だけれどもやっぱりこの、個人的には成長しきる前のカポーティというか、
数々の大作を書く前のカポーティっていうのを見れるっていうのは、
多分おそらく結構貴重な読書体験なんじゃないかなと思っているので、
やっぱりカポーティを知っている人にはちょっと読んでもらいたいような作品ではありますね。
この社会の外縁にあたる人たち、
ちょっと弱者だとか、社会とちょっとズレを感じている人、
もしくは自分で自覚しなくてもズレてしまっているような人、
っていう人たちに焦点を当てた作品ばかりと言えばそうです。
で、これやっぱりカポーティがおそらく自分が立っている側を書きたかったのではないかなっていうのをちょっと自分は感じてまして、
多分カポーティ自体が世間とか社会からのズレというものを意識していたと思うんですね。
自分ズレてるんじゃないかなっていう意識があったんじゃないかなと思うんですね。
で、作品で表現されている方々は正直それに関して無自覚でいる方が多いイメージがあって、
多分カポーティ自体無自覚ではいられなかったとは思うんですよ。
だから、でもきっとここはカポーティが何かそれを気にせず生きていきたいという思いを持っていて、
それが現れた作品集だったんじゃないかな、作品たちだったんじゃないかなとはちょっと個人的には思いましたね。
そうですよね。なんかカポーティ自身がゲイでもありましたし、
ちょっとマイノリティな意識っていうのは持っていたと思いました。
あと家庭環境もねちょっと複雑で寂しい子供の心境とかですね、
なんかそういうのも持っていたと思いますし、
僕はなんか今回こういうアウトサイダーとかそういう人たちの話が多かったんですけども、
やっぱりちょっと全体的に死を連想させるような作品が多いなっていうのが傾向としては思いましたね。
その辺もちょっとこのカポーティの短編集から漂う雰囲気としてが味わえるものかなと思います。
ちょっと最後の特徴というところでは、
このここから世界が始まるという本の作りというのか、
短編集の後、解説とか編集、後期みたいなものが充実していて、
そこに魅力が非常にあるというのが特徴かなと思います。
4人コメントが寄せられていてですね、
1人がアメリカでこの本を作ったランダムハウス社の編集者の人が、
ちょっとどういう経緯でこの本を作ったのかとかっていうのを書いていて、
その後、この短編集の作品解題という作品指標みたいなものですね。
というのは、これもアメリカの文芸評論家みたいな人、
批評家ですね、批評家が書いていて、
その後ろには役者、跡書きと村上晴樹の解説が入っているという、
結構豪華な作りなのかなと思いますよね。
これが40ページないぐらいかな、30ページ以上、40ページ未満ぐらいなんですけど、
これだけ読むのでも、非常にこの本価値があるような気がしますね。
そうなんですよね。正直面白かったですよね。
短編集も面白いんですが、その後、後ろの40ページぐらい読んでいくと、
より面白さが際立ってくる。
村上晴樹もなんか熱いこと書いてるしね。
そうですよね。
いいよね。
村上晴樹はモーツァルトとカポーティを並べて、どっちもすごい振動と。
自分とは違うと。
そうですよね。
いいことを語ってますね。
じゃあ具体的にちょっと作品行きましょうか。
今回の短編集からですね、ちょっと印象的だった作品というのを、
3点ほどですかね、お互い紹介して話していけたらなと思ってます。
まず僕が紹介するのが、ミス・ベル・ランキンというですね、作品ですね。
これはですね、主人公の少年の近所に住んでいる、おかしなおばあさんであるミス・ベルの話になります。
このおばあさんがもう100歳超えてるとかですね、一説によると呼ばれるような人で、お金に困っているんですけども、
家の庭には椿の木が立っていて、立派な木なんですけども、
その椿の木をですね、建設で住宅を建てるのにちょっと使いたいというその依頼があって、
結構いい値段で買い取りたいというですね、そういう申し出があったんですけども、
そのおばあさんはそういう申し出をですね、もう断って、
そんな椿の木に手を出すなと、どっか行けって追い返してしまって、
それでですね、もう本当このおばあさん変な人だなって、街の人はね、みんな思うんですけども、
実はですね、このミス・ベル、おばあさんの記憶には娘のリリーが積んだですね、
娘のリリーが、その娘と言っても現在では結構なおばあさんになってるんですけども、
その昔の記憶ですね、昔の記憶では少女時代のリリーがその椿の花を積んでいるっていうすごく美しい記憶があって、
そんなのをね、持ってミス・ベルが冬を過ごしていたんですけども、
結構厳しい寒さの中、街に出て、ちょっと食料を人からもらわないと食べていけないので、
食料をもらって、家に帰ってきたら、ちょうどね、椿の木も綺麗な花が咲いていて、
そこでね、「ああ、綺麗だなあ。」って思っていたら、そのままバタンと倒れてしまったんですけども、
これが変なおばあさんがバタンと倒れたっていう話ではなくて、
すごくね、そこのおばあさんが椿の花を持っていて、すごく美しい一面も垣間見られたっていうですね、
こんな作品で、すごくね、僕がこれを読んでちょっと感動しまして、印象深い作品だなと思ったものですね。
これは確かに10ページくらいかな。話としてはすごく短いんですけども、切ない話で、儚い部分もあってですね、
なんかその老婆のミスベルの、今となっては見にくいかもしれない部分と、
もうほんと昔の記憶の美しい部分と、そこが重なっていくような感覚があってですね。
で、それと同時にもう死に向かっていくんですけども、三島幸男とかがですね、描いていそうな、
なんかそんな三島幸男的なですね、雰囲気というのもちょっと味わえて。
あーね。ちょっと三島幸男感が。
そうですね。
俺は掴めない側なんであるんですけど。
そうですね。このなんていうんですかね、この白と黒がはっきりしていなくて、
現実と幻想がはっきりしていなくて、混じり合うような感覚が漂っているっていう。
なんかこの死と生の部分がね、僕が、主人公である僕が意識をするっていうところに変わっていくグラデーションみたいなのがありますね、確かにね。
ミスベルに対しての僕の感情みたいなのが多分良くて。
ラストのね、綺麗な女の人だったっていう文章で終わってるんですけど、
その前にも、誰もがお気の毒にと言っていたが、それはおかしいんじゃないかと僕は思った。
生きてるうちは散々笑い物をしていたのだっていう文章とか結構刺さってきて。
本当そこのところはすごいグッときましたね。
ちなみにこれはですね、カポーティが高校生の時に描いた作品ですね。
後で知るとちょっと嘘だろうって思いましたけど。
確かに。
いや、すごすぎるって思いましたね、これは。
でも多分なんかおそらくだけど、死を意識した時のことを描きたかったんだろうなとちょっと思ったね。
死とか老いか。
人は死ぬんだっていうこと。
もしかしたらその感覚が生まれたのは高校生じゃなくて中学校とか、もうちょっと若い時かもしれないけど。
ずっとそういう感情とか持ってたかもしれないですけど。
いやいやでも、さっき大地さんが言った最後のセリフとかも、高校生でこんな文章描けるんだって。
いや、そうなんだよね。それはすげー思う。
ある意味僕の中ではすごいじんわり泣けるような話ではあったんですけど、それ以上に衝撃受けましたね。
高校生が描いたんだっていう。
あと俺ちょっと個人的にすごいこの調子で多分、おっと思った場所これなんだよな、半ばぐらいに出てくるんですけど、
彼女は人生に残されたものがある最中に置いていった。
彼女は人生に残されたものがある最中に置いていったか。
ちょっとこれなんかすごい刺さったのを覚えてるな。
僕はまだ若かった。僕は自分が老いる死ぬということを全然考えないくらいの子供だった。
確かにこれを描ける高校生はすごいですね。
そうですね。えらい大人びてますね。
確かに。
みえさんが言う大人びてるってこういうことだったのかって。
最初結構イノセンスがあるから結構無垢だなって思ってたんだけど、そういうところかってちょっと今納得しましたね。
そうですね。ちょっと択感してるようなところがあると思うんで。
次の作品もですね、ちょっと僕から紹介したいと思います。
これが西に行くと書いて、西行きと読もうと思うんですけど、西行き車線という作品です。
これは裁業車線とか読むことができて、ちょっと読み方間違えていたら申し訳ないんですけども。
そういった一面も見られる短編かなというので、面白かったですね。
これまず面白いのは、4っていう数字で始まるんですよね。4章なのかな。4分なのか分からないけど、4っていう数字で始まって。
そうですよね。何か途中から始まったのかなって最初思いましたね。
あれって思ったんで、次が3になって、2になって、1になって、0になって。
カウントダウンで。
っていう作りも面白いし、そういうのを見ても、これぞまさに終作というか、練習の作品だなっていうのは、なんとなく感じたところで。
で、個人的には最初の4の話が結構個人、なんだろう、すごい好きというか、
そうですよね。
企業の幹部の会議なんだけど、法で従業員を縛るのではなくみたいな。
従業員がガチガチにするんじゃなくて、彼らにも自由とみたいな。
もう一回その法で縛っちゃうぜみたいなのが決まりかかるんだけど、
いや、大事な社員に不利用させる方策は採用してはならないのですって。
急に方向転換して、導入しようとしているものを取りやめるっていうところがあって、
ちょっと何かすげえかっこいい話だなって思いながら読んでたら、
すごい全く違う展開を見せてくるから面白かったですね。
企業の幹部の話、本当に理念が利益よりも上回った、それだけすごいパワーを感じるような描き方がされていて、
すごく本当に良い話なんですけども、
全体的にすごい1日の終わりに向けて明るい展開になっていくというか、
理想的な状況とか、理想的な人間になっていこうとする、
そういう動きが4つの視点ともあって、
それは読んでいてこっちもちょっと勇気づけられるような話が中にはあって、
というところからの最後のある一つの報道がされるんですけども、
僕は結構今回の作品の中で一番衝撃を受けたのはこの作品でしたね。
作りもちょっと独特だったしね。
そうですね。
じゃあ最後ですね、私の方から表題作のここから世界が始まるをちょっとお話ししたいと思います。
主人公は女子学生ですね。女子学生が数学の時間、授業の内容をバカにしているというか、
ついていけてないのかバカにしているのかちょっとわからないですけど、
こんなものを学ぶ必要はないと言っていて、
教師のことをロボット呼ばわりして、自分で教室の中で自分の妄想に浸っているということが描かれます。
で、体は教室にいるんだけど、もう心はもう妄想の世界に旅立っているので、
そこで彼女はいろんな人生を経験するというですね、思い描くという作りになってますね。
そんな主人公なので、そんな彼女なので、この数学の教師はですね、
この主人公に目をつけていて、最終的に落題を突きつけてきます。
で、そのことにですね、もう泣きそうになりながら、
彼女はですね、でもこの大嫌いな数学の教師の前では涙は見せたくないと思って走り出していき、
またその走ってる最中にですね、あの妄想の中に入っていって、
その妄想の中でちょっとある言葉を言って終わるというのがこの小説なんですけれども、
これちょっとですね、ヒルダという小説もこれ収められてるんですけども、
それにもちょっと似ているような、主人公が最後走ってて、
その中で自由になっていくっていう作品で、これはなかなか自分は結構好きでしたね。
そうですよね、なんか面白かったです。
女の子が妄想する下で、その世界が意外と具体的に描かれていて、
最初はこれどういうことだと思ったら、いやただの妄想だったのかってわかるんですけども、
最初はアカデミー賞を受賞する女優に自分がなっているという妄想で、
表彰式でそのオスカー像で贈呈されるっていうですね、
なんかそのような一幕をね、妄想するんですけど。
本当その、自分も多分高校の時とか、なんか退屈な授業の時とか、
なんか妄想したりとかしてた記憶があって、
なんかこういうふうになりたいな、こんなことあったらいいのになーみたいなことがあったんで、
すごくその辺りのことは共感できてしまうというか、
自分にも思い当たる節があることがあったので、
それをこういう綺麗な形で描ける、
綺麗な形というかね、作品として仕上げられる、やっぱりカポーティは面白いなと思ったし。
この妄想もなんか最初は女優とかですね、
すごい億万長者のプレイボーイと沖縄を流す女性になって、
何かと脚光浴びるような自身の姿を妄想してたんですけども、
なんか最後の方はね、ジャーナリストになって、
船が沈んでいく船の中でみんな救命ボートで逃げようとするんですけど、
一人だけ残って写真に収みようとするんですね。
なんかすごい覚悟を決めたような、
ジャーナリストの女性としてというのを妄想してて、
なんか最後ちょっとこれは、なんかちょっと面白いと思いましたね。
それまでとまた違った姿の自分を描くっていう。
すべてを記憶するまで現場を離れませんっていうセリフで、
ラストのあたりなんですけど、終わるんですけど。
そうですね。数学の先生の前から走り去って、
多分もう学校にもいられないとかですね。
そういうちょっと終わりを予感したときに、
最後ジャーナリストとして沈んでいく船で終わりを迎えようとするところを、
ちょっと重ねているのかもしれないとかね、
ちょっと思うところはありましたね。
いいですよね。
タイトルがここから世界が始まるっていうのはやっぱり良くて、
やっぱり妄想みたいなところ、
この自分はこうなりたいみたいなところからやっぱり世界が始まっていくっていうのは、
やっぱり個人的にはめちゃめちゃメッセージとしてはめちゃめちゃ好きで。
いいですね。ただ逃げてるだけじゃなくて現実を。
なんか世界の始まりを作っていこうというか、
描こうとしてるっていう。
なんかそこがね、やっぱり感じれるのはすごい良いですよね。
カポーティが小説を書くときも、こういう膨らみ妄想みたいなのが多分きっかけになってると思うのし、
そもそも人の人生って思い描くことから始まったりするところもあると思うので、
この先はその辺りもちょっと言ってくれてるような気がして、
すごい良いなと思いましたね。
じゃあちょっと他の作品気になるものがあったら触れたいなと思いますが、
みなさんなんかありますか?
えっとですね、いっぱいあったんですけども。
これはあれですね、これはジェイミーに。
ああ、はいはい。
ここがもし時間があれば紹介したかったなと思っていた。
これすごいイノセンスな話だなと思って。
本当ですね、確かに確かに。
もしカポーティのイノセンスの部分が好きな人は、もうこれは読んでもらいたいですね。
これはジェイミーに。
犬とかが出てきて、その犬と犬の飼い主に対する思いが行動になって現れるっていう。
少年の話ですね。
これはですね、ルイーズという作品ですね。
その格調高い女子校なんですけども、
転校生のルイーズがすごい美人で優秀で脚光を浴びてて、
それに嫉妬した優等生の主人公があるルイーズの秘密を校長先生に告げて、
ルイーズが学校から去ってしまうことになるんですけども、
結構えげつない話で、そんなことで学校から去らないといけないのかっていう。
すごい社会性もあると思いますし、
人の結構きつさというか、そういうのがあるのかなと。
主人公が悪役みたいな感じになってしまうんですけども、
途中で主人公を止めようとする先生がいるんですけども、
もうそんなのしちゃダメだと、やめなさいっていうね、
そういう秘密を言うことはダメだって言う大人がいるんですけど、
ただそれも効力がなかったっていう、そんな話で。
これも多分高校生ぐらいで書いてた作品だと思うんで、びっくりしましたけどね。
そうですね。面白かった。
ルイーズ結構嫉妬心というか、そこを描くのが上手い作品ですね。
あと他にも、女性が死んでしまう話とか、
少年たちが脅迫犯が出たっていう噂を聞いて守りに行って、
本当に脅迫犯が出てきて、
それによって死んでしまう話とか、色々結構怖い話もありましたね。
そうですね。沼地の恐怖とか、
ちょっとした自分よりも恐ろしいものに出会ってしまった、
自分よりもっていうか、恐ろしいものに出会ってしまったときの感情みたいなのを重ねられる作品がいくつか入ってますよね。
こんなところかね。
そうですね。
じゃあテーマトーク行きましょうか。
今日はですね、カポーティの若かった時の作品集ということで、
10代や20代の時に自分の中でテーマにしていたことは?ということで話してみたいと思います。
これちょっとあれだね、三枝さんが設定したテーマだね。
そうですね。今回のカポーティの短編集が集作揃いで、
ちょっと練習要素が多かったのかなと思います。
自分たちが10代、20代の時って何かテーマを持って、
何か練習というか取り組もうと思っていたものって果たしてあったっけなというのをですね、ちょっと思って。
僕1個だけあってですね、大学生になった時ですね、18、19あたりなんですけども、
自分の中で勝手に5カ年計画を持っててですね。
やっぱり小中高等、すごい狭い視野で生きてきて、大学になって本当にいろんな人と出会って、
世の中は広いんだなというのをですね、やっぱり感じまして。
大学生になって茶髪にしたり、メガネからコンタクトに変えたりですね。
ちょっと服を買うようになったりですね。
大学生デビュー的なことをするようになってですね、
自分を変えていく必要があるんじゃないかっていうのをちょっと思ったんですね。
という時に5カ年計画で、本当具体性は何もなかったんですけども、
1年目は見た目的なところ、2年目はもっと勉強できるようになろうとかですね。
すごい、具体的。
3年目は何だっけな、どっか行こうとかですね。
抽象的なんですかね。
特にじゃあもうちょっと具体的にどこ行くのとかってないんですか。
何を勉強するんだとかね。
でもとにかく何か自分が変わって、5年後にはかっこいい人間になれるようにみたいなものですね。
これ20代前半の時は持ってましたね。
自分でも本当に持ってたはずなのに、どっかで忘れてしまった気がするんですよね。
気づいたら、あれそんなことそういえば昔大学生になった時持ってたなっていう。
でも大学生の最初の1年、2年ぐらい自分が変わろうと思ったのは、
やっぱり自分の中にうっすらとした5カ年計画があったからっていうのも確かに大きかったなっていうのがあってですね。
これがちょっとテーマ、つまりテーマは自分を変えるための計画をうっすら持っていたっていう、
何とも変なテーマかもしれないですけど、そんなのは自分の中にありましたね。
変わりたかったんですね。
そうですね、それはありましたね。
なるほど。今すげえ言われてみて思ったけど、俺も多分ね、10代の時に人生の計画を1回立てた気がする。
高校を卒業する時ぐらいに。
その中では20代、大学のうちには小説家デビューしてたね。
30代で大きな勝負みたいな。
最年少ルートを歩んでいくみたいな。
おそらくそこに猫を2匹飼うって書いてあった気がするんだけど、それは実現できてるね。
すごいんですけど薄れるかもしれないので、この作品集からカポーティーに入るのはちょっとあまりお勧めはしないかなというところです。
なんか美術展でいうところの練習作品がずらっと並んでるところがあると思うんですよ、個展とか。
そういうようなイメージなんで、やっぱりメインの作品をいくつか読んでから読むのがいいんじゃないかなと思います。
でもこの作品集ですね、短い作品ばっかりなんですけれども、だからこそ綺麗のある作品ばっかりなので、
小説読みたいけどあんまり時間がないっていう時には結構お勧めな作品なんじゃないかなと思います。
僕もじんわりくる短編集だったなと思ってます。
10代後半とか20代でこの短編集を書いていたって思うと本当すごいなと思いました。
作品自体、そうですね、カポーティーの本当に代表作と比べるとちょっと練習みたいな集作になってしまうかもしれないんですけども、
作品をそれでも楽しめるっていうのはありましたし、
そこの要素とカポーティーという作家が本当に誕生する最初の頃のどういうことを書いていたのかっていうのがやっぱり読めるっていうのはすごく面白いことだったので、
カポーティーという人が少し知れた気もしてそこも楽しかったですね。
あれですね、前回武道の宝で今回集作集というか短編集だったので、また短編集だったので、次はカポーティーは一本長編をいきたいですね。
そうですね、確かに本当に代表作っていうところはありですね。
あれですかね、遠い声、遠い部屋か、ティファニーで朝食を、どっちかかな。
実はティファニーで朝食は知らないんですよね。
村上春樹役でしか読んでないけど他の役あんのかな。
ありそうですけどね、ティファニーだったら。
ちょっとそうですね、いい作品だったと思うんで、ティファニーでどっちかで行ってみましょうか。
このペースで言うと2年後かな。
まあどっか近いうちにできたらいいですけどね。
じゃあ次回はここで終わりたいと思います。
次回は番外編をお届けいたします。
ゲットをお招きして、今年の海外文学上半期を振り返っていこうと思います。
ちょっとどんな回になるかわからないんですけれども、私は非常に楽しみにしているので、皆さんもぜひ楽しみにしていただけたらなと思います。
まだ収録前でございます。
番組の最後になりますが、メルマガ会員募集しております。
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番組の感想やリクエスト、またこのラジオを聞いて紹介された本を読みました。
読み返しましたのでございましたら、ハッシュタグ空飛猫たちをつけて教えていただけると大変嬉しいです。