食事の厳格なルール
倉木凪です。
まあ食事中が多いですね。食事中ね
ほんとバカみたいだけど、人参をね
人参が入った料理
まあ大きめの人参だね、の場合は
必ず人参を先に食べなきゃいけない
で、間違えた場合はいいんですよ。奥に入ってたとか
でも気づいた時点で食べなきゃいけない
これ守んないと
なんかうまくいかない気がしてしまうんですよ
で、なんか変なルールがあって
別のもの食べてもいいんだけど、でも2回目で
やっぱり人参を食べなきゃいけない
意識と罪悪感
3回目になったら絶対いけないっていう
あとうどんなんかだと
まあいろいろ工夫してきて、でも
最初に汁を飲まなきゃいけないなって思った時は
絶対にそうしなきゃいけない
途中で麺に移ったら
いや移っちゃうんだけど
あまりにももう汁の味しなくなって飽きてきちゃって
そうするともう
ものすごい罪悪感出てきて
で、後から振り返ってみて
あ、やっぱりうまくいかなかったのはあのせいだった
食べてる最中ももう気づいてんだけど
で、逆にね
麺から食べたほうがいいなって気づいた時は
絶対に他の肉とか野菜も食べてはいけないと
麺を食べきらなきゃいけないと
でもやっぱり飽きてきちゃうでしょ
で、他のものに行くんだけど
いやこれじゃあ絶対にうまくいかないなと思いながら食べてるんですよ
で、そんなことやってたら
そんなんで意識奪われて
肉まんね落としたことありましたね
結構高い肉まんくれたやつなんだけど
その時はね
いや、これだけ予定通りにしないと
なんかうまくいかないはずだっていうそういう厳勝気があって
もうそう思い込んじゃってるんですね
厳を担ぐってそういうことじゃないですか
なんかこれをやると
なんか根拠ないんだけど
うまくいかない気がすると
まあそういうことなんですよ
その時はね
肉まん1個目食べて
次回はこういうふうにしようっていう決まりがあったんですよ
それを破っちゃったんだよね
でももうクラクラ動揺してるんですよ
でもそれでもうそっちの意識取られてもう
落としちゃいましたね
あとはその
予定してたことは本当に
これは守んなきゃいけないことなのか
ある程度ね
ゆずきかせていい場合と
もう絶対にこれは守らなきゃいけないっていう場合があって
今だとね
いろんなものを一緒に食べちゃいけない
何回も繰り返してるんですねこれ
でもある時ね
特に自分の中で決まりがあって
練り物を
皮の部分と
中を一緒に食べなきゃいけないと
別々に分けちゃいけないと
決まりにしてたんだけど
ある時それを食べたんだけど
でもうまくいかないっていう風にならなくて
逆に怖くなってね
この後何か起きるんじゃないかと
でもそれからはね
絶対
もう一緒に食べようと
で他のものもね
練り物以外でもそういう風になってきましたね
なんか変なことが起きそうな気がすると
大丈夫な根拠はないと
さあね前歯磨きで
まあこれもルーティンがあってね
魅惑順番も決まってて
これを守らないと
別にそれで問題ないって
頭では普通に分かってても
何か起きそうな気がする
そういう感じがあったんですよ
ルールと脅迫感
まあ厳格義としてちゃんとやるなんて
でクラケはオカルトなんて一切信じてないんですよ
多分ここまで信じない人って世間でね
いないんじゃないかと
だからこそね
なんで厳格義がここまで
これをしないとこういうことが起きそうだ
みたいな思ってしまうのか
不思議でしょうね
クラケは厳格義をし始めたきっかけはね
一郎がねこの球場では試合で勝ったら
こう使うこの攻め台を使う
負けた日は3番目の攻め台を使う
でヒットを打ったら次がペンチから出る時
右足負けたら左足
めんどくせえなとは思ったけども
クラケもねそういう風にしてたんですよ
そういう風になっちゃったというか
今思い出してるのはやっぱり
不老入った時だね
どういう厳格義だったか覚えてないけど
あったんですよね
そっからの始まりはね
学生時代はそんななかった
新人部関わったクラケでさえね
厳格義はなかったんですよ
そういう発想がそもそもなかったし
あと今はyoutube見てないんだけど
まあtverは見ちゃってるけどね
で今何度かありましたね
youtubeは見たら何か起きそうな気がすると
あとはね以前は動画見てて
なんか変な感じ
まあ察知するんですよ
このまま見続けたら問題がある気がすると
まあそれも半分は変わるとね
半分はまあそれはいいんだろうけど
で実際にどうかはいいんですよ
でそれで見ちゃうことが問題で
でそれでやっぱり動画見続けてから
嫌な場面見てしまったとか
ってなればいいけど
そんな場合この後何か起きるんじゃないかって
思ってしまうんですよね
だから見続けちゃダメなんですよ
そういう場合これは厄介ですね
でもね厄介だから
そんな変なことやめてしまえばいいって思うけども
でもね意外とこの勘がね当たってたりするんでね
やめるでやめれないんですよ
ちょうどいいタイミングでその勘が当たるんだよね
これであまりにも多かったら
それはそれでもうやめるしかないけど
なんか以前はyoutube見たとしても
こうだみたいななんか変なルールあったな
くだきなりね喧嘩つけていろいろルールあるんですよ
それで今回の例で言うとね
youtubeを見たとしても
ポッドキャスト配信についてならいいみたいな
まあ例えばだけどね
そういうルールが作ったりするわけですよ
ほんと気持ちの問題なんだけどね
喧嘩つきになってるんですよ
それが単なるルールではないんですよね
あとはもう自分で決めた生活のルールを守んないってこと自体が
なんか起きそうな気がする
でそういうまあ脅迫感ねみたいなもんだけど
ちょっと怒られて見えてるというか
何の根拠もないのに
でもだからこそ守れるってのはあるんだけど
そうだねもう10年以上前だけど
これは活かせるなと思ったことあるんだよね
ちょっとこれで迷惑することもあるけども
これによってルール守ることができるんだと
何の根拠もないんだからね
あとは守るしかないでしょ
寝てる時もねこれをやんないと
うまくいかなかったみたいな
例えば寝る前に前はね
トイレに行きたくなんないように
いろいろ調節するんですよ
ズボンすごく上に上げようとか
でそれであんまり水分取れなくて
飲まなくてちょっと計算の間違いで
そういう場合それをね取り返そうとして
すごい上に上げるんだけど
ズボンそうするとうまくいかないことが多くて
クラキの統計上はね
そういう風になってるわけですよ
そうするとそれでもね上げちゃうんだよね
もうその時はもうね
うわもう終わったと思うよやっぱり
逆にそれでうまくいかないと怖いし
うまくいってしまうとそれはそれで怖いし
倉木のルーティンとオカルト
それやった時点でだからもうおしまいですよ
でもね言い訳するのよ自分に
でも今日はしょうがないんだった
そんな幻滑気がある時から消えてしまってたり
っていうのもあるんだけど
寝てる時は寝返りこういう風にしないと
うまくいかなかったとか
結構あるんですよクラキは
なぜそうなのかわかんないけど
必ずこれをすると
5回のうち5回失敗したみたいなことがあるんですよ
したらもうそれ以上回るしかないよね
だからあのあれだコインを投げて
1回目を持って出ました
2回目を持って出ました
でやってて5回目ぐらいになったら
誰だって不安なるでしょ
あれ何何何かあんじゃないかみたいな
毎回外れてるぞみたいな
逆に当たり続けてもあれだよね
そういう風にそういう真理もあるのかもしれないし
でもコインならね分かりやすいけど
たまたまだってわかるけどね
クラキの場合ね
まあでもやっぱり単なる厳格げでしかないんだろうね
でもね
まあ寝た後のちょっとしたルーティンがあるんだけど
それもどれか一つでも大障りになってしまっては
もうダメだっていうね
何が寝てる時その変化によって
問題起きそうだって思ってしまうんですよ
あとね
何か行動した後に直前のことを確認するんですよ
トイレ行って今何かなかったかなとか
それ以前はなかったんだけど
以前はなかったっていうか
あのその厳格にはね
それを他の確認する前に
それをしないといけないって
いつの間にかなっちゃうんですよ
何でかわかんないけど
以前はね順番適当だったんだけど
あと食事中なんかはね
裏の家の方向を見てしまったら
ダメだみたいなそんなね
あと確認する時の姿勢も大事で
こっちの家見たらダメだとか
2階に立ってる時に
この家の方向を見ながら確認してたらダメだとか
確認終わったタイミングに
この方向を見てたらダメだとか
完全にこれもう喧嘩過ぎたねもうね
そういうのはありますけど
でもね今はねだから自分で唱えてるんですよ
これはもうただのオカルトでしかないと
まあ気づいたものに関してはそうやってやってますね
あとまあ私以外で目がね
目を見て話せないって多いんだけど
でもねなんか反省して
それをやろうとするんだけど
今はねうまくいくことないんですよ
大抵ね集中力削がれてね
だからね
でもなんか目を見た方がいいなと思って
目を見てしまうと
もうそれはねなんか
絶対にどっかこっか穴が出てしまったっていう
発想になるんですよ
もうその後はもう動揺して動揺して
それでうまくいくかどうでもいいんだよ
もう喧嘩次なんだねもうねそれがね
だから絶対に目は見ないようにして
まあでも結局今普通に見てるけど
以前はそういう風にしてましたね
あとは洋館が
反省しないで何かやらかした時に
それで何も注意しないで
まあ今回はいちいちいるのもかわいそうだしと思ってやってると
失敗したことが多いんで
毎回悩みますよ
喧嘩次として注意した方がいいのか
それとも気にしたくていいのか
あとはねメモをいつも書いてもらうんだけどそれを
洋館に何か伝えた時にそれを復唱してもらうのか
いやそれもね復唱してもらわないで大変なことあるんで
でもねそれも徐々にルールが変わってきて
こういうことならいいとか
まあ多少今はね臨機応変にやってるところがあるんだけど
以前はねそれで侮ってしまって今回大丈夫だろうと
それで失敗してってことがありましたね
それからもうそうしてもらわないといけないと
どんなめんどくさくても復唱してもらってやってましたね
厳格義と日常生活
今でもねもう怖いんだけど昨日も悩んでたし
今のは聞くべきかなと思って
でもスポティファイ聞いてるから嫌なんだよなと思って
まあだからある意味ね
なるべくねボートキャストについては変化はしないっていう
いろんなこと最近のねブログ書いてた時のこともそうだし
いろんなね反省があって
もうそういう
まあそれも厳格義になるのかな
厳格義とは思い込みたくないけど
学生時代は厳格義なのか何の意味があるんだと思ったけどね
厳格義っていう概念自体
まあなかったといえばなかったし
でも何の意味があるのかなとは思っちゃうと思うんだけど
あとね厳格義の一つとしてね
音楽聴いてる時なんか以前育ったかな
まあうまく集中して聞かないといけないっていうルールがあって
でね聞けなかったらうわもう何か起きるみたいなこと考えたり
それこそ集中できないしだから
まあクラキの二重人格なとこを生かして
まあ聴いてる間はそういうふうに思うけども
聴けなかったらもうそれは過去のことして忘れようと
まあ今でもそんなところはあるかな
食事中なんかねそれで以前は動揺してたけども
それに何か起きそうなことが起きるみたいには考えるのはやめようと
それではしたっけ