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はい、うちあわせCast第18回ということで、今回もゲストに沢山お迎えしております。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ちょっと今日は風邪気味なので、ちょっと鼻声の許してください。
大丈夫ですか。
はい。今回はもうズバリ沢山がつい先日発売された新刊で、書籍Kindle版での新刊。
11月15日発売なのかな。書くための名前のない技術、ケース2、マリエさんという本についてお話を伺いたいと思います。
ケース2ということなんで、当然ケース1があったわけですけど、ケース1についてもこのポッドキャストでお話を伺いしたような気はするんですが。
したような気がしますね。
あれ、ちょっと待って。第何回かな。でも結構位置前ですよね。
6月の末ぐらいです。
ということはやってるはずやけどな。
あ、あったあった。第11回。気になる方は第11回、うちあわせCastの第11回もお聞きいただけると、この話が出てきます。
第1回はビジネス書作家の佐々木翔吾さんに本の書き方みたいな話、トータルとしての本の書き方の話をお伺いして、
それのインタビューの書き起こしプラス、著者であるたくさんの考察というか分析というかがセットになった形がケース1だったと。
ケース2に関しては次はマリエさんというノート術、手帳術、中国語の勉強とかその手のコンテンツで署名の方をインタビューインに迎えて、
構成自体は同じ形で前半がインタビューの書き起こしで後半が著者による分析考察という形で書かれている本ですよね。
インタビューはオンラインで行われたんですかね。
これはオンラインですね。
オンラインで1回だけですかね。
1回だけです。
それをまず書き起こして、インタビューした時点とかマリエは書き起こした時点で、ケース1とケース2のフォーマットみたいなものは同じでいこうと考えられてたんですかね。
確かこれはあんまりまだその時点では決まってなくて、実はインタビューしたのが5月なんですね。
4ヶ月もかかってしまったという。
その時点ではまだケース1ができてなかったんですよ。
そこの時点ではフォーマットという概念そのままなかったわけですね。
そうなんです。だからケース1ができつつあるぐらいのところだったので、
今のそのフォーマットは確かインタビューした時点では決まってないのかな。
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内容はだいぶ変わってたけど、ほぼ決まってたかもしれないですね。
1回マリエさんにケース1の書きかけのやつを送って、こんなのやりたいですよって送ったんで、
たぶんそのときは直接形にはなってたと思うんですけど。
このフォーマット自体はケース1を作りながらできて、後はそれに合わせようと思ってましたね。
なるほど。だからインタビュー時点では出来上がってないけど、
おそらくできたこの形で2も合わせようと。
そうですね。
というか、1を構成しながら2のインタビューするって混乱しません?
そんなにはしなかったですね。
もっとハイペースで、2つきに1度ぐらいのペースで出したい気持ちがすごく強かったんで、
それぐらいのスピードでやらないと間に合わないなと思ったんですけど、
全然ダメですね。3、4ヶ月かかりません。
書き起こし自体はそんなに時間はかかってないんですよね。
かかってないです。書き起こしは早いです。
書き起こした、つまり前半、パート1の段階でまずマリエさんに確認は取られたのかね。
確かパート1が書き起こしじゃなくて、大体パート1の形になった時点で1回送ってますね。
その時点でこんなもんでいいやろうと、おおむね了承が返ってきた。
結構修正が。
入って。
結構修正が。修正っていうか、何だろう。
過失というか、結構。
言い足りなかった部分も。
そうそう。ここをもうちょっとこうっていうのが結構多くなりましたね、今回は。
で、それが返ってきてまたそれを取り込んで。
っていうことを繰り返して一応パート1は完成して、
話を聞くよりそこはそんなに時間はかからなかったってことですよね。
そうですね。パート1は9月にはできてましたね、ほとんど。
そこから大体2ヶ月強かかってしまったと。
はい、そうです。
で、その当然2ヶ月かかった、そのタイミングでもうケース1は発売されていたわけで、
フォーマットはもうできてたわけですね。
で、それに揃えようという気持ちもあったわけですね。
ありましたありました。
でも2ヶ月かかってしまった。
でも2ヶ月かかりました。
2ヶ月っていうことは、同じサイズの本を1冊書けるくらいの期間がかかってるってことですね。
そうなんですよ。だってパート2はたぶん数センジしかないんですよね。
たぶん7、8センジしかないはずなんですよ、あそこ。
だから全然かかりましたね。
間にいろいろ他のことがあってたけど、
アップルウォッチ本とかいろいろあったんで。
そういう意味では、他の要因で時間がかかったってのもありますけど、苦労しましたね。
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その苦労は主に文章を書き起こすものですか、それともその素材に関するものですかね。
両方ですかね。
書きたいことは見つかってたんですか。
書きたいことが多すぎた。
多すぎて、インタビューパートを読むとほとんどの部分で書きたいところが出てくる。取り上げたいところが出てくる。
いっぱいあって、これを一つ一つ全部取り上げると、なんかパート1をもう一回繰り返すみたいな感じになっちゃって。
っていうのが一つと、要するに素材が多すぎて嬉しい悲鳴状態になったっていうのが一つと。
あともう一つはやっぱり一番その素材の中でも大きかった。
マリエさんの書き方ですよね。
ビシッと書きたいテーマがあって、それで構成がきちっと決まって書いていくというのとは反対の書き方。
あの書き方が非常に自分と似てたというか。
あんまりあいに似てたって本当は言いたくないんですけど。
属性的に近い方向にいたっていうことですね。
大きく分類すると間違いなく自分と同じ側に入るという書き方で。
それを自分と似ているために逆に消化できなかったというか。
自分の話になっちゃうというか。
まあ形式的にはインタビューですもんね、一応主役といっては。
マリエさんはアウトライナーを非常にヘビーに使っているので、その意味でも書きたいところがたくさん出てきちゃったということもあって。
こうやってしまうとアウトライナーの本になってしまいますよね。
そうなっちゃうんですよ。そうなってますけどね。
結果的にはね。
実際には2万字以上書いたんですね。
はいはいはいはいはい。
あまりにも多すぎるので、非常にもったいないと思いながらも、結局どんどん削っていって。
主にブログから、大量にあるテキストの中から素材を抜き出して、
その素材をアウトライナーであっちこっち動かしながら、シェイクしながら探りながら作っていくっていう。
そこに関するところだけがほぼ残った感じですよね。
逆に省かれたところにはどんなことが書いてあったんですかね。
大体でいいんですけど。
例えば、もっとテクニカルな話で、プリントアウトする話。
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もともと全部デジタルなんですけど、素材をプリントアウトして、しかも英語サイズぐらいになるような小さいサイズでプリントアウトして、
それをカードみたいに並べて書いてあげるっていう話。
あの話がすごい面白い。
デジタルのものをアナログに変換して操作してるんですよね。
あれすごく面白いなと思って。
技術論としてはむしろ本当はそっちをピックアップするべきかもしれないなとは思ったんですけど、
結果的には抜いちゃいましたね、そこはね。
結果的に抜いちゃいましたっていうことが、まさにそのケース2の中で語られていることに抗するんですけど、
どのジャッジメントでそれは削られましたかね。
あえて言葉にすれば、インタビューパートを見ればわかるだろうと。
インタビューパートにそれに関してはほとんど全てのことが書かれていて、
改めて取り上げるまでのこともないなというか、
取り上げるまでのことがないって言うと重要性が低いかもしれないけど、
それはもうそこを見ればわかるだろうという感じですかね。
なるほど。補足が必要なもの、もっと言うと、
著者である拓さんがあえて補足する箇所があるとしたらどこであろうというようなことですかね。
そうですね。拓視点でもうちょっと広がりそうなことだけ優先して残したというか。
同じことを僕がやったら逆にそこを拾って、
例えばKJ法と比較みたいな話におそらくはなるんでしょうね。
だからきっと。
なるかもしれないですね。
まあそのほうが多分王道ですよね、内容から。
まあそうかもしれないですね。
なるほど。
ある種ちょっと偏り、偏りって言うとあれですけど、
拓視点に惹かれてた分、引き寄せられてた分、
書評でも書きましたけど、このほうはパート2がとても厚かったですね。非常に。
だからバランスは良くないですよね。バランスというか、厚すぎるというか。
確かに。テンションが後半盛り上がってる感じは多少ありますね。
でもこれでいいかなという。メインパートで話してるのはマリエさんなんで。
対比する形で、この形でも別に。
毎回これがいいのかどうかはわからないですけど、
この回はこの形が非常に収まりが良かったなという印象は受けましたね。
結果的には良かったかな。
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全体から受け取る情報としてはむしろバランスが取れてるというか、
パート1から単独から得られるところもあるし、
パート2のほうから得られるものもあるしっていう感じになったかなとは思いますけどね。
ただ編集者さんが例えばついてたらああはならない。
ならないでしょうね、きっとそれはまた。
絶対ならないと思います。
ケース1とケース2はシリーズものではあるものの、だいぶ印象は違いましたね、今回は。
違いますよね。
違う人でやるというのが目的なんですけど。
その意図は綺麗にこの2冊で達成されてたような気は。
両極みたいな感じになってた。
そうそう、まさにそういう感じで。
やっぱり観察者視点というかインタビューする人の偏りが絶対あるので、
だから無機質ではないんですね。
インタビューする人って中立ではないなっていうのもわかりましたね、やっぱり。
まあ難しいですよね。
どっちが正解というものではなくて、中立であるべきインタビューもあるし。
もちろん。
インタビュアーに徹するか対談者になるかっていうのがすごく難しくて。
このシリーズって割にどっちつかずなんですよね。
状況によってどっちにでも行くような感じですよね。
そこがあるし、じゃあどうなところかもしれないし。
面白いといえば面白いのかもしれないし。
まあでも、世の中のインタビューはどちらかというと中性のほうが、
効率のほうがいいみたいな感じがありますけど、
読み取る方としてはこちらのほうがいいかなという気はしますね。
まあ好みもありますけどね。
もちろん。
だいたいそもそもインタビュアーがインタビューパートで結構自分が喋ってますからね。
俺のやり方を語っちゃって。
でもやっぱりそうしたほうが読み手としてもいいし、
多分喋り手としてもそのほうが話しやすい部分は多分あると思うんですけどね、きっと。
だと思います。
だからこう、ケース1については、
その対話する2人が見た時に、
まあ反対の方向とは言いませんけども、
違うところを向いてるんで、
ケース1のパート2では、
たくさんが外に向けて、
なんか手を伸ばして何かを捕まえようという感じだったんですけど、
ケース2に関してはむしろ自分の頭に手を突っ込んでいる感じが受けて、
でもその対比は面白いなと思って。
ケース1の佐々木さんのときは、やっぱり自分とあまりにも違うので、
その違うことに対する驚きとか、
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驚きというか確認というか、
そうなんですか、なんでそんなことができるんですかっていう驚きを軸にしてたんですよね、自然に。
逆に今回は完全に、
共感というか、
共感が軸になっちゃったところが、
そうしたんですよね。
ただそれって下手すると、
そうそう、僕もそうなんですよね。
なっちゃいますね、確かに。
逆に、
なんだろう、
自分の中からも素材を持ってござるを選ぶ。
はいはいはい。
驚かないんですよね。驚いてはいない。
知ってる範疇のどこかに引っかかってるわけですね、だいたいの話が。
驚いてはいないし、
理論、理屈としてはそのやり方が有効だというのは自分ではわかってるし、
知ってるんだけれども、その知っている中で、でも自分と違うわけですよね、当然だから。
しかも、
自分が気づいていなかったところに光が当たったというか、
しかも自分が一番長年考え続けてきたところで、
自分の知らないところを教えられたという感じがあって、
そこが中心になった感じですよね。
やっぱりSEIKUの終わりに関する具体的な発言は、
結構たくさんにとっても、インパクトとまでは言わなくても、
何かキラリと光るものはあったんじゃないですかね。
ありましたね。
個別の話を取り出せば知っている話なんですよ。
具体的に言うと、SEIKUはアウトライナーでトップダウンとボトムアップを繰り返しながら活動してるということをSEIKUと呼んだんですけど、
それと同じことをマリエさんはやってるんだけど、
それを延々と繰り返しているとどんどんアウトラインが膨らんでいって終わらなくなるという現象があると。
そのときにマリエさんは、たぶんそれは意識はしてないでしょうけど、
SEIKUを止める、収束させる方法を見出しているなという感じがして。
その収束させる方法というのも、言われてみれば自分でも確かにわかってるんですよ。
ただ、この話がSEIKUを収束させることにつながるんだということに初めて気がついた。
そうですね。あこまで具体的に。
僕も似たような作業をしてても、膨らませていたらいつかは終わるだろうぐらいの、
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マラソンで言うと走ってたらどこかに折り返し地点があるだろうぐらいの、
あるのはわかってるけども、それが何なのかははっきり意識してこなかったところはあるんですよね。
ああ言われると、まあ確かにそうやなと。
確かにそうなんです。
たぶん説明するには、あの形が少なくとも走ってたらどこかに折り返し地点があるだろうというよりははるかに親切だと思ったんですけど。
そうですよね。
だからね、自分でもたぶんそれやってるんですよね。
やってるんだけど、全然意識というか言語化できてなかったんですよね、たぶん。
だから自分の説明だと、まあちゃんとそのタイミングが来たらわかりますよみたいなことは。
そうそうそうそう。
わかんねえよね。
そうなんですよ。
マリアさんの説明というか言葉の使い方は非常に的確だったなと。
そうですね。
思いますね。
こう言うとあれですけど、つまりこれまで名前がなかったものにある種の名前があのタイミングで与えられたわけじゃないですか。
概念と言ってもいいけど概念化か。
だからその名前のない技術と言いながらも、名前が与えられているその矛盾ではないですけど、ここで言う名前の定義が広いからこれ起こってるんですけど、概念化って改めて重要だなと思いましたね。
そうですね。まあいいでしょう。今まで名前がなかったからいいでしょう。やっぱり光を当てると名前ついちゃいますよ。
当然そうですよね。最終的にその名前が適切かどうかは別として、議題に上がったことは大事ですよね、とりあえず。
言語化すれば、ある種の記号として操作できるようになるわけですよね。
でもやっぱりそのKJ法みたいな、KJ法とか押し出しファイリングとか、そういう意味での名前とはやっぱりちょっと違う。
普遍化はできないんですよね。
例えばこれをコンセプト法と呼んでみたところで全然意味はない。当たり前のことなんですよ、それは。
そういう意味で名前はついてないんです、やっぱり。
だからどう言ったらいいか、やっぱりこの名前っていうのが大雑把すぎて。
用語ではありますよね。
まあ用語では。
それをすることによって、ある種の会話が成立するようになったってことは確かだね。
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そうです。少なくとも、「大丈夫、やってるうちにわかるから。」ではなくなった。
一段階新卒になったわけだから。
そうですね、それはあると思います。
この書くための名前のない技術シリーズがどれぐらい続くかはわからないんですけど、現在収録って第何回分まで終わってます?
ケース3まで終わってます。インタビューは3まで終わってます。
それを減ることで、たくさんの中にあったアウトラインプロセッシングとか、あるいはトータルで書くための技術についての考え方が広まったり深まったりはしてますか。
してます。間違いなくしてます。
たとえばケース1の佐々木さんがアウトライナーをそんなにヘビーに使っているとかではないですけど、
やっぱり佐々木さんの話からわかったこともたくさんあるし。
まだ名前は言えないですけど、ケース3の方のインタビューをちょうど今起こしてるとこなんですけど、
これがすごいわけですよ、また。
まあ、おそらくすごいでしょうね。
たとえばマリエさんのケース2でいうと、
書こうとして止まっている、仮に長文本と呼んでいる本がありまして、アウトライナーで長文を書くという本があるんですけど、
そこで引っかかっていたところのひとつがマリエさんの話から解決したぐらいのインパクトはありましたね。
まさにあの話なんですけど、シェイクはどうやって終わるのかという。
意識して終えるためにどうすればいいのかという。
そうです。それが言いますよね。
つまり、セルフパブリッシングの場合って正直ずっと待ってられる、待ってられないですけど、待ってられることが戦略的に可能なわけですけど、
世の中の執筆はそうではないので、どこかである種無理やりな有限化が必要で、
その有限化のときに具体的な読者の顔をイメージするみたいなことはひとつのテクニックとして使えますよね。
あくまでもひとつのテクニックですけど。
もちろんね。
でもそれがあるのとないのとでは違いますね、やっぱり。
特に最初に広げすぎてしまう人にとっては有効でしょうね。
そうですね。
やっぱり質問をいくつか受け、たまに外でしゃべる機会って年に数回しかないですけど、
イベント的なものでアウトラインプロフェッション化みたいな話をしたときに、
質問の中でやっぱり素材を集めることはできるんだけど、集めた後でどうしようもなくなっちゃうっていうことをやっぱり結構頻繁に聞かれるんですよね。
24:11
いやわかるね。その記憶で非常によくわかります。
そういう方の多くって、たぶん素材を集めてそのまんまストレートにグルーピングしてボトムアップしようとしてる人がすごく多いので、
そうじゃないんですよっていう話はよくするんですけど、
そこにひとつのやり方、説明できる話が加わったっていう。
うん、なるほどなるほど。
その説明のときに僕が一番言うのは、素材をストレートにボトムアップして組み上げようとするとパンクするので、
その素材は素材で置いたまんま、別に新しくアウトラインを起こして、そのアウトラインの中に素材をはめていくといいですよ。
余ってもいいから、別にアウトラインを起こすんですよっていう話をよくするんですよね。
はいはい、わかります。
それたぶんやってる方は納得していただけると思うんですけど、
意外にそれって盲点になる。
多くの人は素材をそのまんま力技でまとめ上げようとする人が多いんですけど。
まあ小規模ならできるんですけどね。
小規模ならできる。大規模だとできなくなるんですよ。
まあ僕の感覚では150を超えるとまず無理になりますね。
項目数が。
項目数が、はい。
だから結構早い段階で無理になってるってことになるかもしれない。
大地を押し上げようと思ったらそのやり方ではまず無理ですね。
そうです。
そういういくつかこうしたらどうでしょうっていう時そういう時する話があるんですけど、
そこにもう一個すごく軸が加わった感じですね。
うーん、そうか。
まあそっちの話もちょっと広げたんですけど、
その話、アウトラインを2つ作るって話もとても面白いんですが、
1回ちょっと戻りまして、気になってるというかこのセルフパブリッシングっていう行為についてなんですけど、
一人でやるわけじゃないですか。
まあね、執筆ってもともと孤独なもんですよね。
まあ基本的に分析が自分一人にあるわけですから。
そうは言っても、人間の知的生産が個人で閉じることはまずありえないわけですよね。
こうやって言われることですら、今日のたくさんのアウトプットに僕が影響を与えてしまうことはゼロではないわけですよね。
で、無知の科学っていう本があるんですけど、人間の知識っていうのは単独で存在してるんじゃなくて他所とのネットワークであると。
だから僕は何かを知ってなくてもそれを知っている人を知っていることによって知識があるように振る舞えるわけですよね。
で、本作りも基本的には結構似てて、一人で書いてるわけではないんですよね。
非常に視点を広く取れば、もちろん執筆講座は一人でしてるわけですけど。
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で、セルフパブリッシングっていう言葉を狭く捉えてしまって、一人でやらなあかんと。
まあもちろん作業は一人でやらなあかんですけど、知識の系を一人に閉じてしまうと、やっぱりちょっと土俵が狭い本になってしまうんではないかなという危惧があるわけですね。
それはだから、構成が入らないから不正確っていう話ではなくて、その人の視点が非常に狭いところで終わってしまうんではないかと。
そこでさっきの話、インタビューされたときの話を聞いてて、梅沢太郎さんの言葉を思い出したんですけど。
はい。
どこに出たかな。なんか梅沢太郎の言葉みたいなのがそういう本に出てたと思うんですけど。
一つのアイディアを繰り返し様々な場面にぶつけてみる。それによって思想というものは少しずつ超え太っていくのではないか。
対談とか座談会というものも、そのような成長のための稽古場みたいなものとは言えないかっていう発言をされていて、おそらくはそういうことなんだろう。
このインタビューも含めて、単にインタビューしました終わりっていうのではなくて、その中で沢山の中にある思想っていうとちょっと言葉は大げさですけど、価値観とか考え方とかっていうものが成長っていう言い方も非常に狭いイメージですけど。
変化していく。良い方に変化していくっていうことは起きてるんではないかなと。
その結果として、例えば沢山がアウドライさっき言った長文書く本を書かれたとしたら、このインタビューを経る前に書かれた本とはたぶんまるで違う質というか太さ、なんかわからないですけど、そういうのを得ているんではないかなと思うんですよね。
だから、こういうポッドキャストとかインタビューとかって、一人で本を書く人は結構やったほうがいいんではないかなと。
ああ、それ思いますね。
雑談ができないって不利というか、そのことについて雑談をするって結構大事ですよね。
気分転換とかって思われるかもしれませんけど、それだけではたぶんないんですよね、きっと。
ないです。ないと思います。
ツイートしたときに、このセルフファブリッシング、一人で原稿を書いてるときに、
ちょっと後ろを振り返って、大きい相談じゃなくて、ちょっと振り返って、これどう思うって聞けないのがすごくつらいみたいなことをツイートしたら、
一瞬で堀さんからなんかイイネが来たことがあって、みんなそんなこと思ってるんだろうなと思いましたけど。
結局はそういう行為が、ゼとされないのって執筆イコール孤独論みたいな価値観があるせいではないかと僕は思うんですけど。
だから、最後に書いた人間が責任を取るという意味では孤独なんでしょうけど。
それは間違いなくそれはいいんですけど、
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執筆の段階を孤独に喘ぐ必要はないし、そうしてしまうとやっぱり狭いというか細い貧弱なものになってしまうんではないかなと。
そうですね。それは思いますね。
というか、そう思って始めたというのがありますね。
あー、なるほど。
なるほどね。
実は。
たぶんね、僕自分の中のリソースを使い切っちゃったんですよ、すでに。
アウトライン・プロセッシング・ライフで使い切っちゃったんですよ。
でもやっぱり、専門的に何かを勉強してきた人間でもないし、
体系的に何かをやってきた子どもでもないので、
やっぱり自分の中だけで何かを、自分の中のリソースだけで作り出せるというのは当然ながら限界なんですね。
そうですね。
だから、ちょっと風を入れたいというところは一つあるんですね。
動機としてあった気がしますね。
でもそれは見事に達成されてるんですよね。もちろんわからない。
後の中身は見えないのでわからないですけど。
やってみるとすごく達成されたところもあるし、
もう一方では逆に、そこで得たものを消化するための器みたいなものも実は必要で、
それがあるかどうかは別問題なんです。
もちろんそうですね。
だからそれはもう頑張るしかないというか、もしかしたら消化できない可能性もあるし。
でもそれはそれでしょうがないというか、できるものをやるしかないですよね。
そのまま走ってたんではたぶんどん詰まりにはなってたでしょうね、きっと。
なったと思うというか、まさにナリスはあったかもしれないですね。
だからこう、あれなんですよね。
だから当然、感想というかフィードバック、面白かったですとか、
あるいはここは面白くなかったですみたいなのは返ってきますけど、
それ一冊出したアウトプットに対してであって、
これから出そうとしている何かについての議論ではないわけなんですね、基本的には。
それがね、やっぱりセルフパブリッシャーはそういう場が特にない気がするんですよね。
ないですよね。ない。
感想を言い合うぐらいしか基本的にはないですよね、機会が。
だから普段本を書く人じゃなくて、何かしらのセミナーを実施的にやってはると、
自分が講習してはる人の一冊目の本ってだいたい面白いんですよ。
その内容に対する実地的なフィードバックを大量に持っておられるんで。
その人がビジネス書作家に転向したら面白いものを書き続けるかっていうところはまた別の話なんですよ。
あれ?それは。
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やっぱり内容に関する議論はどこかで積み重ねておかないと、
独りよがりって言うと狭いですけど、スポットライトが一箇所しかないようなステージになるんですよね、やっぱり。
そうですね。それは狭くなるし。
だからあんまり簡単にインプット・アウトプットっていう言葉を使いたくないんですけど、
インプットというか、やっぱり外からの何かが入ってくるもの。
インプットって言うと、たとえば本を読むだとか。
空いてる場所に情報をプラスで付け加えるみたいな感じですよね。
そうなんです。そうじゃなくて、僕はあんまりインプットとアウトプットは感覚的なわけで考えられないところがあって、
今回も、たとえば相手から入ってきたものに刺激されて自分から出てくるものもあれば、
自分が出したものに刺激されて相手から出てくるものもあって、それが行ったり来たりしてるというか。
要するに、そういう場があって、その場の力で何かが出てくるみたいなところであって、
それはいわゆる本を読んで勉強するインプットとはちょっと違う気がするんですよね。
いや、かなり違う気がするんですよね。
インプットとアウトプットが同時に行われてるというか。
インプットとアウトプットっていう単にこっちから入ってこっちから出ていけますっていう、そういうシステム的なものではなくて、
もうちょっと複雑ですよね。複雑かつ、あんまり量で測れないんだけれども、明らかにあるっていうところがあって、
その量で測れないものを割に、たとえばこのシリーズのパート2みたいなところっていうのは形にしちゃってるところがありますよね。
あれだけで本にはならないんですよね。
たしかに。
でも、そこを相手の方との会話と合わせてパッケージングしちゃうって、今考えてみると面白かったなという後付けですけども、思いますけどね。
たとえば時間を逆向きに捉えると、
証文のためのアウトライナーって本が出版されたとしたときに、それを振り返ってみると、そこから振り返ってみると、このシリーズって取材ノートみたいな位置づけにきっとなるんですよ。
僕の勝手な予想では。
もちろん取材ノートが直接中身に使われるとは限りませんけども、その思想のステップがちょっとそこに刻まれてるはずなんですよね、そのパート2だけを取り上げてみたときに。
僕がよく使うことでいうと、そういう研究のスタイルというかな。本を読むだけではやっぱり研究としては弱いんですよね。
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そうでしょうね。
インタビューと言っても半分ぐらい対談である、こちら側が何かを言うことが大切であるとともに、そのパート2の存在ですね。
パート2はもっと言うとたくさんの考えが出てるわけなんで。
そうですね。だからパート2がなければもっとすごいハイペースで出せるって当たり前ですけども。
それはトレードオフで失ってるものは大きいでしょうね、それはもちろん。
それはそれで、そのやり方もあるんですけどね、選択肢としては。
だからさっきの梅沢さんの言葉で言うと、一つのアイデアを様々な場面にぶつけてみると、つまり自分の持っていることを相手に口に出すと。
それによってまず自分が相手に対して表現の仕方を変えるじゃないですか。
例えば相手の専門分野に合わせてメタファーを変えたりするじゃないですか。
そのことがまず自分の考えを膨らませますよね、確実に。
で、もちろん相手からのフィードバックもありますよね。
それってこうやる。で、その結果も当然自分の考えに変化を与えますよね。
で、これが名前のないシリーズのパート1なんですよ。
で、パート2はさらにその自分の考えを読者にもぶつけるんですよね。
あとはですね、インタビューパートってことですね。
だから対談、全般パートではインタビューとインタビューイがやり取りすると。
パート2では読者と著者がやり取り一方通行ですけど、著者の考えがこっちに飛んでくると。
で、場合によっては今僕がたくさんやっているようにその内容に対してフィードバックすると。
それが土台となってさらにより大きなアウトプットに繋がっていく。
またアウトプットというか質量に繋がっていく。
そういう流れを作らないとやっぱり大きい思想というか体調みたいなものには至りづらいんじゃないですかね。
かけるスキルがあったとしてもその質をまとめきれないような気がするんですね。
体調はもともと無理ですけど、自分だけでは出てこないものが当然出てきますよね。
それは新しい知識というだけではなくて、
やり取りをすることによって新たに自分の中に生まれた説明の仕方というか、言語化の方法っていうのもあるし。
自分の中だけでこういうふうに説明すれば一番伝わるだろうと考えていたことで、
例えば相手に伝わらなかったと考えるわけですよね。
そういう経験によってより洗練されていくなりかと思うかもしれないし、
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逆に相手がこういうことですかって言い返してきたことを、わーっていうのも今回はわりとそれが起こった気がするんですけども。
だからやっぱり当たり前ですけども、自分だけでできることと言う。
これが当たり前じゃない空気が僕は感じるんですよね、やっぱり。
当然その著者の名前一人しか載らないんで、タイトルには。
僕一人で書かなあかんというような感じはあるんですけど、その事前としての勉強会って言うとちょっと固いですけど、
こういう軽い対話でもインタビューでも、こうやった方がなんかいい。
だから大学の先生が書く本ってやっぱりそういう意味では面白いし読みやすいんですよね、彼らは。
常に授業の形にもよりますけど、ゼミとか持ってる先生は常にそのフィードバックにさらされてるわけですし。
そうですね、はいはい。
やっぱりこういう一つのジャンルとかについて本を書いていきたい場合は、
なんかこういう場を、稽古場と言うとあれですけど、場を持っておいたほうがいいんだろうなという話を聞きながら思いましたね。
何らかの形で人とやりとりするっていうことは、そういう場所は大事ですよね。
ただそれがサロン的なものになると、それはそれでなんか違うような気もするし。
サロン的になると、サロンでサロン主がいてサロン参加者がいてっていうふうに、
あれやりとりと言っても実は上位傑達的な……。
なっちゃうんですよね。
たぶんそうですよ。
反論取材というか、それって違うんじゃないですかって言いづらい空気がたぶんありそうな気がするんですけど。
なっちゃうんでしょうね、きっとなっても。
おそらく。だからサロンで言うと、梅沢さんが週末みんな家に呼んで集まってたみたいな方をイメージするから、
比較的いい感触なんですけど、現代のオンラインサロンみたいなものは、特視点のは主催者だけっていうか、ちょっとあれかな。
主催者は結構……。
そういうサロンも参見される。
だから、サロンか勉強会かを二択しかないと、勉強会のほうがいいかなという気もしますけど。
勉強会とか難しいところはありますよね。
仕事としてインタビューをしつつっていう研究スタイルから、こうやって本当にポッドキャストとかスカイプとかで書いてることについてちょっと言ってみるみたいな。
場の前に人がいるんですよ。
ああ、そうですね。人の前に場があるとダメなんですね。
人との繋がり、そういう人と繋がれないとなかなか実現しないという問題はあるんですよね。
42:02
カーソルメンバーとかの枠がある、僕らは比較的得というか優位というかどう言ったらいいんだろうけど、ちょっと楽な立場にはいますよね。
そういう必要に応じてそういうやりとりが発生し得る環境はあると言えばありますよね。
それを、今日、昨日ブログを始めた人がいきなりいられるかというと、そういうわけでもたぶんないでしょうから。
今こうやって重要では重要だと言いながらどうやって作ったらいいやろうという疑問がまた追加でわいてきたんですけど。
どうやって作ったらいいでしょうね。難しいですよね。
難しいですね。
ブログの読者さんとか本会で呼んでくれた人がいたとしたらその人を誘ってっていう形にはなるんでしょうけど、きっと。
ただやっぱり、セミナーとかイベント的なものに登壇するような機会があったときに、
やっぱりブログっていうのはいいですよねって話になるときに、
たとえばある方が、「私のブログなんてたぶん数十人しか読んでませんから。」っていう意味のことを言ったとする前に、別に誰かが具体的に言ったわけではなくて。
そんなことを言ったら、僕のブログワードピースは何人読んでるのかっていう話なんですよね。
以前のほうがもう少し読んでたかもしれないですけど。
でもブロガーとして有名になったことは一度もないし、個人として有名になったことも一度もない。
だけれども結局、あえてその言葉を使えば、アウトプットしてるうちにある程度の広がりは出てくるわけですよね。
そんなに大きくはないけれども。
しかもその広がりっていうのが、街を歩いてる人に名刺を配るような関係性が薄いものではなくて、何か興味が近しい人たちの広がりですよね。
そうなのね。
まあ一番最初のきっかけは、イベントに行って直接知り合ったみたいなことがあるかもしれないけど。
やっぱり、例えばブログをやっていて、人とつながったバンガーができていくっていうことを言ったときに、
イメージされるのが、すごい有名なブロガーになってっていうことが、そうじゃないというか。
そうじゃなくても十分。
ごく一部の人が読んでいるというだけでも、たぶん実は相当なものなんですよ。
少なくとも僕、1980年生まれですらすごいと思いますけど、
たぶん40歳の人からしたらもっとすごいことでしょうね。
そんなことは考えられなかったですよね、きっと。
そうなんですよ。
それでも今セルファブレッシングだけで食える状況では到底ないですけど、
45:05
でもまあ収入の一角は占めていて、
あと今まで以前だったら考えられないような人とつながったり、
場合によっては一緒に仕事をしたりしてるわけですから。
僕とさくさんがこうやって喋ってること自体奇跡になってますからね。
この間のイベントでも言いましたけど、
ブログにコメントを倉下さんがくれたんですよ、最初。
そうですね。何やったかな、なんか知らんけど。
デイヴ・ワイナーさんのアウトラインから直接ワードプレスのブログを書き出すみたいな記事があった。
その記事に倉下さんがコメントをくれたんですよ。
この間僕スライドでそのコメントを紹介したんですよ。
ラシュタって書いてあって、ちょうどそのとき机の脇に、
倉下さんのエヴァノート知的生産の青い方がちょうど置いてあって、
この人だよな、みたいな。
そういうことが発生するわけですよね。
倉下さんからいろいろつながったところは大きいんですけど。
でもそのときに僕はすでに、佐々木翔吾さんって超有名な人だと思った。
名前知ってるし、ゴリオさんっていう人もそのときはエヴァの音絡みで知っていたわけだし。
でも気がつくとその人たちと仕事してるわけじゃないか。
マリエさんだってずいぶん前から知ってましたしね。
マリエさんは語学ブログのすごい有名な人だと思ってたし。
僕は僕でこの人すごい人やなと思ってましたよ、アウトライナーのページを見て。
アウトライナー的に見れば。
結局そういうことなんですよね。
自分から見たときに単に凄そうに見えるけど、自分の評価がまずわからないっていうのと、
それぞれの専門性があれば、
その繋がりがマネタイズできるものでないにしても、何か生まれるんですよね。
この話が今、けいこバトスピの対話で言うと、
今まさに僕らの生存戦略で書きたい話ですよね。
その話ですよね。
今まさにけいこバトスピの対話ですよね。
そう思いながらやってたけど。
こういう話はどっかで誰か言った人がなかなかずっと思ってたんですけど。
チャンスっていうものの捉え方が違うんですよね。
きっとだから、おそらく。
チャンスは小さい。
48:00
小さいんですよね。
小さいんですよ、チャンスって。
すごいチャンスってそんなに巡ってこないけど、
小さいチャンスはたくさん。
チャンスとまで言うと機会とか、ただのきっかけみたいなものっていっぱい実はあって。
マリエさんの話の中でもそういうところがありましたよね。
マリエさんもただブログで書きたいことを書いていたっていうところから始まって、
今や商業出版でベストセラーを書き、セリフリリシングでもベストセラーになるっていう。
すごいですよね。
すごいし、すごい以上に、ちょっとこの言い方傲慢ですけど、
書き手として注目してるというか、
この人の書くもんやったらちょっと見てみようかっていう気持ちにさせてくれる人ですよね。
なりますね。
いろんな意味で注目したくなる要素をいっぱい持っていて。
あんま適当なものは書かないだろうな、みたいな信頼感というか。
適当なものは書かないんだけれども、独りよがりにならないというか、
わかるやつだけはあってはいいんだ的にも絶対ならないという。
指の痛い話で。
いやいやいや、そうなんですよ。
マーケティング的なところまで含めて、
総合的にちゃんと考えてやってるっていうところもすごいなと思ったし。
結構勉強になりましたね、そこはね。
ただ有名っていうだけなら運でもなれますけど、
信頼を勝ち取るには別の何かがいりますよね。
そういう人がポコポコいるんですよね、結構。
見回すといっぱいいるんですよ、そこらへんに。
だから本を出すという目標ももちろん大切なんですけど、
マレーシアは種をまくっていう言い方をされましたけど、
僕はピンを打つっていう言い方をよくするんですけど、
ピンって潜水艦が自分の場所を確認するために
周りに音波を打つと反射で地形がわかったりするっていう。
アクティブソナーですね。
そうですね。
結局そのピンを打つと自分が地形を把握するためにわかりつつも、
他の潜水艦がいたときにそこに潜水艦がいることがわかってしまう。
アウトプットって結局そういうことだと思うんですよ。
自己発信とか、場所がわかる、自分ってこういうとこにいるんだねっていうこととともに、
他の人に自分のことを知ってもらえるっていう。
それをするかどうかっていう。
そのピンの打ち方も、例えばこういう言い方あるんですけど、
マック製品が流行ってたマックを紹介するとか、そういうのではダメで。
その人が本当に心からマックが好きだった話は別ですけど。
そうだね。その違いがあるんですよね。
そのいわゆるPVイコール稼ぎ的な方向のアウトプットで、
51:00
そのピンがずれた場所に打たれてしまうんで。
なるべく本人の好みというか、もう偏りと言っていいと思うんですよ。
偏りを軸にした発信の仕方でないと、後で困るのは自分なんですけど、きっと。
そうですね。そうだと思います。
偏りを思いっきり出していい。
のほうがいい。下に構えずに。
だから最初、たくさんのことをブログで知って、
ブログというかウェブサイトかな。アウトライナーのページを見て。
僕より年上ですごい人なんだろうと勝手に思ってて。
なぜかコメントには書き込むものの、そこには厳然と距離があったんですよね。
で、ツイッターのアカウントを見つけて、
何だったかな、ビートルズの曲の歌詞かな、なんか。
で、ツイートしたら、
あ、そうですよね、みたいなコメントを返してもらったんですよ。
何の曲だったかな、なんか忘れたけど。
あれじゃないですかね、
ノーリプライじゃないですかね。
恋愛の関する歌詞の話でつぶやいたら帰ってきて、
僕はそこでかなり距離がぐっと縮まってるんですよね。
たったその細かいやり取りなんです。
結局でも人間性ってそういうところにしか現れてこないんで、
この人と会うかどうかっていうのは感性の問題なんで。
だからやっぱり情報発信って言うとすごい固くなりがちですけど、
こんな漫画読んでるとかでもいいんですよね。
そういうちまちま発信、もちろんその人が好きなものをということなんですけど、
発信していることでピンが打たれたり、種がまかれたりするっていう。
その先に何かが生まれるんですよね。
本当にそう思いますね。
これ、20年前なら奇跡と呼んでいい出来事がかなり頻繁に起きてるんで。
面白いですよね、倉下さんのコメントも。
こっちからすると、なんかこれすげえ、本の著者からなんか来ちゃったよみたいな感じで思ってるわけですね。
そっちはそっちで、なんか……。
ちょっと緊張しながら書いてるんですよね、裏。
こっちを逆に、この本の著者のこの人がまさか自分にコメントするのに緊張してるなんて夢にも思わないわけですよね。
たぶんそういうものですよね。
そういうものだと思います。
でもさっきの潜水艦のピンを打つっていうのは結構いい例ですね。面白い例ですね。
ああ、また本で使うかどうか。
今僕自身は見ててもその話出てこない気がする。
たぶん拾い忘れたか、自分の中で当たり前になって省かれたか、たぶんもう一回復帰する、その例で復旧するかもしれないけど。
やっぱり対談の価値はありますよね。
だから他人の存在を探ることによって自分の存在も相手から見えるっていう。
54:05
これは絶対相互的なんですよ。片方ではありえないんですよね。両方が必ず同時に起こるんですよね。
面白いですね。その通りだと思いますけども。
だからそういうことをしていけば、どうやって場が作れるかって話で言うと、
そういう偏った熱量を持った発信をしていると、最初にちっちゃい繋がりが生まれて、もしかしたら広がっていくかもと。
20人、10何人しか読まれてへんって、その10何人が熱心に読んでたらそれはもうすごいことなんだよね、実際。
街に立って刺繍を配るのとは、これはノーノーにならない。
ならないですよね。
だいたいカーソルっていう雑誌も、基本的にインターネットで見かけた人と僕が声かけただけの話なんでね、あれ。
そうですね。
ただ一方では、7、8年前よりも、今の自分がただブログで発信していて何か繋がっていくということに繋がる可能性は低くなっているかもしれないところがあるので、
今なら違う形になる有効なのかもしれないですけど、ただ基本は変わらないですよね。
やることのベースは変わらないと思います。ただ場が違ったりメディアが違ったりっていうのはあるとは思います。
そこの問題は僕も常に考えててね、
結局Google検索の上に行かないと見えてこないっていうのと、
最近ソーシャルのシェアされる情報も結構偏りがあって、
あんまりライフワークネザーとかも広がらないんで、
だから見つけられにくいっていうのはあると思うんですよね。
その辺はどうにか、僕がどうにかできる問題ではないですけど、何か変化があったらいいなと思ってますね。
あとトラックバックをスタレさせてしまったのは大きな損失だなと思うんですね。
でもそれは仕方がないですね。スパムがすごすぎたっていうのは人力じゃないんでね、あれは。
トラックバックがあった頃は、いわゆる対話というか対談があったんですね、ブログは。
わざわざというか、こうやってポッドキャストしなくても記事と記事の対話があったんですけどね。
アンサー記事というものがありましたよね。
ありましたありました。
そのアンサー記事に対するアンサー記事みたいなのも結構普通にありましたからね。
まあ今では難しい。
例えばスクラップボックスにそういう人を集めて、意見のやりとりっていうことはできるんですけど、
そもそもとして存在を知られてない人は誘うこともできないんでね。
そうなんですよね。
あとスクラップボックスにいっぱい書いていても、その外にいる人から見つけられる可能性は限りなく低い。
低いんですね、確かに。
だからそこですよね。
昔は以前だったら、7、8年前までならブログを書いていれば、何かしらの経緯で見つけられることもあり得たかもしれないけれども、
57:12
今はかなりよほど特殊な内容を扱っていない。
注目を集めるだけであればツイッターのほうがいいんですけど、
ツイッターに向くコンテンツと向かないコンテンツがあるんでね。
しかもあれは議論を深めるというものでもないんでね。
ないですね。
その辺は現在のウェブが直面している課題ですよね。
そこに話は戻っていくわけですよね。
それでも開かれた対話の可能性は常に残っているメディアでもあるんでね。
技術でもあるんでね、このインターネットというのは。
有効に使えればいいなとは思いつつ、僕らの生徒さんに書こうとしてるわけですけども。
そういう本ですよね、結局それは。
それが伝えたいことが結構大きな軸にはなってますね。
どうですか、状況は。
今第1章のラフコーが半分、トツの5つあるぐらいって、
多分ここが一番時間かかるかなと。
枝分けがまだ完全じゃないんで。
枝分けが章分けなんですね。
第1章に集めた材料で、2章にも3章にも使えるものがまだダッと混じってて、
それを選別してるところ。
第1章が確定した場合、選択肢から第1章が消えるんで、次から2章以降は同じような複数の可能性があっても、
1章だけは消えてるんで、ちょっと決めやすくなって、2章が消えたらっていうふうに。
最後になると選択肢から、書くか書かないかしか残らないんで。
そうなるとだいぶ早い。
今は話の塩梅とか、論理立てた順番も大切ですけど、
1章って、読み手が読み続けるかどうかを決める場所なんで。
ここ退屈にしたらおしまいなところがあるんで、
その面白さと話の流れを整えながら、1章の話題を選別してるところです。
今、結構名前のない技術出ましたね、今ね。
あ、そうですか?
みんな気づいてない。
自分では全く気づかなかったですけど。
だから、1章ができたら1章は選択肢から始めるっていう。
それを意識的にやるのっていうのは結構意外に、なんだろう、思いつかないことなような気がします。
じゃあ、初めからきちっといわゆる名刺かな、MECEで、
章立てしたらこれ起こらないですけど、
まあ、そんなに綺麗に立てられる方が珍しいですよね、基本的には。
そうですね。
だから、1章が終わったら2章はスムーズに進むといいなっていう。
で、多分年内はまず無理なんで、来年の1月ぐらいに、
あのー、これは遅れもないか。
1:00:01
堀さんの新刊もたぶんその辺に出るだろうということで。
なんかそれに合わせて出せたらマーケティングにはいいなと思いつつ、
完成がそれに追いつくかどうかはまだ未定というところですね。
7章ぐらいですか?7、8章ぐらい?
今のところ7章ぐらいですね。
ちょっと仕掛けはあるんですけど、7章ぐらいです。
まあその辺は蓋を開けてみての楽しみ。
そうですね。自分的には面白い本になるだろうと確信してますけども。
まあでもすごいそれは内容的には読みたい、読みたい内容ですね。
書きたい内容です、非常に。
で、全然次の話でそれが終わったら、もうちょっと短めの技術書というかテクニック書かな。
エバーノートとかスクラップボックスの使い方みたいなのを、
ちょっと細かい本を入れてまた大きい本みたいなサイクルに戻ろうかなと。
とりあえずこの本完成するのにものすごく時間がかかってるんで、
一回終わらせて次にショートステップにしようかなと今のところ考えますけど。
倉下さん、こんなに時間かかってるの珍しいよなと思って。
いやーほんまにね、本当に驚きましたね。
まあ今までの本とはちょっと性質が違うんでしょうね、きっとね。
しかも多分こういう本を書いたことがない。技術書じゃないんでこれって。
そうですよね。
何かを論じてる本なんで、それは多分今まで書いたことがなかったんで、そこも戸惑いもあると思うんです。
ありがとうございます。
ということで、ということはケース3のインタビュー書き起こしが進んでいって。
書き起こしをちょうどしてるぐらいですね。
話はもう聞き終わってるってことなんで、一応パート2の書きたいことみたいなのもちょっと見えてきつつあるってことですね。
全然見えてないです。
そこが2ヶ月かからないかどうか。
どうかできるかがまだわからない。
そう言われるほど読みたくていいですね。
まあでもね、それはやっぱり楽しみなのもあるし、誰をやる相手にするときもそうですけど、
インタビューしてるとね、あるじゃないですか、自分の声を聞いてうんざりしちゃうというか、
声もそうだし、やっぱり自分の力不足をありありと感じるわけですよ、それは。
やっぱりそれで、こんなんでできるのかなと思ってるぐらいの段階ですね。
なるほどね。そこをくぐり抜けて、来年ぐらいに出るといいなぐらいで。
さらに年にもたらないと思うんですけど。
これはケース12ぐらいまで僕は言ってほしいんで。
候補者はまだ何かいるんですけど、ちょっとわかんないですね。
一回止めて別のことをするか。
あんまり同じことをやりすぎるのもまたちょっとあれなので。
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難しいところですね、そこは。
できれば違う性質の書き手を集めたいところですけどね。
もう一つあるのは、アウトライナーのことを知らない人、使ってない人を入れないといけないなとは思ってます。
あとめっちゃアナログな人とかも欲しいですよね。
欲しいですね、欲しいですね。
だからそこになると今度は自分を知らない人になっていくので、
そもそも受けてもらえるかっていう話でもらってますし、だんだん難易度が上がっていくはずですね。
僕の勝手な想像ですけど、ケース3が発売されたらインタビューを受ける人が増えるんじゃないかと勝手に予想してますけど、それはわかりません。
その辺はちょっとわからないですけど。
非常に非常に期待しております。
本当に一問にも面白い本なんで。
ありがとうございます。
これを聞いてる人なら、例え値段が500円超えてても誰にも損はない本だと思います。
値段ね。もっと高くされれば当たんないでしょうね、あれも。
本で思い出した。僕がしばらく部長の間にこの打ち合わせギャストを休んでたんですけど、
その間にアウトラインプロセッシング対談という本も実は発売されていて、一応紹介しておかなくてもらいました。
これは出版社はゴリゴさんになるんですか、一応。
出版社は社って会社じゃなくて出版するもの。出版社はゴリゴさんです。
ゴリゴさんのAmazonアカウントから発売されてるという認識で間違いないですか。
そうです。
でも一応対談なんで、しゃべりはほとんどたくさんですよね、これインタビュー。
まあ聞かれる側なのでそうなってますけどね。
ここではアウトライナーの使い方という話なんですけど、アウトラインって2種類使っていて前半と後半に分かれてると。
前半がいわゆる今ならダイナリスト、昔ならワークフローリー的なアウトライナーで、後半がアウトライン機能を使ったワードと。
ワードのアウトライン機能を使うっていう話の2段階構成で、
あんまりこれまで語られてなかったワードのアウトラインモードの威力について語られてる本で、
一応マリエさんの話も同じ話されてるんで。
このケース2を読んだらこっち読んでも面白いよっていういい感じになってますね。逆でもいいですけど。
そうですね。どっちも面白いと思うし。
アウトラインプロセッシング対談は文章を書く人にとっては、
今までの僕のアウトライナーの話って割にアウトラインプロセッシングそのものができるんですけど、
割に文章を書くことが軸になっているので。
1:06:00
あれ、そうなんです。実はアウトラインプロセッシング長文本の内容の一部なんですね。
うん、なるほどなるほど。
アウトライナーで文章を書く。
もしくはちょっと長めの文章を書かなきゃいけないんだけどなかなかっていう方には、
もしかすると役に立つかもしれない内容になってると思います。
はい。勇気をもらえる本ですね、僕が位置づけるとしたらね。
ああそうか、これでいいんかというね。
多分多くの人がこれじゃダメだと思っていることが実はいいんですと言ってるかもしれないですね。
それでもいいんですというよりもそれがいいんですと言ってますね。
そこが僕はいいなと思います。
というわけで宣伝も終わったので、
今回はこれまでにしたいと思います。
はいお疲れ様です。
ありがとうございました。
失礼します。