作家と友人
虐殺に関する小説を書いた後に、悪夢を見るようになった作家。
地図島に戻り、そこで暮らし続ける友人と、地図島四三事件で凄惨な経験をした友人の母。
傷つき、損なわれた人たちへの終わりのない哀悼。
ハン・ガンが究極の愛についての小説であることを願った作品、「別れを告げない」を紹介します。
どうもみなさんこんにちは、文学ラジオ空飛び猫たちです。
この番組は、いろんな人に読んでもらいたい、いろんな人と語りたい文学作品を紹介しようコンセプトに、文学と猫が好きな二人がゆるーくトークするポッドキャストです。
パーソナリティは私、ダイチとミエの二人でお送りします。
文学のプロではない二人ですが、お互いに好きな作品を時には熱く、時には愉快に、それぞれの視点で紹介していく番組です。
今回紹介するのは、ハン・ガンの別れを告げないになります。
斉藤麻里子さん役で、白水社から2024年に出版された本になります。
前回の少年が来るに引き続き、ハン・ガンさんの作品を紹介する流れとなっております。
これはですね、確実につながっている作品なので、ぜひ、もしかしたら前回配信長くなっているかもしれないんですけれども、聞いていただいた上で、この別れを告げないのエピソードも聞いていただけたらなと思います。
別れを告げないなんですが、もうハン・ガンさんの最新長編ということで、非常に話題にはなっていて、発売当初から、発売前から絶対読みたいなと思っていた一冊です。
今回、少年が来るはですね、6つの章とエピローグからなっているんですが、それぞれ違う人の視点から描かれていた、結構多角的な作品だったなと思うんですが、別れを告げないは、一人の主人公の視点からずっと描かれ続ける作品です。
この主人公は、作家であるので、経歴というか状況から見てもですね、ハン・ガンさん自身、自分を描いているのではないかなと思いますね。ハン・ガンさんの視点から描かれているのではないかなと思うような小説です。
隠すわけでもなんでもないので、まずお話ししてしまうと、1948年から起きた、ジェジュ島温泉事件ですね。こちらを題材にしたテーマにした作品ですね。
なので少年が来るが公衆事件だったんですが、こちらも韓国における歴史的にも大きな事件を題材にしている作品となっています。とはいえ作りはすごいですね。
面白い作りだなと思いましたね。少年が来るからの流れを感じることができまして、少年が来るはちょっと面白かったのは、始まりはフィクションで、最後に現実に引き戻されて終わるような感覚があったんですけども、
別れを告げないは始まりは現実で、読んでいくとだんだんフィクションが混ざってくるような作りで、少年が来るとは逆の現実からフィクションになっていくというですね、そんな作りで面白いなと思いました。
ただ少年が来るという凄まじい過去というのが明らかになってきて、この歴史的な大事件を扱っているということで、また作風は違うんですけど、そこのインパクトはすごかったですし、苦しみというのもすごく、これも少年が来ると同様ですけど、作者である半岸さん自身の苦しみというのも読んでいると共有してしまうところもありましたし。
少年が来ると通じるかもしれないんですけど、より今回は愛というところが一つテーマだと思うので、愛に至るまでの話というかですね、そこはすごく感じるところもあって、これまたすごい作品だなと思いましたね。
そうですね、現実と幻想が入り混じっていくっていうのが不思議で、今回少年が来る別れを告げないよを読んで思ったんですけど、多分半岸さんの中で大きなテーマとして多分魂っていうのがあるんじゃないかなってなんとなく自分は思っていて、これまで、これまでというかもう今日本で読めるものは多分ほぼ全部読んだんですけど、半岸さんの作品に惹かれてしまうポイントっていくつかあるなと思ったんですけど、多分その一つが今回魂なんだろうなって。
思いました。これはちょっと本編で語っていきたいなと思います。
そうですね。
じゃあ行きましょうか。
ではですね、まず著者紹介をしたいと思います。半岸さんのについて簡単に紹介しますと、1970年韓国国語講習生まれで大学卒業した後、2005年3つの長編小説をまとめた採植主義者で韓国最高校の文学賞である伊山文学賞を受賞。
同作で2016年にアジア人発の国勢文化賞を受賞。
以降も様々な各国の文学賞を受賞されています。
別れを告げないに関しては世界22カ国で既に文学観光が決定していると。
原作が出たのは確か2022年だったと思いますので、日本語訳というのは非常に早い段階でされているなというのも感じます。
チェジュ島四三事件
というのでも韓国を代表する作家さんになります。
一線の方ですね。韓国といえば半岸さんかなと思います。
ではですね、作品紹介に移っていきたいと思います。
まずですね、半元のホームページの紹介文がすごく長かったので、全部読むと大変だったので見出しだけ話しますと、
国際文化賞受賞作家待望の最新長編。韓国で発売後1ヶ月で10万部突破のベストセラー。
韓国人として初のフランスのメディシス賞受賞作ということで、こちらの別れを告げないに非常に評価されている作品になります。
帯から引用するとですね、今生きる力を取り戻そうとする女性同士が地図と温泉事件を生き延びた母親の知られざる情熱をたどり、再生に向かう愛の物語とありまして。
女性同士のストーリーというところですね。
まずは友人同士のという。
そうですね。ちょっとメインのキャラクター、登場人物が主人公の私である作家である女性と、
あと何て言ったらいいのかな?アーティストなのかな?ドキュメンタリー映画を作っていた友人、インソンという方なんですけど、
あとインソンの母親ですね。この辺りが中心になっていく話ですね。
まずお話ししなきゃいけないのは、
チェジュ島四三事件とは何かというところなんですけれども、これも前回の公衆事件と同様ですね。少年が来るの公衆事件と同様。
我々そこまで詳しいわけではないんですが、ちょっとご説明したいと思います。
1948年4月3日に在朝鮮アメリカ陸軍司令部、軍政調子配下にある南朝鮮立州版政権下のチェジュ島で起こった、
当民の放棄に伴い政権側ですね、南朝鮮国防警備隊、韓国軍、韓国警察などの立州版支持派がですね、
1954年9月21日までの期間に起こった一連の当民虐殺事件を指しています。
これがチェジュ島四三事件と呼ばれてますね。
ざっくり言うと、政権下の元当民が虐殺された事件となってます。
これも犠牲者の数がですね、正確に測られてなくてですね、少なくとも約14,200人。
推定では2万5千人か3万人と言われてはいるんですけれども、一部の情報では8万人の死者が出たとも言われています。
この時チェジュ島の村がですね、70%が焼き尽くされたとも言われている事件で、
愛と別れ
いわゆる政府、政権側からですね、島の人々が結構な期間ですね、虐殺をされたというのがこのチェジュ島四三事件となってます。
詳しいことはですね、斉藤麻里子さんが役者跡書きに書いていただいているので、そちらを参照するのが良いかなと思います。
あまり詳しくない人は先に役者跡書き読んでしまった方が良いのではないかなと思います。
僕も最初にまず役者跡書きを今回読みましたね。
ちなみに私は第一部を読み終わった後に読み出しました。
だから第一部が実はこれ半分までいかないけど、でも半分ぐらいあるのか。
155ページまでだからちょうど半分ぐらいか。
なんですけど半分読んだ段階でちょっと読んだら結構スッと入ってきましたね。
一部がチェジュ島のことが、この事件のことはあまり描かれないので、もしかしたらちょっと一部の後に読むっていうのは良い流れかもしれません。
自分は結構スッと入ってきました。
これからちょっと具体的に話していきたいんですが、この残虐的な事件をテーマにしながらというところも踏まえてちょっとお話ししていきたいと思います。
この作品の特徴をちょっと3点ほどお話ししてから、具体的にストーリー紹介していきたいんですけど、
この作品自体ですね、今話した通りチェジュ島四三事件をテーマにしているというところはあるんですけども、
そのテーマがありながらかなり多くのことを読み手に投げかけてくる小説です。
実際にはこのチェジュ島四三事件という虐殺について、具体的に話をしてきながらというか、そこを私の視点と、
あと私の友人であるインソンの語りから、結構我々はちょっと読み手は直視していくような形になっていきます。
実際にはこの生き延びた人の娘がこの主人公の友人のインソンにあたり、
そのインソンの語りと主人公が持つ痛みのようなものがリンクしながら語られる話になってきますね。
やはりこのタイトル、別れを告げないというタイトルの持つ意味や、このラストの意味なんかっていうのはかなり迫ってくる内容になってきて、
読み手としてはですね、やっぱり人生においてとか歴史においていろんなことがあると思うんですよ。
それに対してどういうスタンスで向き合っていくのかっていうのを問われるような作品でもあるかなと思います。
この別れを告げないっていう意味はですね、内包して生きていくっていう意味なのかなって私はちょっと捉えました。
このいろんなことが起きて、いろんなことが自分に降りかかってきて、いろんなことが自分の立っている土地に刻まれていて、
それをやはり共に生きていく、別れを告げないっていうことなのかなってちょっと思いました。
ちょっとここはいろんな意味を多分読み手は感じるんじゃないかなと思います。
そうですよね。一応、役者跡書でも半岸さん自身がこの別れを告げないっていうタイトルの意味は、
哀悼を終わらせないっていう意味だっていうのをはっきり述べてるっていう説明があってですね、
すごい強い決意並ばれているタイトルなのかなって思いますし、
僕もやっぱりちょっと思いましたね。この別れを告げないっていうタイトルって内容も本当にすごいそこにリンクしているようなものだし、
別れって何だろうっていうのをすごく考えてしまいましたね。
そうですよね。
人と人が会わなくなることが別れなのか、もっと別れには含まれているものがあるのかとかですね、
本当の別れって何だろうかとかですね、なかなか想像させられるものがありましたね。
確かに本当の別れって何だろうとか考えちゃうよね。
そうですね。
あと、そういうタイトルの持つ強さみたいなところもあるんですけれども、
今後の小説はですね、大きな特徴として半岸さんの自伝的な小説なのかなと思います。
自伝的って言っちゃうとすごく大きい、意味合いがちょっと違うかもしれないなと思うので、
もうちょっと正確に言うと、半岸さんが少年が来るという作品、前回紹介した少年が来るという作品から、
多分何か自分の中で描かなくてはいけない、表現しなくてはいけないと思っていたものが多分絶対あって、
それが形になった、帯ではあれだっけ、結晶って書かれてたかな。
私が経験したことの全てが結晶になるって書かれてるんですけど、
確かにこの結晶化したものだなと思ってます。
だからこの主人公、キョンハというのが主人公の名前なんですけれども、
間違いないこれは半岸さん自身を投影している私でして、
その視点から考えても本当にこの一冊は書く必要があったと覚悟、決意を感じる一冊だなと思ってます。
これを書くことによってやっぱり半岸さんは一つ何か自分の中で大きなものを得たんだろうなと思いますし、
ラストそういう意味合いを込めた文章が続いていたなと思います。
本当これこそ何か終わりにしないというか、ここで終わりにしない、
共に生きていくみたいなこの意味、それを感じる一冊なので、
何でしょう、この半岸さんが今まで描きたかったものとかをちょっと考えていくと、
すごく迫ってくる一冊だなと思いますね。
キョンハの訪問とインソンの苦痛
そうですよね、この一章の中でも半岸さんが虐殺と拷問について書くと決めておきながらっていう、
少年が来るですね、この前に書いた、そこに触れている場面があったですね。
それを少年が来るを書いた時に伴った痛み、苦痛というのはいつか振り切れるだろうっていう思っていたけども、
それはでも厚かましい思い込みだったと。
そんなそういう苦痛が消えることはないと、そういう傷は残ったままだっていうですね、ずっとそんな状態であるっていうことが述べられていて、
本当に傷つきながら、苦痛を伴いながら少年が来るを書いて、さらにその後もそこに向きはないといけなかったっていうですね、
ということが思わせてくれる作品なのかなと。
読んでいる本もですね、ちょっと痛みを半岸さんと同じくちょっと感じてしまうようなですね、
半岸さんというか主人公のキョンハと一緒に感じてしまうような、そんなのはありましたね。
特に少年が来るを事前に読んでいると、よりですね、このキョンハの主人公の心情に思いを近づけることできるんじゃないかなと思いますし、
あとはちょっと今回だけではないんですけど、半岸さんってなんかそのすごくなんていうんですかね、作り物っぽくない作品を書いている気がしてですね、
特にこれは別れを告げないに関してはよりそれを持ってですね、何かその本当に魂みたいなものをそのまま描いているというか、
すくい上げて描いているような作家さんなのかなっていうのはより今回感じましたね。
そうですね、確かに。作り物ではない感じはすごくする。この別れを告げないは確かに。
描いていることとか、例えばちょっとこの後話すけど、その夢で見た光景とかあるけど、でも実際にこれでも半岸さんが見た夢が一つの書くきっかけにはなっているし、
そこから来るから作り物感はないんだけれども、でも一般的に一般的に普通に読み始めたらあの夢のシーンとか結構作り物感すごいはず。
うん、なんだけどないよね、なかった。
作り物っていうのはイメージだとプロットを事前に作って嘘って書くとか、
そういうことか。
物語屋敵ではないっていう意味ですね。
わかる。
その時その時のその本当うちなる言葉を半岸さんがすくい上げていって描いていって、
それがだんだん物語になっていくっていう、なんかそんな感覚ですね。
すごいわかる。後でちょっと話そうと思ってたけど、なんか我々今までもいろんな本を読んできて、いわゆるオートフィクションと呼ばれるジャンルの小説を読んだことあるけど、それと全く違くて、
本当なんか自分の中から出てきたものをしっかりしっかり一つずつ置いていってるっていう感覚がすごくこの本から感じる。
だからちょっと後でその辺についても話したいかなとは思ってます。
というところでちょっとすでにあれですが、
あと1点絶対触れとかなきゃいけない点は、この物語が愛の物語であるというところですね。
今回少年が来ると違って、同じような韓国で起きた大きな事件をテーマにしていながらも、この愛の物語だというところを半岸さんは言い切っているところ。
歴史を扱った小説でもあるが、愛の小説だということを言い切っているらしくて。
この愛ってちょっと一体何なんだろうって自分は、まだよく分かってないかもしれないなと思っていて。
でも自分が今ちょっと感じている部分で言うと、この誰かの命、誰かが生きたことっていうのを自分の中に取り込んでいくって言い方があれだけど、
受け継いでいく、継承していく、触れていくっていうことが、それを受け止めるっていうことが愛なのかなっていうのは今回ちょっと思いました。
これは京賀とインソンっていう2人の女性の関係と、インソンと母という関係が多分この小説の中で大きく描かれていて、
おそらくどちらにも愛がある。種類は違うかもしれないけど愛がある。
っていうのはまだこう、自分にはまだ分かってないものなのかなっていうのはあるし、
でも例えばインソンと母、インソンとインソンの母に関して言うと、インソンの母から聞いた話とか、
インソンの母がインソンの中に残していった印象っていうのは、おそらく大きくインソンという人物を縛り付けてしまってもいるし、
彼女の生き方を大きく決めてしまった部分も多分あると思うんだけれども、
やっぱりこのインソンという人物に輪郭を与えている部分も絶対あって、
それが愛なのかどうなのかっていうのが自分の中でまだ分からないんだけれども、
でも多分このことはすごく描きたかったことだろうなと思っているし、
そこのインソンと京賀のこの触れ合い、思いが通じている部分、通じてない部分、理解しようとしている部分っていうのも愛なんだろうなってちょっと思いました。
ちょっとこの愛については後書きにも書かれて、半岸さん自身の後書きの中にも書かれているんですけれども、
インソンの家と過去の語り
なかなかちょっとまだ自分は見えてこない部分かなと思っています。
作品の後半の方で愛がどれほど恐ろしい苦痛かっていうですね、そんな言葉が一つあってですね、
この究極の愛の物語となってはいるんですけども、それが甘いものではないんですよね、決して。
そうですよね、めっちゃ苦いっていうかですね、だからチョコレートだとしたらもう究極のチョコレートってめっちゃ甘いものかなと思ってたら、
逆にめっちゃ苦いものだったみたいなですね、すごく複雑なものなのかなって思いましたし、
確かにでも読んでいると、なんかすごい人と人との何か交わるようなところというか、なんか受け継ぐものというかですね、
なんかそんなのも感じれてですね、だからそういったのも愛なのかなって思っておりましたし、
究極の愛ってなんだろうって僕も読んでもまだ自分の中でもちょっとわからないところがあるんですけども、ただ感じるところはありましたね。
でもなんかやっぱり生きるには必要なことなんだなっていうのはなんとなくわかった。
そうですよね。
誰かが生きるためには多分必要なものなんだろうなっていうことはね、ちょっとなんとなくだけどわかった気がします。
というちょっと解像度低いんですが、まあちょっといろいろ話していきたいと思います。
とはいえちょっとストーリーをですね、ざっくり紹介して、ラスト付近の話も最後していきたいなと思うんですが、
まずですね、これ3部構成になってます。
1部が鳥、2部が夜というタイトルが付けられていて、3部が炎というタイトルが付けられています。
まず1部の鳥という部からお話しますと、これ作家であるキョンハというのが私という視点で描かれるんですが、
私こそキョンハが長い付き合いである友人であるインソンからすぐに来てと連絡を受けて、
彼女が入院している病院に会いに行くことになります。
この時もすぐ向かったので、何の準備をしないままキョンハはインソンの病院に行きます。
病院に行くと指を失いかけているインソンがいました。
インソンは彼女はですね、ジェジュ島の自宅にいて電動のこぎりの扱いを誤ってしまったことから、
自らの指を切断してしまっていました。
この切断した指と再びくっつけていて、神経が繋がるかどうかの切断際にいて、
3分に1度ですね、ちょっと針を刺されるというですね、非常に、
注射をされるというですね、とんでもない苦痛を今味わっている状態です。
インソンはですね、自宅で気を失っているところを偶然助けられたので、現在自宅は放置状態。
彼女が飼っているインコにどうにか水をやってほしいとインソンはキョンハに頼みます。
キョンハは断ることができず、ジェジュ島のインソンの家へ向かうことになります。
だがこの時ですね、タイミング悪く豪雪でして、島に着いたものの雪で視界が悪く、
もうウロウロのインソンの家にたどり着けるかどうかわからないという状態になってきます。
その途中でキョンハはインソンの話を思い出していきます。
これ結構いろいろ前後して描かれるんですけど、キョンハはですね、インソンととある約束をしていました。
キョンハが見た夢、たくさんの木が、木の棒が生えていて野原なんですけど、
でもやがて海が、波が押し寄せてくるという夢を以前見ていて、その映像をですね、その夢をですね、
インソンは映画監督でもあるので、短編の映画にしようという約束をしていました。
これがですね、インソンのお母さんの葬式の時に結ばれた約束でして、
その約束は一向に進まず4年という月日が経っていたという状況でした。
でもインソンはですね、その約束を決して忘れていなかったというところでした。
で、第1部はそんなところで終わっていきます。
で、第2部なんですが、これも本当一部で結構いろいろ描かれて、すごい苦労をした上でですね、
インソン、あ、キョンハはですね、インソンの家にたどり着きます。
でもあの雪の中強豪君だったので、かなり体にダメージを、あの寒さによるダメージが蓄積していて、
発熱しながら猛狼としながらキョンハは工房であの過ごしていて、
あ、インソンの家でちょっと過ごしていて、で、ある時工房に入ったらですね、インソンに出会います。
でもそのインソンはですね、指がちゃんとあって、ちょっと現実味がないインソンがそこにいました。
インソンはキョンハに約束してた映像を撮ることを告げます。
また認知症になり亡くなってしまった母の話やチェチ島について自分が調べた話をしていきます。
その中でチェチ島で起きたチェチ島予算事件について語っていくことになります。
まあこの事件にですね、巻き込まれたインソンの父と母、そして家族のことですね、などを語っていきます。
理不尽に奪われた命の数が、記憶をたどれるしもあるがたどれないしもあって、
木を埋める場所の訪問
どこで誰がどのように殺されたかわからない、そんな事実が語られていきます。
まあなんだろう、この本当に自分が見ているインソンは、インソンなのかどうかわからないんですけども、
現実のないインソンの口からチェチ島のことが語られて、
キョンファーはですね、もう現実なのか夢なのか幻なのかわからなくなっていくというところで2部は終わっていきます。
3部はですね、そんな幻かもしれないインソンにキョンファーは導かれていき、
雪の中を木を埋める場所、あの映像として撮るとこですね、木を埋める場所を見に行くことになります。
この時、ロウソクの日だけが2人を照らしていくというところですね。
もうちょっとあるんですが、ちょっと大枠はここかなっていうところなので、ちょっとここで止めたいと思います。
というのがざっくりとしたストーリー展開なんですけれども。
ほぼ登場人物2人で話が進んでいくっていう。
でも非常に濃厚な作品ですね。
さてちょっとラストの話とかも含めてちょっといろいろ話していきたいんですが、
ハンガンさんの描き方というか、自分がこの話を読んでいて、
ストーリーにしてしまうと本当今話した程度なんですけど、
でも本当一つ一つですね、
なんか嘘のないハンガンさんの中からにじみ出てきているような文章だなと思っていて、
ちょっと泣きそうになってしまったところが、
282ページのこれもう本当終盤で、
インソンがキョンファーに、正直これ外すごい雪なんですよ。
雪で、もう普通外に出るような状況じゃないのに、
我々が木を埋めるところを見に行こうという話をして、
いや帰ろうと。もう無理だよと思って。
その途中でね、ロウソクも消えてしまうだろうとキョンファーは思ったので、
もう帰ろうって言うんですけど、
インソンが頭を振って言うんですよね。
1部・2部と炎のイメージ
今度がないかもしれないでしょって言った時のこの決定的さっていうか、
ここになんかすごく自分は胸が震えて、
この本も今度がないかもしれないと思って書いてる感じがすごくして、
そこがなんかすごくリンクして、なんかここで泣きそうになっちゃったんだよね。
なんか小説だから、文章だし、
推考できるし、書き直すこともできるし、修正することなんか、
入稿するまでいくらでもできると思ったんだけど、
この今度がないかもしれないでしょっていう言葉がすごい刺さったのは、
もうこんな思いで多分、
ハンガンさんはきっとこの本を書いていたのかなってちょっと思って、
ここに本当だったら引き返すような場面なのに、
引き返さないでその場所を見に行くっていうことに、
普通だったら現実味がないけど、すごいここに納得したんだよね、俺は。
この文章を聞いた時になんかすごく泣きそうになったのを覚えています。
そういうところがあって、だからやっぱりこのなんだろう、本当に、
今度がないかもしれない連続だなと思って、で、命もそうじゃん。
このチェジュ島で奪われてしまった命も今度がなかった命なはずで、
この1分、このたった1フレーズになんかすごく凝縮している気が私はして、
ちょっと泣きそうになったのを覚えています。
いや、確かにね、キョンハの状況もすごいやっぱり苦しんでいて、
なんか、そうですよね。いや、分かるかもしれないですね。
僕はなんか読み終わった時に、最後にあの、大丈夫?私に火があるっていうことを、
キョンハが述べていて、火というのはろうそくの炎であったりだと思うんですけども、
その前ですね、そもそもこの第2部が、第3部が炎というタイトルがついているんですけども、
1部か2部どっちかでインソンの瞳に炎が映る描写があってですね、
その前後とかでインソンが語っていくんですけども、そこではチェジュ島での悲惨な歴史があって、
人々が殺されていったっていうですね、そういう話があって、
その時インソンの瞳に映っていた炎っていうのは、なんかもう怒りのちょっとメラメラした、
なんかそういった憎しみも含めて、そういった炎のイメージを持っていたんですけども、
この3部を読んでいって最後、キョンハが大丈夫私には火があるって言って、この場面ではですね、
それまでその炎のイメージっていうのは怒り憎しみでちょっと思っていたんですけど、
それ以上に何か温かさのようなものをちょっと感じてですね、
なんかこの火っていうところとこの愛っていうところもつながっているのかもしれないなと思いますね。
キョンハの困難な旅
ただのその憎しみとかだけではなく、その温かみのある炎を抱えて生きていくっていうですね。
そうだね、この火のイメージ、第3部の炎化はすごいよね。消えないでっていうところからね。
そうですね、このあたりの何かその火に対しての見方とか、そこで芽生える感情、
読んでいる自分の中の感情の変化とかっていうのがやっぱり読んでいる中で変わっていくっていうのができて、
やっぱこの小説の1つすごいところだなって読み終わって思いましたし。
そうだね、なんかこの本当生命の灯火みたいなすごいイメージもあるしね。
それが渡されていくようなイメージもあるしね。
あとちょっとじゃあ結構印象に残ったところとかちょっと話していきたいなと思うんですが、
今回あれですね、一部のタイトルになっている鳥は自分は結構2匹のインコ、
実際にはちょっと1匹になってしまったりしながらこう話が進んでいくんだけれども、
インコのイメージっていうのも鳥がやっぱり何かを連れてくるようなイメージはちょっとあって、
ちょっとネタバレになっちゃうかもしれないからあんまり触れたくないところでもあるんだけれども、
でもいいか、インソンは2部で現れるインソンはですね、おそらく魂なんですよね。
それを連れてくるのは多分このインコなんだろうなってちょっと思っていて、
なんかそこの鳥の対するなんていうかな、なんか簡単に言ってしまうとモチーフとして使っているとか、
アイテムとして使ってるっていう言い方もできちゃうけど、
でもなんとなくこの鳥というものに対する半岸さんの信頼のようなものが現れていて、
自分はこのインコの存在感っていうのはすごくこの写真においてとても意味があるものだったなと思いましたね。
そうですね、鳥っていうのに何かモチーフが絶対あると思うので。
インコを使った意味も多分あるしね、これが鳩とか他の鳥ではなくてね、
あの言葉を吸収するというインコっていうのは多分重要な意味を持ってたと思うしね。
いやでも僕読んでて、自分だったらこの鳥のために今からチェリートの家に行ってくれって言われたら、
ちょっときついなって思ったかもしれないですね。
そうですね。
最初の印象としては。
もちろんね、そこに文脈があって行くしかないんですけども。
そうだね、キョンハも最初、いや他の人に頼めないの?みたいなことを考えるもんね。
やっぱりね、読んでいくとどうしてもキョンハが行くしかないっていう、絶対行かないといけないっていうそういうことなんですけど。
そうですね、鳥は確かに。
あとこのチェリートのインソンに行くまでの道中の過酷さが結構びっくりしましたね。
すごい大雪だったし、だんだん外も暗くなってきて見えなくなってきて、携帯もバッテリーが少なくなってきて、
バスどれ乗っていいかわかんないから適当に乗ったら、島を一周するんですけど、一周するからそのうち着くんですけど逆側に向かう方に乗ってしまったとかですね。
で、なんか外出たら寒すぎて、もう頭症するんじゃないかとかですね。
この絶望的すぎる状況、これもなんか自分だったらもう絶対たどり着けていないんじゃないかなってちょっと思ったりするぐらいかなり厳しい中、
よくでもキョンハは目的地まで行けたなって読んでいて、そこにすごい感心してしまいましたね。
そうですね、なんと言っていいのか、正直このキョンハって人物造形としてちょっと掴み切れないところがあるんですけど、
この流されているようで意志が強かったりする部分とか、
例えば結構最初の方で、これはもうすごい豪雪で寒い時のことが描かれるんですけど、
猛暑の時に部屋のエアコンが壊れてた時のこととかが描かれていて、それででも修理にめちゃめちゃ時間かかっちゃって、
その中でどうやって生活していったかみたいなことがちょっと描かれるシーンがあるんですけど、
なんかそのあたりの文脈とかからも見ても、これ意志が強いという言い方をしていいのかちょっとわかんないんだけど、
彼女が持つ、なんていうのかな、低感?諦め?のようなものの強さみたいなのはちょっと感じましたね。
なんか、行くしかないみたいなところ、ここで生活するしかないみたいなところとか、なんかそういうのはすごく感じたし、
でもだからこそこう、インソンの家に向かったんだろうなとかちょっと思いますね。
チェジュ島遺産事件とお母さんの体験
確かに。なんかそのね、エアコン壊れた時の床に背中をピタッてつけて、
あそこでちょっとね、なんかひんやり感を感じるみたいなことをしたと思うんですけど、
なんかそれってでも本当ちょっとしたことかもしれないんですけど、
なんかそこに、なんかその人の持ってるなんか根の強さみたいなものって感じましたし。
うん。ね。うん。そうだよね。っていうところですね。
あと、ちょっと印象のところだと、ここがこの作品で触れないといけないところだと思うんですけども、
インソンのお母さんのやっぱり登場ですね。
お母さんがチェジュ島遺産事件の、もうまさにそこに遭遇して、遭遇してというかですね、
その村で虐殺が起きた時、たまたまあれはお姉さんと一緒ですかね、
ちょっと外に用事で出向いてて、その現場にいなくて、で、生き延びることができて。
ただ、あの村戻ってくると、もうみんな殺されていて、家族も亡くなっていて、
で、妹だけいなくて、妹が、家に行くと妹が一人、今にも死にそうな状態で、
でも何とか生き抜けはしていて、でも結局は亡くなってしまったっていうですね。
という、もうすごい壮絶な体験をしていて、
お母さんが語る、お母さんから聞いた話をインソンが語ることもそうですけども、
この軍によるこの残虐性のところはですね、これは少年が来る時もそうですけど、
これって本当にあったのかなって思うような、そんなことばっかりで、
ちょっと本当にもびっくりしつつも、でもこれが人の持つ怖さなのかもしれないとも思いましたし、
でもそれすごいこのお母さんのね、やっぱり語ってくるところは、この本読んでいると、
もうね相当、なんか心に押し付けられるものがありますね。
そうですね、なんか妹の描写のところはすごく具体的で、
少年が来るの時も思ったんですけど、結構こういう具体的な暴力のシーンって、
なんか結構サラッと入ってきて、サラッと描かれ始めて、かなり強烈に印象に残ってるんですけど、
実際、国家がこういうことをしたのかっていうのは、ちょっとやっぱり信じられなくなるレベルなので、
それもすごく揺さぶってくるというか、だって同じ国民じゃないですか。
これが別に他国の人だからやっていいっていうわけじゃないし、他国に信仰していいわけ全くないんだけれども、
自国の国の民を、民、同じ国の人をね、残酷なことができるんだろうっていうのはちょっと。
実際述べている中で、このインソンの住んでいる家、お母さんが住んでいる家っていうのが中山間というですね、山にある村の中の家なんですね。
当時、軍が海岸線から5キロ以上離れたところはもう通行禁止と、やっぱり抵抗活動できなくするためにこのエリアの中でしか行ってはいけないと。
定めた海岸側以外にも村は、山の中にも村はあってですね。
で、その5キロ以上離れたところは、もう出歩いてたらもう抵抗活動をしているとみなして、もう問答無用で殺しますというふうにしていてですね。
で、もともとその山側に住んでいる人たちっていうのは、何も悪いことしてないのに、勝手に抵抗活動している側のレッテルを張られて、問答無用で殺されてしまうという、なってしまったんですね。
っていうのがまさに書かれていて、そこで何百人殺されたとかですね、そんな話があるし、例えば武装隊がすごく非人道的なことをしていて、そこに対しての言及とかもあるんですけども、
何かある人が抵抗活動したとしたら、その人だけじゃなくてその家族にも復讐があるし、じゃあ捕まえようと思ってその人が山に逃げたら、その人がいる村ですね。
村が丸ごと死海市で200人、300人が皆殺しにされてしまうっていうですね。これもちょっと信じられないんですけども、証言としてこれが語られていて。
で、この軍というか国家というかっていうのは楽園作るということを言って、そういう理想的なことを言うんですけども、実際その現場で行われていたことはもう地獄ですだったっていうですね。
この辺とかももうすごい、もうかなりきついことがね、書かれてますし。
そうですね。
ちなみにお母さんは方言なんですよね。
これが地図等の言葉っていうのはやっぱりその方言みたいで。
で、日本語で翻訳するときもこれがちょっと役者とかサイトマイクさんも書かれているんですけども、どう訳そうかというときにちょっと沖縄の言葉にちょっと置き換えて。
それがやっぱり地図等も沖縄も同じくしま言葉ということで、それぞれ根底に何か通じ合うところもあるのではないかということで。
沖縄の方言と幻想的な存在
そこにちょっと読めるような形には調整された上なんですけど、そういうちょっと沖縄の言葉にちょっと方言として置き換えて翻訳もされているというので、すごくお母さんのこの言葉っていうのもその土地のちょっと土着的なところも感じるような話もされるし、
一方でインソンは幻想的な、生きてるのか死んでるのかわからないような存在として浮かび上がってくるしっていうですね。
いやいや、なんかそうですね。思いを起こすとすごい作りだなってやっぱり改めて思いますね。
なんかねこれなんだろう、ちょっとあれなんだけど、その作りっていうところで言うとその沖縄、沖縄とは違うか、地図等の事件時代の殺した人たちっていうのは海に流されて、津島に流れ着いたりとかしてるっていうことがあるみたいなんですよ。
で、なんかハンガンさんが、これどこだっけ、クウォンさんじゃないな、何かのトークイベントがあって、オンラインのやつ、あれを見させてもらった。
あれは、白水社。
白水社か、白水社が主催だったやつか、ちょっと見させてもらったときに。
この本の冒頭でもある夢の話なんですけど、実際に見た夢の話をされていて、雪が降る野原を歩いていて、小杖が蹴られた木が何千本もあったと。
足元から水を感じて、平成だと思っていたものが海だったと。海の下に骨が流されてしまうのではないかと思ったっていう夢を見たと。
で、これがやっぱり、死体が流されていったことをちょっと、なんか表してるのかなとか思ったりして。
ちょっとそのね、沖縄の方言とかちょっとまた違うけれども、やっぱり日本の方にも流れ着いているっていうところ。
っていうのをなんか、ここ何が言いたいっていうわけじゃないんだけど、なんかこの繋がりというものを感じるというか、っていうのをちょっと思ったなっていうところですね。
確かに確かに。なんかそこのちょっと幻想的なところは、幻想というとあれですけどね。
なんか幻かもしれないような、そういうのがちょっと現実的なものと結びつくような感覚っていうのは確かにありますよね。
僕もこのアンガンさんのトークイベントを聞いてましたけど、アンガンさんもやっぱり愛に関する小説っていうことを述べていてですね。
で、超自然的なことは愛の中にも存在していると。
で、愛していると、そばにいなくてもそばにいると感じることがあると。
で、その人がこの世にいなくなったとしても祈りを捧げることもあると。
で、これら全てが超自然的なことと思うっていうのはですね、述べていて。
で、最初この話を聞いたとき、一体これってどういうことだろうと。
ちょっとね、まだ腑に落ちないところはあったんですけども、この小説を読むとすごくこの愛っていうのが超自然的なものの中にも存在しているのかもしれないっていうのがですね、
何かちょっとうっすらと感じられた気はしましたね。
もうぜひこれ、読んだ後にこのトークイベントをもう一回聞きたいですね。
もうちょっとアーカイブ、あれなんだよね。
期限がね。
期限付きだったんでね。
正直あの時までに読んでおけばよかったと後悔してます。
でもちょっと残したメモを振り返ると、何か分かるなって思うところはいくつかありましたね、やっぱり。
そうだね。自分はあのイベント、いろいろメモを取ってましたし、話してる中でもすごく印象に残ったのは、
ハンガンさんが最後の方だったと思うんだけど言ってたのが、自分はずっと歩き続ける人間だと。
どこかにたどり着くのでなく、歩き続ける人間でいたいっていうことを言っていて、これがそうか、別れを告げないということかっていうのをその時は思った。
だけどやっぱり今回読んでみて、火を絶やさないというか、そういうこともちょっと思ったりして、
別れを告げない、終わりにしない部分っていうのはすごくこの小説から意思を感じるなと思った。
改めてやっぱりちょっとすごい力強い作品だなってちょっと思いましたね。
いや僕もそうだ。この苦痛が私たちをつなげているっていうのもですね、ちょっとハンガンさんが述べていてですね。
人間が苦痛を感じるのは愛しているからだと。で、次にそれで愛とつながりについて書きたいって思うっていうような話をしていてですね。
歴史的な事件と証言
で、今回読んでこのインソンがお母さんから話を聞いて、そのインソンとかインソンのお母さんの証言をこのキョンハが、
ハンガンさんが聞いて、この歴史地図と起きたすごい理不尽な虐殺っていうのがあったっていうのがですね。
あったっていうのは知っていたとしても、それが実際どのようにあったのかっていうのがやっとわかるっていうですね。
で、それだけ大きなことっていうのが、本当にその証言をしっかり聞かないとわからないっていうのって結構大きなことなのかなと思ってですね。
なんかそれ苦痛が人をつなげているっていうところとちょっと関連しているかもしれないなと思ったのが、今の時代でなかなかそんなその本音で、
そういう過去の出来事とかを共有することって、なかなか知り合い同士とか身内でもないんじゃないかなと思うんですけども。
でも本当に大事なことというか、なんかその忘れてはいけないものってちょっと苦痛ともなるかもしれないですけど、
そういう証言をしていくことによって人から人に引き継がれていくものかなっていうのをですね、すごく感じましたね。
これは証言を聞く側、それは自分もそうかなと思うんですけども、なんかそういう声に耳を傾けていくっていうのが、
なんか知っていかないといけないんだなってちょっとね、この作品を読んで思いましたし。
そうですね。
なんかそういうのも踏まえての、なんか愛とかですね、この苦痛とかですね、なんかその人と人のつながりとかですね。
いやいや本当、やっぱ読んでいろいろ、別れとは何かもそうですけど、やっぱりいろいろ考えてしまいましたね。
いや本当ですね、すごいな。苦痛と愛っていうのがなかなか結びつきづらいと思うんですよ、一般的には。
でもこれを読んだり、少年が来るを読んだりとかすると納得感があるっていうか、自分たちが見ているものとはまた違う面がやっぱりあるなって思ったりするし、
もしくはちょっと大きすぎるけど、こういうことも愛と呼んでいいのかもしれないみたいな気持ちにもしかしたらなるかもしれないなってちょっと思いました。
二春にわたって、今回半顔さんの少年が来ると別れを告げないを読んできて紹介してきましたが、あれですね、ちょっと二作通して思ったけど、やっぱりもうこれ読む前には戻れない作品だったなと思います。
改めて思っちゃったけど、やっぱり文学ってこういうものだよね。なんか自分を更新してくれるし、今までなかった世界に身を置けるようになるというか、
それがもしかしたら置いたつもりなのかもしれないけれども、でもその前よりは絶対一歩進んでるなって思うので、
半顔さんが読み手に受け取ってもらいたいもの、考えてもらいたいものは多分十分には受け取りきれてないとは思うんだけれども、
それでもやっぱり何か確実に自分の中で変わったなって思う作品たちだったので、二作だったので、やっぱり読めてよかったな。
たしかに。僕も少年が来ると、彼を常に読んでるこの期間が、結構ちょっと気分がずっと重かったんですけども。
いやーそうだよね。
今日収録してて、だんだんちょっと気持ちが軽くなってきたところはあるんですけども、
でもこれはもうしばらく残ると思いますし、でもその感覚を持てるっていうところが本当に大事なことなんだなって思いますし。
そうだよね。もしかしたら今年のベスト1とかっていう話になった短期的な振り返りの中では、もしかしたらこの本のことは上げないかもしれないけれども、
この10年で読んだ本の中で何が一番良かったですかとか言われたときに、もしかしたら2,3年後ぐらいに別れを告げないですって言ってるかもしれない。
はいはいはい。
ちょっとやっぱりこれは時間がかかるし、もしかしたらもう一回読みたくなる。読みたくなるというか、読まなきゃいけないという切実さにとらわれるかもしれない本だなと思いましたね。
いやなんかこうやって話してると、だんだんすぐに重要な本に思えてきますね。なんかとんでもなく大事な本に。
いやそうですよ。別にこのジェット島の事件とかは、それこそ本当すごく歴史的にはすごく大きな事件だし、隣の国である韓国、あとやっぱり日本にも影響を与えてたところも絶対あると思うので、
なんか全くこう軽視することができない事件だなって思うけれども、それ以上にこの作品を通して、この題材を通して多分ハンガーさんが描きたかったことっていうのがおそらくすごく大きくて、それが多分後々人生に残る気はしますね。
愛と苦痛、人とのつながり
確かにこのね、少年が来ると別れを告げないの2作って、文学的なその評価で、文学的な観点からこういうことが問われているとかですね、こういうメッセージが含まれているとかっていうのはですね、あると思うんですけども、
ただ読んでる、実際読んでみるとですね、なんか人それぞれ確実に何か大きなものをですね、感じ取るんじゃないかなと思いますし。そうですね。うん。
ではいろんな意見とかいろんな評価、このラジオでもいろいろ言いましたけど、それ以上に、やっぱり読むと残るもの絶対あると思うんで、なんか人それぞれのね、読んだ、読んで残るものっていうのがやっぱり何より大事なんじゃないかなってね思いますし、
っていう、そういったものをより感じさせてくれる本だなって思いましたね。うん。じゃあちょっとそんなところで締めてみましょうか。ちょっと我々この期間、おそらく母を失うことかな。
あの日本語訳大使をとった、サイディア・ハートマンの母を失うことから、フランスの姉妹のように、クロエ・コルマンかな、の本、そして関心領域と、ちょっと何かしら重いものをこの期間読み続けているけれども、
なんとなくちょっと、なんか重いものばっか使ってるんで、ちょっと辛いって思ってるリスナーの方もいるかもしれないし、ちょっと前にね、このラジオ、ラジオで紹介された順番通り読んでるって言ってたもののリスナーにお会いしたので、ちょっと申し訳ないなっていう気持ちもちょっとあるんですが、
でも、もしおのおのタイミングで、この重さを受け止められるタイミングで読んでいただけたらなと思います。じゃあ次回はですね、ローベルト・ゼーターラーのある一章をご紹介したいと思います。素晴らしい作品なのでぜひお楽しみに。
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