1. 「大人の近代史」今だからわかる日本の歴史
  2. 第64回 義烈空挺隊による沖縄..
2022-04-26 27:10

第64回 義烈空挺隊による沖縄戦「義号作戦」

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義烈空挺隊とはサイパン島の飛行場破壊を目的として集められた特殊部隊である。
選りすぐりの精鋭部隊で特攻に近い性質の任務を実行させることは賛否両論あったが
最終的には沖縄戦で投入されることとなる。
00:04
おはようございます。
あ、突然なんだけどさ。
ん?
大人の近代史ってさ、
うん。
なんて略して呼ぶのが、なんかいいのかなと思っちゃってる。
略?
だってさ、ほら、大人の近代史って長いじゃん。
あ、もうわかる。古典ラジオなら古典とかって言ってるわけだもんね。
そうそう。
おときんとかじゃない?
ね、おときんとかね。
ま、普通に考えたらおときん以外ないと思うよ。
だって、大人、脳で切ってるわけだからさ。
前と後ろでくっつけないとさ、略にならないじゃん。
いや、あと、おなきんとかね。
女性リスナーが消えるだけじゃねーかよ。
ますますね。
ただでさえ少ないんだからさ。
いやー、ね、まあそれは、皆さんが好きなように呼んでもらえたら嬉しいなと思って。
はっはっは。
まあ、ということで、大人の近代史始まりました。
はい。
今日は長室がどんな時代の略称をつけてくれるのか楽しみです。
はい、時代の略称はついておりません。
はっはっは。
えっと、今日は儀列空定体についてやりたいと思います。
えー、知らないな。なんか漢字が多そうな。
まあ、漢字5文字。
はっはっは。
じゃあ、もう早速ちょっと入っていきたいと思うんですけれども。
はい。
儀列空定体っていうのは、これは空定体っていう名前からわかる通り、日本の第二次世界大戦、大東亜戦争の時に作られた部隊で、空定体っていう名前からわかる通り、この前小片郎がパラシュート部隊の話とかやってたじゃん。
あー、落下3部隊のね。
そうそう、落下3部隊。
まあ、要は空定体って落下3部隊のことなんだけれども。
はいはい。
この儀列空定体っていうのは特殊部隊なんだよね、その中でも。
へー。
そう。どんな特殊部隊かっていうのはちょっとこの後に説明するけれども。
まず、その儀列っていうところ。
うん。
儀列って漢字でもちろん儀列なんだけど、正義の儀に列が、列階様の列なんだけど。
列階様って通じるかわかんないけど。
めっちゃ一部の人しかわかんない。
馬騎知ってる人しかちょっとわかんない。あれなんだけど、列ってあの、なんだ、列下の如くみたいなさ、列ってあるじゃん。
うん。
1列2列の列に下にさ、4つこうちょんちょんが入ってるやつ。
うん。
あの列、儀列っていうのはそういう字なんだけど。
はいはい。
なんか儀列っていう意味がそもそも、正義の心の強さっていうのを表してるんだって。
あー、そうなんだ。
だからもう、儀列空定体って簡単に言うともう超俺たち正義だぜ部隊ってことなんだけど。
うん。
まあそんな感じの一応名前がついている部隊が、大統和戦の時に作られたっていうところで。
はい。
で、これ結成がね、1944年の12月ぐらいで、もうほぼほぼね、日本結構敗戦濃厚の時じゃん、その頃って。
あー、そうだね。
そうそう、その頃に作られたんだよね。
03:01
うん。
で、これ作られた経緯っていうのが、もともと当時サイパンっていうのが、サイパン島っていうのがアメリカにこう取られちゃったんだよ。
うん。
で、サイパンっていうのはものすごくあの重要な拠点で。
はい。
そう、なんで重要かっていうと、日本ってその当時、戦線を拡大してて、どんどんどんどんアメリカに押し込まれてっちゃったんだよね。
うん。
戦争初期の頃ってさ、もうシンジュワーンとかさ、あっちのほうまで行ってさ、勝ってさ、でどんどんマレー半島を占領してとかさ、なんかラバウルとかさ、そっちのほうまで行ってたわけじゃん。
うん。
でもさ、アメリカ軍にこうどんどんどんどん押し込まれてって、これ以上島、いっぱい島あるからさ、守りきれないっていうことで、戦線を後退させたのよ。
うん。
集結させて、本土防衛というか、絶対国防ラインっていうのを作ったのよ。
うん。
で、その絶対国防ラインっていうところにあるのがサイパンだったわけ。
あー、そうなんだ。
そう。サイパン島を支手しないとどうなるかっていうと、サイパンに基地作られて、そこからB29が飛び立つと、ちょうど日本本土に到達して帰ってこれる距離なんだよね、サイパンって。
うん。
そうそう。要は日本本土に空襲されちゃうっていうところの絶対防衛ラインだったわけよ。
うん。
そう。で、サイパンもちろん取られちゃってさ、で、そこからさ、B29のさ、空襲っていうのが始まるんだよ、日本本土っていうのは。
うん。
で、もちろんさ、東京大空襲だったりとかそういうのもそうだけどさ、大ダメージを受けてるわけじゃん、日本本土って。
はい。
で、その大打撃を受けている原因っていうのはサイパン島の飛行場なわけじゃん。
うん。
で、そこから飛び立つB29の攻撃によって日本本土空襲されてるわけだから、このサイパン島の飛行場を使えなくしちゃおうっていう計画がこのギレツ空定体なわけ。
うんうん。
で、具体的にどうやって使えなくするかっていうのがこれがすごいんだけど。
うん。
多分ね、え?って思うよ。あの、俺はえ?って思ったもん、やっぱり初めて知った時。
へぇ。
だから普通さ、じゃあ飛行場を使えなくしたいって言ったらさ、ああもうそんなのじゃあゼロ戦で飛んでってなんか空爆すればいいんじゃない?
まあゼロ戦はあの戦闘機か爆撃機で飛んでって空爆すりゃいいじゃんっていう感じじゃん。
うん。
でも当時のこれ技術的な問題でピンポイント爆撃っていうのができないんだよね、当時って。
あーはいはい。
これ別に日本だからできないじゃなくてアメリカもできないんだよ、当時の技術だと。
うん。
例えばさ、じゃあピンポイントで日本のじゃあ今なんだ一番いいところって言ったら国会議事堂とかになるんかな。
国会議事堂を当時の技術で爆撃しますとかってなった時にアメリカ軍は国会議事堂だけをピンポイントで狙うってことは絶対できなかったわけ。
うん。
なんか大体この辺かなで落として国会議事堂の近いところを爆撃することは可能だったわけよ。
はいはい。
だからピンポイントにやるっていう技術は当時なくて、だから目的のものを破壊するっていう任務があった場合、とにかく大量に爆弾を落とすっていうもう物量でとにかく何とかするっていうさ感じだったわけよ。
06:03
うんうん。
だから大量の爆撃機と爆弾が必要になるじゃんそうなると。
はいはい。
でもさ、日本ってもう敗戦にかなり近い年月だったから物資不足だし、もちろんそんなに爆撃機飛ばす余裕もなかったわけよ。
うん。
だから簡単にサイパン島の飛行場を使いなくしたいから爆撃機を飛ばせばいいっていうところにはいけなかったわけね。
はいはい。
で、義烈空挺隊に課せられた任務っていうのが、これがさっきも言ったけどすごいんだけど、要は飛行機で行ってサイパン島のその飛行場に着陸して、人海戦術で、あとはもうマンパワーで破壊するっていう。
あーはいはい。
着陸すんだよ、だから敵のど真ん中に。
うん。
で、乗ってる何十人とかでもう爆弾とか放り投げたりとか、もうそういう感じで飛行場を破壊しましょうみたいな。
空挺部隊だけど陸に行って戦闘するんだ。
そうそうそう。だから空挺隊っていう名前はついてるけど、これあくまでも空挺隊に所属してた人たちが特殊部隊として集められて、そのままついたから空挺隊って名前ついてるんだけど、任務としては全然そんな落下さんで降下してとかじゃなくて、
とにかくどっちかっていうとアサシンとかに近いタイプだよね。もうなんかこっそり行って、こっそり着陸して破壊活動を行うっていう感じだから。
あー、アサシンって何アサシン。
暗殺者みたいな。
あー。
なんか本当に秘密部隊なわけよ、とにかく。
うん。
で、そんな結構無謀とも思える策を考えて、で、そのためにこの義烈空挺隊っていうのを創設して、実際にこう訓練とかもするわけよ。
はいはい。
で、この義烈空挺隊っていうのは集められた人はもうエリート中のエリート。
へー。
もう超優秀な人材。で、例えばさ、もちろん頭とかもいいんだろうけど、単純にもう武闘派?みんな柔道や剣道の遊弾者だったりとか。
うん。
で、もちろんその空挺隊から来てるから、そういう要因としてももう本当優秀な超絶エリートな人たちの集団を集めたわけね。
うん。
だいたい百何十人とか集めたんだけれども。
はいはい。
で、隊長が奥山充郎っていう、当時25歳の超若いエリートの隊長を抜擢して、それで指導させたんだけど。
うん。
隊員もね、みんな若いのよこれ。
あーそうなんだ。
隊員も本当に10代後半20代とか本当そのぐらいだから、別に隊長がめちゃめちゃ若いっていうほどでもないっていうところなんだよね。
あー。やっぱ戦争末期だっていうのもあるのかな。
まあそれもある、本当に。人員不足だったっていうのはもちろんあるんだけど、その人員不足の中でもとにかくエリート中のエリートを集めたっていう部隊。
はい。
で、実際その奥山隊長の指揮下で、まず練習するわけよ。やっぱりいきなり集められてさ、こんな感じの任務ですって言ってさ、じゃあ今から行きますとかってできないわけじゃん。
うん。
で、ちょっとこう訓練とかするわけね。で、実寸のB29の、爆撃機ってB29だから当時使ってたのアメリカが。
09:00
うん。
B29を破壊するっていう想定で、実寸のB29の模型作って、それにどうやって爆弾つけたら効率がいいかとか。
あーはい。
そうそう、相手の飛行場に降りて飛行場を破壊する、飛行機を破壊するっていうのが任務だから、B29をもちろん破壊するっていうのも任務なわけよ。
うんうん。
B29ってでかいのよ、とにかく。
へー。
そう、爆撃機の中でも当時結構でかい方で、いっぱい爆弾積んでいっぱい爆弾落とせるっていうのが一応、なんだろう、売りだったと言えばいいんかな。
とにかく大きいわけ。長さがだいたい30メートルぐらいあって、で、高さも5メートル近くあるのよ。
へー。
結構こう、近くに行ったらすげーこう見上げなきゃいけないぐらいの感じの飛行機なわけよ。
うん。
それにさ、爆弾つけようって言ったって、どうやってつけるみたいな感じになっちゃうじゃん、やっぱ。
そうだね。
そうそう、だから爆弾自体もこう磁石型の爆弾を用意したりとか。
うん。
あとは帯状の爆弾、なんかダイナマイトがこうなんかバーっといっぱいくっついてるみたいなイメージでいいと思うんだけど、帯状にしてうまく胴体に巻きつけて爆破させるみたいなさ。
うんうん。
そういうなんかこう、爆弾の取り付け方の練習をしたりとかってのをこうしてたわけよ。
はい。
で、いやそんなことやんなくたってもう自分に爆弾もやって突入すりゃいいじゃんってさ、なんかもう当時の日本だから思うかもしれないじゃん。
うん。
自爆ね、要は。
はいはい。
で、これは奥山隊長がもう絶対禁止って言ってたの。
あーそうなんだ。
そう、なんでかっていうとエリートの集団じゃん、このギレツクってやったいって。
うん。
エリートが1人の命で1機の飛行機ぐらいで満足すんなよっていう話らしいんだよね。
へー。
だから1人最低飛行機の台数で言ったら5機は壊せと。
はいはいはい。
が100人いたら500機壊せるわけじゃん。っていうような舞台なわけね。
で、まあエリートだからこう言ったんだろうけどさ、自爆を禁止したところでなかなかモチベーション上がんないわけじゃん。
敵地の飛行場に降りてさ、任務を遂行して帰りはって話じゃん。
はいはい。
そう、だから生存の確率の低い、もう特攻に近い任務だったわけよ。
うん。
で、そんな中希望が見えるんだけど、たまたまアメリカ軍がこうB29飛ばしてたのが墜落したんだよ。
うん。
そのB29の墜落現場にB29のマニュアルがあったもん。
へー。
操作マニュアル。
うん。
で、日本軍がそれを回収することができて、だからもうB29の操作方法がわかったわけ、そこで。
あーはいはい。
これで任務にB29を奪って帰ってくるっていう任務が足されるようになったわけよ。
うん。
これによってちょっとこう隊員の士気もすごい上がるわけよ。だって生きて帰れる兆しができたわけじゃん。
そうだよね。
まあこんな感じでちょっとこう訓練はやっていって、じゃあいつも行ってもいいぞっていう感じにも士気も高まって、よし俺らいつでも行けるぜっていう感じになるんだけど。
うん。
なかなか出撃命令が下んなかったのね。
はい。
で、これは理由があって、まあ結成が1940年の12月ぐらいで、でそこからこう訓練とかして1月とか2月ぐらいになるわけじゃん。
12:02
うん。
45年の1月2月とかになって、そこで実は45年の2月ってイオージマの戦いが始まるのよね。
あーはい。
で、実はそのサイパントを攻撃するために、攻撃というか飛行場に向かうためにイオージマの飛行場から出発する予定だったのよ。
うん。
でもイオージマが今戦地になっちゃったじゃん。
はい。
だからもちろんそこから飛行機飛ばすなんてできないし。
うん。
っていうことでちょっとマッターを食らっちゃったわけね。
うん。
出撃しようと思ってたのに行けないってなってさ、結構こうやきもきしてたんだと思うんだけれども。
で、そんな中イオージマは陥落したわけよ。
はいはい。
まあアメリカ軍の手に落ちちゃうわけ。
つまりもうイオージマからサイパンに向けて出発することは叶わなくなったわけね。
うん。
で、そこでじゃあいろいろこう意見が飛び交ったらしいのよ。
じゃあイオージマのためにとかさ、イオージマに行ってイオージマでやろうとかさ、とにかくこう作装したわけ、いろんな意見が。
うん。
で、やっぱりでも優秀な人たちじゃん。
うん。
エリートだからさ、取っておきたいのよ、大本営としては。
はいはい。
だから無駄死にさせるなんていうことはちょっともってのほうがというか。
うん。
だからまあもう無理して使わなくてもいいんじゃないかっていうちょっとこう風潮というか、なんかそんな空気も出てきてたわけね。
だって別にこの後さ、あの沖縄戦があって本土決戦って考えてたわけだから日本って。
うん。
だからそういうところでこう使ってったほうがいいでしょっていう。
あ、ちなみにこのあのギレ作ってたって本土にいるわけね、そもそも。
あーそうなんだ。
そうそう、ずっと本土にいるわけ。
だから本土にいるからさ、別に本土防衛に使えばいいじゃん。
うん。
っていう感じにな、ちょっとなりそうだったのね。
で、そんな時に1945年の4月にアメリカ軍が沖縄に上陸するのよ。
はいはい。
で、これはもう沖縄ってさ、よくさ、捨て石になったとかって言われたりしてるけど、
まあ実際アメリカ軍って50万ぐらいの大軍で来て、その沖縄を守備してたのって10万ぐらいしかいなかったから、もうほぼほぼ負けは確実だったわけよ、沖縄っていうのは。
うん。
で、とにかく時間を稼ごうっていうのが沖縄に課せられた任務だったから。
うん。
アメリカは上陸させて、あとはもうゲリラ戦で沖縄っていうのは戦ってったわけね。
はい。
だからあっという間に沖縄の飛行場とかはバッて奪われて、南の方でゲリラ戦というか、まあ局地戦をずっとやってたっていうような状態なのね、沖縄って。
うん。
で、そこでアメリカが奪ったところの飛行場が、北飛行場と中飛行場っていうのが2つあったんだよ。
うん。
で、そこに義烈空挺隊を使わないかっていう話が出てくるの。
あーはい。
そこにダメージを与えようという話が出てきて、これが名前を言うと義豪作戦って言うんだけど。
うん。
義烈の義で義の豪は一豪とか二豪とかの豪。
はいはい。
義豪作戦っていう作戦が立てられるの。
うん。
で、さっきも言ったけど、え、無駄じゃねっていう気もするじゃん。
だって。
あーはいはい。
優秀な人たちだから本土防衛に使えばいいじゃんって。で、沖縄は戦力差見てもさ、もう結構勝敗ははっきりしてるわけよ。
15:00
うん。
50万対10万みたいな感じだから。だから飛行場を使えなくしたところで別にアメリカ軍の数が減るわけじゃないし。
うん。
そんなに何か効果あんのかっていう、やっぱ言われてもいたのよ。
ただ、もう義烈空挺隊側として、もう何とか任務を遂行したいっていうのがあったらしいのよ。
うん。
ずっとさ、やっぱ特殊部隊として訓練をしてきて、やっぱ自分たちはちょっと特別なんだっていう思いもあったと思うんだよ。
うん。
でも、ただ飯をずっと食らってるような状態が続いてたわけね。
うん。
本土で。何も戦争に巻き込まれてないようなところで、ずっとこう、いい飯だけはこう食えてるっていうような状態が続いて、なんか隊員としてはすごくそれに罪悪感をずっと感じてたらしいのよ。
うん。
で、もう何としてでも、なんか任務を遂行させたい、やりたいっていうところで、まあ義烈空挺隊側からも声があったし、
その部隊長とかそういった人たちからも、何とか任務を遂行させてやりたいっていうような声が上がって、沖縄の義豪作戦っていうのが発令されるんだよね。
ああ、そうなんだ。
そう。で、義烈空挺隊っていうのは沖縄に行くのよ。
ああ、行くんだ。はい。
そうそう。で、沖縄の作戦をちょっと簡単に言うと、北飛行場、中飛行場っていう2つの飛行場があって、そこにそれぞれ飛行機、まあそれぞれっていうか合計で12機。
うん。
隊員が、まあ大体1つの飛行機に14人ぐらい乗って、かける12機で行くんだけれども、だから160人ぐらいの部隊になるのね。
ああ、結構いるんだね。
そうそう。で、12機で行って、北飛行場と中飛行場に分かれて着陸して、飛行場の破壊活動を行うっていうのが大まかな任務。
うん。
でさ、やっぱり言ってるだけならさ、ああ、着陸して破壊活動するのねって感じだけどさ、
うん。
着陸できるわけねえじゃんって思わない?普通に考えて。
うん、そうだよね。
もちろんさ、沖縄はさ、日本とアメリカがまだ戦闘中のところだから、完全にアメリカのものにはなってないんだけど、
うん。
アメリカ軍って、そのちょうど、北飛行場、中飛行場って今の地名で言うとヨミタンっていうところなんだけど、
うん。
ヨミタンっていうところから上陸してるのよ、アメリカって実は。
ああ、そうなんだ。
そうそう。だからもう、その50万が上陸してきたところのさ、飛行場だからさ、あっという間に占領もされてるわけ。
うん。
で、どんどんどんどん日本ってさ、こう南に追いられてて、その辺一帯っていうのはもうアメリカの完全に陣地だったわけ。
うん。
だからさ、要は敵の真ん中にある飛行場に着陸をするっていう任務なわけね。
はい。
当然のことながらこれ、うまくいかないんで、普通に考えて。
ああ、やっぱりね。
そうそう。で、これ、結果をちょっと言うと、12機中の4機は途中エンジントラブルでコンドに引き返すのよ。
うん。
だから、残る8機で突入するわけ。
はいはい。
で、8機のうちの、これちょっと正確な情報がないから、もしかしたら諸説あって間違ってるのかもしれないけれども、
6機が北飛行場、2機が中飛行場に向かったっぽいんだよね。
うん。
18:00
で、結果から言うと、1機のみ北飛行場に着陸ができた。
ああ、そうなんだ。
そう。残りは全部撃墜。
はいはい。
もちろん撃墜されて全員死亡ね。
うん。
で、1機だけものすごい対空砲火を飼いくぐって、機体もボロボロになりながら着陸できたのよ、北飛行場に。
うん。
で、もう着陸したらさ、中にいるのは超絶エリート集団なわけじゃん。
うん。
もう暴れまくるのね、出てきて。
ああ、そうなんだ。
そう。で、これがすごいんだよ。12人かな?12人いたはずなんだけど、
うん。
降りて、とにかく銃乱射して主流弾投げまくって、破壊活動めっちゃ行うの。
うん。
アメリカ兵も何人か倒したりとかして、最終的に飛行機全損9台。
うん。
で、29機をもう使用不可能になるまで破壊して、
で、かつ備蓄してあったガソリンのタンク600本をもう燃やし尽くしたわけ。
へえ。
そう。ただ全員射殺されて亡くなっちゃうんだけど。
ああ、そうなんだ。
そうそう。ちょっと余談というか、もうちょっと最後の方になるんだけど。
うん。
12人がさ、どうやって亡くなったかっていうのは正直あんまりちゃんと文献が残ってなくて、
うん。
いくつかその、北飛行場で何だ、写真が残ってるのよ。
で、その写真に義烈空挺隊のあの隊員がこう撃たれて亡くなってる写真とかもあるんだけど、
へえ。
破壊活動のその後をさ、こうアメリカ兵が多分撮ったんじゃない?写真を。
で、こう義烈空挺隊の隊員が何人かそこで亡くなってる写真とかもあるんだけど、
だから誰がどこで亡くなったかっていうのはちょっとよくわかってないんだね、正確には。
うん。
ただ隊員の最後の1人がザンパミサキってところまでで射殺されてんのよ。
うんうん。
で、北飛行場があった場所とザンパミサキって5キロぐらい離れてんのね。
はい。
まあ翌日の昼にもう射殺されてるらしいから、時間で言うと突入したのって夜なんだよ、夜の10時とか。
ちょうどあれだね、日が変わる直前ぐらいに着陸してそこで破壊活動してたわけ。
うん。
で、その翌日の昼ぐらいに残ってた隊員、最後の1人が射殺されちゃうんだけれども、
うん。
で、これなんでザンパミサキの方まで逃げてたかっていうところがちょっと考えさせられるっていうか、
擬似空挺隊ってさ、任務の性質上さ、ほぼほぼ死ぬじゃん。
うん。
敵地に飛び込む役割だから。
うんうん。
でもね、隊員っていうのは多分誰1人死のうと思ってなかったの。
あーはい。
それを表してて、この1人の行動っていうのが。
うん。
秘密部隊だから、もうすごいさ、もう任務内容っていうのは伏せられてて、
なかなかこう知ることはできなかったんだけど、その当時の人って。
うん。
後々こう、そういう文献とかを繰り返した時に、与えられてた任務が、あの飛行場の破壊だけじゃなくて、
うん。
その後に海上輸送炉にある物資を破壊することを命じられてたんだって。
うん。
だから海に出ろってとにかく言われてたらしいの。
あーはい。
それで山羽岬に向かったみたいなんだよね。
うん。
そこでもちろん任務はかなわず射殺されちゃったんだけど最後。
21:02
うん。
で、その後も実は任務が伏せられてて、山岳に籠っている日本兵と合流して、
ゲリラ戦を展開して生き延びろっていう任務だったらしいのよ。
うんうん。
だから、義烈空挺隊ってさ、もう特攻とはやっぱ違うんだよね。なんか性質が。
あー。
特攻ってさ、任務の成功イコール死じゃん。
うん。
だってゼロ戦に爆弾積んでさ、突っ込んでいくわけじゃん。
うんうん。
任務の成功っていうのはさ、もう自分の死と直結するわけじゃん。
はい。
そう、だから特攻っていうのはすごい儚さとかそういったものもこう感じちゃうんだけれども、
この義烈空挺隊っていうのはさ、特攻じゃないからさ、もうなんか生存の目的がある命令を課されてたわけよ。
その成功率は低かったとはいえ。
うん。
だからやっぱそこにさ、こう隊員っていうのもさ、なんだろう、やっぱり生きたいなっていう気持ちがこう現れてたんだろうなっていうのはすごい思うしさ、
高生に生まれた人間としてはさ、何が何でもこの戦争を生き延びてやるっていうこう思いがあって、
戦い抜いた人たちっていうのがいたんだなっていうのをこう知れるとさ、ちょっと熱い思いが出てくるかなっていうところかなって。
あーはい。
こんな感じでちょっと義烈空挺隊についてはちょっと今日は終わりにしたいと思うんですけれども、
うん。
岡太郎は義烈空挺隊って、なんかこの話聞いてどう思った?
いや、義烈空挺隊って言葉を初めて知ったし、こういう人たちがいたんだなっていうね、
のが分かったなと思って、
うん。
なんかやっぱ、でも戦争全般に言えるけど、こう人の命が簡単にこう簡単にというか、どんどんこう失われていくっていうような、
うん。
なんかそこは、今も世の中そういうのはあるけどさ、
うん。
やっぱそこをね、ちょっと考えさせられちゃうね。
そうだよね。結局さ、生存率はさ、こう低い任務なわけじゃん。
うん。
でもさ、あのちょっと話の中でも伝えた通りさ、隊員の指揮っていうのは決して低くなかったんだよね。
うん。
だってやっぱ自分たちからもこう行きたいって言ってたわけだし、何としてでも任務を果たしたいって。
だから指揮はすごく高かった部隊なんだよ、とにかく。
うん。
で、そこに対してさ、いやもうなんか戦時中だから、そういう教えの下で生まれたからとかっていう言葉でこう片付けちゃうっていうのもまたさ、
それどまりになっちゃうしさ、精神論で片付けちゃうのと一緒じゃん、それって。
うん。
だからしっかりとさ、なんか、じゃあどういう環境でそうなってしまったのかとかさ、なんかそういうバックグラウンドから全てこう含めて、
やっぱりこの義烈空挺隊についてっていうところは語っていかないといけないのかなとは思うね。
なんかあれだね、自分も出番が最初なかった時に戦いたいというか。
うん。
そういう思いって本当にさ、行きたいってあれば、行かないのがベストなわけじゃん、実際は。
うん。
やっぱそこはなんかね、当時の人の何なんだろうね、考えが今とはちょっと違うところもあるのかなと思ったけど。
24:00
そうだよね、やっぱり今の感覚だとさ、いやだって行きたいんだったらね、何とかこう出撃しないようにするがやっぱ一番いいって思っちゃうじゃん、今の多分感覚だと。
思っちゃうね。
そうそう、でもさ、義烈空挺隊っていうのは出撃してでも生き延びようっていうさ、なんかその感じがあったわけよ。
ね、国のためにみたいな。
結果出撃した人で、エンジントラブルトで引き返した4機の人は生き残ったけどもちろん。
へー、でも結構なエンジントラブルあったんだね。
当時さ、もうほら、日本ボロボロじゃん。
うん。
飛行機もさ、結構こう直して使って直して、物資不足だし、なんか多かったらしいよ、そもそも。
へー。
なんか特攻とかもさ、結局ゼロ戦乗ったはいいけどさ、エンジントラブルで動かなくて特攻できませんでした、でもそのおかげで生き延びましたって人も結構多いらしいじゃん。
うん。
当時あるあるなんかもしんないけど、で12機中4機って結構な確率じゃん。
結構な確率だよね、それ。
まあでも逆に言うとその4機生き延びてるからさ。
うん。
まあ幸運だったとしか言いようがないけどさ、この今風の言葉で言っちゃうと。
うん。
いやでも多分その生き残った4機の人たちも相当こうね、辛い思いはしたんじゃないかな。
あー複雑だね。
複雑でしょ、だって残り8機はさ、任務は一応遂行できたわけじゃん。もちろん7機は撃墜されちゃってるけど、1機が降り立ってさ、その7機の誘導とかもあったかもしれないじゃん、その1機が降り立った理由の中には。
うん。
だから決して無駄死にじゃなかったわけじゃん、7機だってそう考えると。
うん。
っていうところで8機全部で任務を遂行したって考えるとさ、当時の価値観から言うとおそらくすごい誇らしいことになったんじゃないか。
あーはいはい。
まあだから残った人がどう思ったかっていうところまではちょっとね、今今回触れてないけどさ。
うん。
まあ結構いろんなこう心境だったんじゃない?生き残って、まあもちろんちょっと心の奥底ではラッキーって思った部分もあるのかもしれないけどさ。
うん。
でもやっぱりちょっと悔しいとかそういう思いもあったんじゃないかなとは思うよ。
はい。
じゃあということで今回はギレツ空挺隊についてでした。
はい。
あのもしよかったらこの番組のフォローだったりとか評価をポチポチっとしていただくと嬉しいです。
そうですね。
では最後まで聞いていただいてありがとうございました。
ありがとうございました。
27:10

コメント

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