2022-07-06 09:45

#129 丘灯至夫さんについて知るとても良い本を再読しましたという話

丘灯至夫著『「スズメのお宿」歳時記 丘灯至夫92歩の足跡』(2010年)という本を再読。丘さんの人生を知るのにとても良い本でした。幼少期の話から、作詞家と記者としての活動されている頃の話。面白いエピソードが多かったです。晩年の華やかな活動などを知るのにとても良い本でした。

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はい、おはようございます。本日の放送は、2022年の7月6日、水曜日です。
本日は、第129回目のお話となります。
このチャンネルは、福島県氷山市在住の特撮アニメ漫画大好きおやじのピョン吉が、日々気になったことをダラダラとナッシュをしていくという番組です。
そんなおやじの一言を聞きになりまして、もしもあなたの心に何かが残ってしまったら、ごめんなさい。悪気がなかったんです。
この番組に興味を持ってしまったら、ぜひ今後もご協力のほどよろしくお願い致します。
前に話をいたしましたけれども、小野町出身の岡俊夫さんについてアピールする作戦を現在動いております。
偉大な作詞家岡俊夫さん。その評価が低いというかですね、なんかみんなの記憶がね、消えかかってきてるっていうね、それを少しでも怒らせようという試みなんです。
なぜってですね、岡さんが子供の歌を作っていた人だからなんですね。
多くのアニソン特撮ソングだけでなくてね、子供のための歌をたくさん作った方なんですよ。
例えばですね、猫踏んじゃったっていう曲がありますよね。 あの歌詞も実は岡さんの作品なんです。
それからみんなが歌うハッピーバースデーの歌ですが、あれもお誕生日の歌っていうのでね、岡さんが訳しているんですね。
その2番目がね、ハッピーバースデートゥーユーとなっているので、
うかつにこう歌うとですね、まあ著作権聞いていませんので、著作権侵害になる可能性あるんでしょう。
というわけでね、いろんな歌を作ってた方なんで、
まあその子供の歌の中にこのアニメソングがあるわけですよね。
2010年にですね、スズメの親戸最時期っていう本が出ています。 岡俊夫さんが新聞記者だったんで、そのOB会である福島ペンクラブっていうところに書いたものを中心にまとめた本なんです。
岡さん自身による辞伝をね、それから晩年の活動記録を知るのにですね、非常に役立つ本となっています。
購入してね、読んでいたんですが、改めて今回読み返しておりました。 非常に面白い本なんですね。
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ですがね、この本にはね、ISBN番号が付いてないんですよ。
本の後ろに付いているバーコードですね。 つまり一般に売られていない本なんですね。
ですので定価なども書いてありません。 四日本と呼ばれる本なんですね。
ですので、amazonなどを通じて購入することもできないんですね。 それもあってあまり知られていないのか、
氷山市の図書館のね、蔵書記録なんかでもね、ないんですね。
でもちょっと待てよーと思うんですよ。 岡俊夫さんっていうのはもちろん生まれたのは小野町だけども、
1歳には氷山市に引っ越してね、そして近藤小学校を卒業して、氷山商業高校を卒業した人なんですよね。
そして社会人になってもですね、氷山市に住んでいた人なんですよ。
なんでその人物を知るのにね、非常に挙げ立つ本がね、氷山の図書館に置いてないのだろうと思うんですね。
またあと氷山市だったらですね、氷山文学の森資料館。 ここでですね、資料をたくさん集めているっていうのがあればいいんですが、そういう話も聞いたことないです。
音楽家なんでね。 えーというので、じゃあミューカル学徒館の方に書いてあるのかというと、そちらの方のほとんど名前もないです。
ですけどもこれはですね、お母さんだけじゃなくてですね、作曲家の市川翔介さんだったそうなんですね。
全然その扱いが小さいです。 自分が子供の時はね、家族揃って歌合戦の審査員などね、市川さんやってたんでね、
テレビでお馴染みの人だったんですよね。 というわけで、氷山市出身の市川翔介さんだってこの扱いなんだから、おのまちうまいのはね、
お母さんだと全然扱いが小さい感じがするんですね。 テレビであの、小関裕二さんのエールがね、話題になった時ですね。
小関さんをですね、福島市がすごくアピールしていて、そして伊藤久夫さん、歌手の伊藤久夫さんを本村氏がね、非常に盛り上げていこうとしているのを見てると、それと対照的なんですね。
音楽の都、学徒氷山と言ってる割には、そういうところにね、力揃いでないなぁと思うんですよね。
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お母さんにね、話を戻りにしますと、この本を読むとね、思い出すぐに住んだ家がね、氷山市の沖田町6番地ということが分かりました。
沖田町っていうのはですね、えっと、氷山市に住んでいる人にとっても見慣れない地名だと思うんですよね。
というわけで、調べてみたらですね、なんと現在の氷山駅の場所なんですよ。 氷山駅。
だから使う人はいないよね。地名の記憶がある氷山市民の人でもないんでしょうね。
だからお母さんの高校3年生の歌妃がね、それが氷山駅の東口の公園に作られたのかということが分かりました。
育っていた場所だからなんですね。 それかと社会人になってからですね、氷山市の葉山に住んでいたそうなんですよ。
その住所とかね、氷山市がちゃんと把握しているんだらいいんですけどね。 この本にはですね、その他福島県出身者で芸能界の人の集まり、
芸能福島県人会の活動記録みたいなのも入っています。 西田俊幸さんをはじめ、福島県出身者の芸能人の交流を知るのにすごく良い本なんですね。
また日本コロンビアの催しについても記憶されているんで、 水木一郎さん、堀江光子さん、佐々木伊佐夫さん、
そういった方々の交流もたくさん書かれているんですね。 この本を読むとですね、水木一郎さんお母さんのことをすごく好きだったんだなぁというのが中を感じられます。
それから氷山市の経済界によく出ている創設者の方だとか、 薄川万次の柏和さんだとかね、そういった方々との関係なども記憶されていてね、
非常に価値がある本だと思うんですけどね。 もし興味がある方は一生懸命頑張って探して手に入れて読んでみたい方がいいと思います。
実を言うとですね、今回この話をしたのはね、 今度もう一冊お母さんの詩歌本、流通しない本、その本が手に入る予定なんです。
今回ご紹介した本以上に手に入りづらい本なんですよ。 というわけで一般に流通しない本なのでありがたーく読ませていただいてね、
部屋に置くだけじゃなくてですね、岡田翔さんの意義を称えるようにですね、 後世に役立つように利用させていただきたいと思っているんですね。
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というわけでその本が届きましたね。 読んでね、感想とかね、紹介させていただきたいと思ってます。
はい、というわけでね、また次回よろしくはピョン吉のお宝の話につき合いくださいね。 本日も聞き下さいまして誠にありがとうございました。
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