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2021-03-22 46:02

第三十八回 インディーズ作文家ふたりのぶっちゃけ話 ゲスト:わかしょ文庫さん【後編】

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インディーズ作文家、わかしょ文庫さんとの華やぐおしゃべり。めっちゃ素直になれたおしゃべりでした。

駄サイクル(石黒正数『ネムルバカ』より)のこと/書くものと媒体との関係/音声配信について/文章でどこまで嘘をつくか

00:04
こんにちは、ポイエティークラジオです。お相手は、私、柿内正午と、本日はゲストでこの方です。
はい、インディーズ作文家のわかしょ文庫です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
いやー、楽しいですね。
すごい楽しいですね。
それこそ、ちょっと前回も話したんですけど、割と僕も文振りに本を作って出したら、
友達が増えるんじゃないかっていう期待がなくはない中で、本を作ってやったりとか、
あとラジオを始めたらお便りがたくさん来て、そこでも友達が増えるんじゃないかって思って始めて、
特に友達ができずっていうところでやってきていて、
今回勇気を出して、わかしょ文庫さんに一緒にラジオ出てくれませんかみたいなことをお願いして、
お話をしていく中で、あ、そうそう、こういうことがやりたくてこれを始めたんだったみたいなことをしみじみと思うぐらいですね、
楽しくおしゃべりができてよかったなっていうふうに今思ってるんですけど。
いやー、光栄です。
そうですね、ちょっと何の話をしようかな。
前回がランバダであったりとかウロン気候を読んでの感想みたいなところを好き勝手にお話をしながらっていう感じだったんですけど、
もうちょっと書く、さっきは書いていく中での内外の変化じゃないですけど、
人のこと殴らなくなったとか、人のこと賢い人たちが多いみたいなふうに、
書くの俗称感にビビるようになったみたいな話をして、
ひどいお役ですけど。
もうちょっと、僕が今話したいなと思っているのは、
書き方というか、どんなふうに文章を書いていって、どんなことを狙っているのかなみたいな話とか、
どのぐらいそのものを書くとき、嘘をついたりとか、あるいは話を持ったりするのかなとかいう話ができたらなっていうのが一つと、
あとはそれこそ先週から和歌書文庫さんの茶飯文庫っていうラジオを始められていて、
人前に文章を出すことと人前におしゃべりを出すことというのは、
どのぐらい自分の中で違うものなのかとか、そこに対して何かハードルみたいなもの、
それこそそのランバダボリューム2に入っているダサイクル問題みたいなところとの折り合いを、
03:02
自分はどうつけていけばいいんだろうかみたいなところがちょっとお話できたらいいのかなみたいなことをぼんやりと今は思っていますが、
先にちょっとダサイクル問題はすごい話したかったんですけど、
ダサイクル問題っていうのは、眠るバカっていう漫画があって、
その中に出てくる怖い言葉なんですけど、
ダメのダにカタカナでサイクルっていうやつで、
狭い界隈の中でお互いに作ったものを褒め合って、
自己肯定感であったり承認欲求みたいなものを小さく小さく満たしながらぐるぐるやっていくみたいな内輪感みたいな、
そういうサイクルのことをダサイクルっていう名前を眠るバカっていう漫画の中でつけられてるんですけど、
僕は割と自分で何か文章を書いて本にしたりとか、それをツイッターに書いたりとか、
あとはそれこそこうやってポッドキャストでお話をいろんな人とさせてもらうみたいなところも含めて、
自分はそのダサイクルにどんどん陥ってるんじゃないかみたいな恐怖心から完全に自由になれないままここまで来ていて、
その言葉それこそ僕は眠るバカからずっと呪いとして受け継いできてるんですけど、
乱端を読んだ時に一番びっくりしたのが冒頭でそのダサイクルについてはっきりと明言をされていて、
こんなことを自分で書いてしまって、この後一体どうしてしまうんだろうかっていうところが、
すごい怖いことをやってのけたなぁみたいなところで、個人的にはめちゃくちゃビビったんですけど、
今のその和歌書文庫さんにとってのそのダサイクルとの距離感というか付き合い方みたいなところがどうなっているのかなっていうのをちょっと聞いてみたいです。
はい、ダサイクルは私は学生の時に読んで、やっぱり結構ショッキングだったというか、
自分が今までにいろんなところで感じてた違和感が、
これはダサイクルだったから私は違和感を感じていたのかってなって、そこから文章を書いたりすることとかもすごく怖くなったことだったんですけど、
私は今ではダサイクル上等だと思っていまして、
っていうのも、こんな私のような人間が言ってしまっていいのかわからないんですが、
言ってしまえば、もはや、例えば文壇とか映画界とか演劇界とか音楽界とか音楽界隈とか、
06:07
どれだけ売れてたもん、それは若干ダサイクル的な側面があるというか、
人がいて何かを生み出している人たちがつながっているっていう時点では、
それは若干、中で褒め合っているから成長がないっていうところを抜きにすれば、
もうつながっている時点で、それはダサイクル的な側面は持っているので、
であれば、自分が生み出したダサイクルをどんどん広げればいいんですよね。
どんどんその中に入っている人が増えていけば、それこそ批判とかされることもあると思いますし、
その続きもあると思うんで、もう最初はダサイクルでもいいんで、
それが広がっていって楽しければいいかなと私は思っています。
素晴らしいですね。
なんか教科書みたいなこと言っちゃいました。
でもそれこそ、むしろダサイクルは足りてないのかもしれないなっていうのも今のお話聞いてて思って、
というのも、批評家と作家とのサイクルみたいなの、いわば一つのダサイクルだと思うんですけど、
全部が全部、内輪じゃないとやりようがないというか、小説とかも顕著だと思うんですけど、
これまで小説なんか読んでこなかったんですけど、これは面白かったですっていう人に向けてだけ書いてたら、
特にそこに進展はないとか全部言ったような話になっちゃうじゃないですか。
そこに、小説ばっか読んでる、小説ダサイクルの中にいる人が、
既存のこれとはここが違うみたいなところをちゃんと気づいて、
それを言葉にしてくれるからこそ、今そういうのがいけてるってことになってると、
俺はもっとこっちに尖ってやるみたいな形で、
たこつぼ化しているからこそ、その中で初めて繊維化っていうのが生まれていくんだというところがあるんだろうなって。
そういう意味では確かに、むしろ小さいところで、
その人たちがそれだけのことを真剣にやってるっていうサイクルの中からしか、
ある意味尖ったものだったりっていうのは、生まれる余地ってないじゃんというか、
内輪に対しての見栄みたいなものだったりって、
割と馬鹿にできたもんじゃないんだよなっていうのは、結構素直に思いました。
もしかしたら時はそう思う、ダサイクルの一つだったかもしれないじゃないですか。
中にいる人たちがすごく頑張ったし、もともと才能もあったりとかっていうのがあったと思いますけど、
狭い、たとえ最初は狭くて、その中でお目当たりしていても、
09:07
それによって、そこで別に終わってもいいんですけどね、
そこで狭い人たちで満足できるっていうのもすごく楽しいことだと思うし、
それを誰かがみっともないなとかって思ったりするのは、
ちょっと違う話なのかなっていうのはちょっと思ったりもしました。
サイクルの外側から揶揄されてもしょうがないんだよなっていう話なんですよね。
結局その内側のサイクルの中で何かが高め合ってるのか尖り合ってるのかっていうところで、
その相互作用しているサイクルの中にいる人たちにとって重要なわけであって、
肩から見てそれがどうかみたいなところっていうのは、
別にサイクルの中にいる人たちがそんなに知ったことじゃないみたいなところがあるよなっていう気持ちがします。
いやでも難しいんですよね。
僕演劇をやってたって話をしましたけど、
僕がいた大学が割とその演劇が盛んな大学で、
いってしまえば早稲田大学にいたんですけど、
そこでその演劇サークルがいろいろ群遊滑挙している中で、
すごい嫌いだったのが、みんな早稲田演劇、早稲田演劇って言うんですよ。
自分たちのそのサイクルのこと。
もうすっごい嫌で、それが。
自分たちの狭苦しいコミュニティの中だけでやり取りしているそれを、
何かを代表するかのように早稲田演劇って呼んでるけれども、
呼んでる奴らに限って、そもそも早稲田の全サークルの演劇見たこと絶対ないじゃんみたいな人がいて、
何を代表してそれを言ってんの?みたいなところで、
すごい嫌になってたところがあって。
だからサイクルそれ自体に対しては確かにおっしゃる通り、
何もそういうサイクルがあったほうがいいみたいなところはあるんですけど、
それと別にそういう、何なのその自意識の非大ぶりはというか、
お前の知ってる観測範囲だけで勝手に早稲田演劇みたいな、
でかい主語に俺たちを巻き込むなよみたいなところが、
やっぱり気持ちとしては結構大きいのかなっていう気がまたしていて。
難しいですね。
大学時代はそれこそ自意識がそのまま服着て歩いてるみたいな人間だったので、
12:03
すごいそういう他人の自意識みたいなものに対しても過剰に反応していたんだろうなって気もするんですけど、
どうしてもまだそこに関しては折り合いがつかなくて、
なんだよそのカテゴライズみたいなところですごい思っちゃうんですけど。
何の話だっけな。
ダサイクルと、そのダサイクルというか、何かの集団に所属しているっていうことに誇りを。
誇り?なんて言うんでしょうね。
それによって急な自信。
それはちょっと、そうですね、すごく誇っている人がちょっと不思議な気がちょっとしちゃうんですけど。
そうですね。
そうだだからわかりました。
自分の家中にいるサイクルがダサイクルかもしれないっていうふうに思っている人たちに対しては、
そんなことは気にしなくていいってくったくなく言えるようになったんですけど、
そのサイクルの、この俺はこのイケてるサイクルの中にいるぞみたいなところを出してくる人に対しては、
すごい未だにお前それダサイクルだからって言いたくなっちゃうみたいな気持ちが、
自分の中にまだくすぶっているんだなっていうことだなって思いました。
でも客観的な視点は必要かもしれないですね。
いつか、いつか私が文学フリマー界隈の人間なんでみたいなことを言い始めたら、冷静を浴びせてください。
それはちょっとじゃあお約束します、何か。
それはダメだっていうところ。
ちょっと早くその日が来たらどうしよう。
怖いですね。
いやでも怖いですよね、それは。
怖いですね。
文振りもそうですし、僕はフルストを読む生活っていう、あれは元がノートに毎日書いてたんですけど、ノートっていうプラットフォームに書いてたんですけど、
ノートっていうプラットフォームがどんどん我慢にならなくなっていくサーコンですね。
僕はもう積極的に更新するのやめて、日記も別の自分で立ち上げたホームページに書くようにみたいなところで距離を置いてるんですけど、
たまにフルストを読む生活でエゴサをしていくと、すごいノートからできた本っぽいとか、これもノートだったんだみたいなことを書いてる人たち。
それに対してすごい僕は、ただそこにあったから、ハテナブログの広告が鬱陶しくなってきたからっていうように映ってきただけなのに、
まるでそのプラットフォームによって規定された何かみたいなふうに思われるのがすっげえ嫌だなっていうのをすごい思っていて。
文振りに対しても多少それはちょっとあるんですよね。
15:02
自分が作った本の発表の場として文振りっていうものはあったりし、文振りに関してはノートと違って割と理念も含めて割と足からず思ってるので、
そんなにすごい距離を置きたいってわけでもないんですけど、文振りっぽいねみたいなところで規定されだしたらすごいそれはそれでちょっとモヤモヤするかもなみたいなところが自然的にはあるんですけど。
歌手文庫さんは今でも基本的にご自分の通販と文振りとランバダの販路として。
それとあと扱っていただいてる書店さんが何点かいらっしゃるんですけど、
そうですね、ぜひ見かけたら買ってくださいって。
これはリスナーの方へ。
いや本当にこれめちゃくちゃいい。
ありがとうございます。
ぜひ買ってください。
僕も他の本屋さんに、人が置いてあるような本屋さんに置いてもらえたらいいなみたいなつけ目心で最初作っていたので、文振りありきみたいなところは特にそんなに強くなかったんですけど、
僕がノートであったり文振りであったりってある意味プラットフォームに対して、なんとなくそれによって自分の色が決められちゃうと嫌だなみたいな気持ちが割とあるんですけど、
文庫さんとしてそれこそ代わりに読む人で、さっきのウロンキコは割と代わりに読む人というコンセプトにかなり合っていますねみたいなように僕もさっきうっかりしちゃったんですけど、
どこで書くかとか、どこでそれを売るかみたいなことに対して、何か考えてることとかってありますか?
そうですね。ウロンキコに関しては、
友田さんからせっかくお話をいただいたので、じゃあ何かしら返さなきゃと、私が何か書くだけじゃなくて、それが代わりに読む人に掲載されることへの意味があったらいいなとは思って書いていました。
ただ、ちょっとびっくりしたのが、まかしょ文庫と友田敦さんは代わりに読む人代表の友田敦さんが同一人物だと思っている人が何人かいらっしゃるそうで、
なるほど。
結構、後藤明星だったり、好きな作家が被っていたりとか、偶然なんですけど、変わったりしたんですけど、
18:05
同一人物だと思っている、代わりに読む人別名義がわかしょ文庫だと思っている人がいるそうで、
すごいですね、それ。
すごいびっくりして、ちょっとびっくりしました。
それはすごいですね。
あとは、どこで書くか、一回原稿依頼をいただいたときは、代わりに読む人以外で原稿依頼をいただいたときは、
雑誌だったので、その雑誌に合うようにとかはちょっと考えたりはしたんですけど、
カテゴライズが、カテゴライズというか、くくりみたいなものがちょっと苦手っていうのは私もあるんですけど、
でも、媒体とか売る場所とかには、私は結構寄せに行ってる気はしますね。
ランバダ、結構文学振馬っていうのにちょっと寄せて作ってるような気が今はしますが、
うーん、なるほど。
ただ文学振馬の人だと思われるのは、
でも実際に今私は文学振馬の人なので、そこはちょっとわかんないですね。
なるほど、でも面白いですね。
ある意味その、文振りおさじゃないですけど、に寄せていったりとか、各媒体の遠間にちょっと寄せていったりみたいなことは、
それはそれで、もちろんするというか、文章を書くときのその、なんていうのかな、
一つの基準というか判断材料としてどういうところに乗るかっていうのは必ず出てくると思うので、
それはそれで絶対あるだろうなっていうのを思いますね。
たぶん僕はすごい自分の場所をちゃんと持ってたいみたいなのが、たぶん強いのかもしれないですね。
そこそこのポッドキャストもそうですし、なるべくその人の場所ではなくて、自分の場所で自分のやることをやってたいみたいな気持ちがたぶん強い気がしていて、
たぶんそれの一つの発露として合同詩に対する憧れみたいなのがあるんだろうなっていうのが思いますね。
なるほど、でもそうです。
合同詩で自分を出せたらきっとそれはすごくいいですし、もっとそこから読んでみようかなって思えると思うのと、
21:10
あとさっきお話を聞いてて思ったんですけど、
ブルースと読む生活がこれもノートからできた本なんだみたいな感想があったっていう話だったと思うんですけど、
でもそう思った人がノートからできた本なんだって思って読み始めたら結構びっくりすると思うんですね。
ああ、そうだといいですね。
で、びっくりして、でもそこからそのきっかけがノートから作られた本だ、ノートに書いてあった文章の本なんだったとしても、
そこから全然すごいみたいになって、中で読まれている本のどれかに手を伸ばしたり、そこから書きなりさんの別の文章を読んだりっていうふうに繋がっていったら、
それはすごく素晴らしいことだと思うので、
そうやって、私ベタなものが嫌いで、ベタって結局わかっている場所に連れてかれるというか、
外しはしないですけど、新鮮な驚きはないから、ベタじゃない外しのものとしてどんどんそれを摂取する人が違う世界にアクセスできるようになっていくと、それはきっといいことだなと思います。
そうですね。
なるほど、ちょっとわかった気がします。
僕はすごいそのプラットフォーム側に塗りつぶされてしまうみたいなところにすごい危機感を持っているんですけど、
私は文庫さんはわりとそのプラットフォームっぽさみたいなところからうっかり出くわしたものが全然そのっぽさから離れた変なものであったときに、そのほうがテンション上がるしいいじゃんみたいなところで、
わりとそのプラットフォーム自体がどうかっていうところと、あまり関係なしに1つのプラットフォームは手段でしかなくて、そこに特にそのプラットフォーム自体の色みたいなものに必ずしも寄せていく必要ってないじゃんみたいなところを結構持たれているのかなっていう感じがしました。
そうかも、じゃないですね。
1つの取っ掛かりに過ぎないとか入口に過ぎないみたいなところが。
僕も本当はそのはずなんですけどね、どうしてもノートが嫌いになりすぎたせいで、余計にこの手柄にされたくないみたいな気持ちが強すぎるかもしれないですけど。
ちょっと続きましたからね、最近。
24:03
そうですね。それもそうだし、もともとUI自体がどんどん悪くない感じになってくるのもちょっと納得いかないんですけど。
こういうぼやきというか、何かのプロダクトに対する悪口みたいなもの。
文字だと割と切れ味鋭くできますけど、声だと難しいですね。
声にならないぐらいの攻撃力を持ちかねないですかね。
でもどうでしょう、結構今文章だとすごく拡散されてしまうから。
それこそツイッターとかで、あんな短い文字にそんなちゃんとした根拠のあるクリティカルなことが書けるとは思わないんですけど、
すごい勢いで広がっていってしまうので、その意味では声はいいのかもしれません。
そうですね、僕も最近疲れちゃってツイッターなかなか見れないですもん。
ちょっと厳しいですね。あれは長い時間ぼーっと見るものではなくなってきたかなと思います。
そうですよね、それこそだからヨルフォーとか行った時代が懐かしいって僕はずっと言い続けてますけど、
そういうしょうもないところであってほしかったなみたいなのがすごく思いますね。
だから最近はそれこそツイッター見てた時間の代わりに人のポッドキャストだったりラジオを聞いてる気がするなみたいなこともちょっと。
あんまり毎回毎回がっつりと内容がありすぎても疲れるしなみたいなところは、
わりと意識してるというか、気をつけないと役に立ちたがっちゃうところがあるので、
なるべくしょうもないことを言ってたいなみたいなところはちょっと思ったりしてます。
これから茶飯文庫はどういうラジオにしていこうとかあるんですか?
茶飯文庫はそうですね、まだ録音していないんですけど、
ちょっと次は特定の作品について話そうかなっていうのを予定しているんですけど、
ただちょっといろいろとやりたいことが何個もこう、あれもやってみよう、これもやってみようみたいになっちゃって、
やってみないとわからない感じですね。
いいですね、まだいろいろなこうやりたいことがあって、まずはどんどん試してみるみたいな。
そうですね、もう手探りで。
27:02
いいですね。
結構お便りとかは詰まってますか?
ちょこちょこいただいています。
いいですね。
素晴らしいですね、うらやましいな。
どうやったらお便りもらえるんだろうな。
ずっとこのフォトキャストもお便りを募集してるんですけど、
これ多分今回のこれで40回手前ぐらいまでずっと続けていて、今のところ来たお便り2通なんですよね。
あれじゃないですか、コーナーを作っちゃうとか。
そうだそうですね、ジャハン文庫はちゃんと明確にコーナーがありますもんね。
コーナーを作ってしまったので。
それだ、それは確かにあるな、コーナーを作りながら。
それかあとは結構このPOETIC RADIOさんは毎回結構テーマが決まってというかサブタイトルみたいな感じで書いてると思うので、
それの予告をして意見を募ってみるというのはいかがでしょうか。
なるほど、確かに来週これを喋るぞって言ってっていうことですね。
はい。
それだな、ちょっとすごいもうこの本編内で相談するなって話なんですけど、
それは確かにすごい、確かにお便りする側としてもやりやすいですよね、次これだったら。
第1回しか公開してない人間がすごいしたり顔で。
いや、そんなの回数は関係ないですからね。
だってすごいジャハン文庫の第1回聞いたときにジングルの入れ方から何からめちゃくちゃラジオっぽいなと思って、
すごいなってテンション上がりました。
あの編集は全部チャーハンと冷たいコーヒーさんがやってくれたので、
なるほど。
本当に大感謝なんですけど。
あれはいいなと思う。
そうか、コーナーをちゃんと作るってこと。
ちょっと次何話すかとかは毎回毎回ぶつけ本番で、
なんかそこで話した内容に後付けでテーマつけちゃってるから。
なるほど。
あんまりあれかもしれないけど。
元からでも最初からいくつかテーマを決めといてっていうのはありですね。
はい。
ぜひ。
というわけで聞いている皆さん、
この回に対する感想でもいいですし、
こういうコーナーがあったらお便りしてやらんでもいいとかそういう内容でもいいので、
ぜひお便りをいただけたら嬉しいなと思っています。
急にこうやって。
急にこう聞いてる人に向かって話しかけるみたいな、
すごいラジオっぽい仕草でテンション上がりますよね。
そうですね。やってるなって思いますよね。
すごい今はラジオやってるんだぞみたいな気持ちになりますね。
なりますね。
結構ラジオとか聞かれてました?
私は中学生の時は結構聞いてたんですけど、
30:05
そこから全然全く聞かなくなって、
自粛期間中になって、
ラジオをちょこちょこ芸人さんのラジオを聞くようになってっていう感じですね。
そうですね。この1年はやたらに音声メディアに助けられたなっていうのが僕も、
すごい出戻ったなっていう感じがすごくありますね。
やっぱり人が多分人と会話したいとか、
人と何かたわいもないおしゃべりをして笑ってたいっていう欲が、
ラジオでかなり補ってくれたなっていう感じがありますね。
それはありますよね。
僕もやっぱりだからその人の喋ってるのを聞いて、
自分も喋りたいなっていう気持ちに久々になったというか、
それこそだから多分僕の場合は日記を書くのと似てるというか、
文章を読んでると文章を書きたくなるから自分でも書くみたいなのと同じように、
ラジオを聞いてると自分も喋りたくなるから自分でもラジオをやるみたいなところが結構あるなみたいなことを思っていて、
割と自分の中では読んで書く、聞いて喋るっていうのもある意味、
なんか食べたら出すみたいな、
息を吸って吐くみたいな。
そうですね、その流れ自体はあんまり動機としては変わらない部分もあるなっていうのはあるんですけど、
とはいえ結構声の方が出すハードル高いなっていうのは。
そうですね。
まだ第一回だけなのであれかもしれないですけど、
文字をその人様に晒すことと声を晒すこととっていうところで、
ハードルどのぐらい違うかなとか、
怖さの種類が多分違うと思うんですけど、
今どうですか?
そうですね、
かなり私にとってハードルは高くて、
私声がかなり低くて、
それを録音を聞いてると、
うわー低いなーって思って、
それが今乗り越えられない壁ですね。
聞くと嫌になっちゃうっていう。
それはでもありますよね。
僕も自分の声がすごいなんだろう、小物感がすると。
かすれてちょっと高いじゃないですか。
だから、スネオポジに居そうな声だなって。
すごい意地っこ悪い声だなと思いながら、
まだにそれは慣れないですね。
自分の中で聞こえてる、
自分の頭の中で響いてる声はもうちょっといい声なんだけどな。
33:03
そうですよね。
でもそれ昔、いいともでタモリも言ってたんですよ。
俺が聞こえてる声が一番いい声なんだって、
タモリが言ってたんで、
タモリがそうならみんなそうなんだなって思うことにしてます。
そうですね。
それはすごい安心できるというか、
タモリさんがそうならしょうがない。
そうですね、すごい。
そうなんですよね。
声は、声じゃない、文字の方はそれこそ自分の自己像とのギャップを
埋めようと思えばいくらでも埋めれるじゃないですか。
そうですね。
だから、自分で声でもやるようになってから、
割と文字の方で格好つけるのを諦め始めた感じがちょっと僕はしてます。
なるほど。
もうそんなに体裁整えなくていいやみたいな。
あんまり賢そうに見えなくてもいいやみたいなところで、
だんだん諦めがついてきた気がします。
そうやって意識が変わっていくならいいですね。
ラジオももうちょっと頑張ってみようかなっていう気になれました。
ぜひぜひ。
たぶん続けていくと諦めがついていくところはあるじゃないですか。
毎週やらなきゃいけないってなると、
毎回それこそしっかり準備してやるのは無理だみたいな。
なってきてからの方が個人的には気が楽になってきた。
最初の頃とかすごいちゃんと話してた内容を聞き返しながら
トピックをちゃんと書いてみたいな、
これまでのあらすじみたいなのをちゃんと書いてたんですけど、
最近はもうめんどくさいから一行ぐらいとか、
ベースとはこんな感じですみたいなことで書いておくようになってきた。
それで作れるからすごいですよね。
いやいやいや。
でも逆にしっかり準備できないんだと思います僕は。
なるほど。
そうチャーハン文庫を聞いてちゃんと原稿だったりっていうのが
用意されてるんだっていうところで結構僕は感動したというか、
ちゃんと作られてるって思いました。
いつまで用意できるかわからないんですけど、
それかもうすぐ番組は終わっちゃうかもしれないんですけど。
そうですね。
それも含めて楽しみですね今後どうか。
ありがとうございます。
もし軌道に乗ってきたらっていいので、
ぜひチャーハン文庫にもゲストで呼んでください。
ぜひお願いします。来てください。
お話ししてみたいです。
はい、ぜひ。
僕は話がまとまらないから15分に収まらないかもしれないって言ってる人。
そしたらもう1時間撮って4本撮って。
そうかそういうのもできますからね。
そうですね。
それはそれで楽しいかなと。
36:10
書くことで言うと聞きたかったのが、
文章だとそれこそさっきの自己像とギャップ埋めようと思えば埋めれちゃうみたいな話もちょっとしたんですけど、
文章を書くときにどのぐらい盛るというか、
どのぐらい嘘ついたりしますかっていうのをすごい聞いてみたくて、
結構友田さんとお話したときも、
友田さんはこれを実体験のようにノンフィクションのように書いているけれども、
意外とちゃんと物語としての題材が整うように字形例とかいろいろ組み替えてるんですよみたいなことをお話しされていて、
僕は割とその話が面白かったなと思うんですけど、
結構そのランバダもウロンキコも含めて、
結構そのノンフィクションぽさというか生々しいリアルさみたいなものを感じさせる文章だなとすごい思うんですけど、
その桓松にもあるように、
一応フィクションなので実在の人物団体とは関係がないことにしておいてくださいというところで、
この絶妙な距離感で書かれているので、
これはもしかしたらそれこそ秘密のレシピ的なところで、
あんまり話せないことだったら話さなくていいんですけど、
どのぐらいその文章にするにあたって、
持ったり隠したりとかっていうところを慣れているのかなっていうのが結構気になってます。
そうですね、言ってしまうと結構もったり嘘をついたりはしてます。
してて、ただ本当に全然嘘がないこともあるんですけど、
それこそすごくトントン拍子に物事が進んでいって、
何にも思わなくてもちょっと今日は面白かったなみたいな時もあったりはするんですけど、
でも結構もったりはしていて、
これは私の持論なんですけど、
嘘は若干違いますけど、
盛ることについては多少オーバーに伝えないと、
自分が伝えたいことは相手には絶対に伝わらないなあというのがあって、
4を持っていたことを言葉に、4のまま言葉にすると、
相手には1ぐらいでしか伝わらなかったりするので、
4を8にして相手に届くときには4になるようにしたいなと思ってたりとかはしますね。
なるほど、すごい面白いですねそれは。
39:01
結構最近のツイッターとかを流れてくるタイミングのときは読んでたりするんですけど、
結構その伝わる伝わらないみたいなところに対して、
結構自覚的というか、なるべくそのなんていうのかな、
それこそこのクラスターの人たちには伝わるだろうけど、
ここから先は伝わらないだろうなみたいなところに対して、
結構その敏感に察知されているのかなっていうのを感じていて、
結構さっきのプラトンの話も含めてですけど、
割とちゃんとどういう人たちに伝達していくかみたいなところは、
結構はっきりとしてるってことなんですかね。
ここまでこうすれば伝わるみたいな。
でもこうすれば伝わるというよりは、そこがはっきりしているというよりかは、
たぶん私は今まで自分の話が伝わるコミュニティにあまり入れたことがなくて、
なるほど。
家族もあまり本を読まなかったりして、
友達もそんなにこう、私がこうブラックジャックって面白いんだよとかって言っても、
昔の漫画は読めないみたいな友達が多かったりしたので、
そういう中で、それでも伝えたいなって思うときに、
生み出した生きる術みたいなところなのかもしれません。
それをいまだにずっと使ってるって感じですね。
なるほど。
そうか、どちらかというと、口頭のおしゃべりも含めて、
なかなかその場で共有できるものが少ないからこそ、
目の前にいない人にだったら伝えられるかもしれないみたいなところで、
構築していくものとして文章があるような感じなのかなって今聞きました。
そうですね、その部分はあると思います。
なるほど。
それは世界にありますよね、なんかそれも。
僕ももともと友達少なかったっていうのもあるんですけど、
すごい口喧嘩とかが下手だったので、
友達に何か言いまかされた帰り道とかに、脳内で組手をするわけですよ。
こう言われたらこう返せばよかった、こう言われたらこう言い返せばよかったっていうのを、
延々とやり続けていった、なんかその仮想組手みたいなものが、
割と自分がものを書くときの一個の型になっているなっていう感じはすごいした。
その場で言い返せない悔しさみたいなものがたまりにたまって、
知恵性の何かとして文字になっていってるな。
文字だと遅くてもいいし、いくら時間をかけて書いても、
読み手のスピードはある程度コントロールできるから、
42:03
早い文章を書くのにもかけちゃうしっていうところに、
結構悲観を覚えてた部分があるなと思うので、
ある意味フィジカルを伴ったコミュニケーションでできないぐらい、
ちゃんと伝わるようにだったり、届くようにやってやろうみたいな気持ちは、
確かに文字に対しては僕も持ってるかもしれないなって思いました。
今の組手の部分が、組手の経験が文章に生きてるっていうのは結構、
なるほどっていうのがちょっとありました。
私も結構脳内、言いまかし組手をしてしまうんですけど、
してしまうので、そこは、私もそうですね、
ランバダに関しては、これは思い出を書き換えようと思って始めて、
結構昔の出来事を鮮明に覚えていることが多いんですけど、
何回も思い返す中で、多分かなり詳細を変えていて、
自分に都合のいいように変えたり、美しくしたり、
自分に都合のいい部分はぼやかしたりとかしていることがあって、
その思い出を使って、脳内で、
あの時こうやって言われたから、言われた時にこうやってやればよかったのにっていう組手をずっとやってて、
それの記録がランバダになったような気がちょっと今しました。
なるほど、なるほど。面白いですね。
そういう意味でも作文というか、記憶をそのままっていうわけではなくて、
記憶に対しての文字を通じて、もろもろ思いっきり自覚的に書き換えるわけではないんですよ。
何か加工を施すことで出来上がっていく文章みたいなところがあるんだなっていうのはすごい。
なるほど。いやー面白いですね。
すごい、私が私自身への、そういうことだったんだっていう理解を深める言葉をいただいてありがとうございました。
いやいや、すいません、なんかこう偉そうなというか、意気感じみた話になっちゃった。
そういうのがすごい、読み手としてはそういうのがすごい好きなので、楽しいな。
なるほど。
そうですね、すいません、結局30分ぐらいとか言っときながら、またさらに時間がオーバーしてしまったので、
ちょっと、そろそろ、そろそろちょっと夜も更けてきたので、
あたりにしておかないとかなと。
お店も全て閉まっちゃう道なんですよね。
45:00
そうですね。
一旦ここにしに行きたいと思うんですが、ちょっとすごい楽しかったので、ぜひまた出ていただくなり、
それこそ少し世の中が落ち着いたらジョダさんに。
そうですね、はい。
もしくは茶飯文庫にお呼びいただきたいので。
あ、そうですね。
ちょっとまたお話したいなと思うので、楽しみです。
というわけで、
ホワイティクラジオ、本日のお相手は私、柿野翔太。
辞書平和島のブローティガン、和歌書文庫でした。
ありがとうございました。
はい、ありがとうございました。
46:02

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