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2024-10-14 49:03

第172回 哀歌(クイネ)と共鳴した人生「喉に棲むあるひとりの幽霊 (後編編+アフタートーク)」デーリン・ニグリオファ著(ゲスト:翻訳者 吉田育未さん)

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【今回の紹介】『喉に棲むあるひとりの幽霊』デーリン・ニグリオファ著、吉田育未訳、作品社

⁠https://www.sakuhinsha.com/oversea/30403.html⁠

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パーソナリティ二人で作品の魅力やあらすじ、印象に残った点など、読後の感想を話し合っています。また、最後のアフタートークではお知らせもあります。ぜひお聴きください!

・【今回の内容】ストーリー紹介/口承伝承される哀歌(クイネ)/普通の人が書いたような文章/ミエが忘れられない三浦知良選手の姿勢/頭の中は自由なのが作品の好きなところ/最後の庭の見方の変化/旦那さんは実際と作品で違うのか/ちょきんちょきんの訳/各々のラストの印象/女性の体を描く文学でもある/YouTubeで聴ける哀歌(クイネ)/アフタートーク/育未さんの香港での生活/育未さんと12月1日の文学フリマ東京に出店/次回予告▼哀歌(クイネ)のアイルランド語朗読のリンク先YouTube「Caoineadh Airt Uí Laoghaire」https://www.youtube.com/watch?v=hgz98XY4sh4※3分20秒ごろから朗読が始まります▼12月1日(日)開催、文学フリマ東京39出店について吉田育未さんが出店される「Maggie’s Pie」に同席させていただき、空飛び猫たちのZINEやグッズを販売します。空飛び猫たちが文学フリマ東京39の抽選にはずれてしまい、一緒に販売させていただくことになりました。「Maggie’s Pie」では香港のアーティストの作品やカナダの現代詩の翻訳などを販売される予定です。ブース番号は決まり次第、番組やSNSでお知らせします。【文学ラジオ空飛び猫たちを初めて聞く人向けのnote記事】声で届ける文学!Podcast番組「文学ラジオ空飛び猫たち」おすすめエピソード特集⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://note.com/cafecatwings/n/nab636ad54a35⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠【番組へのお便りはこちらから!】⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://forms.gle/a569tyUhMDDaCXGF8 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠【メルマガ会員募集中! 】毎週土曜日朝7時に配信!無料版は本編エピソードには収めきれず、泣く泣くカットした部分を聞いて頂ける内容になっております!有料版は我々2人に対しての応援・支援をしたい!という想いを持って頂ける人を対象に、月額500円のサブスクをご用意。ささやかな御礼として編集後記という配信後の感想などをお送りします。なお、こちらに有料登録して頂いた方々を我々はサポーターと呼ばせて頂いております。どちらも theLetterというニュースレター配信サービスを使わせて頂いております。最初は無料購読登録から始まりますので、是非気になった方はまず無料登録を!⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ https://radiocatwings.theletter.jp/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠※登録されると確認メールが迷惑フォルダに入ってしまう可能性がございます。すべてのメールをご確認ください。※もちろんサポーターとしてご支援頂かなくても、Podcastを聴いて頂けるだけでも本当に嬉しいです。【文学ラジオ空飛び猫たちとは】硬派な文学作品を楽もう!をコンセプトに文学好きの二人がゆる~く文学作品を紹介するラジオ番組です。案内役の二人は、 東京都内で読書会を主催する「小説が好き!の会」のダイチ京都の祇園で本の話ができるカフェを運営する「羊をめぐるカフェ」のミエ文学のプロではない二人ですが、 お互いに好きな作品を東京と京都を繋ぎ、読書会のようなテイストで、それぞれの視点で紹介していきます!毎週月曜日朝7時に配信しています。【SNSでご投稿ください】番組の感想・リクエスト・本を読むきっかけになったなど、 #空飛び猫たち をつけて、ぜひSNSに投稿してください!よろしくお願いします!■twitter ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/radiocatwings⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠■Instagram ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://www.instagram.com/radiocatwings/?hl=ja⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠■Gmailでも受付中です bungakucafe.catwings@gmail.com■ダイチ「小説家が好き!の会」Twitter ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/welovestory ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Instagram⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ https://www.instagram.com/booklogd/?hl=ja⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠■ミエ「羊をめぐるカフェ」Twitter⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ https://twitter.com/hitsuji_meguru ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Instagram ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://www.instagram.com/hitsujiwomeguru.cafe/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#本 #小説 #読書 #読書会 #文学 #海外文学 #ブック

サマリー

ポッドキャストでは、現代の詩人デーリン・ニグリオファが18世紀の詩人アイリーン・ドブ・ニコネルの人生を探求し、彼女の作品「クイネ」の背後にある物語や象徴を明らかにしています。また、著者の情熱的な探求は、女性の声や歴史を取り戻す重要性を示唆しています。第172回のエピソードでは、デーリン・ニグリオファの作品を通じて、アイリーン・ドブとの心のつながりや個人の成長について深く掘り下げています。実体験を交えながら、著者と翻訳者の吉田育未さんが作品のテーマや感情の変化について意見を交わし、視聴者に感動を与えています。デーリン・ニグリオファの作品「喉に棲むあるひとりの幽霊」についても、翻訳者の吉田育未さんが深い感情や独特な表現を考察しています。特に、作品が描く過去の苦しみや希望、それが翻訳に与える影響について語られ、作中のアイリンドブに対する新たな視点が提供されています。このエピソードでは、香港での生活や文化について言及し、日本の作家の作品が香港でどのように受け入れられているかを考察しています。また、家賃や建築、美しい自然環境、さらには多様性という観点から香港の魅力にも触れています。「喉に棲むあるひとりの幽霊」に関する後編とアフタートークでは、デーリン・ニグリオファの著作を元に、深い感情と共鳴する人生の物語が展開されています。

ニグリオファの探求
現代の詩人デーリン・ニグリオファは、18世紀の詩人アイリーン・ドブ・ニコネルの痕跡をたどり、残されたテクストから彼女の物語を紡ごうとする。
そして、アイリーン・ドブ・ニコネルがアイルランド語で歌った歌を自身の言葉で翻訳する。
前回に続き、吉田育未さんをお招きして、喉に棲むあるひとりの幽霊のあらすじや独語の感想を話していきます。
どうもみなさんこんにちは。文学ラジオ空飛び猫たちです。
この番組はいろんな人に読んでもらいたい、いろんな人と語りたい文学作品を紹介しようコンセプトに、文学と猫が好きな二人がゆるーくトークするポッドキャストです。
パーソナリティは私大地と三枝の二人でお送りします。
文学のプロではない二人ですが、お互いに好きな作品を時には熱く、時には愉快にそれぞれの視点で紹介していく番組です。
今回紹介するのは、前回に続いてレイリン・ニグリオファの喉に棲むあるひとりの幽霊になります。
吉田育未さん役で作品社から2024年に出版された本です。
前回に引き続き、吉田育未さんにゲストに来ていただいております。
吉田育未さんよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回は前回に引き続きというところなんですけれども、前回が割と作品の大枠というか、概要をちょっとお話しさせていただいて、
この作品ですね、なかなか一言で言えなかったり、いろんな要素を持っていたり、ちょっと複雑な面があるので、
今回は改めてストーリーから入っていって、そこからいろんなお話をさせていただきたいなと思います。
前回と内容を被る部分もあるかもしれないんですけれども、いろいろ今日は作品について話していきたいと思いますので、よろしくお願いします。
早速なんですけれども、ストーリーを話したいんですが、なかなか掴みどころがないというか、
一貫したストーリーみたいなのを、一貫した形で話すことが難しいので、
吉田育未さんの役者後書きにある本書に関する部分というところを読ませていただきたいと思います。
じゃあちょっとこちら読み上げさせていただきます。
本書に登場する著者、にぐりおはは母親である。やることリストを握りしめて、受入・作入・日々の雑用に自己を召して取り組んでいる。
鏡をみかくけれど鏡に映る自分は見ない。日々の労働は存在の証拠だと彼女は言う。
疲れ果てているけれど幸せ。そんな日々の中で彼女はある日、一人の詩人と再会する。
アイリーン・ドブー・ニコネルである。
1773年、アイルランドの甲府県カリガリマで殺害された夫の元に馬で駆けつけ、彼の血をすくって飲み、クイネを歌った女だ。
彼女はまた母親だった。死んだ夫のそばで彼への愛と欲望、宿敵への怒りと復讐心に喉を震わせた。
そのクイネをおよそ250年後のアイルランドに生きる著者が握りしめ、アイリーンの亡霊を生活の隅々に浮かび上がらせる。
そして彼女は何としても自分がこの詩を翻訳しなければという強い衝動に駆られ、図書館に向かい入手可能な限りの資料を読み漁る。
けれどもどうしても詩人の姿が見えてこない。アイリーンの人生は常に男たちの影に隠されている。もしくは死を置くされている。
著者は女たちの力を借りて詩人の人生を浮かび上がらせようと決意する。
というのが一応ストーリーというか本書の説明になるんですけれども、前半でも先週の回でもお話ししているんですけれども、
これは著者であるニグリオーハさんがこのアイリーン・ドブ・ニコネルという18世紀に実在した詩人を探していく、痕跡を探していく。
彼女の消去されてしまった人生を取り戻そうというか、見つけ出そうとする過程というか、見つけ出そうとする過程を描いた作品であります。
クイネの物語
というところでまたちょっと今回いろいろ話したいんですけれども、まずこのニグリオーハさんが追いかけているアイリーン・ドブ・ニコネル、実在した詩人の方なんですけれども、
この方が書いたクイネ、これは彼女の旦那であったアート・オレイリーが亡くなった時に作った歌です。
このアート・オレイリーはある男性というか、ずっと敵がいたんですけど、その敵に銃で撃たれて殺されてしまった。
血まみれで馬に乗っている時、血まみれになってしまって死んでしまったというところです。
このアイリーンは夫の元に駆けつけてその血を吸って歌を作ったということが語られてきますね。
その時の歌をニグリオーハは幼い時にも聴いていたんですが、母親になった時に聴いた時にまた違った響き方をしてきてのめり込んでいった。
そうですね。ちょっと一点だけ大事なのが、アイリーンも実在するし、夫のアート・オレイリーも実在するんですが、
これ交渉伝承なので一番最初に書いたわけではないんですよ。
そうですね。
死に駆けつけた、そこで一度クイネを唱えた、吟じた、歌った。
クイネというのは今録音が残ってないので、どのような形だったのか正確にはわからないんですけれども、
その後にまた葬儀で同じクイネを読むという。
多分そこでアイリーンは少なくとも2回クイネを吟じていて、
そのクイネというのは一人で読むものではなく、コミュニティの中の女性たちが輪になって一緒に読んでいくもので、
桓松の大子を見ていただけると、大役を見てもらうとわかるんですけど、
そこにアートのお姉さんだか妹だかシスターって書いてあるんですけど、が一緒になって読んでいるところの部分もあり、
一人著者というふうに言われるんですけど、著者という言葉がふさわしいのかはわからないんですが、
その交渉伝承として女の人たちの喉を通して伝えられてきて、
ある時点でこの中に出てくるんですけど、それも女性によって書き記されているっていう、そういうシーンになります。
ありがとうございます。
アイリーンなんですけれども、このにぐりおばさんは異様な執念で彼女の人生を探っていきます。
残されているものが少なくて、その中でアイリーンの影を追い続け追い続けというのが、
どんどん後半になっていくと強くなっていく作品ですね。
このにぐりおばさんがアイリーン・ドブを追いかけたいんですけど、
意外とアイリーン・ドブにその人について書かれている記録というのがなくて、
やはり当時の女性の記録というのがなかなかなかったようで、
アイリーン・ドブの兄弟とかですね、男性の記録ですね。
最初は女性の組さんからちょっと教えてもらったんですが、
女性の記録を追おうとしたけどもやっぱりなかなかなくて、
男性について残された人生の記録というのを頼りにしてアイリーン・ドブに迫っていくというですね。
なのでちょっと直接的というよりかは間接的な形でアイリーン・ドブを追いかけていく。
ではそこでじゃあアイリーン・ドブについてどれだけわかったかっていうと、
なかなかこの作品の中でもはっきりとアイリーン・ドブはこうでしたみたいなですね。
なんか完結したところまではわからずにっていう。
そうですね。だからそのあたりの下りはもう本当そのなんか孫レベルまでこう遡っていって、
家族のね家族のやり取り、手紙のやり取りとか、残されて見れる手紙のやり取りとか、
孫の代ぐらいまで見ていくけれども、なんかこのアイリーンの影を感じるような文章とかを見つけると、
にぐりおばさんはだいぶちょっと興奮されるじゃないですか。テンションが上がったりするじゃないですか。
だからそのあたりとかすごくなんか面白いし、なんかすごいすごい執念というかを感じるし、
ただもう何というかそこまで考えるかっていうレベルまで行っていくので、
ちょっと私は怖くなるようなところまでありましたけどね。
広げていった先に凝り固まっていく感じとかがあって、そこが人間としてなんかちょっと何ですかね、
狂気を感じる部分ではちょっとあって、解釈を広げていった後にぐっとそこに何でしょう、
縋る感じというかがあって。
少し話が戻るんですけど、そのリサーチをする中で、男の人たちの影を見ていくんですけど、
その皮肉なことが彼女はすごく有名な政治家のダニエル・オコネルっていう人のおばあなんですよね。
だからその人のダニエル・オコネルはカトリック教徒の議席獲得に向けて動いた人で、
すごくアイランドでは解放者みたいな感じで敬われている政治家なんですけど、
その人との繋がりがあるので、カイムじゃないですよ記録は。
その偉大な男、偉大な男っていうフレーズが結構この本の中に出てくるんですけど、
そこに紐付けされた情報はあるけれども、彼女が女性として主体的に動くようなテキストはないので、
それを影として、不在のテキストとして見つけていくっていうんですよね。
女性の声の重要性
大地さんが言われた執着っていう切迫している、なんでこんなに求めていくのかっていうところは、
やっぱりそこにアイリーンっていうよりも、ニグリオファー自身の中に何かがあって、
そこで突きを犯されていくっていうところがある。
それがラストに繋がっていきますよね。
で、それがその最後のリフレイン、最初のThis is a female textっていうところと、
最後のThis is a female text、これがある女の、これはある女のテキストであるっていう、
そこに繋がっていくんですけど、私は結構興味あるな、
どういうふうにその執着、何かに執着して、何かをそこまで愛して追い求めていくっていう、
しかも自分にはあるんですよ、家族とか子供とか夫とかすごく愛している。
けど、それとはまた別に追い求めているそこっていうところに、結構私はこの共感じゃないけど、
そこに私はこの作品の面白さがあると思っていて、
人間的な矛盾とか、欲しいもののために動くんだけど、その中で犠牲にしていくもの、
この人にとっては自分をすごい削るじゃないですか。
でも自分を削った先に、何をじゃあ見つけるのかなっていうところで、
動いていってくれたら、読者がね、一緒に読んでいくっていうのがすごくいいんじゃないかなと思うと、
それと前回に三重さんが、普通の人が書いた文章のように、
っていうのは結構ネグレファー自身も言われていて、
これを読んだ人にね、私もできるかもって思ってほしい。
私もこういうのがあったら、学者とか大学とかいなくても好きなものを見つけて、
こういう人がいるって分かって、そこに興味あったっていう人がいたら、私もできるかもって。
こういう毎日の中で雑用とかに追われているけれども、自分が探していく過程を書いた。
その過程を一緒にいくことで、自分も一緒に探しているような気持ちになってくれたら、
みたいに言われていたので、そこを三重さんが読み取ったのかなという。
なるほど、確かに。
三重さん、その感覚、前半でちょっとお話ししてたけど、
普通の人が書いたんじゃないかみたいな、ちょっと深掘りしてなかったと思うんで、
もし三重さんその話を知ってもらえたら、どういう感じに。
あんまり整理せずに前編でしゃべっていたんですけれども、
思うのは、にぐりおばさん自身の話というよりかは、
にぐりおばさんという詩人が書いたある一般のお母さんの話みたいな。
あるいは、詩人ではない一般のお母さんが書いた自伝家のような、
そんな、読んでいる時のちょっと感想があってですね。
もちろん文章はすごくいいので、やっぱり詩人の方なんだなっていうのはあるんですけども、
詩人という部分よりかは、お母さんというそこの部分が、
にぐりおばさんの人生にすごく現れているように思えて。
そうなんですよね。
確かに、にぐりおばさんが詩人だから、今回のアイリーン・ドブの人生に重ね合わせたとかっていう、
一概にそんな単純な話ではないんだなというのは、ちょっと一文章の話を聞いて思いましたね。
思い出と憧れ
やっぱり、みんなが同じようなことが実はできるんじゃないかと。
にぐりおばさんの場合は、アイリーン・ドブという人がたまたま、
自分に重なって感じられたというので、
でも他の人はまた、もしかすると別の人物とか別の物語に重ね合わせてっていうのができるかもしれないというので、
実は僕もですね、ちょっと自分の話で恐縮なんですけど、
中学生の時に、京都でサッカーが好きで、京都パープルさんがJリーグのチームの、
1年だけ三浦和義さんが在籍してたんですね。
で、中学生の時に練習場見に行ってですね、その時、
ファン感謝デーみたいな日で、周りの選手たちはすごくファンの人たちと談笑したり、
結構ミニゲームとかも遊びみたいな感じでやってたんですけど、
練習場の中で一人だけも全然違う空気を醸し出して、死ぬ気でプレイしてる人がいて、
誰だこれはって思ったら三浦和義選手だったんですね。
で、中学生の当時見た時は、周りみんな楽しそうにしてるのに、なんでしてるだけこんな必死なんだっていう。
だからその必死さは何なんだって思ったんですけど、大人になっていくにつれてですね、
あの時の三浦和義の姿がだんだん強烈に残るようになっていってですね、
その姿勢に憧れがだんだん芽生えてきたっていうので、そうなんですよね。
でももしかするとちょっとそんな感覚、なんか自分が大人になって、
こういう人になりたいなとかっていうその憧れみたいなものとかっていうのが、
子供の頃に見た三浦和義の姿にちょっと重なるところがあったり。
ファンの人とすごい人って、もちろん隔たりは大きいと思うんですけども、
でも何かそこに感情を何か重ねたりする、なんか想像を巡らせたりするみたいなところはですね、
僕でもちょっとできるところはあったなっていうのはですね、
この話しながらちょっとふとも思いましたね。
作品の自由度
そう、だからすごい自由だなって、なんかすごく体はすごい拘束されるんですよね、
授乳したり、なんかこの中にも紅茶を入れて飲もうとしたけど子供が泣いて言ってて、
次飲もうとしたら紅茶冷えてるから電子レンジに入れて温めるんだけど、
温めたらまたなんかしなきゃいけないから行って、
で、紅茶飲めた試しがないんだよみたいな一説がこの中あって、
で、なんかそうしてるんだけど、頭だけは、頭の中だけは自由だからいろんなところに行くんですよね。
それがね、それが私はすごい好きで、この作品の。
で、この方は本当どこまでも行くんですけど、
最後にやっぱその戻ってきたところっていうのがまた飛ぶための地点に戻ってくるから、
この人はずっとこうやって飛んでは戻ってきて、飛んでは戻ってきてってやって、
作品を作ってるんだろうなっていうふうに思って、そうですよね。
確かに前半でも出ましたけど、このにぐりおばさんの自由度というか、
あの開放されてる感じかはすごく感じていて、
それはなんか羨ましいみたいな気持ちは確かにありますね。
あと最後の方で思ったのは、224ページの終わりの方なんですけども、
この一連の物語をにぐりおばさんがちょっと振り返るような、
最後そんなちょっと締めに入ってくるようなショーになってくるんですけど、
その中でこの庭が好きだと、この庭も私を好いてくれている。
けれどこれは私の庭ではない。厳密に言うと違う。
私はこの場所を、この庭を始めた女性と共有している。
新築の公営住宅にサンドレス姿で引っ越してきた。
死から死ぬまでずっとこの庭を大切に育った女性と。
というので、自分の身の回りの好きなもの、庭の見方が、
この作品の最初と最後で違っているんじゃないかなと。
歴史というか、その庭をかつて持っていた人、
その人の思いというのも一緒に持つような、
そのような見方を庭に対して持っているんじゃないかなと思ってですね。
このあたり最後、読み終えた時とかですね、
すごくこのにぐりおばさんの中でアイリンドブを追いかけた、
この一連の通じて、心境の変化というか、物事の見方の変化とか、
そういうのもあったんだろうなって感じれて、
アイリーンへの献身
すごく気持ちが、ちょっと弥生みたいな僕としては、
軽くなるところがありましたね。
今、私、言われて気づいたんですけど、
これも女のテキストとして書いてあった部分なのかもしれないなっていうと、
この人ずっと与え続けて与え続けて、
にぐりおばさん、アイリーンにも与え続けて、
あなたの本当の姿を明かすことがあなたへの献身みたいになって、
それもダメだと、今度は三つの地に献身しだすんですよね。
あなたたちが好きな庭を作りますみたいな感じで、
その止めどない献身の中でも、
さっきみなさんが言われたみたいな、ちょっとずつ変化が、
起こりながらのラストにつながるんだろうなって、
つながったんだなっていかがって思います。
すごいですね、この。
蜂さんにひざまずいてお使いしようっていう。
そうなんですよね。
本当にやっちゃうっていう。
最初の方で言うんですよね、クローバーの畑のとこにいて、
私に庭があったらひざまずいてお使いしようっていう画面が結構前にあって、
最後に本当にお菓子屋さん開いてあげてるみたいな感じで蜂さんに。
そうですね。
この置くことの関係も面白いですね。
そうですよね。
お父さんとの関係も。
珍しい描かれ方なのかなと思いながら。
読んでる以上だと、この旦那さんはすごい優しい人っていうか冷静な人っていうか。
ね。
いや、これ結構、もうちょっと衝撃的だったんだけど。
そうですね。
なんでしょうね。
すごく大きく受け止めてくれている人なのかなっていうのに。
そうです。応用力って感じ。
そうですよね。
ちょっとしか出てこないけど。
これもなんか気にはなってるとこですね。
結構このにぐりおばさんが旦那さんに対して、
この中で描くにあたってどういうことを、拡大って言い方おかしいですけど、
どういう旦那像を描こうとしてたのかというのはちょっと気になったり。
実際の旦那さんと多少なりとも乖離はあるんだろうなと思いながら。
そうですね。
確かに今までの話の感じからすると、
にぐりおばさんがやっぱり家事とか育児とかやることに追われているので、
旦那さんはそういうのを押し付けてたんじゃないかみたいに思って。
あり得るし。
でも最初に一緒にやるけど、自分一人でやった方が楽なんだよねって言ってました。
なんか手伝われるよりも自分で勝手にやれた方がいいかなって。
にぐりおばさん結局制御、コントロール人なので、
自分でコントロールできないものが増えていくのが、
ちょっと不安でたまらない人だと思うんですよ。
だからこそ検体のとこでも自分の体の死後までコントロールしようとするっていう、
結構そういう衝動がある。
ただちょっと会話見えたのは、
ティムさんの、ティムさんって後だけに書いてあるの。
夫さんの会話見えたのは、
にぐりおばさんが翻訳するときにご飯食べ終わったら、
夫が後片付けしてる間に自分は2階に行って他人の部屋でっていうのがあったので、
ゼロカジではないと思う。
そうですね。
読んでる感じだと相当強調性のある旦那さんなのかなとは思いましたんで。
そうですね。
ちょっとこれネタバレになるのか分かるんですけど、最後の方のね、
チョキンチョキンのところとかは、
チョキンチョキンって言葉で訳してるのすごい面白いと思うんですけど。
これ言語がね、スニップスニップかなんかなんですよ。
そうなんですか。
原文は結構そんな感じなんですよ。
なるほど。
割と原文の語感。
語感を活かしてる。
スニップスニップリンプリンプって感じなので、
そういうの多いんです。
なるほど。
他にもちょっとね、ジャジャーンみたいなとこも。
あれもタダーなんですよ。タダーって書いてるんですよ。
タダー。
なるほど。
はい、TABA、タダーって結構なんかお茶目っていう感じ。
そうそうそう。書き方が。
でも喜びにあふれてる感じ。
ジャジャーンってなんか自分のその妊娠、出産で変わり果てた体を、
裸体を鏡に映して、ジャジャーンって言えるってそのシーン、
私すごい泣きながら訳しました。
あ。
はい。染みると思います。
はい。
ちょっとお話があれだったんですけど、
その旦那さんのチョキンチョキンのところは、
ちょっとこれ、しかも結構ラストの方に書かれてるんで、
あんまり触れない方がいいかなと思いつつ、
あれなんですけど、
ここのちょっと旦那さんに対しては結構衝撃があって、
注射針の話をするだけでもみたいな、
旦那さんに対して結構こんなことになってくので、
ここの感情の動きとか描かれてないので、
旦那さん側のとか考えると、
結構ちょっとどういう風に描きたかったのかなっていうのは、
ちょっとこの辺りで感じてしまったところはちょっとあったんですけど、
なんか決断したのが、
割と簡単に決断してるけど、
これはどれぐらいのあれだったのかなとか、
ちょっと気にはなったところはありますっていう程度なんですけど。
そうですね。
これあれですよね。
あんまりあれなのかわからない。
アイリーンじゃなくて、
著者は子供が欲しいんですよね。
ずっと子供が欲しくて、
お父をあげない自分の存在が考えられない。
あげない自分の存在どうなってしまうんだろうって言って、
恐怖で、恐怖もあって子供欲しいってなってて、
夫がバセクタミっていう、
何て言うんだろう、
否認方法を取るんですけど、
結構ドラスティックで根本的な否認方法を取るというチョイスをするんですが、
そこで大事なのはニグリオファーが、
もう授乳できないという状況になったっていうことが、
そこのところでは重要なのと、
今まで自分が与え続けていた人なのに、
夫が今度は自分を犠牲にするという形で、
そこで役のフリッパが起こるみたいな感じになっているのかなっていうふうには。
そこも結構面白いところでね、
そうくるのがあって。
今のあたりが結構終盤の話なんですけど、
このラストの印象の話をしていきたいなと思うんですけど、
読み終わった時に、
たぶんこの作品自体は、
アイリーンっていう詩人に関してのテキストであり、
最終的にはニグリオファーさんという著者に対してのテキストになっていったっていうところではあると思うんですけど、
最後にやっぱりニグリオファーさんが、
これだけアイリーンの影を追い続けて、
でもやっぱりわかったことっていうのは少なかったりするっていうところ。
普通の作品だったらやっぱり多くのことがわかったりとかして、
大演談って言い方おかしいですけど、
いわゆるわかりやすいオチがあったりして、
そこでそれに対して考えを巡らせて終わっていくのかなっていうのなんですけど、
作品の感情と表現
これネタバレになってるかどうかちょっと怖いからちょっとあれなんですけど、
でもこの作品に関してはそういう終わり方ではなくて、
まあはっきりしない。
でもはっきりしないからこそ、
ニグリオファーさんの中に残っていってる感情があるっていうところが描かれていると思っていて、
これってでも途中で諦めてしまったものとか、
途中で手放してしまったものというか、
手放したつもりで手放しないとかすごいあると思うんですけど、
そういうものに通じる気がして、
このラストはニグリオファーさんとしては一個の終わりを迎えているけれども、
終わっているのかどうかっていうのはちょっと気になるところ。
まだ追い求めていく可能性も全然あるしと思いながら読み終えているので、
そうして絶対他にはない、
独語感を味わえるっていうのは間違いないと思っているんですけど、
なかなか自分の中でもまだ多分1回2回じゃ答えが出ないので、
何回か読まないと多分この作品はこういう作品だったなっていうのはまだ言えないなってちょっと思いながら、
ちょっと今収録段階っていう感じですかね。
みずさんはどうですか。
僕もちょっとさっきまでいろいろ話していたのと被っているんですけども、
ちなみに最初はですね、
読んでいてこれ悲しい小説なのかなとちょっと思ってたんですね。
著者のこの状況も結構ですね、日常が切羽詰まって、
過去の描写とかでもやっぱりいろいろ苦しんでいるというか悩みながら人生を歩んできて、
アイリンドブの話も悲しい話ではあるので、
というので悲しい話かなと思いきや、
でもそうでもないのかなとだんだんちょっと思えてきてですね。
最後の方ですね、ちょっとさっきの話に戻りますけども、
結構この著者のアイリンドブの話に関しては、
いろいろ切ないところもあったりはしたんですけども、
でもこのにぐりおわさんの日常に戻ると結構明らかんとしているというか、
ちょっと開放感があるというかというので、
アイリンドブの人生はアイリンドブの人生としてあって、
そこから紡がれてきたものというのはにぐりおわさんが受け止められたと思いますし、
にぐりおわさんの人生はこれからも続いていくという感じの、
ちょっと前向きな、前向きと言うんですかね。
僕もちょっと開放感を感じましたね。
特にこの終わった後、写事があるので、
それを読むとやっぱりこれは現実の話だったんだなと、
旦那さんへのメッセージとかを読むと思いまして、
そうですね。
作品の中の物語は一つの物語として、
その後にぐりおわさんの人生がちゃんと続いていってるんだなという、
そんなふうに見てましたね。
翻訳の挑戦と共鳴
なるほど。
ちょっとすみません、我々二人の印象はこんな感じなんですけれども、
ちょっと略されて、
ゆきみさんの最後の印象とか、
初読の時の気持ちとかがあったら。
そうですね。最初読んだ時は、
読んだ時は、私は香港の前の収録の時は、
聖なる証の時は収録させてもらった時は、
私はカナダのハルガディッシュの江戸元で、
その前の星の精にしてる時は東京にいたんですよ。
そっか。
そうなんですよ。で、今回私は香港にいて、
この本を最初にお話しいただいて読んだ時は、
香港への引っ越し準備中で、
そのにぐりおわさん、めちゃめちゃ引っ越しするんですけど、
その作中で、それ読んで子供の世話しながら引っ越すっていう、
どこでもありがとうを書いてくれてっていう、
そういう気持ちでいっぱいで、
難しいとは思ったんですけど、
翻訳するのはとても難しい作品だろうなとは思ったんですが、
クイネを含め、アイランド語を知らないので、
勉強しなきゃいけないところがいっぱいあるなと思ったんですが、
中の文章があまりにも美しく、
絶対に訳したいと思って、
自分が引っ越し、子育て、いろいろ大変な時に、
本当に同じような境遇で、
ご飯食べさせて2階に登って、
っていう境遇で訳していくっていうのが、
すごいシンクロしていたし、
性格が結構似ている、妄想飛ばすとことか、
結構似ているので、
そんなにあまり乖離せずに、
何だろうこれはっていうのがあまりなく、
感覚的にすごくわかるなと思って、
初読の時、一番最初に訳の時に訳して、
2回目、3回目、4回目、5回目って文に当たる時に、
そこを引き剥がしていくっていう作業をして取り組んだ作品で、
すごく思い入れが強い作品ですね。
ラストもそういった意味ですごくわかるというか、
結局の本は、
受入文学って言ったら変だけど、
初入が出て、受入して、作入して、
離乳して、最後子供がもう作らないよってことは、
もうお父はあげないよっていうところまでを書き切っている。
文化と音の重要性
ワニグリオファー自体で言うと、
そういうお父の物語でもあるんですよね。
女性の体の中で起こっていることを鮮明に、
極めに書く。
女性の体の欲望を書く。
痛みを書く。
で、その彼女の体を、
実際のアイリーンがいた、
体を置いていた場所に重ねていくっていう、
女性の体を動かして、
その体で感じたことを書いていく作品でもあるので、
いろんな読み方ができる、
本当に面白い作品だなっていうふうに、
ぜひ、
みんなが好きっていう作品ではないと思うけど、
ぜひ、
読んでいただけたらなって思いますね。
分かりました。
ありがとうございます。
なんかちょっと、
今、閉まってしまったような感じがするんですが。
勝手に閉めましたよ。
大丈夫、大丈夫。
すみません、すみません。
ゆきみみさん、ありがとうございます。
最後ですね、
これ「患末の悔い音」なんですけど、
YouTubeとかでもちょっと見れるような、
っていう話、
ちょっと打ち合わせの時に、
聞いたので。
見れます。
YouTubeで、
英文と見れるんだけど、
後でなんか、
ニュースレターとか何かあれば。
はい、でも一番、
いいやり方は、
本を持って、
そうか、私今、
原書を読んで、
原書を見てもどうしようかな、
ちょっと待って、
一番最初の、
最後の、
患末の詩?
うん。
ちょっと待って。
これは、
やっぱり概要欄か何かで、
貼ったらいいと思う。
分かりました。
はい、じゃあちょっと、
貼らせていただきます。
どういったところを、
ちょっと気にして、
見たり聞いたりしたら、
いいかだけ。
YouTubeで見たら、
貼ってもらうリンクのやつには、
アートたちが埋められている、
遺跡みたいなの。
映像も出てくるし、
その一つのビデオには、
にぐりおかさんが、
朗読しているものもあります。
で、読むとき、
というか、
音読聞くときに、
一番患末にある、
大悪のところを、
見てもらいながら、
聞いてもらっても、
いいと思うんだけど、
アイルランド語って、
結構目で見ている、
アルファベット情報と、
音が一致しないことが、
結構あって、
ここがここだなって思えるには、
何回かトライしないと、
ちょっと難しいかもしれないので、
音を本当に聞く、
こういう音なんだなっていう風に、
聞くっていうのを意識して、
聞いてもらえれば。
でも結構長い。
30分くらいあるかも。
そんなにあるんです。
結構長いです。
結構長いですもんね。
あと、
英語とアイルランド語、
どっちも結構、
きちんと聞きたいっていうことであれば、
オーディオブック、
原初のオーディオブックを購入すると、
一番最後に、
本当に1トラック使って、
アイルランド語、英語、
アイルランド語、英語っていう風に、
全スタンが読んでくれるので、
私はそれを聞きながら、
音を合わせながら、
翻訳をしていた感じですね。
なかなか、
アイルランド語っていうのもね、
馴染みのない言語ではあると思うので、
この機会にもし、
触れられる方いたら、
触れてみてはと思います。
やっぱり交渉文学だったので、
音がすごい大事だなと思って、
最初ここにRubyを全部振って、
いただきたいかったなって思ったんですけども、
そしたら、Rubyが合っているのか、
カタカナでどう表記するのか、
そういういろいろな問題もあって、
アイルランド語、英語、日本語の兵器っていう形を、
撮っていただいたので、
ぜひ見ていただければと思います。
このクイネが、
悲しみの歌というか、
そういうので、
18世紀当時、
どのように歌われていったのかっていうのが、
やはりこの作品を読むと、
すごく気になってしまうところで、
それがやっぱり今は、
残されていなくて、
18世紀、どのように歌われていたのかっていうのを読むと、
すごく多分気になる人が多いなと思います。
そうですよね。
もう本当に気になって気になって、
本当にしょうがなくて、
本当にリアルに再現というか、
忠実に誰か再現して、
そういうのが聞けないのかなと、
やっぱり思ってしまいましたし。
しかもなんか、
愛かというと、
めっちゃ悲しいのかなと思うけど、
結構怒ってるというか、
ああ、そうなの。
なんか、
モリス卑怯者め、
お前に苦しめが降りかかりますよとか、
こっぱみじんになりますよとか、
なんか、
すごく怒ってるし、
なんか、
どれだけアートがこう、
なんていうの、
セクシーって言ったら変だけど、
色気があってみたいなのも、
こう、
書いてあって、
なんかそういうのも、
衝撃的ですね、
最初読んだ時は。
そうですよね。
こんなになんか、
うん。
歌で、
それをどのように表現してるんだろうって、
その感情の記憶とか。
そうですね。
うんうんうんうん。
じゃあ、
吉田幸美さん、
ありがとうございました。
ありがとうございます。
喉に棲むある一人の幽霊の召喚については、
ちょっとこの辺りにしたいと思います。
で、
ここからですね、
ちょっと全く関係ない、
本来ならちょっと番外編で別撮りしようと思ったんですけど、
結構今回、
前後編で撮らせていただいたので、
最後ちょっとアフタートークみたいな感じで、
幸美さんの近況とか、
ちょっと色々、
香港の生活と文化
ほんと雑談になっちゃうかもしれないですけど、
雑談したいなと思います。
はい。
今、
香港に移られてどれぐらい経ったんですか?
ちょうど1年ぐらいですね。
ああ、
もう1年になるんですか?
そう。
もう1年。
いや、
時間が経つの早い。
1年と1ヶ月。
あ、
そうなんですね。
はい。
今日は、
関東語を勉強し始めて1年です。
あ、
なるほど。
関東語。
関東語になるのか。
はい。
いや、
言語すごいですね、
今、
何言語ぐらい。
いや、
何言語もない、
英語は、
彼方が長いので、
そうですよね。
関東語、
あとなんか、
ドイツ語とか、
韓国語とかじってはいるから、
本格的にやってるのは、
関東語が久々ですね。
うんうんうん。
私とみえさんは、
全然、
香港について、
明るくないので、
うんうん。
なんか、
何から聞けば良いかと思ったんですけど、
そうですよね。
でも、
香港で、
日本の作家さんとか、
誰が読まれているんだろうかとか、
そういうのが、
そうですね。
気になるよね、
確かに。
うん。
うん。
なんか結構、
独立書店さん、
結構回ったりするんですが、
あの、
宮沢賢治と、
村上半岐は、
はい。
確実にあります。
あの、
日本語の本格。
日本語の本格。
うん。
訳本じゃなくても。
あっ、
日本語で、
英書が売ってる。
はいはい。
で、
訳本もあるんですけど、
でも、
なんか、
訳本は、
特に、
宮沢賢治の訳本は、
なんか、
並んだら、
すぐ売れちゃうぐらいに。
へー。
宮沢賢治なんですね。
そうそうそう。
っていう風に、
はい。
つい最近、
聞きました。
面白いですね。
はい。
あとなんか、
香港の人に、
日本の本を見せたら、
えー。
言われましたね。
その版が、
サイズが、
ほぼ決まってないらしくて。
あっ、
そうなんですね。
それ、
出版社ごとに、
自由に作っちゃってる?
多分自由に作ってる。
あー。
多いな。
なんか、
流通するのにね、
なんか、
同じサイズでないと、
結構本屋さん苦労しそうですけど。
うん。
まあ、
バラバラらしいですね。
それ、
すごい感動されました。
綺麗でいいね、
って言われました。
逆に言うと、
なんか、
単行本と、
ままないってことですかね?
ままない。
ちっちゃいよ、
ほんと。
私、
まだわからないんですけど、
自分が持ってる本を見ると、
なんかサイズは、
明らかに違うんだけど、
それが何ていう分類で売られてるのか、
まだよくわかんない。
あー、
なるほど。
えー。
まだその、
読めないんですよ、
中国語。
うんうんうん。
あー、
なるほど。
もうちょっと頑張らないと、
あの、
こう、
普通にこう、
買い漁るとこまで行けないっていう。
なるほど。
そして、
独立系書店が多いんですか?
ほんと、
あまり、
あまりにほど多くない印象で、
あー。
結構、
探していきますね。
でも、
あの、
ジンとかすごく面白いの多いし、
日本自体も、
なつみはね、
まだ読めないから、
わかんないですけど、
あの、
はい、
本の作りとかもすごくきれいだし、
はい、
楽しい。
あと、
イベントとかも多いですね。
一緒に写真撮りか、
ジン作ったりとか、
はい。
うんうん。
はい。
読書会も多いみたいだし。
へー。
そうですね。
たくさん日本の翻訳本も。
でもカナダよりは日本に近いので
そうですね 帰りやすいですね
やっぱそうですよね
あとは冬が寒くないという当たり前のことを
カナダって寒かった
でもカナダですもんね
トロントの時はマイナス10ぐらいで行けたんですけど
エドモンとマイナス35まで行って
そうですよね
もうなんか冬はほんと外出れなかったから
香港は2月とかでも半袖で走れるし外
いいですね
冬は最高です
夏は暑いけど
でもそうか逆に夏は本当に暑い
でも日本より暑くない
でも湿気だなきっと日本は
こっちもすごいんですよ湿気
90何パーセントとか
いつもですけど
でも日本は本当に気温がすごく高かったですよね
そうですね
全然夏の日中は外に出れないみたいな
いけなかったですね
感じでしたね
年々ほんとなっていってますよね
本当に香港のこと知らなくて
どうですか生活されていて
香港これは良いとか
逆にこれは大変だみたいなことって
あったりするんですか
香港はね大変なのは家賃ですね
すっごい狭いですね
狭くて高い
家賃はもう多分世界一じゃないですか
そんなレベルなんですか
検索してみてください
すっごいレベルだ
本当に家賃高いですね
それは人口が密集しているがゆえってことですかね
土地がやっぱないだと思います
ないからってことですよね
でもすごく面白いし
町が面白い
造りが面白いし
ブルータリズムの建築がすごい
建物がもう面白すぎて
暇があれば歩いてみて
いろんなとこ行って
あと島
離島にもすごく行きやすくて
ハイキングとか
やりやすいし
あと釣り
私全然釣りとかしなかったんですけど
香港行ってみんな楽しそうに釣りしてるから
しかも釣りしてる人って
だいたい関東語で話してくれるので
香港人結構英語ができる方が多いので
釣りしてる人は
関東語でお話ししてくれるので
釣りを始めて
すごいみんな優しくて
香港えらい楽しいです
いいですね
町が楽しいっていうのはすごいいいですよね
いや本当に
電車乗って窓の外見てるだけで
幸せな気持ち
建物好きなら
建築とか好きなら
すごい面白い
一回行ってみたいな香港
番外編ここで収録してください
香港から2人で行って
香港
香港旅行いいですね
海外旅行しながら収録っていいですね
楽しそう
すごい楽しそう
すごい面白い
歴史とかも
日本軍の業際とか
全然手入れされてないので
行ったらそのまま
違う角度から
歴史のことを学ぶとか
そういう意味でとても面白い
今のところ住んでて
楽しいです
我々も香港って言うと
弁発の社録放物っていう本を読んで
紹介したんですけど
それくらいの知識しかないんですけど
あの作品の中から感じる香港
かなり前の香港を舞台にしてるんですけど
香港の建築と自然
いわゆる民族というか
人種的な
交差点になっている
いろんな人があって
すごく多様な空間になっているんだろうな
とはちょっと感じてはいるので
そういうところに
自分を連れていくと
いろんなこと感じそうでいいなと思いますね
そういう意味でちょっとカナダ
トロントに雰囲気に似てるかな
そうですよね
結構いろんなカナダの人が言ってました
トロントに似てるよねみたいな
私ずっとトロント住んでて
それもあって居心地がいいかもしれない
確かに
多様性の高いところに
ずっと居続けてる感じなんですね
はい
いくみさん
12月1日東京です
これまだあんま誰にも言ってないんですけど
そうなんですか
吉田いくみっていう出展じゃなくて
マギーズパイっていう
マギーのパイ屋さんっていう
なるほど
パイって
一切れ一切れ売るじゃないか
一切れピースって言うんですけど
作品も一つをピースって呼ぶので
バラ売りして気軽に食べてもらうみたいな
そういうコンセプトで
出展した
だから香港で会った
アーティストの方とかに
声かけて
作品を持っていくっていう感じで
考えてるんですが
まだね
まだ何も固まってないから誰にも言ってない
わかりました
配信が10月の
中間とかになると思うので
そんな頃には
2週間後ぐらいですかね
行かないとか言ってるかもしれない
いやいやいや
アーティストの作品ってことは
そこでしか手に入らないものが
ありそうで
そうですね
今持ってるのが産後賞
翻訳の時点で
言葉を
産後賞に翻訳した
面白いですよね
言葉を引くと産後賞の形が書いてある
その言葉を考えながら海岸を歩いて
産後賞を見つけて
それをスケッチするっていう
そういう試みをされた
それがすごい分厚い
すごい可愛い
綺麗な時点だけど
それとか
たくさんの産後賞が書かれてる
香港にはないんですよ
その方はマレーシアかどっかで
作ってこられたんですけど
ニューヨークをベースにしているアーティストの方なんですが
香港のブックフェアで会って
お話を
すごい
そういう寄せ集めみたいな感じで
香港の人たち
日本に行ってみたい
作品を紹介したいけど
どうしたらいいかわからない
みたいな感じの方もいらっしゃったので
アートとコミュニティ
そしたらちょっと
考えてみようかな
なるほど
ゆるいんです
文学フリーマンは
ゆるさもすごく重要なので
ゆるくやっていく
お二人が落選されたって聞いたので
そうなんですよ
横に
ラジオでは
ここで初めて
そうですね
メルマガで一回伝えて
いろいろ動いてる部分もあるので
どうしようかなと思ったんですけど
文学フリーマンの京都の方に
申し込み再度したりとか
その結果まだ出てなかったです
結果が10月末ですかね
京都でいつですか
1月下旬かな
1月19日ですね
文学フリーマンの準備
それも抽選
これもちょっと申し込むタイミングが
遅くなったので
これもね
いけないかな
人気なんですね
文学フリーマン年々
盛り上がっておりますよね
ちょっとお言葉に
甘えさせてもらって
12月1日の文学フリーマン東京
空飛び猫たち落選してしまったんですけど
ワギーズパイで
ワギーズパイさんに
助けを
いただいて
文学ラジオ
空飛び猫たちに
ひっそりと参加をさせていただこうと
2席ちゃんとあるんです
テストの2席ですよね
そうですね2席
どっちでも何でも2人ぐらい入れる
ブースになっていると思います
ありがとうございます
ちょっとまさかのここで
よかったです
今これ収録段階で
このお話いただいているので
慌ていると思うんですけど
なんとか新刊作っていきましょう
ただ
マギーズパイって書いてあるので
すみません
そこに今変えられるのかな
変えられないと思いますね
多分誰も
吉田くんみたいに出してないし
しれっといこうかなと思った
しれっといって
多分我々のリスナーは
番組で告知するのと
SNSで告知すれば
お会いいただける人がほとんどだと思うので
大丈夫かと思います
嬉しいです
ありがとうございます
実際にお会いするのって初めてじゃないか
文振りで会った
ミエさんとは
大阪でお会いしました
だいさん初めてかも
私は初めまして
初めましての感じ全然ないですけど
そうですね
本当に
12月1日
よろしくお願いします
そんなところで
今日ものどに棲むある一人の
幽霊から話が続いていって
最後アフタートークまで来たので
このあたりでと思っております
また近々
収録しているのが9月なんですけど
3ヶ月後くらいですかね
2ヶ月後ですかね
早いですね
どうしよう飛行機取ります
まず現地に行けるようにします
我々は多分
文振りでは新刊を出そう
って話をしたんだけど
その手前の
ポッドキャストウィークエンドっていうイベントがあるんですけど
下北沢である
そこでは本携帯以外のグッズも
今進行しているので
それがどれくらい文振りで
持っていけるかわからないですけど
新しいものも用意していますので
バック作ろうって話をして
そうなんですね
サコッシュを作ろうかな
サコッシュってなんだ
肩にかけるやつ
ちっちゃいやつで
イメージバッグ持っていかなくても
本とお財布入れて
出かけられるぐらいの
本は入るようにしたいと思っています
カフェとかに
それでフラッと行けるような
サコッシュを作ろうかなと思って
ちょっとまだ画が詰まりきってないんで
そんなの作ろうと思っています
次回予告と感謝
今日はまた
収録長丁場になってしまってすみません
吉田君さんありがとうございました
ありがとうございました
それでは次回お送りさせていただきます
次回はナギーフンマフーズの
ミタック横丁をご紹介します
お楽しみに
ご視聴ありがとうございました
この番組気に入っていただけましたら
積極的に拡散共有していただけると助かります
それではまた来週ありがとうございました
ありがとうございました
49:03

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