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はい、おはようございます。本日の放送は2022年9月22日、木曜日です。
本日は第207回目のお話となります。
このチャンネルは福島県郡山市在住の特撮アニメ漫画大好きお爺のピョン吉が響きになったことを誰からあたなしをしていくという番組です。
そんなお爺の一言を聞きになりまして、もしもあなたの心に何かが残ってしまったら、ごめんなさい、俺にはなかったんです。
ピョン吉の番組に興味を持ってしまったら、ぜひ今後もご協力のほどよろしくお願いいたします。
昨日はですね、収録のミスをしまして、BGMなしバージョンをお送りしてしまいました。
時間があるときに入れ替えておこうかなと思っております。
ちょっとびっくりいたしました。
昨日はですね、家に帰ってきたらですね、荷物が届いていたんですよ。
日本漫画家協会のプレゼント企画に応募していたらですね、どうやら当たったようなんですね。
日本漫画家協会がですね、新たにYouTubeを始めるっていうね、その宣伝企画だったんですね。
YouTubeのチャンネルを登録してね、ネットの方からね、エントリー登録しておくと、運が良ければ当たるっていうものだったんですね。
自分がもらったのはね、千葉哲也さんの漫画本です。
3人の人にね、当たるっていうやつだったんですが、そのうちの1人になったわけですね。
他にはですね、千葉哲也さんのね、フィギュア、明日の城のフィギュアでしたよね。
2種類がありましてね、それぞれ1個ずつ。
里中まち子さんのね、クリアファイルのセットが5つ。
森川じょうじさんの釣りのワーム、キジエですかね。
それが5つ。
それと森川じょうじさんのクリアファイルが7名様。
あと森川じょうじさんのウイスキーが2つ。
というので、計24人ですかね。
だけが当たるものだったんですね。
その24人のうちの1人になったわけです。
そうにしても全てのものにね、作者のサイン入りってことだったんですよね。
ワームのやつにもね、サインがあるのかなってちょっとね、気になるんですけどね。
でも本当にね、プレゼント送ってくださってどうもありがとうございます。
日本漫画協会様がね。
ちなみにね、千葉哲也さんはね、漫画協会の会長なんですね。
そして理事長が里中千子さん。
そして常任理事が森川じょうじさんだからですね。
自分がね、今回当たった本はね、千葉哲也追想短編集という本です。
昨年ですね、発行されたものでね。
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2000年以降にね、千葉哲也さんが書いた自伝的読み切り作品を集めたものなんですよ。
これをですね、読みたいなと思っていたんで、本当に運が良かったです。
表紙をめくるとね、サインがあるわけなんですが。
千葉哲也さんのサインはね、実は4年前にもいただいてるんですね。
というので2回目なんです。
前回はですね、石ノ森翔太郎さんの故郷であるですね、宮城県富明市にありますですね。
石ノ森翔太郎ふるさと記念館。
そちらの方でですね、9月1日にですね、千葉哲也さんのトークイベントとサイン会が行われたんですね。
確か先着50名だったかな。
それにね、入りまして、どれかサインいただきました。
先着っていうのでね、開館前のね、早朝から並んでましたね。
1時間以上並びましたね。
そのトークイベントなんですけどもね、石ノ森翔太郎さんと千葉哲也さん。
いずれもね、相撲を題材にした漫画があるっていうんですね。
千葉哲也さんはね、代表作のぬたりまつ太郎がありますよね。
石ノ森翔太郎さんもね、大江戸相撲烈伝っていう漫画があるんですよ。
というわけで、その2つを並べた展示会をしましょうっていうやつだったんですね。
っていうんで、タイトルがね、大相撲漫画場所展っていう展示会名がついてたんですね。
どんなふうな状態だったかなと思ってね、ちょっとね、検索してみたらですね、
千葉哲也さんのね、千葉哲也の屑鉄日記っていうね、ブログが出てきたんですね。
ああ、千葉哲也さんブログ書いてるんだと思ってね、懐かしいなと思って見てたら、
そのトークショーのね、千葉哲也さんがね、
自分の後ろ姿がしっかりと映ってましたね。
ああ、こんなところに自分いた、と思いましたね。
トークショーではですね、相撲の話だからっていうので、
野谷松太郎の話になるのかなと思ったら、それはほんの少しでしたね。
中心は石ノ森翔太郎さんとの思い出話でしたね。
特に印象的だったのはですね、石ノ森翔太郎さんといった、
最後の温泉旅行の話ですかね。
漫画展のね、イベントがあったらしいんですけども、
その時ですね、石ノ森翔太郎さんにね、
ちょっと近くに良い温泉があるんだけども、一緒に行かないかって言う風に誘われたらしいんですね。
それで、いいよって答えたらですね、車に乗せられましてね、
で、もうちょっとで着きますから、もうちょっとで着きますからって言われてね、
連れて行かれたのが、秋田県の玉川温泉です。
非常にですね、強い放射線が出ることで有名な温泉なんですね。
あの、がんの治療に良いっていう話がありまして、
がん治療が期待されて、人が集まることで有名な温泉なんですね。
石ノ森翔太郎さんはね、1992年の時にですね、
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悪戦の臨波死になっていることが分かったんですね。
それで治療を続けていたらしいんですけども、
その治療のひとつのつもりで、玉川温泉に行ったんですね。
何にも知らないでね、一緒に連れて来られた千葉哲也さんですが、
秋田県の山の中のね、非常に偏僻なところなんでね、
帰るにも帰れないんですよ。
というわけで、石ノ森翔太郎さんと当時を付き合うことになっちゃうんですね。
で、温泉に入って、そしてあそこでね、
お話しして、そして石ノ森翔太郎さんはね、
皿にね、思いついたことをさらさらと絵を描いていったという話なんですね。
その皿はですね、ふるさと記念館、そちらの方の常設展示員のね、
左側の方にずらーっと並べられている皿です。
ふるさと記念館、何度も訪れていましたけども、
この皿はね、古い時代の絵を描いていたんですよ。
ふるさと記念館、何度も訪れていましたけどもね、
何の説明もないもんだからね、
誰かのコレクターの品なのかなと思ってたんですよ。
そしたらですね、石ノ森翔太郎さんがね、
自分の詩を書くのをして、そして自分のためにですね、
好きな絵を描いていたという品物だということもわかったんですね。
いや、ちょっとびっくりいたしました。
そういうことはね、説明に書いてほしいなあと思ったんですよね。
で、いただいた本なんですけども、
4ペンの短編からなっていました。
一つはね、イエジ、1945、2003という作品でね、
2003年にですね、終戦の日を迎えにあたってですね、
1945年の終戦時に自分がね、中国から引き上げる時の、
その時の模様を描いたものです。
非常に良いね、漫画でありました。
こんな風な悲劇はね、本当に起きてはいけないなあと思ったわけですね。
続いての漫画はね、赤い虫っていうやつでね、
運動しないでね、仕事ばっかりしていたらですね、
ストレスから病気になってしまったというような話なんですね。
ちょうどあの漫画はね、月刊誌から週刊誌になった頃の話です。
スポーツ関係の漫画を描いているのにね、
キャッチボールしたらまともにしたことがなかったっていうね。
っていうので、ちょっとね、運動してみたらですね、
非常に健康よくなりまして、元気になったっていう話ですね。
で、その際にですね、描いていた漫画っていうのが、
誓いの魔球なんですよ。
ああ、あの漫画はそうなんだ、という風にね、びっくりいたしました。
1961年の漫画ですね。
それからあと、ともがきっていう作品です。
これは前編後編になるんですけども、
千葉哲也さんが若い頃ですね、
おふざけしてね、怪我をしましたね。
で、漫画がね、描けなくなってしまったときなんですね。
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で、その代わりにですね、その原稿を仕上げたのはね、
全然認識のなかった時和僧の漫画家さんたちだというので、
その人たちが助けたっていう有名なエピソードです。
それを漫画にしたものです。
時和僧の雰囲気がですね、
藤甲藤男Aさんの漫画道とはちょっと違っていましたね。
横田徳夫さんなんかもちゃんと登場しております。
ただですね、ちょっと気になったのはですね、
石ノ森翔太郎さんと赤塚藤男さん出てくるんですけども、
石ノ森翔太郎さんがね、赤塚藤男さんにね、
赤塚とね、呼んでいるんですね。
赤塚藤男さんと石ノ森翔太郎さんだとね、
赤塚さんの方が実はよりと2歳年上なんですよ。
いくらね、石ノ森翔太郎さんのアシスタントをしていた当時、
赤塚と呼んでいたのかな、ちょっとそこが疑問なんですね。
横田徳夫さんのことはね、徳ちゃんっていうのをね、
これみんなに言われてたっていうので有名な話なんで、
ああそうかと思ったんですが。
あと横田徳夫さんがね、赤塚さんのことを赤塚と呼ぶのはね、
まあ納得いくんですけどね。
それからあともう1つ、最後ですが、
グレ鉄っていうものです。
明日の城の連載が終了して、
真際にですね、青年向けのコミック雑誌、
ビッグコミックが始まるんですね。
明日の城の連載が終わってね、
次の作品はそこで書くっていう約束をしたんですが、
全然ネタがないと。
考え出したのは自分の性格をひっくり返すってことでね。
というわけで自分の性格をひっくり返しましてね、
非常な乱暴者。
そういう主人公にして、えいやーって書いたんですね。
それは非常にですね、好評だったり、
好評だったんで、終わりって書いてあるんですが、
勝手にですね、その終わりって字を消されて、
続くに変えられちゃってね。
それが30年以上続く漫画、野谷松太郎になった。
っていうお話だったんですね。
そういえばですね、先ほどの
トメシのトークショーでね、千葉哲也さんがね、
散々とお母さんがね、非常に厳しい人でね、
下品な漫画を書いたらダメだっていうことを言ってたんですね。
っていうことを言ってたんですが、
おちになってましたね。
普通にね、たぶんね、それしかないと、
このおちみとは何のことかなとわからないと思うんですよね。
はい、というわけで今回はですね、
日本漫画学協会さんからいただきました本、
こちらの方をね、ネタにしてお話をさせていただきました。
千葉さんにはね、これからもね、
漫画を書いていってほしいですし、
また日本漫画学協会の会長も続けていってほしいなと思っております。
はい、それではまた次回よろしく。
ぺんきぃさんとお話をお付き合いくださいね。
本日もお聞きくださいまして、本当にありがとうございました。