もっとちゃんと役者としてだけじゃなくて、
貢献したいっていうので今プロモ担当になってて、
ちゃんとあの水野エンターテイメントにインターンしていて、
水野エンターテイメントってなんだっけ。
つづるのさ、同級生のさ、厄介オタクいらっしゃる。
はいはいはい。
だからそこがそういう会社だから、
そこの広告部門にインターン生、
就活インターン生で行って、
なんかいろいろ勉強して持ち帰ってきて、
劇団運営に役立ててるっていうのが今今増美くんの現状で、
なんかずっと天后の主に女性の観客と役者のね、
その構図がね、疑似恋愛みたいな想定で、
こうなんだろうね、
まあいろいろ提供されたり、
提供されるものにそういう色がついていたりとか、
あとこのオタク文化と不明人って本がありますけど、
そこの帯にもう私たちの消費は正しいのだろうかっていうことが書いてあったけど、
なんかそのラブロマンティックイデオロギーのおままごとみたいな、
ロマンティックラブイデオロギーだね。
ロマンティックラブイデオロギーだね。
なんかそこがね、私はすごい嫌なんですよ、ずっと。
なんかなんだろう、結婚してる意味で言っても説得力がないと思われるでしょうが、
クソクライフと思ってるんですよ。
たまたま何か収まりがいいところに収まってるだけなんだけどなっていう気持ちがあって、
別になんか婚姻制度にすごい賛同しているわけでもないし、
なんかなっていう気持ちがあるわけ。
で、テーマが一個書きたくて、
だからその増美が監督に対するなんだろう、
最初増美から監督への矢印っていうのは恋愛感情以外を知らなかったからああいうアプローチになるわけじゃん。
そこからちゃんと成長の結果、そうじゃない形になっていく。
あとその恋愛が実らなくてもそれでバッドエンドじゃないっていう話をちゃんと周りがするから、
なんかそれは僕もそういう風に育てっていうメッセージだよなって思ってて。
なんか元々増美全然好きじゃないんだけど、最初がそういうキャラクターだからさ、うげーって。
なんかもうそういうの担当なんだって思ったら、ちゃんとそうじゃないよねっていう成長するキャラクターになったから、
すごいなって思ってるんですよ。
2代すごいなと思ってるのが増美とあずまさんの変わり方なんだけど、
なんかそこまでしかまだ考えてない。
なるほどね。
で、なんだけど、この間別の原稿書いたじゃん。
つか今週。
はい、今週ね。またこれもね、またちょっとまだこれは告知していけないやつかもしれないから。
ピチピチのやつをさ、書いたっていうか喋ったのに起こしてみたいな形でやってみたんだけど、
で、なんかその中でも私愛って言葉を使ってるじゃん。
そうだね。
で、まあ、私に限らずだけどオタク愛って言葉を使いがちじゃん。
でもなんかさ、その、なんていうの、その異性愛的な、資生てる異性愛みたいなもの以外にもガンガン使っていけば済まるんじゃないかっていう気持ちで、
だから反向心として愛って言葉を乱用してるところがあるなって自分で思った。
いたるところにあるからみたいな。
その男女一組の男女の恋愛だけが、そのそれまでの過不調性的な婚姻を彫刻できるほどの素晴らしい力を秘めてるわけじゃなくて、あらゆるところにそれがあるじゃんっていう。
だから一つさ役目はあったわけじゃん。その恋愛結婚っていう。
それ以前のさ、家同士の結婚っていうものから恋愛結婚に、ゲームチェンジするために恋愛市場主義っていうものは一つ役割があったし、
だからロミオとジュリエットは今読んでもそう言うんだけど、当時の価値観からするとすごい、何て言うか破壊的な行為なわけじゃん。
戒律を破るの方の。
ロレンス神父やばい人だなっていう話なんだけど。
でももうそういう時代じゃないというか、一個役割を得て保守になっちゃったところがあるから、
じゃあその恋愛市場主義を保守とした場合の確信は何なんだろうっていうところで、
なんかもう愛を偏在させていくっていうのが一個アプローチなのかなっていうのが、
なんか私がやたら愛って言いたがる一個理由なのかもなってこの間原稿を書いてちょっとふと思ったっていう話でした。
なるほどね。希少価値があるもんじゃそんなにないみたいな話。
まあそう。だからその、もともとの恋愛結婚ってその結構運命的というかさ、
抗えないものであるから仕方なく認めないとロミジョリみたいに死んじゃうからっていう話じゃん。
基本的にまあその、西洋の結婚そのものが、離婚なんてありえないわけじゃん。神への誓いだから。
というか本来神にだけ捧げる愛を生身の人間に差し出すのであればそれぐらいの覚悟でやれっていう話だから。
そうなの?
うーん、別にエロスはいくらでもいいけどアガペはダメじゃない?
うーん、そうなの?
基本的に結婚ダメだよね。その保守的なケースと共に。
まあそうね。
それはもう散々されてる議論じゃん。
うーん。
っていうのでさ、別にそうなんか、結婚に至る程度の恋愛はいくらでも世に存在すると思う。
うーん、ん?
なんか話が違うな。
違うくなってるよ。
ていうかまあなんかそもそも結婚はそんな大したものだと思って。
うん、そう思う。
だから恋愛もそんなに大したものだと思っている。
というか恋愛じゃない関係性の方が希少価値の難易度も高いと思っている。
うん。
それは個人の感想。
うん。
っていうところですごいなんかグニャってなって。
うん、今終盤すごい見失ったよ。今聞いてて。
うん、だから私がこういう感じだから全然書けない。
なるほどね。
でもなに、それはあなたにとっての仮想的がその恋愛的な意味での愛ってこと?
うーん、なんか恋愛的な愛として配慮を応援していると思っている政治、政治じゃない経済活動。
あー、なるほどね。だからなんかガチ恋みたいな話?
うん、だからタイムリーな話をすると、
明日私はホンダレオのカレイベに行くんだけど、カレンダー発売イベントをカレイベって言うんですけど。
カレンダー発売、まあカレンダー発売イベント自体は結構特殊なイベントだよね。
そうだよね。そう、この時期はね、みんなね、
来年のカレンダーのね。
1月始まりのカレンダーの発売がね、
販売があるんだね。
この時期たくさんあって、
ブロマイド付きのね。
俳優は、
ほぼカレンダーとしての手を出してない、ほぼ写真集みたいなやつね。
12枚、もしくは24枚の
ポストカードにちょろっとカレンダーがついてみるみたいなものを、
しかも壁かけと卓上2冊セットにして、
必ず2冊セットなんだ。
なんか本来そのディレクションとして意図していないスピードで見ている時点で
制作者の意図を無視しているという態度は変わらないのに、なんかスローならすごいじっくり見てるっていうことになる
なるような気がして、早送りって言うのはうわーって言われるけどスローでうわーって言われるのは見たことないじゃん
マニアックですねっていう、WAVEマニアなんだみたいな
どうじゃん
どういうことなんだろう
定点とスロー再生は同罪
うん、そうだもんね
でもそれで言ったらいいやつ、演劇を何回も見るの、同じ回を何回も見るのも
演劇の一回性を無視してるよね
映像で芝居見ること自体は元々抵抗あったから、そこからなんだけどさ
っていうのでウニャウニャしてきた
描けないかも
え?
難しい話だね
そうなの?
僕は別に各自好きに見ればええんちゃうとは思うんだよ
別に0.6倍速だろうが、6倍速だろうがね
別にその楽しみ方はそれぞれとは思うわけ
その上で生で感激するっていうことの不自由さがあるとすると時間に関しては飛ばせない
だけれどもその中でもとにかくこの人だけを見るんだっていうことをするのも
一個の早送りとか0.6倍速的なナンセンスの実践としてはありだと思う
実際だってそれをすることによって欠けてる感想があるわけだし
別にそれ自体は別に好きにすりゃええんでないのっていうのはありつつ
僕らをやらないっていうところの話として
じゃあなんでそれをやらないんだろうみたいな話をするのかどうかなみたいなところだよね
まあ嫌って言ってるけど大前提として人の感激スタイルに口出すの自体が品がないから言わないよ
心の中でああそうなんだって思ってるだけだよ
嫌っていうことじゃん
何が言いたいか結局なんでさお芝居見たりさ本読んだりさするかってさ楽しくしたいからじゃん
基本的にね
こういうのも楽しいよっていうことを書ければ
天語論的なので言うとこういう風なのも楽しいよって見方の定義なわけじゃん
嫌?
違うんだ
別に感激スタイルの話をする気はない
じゃあ別にててんじゃない関係ないね
マスミを見習って成長してくださいっていうことだけを言いたい
それは別に感激スタイルとしての定点を具体的に
言いたいわけじゃなくて
なんかその
なんか
えっと
もうちょっと話を広げると
マスミが演劇その監督
なんだろうな
その第7回公演で演劇監督がいなくなっちゃっても
というか監督が結婚する夢を見ちゃうんだよね
でその時自分は芝居を続けるんだろうかって思うっていうのがきっかけとして
具体的にあって
でも最終的に続けるのがそれが俺から監督への愛だから
もしそうなったとしても続けるっていう結論を出すわけ
でそれって結局好きな人の好きなものを愛することが一つの愛の形であるっていうさ
筋書きなわけじゃなくて
それはそのまま観客と俳優の関係性に変わって
俳優じゃなくてもいい
演出家でもいいし
とりあえずそのクリエーションしている側でその
演劇を作っている人たちの誰かを好きなら
それは自分の好きな人が好きな演劇を愛そうよって思うわけ
で定点は演劇を愛する態度じゃないと思っているから
その槍玉にあげてるけど
別にそうじゃなくてもなんかその
演劇全体を見ずに
なんかこの自分の見たいところだけを救い取って
今日も最高だったみたいなことを言うのは
そこになんか相互の交流はないわけじゃん
で演出の場合演劇の話を演劇ですしているから
見るべきものは演劇になるわけじゃん
他のものがテーマだったらね
例えば音楽をテーマにしたさ演劇とかも
一番ほかに来てるのはドクターストーンのお芝居で
最後に主人公の傷つばさが
これで子供向けの仕立てになってね
だからこれで科学の面白さを少しでも知ってもらえたら
すごい嬉しいって言ってさ
ドクターストーンという原作そのものよりも
そのドクターストーンという原作が
その取り上げている科学っていうものを
それこそ愛をさ
観客には届けたいっていう明確なメッセージがあったわけじゃない
あれはすごかったよね
例えばそういうことだよ
だからあそこで傷つばさかっこいいじゃなくて
せっかい作ろうせっかい作ってみろ
つばめすごみたいなところじゃん
その見るべきものは
家で空気砲作ろうかなみたいな
そう
ちょっとドクターストーンはね
あの姿勢がすごすぎて今ちょっと泣いちゃった
すごかった
エステを見に行くんだったら
演劇を見なきゃダメじゃん
絶対
逃げ場ないじゃん
だからそれをずっと受け取らなかった
最初の頃のまさみがいて
監督という子しか
対象目的化してるんだよね
監督からに興味を持ってもらう
それは話が進むとわかるけど
親の代わりなんだなっていう
ちゃんと見てくれる親がいなかったから
監督が大根なりに
ちゃんとセリフを届けようと思って
通行人のまさみに
エチュードでね
セリフを届けた瞬間に
まさみはすごいそこに対して敏感だから
この人は今俺に向かって喋ってくれてるっていうことで
それだけでもさ
目に止まるからね
僕は全然意識してないから全然見てないけどね
今日は別のところ見ようって思うのに
結局見ちゃうみたいなさ
それはストレートのシーンでも起こるから
これダンスになってくると話が別で
ダンスは上手い人を見るんだよね
好きな人じゃなくて
私がホンダレオを目当てでコンボを見に行ったのに
もう山の光が出てきた瞬間から
ごめん今見れないみたいな
これ今山の光出てるから
見れないから同時に出てこないでほしいみたいに
なってて面白いよね
面白い話ですね
ホンダレオ以外誰も知らないで見に行って
もうオープニングで
何あの人?って思って
そんなのがねついに
エステに出たよ
レニサーの初恋の偽人化
楽しみですね
あれは私たちのお父さんに似てるらしいよ
そうなんだね
お父さんあんな感じなんだ
あんな感じなんだ
っていう感じですね
うん
いやでも非常になんか面白い話だな
そう実はマスミはそういう子だったの
いや面白い話だな
絶対春7までエステでやったらしい
いや面白い話だよ
いや面白いな
どうしたら面白い?
なんか面白いな
それ結構今最近考えてることとも
志望大きくして広げていくこともできる話だなって思うんだよね
てかなんか不思議なの
ちょっとだから分かんないの
僕に
分かんないことがあるの
だからこれ分かんない話ね
はい
いない話なんだけど
僕らとは違う人の話するからね今から
なんか
なんか僕うっすらさ
全部何
なんかマジで漠然と全てっていうね
僕うっすらとこの世の全て大体好きじゃん
うん
だからなんか公園とかで
ところかまずまとわりつく犬的なメンタリティを僕は持ってると思ってるのねまず
そんな中でもなんか
何かしらあるタイプの本とか
あなたとかなんかこうさ
その中でもさらにさ
限界突破して好きになるものがさ
出てくる
お気に入りのおもちゃ
お気に入りのおもちゃが出てくる
みたいなこうスタンスだと思ってる
うん
何かを好きになるっていうことのハードルはそんなに高くない
なんか好きになったらとりあえず一回好きになっちゃう
みたいなこう感じが自分の中のスタンスとしてあるんですよ
はい
でねとかなんか基本的にはその僕はさっきさ
一旦さ何かを好きになるってのは排他的なものだもんねって言ったけど
あんまり僕それに決めてきてないよね
うん
理性で喋ってただけ
さっきは理性で喋ってて
でなんかその僕の実感としては好きなものができると好きなものが増えていくんだよ
分かりやすいのはだから僕はあなたのことが好きだから
あなたが好きな2.5次元舞台っていうものも好きになってたわけ
でこれはどういうことかって僕は最初見た時にそのまますぐにピンときてるわけじゃなくて
なんかでもあなたがこれをいいって言ってるんだったらなんかいいんだろうって思って
ある意味あなたの目を獲得していくような気持ちで見ていくうちに面白くなっていって
結果的にそれはだんだん別物の好きになってくるから
あなたがこうだって言ったのに対してすごいいやそれは違う
あれは絶対こういうことだよみたいなところで
自分の独自の目は出来上がっていってしまうんだけど
でもその最初にあるのはなんか好きな人の見ているものを
自分も好きになりたいってモチベーションなわけだよね
本もだいたいそうなわけ面白いなって思った本が何を引用しててとか
何を参考文献しててみたいなところから別の本を読むみたいな感じにしていくと
基本的になんか広がっていくんだよ好きなものと視野が
そういうものだと僕は素朴に思ってるところがあるから
そのさっきあなたが言ってたような話もすごいよく分かるの
その底辺じゃなくて舞台を全部見た方が楽しいよっていう話なわけじゃんそれは
好きなものを投下借りにその好きなものの目を借りて
もっと好きなものがたくさんある状態にしていくのが楽しいよねっていう話として
僕はさっきの話を聞いてるわけ
でもね多分ねこの話をさどうね定点としての
このこれだけを見たいっていうタイプの好きになり方に対して
言えるんだろうっていうのがねなんか分かんないなと思うんだよね
結構なんかそのタイプの違いってなんか多分結構違うんだろうなって思う
なんか合理的にはわかるの定点するのが
なぜなら演劇の映像はだいたい夜から自分が見たいところが見られると限らないから
今見とかなきゃっていうのでそのために現地感激を使うっていう選択を取らざるを得ないっていうのはあると思うのよ
最初からそれやってるのはどうなんだと思うんだけど
それはなんか望んでやっているか
本人の意識は望んでやってるかもしれないけど
なんかそう仕向けられているところはあり得るよねって思うわけ
定点的な好きになり方っていうのは別にベイブーをさめっちゃ何回も見ると変わんないと思うのよ
その個室の仕方っていうのは
ベイブーは何回も見ても変わんないんだけど
現地で定点してたら今日の芝居は違かったっていうのは絶対あると思うんだけど
それそんな楽しさはわかる
ベイブーは変わるけどね繰り返すと
なんで変わんないよ
変わるよ
昼寝だったら伸びてるかもしれないけど昼寝さえないんだから
ベイブーは変わるよ
それはあなたの目が更新されるってこと
そうそうそう
新人代謝だね
だからなんだろうある意味すごい贅沢だなとは思うよ
だから演劇じゃなかった
ていうかそれがその人単独で成立しているシーンだったら全然いいよ
それは視力の問題だから
視力がパサイズクだったらそう見えてたから
知らんけど
それをしょうがなく双眼鏡で代替してるから
それはメガネかけたのと一緒だからしょうがないよ
そこまでは拡大解釈できる
でもそうじゃない
横で隣の人が大切なことしてたらしい
知らなかったじゃないよ
好きとかも人によって全然違うこと言ってる
私はどっちかっていうと全てのものが薄ら嫌いじゃん
スタンスは一緒なんだよね
ゼロがどこにあるかだよね
薄ら嫌いだから薄ら全部避けたいよ
それはないわけじゃんまとわり作るわけじゃん
薄らみんな好きだからね
それは違うよね
そこは違うかもしれないけど大体一緒じゃない
関心の持ち方としてフラットから始まるんだよ