00:03
えじさん、あの、匹見ってわかりますかね。
はい。聞いたことがありますよ。
あのー、ま、地名というんでしょうか。地域名?
そうですね。匹見町っていう町の名前じゃないですか。
そうですね。
ですよね。はい。
匹ってのは、一匹二匹の匹に、見るって書く、目で見る、見るですね。
そうですね。
島根県にある町なんですけどね。
今は島根県の増田市に含まれてると思うんですけども。
あー、いろいろ。
いろいろ市町村の、あれがあったんですかね。
そうですね。市町村合併とかあったわけでしょうか。
いずれにしても、匹見っていう場所があって。
はいはい。
パズル関係、特にこういわゆるパズルおもちゃ関係の間では、
まあ、それなりに知られているパズルの町というんでしょうか。
そうですね。昔はパズルの町として。
ですよね。
私にとっては、憧れの町みたいなところも実はあったんですけどね。
まあ、あの、なんていうんですかね。
その、名産品の中に、木工とかそういうところが含まれるので。
そうですね。
木のパズルっていうのを打ち出した場所だったんですよね。
そうですね。だから町おこしとしては、すごい特殊な面白い取り組みをね、やられたとこですよね。
そうですね。
少し前に話題になった、パズル方面のデザインコンペみたいのがかつてあったんですよね。
全部で6回だけですけども、ある時期においてやっぱりそのデザインコンペが開催されてたんですけども、
名前が資料によると、ひきみ木のパズルコンペティションって言って。
第一回が、これは1984年。
1984年。だいぶ前ですね。
そうですね。で、2、3、4、5、6と2年ごとに開催してるんですね。
これ見ると、86年、88年、90、92、94の6回で最終回を迎えて、それ以降はもちろん開かれてないということなんですよね。
私がちょうどパズルをちょっと始める前ぐらいからやられたみたいですね。
だからパズルを始めた後に、そういうのやってるんだって知った感じですかね。
僕も全然リアルタイムでは知らないので、あくまで資料的なものを見たり、後で知らされたりして見てるんですけど、
ここによるとその時の当時の商工会とかがバックアップしたりして、いろんないわゆる木のパズルおもちゃですよね。
そういうものをメインに出してもらって、入賞したとか1位2位を決めるみたいな感じで審査員がいてっていうような手でやってますね。
やっぱり木工で製品やってたから、やっぱり木のパズルって限定してたんですね。
そうですね。もうタイトルに木のパズルコンペディションって言ってますし、英語名もウドゥントイパズルコンペディションって書いてあるんで。
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なるほど。
1回目の表紙の部分見るとそう書いてあるんで、木ってことは最初から言ってるわけですよね。
これ見ると当時の資料として存在してるんで大丈夫だと思うんですが、審査員とかそういうものってのが明らかになってるんですね。
1回目とかだと木のおもちゃとかを作って、今でも作ってらっしゃるオグロサブロさんですね。
審査員の中には、今のは審査員長なんですけども、パズル研究家って名前で高木茂雄さん、吉川智之さん方がいて、それ以外は島根県内の大学の先生とか、そういう技術センターの方とかっていうのが入ってますね。
1回目はそんな感じになってて書いてありますけども、結構いろんなパズルが出品されてて、好評もついてたりなんかして。
いいですね。いい資料をお持ちですね。私はあんまり見たことがない。
ちょっとね、なぜか持ってるんですけどもね。今ちょっとあんまり、今の時代から見るといろいろ個人情報含めて書きすぎな感じの資料なんですけども。
まあまあ、私はね。
ちょっとザラッと見た感じだと、パズル方面ではちょっと名前を聞くなという方もいたりして、えーと思って。
それこそ今のね、信吉ヶ原パズルデザインコンペティションですか?
はいはい。国際的にね。
そこでお見かけするような人も、実はこの当時もうなんか動いていたりとかするんですよね。
私もちょっとその今の情報を見ると、今というかね、近年活躍されてる方たちが、もうこの頃からやってたんですねっていうのをね、聞くと。
そうですね。
なるほどと思いますね。
で、あとちょっとデータ的なこと言っちゃうと、その出品作品数みたいなのが書いてあるんですけども、
これ順番に見ていくと、やっぱりそれなりに伸びてはいて、この84年から94年の全6回で、これ順番に出品作品数ですね。
まあ一人で何個か出してる場合があるんで、これ人数ではないんですけど、出品作品の点数っていう意味で言ってるわけですが、
もう順に最初は42だったのが、87、95、117、98ってちょっと下がって148っていうことで、結構わーっと伸びてるんですよね。
ね、最後すごい伸びてるのにここで終わっちゃってるんですね。
うん、なんで終わったんでしょうね。ちょっとあんまり知らないんですが。
しりつぼみで終わるのなら、なんとなくわかるんですけど、最後すごい上がってるじゃないですか。
そうですね。
これどういう偽状があったのかな。
終わって。
あんまりよくわかんない。目顔に書いてあるのかな。
なんで終わっちゃったんでしょうね。
よくわからないですけど、なんでしょうね。何か一定の役目を終えたのかな。
そういうことがあったのかな。
一応、1984年から94年ですから、10年間やったことなので。
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なるほど、10年を何か区切りにしてたのかもしれない。
見てたんですかね。たまたまなのかどうかわからないですけど。
だから私もパズルを作り始めた頃に、そういえばひきみでパズルのコンペ、そういうコンテストやってたなと思って。
作ったんで応募しようって思って調べた覚えがあります。
したらもう終わってたということで。
その調べたきっかけで、新たにのぶよしえがはらさんのデザインコンペがちょうど始まった年に、
あ、こういうのが新たに始まったんだと思って、私だからそっちに応募したんですよ。
それがパズルの世界に入るきっかけになったっていうのはあるんですけど。
そうですか。
その前はひきみってあったなと思ったけど、残念ながら終わってたんですけどね。
このひきみのパズルコンペっていうのは、第1回目から英語のタイトルがついてましたけども、
一応国内外ということで海外の方も出品できるっていう形になったんですね。
見てみるとさっきの作品数と合わせてどういう国からとかどういう県からあったかなってことも書いてあるんですけど、
最初はもちろん全然海外のはこれ見るとなくて、2回目か3回目くらいからか海外の方の出品っていうのがあって、
その何かは割と今でも大活躍しているパズル科の名前があるんで、
大と思ったりするんですよね。
大と思いますよね、その名前聞くと。
こういうものを作ってたのかっていうものもあったりして、結構驚くんですけども、
海外の方が出品するのって2回目からみたいですね。
そんなくらいですから、だんだん認知度が広まってきたのかわかんないですけど、
一番いいところで終えたのかもしれませんけどね。
逆にその後94年だから、今の信吉ヶ原コンペ、当時名前違いましたけど、
それが始まったのが2001年とかでしたっけね、2000年とか2007、最初の頃ですよねかなり。
2001年のはずですよね。
ですよね、そうすると計算上は6年ぐらい、6、7年経ってから。
それも別に移行したわけじゃないんでしょうけど、結果的にはそれと同じ役割になったというか。
そうですね。
そういうものですよね。今や結構それなりのいろんなもの出てますしね。
そうですね、だから日本も海外も含めて、
メカニカルパズルに入る入り口みたいなところもありますしね。
一部の商品化とかそういうものの、よりどころになっている部分もあるとかないとかきますし、
逆に商品化されているものをそこにエントリーするっていう、ある種のプロモーションに使われている部分もあって、
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言い張れよと思うとして、そういうふうな感じでみんな見られてるっていうことを意識して使うような感じがちょっとありますけどもね。
ありますあります。
だからその、全然今オンラインとかになったりとかいろいろ変わってきてますけども。
今コロナの関係で実際の審査がなかなか難しかったりとかもあってね、そうなってますけども。
そう書いてありますからね。多分これ言っていいと思うんですけども。
このヒキビのやつなんか、昔のデザインコンペとか見ると、やっぱり昔ながらって当たり前ですけど、
みんなで机囲んで話をしてるような写真がちょっと載ってたりして、やっぱり面白いなと思うんですけど。
見てて思ったのは、この時のヒキビのコンペティションの資料を見ると、誰が審査してるかっていう情報と、審査した結果こういうのが選ばれて、それに対する好評みたいなのがついてるんですよね。
今の例えば他の信吉がコンペだ、この前のパズルオーディションとか言っておくと、誰が審査してるかわかるけど、特に好評コメントはなかったり、
好評コメントあるんだけど、これ誰が出したのかよくわかんないっていう感じがするんですよね。言うに言えないってものはあると思うんですけど、好評しようとって。
そうですね。そこは丁寧にやったほうが参加する側も。
本来はそうですよね。
嬉しいですしね。
実際かなり手間ですくしね。
それはそうですけどね。
揉めやすいっていうか。正直主観の問題になっちゃって、揉めやすいってよくあると思うんですけども。
揉めた感じも見たいです。
見る方は面白いですよね。ちょっとね。正直言ってね。エンタテインメントじゃないんですけど、見ててやっぱりこういう人が、相対の人がどうかともかくとして、こういう人がこういう好評をしたみたいなのは、やっぱりそこで改めてもう一回こういう見方があるのかとか、こういうこと言ってる人がいるとか。
いや俺はこう思うんだけどな。含めてなんかそういうちょっとこうね、もう少し広がりが出てくるのかななんて思うと、意外ともう何年経ったんですか。だいぶ2,30年前の話ですけども。
ひきみコンペは。でも割とこう、まだまだ参考になる要素はあるよなという気もしますよね。
最近のコンペはそういうのがちょっと少ないという感じも若干ありますね。
そうですね。
いろいろどういう評価があったとか、逆にあと受賞者が決まったら受賞者からのいろんな話を作った話とか、受賞者の感想みたいなものもあればいいのに、今ね、信吉ヶ原のコンペでもあんまりないですね。
出てこないですね。
実はサラッとしてますよね。
それがいいんだということもあるんで、コンペのまさに好き嫌いというのもね、いろんなコンペがあっていいと思うんですけども、なんかこういう昔の、必ずしもね、昔のものがいいってわけじゃないんですが、こういう方式もなかなか味があるよなとちょっとこう、いろいろ見ながらね、感じますし。
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いつもの話になっちゃいますけど、解説したりそれについて述べようとすると、あんまり触れては欲しくないネタバレに行ってしまうとか、やりにくいところがあるのは地道に分かるんですね。僕らもこうお話してて、これじゃいけないよなと思いながら言ってたりとか言わないようにしてますけど、やっぱりそういう微妙なところっていうか、と同時に知識の問題ですよね。
これ説明するのすごい大変なんで、文章長くなっちゃうとかね、あるとは思うんですけど、いろいろ。そこら辺上手いこと踏み越えて、そういうやりとりみたいなという感じがしますよね。
なんかやっぱりこのデザインコンペの中で、結構大きな役割を担ってたなと思うのは、やっぱり吉川原さん、いつも名前が出てきますけども。
そうですね。
結構この方は空口のコメントなんかを全体の公表で言ってたりなんかして、パズルとして言ったのに全然パズルになってないものがあったみたいなね、簡単に言うとね、そういうようなことを言ってたりなんかして、わからんでもないっていう出品作を見ると。
いやー、ちょっと冊子見てないから。
こう積み木っぽいものとか出てくるので、単純なんですね。
あれでも私の記憶では吉川原さん自身も応募もされてたなんて聞いたことある。
そうなんですよ。
面白いですね。
これまさにね、前々回わかんないけど、何回か前の、えりさんがアイデアコンテストの発案者というか。
はいはいはい。
なんかいう話がありましたよね。
箱根のね。
あの時に応募が来ないと怖いんで、自分もエントリーしたっていう話を。
はい、やりました。
実はしてたっていう。
あれもあるのかなってちょっと思ったんですけど。
なるほどね。
幸か不幸かね、知らないけど。
この引き身の第一回目のグランプリっていうのが、実はここには知らんぷり氏って名前が出てくる東京のおじさんだったんですけど、蓋開けてみると実は吉川原さんが名前隠して応募してたってことなんですよね。
で、ちゃっかり賞も取って。
賞も取っちゃったね。
グランプリ取っちゃったわけなんですけど。
まあそれはちょっとね、狙ってたのかどうかわかりませんけど、まあでもどうなるかわかんないっていう怖さはあったのかもしれないですね。
なるほどね。
じゃあ同じ発想だ。
ちょっとかなり近いことが起きてたのかなと思うんですけど。
なるほどなるほど。
いや私の場合はでも応募数が少なかったらどうしようっていう心配があったけど、実際はねすごい応募が来たんで、もうもう私はほぼほぼ自体でよかったんですけど。
なるほどね。
まあいいものできちゃったらそれはそれでもちろん狙われるっていいことだと思うんですけど、名前によらずですね。
だからちょっとそこは面白いなというかね、通じるところがありますよね。
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なるほど。
もしこれから新たなコンペができるとはちょっと思えないですけど、なんかそういうものをやるにあたってなんか意外とこの引き身コンペの情報がねどこまで出せるのかわかんないですけど、こういうのすごく面白いなと思いましたね。
なんか見てて。
なるほど。
ぼっか的な部分も多いので、今同じようにやるとすごい怒られそうな点もあるんですけどね、いくつかね。
あとは集まれないとか大変な部分もかなり多いんですけども、見てると6回を通じて常連のように入ってくる方。
もちろんいるんですよ出品、賞を取るかどうかは別として。
あともう一個はこれを資料では別に関わった方からの話で聞いたことがあるのは、このだから受賞式っていうのが存在してるらしいんですね、コンペに対して。
ありそうですね。
その時に一定数の人が集まるわけですよね。
はいはいはい。
で、そこで6回もやるわけだから何回も集まるってことで顔なじみになるとか、互いに知り合うっていうような交流も結果的にあったということなんですよね。
いいですね。
だからこれ実はちょっとコミュニティを作ってるんですね、ただのコンペと言いつつね。
まあ今同じようにできるかわかんないですしね、揉めることももちろんあるわけなんですけど、いわゆるね人が集まると。
でもなんかこういう方法もあるんだなというかね。
ただね、なんかこう集まって遊びましょうだけじゃなくて、コンペという形になってるけど実は作り手とかそういう人たちを近づけるヒントになってたというかね、きっかけになってたって思うと面白いなと思いますよね。
他のは例えば何商品かとか何とかみたいなそういうそれぞれ目的があったと思うんですよね。
新しいカラクリ箱開発するとかそういったような目的はもちろんいいんですけど、蓋を開けてみるともう今ね、ひきみはそんなに大きく動いてるわけじゃないですけど、人の繋がりは何となくあるんですよね。
なるほど、そこでね、できたものがね。
ちなみにひきみ町はもちろん現在もあるんですが、僕は2018年の春頃にちょっと行ったことがあるんですね。
結構最近ではないですか。
その時でもパズルの博物館みたいな。
ありますよね。
世界から集めたものを展示するみたいなのがまだ現存してましたし、言えば開けてくれるのかな。
今ちょっと行ったらどうなのかわからないですけどね。
今どうなんでしょうね。
そんな感じになってて、いろいろ勿体ないなって感じる部分もあったんですけど。
結構交通の不便な田舎なので、なかなかわざわざは行く人が少ないような場所ですからね。
ちょっと行ってくるわけではない感じはあるんですけどね。
でもいろいろこういうものがここにあるかとかね、そのまま絞んでしまわないのがあったらいいなと思いつつ、歯がゆい感じはあるんですけど。
今もその博物館はやっぱりあるんですよね。
あるはずですね。
物はたくさん置いてあった。私行った時の記憶だと結構パズルが置いてあったんで、パズルが好きな人だったら行く価値はすごいあるんですけど。
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そうですね。
なかなか行きにくいところで大変だと思うんですけど。
一応引き拠ってことで温泉施設で宿泊を置かれたものっていうのがあるので、たぶん今もあるんじゃないかな。調べてませんがあると思うんですけどね。
そうですね。今どうなってるかわからない。私はね、最初に行ったのは30年ぐらい前かな。どうだろう。
大学生ぐらいの頃に、当時付き合ってた彼女が山口県にいたので、その彼女とデートで行きました。
山口県から島根県。
島根県なので車で、車を飛ばして行ければいいと思うんですけど、僕は普通にデートのつもりで行ったけど、そんなとこに連れてきてって思われてたかもしれないですね。
なるほどね。ひとさらいみたいになってたかもしれないですね。
まあまあ確かに誰もいないところでしたけど、博物館も一通り見て、二人で見て、で巨大迷路が。
巨大迷路そうですね。
まああれも開けてくれって言ったら開けてくれたような状態ですけど、一通り休んであとなんだろうなんだろうマジックハウスみたいな。
ありましたね。
不思議なマジックハウスみたいなところを見せてもらったりとか、一通り観光のつもりではいったことあるんですけど。
自然豊かなとこですからね。非常にね。
まあそうですよね。山奥ですけどね。
そうですね。なんか木とかそれ以外には水が綺麗だってことで、わさびとかとお酒だったかな。
そうなんですか。
なんかそういうのも迷走になってたような気がしますけど。
水が綺麗ならね。
まあ一応今まだひきみのパズルって言ったらあの木のパズルがね、まだ世間的には手に入るはずですから。
そうですよね。
前に何だったかな。海外のパズル家と話した時に、ひきみのパズルって、ひきみって知ってるけど、具体的にどういうのがあるのか知らないって言われたことがあって。
結構キャリアの人だったんですけど、こういうシルエットとか最近売ってたりしましたよみたいな話をした時には、見たことないと思ってないみたいな反応で。
意外と海外に出てないんですかね。ひきみのパズル。
そうなんですかね。
ひきみのいっぱいあるんですけどね。その時ちょっと驚きました。
私はちょっと海外のパズルショップに、私が間を仲介してひきみから未だに買って送ってあげてるっていうのがあるので、そういうルートで海外にいくつか出てるはずなんですけどね。
何回か言ったかな。東京パーキングなんていうね、ラッシュアワーの元ネタと言えるものとかね、いくつかすごく記念碑的なパズルっていうのもね、あるわけなんですよね。ひきみから出てるものとしては。
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ごめんなさい。まさにそれなんですけど。東京パーキングを私がひきみから注文して海外のショップに戻させてもらったりとかね、してますけど。
結構ポイントポイントで面白いパズルっていうのも作ってますし。
だからラッシュアワーっていうね、世界的に有名になったやつの原型だから、やっぱりそれなりのなんだろう、プレミア感というか、これが元なんだっていうので、海外の人も認識しやすいパズルなんでしょうね。
このラッシュアワー論も実はちょっと奥深いところがありまして。
あ、そうですか。
じゃあまた、またの回で。
本当にね、ひきみのパズルで結構それぞれ一個一個エピソードもありますしね。今見ても全然古臭い感じがしないというか。
当時はね、ビジネスとしてもこのコンペも通じていろんな作品を発掘してそれを製品化してっていう流れで結構成り立ってたんじゃないですかね。
今個人とかでやってる方もいますけど、木工のやつやってる人とかいますけど、そのかなり先駆者というかコンペにしてもね、自分たちで作るんじゃなくて、外からいわゆるデザイナーと言われるパズルの原案を作る人たちからアイデアを提供してもらって先駆するとかっていう流れもね、それを吉原さんが間に立ってみたいな感じですかね。
そうですね。
そういったなんか動きの結構初期というか。
そうですね。先駆者ですよね。だから今、世間一般的な人から言うと、ホテルに昔はパズルが置いてあったよねっていう話は、旅館の部屋に一個ずつパズルを置いてあってっていう話は、いまだにパズルってこういうのやってますって言ったら、
昔旅館に置いてあったよねっていう人はね、結構いますよ。だからそういう世間の人にも認知されてるようなパズル、それがね、ひきみで作られてた木で作ったシルエットパズル、ティーパズルとかが部屋に置いてあるのが多かったのかな。
そうですね。
で、それをみんなホテル泊まって、夜何もすることない時にパズル置いてあるからやってみて、どうしても解けないとか面白いって思った人は、そのホテルの売店で買えるようになってるんですよね。
そういうビジネスモデルというか仕組みがしっかりしてたなっていうのは感心しますよね、今でも。
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それもね、なんか独特な、あれはたぶんひきみ以外にまたいろいろそのいろんな旅館に渡すっていう流れを作るのがまたあったみたいなんですけど。
また別の。
でもあれも一応ね、そのパズル作るっていうのはどれを置くとかっていうのの中にやっぱり吉原さん入ったみたいですよね。
そこら辺うまくちょっとなかなか真似できないですしね、同じことする必要はないんですけど、ちょっとそういう面白いことの割とパイオニア的なものを結構やってる中にひきみっていうのが出てきますね。
結構ポイントポイントにヒントというか、こういう方法をやったんだなって改めて見ると非常に興味深いなというか。
そうですね。
困った時の何かの拠り所というアイデアとしてですね。
そうですね。
そのパズル自体も面白いですけど、そのやり口というか。
そうですね。そういうビジネスモデルというか。
とかね。
やり方に関しては非常に勉強なりというか素晴らしい。
だってパズルって。
面白いことやってるなって思いますね。
お店にね、ポンっておもちゃ売り場に置いてても一体何がどう面白いのかってね、なかなかわからないですから。
それをちょっと時間のあるホテルの宿泊客にやらせるっていうのはまあいいとこついたなと。
そうですね。
たぶんそのまんまじゃあ現代も旅館ホテルにパズルを置けばいいんだってそういうことじゃなくて。
結局これって何かというときに遊んでもらうと面白さがわかれば伝わるんじゃないかというところがたぶんベースにあるんで。
じゃあやっぱり遊んでもらうと面白い伝える方法を探せばいいんだなっていうふうに例えば抽象化すればいいわけですよね一つには。
当たり前のことなんですけど。
そうですね。
まあそのときにパズル販売論みたいになってますけど。
まあまあでも。
そういう買う方法と遊ぶ方法とのつながり具合ですよね。
それはどうつながるかみたいなので。
まあアイデアマンがいろいろいたわけですよねたぶんね。
そのね、引き火だけじゃなくてその周りに。
そうですね。
まあ今見て面白いなっていうのはやっぱり何かしらの意味があるんでしょうね。
良さがあったってことですよね。
まあちょっといつか何かねわかんないですけどまた引き火にならないのに行ってみたいなと。
ああ今行ったらね。
こんな状況だからこそね何かちょっといつか行ってみたいなと思いますよね。
まあいつか機会があれば行きましょう。
行きますか。
そこで収録か何かしたりしたらいいのかわかんないけど。
ネットがつながれば行きますよ。
たぶんつながるんじゃないかな。
ちょっとわかんないけどたぶんつながると思いますね。
なるほど。はい。
今回は以上ですかね。
はい。そんな感じで。
ではこんなところです。ありがとうございました。
はい。ありがとうございました。