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おはようございます。鶴岡慶子と花火と天気と。 6月19日日曜日。
日本の秋田県から発信しています。 今日は父の日。
どんなふうにお過ごしですか? 私の父は他界してもう10年になります。
正確に言うと、この8月で丸10年になります。 今日は父との思い出を2つほどお話ししようと思います。
1つは、私が大学受験の時に持たせてくれた鉛筆について。 そしてもう1つは、私の人生のターニングポイントの時に書けてくれた言葉について。
この2つをお話ししようと思います。 1つ目の鉛筆についてなんですが、父は学校の先生でした。
母もそうなんですけれども、両親が学校の先生なんですね。 そして2人とも管理職だったんですが、
父は県立学校の校長で、文校が3つある県立学校だったので、 文校にはそれぞれ教頭がいて、
本校にも教頭が2人いたので、教頭5人を率いる校長だったんですね。 たまたまそこに異動になってしまったっていうことなんですけど、大変な大きな学校に勤めていました。
その管理職になるための試験の時に使った鉛筆というのが、黄色い橙色に近い、
端っこに消しゴムがついているタイプの鉛筆で、それを3本ほど茶葛藤に入れて持たせてくれました。 しっかりと鉛筆が削られてありました。
じゃあ実際にそれを試験の時に使ったかっていうと、使いませんでした。 机の上に3本とも置いて、実際に使ったのは使い慣れているシャープペンシルです。
当時はまだ秋田新幹線が走っていなくて、受験地に行く時には寝台列車の明け物で行きました。
明け物ではなかなか眠れなかったんですよね。 そんな中で鉛筆を抱きしめながら、
もし私がこの受験をした後は秋田から離れることになるんだな、実家から離れることになるんだなっていう、
そういう覚悟も、なんかその鉛筆を持ちながら思ったのを覚えています。 もう一つの思い出は、人生のターニングポイントで書けてくれた言葉ということなんですが、
これは私が教員を辞めた時、両親ともびっくりして私の家に飛んできました。
てっきり私はすっごく怒られると思ったんですね。 でもその時に父が言った言葉、
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どんな言葉だったかっていうと、 あなたの人生だから、
応援はする。 でも親だから、
口は出す。 そう言って去っていきました。
その言葉が、 とても温かくて、
恥ずかしくない人生をこの後歩んでいこうと強く思ったのを、 とても覚えています。
昨日は、めいっこが父が大好きだった サクランボのサトウニシキがのったケーキを買ってくれました。
今日は仏前に備える予定です。 今心に残っている2つのエピソードを話しながら、
やっぱり父に恥じないような人生をこれからも歩んでいこう と強く思いました。
そういうことをかみしめる1日であっていいかなと思います。 今日も安全に健やかにお過ごしください。
鶴岡恵子でした。