌状態から、
えー、
まあ、
本当にこう、
ある意味、
こう、
戦争みたいな、
そういう状態のところに、
飛び込むっていうところに、
必要なのは、
やっぱり、
こう、
ワクチンを打つ、
みたいな考えですかね、
ワクチンっていうのは、
その、
弱毒した、
弱毒化したウイルス、
ウイルスの毒性を弱めて、
えー、
体の中に入れることによって、
抗体が生まれて、
で、
まあ、
本当の本番っていう形で、
ウイルスが来ても、
その、
対抗できますよ、
っていうところなので、
要するに、
その、
疑似的な感、
そういう、
こう、
逃走反応が生まれるような環境を作り出して、
慣れさせるっていうところなんですよね、
慣れる、
っていうところで、
ステップ2で、
行ったのが、
あの、
カオスエンジニアリングって、
最近呼ばれるものに、
ちょっと近いんですけども、
あえて、
その、
カオスみたいな状況を作り出して、
あの、
そこにおいて、
その問題を、
こう、
浮かび上がらせるとか、
っていうところがあったりする、
耐久性を、
まあ、
つける、
まあ、
反脆弱性をつけるってことなんですけども、
アンチフラッシャーズ、
で、
まあ、
この、
あえて、
それに、
その、
シャドー投影するような、
疑似的な、
緊張感が感じられました。
次回については、
このステップ2についての話をしたいと思います。
26:01

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