00:04
みんなに伝えてるんじゃない。あなたに伝えてるんだ。
始まりました、「大人の近代史」。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。これはあれだね、あの、おが太郎が大人の方々に向けた言葉っていう感じかな。
あ、本当に?それでもいいんだけど。そうそう。いやでも、そんな思いもあるんだけど、これさ、あの、たまたまさ、今日、ポッドキャスト、またいつものように聞いてて、いろんな番組。
トッキンマッシュの支部さんがさ、雑談っていう番組があって、そこでね、なんかね、これと全く一緒じゃないけど、こういうニュアンスのことを言ってた。
ポッドキャストってさ、みんなに伝えてるっていう感じじゃなくて、その今聞いてるあなたに伝えてるんだっていう。
おお、なんか。そういう傾向があるよねっていう。
まあでも確かにさ、うちらもさ、ね、悪く思う方ももしかしたらいるかもしれないけどさ、誰かに聞かせてるんだっていうさ、こう、不特定多数のさ、誰かっていうよりは、なんか聞いてくれてるファンのためにこうやってるっていうような感じは持ってるからさ。
ああ、はいはいはい。そうそう、なんか本当そのあなたって言葉はなんかすごく適してるなって思った。
で、ポッドキャストに合うよね。うん。なんか変な話、100万人聞かなくていいから本当、まあ100人でもさ、もっと少なくても10人でも1人でもいいんだけどさ、すごいしっかり聞いてくれる人のためにやりたいなっていう気持ちはある。
ああ、確かに。それ強いよね。今こうしてさ、どんな状況で聞いてるのか、人それぞれじゃん。
うん。今日も席に座れずに手すりにもたれかかってるあなただったり。
洗い物で手荒れがひどくなってきたあなたかもしれないし。
なんだよ、それ。
まあ、そんな今日は長丸があなたにどんなテーマを伝えてくれるのか楽しみです。
このいつもの流れ何なんだろうね。楽しみですって。本当にオトラは楽しみにしてんのか、俺のこのコメントを。
いや、知ってるでしょ。この開始で1日が始まるんだから。
多分もう小片郎がどんなね、この導入をしてくれるかが楽しみなんだと思うけど。
まあいいや。今日は江戸時代における朝鮮通信史をやりたいと思います。
えー、何それ。朝鮮通…朝鮮か。
朝鮮通信史。
はいはいはい。
そう、朝鮮通信史っていうのは、江戸時代ってさ、鎖国をしてたじゃん。
で、その中でも、鎖国と言いつつ実は外国との交流っていうのは実はあったんだよね。
はいはい。
まあ有名なのがオランダ。
うん。
まあオランダがさ、他の国を追い出して日本とほぼ専属で貿易ができるようにっていうような状況を作ったんだけど。
03:01
うん。
オランダが有名なんだけれども、まあ実はオランダ以外にも、例えば中国ともしてたんだよね。
はいはい。
で、今日のテーマの朝鮮とも交流があったんだよねっていう。
あーはいはい。
で、その朝鮮との交流の時に、朝鮮から通信史って呼ばれる人たちがこう来るんだよ。
まあそれで朝鮮通信史って呼ばれるんだけど。
うんうん。
ただ、ここでちょっと朝鮮通信史って全部統一して言うんだけど、正確に言うと朝鮮平冷史っていうのが正しい名称らしいんだよね。
あーはいはい。
そう。俺もさ、これ初めて聞いたなと思ってさ、知らなかったって思って、今日は朝鮮通信史でちょっと統一させていただきますと。
うん。
で、まず朝鮮通信史の経緯なんだけど。
うんうん。
まあ実はこの経緯が今日一番長くなるんだけど。
はいはい。
で、もともと朝鮮通信史自体は室町時代から始まったんだよね。
えーそうなんだ。
これは室町幕府の三大将軍の足利義満の頃から始まったって言われてて。
うんうん。
きっかけとしては当時その日本海とかの海域で和光っていう海賊が出てたんだよ。
はいはい。
その和光っていうぐらいだから和って日本のことじゃん。
うん。
その日本の海賊を何とかしてほしいっていう要請を室町幕府に朝鮮の人たちが要請したことが始まりって言われてるんだよ。
へー。
そう、何とかしてよーみたいなところから交流が始まったみたいなね。
おーそうなんだ。
そう、実際幕府も和光の取締りとかはちゃんとするようになってっていうその辺の流れもあるんだけど。
うんうん。
室町時代から何回か行われてたの。
へーそうなんだ。
そう。
ただこれもちろん毎年やれるようなものじゃなくて、何十年おきに一回あってその後はまた何十年後みたいな感じで結構長いスパンっていうかさ。
そんなに一年おきにやってたとかそういうレベルの話じゃないんだよねまず。
あーだって行くのも大変だもんね。
そうそう、まあ行ったり来たりも大変だしっていうところで、まあ何よりもやっぱお金もかかるし。
うんうん。
そう、だからやっぱりそこまでね、今だったらさ飛行機でさ、朝鮮なんてさ、朝鮮というか韓国にしちゃうけど、もう2時間ぐらいで行けちゃうじゃん。
うんうん。
当時はさ、もう本当何ヶ月っていう期間がかかるから行くだけで。
命がけだよね。
そうそう、しかもほら海渡んなくちゃじゃん。
うんうん。
で、当時はさ、あのもちろんそんなエンジンなんてないからさ、反戦なわけよ。
うんうん。
風任せなわけね。
はいはい。
で、もう風向きが悪かったら帰るしかなくなっちゃうしとかさ、まあそういう感じだからとにかく、行ったり来たりすんのも結構大変だったしっていうような時代から、まあそういう通信誌っていう形で交流はあったんだよね。
はいはい。
で、ただこの通信誌も実は割と室町時代の、まあすぐでもないんだけど、黄泉の乱っていうさ、まあちょっと戦乱の世の中のこう入り口になる事件が起きるんだけど。
うんうん。
それ以降は途絶えちゃうんだよね。
06:00
えーそうなんだ。
そう、ほら日本が戦国時代になっちゃうから。
あーそれどころじゃないっていう。
そうそう、幕府の権威なんかもうないし、軍有格居なわけじゃん。
うんうん。
だからもう地方のさ、こう武士たちがこう戦ってさ、戦乱の世の中にそんなさ、朝鮮のさ、人たちがさ、こうのこのこうなんて出てこれないわけよなかなか。
はいはい。
そう、だからこれが途絶えちゃうの。で、約100年以上途絶えるんだよね。
うんうん。
で、その後に戦国時代っていうのは豊臣秀吉が最後天下統一して、まあチャンチャンになるわけなんだけど。
はいはい。
その豊臣秀吉が天下統一した後に一回再開されるのよ。
うん。
ただ、まあご存知の通り豊臣秀吉はこの後朝鮮出兵っていうのを行うんだよね。
あーそうなんだ。
そう。で、これがあの文禄慶長の駅って呼ばれるもので、1592年から1598年の間にまあ2回朝鮮半島に兵を送って、朝鮮をこう占領しようって。まあ正確に言うとその先の民までが狙いだったんだけど。
はい。
そう。まあ征服しようっていう。大陸の方にこう進出したいっていう野望があって、進出して。で、約15万ぐらいの大軍を率いて朝鮮に渡ったんだよね。
はいはい。
で、当時あの朝鮮を治めてたのは立志朝鮮なんだけど、その立志朝鮮を攻めて、で、民も立志朝鮮を助けるために援軍を送って、まあ要は日本対中国と朝鮮の連合軍みたいな感じで戦うんだよ。
はいはい。
で、最終的にはこれ秀吉が亡くなっちゃうんだよね。死んじゃうから撤退になるんだけど。
うんうん。
ただ、やっぱり日本も大軍で攻めてったっていうのもあるし、で、あと日本の兵は強かったんだよ。
あーはいはい。
これは戦国時代でさ、もうみんなさ、鍛えまくってたわけじゃん。
実戦経験してるからね。
そうそう。実戦経験してるさ、もう超強者がさ、天下統一してすぐ行ってるからね。だからさ、もうちょっと前まではもう戦乱の世の中だったさ、その武士たちがさ、戦う場がなくなったって思ってたら戦う場ができたみたいな感じだからさ。
はいはい。
まあモチベーションはそんな高くなかったとは言われてるんだけど、まあやっぱり単純に強いんだよ。
うんうん。
だから結構朝鮮側、まあ民もそうだけど、大ダメージを受けちゃうのね。
はいはい。
だからそんな感じで、日本と朝鮮の関係っていうのはそこでめちゃめちゃ悪くなるわけよ。
うんうん。
だからさ、そんな状態でさ、攻撃なんかできるわけはないじゃん。
はいはい。
で、えっと、秀吉が亡くなって、豊臣秀吉軍は撤退して、とりあえず朝鮮半島は一旦平和になるんだけど。
うん。
で、日本ではその後、徳川家康が江戸幕府を開くんだよね。
はいはい。
で、その時に、日本の津島っていう島があるんだけど。
うん。
場所で言うと、あの、韓国から一番近い島みたいな感じ?
はいはい。
そう、武蔵からはね、直線距離で50キロぐらいしかないんだよね。だからめっちゃ近いんだよ。
はいはい。
で、その津島に、津島藩っていう藩があったのよ。
うんうん。
まあ、津島を統治してたから津島藩なんだけど。で、この津島藩っていうのは、昔からその朝鮮半島と攻撃をしてたの。
09:08
はいはい。
ただ、秀吉がさ、朝鮮を攻めるなんてことやったからさ、完全に交流が途絶えちゃったわけ。
はいはい。
で、何が問題だったかっていうと、津島って結構こう、産林が多い地域なんだよね。
うん。
だからさ、農業がほとんどできないのよ。
はいはい。
だから、農作物とかそういったものっていうのは、貿易で賄ってたんだよね。
うんうん。
だけどさ、秀吉が朝鮮出兵して、完全に交流が途絶えちゃってっていう状態になって、
一刻も早くさ、貿易は再開したかったのよ。
うん。
ただ、やっぱり津島藩って言ってもさ、まあ当時はさ、藩って国みたいなもんだけど、
朝鮮からしたらさ、和国みたいな感じでさ、こう、同じように見られてたわけじゃん。
はいはい。
だからさ、なかなかやっぱこう再開する目処が立たないわけよ。
うん。
ただ、ここで徳川幕府も、朝鮮とはまた貿易を再開したいなっていう気持ちがあったのよ。
はい。
まあ再開はしたいんだけど、ただ、徳川幕府っていうのはさ、外国とのこうやり取りをする経験なんかないわけよ。
うんうん。
まあこれはあの、ほとんどの大名がそうなんだけど、要はさ、国内でさ、戦ってただけの人たちじゃん、基本的には。
はい。
海外とのこう、貿易とかさ、まあもちろん通訳だっていないしさ、海外のことなんかみんな知らないわけ。
あー確かにね。
そうそう。
それで、外交の経験がある津島藩に、朝鮮とのその仲介を頼むんだよね、江戸幕府が。
あーはいはい。
で、朝鮮から、江戸幕府に、いや本当に、でもさ、朝鮮からしたらさ、ちょっと前まで、うちに攻めてきてた人たちだよみたいな感じじゃん、日本なんて。
はいはい。
だからさ、本当に大丈夫かなって言って、一回こう、家康に使者を送るわけ。
うんうん。
で、江戸幕府の意向を聞こうとするんだけど、ここで家康が朝鮮へ出兵する意思がないことは、もう明確に使者に伝えるのよ。
うんうん。
もう二度と攻めませんみたいな感じで。
はいはい。
で、そういう約束を経て、じゃあ再会しようかっていう話にまでこぎつけたんだよね。
うんうん。
朝鮮通信使を。で、ここで、すんなり朝鮮通信使が再会されたわけじゃないんだよ。
はい。
朝鮮側もさ、メンツがあるわけよ。
うん。
だって、ちょっと前まで攻められてた国とすぐ仲良くするっていうのもどうかなっていうのもあるしさ。
はいはい。
あとはさ、当時の外交関係で言うと別にさ、どっちが上とかどっちが下とかっていうのはないんだけど、たださ、やっぱりちょっとね、大陸の人たちっていうのはどっちかっていうと日本っていうのは下に見てる傾向はあったわけよ。
はいはい。
だから、そんな対等な感じでやりたくないよねっていう気持ちもきっとあったんだと思うんだよ。
うん。
とは言ってもさ、武力で言ったら日本の方が多分強かったから当時は。
はいはい。
だからあんまりこう上からもいけないしなっていうんで、まあ妥協案じゃないけど、日本の国書を携えた使者を先に送れっていう条件を出したの、朝鮮側は。
12:01
うん。
で、これって何の意味があるのかっていうことなんだけど。
はい。
当時の習わしっていうの、外交上の習わしとして、国書を先に持っていく方が立場が下なんだよ。
はいはい。
そう、だからそれを朝鮮は要求したわけ、日本に。
うんうん。
そう、だから、まああくまでも朝鮮の方がちょっとこう上だよみたいなところをちょっと示したかったわけよ。
はいはい。
これに困るのは津島藩なんだよね。
うん。
まあ津島藩が仲介してるから、このやりとりは津島藩と朝鮮の間でまずこのやりとりが起きたわけよ。
うんうん。
だから津島藩にさ、朝鮮がさ、日本の使者に国書を持ってこさせてくださいみたいな感じでお願いするわけよ。
はい。
で、津島藩は、いやーだってそれって徳川幕府認めないっしょみたいな。
うんうん。
だって徳川幕府からしたらさ、いやなんでうちが下なのみたいな感じになるじゃん。
うん。
貿易は再開したいけどみたいな。いやいやそんなのもう蹴るしみたいな感じになっちゃうから、津島藩はどうしようかって困るわけよ。
うんうん。
で、ちなみにもう一個条件が提示されてて。
はいはい。
通信史再開のための。
もう一個は、文禄慶長の役の時に、日本がこう兵で攻めた時に、その立朝鮮の先祖の墓を荒らしたやつがいるんだよ。
はいはい。
墓荒らしがいたのね。
うん。
その犯人を引き渡せっていうのが条件だったの。
おーはいはい。
だから、条件は先に幕府からの日本の国書を持ってくるっていうのが一つと、もう一個がその墓荒らしの犯人を引き渡せっていう二つで、これどっちも無理なんだよはっきり言って。
確かに。
名乗り出ないし、今さらっていうのもあるよね。
そう。まあ時代的には10年ぐらいしか経ってなかったから、まあ別に犯人は多分生きてるとは思うんだけど。
うんうん。
ただ、すごいさ、戦争の混乱の中さ、墓荒らしちゃった人がいるわけじゃん。
うんうん。
それが誰かなんて分かるわけもなくさ。
はい。
で、分かったところで犯人がさ、名乗り出るわけもなくさ。
うんうん。
っていうところで、涼島藩はもう決断するんだよここで。
はい。
捏造しようって。
えー。
そう。えーって感じなんだけど、涼島藩捏造すんだよこれを。
あ、そうなんだ。
そう。で、まず国書に関しては、それっぽいものを作らせるんだよ。なんか国書っぽいものを。
うんうん。
で、それで死者を送るわけね。幕府からの死者ですよみたいな感じで、国書持って、まあ偽の国書だけど、持って朝鮮に行かせるわけ。
うん。
で、犯人いるじゃん、墓荒らしの。
はいはい。
これは、適当に犯人2人3つくろって、あ、お前たち行ってこいっつって。引き渡したんだよね。
うんうん。
そう、もう犯人だからいいやみたいな、もうそういう感じなんだけど。
えー。
これで見事、朝鮮通信誌っていうのは実は再開するんだよ。
えーそうなんだ。
そう。ただ朝鮮側は、これ捏造だよねっていうのは多分分かってた。
はいはい。
これは朝鮮のそういう資料とかに結構明記されてるの。もう完全にね、もうおそらくこれは偽物に違いないみたいな記述まであったりするのよ。
15:04
うんうん。
っていう感じで分かってたんだけど、これはもう国対国のメンツっていうのを取ったんだよね。
あーそうなんだ。
そう。だから一応、偵察としては約束を守ってきてるわけじゃん。
はいはい。
偽の国書は持ってきてるし、先に。あとは犯人じゃないけど罪人は引き渡したぞみたいな。
えー。その罪人どうなったんだろうね。
あ、処刑。
そうだよね。そうなるよね。
これ、そうこれもあれなんだよ。
罪人はね、一向に白状しないのよ、朝鮮に連れてかれて。私はやってませんってずっと言ってんのよ。
いやーそうでしょ。
そりゃそうだよねって感じなんだけど。だからさ、朝鮮がもうこんなおかしいでしょってなるじゃん。
うんうん。
そう。だからその記述も残ってんのよ。一向に白状しない、この罪人たちも怪しいぞみたいな。
はいはい。
そう。ただ、やっぱり国対国のメンツとかそういうものを守ったんだよね。
あの、だから朝鮮側からするとこれを送り返す方が無礼だなって思っちゃったんだよね。
うんうん。
そう。だから捏造だっていうのは多分わかってるんだけど、何にもなかったかのように普通に返礼までしたみたいな。
はいはい。
で、津島藩のすごいところは、この返礼も捏造すんのよ。
あ、そうなの。
そう。だからさ、偽の国書を持ってくじゃん。
うん。
で、その偽の国書には何かこう書いてあるわけじゃん。もちろん。
はいはい。
で、それに対して返礼の手紙を書くわけじゃん。朝鮮側は。
うん。
だから、その返礼の手紙を江戸幕府に持ってく前に津島藩ですり替えるんだよ。
はいはい。
で、矛盾がないようにしたの。
うん。
だから江戸幕府はこの捏造に気づかなかったの。
えーそうなんだ。
そう。これで朝鮮通信史は再開されて、まあ良かったねっていう話なんだけど。
うんうん。
この捏造話は実はあの後にバレるんだよね。江戸幕府に。
あーそうなんだ。
これは何でかっていうと、三大家密の頃なんだけど時代で言うと。
うん。
で、その頃に津島藩で御家騒動があったの。
はいはい。
藩主と家臣の御家騒動なんだけど、その家臣っていうのが結構力を持ってて、
この朝鮮との交易で結構力を持ってる人たちだったわけよ。
うんうん。
だから結構その藩主と家臣で意見が食い違うみたいなことがあって結構揉めてたんだよね。藩内で。
はいはい。
で、家臣の方が江戸にいたのよ。
うん。
で、藩主と仲が悪いじゃん。
うんうん。
だから、あーもうこれちょっと暴露しちゃおうっつって、あのこの家臣があの急に暴露しちゃうのよ。江戸幕府で。
あーはいはい。
そう、江戸にいるからもうこうやってじきそうみたいな感じで、実は捻造だったんですって暴露しちゃって、それでバレるんだよね。
へー。
そう、だから逆に言うと暴露しなかったらバレなかったんじゃんっていう話なんだけど。
うんうん。
で、この暴露も結構穏便に江戸幕府っていうのは済ませたんだよね。
はいはい。
なんか当時だったら普通に打ち首になりそうじゃん。
うん。
だけど、これ最終的に藩主はまあ悪くないってなって、暴露した家臣の方が悪いっていう話になったんだよね。
18:07
はいはい。
で、その家臣の方は留罪になったんだよ。
あー。
島流しね。
うん。
でもさ、え、普通説服とかじゃないのって感じじゃん。そんだけ捻造だよ捻造。
うん。
やったことはやばいんだけど、なんかその結果朝鮮と交易ができてるからっていうのも多分あったんだと思うんだけど。
はいはい。
まあ穏便に済ませられたんだよね。
うん。
まあそんな感じで朝鮮通信史が始まるまでって結構こうドラマがあったんだよね。
はいはい。
そう。まさかの捻造から始まったっていうね。
うんうん。
で、朝鮮通信史ってじゃあ実際あとはどんなものだったのかっていうところをちょっと説明したいんだけど。
うんうん。
通信史っていうのはまず、正史、副史、諸上官っていうこの3人がいるんだよ。
はいはい。
まあ正史ってあの正式な使いってことね。
うんうん。
まあこの人たちが要はさ、手紙を持っていくんだよ。
はい。
朝鮮から日本に。
で、その他に、まあてか死者としてはこの3人だけいればいいじゃん。
うんうん。
でも朝鮮通信史の特徴としてはとにかくね、王女体だったのよ。
はいはい。
騎手だったり、銃持った人だったりとか、料理人とか、あとは馬術師だったり、その馬術師の馬の世話をする人だったりとか、
あとは贈り物を持つ人とか、まあそういう感じ、あとは画家だったりとか、なんか水父たちもいたりとかっていう感じで結構なんかいろんな寄せ集めじゃないけどさ、すごい集団だったんだよね。
うんうん。
人数で言うと、だいたい1回の通信史で500人ぐらい来たんだよ、朝鮮から。
えー多いね。
そう。こんなに多くの人間がわざわざ通信史として来てたんだよね。
で、津島藩を経由して来るんだけど、津島藩で敬語の兵とかも加わるんだよね。案内役とか。
うんうん。
だから朝鮮通信史とその敬語の兵たちを合わせるとだいたい1500人ぐらいいたって言われてるんだよね。
はい。
で、この1500人が、まあプサンからまず津島に船で来るんだよね。
うん。
で、津島からも船で大阪まで来るんだよ。
はいはい。
で、大阪から中の川まではこう船で行くんだけど、京都の手前ぐらいで降りて、そこから陸路で京都に寄って、あとは江戸にこうひたすら行くっていうような感じ、この1500人が。
うんうん。
で、冒頭でも言った通り、当時の距離だからめちゃめちゃかかるんだよ、とにかく時間が。
はいはい。
全工程で行くだけで、だいたい8ヶ月から10ヶ月ぐらいかかったって言われてるんだよね。
うわーかかるね。
そう。で、これはやっぱり航路、船がとにかく時間かかっちゃうんだよね。
うん。
津島から大阪までが、もう1ヶ月半ぐらいかかってたから、で、そこからさ、陸路でさ、半月ぐらいはかかるのよ、大阪から江戸までって。
はいはい。
っていう感じで、結構ね、やっぱね、船旅に時間がかかっちゃったりしたんだよね。で、別にさ、そのずっと歩き続けてるわけじゃなくて、地域地域で滞在したりするから。
うんうん。
21:00
やっぱそれだけ、来るのも大変だったっていうような感じなんだよね。
はいはい。
で、通信誌がじゃあ、あとは日本に与えた影響っていうところに入りたいんだけど。
うんうん。
ま、まず日本に与えた影響もそうなんだけれども、日本の様子を海外にこう伝えたっていうところも大きいんだよね。
はいはい。
鎖国してるからさ、やっぱりさ、日本っていう国はさ、どんな国かがわかんない。まあ、対外的には全然わかってなかったわけよ。
はいはい。
でも通信誌が結構ね、当時の日本の様子とかを文章にして書いて残してるんだよね。
うん。
だから結構こう、対外的に日本っていう国がどんな国かっていうのは、そこからこう知られてったっていうようなことも言われてるんだよね。
はいはい。
で、あとはま、日本にとっての部分になるけれども、この朝鮮通信誌っていうのはとにかく庶民にとってのもう、大娯楽だったわけよ。
うんうん。
朝鮮通信誌と似てるものにさ、大名行列っていうのはあるんだよね。
はいはい。
じゃあ何が違うのかっていうと、県乱豪華さがもう全然違うんだって。
へー、そうなんだ。
そう。そもそも大名行列ってさ、こう通ってる間は頭を上げちゃいけないとかさ、なんかそんな感じでちょっとカタックルしいわけよ。
うんうん。
で、そもそもね、江戸幕府がさ、大名にお金を使わせるためだけにやってるようなものじゃん、あれは。
はいはい。
そう、だからさ、無駄に人も多いだけでとかさ、別にそこに何もなんつーの華やかさがあるわけでもなんでもないからさ、ただたださ、あの刀持った武士が偉そうに歩いてってるようなのが大名行列のわけよ。
はいはい。
それと全然違って、朝鮮通信誌っていうのはさ、ちょっと前にも言ったけど、いろんなこう、貴主がいたり、料理人がいたりとかさ、象頭物をこう抱えてる人がいたりとか、とにかくあとみんなさ、その朝鮮の着物を着てたりとか、すごい派手なんだよね。
はいはい。
そんな感じで、なんだろうね、ちょっと語弊はあるかもしれないけど、こう大道芸人が来ましたみたいな感じのノリなわけよ。
あーはいはい。
そう、見るだけで楽しめるみたいな。あの、例えばディズニーのさ、パレードなんかもみんな見てさ、楽しんでるような感じ?
うんうん。
ああいう感じで、まあ異国情緒あふれるさ、そういう格好した人たちがさ、で、しかもなんか途中でパフォーマンスとかもやってくれるのよ、いろいろ。
へーそうなんだ。
そうそうそう。楽器隊とかもいるから。
はいはい。
だから、もうなんか沈丼屋みたいな感じなのかな、ちょっとイメージ的には。違ったら申し訳ないけど。
うんうん。
そう、そんな感じで、とにかく庶民の、江戸の庶民の娯楽になったんだよね。
あーそうなんだ。
そう、もうだから朝鮮通信士が来るってなったら、もうとにかくさ、もう矢島がこうたかるみたいなさ、そんな感じ?
うんうん。
っていう感じで、日本では結構こう評判だったというかさ、人気を博してたっていう。
はいはい。
で、あとは、日本のその食文化にもちょっとこう影響を与えたっていう側面があるらしくて。
うんうん。
当時日本っていうのは、肉食をしなかったんだよ。
おーはいはい。
文化的に肉を食うっていう文化がなかったから。
うん。
そう、だから魚とかさ、野菜、米とかもうそういう感じのものを食べてたんだけど。
24:03
はいはい。
大陸の人たちっていうのは、あの肉食文化があったのよ。
うん。
で、朝鮮通信士が日本に来るときにさ、日本でやっぱり何ヶ月もさ、工程かかるからさ、ご飯も食べるわけじゃん。
うんうん。
その時にさ、肉料理がないわけよ。
うん。
やっぱり朝鮮の人たちがすごい不満を持つわけ、そういうのに。
はいはい。
しかも、ま、料理人は自分たちがいるからさ、なんとかなるけどさ、肝心の肉がないわけじゃん。
うん。
だから、江戸幕府はそういう朝鮮通信士のために、日本人は食べないんだけど、鳥とか牛とか馬とか、
馬、ごめん、馬はあげたかわかんないけど、なんか鳥とか牛とかそういったものを献上して、
それで連れてきた料理人が料理して食べたって言われてるんだけど。
はいはい。
それを見て、あ、その日本人がね。
なるほど、ああやって料理するんだって言うんで、
初めのうちはその朝鮮人が料理してたんだけど、何回かこう朝鮮通信士が来るようになって、
日本の方でもレシピ本を作って、料理ができるようにしたのよ、そういう肉の料理を。
うんうん。
で、こう肉をさばいて、料理して振る舞ったみたいな記述が残ってて。
えー、そうなんだ。
そうそう。だから料理っていう部分で、肉食文化っていうのが、まあそこからすごい広まったわけじゃないんだけども、
日本はそういうところからも外国の文化、食文化っていうのを学んだとも言われてて。
はいはい。
で、特にキムチとか焼肉なんていうのも、まあ韓国って言ったらなんか今キムチとか焼肉ってイメージあるじゃん。
はいはい。
やっぱりこの時もさ、通信士っていうのはそういうものを食べてたわけよ。
うん。
だからそういうものを食べてるんだっていう記述があったりとか、まあ日本でもそういうものがちょっとずつこう出てくるようなきっかけにもなったんだよね。
はいはい。
そう。だからこういう食文化っていうところでも、朝鮮のものがこうちょっとずつ入ってきてたっていうところも。
えー、そうなんだ。
そう。こんな感じで通信士っていうのは、まあ結構日本に影響も与えたし、まあ逆に日本から朝鮮側にこう影響与えたっていう側面もあるんだよね。
うんうん。
まあ最後ちょっとまとめに入るけど、この朝鮮通信士っていうのは江戸時代で計12回来たんだよ。
うん。
で、最後に来たのが11代将軍の徳川家成の時なんだけど。
うん。
これが1811年なのね。
はいはい。
まあこの時は正確に言うと津島半止まりだったんだよね。
うん。
幕府も、あのほらもう幕末ぐらいになるとさ、財政がとにかくやばかったわけ。
うんうん。
だからもてなすことがなかなかできないっていうところもあったし、
あとは朝鮮側も強策が続いてたのよ。
はい。
その時期って。だから費用調達ができなくなっちゃったわけ、朝鮮側でも。なかなか日本に行くための費用が難しいってなって。
で結局その1811年の最後の12回目の通信士は、津島半まで来て、津島半でまあどんちゃんやって帰ってったっていう感じなんだけど。
うんうん。
そう。でそれ以降幕府も朝鮮側も何とか交流を保とうとして通信士をやり取りしようと頑張るんだけど、結局幕末の動乱は続いたっていうのもあって、計画倒れというか計画結構進んだんだけども計画倒れになってしまってそのまま明治時代に入ったっていう感じなんだよね。
27:12
うんうん。
こんな感じで江戸時代の朝鮮通信士っていうのは行われてたんだよね。
はい。
でまあ最後、日本とその朝鮮、江戸時代っていうのはさ、まあ要は仲は結構良好だったわけよ。
うんうん。
きっかけはさビジネスライクだったわけよかなり。
うん。
朝鮮からするとちょっと前まで敵だった日本と急に仲良くしたっていうのはちゃんと理由があって。
はい。
当時、民はそもそもなんだけど、日本が朝鮮を攻めたせいで民が戦ったじゃん。
うんうん。
豊臣秀吉軍と。
それであのだいぶ疲弊しちゃうんだよ、民自体が。
はいはい。
そんな中、民の次の新王朝の元になる黄巾っていう国ができるんだけど、
うんうん。
創始者のぬるはちっていうのが結構朝鮮側にも圧力をかけてきてたわけ。
うんうん。
まあ時代的にね。
で、それで朝鮮は民もそろそろやばいな、もうなんか後ろ盾なくなっちゃうな。
で、日本とも争ってるような状態はまずいって思ったんだよ。
はいはい。
それで、あのまあ初めはこうビジネスライクに日本ともちょっともう一回仲良くしときたいっていう感じでこう始まってったんだよね。
ああそうなんだ。
で、これって結局さ今の時代もなんか同じだなと思っててさ。
はいはい。
まあ日韓関係って決して良くないじゃん。
うん。
隣同士の国なのに。
まあこんな状況だけど、でも今はさ一応交流もあるしさ。
大きなところで見るとまあ仲はいいっていうか一応同盟国の括りみたいな感じで一緒になってるわけじゃん。
はいはい。
で、この関係はもう結局ビジネスライクだよねっていう。
はいはい。
韓国からしたらさやっぱり北朝鮮の脅威はあるわけでさ。
それでさ日本ともさ敵対なんて絶対できないわけよ。
うんうん。
っていうところで結構この時代の情勢とすごい似てるなとは思ったし。
はい。
なかなかね隣同士なのに仲良くなれないっていうちょっと残念な国同士にはなってんだけど。
はい。
まあ朝鮮通信誌みたいな感じで何だろうビジネスライクでもいいから
敵対っていうかさ仲良くやっていけたらいいんじゃないかなってちょっと思った次第だなっていうところでちょっと今日は終わりにしたいと思うんだけど。
はい。
小片郎最後感想で締めちゃってください。
そうだね最後の韓国の国同士ではやっぱり仲があまり良くないけど。
うん。
何だろう人同士というかさ韓国に横行く人とか好きな人ってめっちゃ多いじゃん。
とかあの韓流ブームとかねそういった意味でさなんか民間レベルで見るとそんな感じは受けないことも多くてさ。
うん。
そうそうただなんかこの国ってなるとまた全然違くなるっていうのがね。
うん。
感じることもあって。
うん。
あと今回のさ長丸が扱ったテーマその朝鮮通信誌か。
うん。
30:00
日本とさその鎖国時代とかさ関わりがあったのってやっぱり思い浮かぶのがそのオランダとかでさ。
うん。
まデジマか。
うんデジマだね。
うんデジマでさ交流があったっていうようなことはなんかよくその教わった思いでもあるんだけど。
うん。
なかなかこの朝鮮通信誌って俺全然記憶にないぐらい教わったのかな。
教わった。
教わったんだ。
教わる。
でもまあこんなにね細かくというか具体的に習うっていう機会はなかったからすごい良い勉強になったね。
まあね12回しか来てないから逆に言うと1回1回細かくさあの資料とかもあるんだよ1回目はこういう施設でした2回目はこういう施設でしたみたいな感じでさ時代時代。
で来る目的もちゃんとあの決まってて例えば将軍の代替わりの時にその就命のお祝いみたいな感じで来ることが多くて。
はい。
であのほら11代将軍の時に最後途絶えるからさまあ要は12回しか来てないっていうのはそういうことなんだけど。
ああそうなんだ。
そうそうあとは将軍になってすぐ死んじゃう将軍もいたから。
はいはい。
そういう時はあのちょっと知性の長い将軍の時に2回来てたりとかするんだけどそういう感じでねなんか幼少幼少では徳川幕府のお祝いのためにこう来るみたいな施設でもあったからね。
決してだから両国の関係が悪かったわけじゃないんだなっていうのはすごくわかるんだよね。
はいはい。
もう本当にあの最後の話に戻っちゃうけどさいやなんかもうちょっと仲良くできたら本当はいいんだけどねっていうところだよね。
はいはい。
じゃああのということで今回は朝鮮通信誌についてでした。
はい。
もしよかったらですね大人の近代史で概要欄にコメントを送るフォームがあるので私いつも通勤の時に聞いてますとかどんな状況で聞いてるのとかそういえば知りたいなみたいな思ったんでもしよかったら気軽に何でもいいのでコメントください。
はいお待ちしてます。
それでは最後まで聞いていただいてありがとうございました。
ありがとうございました。