コンタクトレンズの利点
こんにちは、こんばんは、おはようございまーす。カフェインよわです。 久しぶりな気がするな、3週間か
もうちょっとかぐらい空いたような気がしますけれど、1回その マイクを置いて喋るっていう習慣が途切れると、次に改めてマイクを置き直すまでに
すごいこうね 腰が重くなるというか、何なんですかね、この現象は
前回が8月の8日だそうですね まぁギリ1ヶ月はいかなかったぐらいの間が空いておりますが、皆様いかがお過ごしで
ございましょうか えーっと
今日は お便りが来ておりますので見たいと思います。ありがとうございます
なんかお便り言う前に余計なものを挟んであれなんですけど、なんかね 最近再生数の動き方が
おかしいんだよな、なんか動きすぎてる気がするんだよな
そんなになんか たくさんの人に番組を教えた記憶は全然ないんですけれど
何なんですかね まあまあまあいいや
えーと読みますね
ラジオネームあかりさん、東京都にお住まいの方ですね ありがとうございまーす
初お便りです。元コンタクト販売員です。そう コンタクトの世界へようこそ
始めるきっかけが素敵です。私はアイドルのコンサート目的でしたので きっかけ素敵かなぁ
ありがとうございます。そう言っていただけると多少なんか この年からみたいな恥ずかしさが座れますね
アイドルのコンサート目的っていうのはあれかな なんか
飛んだり跳ねたりするから 眼鏡じゃ邪魔だみたいななんかそういう風な話ですかね
これはコンタクト始まりの方に、ん? これはコンタクト始まり、コンタクト始まりの方に少し話したりするんですけど
女性の方がお化粧とかして顔周りを触る頻度が高いので コンタクトに慣れるスピードが男性より早い見解があります
えー なるほど
なるほどねそういうこともあるんだ それ
おもろいですね なるほどなぁ
なのでカフェインさんも直にアスリートになりますよ 配信楽しみにしています
あーなるほどありがとうございます 前回かな
シャーブ68のあの概要欄にね コンタクトの着脱時間の話をちらっと書いたんです
で この8月8日時点ではですね
その片目10分ぐらいコンタクトをつけるのにかかってたんですね それに対してパートナーもコンタクトレンズ愛用者なんですけど
パートナーは両目で1分半らしい 早すぎるアスリートやんっていうフレーズを書いたんですが
それを拾ってくださったようでして PIAありがたいですね
そうか なるほどね
あの
なんやかんやであのコンタクトは使ったり使ってなかったりしてるんですけど まあまあ言うてもだいぶあのつける時間は早くなりまして
両目で5分 10分は調子悪くてもかかんないぐらいになってきたぐらいなんです
それでも全然遅いと思うんですよね
なんかそのコンタクトレンズを使っている方であればわかると思うんですが
黒目のあたりでコンタクトレンズ越しに多少圧がかかっても痛くもなんともないんですね
痛覚がないのかな そこらへんは
コンタクトを使うようになって初めて知ったんですけど
でそれにその事実に気づいてから 意外とここは攻め込んでいいんだっていうのがわかってちょっと着脱が早くなったんです
でなんかそういうふうなことに気づいて ちょっとなんか着脱早くなったんだっていう話をパートナーとしててね
でパートナーはつけるのは鏡がいるけど外すのは鏡がいらないそうなんです
鏡を見ずに普通に自分の目の目のところに指突っ込んでコンタクトを引っかかすっていうことができるらしいんですね
今の僕からすると全然 とんでもねーことをやってるなこの人って思うんだけど
で それを聞いてその
いや怖すぎる意味わからんみたいなリアクションを返したらさ 黒目を触るのに慣れればいいんだよって言って
俺の目の前で人差し指を自分の目に突っ込んで 黒目の上にポンっておいてそこでグニグニグニグニを動かしているわけですよ
痛くないのはわかってるのよ俺も そのようにしてもレンズ越しだったら特に何ともないことはわかってるんだが
かといってやりたいかどうかと言われると全然別問題なわけですよね それって
だからやっぱ
プロは違うなーって思ってさ やっぱりアスリートな気がするんですよね
うちのパートナーは すごいよなぁ
コンタクトレンズを使うようになってですね あの
良かったなぁと思うことがまあ何点かあるんですけど 最近ねあの子供たちと一緒に
アスレチックに行ったんですね
あの
約1年前ぐらいに うちの次男が
アンパンを床に落としたことでアンパン床に落ちたから買ってもらえるんでしょって 言った事件があった施設があるんですけどそことを全く同じ
遊園地に併設されているグランピング場みたいなところにあの今年もちょっと夏休みを 持って行ってきたんです
でその遊園地の中に水上アスレチックがあってですね あの
子供たちが死ぬほどそこを気にしておりまして あのヒール抜きで10回は遊に行ったんじゃないかなっていうぐらい
ひたすらそこに付き合ってきたんですが
であのそこのねアスレチック行ってる間あの僕はコンタクトだったんですけど 水上アスレチックというからにはあの水が跳ねたりしてくるわけですよ
顔に向かって っていう時に
メガネに水滴がつかないっていうのはこんなに快適だったんだっていうことに気づか されてですね
いやもう至極は当たり前な話なんですけど 去年とかは同じく水上アスレチックにメガネをつけていて
死ぬほど顔面に水が飛んできて視界が悪くなって その都度その都度拭くのがめちゃくちゃ面倒くさかったわけです
メガネがないって
いいなぁって なんかそこまではそこのその場面に至るまでは
なんだ 美容的な観点からするとまあメガネがない方がなんとなく幅が広がっていいな
でもやっぱつけてる最中目になんか異物感はずっとあるし 楽さで言ったらやっぱりメガネの方が楽だなーって思いながらコンタクトを
入れてたんですけどその時初めて 実用的だなコンタクトっていう風なのが感じられる
とても良かったですね まあやっぱ邪魔だよな
メガネ そんなに多い頻度じゃないけどそれこそアスレチックに付き合ってたらさ
なんか ここちょっとメガネ落ちるかもしんねーなーとかなんか気にしながら動いたりとかも
するわけですし 元々付き合う上では本当に邪魔でしかないなっていうふうなのを
思ったりしました
今回のその遊園地とグランピングはなんか 半端に勝るような面白エピソードみたいなのはさすがでなかったなぁ
うん そんなところでお便りありがとうございました
ラベル付けの影響
あのー 多分スキップラジオのあかりさんだと思っておりますが
感想ポストが全然何もしてないんですけれど拝聴しております いつもありがとうございます
スキップラジオ さん
その前提で話をしますけどスキップラジオさんというのはですね あのー
なんと表現したらいいんだ?僕が 上京坊一さんという別のポッドギャスト番組の
まあオフ会的なのに参加した時にいたメンバーの2人 あかりさんと
しゅんくんという2人でやってらっしゃる雑談系の ポッドギャストなんですけど
そう 先日あのー しゅんくんの方のね
一人喋り会のところでなんかちらっと あのうちの名前を出してくださったりもしておりまして
いやー ありがたいですね
なかなか よくみんなその聞いてくれるよね
今俺も聞いてるんだけど俺も向こう聞いてるんだけど よくみんなその
ポッドキャストやってるんですって言ったらちゃんと聞いてくださるなぁと思って 本当にありがたい限りでございます
さてさて 今日はですね
あんまりまだ僕の頭の中で整理されてないテーマなんですけど ラベル付けの
話をしたいなと思いまして ここでいうラベル付けというのは人に対する
自分あるいは他人に対するラベル付けというふうな意味合いなんですが
うーんと 何て言ったらいいんだろうか
僕はその 理学療法士という人にリハビリを提供する仕事をしておりましてですね
で ラベル付けを
変にしてしまっている患者さんは 治せないなって感じることがね
結構あるんですよ 例えば
私は腰痛持ちだから って言っている人がねそのリハビリを受けてきた時にそれがその
腰痛に対してのリハビリであったり まあ他のなんだろうな膝だったりとか首だったりとか肩だったりとか
いろいろするわけですけど何にしても
私は腰痛持ちなんです っていうふうな言い方をしてくる方は大体うまくいかない
と思っているんですね 僕は
私という1個人と 腰痛持ちっていうふうなことがその人の中でこう同一化してしまっているというか
私イコール腰痛を持っている人であるみたいな 認識が固まっちゃってるような方がいる
そういうふうなことがあるとね あの
何が悪いかというと 私イコール腰痛を持っている人なのでその腰痛を取り除けるとはもうその人は
思ってないんですよね 私は腰痛を持っているものであるっていうふうな
体で我々のところに来るので まあそれがその
じゃあ腰痛をどうにかするためにリハビリしましょうって言われた人であろうとも 例えば膝が悪いですよっていう話からスタートしてて
これはちょっと先に腰の方をどうにかしないと膝も良くならないですよっていうふうな話を 持ってたとしても
いやでも私腰痛持ちだからねって言ってその 腰をどうにかできるものであるっていうふうな認識をもう持てなくなっちゃってるん
ですね 腰を動かすためにこれこれこういうことをして腰の方の状況を整えていったらそれに
付随して膝の方も良くなりますよっていうふうな話をしても いやでも私腰痛持ちだから腰動かすの怖いのよねって言ってトレーニングを
やってくれなかったりするわけです 伝わるかな
こういうふうな言い方で
とか 私は高齢者である
高齢者は良くならないものである その高齢者と良くならないものであるを勝手にその人の頭でくっつけて
だから私イコール高齢者イコール良くならない なので私は良くならないであるっていうふうなラベルをつけちゃってる人とかね
とかとかまあ言い出せばいくらでもあるかなと思うんですけれど その
自分に対して何かしらのラベルを貼っつけていくことというのは なんだろうなそのタイミングで
考えることを減らすためとか
なんとなく生きやすくするためには 瞬間的には必要なことかなと思うんですよね
例えばそれこそ腰痛に苦しんでる人がいたとして いちいちこの腰痛は治るものだろうかどうなんだろうかとか
考えるのって 逐一考えるのって結構めんどくさいと思うんですよね
だからもう私は腰痛があるものだというふうな認識を持って まあ例えばその
コルセットを巻きっぱなしにするとか 私は腰痛があるから重いものは持ちませんとか
私は腰痛があるから激しい運動はしませんみたいに その腰痛があることそのものを判断基準に利用してしまったほうが
日常であれこれ考えなくて済むから多分生活していく上では結構楽なんだとは思うん ですよね
瞬間的には だからあのそういうふうに
していくことそのものは全然悪いことではないなぁとは思うんですけど
なんかそういうふうなその 私はAであるAだからこうしなければならないというふうなそういう
こう思考回路をたどればたどるごとに私と Aというラベルの間の乗り付けがどんどんどんどん強固になっていくんだと思うのね
思考と認識の関係
最初はその私とAは本来別々で考えてたものが 私の思考イコールAを持っている人の思考であるみたいな
スタートがちょっと僕のその仕事関連から始まってしまったのであれですけど 何だろうな
うーん なんか私はコミショーであるとか
うーん なんか私は陽キャである陰キャであるとか
mbti 診断のあれこれであるとかね なんかそういうふうなやつ
最近その mbti 診断の是非みたいなものは結構話題になっているかなとは思うんですけれど だいたいなんかそういうところで話題になるのでその人に自分
ではなくて相手に対してあなたは INなんたらかんたらなのね
っていう風なラベルを自分勝手に相手にペタッて貼っつけてそれでなんとなく相手のことを わかった気になるのってちょっと良くないんじゃないのみたいな
そういう風な話が一部含まれていると思うんですね 他者を
まあその mbti だったら16分割だし 血液型なら4分割だしとかなんとなくそういうカテゴリーにポンって押し込めて
わかった気になってちょっと安心感を得るみたいなそういうコミュニケーションスタイル良くないん じゃないのっていう風な話が
表に出てくることが割と多いと思うのですけれど 同時に自分がそういう診断をして
あ私はこういうところがあるのかもしれないな っていう風なラベルを自らにペタッて貼っつけちゃうのも
子育てにおける余裕
結構危ないのかもしれないなぁというちょっとすごくふわっとした話 でその
このラベル張り話に限らずなんですけどね こういう風なものの考え方をするのはあんまり健全じゃないなぁ
っていうことに気づいた時にですね こういう考えは良くないなーって子供たちも思えるようにするためにはどうしたら
いいのかなーっていうのが 同時にこう頭をよぎるんですね
子供ができてからというもの 僕があの過去のエピソードで話した境界線問題とか
ちゃんと境界線が1本でないことを子供たちに伝えていくにはどうしたらいいかなー って思いながらなんとなく日々を過ごし
このラベル張りの話もほぼ同じなわけですよ どうしたら
いいんだろうなぁ
僕が今ね 頭で思っているのはというか
よくその 子育て界隈で言われているのは
例えば子供が何か絵を描きました で見てみてって言って見せてもらいました
で よく描けてるなーって思って
なんたら君は絵が上手いねー っていう表現をするのは
アウトと言われているんですね 俺が知っている界隈では
絵が上手いねー っていう風な表現をすると
僕は絵が上手いんだっていう風に思って まあ多分それなりにそこから絵をいっぱい描くんだろうけどどっかのタイミングで
自分よりもっともっと絵が上手い人に出くわすと まあ落胆するとかショックを受けるとか
じゃあ絵が上手くない僕って何なんだろうみたいな話になるとかね そこまで書いてあるところがあったかな
わからんけれど なのでその絵を見せてもらった時には
これは 太陽を描いたんだねー
とか
洋服は何色にしたんだねーとか 何を描いたっていうところを汲み取ってそこだけ
ただ事実として伝えるのが良い みたいな
そういう切り口のね
子供との接し方みたいな話を時々目にするんですけど 多分これが
変なラベル付けを行わない人間にするためには有用なんじゃないかと思うわけです
彼らが変なラベル付けを行わないようにするためには こっちが彼らに対して変なラベル付けを行わないことを心がけなければならないの
ではないかという話ですね だから君は頭がいいね数字が得意だね
可愛いね絵が上手いねとかなんかそういうふうな 物事をどうしても言いがちになってしまうんだけれど
多分可愛いね可愛いねって言われ続けて育った子は それなりになんか調子に乗ったりするだろうし
頭がいいねって言われて育った子は まあ例えば頭が悪い子を見下すようになったりするだろうし
なんとかそういう表現を避けて関わるようにしていった方が多分良い ということなんだろうなぁ
でもなんかねぇ 理想はそうで
なんて言うんだろうな 理想は
子供が絵を描いてきました その
絵が上手かろうが下手であろうが君は何たらかんたらを描いたんだね ここはこういう色使いをしたんだねって言って
まずその絵を描いたという事実を受け止め で
それはその彼を受け止めたではなく絵を受け止めただけでまだ止まってるから その絵の
上手い下手っていうのは一旦脇に置いといて
何だろうか 絵を描いている君は楽しそうだねーとか
絵を描いている君は楽しそうだねーとか まあ絵とか何も関係なく君はとても
君はとても素晴らしい存在で
別に絵を描こうと描く前とここにいていいのだみたいななんかそういうこうね
彼ら個人を その絵とは関係なく素晴らしい存在だよっていうことを伝えていくみたいな
大手を踏む必要があると思うんですけど その2ステップじゃないですか
これって絵は絵で受け止める で彼らは彼らでことして受け止めるみたいな
この2ステップ挟むのってさ 言ってしまえばめちゃめんどくさいんだよな
絵が上手いね絵が上手だね って言ったらさその絵と彼らと
両方をひとまとめにしたことによって 一発で済むようになるわけですよ
どうしてもねなんか 価値しながらとかさ あれやこれやと別の物事をやりながらだと
それ一発で済ませたくなる瞬間がさ 絶対訪れるんだよなぁ
一応過ごしてるよね だからなんすか
結局は 全ては余裕
全ては余裕があるかないかに左右されているような気がする ここで言う余裕はその時間とかマンパワーとかそういうふうな話ですね
結局彼らに対してなんか 素直に育ってもらいたいなぁとか好奇心旺盛に育ってもらいたいなぁとか
強い心を持ってほしいなぁとかまあいろんなことを思うことがあるけれど 結局じゃあそういうふうに育ってもらうためにはこういうふうにしてあげたらいいなぁ
そういうふうにしてあげるためには こういう声かけとかステップを踏んだほうがいいなぁ
そのステップを踏むためには 自分にゆとりが必要だなっていう話になってですね
余裕の重要性
できねえんだよなぁ どうしても
僕は今その 友達とかからね
なんか
子育ての方針とかさ
結婚生活とかなんかそういう類のことについて聞かれたら 自分が余裕を持ち続けられるようにすることが一番であるっていうふうに答えるようにしてるんですけど
なんか相手に対してどう接するとかじゃなくてね 相手に対してどう接するかを選べる程度に自分がちゃんと余裕を持った生活を保てる
ことが何よりも重要なのではないかと 今僕は思っておりましてですね
まああのそれを伝えた人々が響いているのか響いてないのか全くわかりませんが 今この時点ではそれが真理なのではないかなっていうふうに思っている
今日この頃
まあなんかまとまりが例によってなくなってしまったのでこの辺で終わろうかな つまり余裕が大事っていう話でした
ありがとうございました 番組への質問意見感想などなど何かありましたら
Xの方にハッシュタグ不知物で投稿してくださいますか あるいは番組概要欄のお便りフォームからお便り送ってくださいますと大変嬉しいです
よろしくお願いしますではまたありがとうございました バイバイ