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文豪、夏目漱石は言った、「すべての人間は恥をかくために生まれてきた。」
始まりました。「大人の近代史」よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
あ、夏目漱石出ましたね。
出たね。
こころもやったからさ、うちらは。
そうだね、長まろがね。
すべての人間は恥をかくためにって、やっぱ誰しもがさ恥をかいてきたというかさ、
恥をかいてない人って逆に言えばいないよね。
大なり小なりみんな恥は通ってきてるとは思うよね。
ね、まあということで、今日は長まろがどんな恥をかかせてくれるのか楽しみです。
はい、今日は全く恥をかかなかったですね。
どういうこと?
今日のテーマは、紀尾井坂の変をやりたいと思います。
紀尾井坂の変、知らない。
事件名で言うと知らないんだけど、起きた出来事を言うと、ほぼ歴史を学んでる人は100%知ってる。
紀尾井坂の変って、大久保利道の暗殺事件。
あ、そうなんだ。
そう、っていうところみんな知ってるじゃん。
紀尾井坂事件とかっていう呼び方もあるんだけど、紀尾井坂の変でちょっと今日は統一したいとは思いますね。
はい、なんか大久保利道が暗殺されたのは知ってるけど、具体的にはわかんないわ。
そう、これ俺さ、そもそも一番初めに知った理由っていうのがさ、実はさ、ルローニ献身なんだよね。
あ、そうなんだ。
ルローニ献身で大久保利道って出てきて、暗殺されるところまでちゃんとやるんだよ、漫画で。
えー、そうなんだ。
まあ、ちょっと暗殺のされ方は若干違うんだけど、暗殺した人が獅子尾誠のね、直属の、なんていうの、超片腕みたいな瀬田壮次郎に殺されるわけで、それはもちろん架空の人物だからさ。
うんうん。
ルローニ献身はちょっとそういうデフォルメあったけど、実際事件としては起きたのは事実なわけ。
えー、そうなんだ。
そうそう、だから俺、その時ね、ちょっといつぐらいの時代だったか忘れたけど、えー、大久保利道って暗殺されたんだっていうのは、なんか漫画の出来事だけどこれ史実だっていうのは知ってたから。
あー、そうなんだ。
そうそう、なんかそれで知ったんだよね、実は。
うーん。
まあ、大久保利道が暗殺されたっていうのはなんとなくさ、別にルローニ献身読んでなくてもさ、なんとなく知ってる人多いと思うんだよ。
うん。
で、ちょっと今日はその事件にこうスポットライトを当てて、テーマとして扱いたいなと思いますと。
はい、お願いします。
はい、で早速なんですけれども、えーとまず清居坂の編っていうのは、これ1878年の5月14日に起きた事件なんだけれども。
えー、そうなんだ。
そう、で1878年ってさ、年後で言ってもちょっとピンとこないと思うんだけれども、これ西南戦争が1877年にあったわけね。
うんうん。
で、そこで最後坂森は死ぬじゃん。
うん。
で、ほぼ同じ時期に木戸孝良、もう病気で亡くなるのよ、1877年に。
うんうん。
そうそう。で、秘針の三傑って呼ばれてたのは、そのさっき言った西郷坂森、木戸孝良、であと大久保利道でしょ。
03:07
うんうん。
そう、この3人っていうのは実は結構近い年月で亡くなるんだよね。
あーそうなんだ。
そうそう。だって、あのさっきの2人は1877年で、で大久保利道はもう1878年の5月だから。
うんうん。
秘針の三傑っていうのは実はもうこの最後の大久保利道が暗殺されたことによって、もう終わるというかさ、みんな死んじゃうんだよね。
あーそうなんだ。
そうそう。で、まあここでちょっと扱いたいのは、あのまあ大久保利道なんで、ちょっと大久保利道っていう人物を説明したいと思いますと。
はい。
大久保利道って多分名前はみんな知ってるじゃん。
うんうん。
ただじゃあ何をした人っていうとさ、なんか西郷坂森にこう、なんか一緒にいるようなイメージって言えばいいのかな。
あー。
こう具体的に何かをしたって言われると、なかなかこうピンとは来ない人の方が多分多いと思うんだよ。
うんうん。
で、さっき言った通り本当にこれ西郷坂森と一緒に、いわば倒幕運動を参加して明治時代を築いたっていうのが最大の功績なわけなんだよね。
うんうん。
で、そのイメージは全然決して間違ってなくて。
うん。
で、ざっくりと言うと大久保利道っていうのは薩摩、西郷坂森と一緒で薩摩藩出身。
うん。
で、下級武士の出身で西郷坂森とは年が3つ離れてるのかな。3つ西郷さんの方が上なんだけど。
あーそうなんだ。
そう、ただ幼馴染みたいな感じで、もうちっちゃい頃からこう見知ってる仲っていう感じ。
うん。
そう、だからすごい仲良しなわけよ。
へー。
だから倒幕とかさ、そういった流れになった時も一緒にこうついてってっていう感じになったわけよ。
あーそうなんだ。
そうそう。で、ほら、あの薩摩って薩摩だけでさ、結構長州と争ってたりもしたけど、
最終的にはほら、薩長同盟でさ、手結んでさ、それで倒幕に一緒にこう傾くわけじゃん。
うん。
で、その時に長州の桂小五郎だけど当時は、人高義も加わって一緒に倒幕運動にこう参加していって明治維新を築いた。
で、その功績から維新の三月ってこう呼ばれてたわけだよね。
あーはいはい。
で、実際これ明治に入ってからじゃあ大久保利道っていうのはどういうふうなことをやっていたかっていうと、
役職で言うと参議とか大倉卿と役職としてはつくんだよね。
うん。
参議っていうのはなんだろう、今の日本でちょっと例えづらいからあれなんだけど、朝廷の位なんで。
あーそうなんだ。
明治維新ってほら、朝廷にこう政権を介してるわけじゃん。
うん。
昔さ、例えば田上大臣とかそういうさ役職あったわけじゃん。その朝廷がトップにいた頃って。
うんうん。
まあ要はそういう役職があるわけ、朝廷には。
はいはい。
で、その中の参議っていうのはまあ要はもう何人かいるんだけどトップの役職なわけ。
あーそうなんだ。
そう、だから明治政府家でもトップにこうい続けたっていう感じで、大倉卿っていうのは大倉省とかさ、大倉大臣って言えばもうちょっとピンとくる人いると思うけれども、今でいう財務省的な感じだよね。
うんうん。
お金を扱ってる官職って言えばいいの。
はいはい。
そういうところにポジションとしてついていたっていうのがあって。
06:02
うん。
で、その後1873年に内務卿っていう役職を作るのよ。
はいはい。
で、この内務卿っていうのがいわゆる今でいうところの内閣総理大臣に一番近い役職になるわけよ。
あーそうなんだ。
そうそう、当時内閣総理大臣っていう役職ないから内務卿がまあほぼトップって思っていただいていいと思うんだけれども。
うんうん。
そう、内務卿に大久保利道が作るのよ。
はいはい。
で、ここで大久保利道がいわゆる富国強兵、食産工業っていう政策を打ち出して、
ガンガン日本の工業家だったり軍国家っていうのを押し進めていくわけよ。
あーはいはい。
だから大久保利道の明治維新後の貢献っていうのは、
その富国強兵とか食産工業っていった部分がすごく大きいんかなって個人的には思ってる。
あーそうなんだ。
とにかく日本の基礎の基礎を固めた人っていうイメージでいいと思うんだよね。
へー、影のね。
そうそう、影のトップっていう感じ。
うん。
で、大久保利道がその富国強兵や食産工業っていうのを押し進めた理由っていうのは、やっぱり外国の影響が強いのよ。
はいはい。
実際にイギリスとかドイツとかそういったところの国と比べたときに、当時の日本っていうのはもう完全に劣ってたし、
うん。
で、やっぱり他国からいつ侵略されるかわからないっていう状況で、とにかく軍隊を強くしなくちゃいけない。
で、特にイギリスの工業を見て思ったんだけれども、イギリスのような工業国になれば国が豊かになれるっていうんで、
その2つのスローガンを掲げて押し進めてったっていう感じなんだよね。
はいはい。
そうそう。で、そんな感じで大久保利道っていうのは、なんつーの、日本を良くしよう良くしようってどんどんやってたんだけれども、
うん。
あるとき、清官論っていう言葉が出てくるのよ。
うんうん。
清官論ってなんとなく聞いたことない?
うん。あの、勧告。
そうそうそう。
だよね。勧告が絡んでるよね。
そうそう。あの、清官論ってあの、征服するのせいに、勧告の勧で清官論なんだけど、
うん。
まあ、簡単に言うと、勧告を武力で開国させようっていう運動なのよ。
うんうん。
ちょっとね、これいろいろ異論があるから、今ザックバランにしか言わないけど、
うん。
江戸時代ってさ、当時朝鮮とはさ、国交があったんだよね。
うん。
朝鮮通信士とかっていうのがあって、
うん。
日本って当時鎖国してたけれども、オランダとかさ、一部のそういう信とかさ、朝鮮とか、まあ琉球っていうところとはこう貿易をしてたんだよね。
はいはい。
だから国交が実は朝鮮はあったんだよ、そのときは。
うん。
でも王政復古したことによって、国交が断絶するのね。
はいはい。
今まで江戸幕府と取引していたのが天皇に変わって、で、なんて言うんだろうね、簡単に言うとちょっと天皇が偉そうになってたから気に食わなかったんだよね、たぶん朝鮮がね。
うん。
で、それで国交を断絶するわけ。
はいはい。
で、そんなのがちょっとこう何年か続いたから、明治政権内で韓国を武力で何とか開国させよう、まあ征服しよう、まあ極端に言えば征服しようっていう運動がこう起こるのよ。
09:07
うんうん。
で、これ一時期は西郷隆盛が、じゃあ韓国に自分が施設として行って話し合いしてきますっていうところまで段取りが組まれるのよ。
うん。
でもこれに反対したのが大久保利道なんだよね。
あーはいはい。
で、行くっていうはずの西郷隆盛をもう行くなってなって、結局西郷隆盛が朝鮮には行かないんだけれども。
うん。
で、この青函論を巡って西郷派と大久保派みたいな感じで分かれて対立することになっちゃうんだよね。
うんうん。
そうそう。で、仲の良かった西郷隆盛っていうのは、まあその青函論を押しつぶされたことによって、まあ何人かこう仲間を連れて政権から去っちゃうんだよね。
はいはい。
もう辞めるっつって。
うん。
で、西郷はその後田舎に戻って、知ってる通り西南戦争を起こしてっていう流れになるんだけれども。
うん。
で、そんな中、その青函論を潰したことによって大久保利道っていうのは結構氏族から恨まれるの。
あーはいはい。
そもそも青函論って何で出てきたかっていうと、いろいろ理由はあるんだけれども、その理由の中の一つに、氏族って当時さ、まあ元々武士だった人が、要は市民平等だっつってさ、こうなんつーの、武士の特権を奪われてってた時じゃん。
うん。
だからただでさえこうちょっと不満を高めてたんだよ、氏族っていうのは。
うんうん。
だけど、その不満を吐き出すところがないわけよ。
あーはい。
で、そこで目をつけたのが韓国っていうところだったんだよね。
はいはい。
だから朝鮮半島を侵出すれば、そういう氏族たち、戦う場ができるから、まあ要は不満を反らせるよねっていう。
あーはい。
まあそんな理由も一応あったんだよ。もちろんそれだけが理由じゃないし、そんなのは理由のほんとちょっとしたところなんだけれども。
うん。
でもさ、そんな中潰されちゃうわけじゃん、青函論すら。
うん。
だから結局それで氏族っていうのはどんどん不満が高まって、でもう不満が爆発するわけよ。
うん。
で、各地で反乱を起こすわけ。で、一番有名なのは西南戦争じゃん、それの最たる例が。
うん、そうだね。
他にはあの佐賀の乱とか、まあ江東新兵がトップだった佐賀の乱とか、新プーレンの乱とか、いろいろこの九州地方、特に反乱がこう次々と起こるんだけれども。
うん。
で、その反乱っていうのを、あれだね、反乱っていうか反政府運動だね、もう完全に。
うん。
を鎮圧するんだよ、多く落とし道っていうのは。
あーはいはい。
そう。しかもかなり徹底的に潰すのよ。
うん。
例えばあの、もともと仲間だった江東新兵とか殺して、で仲間だったけどもう晒し首にしてとか、もうほんとすごいひどい扱いをするわけよ。
あーはいはい。
そうそう。そんな感じで、とにかくもうやるからには徹底的にやるっていう感じで反政府運動をこう鎮圧したことによって、やっぱり無理やり鎮圧させられた私族たちっていうのは、こうやっぱりずっと不満を持ってるわけよ、多く落とし道に対しては。
うん。
それでその不満を持った私族の一部が長くなったけど清居坂の変を起こすんだよね。
はいはい。
ちなみになんだけど清居坂っていう名称ね、場所なんだけれども、今も清居町っていう地名があって清居坂っていうのももちろんあるんだけれども、そこの場所に紀州徳川と尾張徳川と彦根の伊、まあ伊って伊尼助とかの伊家の屋敷がその辺あったんだよね。
12:13
はいはい。
そう、それでそれぞれの頭文字、紀州徳川の紀でしょ、尾張徳川の尾、で、伊家の伊、で清居、で坂があったから清居坂、で町は清居町っていう感じで名付けられたんだよね。
あーそうなんだ。
そうそうそう。
へー。
で、大体麹町とか今駅で言うと赤坂とか、まああの辺って言えばいいの。
うん。
あの辺で起きたんだよね。で、1878年の5月14日に大久保利道が明治天皇に越見するために家を出るんだよね。
うん。
馬車で。
うんうん。
で、当時護衛はつけてなかったのよ。
はいはい。
内務卿で、あのほぼトップの内務卿についてる人が護衛もつけずに馬車で、従者と馬操作するあの御舎はいたんだけれども、要は3人でこう出てったわけ家を。
うんうん。
で、清居坂にこう差し掛かる手前、自宅を出発して明治天皇がいるところにこう行くときに清居坂のところを通るんだけれども清居坂の手前のところで襲われるんだよね。
あーはいはい。
そう。で、まず馬を止められるの。こう前に2人ぐらい出てきて。
うん。
で、馬がこう止まってさ、従者がいやちょっとどいてよみたいな感じで話しかけたんだけれども、どいてどいてって。
うん。
でも突然刀を抜いて馬を斬りつけるんだよね。
あーはい。
で、馬はもちろん立ち止まるじゃん。斬られちゃうから。で、従者はびっくりして逃げるんだよ。
うんうん。
で、もちろんこの人も斬られたりするんだけれども、命には別状はなく、この人は助かるのよ。
うーん、そうなんだ。
従者は。で、外が騒がしいなっていうんで、その御舎、馬操作してる人が馬車のところから降りようとしたら刺されて、この人はそこで亡くなる。
で、最後馬車の中にいた大久保利道は、この襲った氏族、6人いたんだけれども、6人この氏族に馬車を開けられて引きずり出されるんだ。
へー。
まあもちろん引きずり出される前にもう斬られたりはするんだけど。
うん。
で、その時はまだ生きてたの、引きずり出された時は。生きてたらしいしかちょっと言えないけど。
はいはい。
で、引きずり出されて、そこでめった斬りにされて絶命するんだよね。
うーん。
で、この時大久保利道の遺体って、なんか相当ひどかったらしくって。
うーん。
そう、全身にまず16箇所の傷があって、そのうちの8箇所がもう頭に集中してたんだって。
へー。
そう。で、斬られたぐらいじゃなかなか人って死なないから、もう重傷でもピクピク動くからさ。最後解釈としてこう首に刺されるんだよ、小刀を。
うーん。
それはもう貫通して地面にもう突き刺さってたっていう感じなんだよね、首に刺した刀が。
へー。
そう。で、頭いっぱい切られてるじゃん。
うーん。
だからもう脳がこう見えてたらしいのよ。
15:00
うわー。
っていうような感じでもう壮絶、もうとにかくさ、そんな明治の功労者で、かつ日本のもうトップが、そんな無残な殺され方をしちゃうんだよね。
うーん。
これに関して、じゃあなんでそもそも、氏族が不満を持って殺したかっていうところで。
うん。
で、この氏族の代表が島田一郎っていうんだけれども。
うんうん。
この人が石川の氏族なんだよね、石川県の氏族。
はいはい。
残韓状って言って、まあ要は私たちはこういう理由で大久保利道を殺しましたみたいなさ、なんだろう宣言状みたいなのを出してるんだけど。
うん。
それにはね、一応ね、こう書かれてて。項目で言うと5個あって、まず1番がなんで殺したかっていうところだよ。
議会を開かず、民権を抑圧し、政治を独裁した罪があるってまず言ったんだよ。
うん。
で、これに関してはさ、議会はね、後々開くじゃん。最終的に国会っていうのはこの後にできてくんだよ。
うん。
で、憲法だってこの後にできてくじゃん。
うん。
そう、たださ、日本っていうのはそんな準備ができてなかっただけなんだよ。
うんうん。
そんなさ、じゃあ議会作りまーすってさ、じゃあ明日から作りますなんてことできないわけじゃん。
うん。
明治維新がさ、1868年でさ、そっから10年後なんだよ、1878年で。
うん。
だから、ゆくゆくは作りたいけれども、ちょっと今それどころじゃないよねっていう状態でもう判断されちゃってるんだよね、まずこのその1に関しては。
うん。
で、その2の部分なんだけれども、法令を乱用して私利私欲を横行させた罪がありますと。
うん。
これに関しては1と一緒なんだけれども、結局まださ、明治維新こう間もない時代でさ、なんもさ、整備してる段階だからさ、
そこだけを見て、なんか私利私欲って言われちゃうと、多分なかなか難しいところだと思うんだよね。
うんうん。
国づくりの最中なわけじゃん。
うん。
だからこの2もなんか、うんって感じなんだよね正直。
うん。
で、次3つ目。普及の工事や無用な就職をすることによって国財を浪費した罪があるって言ったんだよね。
うんうん。
これこそ大幅な勘違いなんだけれども。
うん。
大久保利道ってこれすごい、人物的にもすごい優れた人で、最後亡くなった時さ、さぞ大層な遺産があるかと思いきや、
うん。
借金しかなかったんだよね。
へー。
そう。なんでかっていうと資材を投げ売って公共工事にお金出してたんだよこの人。
あ、そうなんだ。
そう。借金がね8000円ぐらいあったって言われるんだよ。8000ってちょっと今のレートで言っちゃうとピンとこないからさ。
当時ってだいたい今の金銭価値って3000倍から4000倍ぐらいって言われてて。
うんうん。
だから3×8×24×4×8×32だから3200万とかそれぐらいの金額なんだよ。
へー。
を自費で出してて、借金しか残ってなかったの。
あ、そうなんだ。
そうそう。で、まあちょっとこれは余談だけれども、最後亡くなった時にさ、遺族がさ借金まみれになるわけじゃん。
うんうん。
で、当時日本って別にその裕福じゃないからさ、そんな何千万なんていう金の借金なんて返せないわけよ普通。
18:00
ね。生命保険もないしね。
そうそう。そんな保険もないしさ、死に存になっちゃうわけよ。
うん。
だからそこはさすがに国のさ中心だったさ、大久保利道だからって言うんで、国で遺族の面倒は見てあげた。
あ、そうなんだ。
そうそう。で、もうこれも完全な余談だけどさ、ほら大久保利道の子孫って吉田茂だったりさ、今で言うと麻生太郎さんがいるわけじゃん。
うんうん。
で、超大金持ちじゃん。なんか助けなくてよかったんじゃね?とかちょっと思っちゃうけどね。そう考えると。
まあそれはね、貧乏人のちょっと悲願みが入っちゃってるんだけど。
伊藤博文とかもなんか資材の励打ってとか、なんか聞いたことある。
当時ってやっぱりさ、なんだろ、今の政治家とはやっぱりちょっと違うんだよね。
あーね、一から志を持ってさ、なんか国を変えていこうという熱意がすごいよね。
そうそう。俺たちがこの国を変えるんだ、作るんだ、欧米の侵略からなんとか耐えるんだ、みたいな感じでさ、全然そのバイタリティが違ったわけ。
ちょっと脱線しちゃったけど。で、残韓状に戻って4つ目。
忠説有酷の死を排斥し内乱を引き起こした罪がある、という形で書いてあって、これはほら、さっき言ったさ、反政府運動を徹底的に鎮圧したでしょ。
で、このことに対しての恨みって言うんだよね。ただ、内乱を起こしたのは別に奥本清道のせいじゃないよなーってちょっと思いつつ。
内乱を鎮圧したのはわかるけど、内乱を起こしたっていうのはちょっと違うかなっていう気はするんだけどね。
で、最後5番目が外交を誤って国の権威を失墜させた罪がある。
これがあれなんだよね、何とも言えないところなんだけれども、何のこと言ってんだろうなって俺は正直思うんだよね。
だって当時、外交って国との交わりってことね、外交を。
要は外交政策を間違ったことで、日本っていう国をダメにしたっていう、簡単に言っちゃうとそんな感じなんだけど。
どっちかっていうと当時はさ、やっぱりさ、もともと日本っていうのは下に見られてたわけじゃん、他の国からしたら。
だから失墜も何も失墜しっぱなしなんだよね、そもそもだけど。
だってペリー来てからさ、不平等条約結ばさせられてさ、いいようにやられてたわけじゃん。
だからこれは俺は正直何のことなんだろうっていう気はしたんだけど。
あれ、政観論のことなのかなってちょっと思ったのに違うんか。
政観論っていうところで言うと、これは結果論だけど大久保利道の方が合ってたわけじゃん。
あー、この後発展していくからね。
で、政観論ってさ、そう、ちょっとさっき触れなかったんだけど、政観論って言うとさ、もう韓国を征服してやろうっていうさ、感じしか受けられないじゃん、どうしても。
うんうん。
そんなに単純な話じゃなくてさ、当時っていうのは。
うん。
韓国と国交を正常化させることを優先させようっていう政観論とか、もう武力でとにかく支配してやろうっていう政観論だったり、武力で脅しをかけようっていう政観論だったりとかさ、要はさ、そのレベルが色々あったわけよ。
21:02
うん。
で、それらを一括りにして政観論でまとめちゃってて、まずそもそも論だけど。
はいはい。
そう、最後高森なんかはどっちかっていうと、自分がもう話し合いに行くぜって言ってたぐらいだから、
武力はなるべく使わないようにしたいっていう側の方の人間だったんだよ、どっちかっていうと。
うんうん。
でもさ、パッとさ、歴史をこう学ぶとさ、最後高森は政観論のさ、もうなんか中心人物ぐらいに書かれてるからさ。
うんうん。
それはちょっと、なんか政観論一括りにしすぎだよなっていう気はするんだけど。
はいはい。
そう、で、結果的に奥歩都市道っていうのは、当時は外交よりも内政を優先させたかったんだよ。
へー。
そう、いや、今は他の国のことなんか構ってる場合じゃないよねっていう。
うんうん。
日本をもっと発展させて、その富国強兵、食産工業の部分に結局戻るんだけど。
うんうん。
今はそっちだよねっていう。
あーはい。
で、実際これがもう当たったわけじゃん。
うん。
その後さ、こっからさらに十何年後に日清戦争があってさ、それに勝ってさ。
うん。
で、さらにもう十年後に日露戦争があって、これにも勝ってさ。
うんうん。
っていう感じで、ここでさ、やっぱり富国強兵、食産工業を推進したことによっての、やっぱり勝利だと思うんだよね。
うんうん。
だから内政を重視したっていうのはもう全然間違ってなかったというか、むしろ正解だったとは思うんだよね。
うん。
で、だから外交さ、間違ったっていうのは、まあまだわかるんだけど、別に国位は落ちてないよなーっていう気はしかしないんだよね。
はいはい。
そう。で、結局何が言いたいかっていうと、大久保利道殺され損じゃね?っていうとこなんだよね。
あー。
なんかね、ほぼほぼ勘違い的な感じで殺されちゃってんの、最終的には。
うん。
なんか、逆恨みっていうの。
はいはい。
うん。まあそもそもだけどさ、テロリストに殺されてるわけじゃん。
うん。
そう、大体は理不尽な殺され方なんだよね。これはどこの、大久保利道に限らずさ、そういうふうに暗殺される人ってもう、いや死んで当然だよっていう人あんまりいなくってさ。
はいはい。
ね、なんか、えーっていう人の方が多いわけじゃん。歴史こう、紐解いてみると。
うんうん。
ね、なんか味方だったはずの人に暗殺されるなんていうのはしょっちゅうあることじゃん。
はいはい。
ガンディとか特にいい例だけど。
うん。
そう、味方であるはずの人に殺されちゃったりとかさ、ね、日本をさ、こう良くしようと思ってるの結局味方じゃんそれも。
うんうん。
なのにさ、結局日本な日本人に殺されちゃうんだよ。
あー。
そう、なんかすごい残念な事件だよねっていうところだよね。
うんうん。
まあそんな感じで大久保利道のこの暗殺事件っていうのを今日は使ったんだけれども、これさ、結局、今にも通ずるものがあるなっていうのはちょっと感じてて。
うん。
やっぱりさ、大久保利道が見てるさ、未来っていうかさ、こう目線とさ、この氏族たちが見てる目線っていうのは違ったわけじゃん。
これって多分今のさ、政治とか考えてもそうなんだよね。
うん。
政治家がさ、なんか訳の分かんない政策やったりとかするじゃん。
うんうん。
で、多分それってこう一般市民の目から見てる目線と違うからさ、やっぱそう見えるんだよね。
うんうん。
そう、たださ、やっぱりさ、日本を悪くしてやろうって思ってるさ、政治家って多分いなくて。
24:00
うん。
見てるものは違うのかもしれないけど、向かってる方向は一緒のはずなんだよね。
日本をこう良くしようっていうさ、ところを見ていて、ただ、そこに向かう生き方のルートが全然違ったりさ、そもそも方向がこうね、ちょっとベクトルがずれていたりとかっていうことは多分あると思うんだよ。
はいはい。
そう、結局なんか、ほんとこの大久保利道もそういうさ、ベクトルの違いっていうのかな、あの見てる場所の違いでね、そういうふうに。だって普通に考えたらすごい人じゃん。
うん。
殺されるような人じゃないと思うんだよね。
はいはい。
この、やっぱ、後世の人間だからこう思えるのかもしれないけど。
うん。
やってきた功績を考えたらさ、決して暗殺なんかされちゃっていいような人じゃないんだよ。
うんうん。
そう、なんかそんな感じのことをちょっとふと思ったので、今日は取り扱いさせていただきました。
ということで、このテーマ、清坂の編は終わりにしたいと思うんですけれども。
うん。
最後、小片郎の感想で締めたいと思います。よろしくお願いします。
締めたいと思いますって。
いや、なんか、あの、そうだね。同じさ、西郷隆盛とさ、ほぼ幼馴染というか、そっから同じ志を持ってさ、日本を変えようって行動してきたわけじゃん。
うん。
で、でも結果、その西郷隆盛とはこう意見が分かれて、で、まあお互い最後すごい詩を遂げるというか、
うん。
なんなんだろうなっていうこのすれ違いというか、のをすごく感じたなと思って。
うん、そうだね。この維新の三欠ってさ、たぶんみんな志半ばなんだよね。
うん。
だからすごいもったいないし、残念だしっていうところもあるしね。
ああ、だから後々維新の三欠って言われるのかな。
まあ、そういう理由もあるのかもしれないね。だから悪いところがなく終わったじゃん。
うん。
いい意味で言えばね。
はいはい。
だから、もしかしたらさ、あの、ずっと長く生きてたらさ、山形有朋みたいにさ、ひどい言われようだったかもしれないしさ。
特定しすぎじゃん。
そう、なんか、長く生きたがためにさ、なんか後半が悪くなっちゃうとさ、なんかさ、そういう感じになるじゃん。
だってさ、亡くなったのも大久保利道って、まあ四十何歳とかなんで、確か。
うん。
まだまだ全然これから先があった年齢じゃん。
はいはい。
てか、あの維新の三欠みんなそうなんだけど、これから先まだ全然20年とかさ、あの政権にいてもおかしくないようなさ、年齢で亡くなっちゃってるんだよね。
うん。
だからほんとそういう意味でももったいないなーっていう。
ああ。
歴史のたられ場はないけどさ、
うん。
もし生きていたら、みたいなのはさ、なんかちょっとこう考えるのもまた面白いのかなって思いますね。
はいはいはい。
なんか、そうだね、あと、氏族の反乱というか、
うん。
明治が始まってさ、特に、まあある意味でこう、特権階級のような氏族だったわけじゃん、それまでは。
うん。
で、やっぱり明治に入ってからはさ、その氏族が特権がなくなってさ、
うん。
めまぐるしく変わるさ、この制度の中で、その良い思いはしてなかったっていうのは事実にあるかなと思って。
うん。
そうそう、まあその不満の吐け口が、一部の氏族が大久保と清道に行ったのかなっていうのは感じるね。
27:04
そうなんだよね。結局、テロリズムに走っちゃう時点で、てか、当時の日本ってやっぱり暗殺多いじゃん。
切ってるだけでもさ、すごい多いわけ。
そうだね。
しかもトップが結構簡単に殺されるからね。
うんうん。
なんかそれがびっくりだよね。
あー確かに。
内閣総理大臣何人殺されたんだよって感じじゃん。
あーその後もそうだよね。
うん、まあ伊藤博文はちょっと別だからカウントすんのもアレなんだけど。
うん。
なんか襲われた、殺されたっていうのはさ、結構あるわけだからさ。
はいはい。
ね、なんか、まあ物騒だよね、そう考えても。
あー確かにね。
うん。
じゃあ、ということで、今回は清坂の編でした。
はい。
まあ良かったら概要欄にお便りを送るフォームがあるので、
なんか感想だったりとか気軽に送ってくれたら嬉しいです。
はい、リクエストも受け付けてますんでよろしくお願いします。
はい、ありがとうございました。
ありがとうございました。