物を捨てられない理由
おはようございます。鶴岡慶子です。
この配信では、花火や天気、言葉に関することなどをお話ししています。
司会やナレーションを通じて日々感じたことなどを語る声の日記です。
日本の秋田県から毎朝更新しています。
年末のお掃除をする中で、今、我が家と姉の家では断捨離を決行しています。
いつも片付けをするときには、参考にするのが片付けコンサルタントのこんまりさんの本なんですけれど、
こんまりさんご自身は、料理も裁縫もアイロン掛けも、いわゆる家事はどんどん上手になるのに、
片付けだけは、やってもまた元に戻る、やってもまた元に戻る、どうしてなんだろうってずっと悩んでいたそうなんです。
そして、高校生の時に出会った、辰巳渚の「捨てる!技術」という本に出会って、捨てればいいんだという考えに至ったという、それがこんまりさんの原点だそうです。
そもそも私たちは、なぜ物が捨てられないのかっていうと、
物を持つということは、自分自身のアイデンティティにつながることだから、ということなんですね。
物を捨てられないのは、そのアイデンティティを捨てられないからなんです。
自分の中の何かしらの執着が捨てられないからなんですね。
つまり、物を捨てれば捨てるほど、それまでその物にくっついていた、
自分を捨てることになっていきますので、私たちは捨てるということに勇気がいるんです。
これ逆に言いますとね、もし物を捨てることができたなら、何かしらのその執着にとらわれなくなったということにもなりますよね。
解き放たれて、気持ちが自由になることにつながるということにもなります。
この執着の対象なんですけれども、何も物質的なものだけではなくて、考え方とか、
私たちの気持ち、感情とか、人間関係であるとか、価値観といった、そういう目に見えないもの、これも自分のアイデンティティを作っているものですよね。
そういったものも全て含んでいるっていうことなんです。
断捨離の考え方
じゃあ、捨てるということ、断捨離という言葉を掘っていきますと、
断捨離とは、単に不要なものを処分するだけではなく、物にとらわれずに生きていこうとする考え方そのものということです。
断捨離の断は、入ってくるものを断つこと。
断捨離の捨は、いらないものを捨てること。
断捨離の離は、物、ことへのとらわれから離れることをそれぞれ意味しています。
これ3つ合わせて断捨離ということですね。
捨てることによって、空いたところに新しい空気が入ってくる、新しいものが入ってくる、新しい自分と出会えるみたいなことをすごく聞いたことがあって、
捨てるって、
すごいなって、本当に思うんですけれども、捨てることだけにフォーカスしてしまいますと、
そのものとか、そのものと結びついている自分、アイデンティティ、自分のそのものを否定してしまうということにもつながります。
あまりにも捨てるところだけにフォーカスすると、ダメなところだけを見てしまうというか、ダメなところを探してしまうだけの生活になってしまうんですよね。
それでは本当に捨てるって気持ちがいいことでもあるんですけど、
それだけに目を向けてしまうとストレスになってしまいます。
ということで、目線を変えてみて、残すものは何かっていうふうに考えるんですね。
残すものに目を向けますと、これからの自分に必要なもの、大切なものを確認することになります。
そういう作業になりますよね。
その残すものは何かっていうと、愛着なんですよ。
執着は捨てて、愛着を残すっていう作業。
これが断捨離ということです。
捨てるだけではなくて、何を残すのかというところまで含めたのが断捨離なんです。
この愛着と執着の境目、これまた難しいことではあるんですが、片付けコンサルタントのこんまりさんは、
そのものに触れたときにときめくかどうかが、捨てるか残すかの基準だと話しています。
そして、単に捨てるのではなくて、感謝して手放すという気持ちで進めていくと、
自分の中で執着と愛着の基準がおのずと見えてくるのかなっていうふうにも思います。
今、私のこの仕事場っていうのはかなり整っている方だなって自分では感じていて、お気に入りに囲まれている方だなって思っています。
でも、ひとたび寝室に目を向けてみますと、全然片付けられてないんですよ。
確かめるのが怖いぐらいになっていまして、
でもこの混沌とした状態っていうのが、私の今の心の状態だとすれば、
これは本当に困ったことですから、思い切って年内に着手したいなと思っています。
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それではまた明日もお会いしましょう。
鶴岡恵子でした。