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パズルに関わっている人々のことをパズル家とかって言うんですけど、建築家、写真家みたいな言い方と同じですよね。
なるほど、パズル家。
で、そういうパズル家界ってのがあってもいいよね、というのが。
新しいシリーズですか?
そうですね、名付けてパズルの巨人たちということで、巨人ってくらいなんで、それなりの人じゃないといけないわけですけども、
誰にスポットを当てようかなということなんですが、1回目はですね、やっぱりこの人を置いて他にはないかなということで、吉原伸之さん。
伸さん。
ちょっと取り上げたいと思うんですよね。
いいですね。
この吉原さん自身はもう亡くなりになっているので、
そうですよね。
なんていうか、いろいろ固まった情報しかないわけなんですけども、
一応ですね、ウィキペディアに吉原伸之という項目があるんですね。
ページがね、ありますよね。
そうですね、参考までに一応概要欄に入れておくので、
細かいことはそこなり、あともっと他に本なり何なりを見ていただければいいのかなと思うんで。
そうですね。
あくまで僕ら2人から見た吉原さん、伸さん。
もうちょっと話してみましょうか、というような感じですかね。
なるほど。
このタイミングでやるというのも不思議なものなんですが、
ちょうど吉原さんが亡くなったのが2004年なので、
20年経ったところなんですよね。
なるほど。
ちょうど20年ちょいになるんですよね。
もうそんなになるんだって思いますよね。
そうですね。
つい最近ではないんですけど、意外と経ったなって、僕の中では。
そうですね。
だから2人ともね、面識がありますからね。
そうですね。
あれから20年か。
僕の場合は、もともと古くから知ってるわけじゃなくて、
あくまでパズルの方とか、ものの作者として認識してて、
あるところで途中からパズルの集まりみたいなところでお会いして、
多分僕が変わったのは、本当に晩年ですね。
そんなにずっとべったりいったわけじゃないですけど、
ある意味、最後の時期は結構見てたかなという気はしますね。
なるほど。
多分私も同じくらいか。
でも多分幸福の方が長く、私よりも先に知り合ってるんじゃないかとは思うんですけど。
微妙なところですよね。
微妙ですか?
実際、直接関わるようになったのが多分、
面識あるレベルになったのがAさんの方がちょっと先なんじゃないかと。
そうか、そうですかね。
どうでしょう。
いろいろなことをやってる中で、いまだに名前が残ってるっていうと、
パズルコンペとかって言いますけど、
吉川原パズルデザインコンペリションって、
名前が変わる前の、もともと発案者というか、
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始めるにあたって影響があった人ですよね。
多分Aさんはその辺りでの関係が深いんですかね。
最初から話すと、やっぱり幸福君と同じで、
書籍とかで知ってたっていうか、
会う前のね。
まだ私が四国に住んでた頃に、
最初の本は、もうこれ前回もどっかで言っているはずですけど、
クオークの別冊。
吉川原伸之の究極のパズル。
これをたまたま本屋で手に取ったところから始めてるわけですから、
この野部さんの本がきっかけで、
パズルの世界に入ったみたいなところがあるので、
ですよね。
この本は雑誌連載をまとめたっていうもので。
そうですね。
クオークっていう科学雑誌にずっと連載してて、
途中で一回まとまったんですよね、本に。
その後もうちょっとあるはずなんですけど、
それをまとまってないのはもったいないですけどね。
そうなんです。その後も連載はずっと続いてたんで、
それをまとめたら、究極のパズル2ができるはずなんですけど、
出てないですね。
本当に究極のパズルになるっていう感じですよね。
ね。あれもちゃんとクオークを集めればできるはずなんですが。
もう何冊かクオーク見て載ってる記事があるなっていうのを見てましたね。
うんうん。
その本当に学生の頃というか。
なるほど。じゃあ私もそうだ。
究極のパズルを買って読んだ後、
クオークに毎月連載載ってるのは、
そこだけ立ち読みするみたいな感じで。
買わないといけないですけど、本当はまあまあ。
あともう一個印象に連載として僕はちゃんと認識してるのは、
パズル雑誌ニコリの連載ですかね。
病棟日誌って当時言ってたと思いますけど。
ありましたね。
そこで書いてるなっていうのは。
あれもまたまとまったね、書籍には。
パズルの選挙誌っていう本でニコリさんから出てるんですよね。
あれですかね、最初から最後まで全部載ってることにはあるんですか。
多分全部収録されてると思いますけど。
それはそれですごい網羅されてるんですね。
ノブさん自体も、ちょっとノブさんって言っちゃってますけど、
通称ノブさんだったので本人も言ってました。
そうですね、そう言っちゃいますよね。
結構本書きとしてのメンテナンスも強くて、
パズルに関する本とか約本みたいなのも実は結構あるんですよね。
そうですね、翻訳して写真機にしてるのはいっぱいありますもんね。
その中でも一番僕に関係が深い本っていうと、
これ文庫なんですけど、
一生遊べる奇想天外パズルっていう文庫本をですね、
確か古本屋さんで見つけたんじゃなかったかなと思って見たら、
なんか面白いことを書いた独特な本だなと思ったんですけど、
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見てるうちになかなか面白いなっていう感じで、
わーっと読んじゃった記憶がありますね。
まさかその人に会うことになるとは思わないわけですけども。
そうですね、私もそうですよ。
四国で住んでてまさか会うことになるとは思わなかったんですけど、
大人になってからなぜか関東の方に出てきて、
ノコノコと。
パズルっぽいことをちょっとしてたら、
あの時にね、トリットさんっていうパズルショップがありますよね。
トリットさんがオープンするっていう時の、
なんかオープニングをどっかの会場でやった時に、
私も手作りしてたパズルを納品することになったんですよね。
納品してそこで販売してもらえるっていうので、
伺った時に初めてお会いしましたね。
のぶさんと。
なるほど。
時期的には2000年、本当最初の頃ですか?
ぐらいですね、2000年。
そうですね、2000年ちょうどぐらいだったと思いますよ。
そうですよね。
僕は多分、少し後ですよ、何年かの時に、
パズルコア街ってあったってありますよね。
うん、パズルの会がありますね。
いわゆる会場に行くことになって、
行ってみようかなと思ったんですね。
今までずっと、これ話したかわかんないですけど、
中学生の頃から入ってたんですけど、
ですよね、若い頃から。
会場に行くまですぐではなくて、
大学に入って少ししてから行くぐらいなので、
結構経ってるわけなんですけど。
そうですね、なるほど。
その会場に行って、話聞いてるうちに、
突然横にお互いの知れないおじいさんというのが、
いろいろと入ってきて、
ただ、なんか妙なオーラがある感じの人だなと思ったら、
これが吉原信之という人かという感じだったんですよね。
そうですね。
本当に最初どうだったかっていうのは、
あんまり細かく覚えてないんですけど、
いつの間にかいろいろお話したりとか、
飯田橋でしたっけね、行っちゃいけないのかな。
もう今はないけど、スタジオ。
スタジオがあったらしいですね。
ねじろみたいなところで遊びに行ったりしましたけども、
いろいろ見せてもらったり、
自慢話聞かされたり、いろいろありましたね。
そうですね、だから私も出会いは、
鳥人さんのオープニングですけど、
同じようにパズル工学会に入って、
毎月の例会で時々お会いするような関係になりましたね。
最初僕は本とか文章を書いたり、
何か紹介したり問題を作る人ってイメージだったんですけど、
実際もうちょっと年数経って、
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具体的にもっとパズルのことをいろいろやっていくと、
物作りしたり、それに関わっている人なんだなっていうことも分かってきたり、
そうですよね。
いわゆるキャストパズルとか、
当時の引き見だとか、ああいうのもやってるんだっていうのを、
きちんと認識するようになってきた感じですかね。
やっぱりあの当時で言うと、
パズルオモチャでキャストパズルと、
引き見の木のパズルと、
グラスパズルシリーズですか。
ガラスと、
いろいろ当時すごくパズル玩具が流行ってたけど、
どれにも関わってるというか、
ある意味パズルビジネスを日本でやってるのは、
全部関わってるみたいな、そんな感じでしたもんね。
そうですね。
最終的にはそれを、当時バイナリアツ、今のシンクファンとか、
海外に最終的にそのアイデアが、
向こうで花開いたり、
関わってくるわけですよね、その後を考えてみると。
ああ、そうですよね。
ただこう、今改めて衛星に見ると、
どうしても作者として関わってるって思いがちなんですけど、
よくよく見ると、作者は本人の場合もありますけど、
割とプロデューサー的な、
うまくお栽培するっていうところに結構、
力を注いでたんですね。
そうですね。だから彼はパズル作家でもあって、
作品をもちろん提供もしてたんですけど、
面白いパズルを見つけたら、それをピックアップして、
メーカーに繋いでいくみたいな、
そういうことも、プロデューサー的なことも結構やられてましたね。
そうですね。
だから私なんかはモノパズルで、
モノを作ってパズルの世界に入ったもんですから、
やっぱり信さんにも声をかけられて、
パズル、おもちゃにしていくんだみたいな話。
でもそこはちょっと私もね、
信さんとは意見が合わないところとか、
いろいろあったのは個人的にはありましたけどね。
そういうのも含めて。
そうですね。
ある種の画の強さみたいなのもあるので、
話が必ずしもみんなうまくいかなかったり、
多少ね、喧嘩しちゃうことってないわけですけども、
最終的にモノにする力はすごかったというか、
そうですね。
なんだかんだ言ってやっぱり、
モノに仕上げたりとか、
形をつけるものに寄与してたような気がしますね。
そうですね。
あと葉っぱかけるのが上手かった気がします。
盛り上げる、今で言う煽るって感じですけど、
そういうところの上手さもあったと。
なるほどね。
最近になっては感じることですけど、
古いパズルの本とか、
いろいろ調べなきゃいけなかったりして、
いろいろ見ていくと、
野望さんがどっかの本で書いてあることと同じのが、
実は原点はここにあるんだなって気づいたりすることがあるんですね。
改めて見てみると、
野望さん本人は自分のオリジナルだとは書いてないんで、
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そこら辺は上手いなって、
本の寄与なんですけどね。
だからやっぱり作家ではあるんでしょうけど、
作者というより本当にプロデューサー的なというか、
発掘して見せてくるとか、
繋げて人々に渡すみたいなところの能力の高さですよね。
それをただ持ってくるだけじゃダメなので、
受け入れる側が受け取りやすいように、
上手いこと調整しつつ、
例えば日本人だったらこうしないと上手くいかないよなとか、
海外に出すんだったらこれ通じないよねみたいなことも考えながら、
やっぱりやってたんだなってことで、
詳しく見ていくと見えてきますね。
そうですね。だから私も、
野望さんに反発して自分で進めた、
パズル製品化とかもあるんですけど、
一部は失敗したりとか、
例えば柔らかい素材に合してしまったとかね。
これはそんな柔らかいマテリアルじゃダメじゃないかって、
野望さんにも言われて確かにって思ったこともありますしね。
意外とそういう面で、
空口の意見がいいわけじゃないですけど、
壺を押さえた意見をくれる人って意外とそんなにいないんですよね。
広く知ってることも大事ですし、
でも知ってるだけじゃダメで、
コミュニケーションもちゃんと取れないといけないんですよね。
そこら辺のバランス感が、
結構メチャクチャな面とかゴリな面もありましたけど、
実はそこら辺もうまくやり取りすることができてたなと、
後々考えると思いますよね。
そうですね。
だから私としてはかなりキテレツなおじさんだった、
みたいな印象だけど、
でも結構私も若いなり、
年が離れてますから、
そういう面から喧嘩するようなことはなかったんですけど、
いろいろ意見を言いあえたような気はしますけどね。
ちょっと面白いなというか、
野部さんが今から20年前くらいですか、
亡くなりになって、
その後って実はパズル関係、特にそういうものづくりしてる人たちとかを改めて眺めると、
その後って割と個人作家みたいなのが台頭してきてるんですよね、時期的に。
さっき言ったパズルコンプとかも盛り上がってきたとか、
いろいろパズル作家個人にスポットライトが当たるような流れになってきたっていうのもあるんですけど、
考えるによっては野部さんの中にある役割が、
いろんな人に分散していったようなところがあるのかなとは、
改めて見るとそんな感じがしてて、
全く野部さんと同じ役割を担うっていうのは、
現実としてはなかなか難しいでしょうけど、
部分的に役割としてこの人はこんなことやってるなっていうのを今思うと、
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野部さんのこの部分が実は役割として分けられた感じになってるのかなって思うこともありますね。
確かにもう野部さん的なポジションの人はなかなかいないですもんね。
いないでしょうし、
似たようなことをしようとしてる人はいなくもないですけども、
そうはいかないというか、似たような流れもありますね。
個々の人たちがやっぱり動き出してきてるっていうのはそこが違いますね、昔とはね。
でも個々の人が動き出すのがまさに、
野部よしがデザインコンペティションみたいなところから、
個人にみんな、まさに野部さんが残した本編の功績というか、
それが個人個人の作家を育てるような流れになっていってるんだなって思いますけどね。
そうですね。野部さん個人としてはパズル作家養成講座でしたっけ?
そんなような言い方でメイリングリストとか確かやってたと思うんですけど。
そこは私はあんまり入ってないんですけど。
それってでも実際、それで養成できたのかは正直何とも言えないなっていう話を聞いたことあるんですけど、
ただ結果からするとコンペとかを含めていろいろあって、
それなりに養成はできたのかもしれないなって思いますね。
結果的には。
なかなか真似していいのかわかんない人ではありますけど、
あんまり引き継ぐタイプではないのかなと思うんですけどね、そもそも。
そうですね。今は個人でいろいろ動ける時代ですしね。そういう役割はもう。
あんまりだと炎上しちゃうんじゃないかなって思うようなこともありますからね。
それなりに知見が溜まってきて、例えば一人でデータ作ってレーザーカットしてとかしていませんけど、
そういうことすらできるようになったんで。
前と比べるとだいぶ自分だけで動けるものって増えましたよね。
気軽に物が作れるようになったっていう。
そうですね。これだからパズルに限らずね、
あらゆる分野でそうやって個人でできる時代にはなってきましたもんね。
あと海外のパズル家の中で話を聞くと、
そもそも信吉ヶ原ってこれ誰とか、
信さんって言われてもちょっとよく知らないなっていう人も出てきたくらいなんで、
逆にそこはあんまり気にしなくても良くなってきたというか、
自然といろんなことができるようになってきたのはすごいでもすごいですけどね。
ちょっと寂しい気もしますが。
信さんの功績はそういうことですけどね。
私なんかは個人的に本当に会ったことのある人なんでね。
いろいろ個人的な思い出もいっぱいあって。
これ前にもね、多分ゴークに売ったことあると思うんですけど、
一回ね、お宅に招待されたことがあるんですよ。
ついにね、スタジオには結局一回も行くことはなかったんですけど、
ご自宅に行くことがありまして、
呼ばれて行ってちょっとパズルの話とかいろいろしてたんですけど、
家の中にもパズルがいっぱいあって、
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信さんの部屋の一番端にごっつい金庫の扉みたいなのがあるんですよ。
その中もね、紹介してくれるんですけど、
その大きな重たい扉を開けると書庫になってるんですよ。
書籍がいっぱいあって、
ここだけは耐火倉庫みたいになってて、
防火扉ついてて。
防火扉になってて、
本だけは守られるんだ。
いろいろ本も見せていただいて。
でもその書庫の中、電気がすごく暗くてね、
信さんが本を探すのにライターで火をつけてね、
このライターの明かりでずっと本を探してるんですよ。
信さん信さん、書庫の中で本が燃えたら、
耐火倉庫でもダメですよって言ったら、
ああ、そうかって言ってたという、
そういう話も面白いなと。
信さんってそうなんですよね。
肝心なところがずれたりするところの面白さがたまにあるんですよね。
まあまあまあ、そういう可愛らしいところとか、
そういうのもあるんですけどね。
僕はどっちかっていうと、
それこそヘベレ家になったイメージの方が強いですね。
なった後のイメージが強いですね。
ああ、そっかそっか。
いろいろ会合があってヘベレ家になっちゃってしょうがないから、
スタジオまでタクシー乗せて送ってきますよみたいなのが、
結構バネが多かったんで。
ああ、多かったですね。
そんな感じでついていって、
タクシーの中で不思議なお世話を言い出したりとか、
ちょっと言いましたっけね、
キャストスパイラルをぐちゃぐちゃにした。
当時キャストスパイラルとしてまだ出てなかったんですけどね。
そのプロタイプ渡されて、
ぐちゃぐちゃにしてもう一回組んでみろっていう。
渡されたんですね、はい。
僕はギュッと握ったままシャッフルしたような雰囲気にしたんですけど、
タクシーの中がうるさいんで分かんないんですよね、それがね。
で、バラバラシャッフルされたんだろうと本人は思ってらしくて、
僕は目の前ただそのまま普通に組んだら、
なんかびっくりしましたけど。
意外とまあ適当なんですね、そういうところね。
ただまあ先生だったってこともあんのかもしんないですけど、
他人数の前で話すときは、
人をつかむようなガーッていう話し方をしますけど、
1対1とか1対2とか、
人数が減ってくると突然なんか、
しんびりしちゃう感じですね、なんか。
いつもそうなのか分かんないですけど。
面と向かって普通に話してるときってのは、
そんなに強い人って感じじゃなかったです。
まあいろいろ大変なんだよみたいな。
なるほどね。
そういうのは多かったなっていう感じでしたね。
それは分かる気がするな、
結構個人的にも。
とにかくいろいろ面白いものがあるから、
知らせたい、広めたいんだよねみたいな、
ことなんですよね。
それが割とこじれて、
選挙主だとかって言って煽ってみたり、
パズルの神様だとか自分で言ってみたりする、
っていうところが面白さですよね。
そうですね。
まあだから書籍とかでも、
まあ確かに文章を書いたり、
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やっぱり文章とか魅力的ですよね。
面白い文章を書くんですよね。
そうですね。
熱いものを感じさせるところがありますよね。
あとはそうですね、
やっぱり人を煙巻いて楽しむ、
みたいな楽しみ方も結構されるんで、
まあそれがちょっともしかしたら、
あまりよく思わなかった人もいるかもしれないけど、
まあそうですね。
手品とかトリックを仕掛けるのが、
本当に大好きな人っていう感じですもんね。
手品も結構ね、
見せてもらいましたし。
そうですね。
僕は本当最後のしか見てないんだけど、
自分が吉原信行っていう役割を、
きっちりこなしてたっていうことなのかな、
と思いましたけどね、
外では。
だからこそ別にそれが抜けた個人、
一人きりになると割と弱くなっちゃうんだろうと思うんですけど。
結構資料とか、
ものとかってやっぱり、
たくさん持ってたってことが、
そんなことなかったことも分かりましたけど、
一応三大コレクターでしたっけ?
世界三大コレクターって、
パズルの方面で言ってましたけど。
ビキペディアにも書いてますけど、
世界の三大コレクターの、
一人とされてますもんね。
ジェリー・スローカムと、
エドワール・ホーダンと、
吉原信行ってことですけど。
そうですね。ジェリー・スローカムと、
いわゆるガチガチな、
コレクターっていうよりは、
やっぱり外に向けて発信していったり、
もの作ったりするのが、
前提のコレクターっていう感じがしますよね。
すごく。
集めること自体は、
実はさほど目的ではないって。
そういう意味では、
種類が他の二人とは違う、
コレクターではあったと思うんですけどね。
でも、
物はたくさんあって、
それが今、
全部集まってますけどね。
そうですね。今見ると、
おおって感じなんですけど、
やっぱりでも、ただ物があればいいって、
わけじゃないんだろうなっていう感じで、
結構扱いも雑な部分もあったし、
今から思うと。
というふうなことも聞いてますよね。
なかなか整理が、
ちゃんとされてないものも結構あって、
とかってね。
この吉原氏の判断は、
かなり目的は良かったんですけど、
必ずしもそれを大事に扱ってたから、
そこら辺がね、
なんか彼らしい感じがしますけどね。
まあ何でしょうね、
いろいろゴダゴダ喋ってしまいましたけど、
ちょっとこれを機に、
こんな人がいたんだなっていうのを、
知ってる方は思い出してもらって、
知らない方は、へーと思って、
本見るなりなんなり、
やってもらえるとね、面白いのかなと思いますけどね。
そうですね。
最近だとどうなのかな、
いくつか本を、
ある時に出し直したようなのを見たこともありますけど、
あんまり主要な本というのは、
結構入手困難になってきているんですかね。
うーん、
どうでしょうね。
確かに新しくはなかなかないですし、
私もこの大切にしている、
究極のパズルを、
どっかに行っちゃって、
24:00
買い直しました。
でも、
古本屋とかオークションでしか、
なかなかもう手に入らないですからね。
そういう世界かもしれないですね。
また要所で、
あと、
The Puzzles of Nobuyuki Yoshigaharaっていうのが、
シプリンガーとか出ているのがありますけど、
それも、
別の人がまとめた本なんですけどね。
なるほど。
やっぱあれかな、
本人が書いたのを読んだ方がいいのかな、
基本的には。
本人が書いた本は、
面白いですよ。
そうですよね。
独特な文章も含めて。
こんな感じでですね、
今後も、
紹介できればいいかなと思っているんですけど、
やっぱり、著名の人中心な感じですかね。
そうですかね。
関係者に文句を言わないといけないので、
ほどほどのところにしておかなきゃいけないんですけどね。
はい。
もし、
実は僕も知ってたとか、
あればメールいただいたり、
メッセージいただければと思いますけどね。
知っている人は結構、
それなりにいるっちゃいるでしょうね。
まだそれなりにですね、
知っている方もいらっしゃいますので、
何か面白い、
それぞれのご意見がありましたらね、
いただければ。
そうですね。思い出話はぜひお寄せいただければと思います。
はい。
そんなところで、ありがとうございました。
はい。ありがとうございました。