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おはようございます。OKファームのOKです。このラジオでは、脱さらして農業歴12年を超えた私が、新規就農者やフリーランスの方向けに、マーケティング情報や気持ちがちょっと楽になる話をお届けしております。
はい、今日はコメント返しをしていくんですが、特別編というような形で、うちのね、じいちゃんが先月8月の末に亡くなったんですけども、
そこの報告をした時に、じいちゃんが亡くなりましたという報告をしたらですね、本当にたくさんの方からコメントをいただきましたので、特にじいちゃんにことに特化したコメント返し会を今回はしていこうかなというふうに思っています。
まあそれとともに区切りというんですかね、まだリアルでも49日は終えてない状態なんですけども、意味もなくこのじいちゃんが亡くなった話というのをこすり倒すというんですかね、何回も意味もなく話すのはやっぱりなんかそれは人の死をネタにしているような感じにもなってしまうかなというふうに思いますし、
今まで聞いてきている方で思い入れのじいちゃんに思い入れのある方からしたら、それはそれで意味のあることかと思うんですけども、新規のリスナーさんとかじいちゃんを全然知らないリスナーさんからしたら、どなたでしょうっていう感じになってしまいかねないかなというふうに思いますので、
じいちゃんが亡くなったという事実とかね、じいちゃんが亡くなったことに関しての放送とか特別なコメント返しというのは今回で一旦区切りにさせてもらおうかなと思います。じいちゃんとの思い出とかエピソードとか雑談会とかこういうことが今回に活かせますということで、事例としてというのかな、実際にあったエピソードの一つとして紹介することはある。今後ももちろんじいちゃん登場することもあると思うんですけども、
じいちゃんがこの度亡くなったみたいな言い方はね、僕もこの放送で最後にしていきたいかなというふうに思っています。それではコメント返しに入る前にコメントしてくださった方の名前を読み上げ先にしておきたいと思います。コメントしてくださった方があけみさん、あかさん、しーちゃん、とほさん、
あぱらぼさん、たしずんさん、なりたさん、かおりさん、ちこりーたさん、ゆじゃりさん、音声配信の方にコメントくださった方が以上となります。他にもですね、Xの方で僕が数えただけで12件ぐらいの方がコメントくださったり、インスタの方でも17人かな18人ぐらいの方がじいちゃんへの思いをいろいろとコメントしてくださっておりまして、
重ねてそちらをコメントしてくださった方もありがとうございました。Xとインスタの方には個別でメッセージをね、文章でお返しさせてもらいますので、こちらではいつものように音声配信にいただいたコメントのみにお返事をさせていただきますので、その点ご了承ください。
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はいそれでは最初のコメントですね。ぶどう農家の赤さんからのコメントです。まずはお悔やみ申し上げます。OKさんのおじいさんのことは音声配信やXの投稿などで知っていたので知り合いがなくなったような感覚になりました。
そして自分が旅立つ時や必ず来る身内との別れについて考えることって必要ですねというコメントをくださいました。赤さんコメントありがとうございます。
インスタとかXとかでもいただいた言葉の中で多かったのが、自分にとってもう会えない人というんですかね。僕のおじいちゃんとその人は全然関係がないんだけど、その人にとってのもう会えなくなってしまったおじいちゃんであるとか、まあ50代以上の方でいうと自分のお父さんお母さんのことを思い出してOKGさんのことを見ていましたというようなコメントもインスタとかXでたくさんいただきました。
僕はこのSNSでおじいちゃんの本名を全く明かしていない。OKファームという家号の片方のOがおじいちゃんのイニシャルであるということぐらいしかこのSNS上では言っていないので、皆さんからしたら名前も知らないおじいちゃんだと思うんですけども、こういったところに知り合いがなくなったような感覚になりましたというふうに言っていただけて本当にありがたいなというふうに思っています。
そしてこの人との別れというのはどんな人にもつきものというか必ず訪れることなので、今回僕はおじいちゃんを見送る立場、俗に言う遺族という立場なわけですが、どこかのタイミングで自分も見送られる側になるということは確定しておりますね。人間の知識率は100%という言葉があったりもしますけども、そういったときにどのように自分の大切な人と別れていくのか、
ということも今まで漠然としか考えてなかったですけど、自分自身もとても素敵な生き様というか、場合によっては素敵な最後の1日をおじいちゃんを通して見せてもらったなというふうに思うので、
自分も悔いのない別れ方とか悔いのないこれからまた誰かを見送らないといけないこともあると思うので、そういったときに悔いのない見送り方ができるようにしたいなというふうにこの赤さんからのコメントをいただいて改めて感じるところであります。
赤さんもコメントありがとうございました。収穫作業とか色々忙しくなってだと思うんですけども、体調に気をつけて頑張ってくださいと、これからもOKファームの音声配信よろしくお願いいたします。
続いてしーちゃんのコメントです。この度は心よりお悔やみ申し上げます。 OKさんのストーカーを自称している私ですが、実はOKじいちゃんの大ファンでもありました。
そういうの伝わってくるところよくありましたね。 医療現場で働いているので患者様の最後に携わることが多々ありますが、じいちゃんみたいにかっこいい方はなかなかいらっしゃらないです。
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そして私は何回その場に立ち会っても悲しく寂しくなれることはありません。 これからもじいちゃんとの思い出話をたくさん聞かせてくださいというコメントをくださいました。ありがとうございます。
そうですねしーちゃんも多分僕の sns を知ってから多分3年経つのかな。もうすぐ4年かなぐらいになると思うんですが、
3年前といったらねまたじいちゃんが介護施設に入る前というか、まだ畑で比較的元気にしていてくれた時期のね僕の写真をよく見てくださっていたんじゃないかなというふうに思います。
なのでリアルタイムのじいちゃんの動画を見てくださっていた方だと思うので、なんというかこの時のね3年前は本当にいつまでも元気でいてくださいねっていうコメントを
しょっちゅうくださっていたしーちゃんならではのこの寂しさみたいなものとかね共感してくださる ポイントとかがたくさんあったのかなというふうに思います。
そして医療現場で働いているということでね一般の方よりも誰かを見とるというか見送る回数が多いかなと思うんですけどもそんな中でも
じいちゃんはやっぱりかっこいい去り方だったよということを現場に医療現場にいる方からそう言っていただけて
そっかやっぱりねじいちゃんすげーんだなとかねそう簡単にできることじゃないよねっていうことを確認させていただいたような気がしています。
しーちゃんも最後にコメントくださっているようにねじいちゃんとの思い出話っていうのは僕も必要なタイミングというのかな
無理やりじいちゃんの話をしたいからじいちゃんの話をねじ込むみたいなことはまあこれを区切りにすることはないかなと思うんですけども
自分の農業で困ったエピソードとかこういうふうに解決しましたよみたいなエピソードの中でじいちゃんの出番だという時にはもうねあの自信をもって
このじいちゃんとの僕じいちゃんと僕とのエピソードもまた紹介させていただこうと思いますので
その時にはね久々に出たなじいさんみたいな感じでまたコメント欄を盛り上げていただけたらと思いますしーちゃんもコメントありがとうございました
そして医療現場でね働いていらっしゃるということなので僕たちがしたようなねしんどい思いを日々されているのかなーとかね大変な一般の人には分からない大変さもあると思うんですがお体を気をつけてお仕事とかね家事育児頑張っていってくださいコメントありがとうございました
8続いて明美さんのコメントですね明美さんはコメントに加えて差し入れ差し入れというのか 公伝というのか正しい言葉がわかんないんですけども
じいさんが亡くなったという投稿に差し入れもしてくださいました 重ねてありがとうございますコメント内容を読み上げます
外出時のおじい様の後ろ姿を sns で拝見したのはせいつい先日だと思いましたが ちゃんとした背中が96歳には見えませんでした
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お亡くなりの際にはやはりお辛かったでしょうがお聞きする分にはそれも感じさせず 凛とした去り際のようでご立派です
心よりご冥福をお祈りしますというコメントをまずくださっています明美さんありがとうございます そして余談のような感じでね体験談を載せてくださっているのでそちらもご紹介
させていただきます 不謹慎だったらごめんなさい私は結婚前病院勤めの看護師でした
自分自身が妊娠している時ちょうどさん婦人会の病棟にいました 般若の行走で喚き散らす人から痛いだろうに油汗を流して耐える人まで
おさんは住人と色本性が出るのを見ました 自分は絶対に騒がない耐えるとの段望んだ出産は今思うとかなり暗算なんですが
喚くは泣くは自分の勤務病院じゃなくて良かったと思ったものです 生まれるのもなくなるのもきっとままならないと思いますが悲しみだけではない
感情を残して去られたおじいさんご立派でしたお悔やみ申し上げますというね ご自分の出産体験をエピソードしてエピソードとして添えてくださいました
まずこの明美さんの音96歳のじいさんが一時外出してね家族とほうじの時かなほうじの 後にみんなで食事している
写真を以前 sns に上げていたんですけども今年の5月ぐらいかな 2024年の5月ぐらいに写真を上げてたんですけどもその写真を自分が僕自身がね投稿したのを
忘れていたので あーそういえばそんな写真あったわっていう感じでこの明美さんの投稿でそのほうじに出席する
じいさんの音写真を思い出すことができました こういうふうにね自分で以前紹介したエピソードを自分自身は忘れているのに
リスナーさんの皆さんフォロワーの皆さんがね教えてくださるということが本当にありがたい なというふうに思っています
それと出産時のエピソードもありがとうございました まあやっぱりあの実際見るのとやるのとは違うということなんでしょうけどね
3婦人化に勤務する看護師さんとしてねあのいろんな女性が大声を出す姿を見て 自分はそうならないというふうに決意してね予行演習みたいな感じなんですかね
多分こういうことになるんだなっていうのはわかっていたけどそれでもやっぱりね なかなか耐えられなかったというようなエピソードを送ってくださいました
あれは喚かない方がね すごいというか声出しても仕方がないですよっていうふうに僕は思ったりしますね
鼻からスイカを出すとかいう例え話があったりしますけど 僕自身もね3人目の時はコロナのなんとか制限みたいな感じで立ち会いなかったんです
けども 1人目2人目はねあの出産の人数が来るところから出産が終わってね
8赤ちゃんを抱っこするところまでずっと一緒にいたんですけども本当に命がけでという のかな
赤ちゃんを産んでくれる妻の姿を見ては本当にすごいなというふうに思ったりとかね その時妻も爪を短めに切っていたはずなんですけども
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8立ち合い出産する中で僕の手を握ったりするときにねその爪跡がすごい 手の平だったかな体の高だったかなちょっと場所は忘れちゃったんですけどもあの妻の爪で
僕の手がちょっと傷つくみたいなこともあったりしたんですけどねそれぐらいこう 力を入れてとかもう一声一声発するのがしんどいぐらいの状況で
うちのね子供を産んでくれましたまあ産婦人科の先生に言わせたら時間的にもね半山だった ということで12時間経たないぐらいで赤ちゃんが生まれてはいるんですけども
それでもやっぱり本当赤ちゃんを産むのっていうのは大変なことですよね 今回コメントの多くがこのじいちゃんが亡くなっていくっていうねお別れに重視した
コメントが多かったんですけどもたまたまあけみさんからね生まれた時のエピソード 出産エピソードっていうものをいただいたのでなんかふとなんとなくねこのじいちゃんが生まれた時
というかその昭和初期じいちゃん昭和3年生まれなんですけども 昭和3年の時のお産ってどうだったんだろうなぁとかもう確かめる術もないし本人
でもわからないことではあるんですけどもねそういうじいちゃんの 晩年というのかな最後のじいちゃんになる前のじいちゃんというかじいちゃんの若い頃
ねあの幼少期ってどうだったんかなぁとかね生まれた時ってどうだったんかなぁとかね そういうところにも
なんかこのコメントで思いを馳せることができたような気がしますあけみさんいろんな コメントありがとうございました
続きまして徒歩さんのコメントです心よりお悔やみ申し上げます 素敵なおじいさんでしたね
ok さんの人柄もおじいさん譲りなところもあるのではないでしょうか またよほど全校あの良い行いですね全校を積んでいたのでしょうね
なかなか親族揃って言葉を交わせる状態で一人一人に礼を言ってなくなることはできない かなと思いますというねコメントを下さいました徒歩さんもありがとうございます
まあなんかこの音言っていただけて嬉しいなというかねあそっかそういうふうに見えて いるのかというふうに思ったんだなと思ったのが
おじいちゃん譲りな人柄が僕のところにもあるんじゃないのかというふうに言っていただけ てちょっとねニャッとしてしまったというか嬉しいような気持ちになっています
まあなんかねー 農作業的にはもうじいちゃんにはかなわないなというふうに思うところばっかり
なんですよね僕が雑でじいちゃんは豆でというような感じの性格なので 農業を今からやりたいんだというふうにじいちゃんに告げた時にもねお前には無理じゃ
ということをいろんな面でお前には無理じゃということをね言われたんですよね まあちょっとあの通勤農業みたいな形になるからその住んでいる場所とか
子供がいるからとかねそういったところで無理だと言われたのもあるんだけど プラスでやっぱりね性格的にお前には無理じゃということをこの12年間すごい言われる回数が
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多かったので あーじいちゃんとは似ても似つかない農家だなというふうに自分自身は思うことが実は多いんです
よね でもやっぱりこの
心音の部分というのかな性格的な部分みたいなところでちょっとでもねあのじいちゃん から受け継いでいるところがあるというふうに言っていただけてね
なんかちょっと嬉しいなというような気持ちになっています まあ別の放送でもしょっちゅう言ってるんですけどもじいちゃんと僕もね血縁関係ではあるし
なんかこう畑で一緒にやり取りをした中ではあるんですけども 自分自身はじいちゃんにはなれないというふうなとかまぁ他の誰かにはなれないという
ふうなことを常々思っているのでこの人のやってきたことを完璧に再現するのは無理だ というふうにねもうそこは諦めているというかね本当に無理だと思ってるんですよね
でもやっぱりこのじいちゃんのこういうところすごい素敵だったよねとかねこういうところ 自分も真似していきたいよねというところはねこれからも行っていきたいし守れるものが
あったらそれは守っていきたいかなというふうに思いますので 頑張っていこうかなというね重いですとほさんもコメントありがとうございました
続いてアパラボですね我が友にして12万人登録者がいるユーチューバーなんですけども アパラボからのコメントです
素敵なじいちゃんだなというねシンプルなコメントをくださってますありがとうございます アパラボも時々ね放送で自分のおばあちゃんが
過去になくもうすでに亡くなっているというのとおばあちゃんが入院したりとかね介護が 必要な状況になった時に自分自身がその際最後というかなあの大変な時期のお世話をしている
みたいな放送を聞いたことがあるので一般の人では気づかないような猫のおじいちゃん おばあちゃんとのやり取りの仕方とかね視点とかをまた持っているんじゃないかなというふうにも
ね思ったりしました まあ今ちょうど一緒に自分たちの商品を販売していこうっていう中で以前よりも会う頻度とか
連絡を取る頻度が増えているのでまぁちょっと落ち着いた時とかね 雑談タイムみたいな時にまたお互いのじいちゃんばあちゃんの話とかもして
盛り上がれたらなぁとかもねちょっと思ったりしています まあ講師ともにというやつですね文字通りですけどもね仕事の方もプライベートの方も
今後もいろんなやり取りをねよろしくお願いします 続いてたしずんさんのコメントですこの度は大変でしたね
お悔やみ申し上げますおじいさんが施設に入られたのはすごく最近だったように感じていました おじいさんの最後の挨拶の話聞いているだけで涙が止まりませんでした
おじいさんは最後にお気持ちを伝えることができて本当に良かったんじゃないでしょうか 自分はそんな最後になるかどうかわかりません
急な別れになるかもしれませんだからこそ日頃から感謝は伝えていきたいですよね あとない頭にしがちな謝罪もそれにしてもかっこいい終わり方で憧れますというね
コメント下さいましたありがとうございます 高齢者施設に入ったのが2023年の11月末だったかなぁと思うのでその時もね
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じいさん畑を去るみたいな感じで sns に投稿したりとか音声配信でもおじいちゃんが何というの かなぁ
たっかんしてというのかなは者施設に入りたくないみたいなことを言う わけでもね起こるわけでもなく悲しむわけでもなく
ねあのまあしゃーないなっていうのとまあ 入ってみりゃなんとかなるじゃろうっていう感じで高
たっかんしてね施設に入ってくれました でまぁエピソードとしては僕はじいちゃんの葬儀が全部終わった後に母から聞いたエピソード
なんですけども今年の7月かな 七夕の時に入居している高齢者の方にこう短冊にお願い事を書いてくださいねっていう
まあよくあるっちゃよくある行事ですよなのでねどういう思いでじいちゃんがその 文字を書いたのかね
その文字にどういう意味を込めてその短冊に文字をかめ書いたのか今となっては知る よしがないんですけども
その時にねじいちゃんが書いていた言葉というのがこのままでいたいっていうふうに 書いてたんですよねやっぱりルイセンがやばい
葬儀の後1週間ぐらいしてこうじいちゃんの 今までの写真とか葬儀前後の誰が来たのかとかね
写真を家族のグループラインみたいなところに投稿してたんですけど その時にね僕の母がなくなる前の施設の写真みたいなのもねあの関係ない
だろうっていうような写真も立ったか立ったかこう投稿してくれたんですけども その時にねこの時はこのままでいたいっていうその短冊の写真が出てきたんですよね
僕は多分以前母が送ってくれてたのを見逃してたのかなそれでも母が送り忘れて たのかわかんないんですけどもその時に初めてその短冊を見たんですよ
でじいちゃんとしては何というのかな やっぱり介護施設に良いイメージを持っていなかったそうで
ばあちゃんがですねまぁ認知症がちょっと進んでいるとか ちょっと健康なんていうのかなあの障害者手帳みたいなものを持っていて一般な一般の人よりも
介護がね難しいというか大変な状況のばあちゃんなんですね なので介護施設に入れたらそのばあちゃんが雑に扱われるんじゃないかとかねネタ切りに
させられるんじゃないかという不安を 施設に入く前は僕の方とかね僕の母の方に何回か実は話していたことがあり
ましてやっぱり入るのが不安だっていうことをね何回か言ってくれていた 時期があるんですよ
でまぁばあちゃん一人施設に入れるという手もあるけどどうするって言った時に いやばあちゃんも入るなら自分も一緒に入るっていう風に言ってくれたので多分ね
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孫としてはそのばあちゃんを一人で施設に入れるのが不安だから うーん
なんていうかな自分が守ってあげるじゃないけどまぁそばにやっぱり最後まで行ってあげ たいみたいな思いがあったなんかその本当にねあの喜んでいくんじゃなくて
仕方なくついていくでもないな言葉が難しいんですけどもばあちゃんが入るなら自分も 入るよっていう感じで施設に入ってくれたんだと思います
まぁちょっと前振りが長くなっちゃったんですけどもまぁそういう文脈というか経緯が ある中で最後の七夕にねこのままでいたいって言う
8短冊を書いてくれていたそのじいちゃんの音文字を見て なんか最後の隅かついの隅かとしてすごく
いい日々を送っているんだろうなぁということがなんとなく伝わってきてですね その介護施設の方にもありがたいなぁっていうふうな思いとともに
最後1年ないぐらい8ヶ月9ヶ月ぐらいゆっくりしてくれてね良かったなというふうなことを 思ったりしています
たしずんさんのおっしゃるね本当にこのいつが自分 いつ自分が最後の時を迎えるかわからないというのは本当に僕もよく思っている
ことでね例えば今日 交通事故にあって急に死んじゃうかもしれないとかね
自分の大切な人が何かの事情があって事故にあって病気で突然いなくなるかもしれない っていうのは日頃から僕も意識しているところなので
まあ子供が学校に行くときは本当に 気をつけて行ってらっしゃいねっていう不謹慎なんですけど
今日これが会うのが最後でも悔いのないようにちょっとした挨拶とかね行ってらっしゃい とか
頑張ってねーとかねいい1日になりますようにみたいな声かけよねするのは 今後も続けていきたいかなぁみたいなことをね思っています
そして僕もねたしずんさんのおっしゃるようなこのかっこいい終わり方っていうのをね僕も 少しでもできるようにねここまでのかっこいいおり方多分できないだろうなという予感は
してるんですけどもまあそれがね何年後になるのかわかんないんですけども自分が なくなりそうなのが自分でわかる時があったら
じいちゃんの音へなくなり方みたいなものを真似できるように頑張りたいかなという ふうに思っていますたしずんさんのコメントありがとうございました
続いて成田さんからのコメントですおじい様のご冥福をお祈り申し上げますというコメント くださってますありがとうございます
多分まあ僕より年上というふうになりたさんは伺っているので多分この30代 まあもうすぐ40代か40歳前後で見えるね誰かの送り方とかとまた違った目線で
僕で言うとおじいちゃんを見送ったのがね成田さんから見たらお父さんお母さんだったり とかねご友人だったりとか
やっぱりこう 自分が年齢を取るにつれてこう別れの機会が増えたりとかね
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思いが変わってくるということもあると思うのでどのようなお気持ちでこの僕の放送 とか sns を見てくださったのかなぁとかねちょっと思ったりします
今後もちょこちょこじいさんの話はまた出てくるかなと思いますのでその時にもね時々で いいのでまた ok 爺さんという存在を思い出していただけたらなぁというふうに思っています成田さん
コメントありがとうございました 続いて香里さんのコメントですおじい様そうだったのですね
これからもおじい様の話いつまでもお願いします 苦言ばかり言って妻においしか言わない昭和のご夫婦の愛は本質的に深い何か大切な
ものを感じます 言わないけど伝わってるんでしょうね大切なお話ラジオでもお話ししてくださってありがとうございました
普段生と死についてかなり考えていますがおじい様の意思が畑やごぼうやお孫さんで ある
ok さんにもバリバリごぼうにも宿ってると思うとなんだか込み上げてくるものがありました インスタグラムのおじい様にも会いに行きますというねコメントくださいましたありがとうございます
まあなんか典型的な昭和の夫婦っていう感じ そう言われていればそうなのかもしれないですね
なんか暴力を上げたりとかいうことは全然しないじいさんでしたけど ばーちゃんの方がねあの天然ぷりがすごかったというかそういう感じの音何を言っても
的外れな回答が返ってくるみたいな ばーちゃんだったのでねじいちゃんの方が畑でペア作業っていうんですかね
じいちゃんが何かの苗を植えたり種まきをするからばーちゃんはその苗をじいちゃんに 手渡すがかりみたいな
ことをよくやっているのを僕は子供の頃から見てきたんですけどねそういった時にも すぐ
おいあれがないじゃないかみたいなことを言われたりとかね どこ行ったみたいな何処るんやーみたいなことをこう畑の真ん中でじいちゃんがばーちゃん
にでかい声で言っているというのとばーちゃんはねそれに対してはーみたいな感じでこう のほほんとしながらねあのまた作業に戻るみたいなことをやっているようなタイプの夫婦
だったようなね気がしますねまあ年を取ってからはじいちゃんもだいぶ 悪くなったんだなぁというふうにこう孫として思うことが増えたので
これで30代40代のじいちゃんばーちゃんとかねどんな 夫婦だったのかなとかねちょっと思ったりすることはありますね
かおりさんのおっしゃるこの生き死にっていうんですかね生と死について僕も結構昔 から本当中学校ぐらいから結構考えるタイプなので同級生からしたらね
なんでこんな簡単なことでそんな深いところまで考えてるのとか 大げさじゃないっていうようなことをね結構言われたりしたタイプの人間なんですよね僕はでもそういう
ところやっぱ僕の両親であるとか じいちゃんばーちゃんとかの猫行きざまであるとかそういうところに影響を受けて考えているの
かなというふうに思ったりするところもあるので まあこのじいちゃんのね151 a みたいなものだとかまあやっぱり感謝しないといけない
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ようみたいな姿はね僕も上手に受け継いでというのかなあんまり受け継ぐって言葉は 僕はあんまり言わないようにはしてるんですけどもこの感謝の気持ちとかねこの最後の姿
みたいなことは受け継ぐというか自分の子供孫にも伝えていきたいかなというふうに ね思ったりしています
羽織さんコメントありがとうございました続いてチコリータさんからのコメントです この度は心よりお悔やみ申し上げますご立派な最後でしたね
私事ながらわしの母方祖父母と姉の戸継先のおシュート目さんのことと重なり 心が締め付けられました
3人ともに共通したのが暇子に元気をもらったです 病院のベッドで自分ではもう動けなくなり唯一の癒しが暇子の存在でした
暇子を見るまなざしはそれは幸せそうだったのです ご坊さんの放送では暇子たちに会えたのかどうかわからないですが幸せに行けたことは
伝わりました ご冥福をお祈りしますというねコメントくださいました
本当に貴重な貴重なというかね素敵な体験談ありがとうございます あのじいちゃん最後の日に親族がみんな詰まったって言うんですけどもうちの子供とかね
僕の親戚の子供とかも集まれたので暇子5人がな暇子5人に囲まれて最後にね握手をして くれた中にうちの子供もね別の親戚の子供も合わせてそこには含まれているので
最後にね暇子にもちゃんと会えたみたいな感じですね でチコリータさんがおっしゃるようにじいちゃんも猫多分に漏れず暇子が大好きな人間だった
のでうちの子供が生まれてからねその子供をじいちゃん家に連れて行くとそれこそ 離乳食ベビーフードみたいなものをね
なんかわしがやってやろうみたいな感じで小さなスプーンを持ってね はこっちこいこっちこいみたいなことを言って子供にね離乳食ぐらいからですねでまぁもうちょっと
大きくなったらねハメちゃんやろうとかボウロやろうみたいな感じではこっちこいこっちこい みたいな感じでこうニコニコしながらね手招きする姿を僕もたくさん見せてもらった気が
します 僕自身が子供の頃もねやっぱりこうじいちゃん家に行ったらスーパーに行って好きなお菓子を
カゴに何でも入れるみたいな感じで言われたりとかね僕で言ったらこうミニ四駆 とかが小学校の時に大流行した世代なんですけども
スーデパートみたいなところになんていうかなじいちゃんと寄生する時にちょっと買い物 に行こうやみたいな感じで連れて行ってもらったらですね
なんかミニ四駆これとこれどっちにしようかなーって悩んでたら両方入れやっていう風に 言われて新発売したミニ四駆を両方入れてもらったみたいなねエピソードもちょっと思い
出したりしますね それとねあの家ってやつですね
じいちゃんが亡くなってから2日3日で家をどれにするか決めないといけないという時があったんですけどもこれがどうかねこれがどうかねっていう風に家族からスマホの写真の中にあるものを色々探したんですけども
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やっぱり候補になるものはどれも孫を膝に抱えているとかね 孫が横にいるような写真がほとんどでして
で当初これにしようかっていう風に決めてたのがあったんですけども最終日になってね 別の親族のスマホにあった
これがいいんじゃないって言ったのがこれすごいいいねって言ってくれた 写真があったんですけどもそれが今うちのね子供が中学生になっている子供がまだ3歳4
歳ぐらいの時に膝に抱えてねちょっとニコッとしているじいちゃんの姿が 結局その家に採用されることになりました
なので子供を抱っこしているのでね不空というか体がちょっとね 斜め向きになってるというか方がねまっすぐになってないんですよ
右肩かな右肩がちょっと下がっているような構図になってるんですけどもちょっとその ね右肩の下がり具合を見るたびに家には映ってないんですけども
今中学生になる娘がねここに映ってるあの写真だよねということをね思い出すことが できるような構図になっています
さっき言ったそのねあの病室でのじいちゃんの最後の1日の時もみんなとね 握手してありがとうありがとうって言ってもらった後に
まだうちの3歳の子供がね8病院内をし病室内をね走り回ったりしていたので 呼吸が落ち着いている時にね
多いこっちこう言ってからこうねタッチしようでみたいな感じでこうねじいちゃんと 暇子がそのタッチしてうちの子もまあねなんかいつもと雰囲気が違うなというのは分かり
つつもニコニコしながらねじいちゃんにタッチタッチってこうねペチペチ叩くような形で こう
ハイタッチしていた姿をね僕も見ていてなんか 集まれてよかったなぁとかね暇子の顔が最後連れてこれてよかったなぁというな気持ちにも僕も
なることができました やっぱりこういろんな方のお別れエピソードみたいなことをコメントでいただくことによって客観的に
というのかな自分の目だけじゃなくていろんな方の目を通してじいちゃんとの別れをね 振り返ることができるので本当にありがたいなぁというふうに思ったりしています
チコリータさんもねへとても素敵なコメントありがとうございました 8それとじいちゃんが亡くなった翌日にですねじいちゃんが亡くなりましたという放送とは別で
ですね忘れたくないなら記録するしかないという音放送を収録しました まあこれは僕が葬儀とかツヤーの間に起こったことを全部
自分の覚えている限りのことを全部スプレッドシートにねエクセルみたいなものに バーッと時系列とともに誰誰が来たとか誰とあったとこんな話をしたみたいな
ことをね打ち込んだりしたんですけども やっぱりこう2,3日経つだけでもうその日のことが思い出せないとか
これ後日談になるんですけども僕は頑張ってメモしたつもりだったんだけどやっぱり すでに記憶の間違いがあったみたいでそれを他の親戚に見せたらいやこの時に私は
ここにいなかったとかねこの人が来たのはこの月だから1日ずれてるよみたいなことが あったりしたのでやっぱりこういう記録を取るのって大事だなぁとかね忘れたくないことは
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ちゃんとメモしていくの大事だよねっていう話をさせてもらいました そこに対してコメントくださってるのがまずたしずんさんですね
たしずんさんのコメントです確かに1日経っただけでも記憶って曖昧になっていきます よね
メモの内容でさえもよく思い出せなくなっていくということは記憶だけに頼っていた ならば全然思い出せなくなってしまうのでしょうね
トラウマな出来事はなぜか鮮明に覚えているのに不思議なものですと思いましたがもしか したらその思い出したくもない記憶も曖昧なものなのかもしれないですね
そして ok さんが早く日常を取り戻せるよう願ってますねというねコメントを下さい ました
そうですね記憶とトラウマというもので言ったらやっぱり一つのエピソードとしてじいちゃんの 満州の時代及びシベリア浴流の時代というものがあげられるんですけども
嘘でないとしたらじいちゃんも正直よく覚えてないんじゃっていうことは時々 いう場面が増えてきましたね
80代になってからそういう話を僕も積極的にというのかな 折に触れて聞くようにしたんですけども明確に覚えている出来事あるけど細かい詳細な部分というのかな
どこでどんなことがあってっていうのはやっぱりもう忘れたよみたいな感じの機会が年々増えてきたのかなというふうに思います
まあこの戦争みたいな話とかを後世に伝えていくのはとても大事だなぁと思う一方で 孫としてじいちゃんの人生だけを考えるのであればもうそこは綺麗さっぱり忘れてくれ
た方がいいのかなというふうに思うこともあるので複雑な心境になりつつもじいちゃんの ルーツシベリア浴流を聞いてきたみたいなね過去が僕もありますね
最近なんかここについての言語化がちょっと上手にできるようになったかと思うんですけども この被爆者広島県なんでこう8月になるとね被爆者との記憶の継承みたいなものが曲
よくテーマに挙げられるんですけども こうね話してくださいっていうのはすごい簡単なんですけどもそれは多分僕らの戦争世代
戦争を経験したことのない世代からしたら 例え話として僕が思いついたことがありましてですね
それはいじめられっ子にいじめを撲滅したいからあなたのいじめ体験を僕に教えてください っていうようなことを聞くような感じかなぁと思うんですよね
僕もまあいじめというべきかせんべきがわかんないんですけども小学生の頃にこう友達から すごい彼は変わられていて嫌なった時期があるんですけども
やっぱりこうたしずんさんのおっしゃるようにこのトラウマみたいな記憶としてあの時や だったよなぁとかそれこそ新入社員の時にね上司からこういうことを言われて嫌だったみたいな
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ことはもうね10年経っても30年ぐらい経ってもその時の記憶っていうのやっぱり僕にも 残ってるんですよ
でもこの特に戦争みたいなもののエピソードを後世に伝えていくためにっていうのは すごい大事なことだと思うんですけども
軽いノリでやっちゃいけないことだなというのは本当に 僕自身気をつけたいなというふうにこのじいちゃんとのやり取りを経て思ったことですね
なんか 孫の世代のために子供の世代のために
あなたの戦争体験を聞かせてくださいっていうのはすごい綺麗なことというか美しいこと として捉えられがちだし本当にそれは大変大切なことだと思うんです
でもそのインタビューする側がなんかこのね平和のためにあなたの嫌だった思い出を僕に教えてくださいっていうところにはすごいリスペクトがないとというか本当に嫌で嫌で仕方ないことを思い出させるんですけども教えてくださいっていうスタンスがないと
そう簡単に聞いちゃいけないよねっていうものでもあるなというふうに僕は感じています まあもちろんそのねへ戦争の被害にあった方が僕に語らせてくれっていう風なスタンスの方で
あればそれはどんどんどんどん聞いてあげて欲しいんですけども 実は話したくないんだけどこういう記憶がありますっていうものを持っている方にインタビューする
ことがね今後あなたも身近な人にそういうことがあったりとかねお仕事の関係で そういう人と話すことがあるかもしれませんけどその週そういう人と話すときにはぜひ
今日この記憶を掘り起こすことによってその人はその日の夜に悪夢を見るかもしれないとか 嫌だったことがまた再燃してしまうかもしれないという覚悟を持ってその人のまた何年か
苦しめてしまうかもしれないけど聞くというスタンスを持ってね インタビューしてもらったらいいんじゃないかなというふうに思いましたなんかめちゃくちゃ話
脱線しちゃったんですけども 記録とかねトラウマとかということでちょっとじいちゃんのシビリア時代のエピソードと僕との
会話をちょっと掘り起こさせてもらいましたたしぞんさんコメントありがとうございました 記録に関しての放送会に香里さんのコメントです
退屈で変化のない日々が続いているときは日日常を求めてしまいますが悲しみや 寂しさの中にいるときは日常のありがたさを実感しますね
そして気づいたらそれも日常になっていくんですねというコメントを下さいました いやなんかよくわかんないけど葬式って疲れますよね
当たり前のことを言うんですけどもあるあるなんでしょうけど つや葬式までは疲れないんですよ
そんなに疲れないんですよ気が張ってるってやつですよね でこのツヤが終わって葬式が終わってはい日常に戻りますよとかね日常に戻って
ちょっと経ちましたよっていうところでやっぱり 疲れてたんだなぁっていうのをねこう実感しますよね
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まあこれは部活動とかのこの大会が終わった後の感覚とかにも似てるかもしれないんです けど非日常の中にいればいたでこうね
今自分が非日常にいるというところになかなか気づけず 全部が終わった後にあああれは非日常だったんだなっていうことに気づけるような
感覚とでも言うんでしょうか かおりさんさっきもコメントしてくださってましたけどね生きるとか死ぬとかみたいな
ところに加えて多分この日常とか非日常についても日頃から考えていらっしゃる方なの かなーっていうのがこのコメントからも伝わってきたので
まあ文字通りありがたいってやつですよねめったにないことだからありがたいっていうの がありがとうとあるが硬いって言うね難しいということであることが難しいありがたい
というのがありがとうの語源らしいんですけどもね文字通りこの 何々のありがたみっていう言葉を使う時とかね感謝する時のありがとうを言う時には
この滅多に起こることじゃないんだよっていうことをね自分も キーワードとしてね頭の中に残しておきたいなというふうに思っています
かおりさんも重ねてコメントありがとうございました 続いてゆじゃりさんのコメントです思い入れのあるしなじなとかなかなか振り上げるのは
難しいですよね 特に遺品整理なんかは体力と精神力ともに奪っていくのもあるので無理をされ
ませんようにゆっくりお休みが取れるときはお子様たちとの 癒しの時間など大切に過ごされてください
なかなかできない体験をさせてもらえたことは自分の中でも大切な記憶として必ず 1年に1回思い出すためにも記録することって大切ですよね
忘れないためにも微暴力って必要だと思います そしてきっとおじいさまからしてみたら
ok さんのような素敵なお孫さんがいてくれたことは人生の最後を迎えるときに 安心できたことに違いなかったと思います
安らかにご冥福を祈りしたしますということで日常の気づきとかに対して加えて 僕のほうに本音嫌いのコメント本当にありがとうございます
まあねえっとこれはテレビ局でインタビューを受けたりとかね えっと身近な人に声をかけてもらったときによく言われる言葉なんですけど
まあ孫が畑の近くに住んでくれるからじいちゃん安心じゃねっていう風に よく言われるんですけども
僕からしたらねほんと僕が帰ってきたことによりこうじいちゃんを 苛立たせる機会が激増したなというふうにもこの10年本当に思ってるんですよ
であの別に頼むから帰ってきてくれって言われたタイプの農家ではなくてね 脱サラしたというか仕事がしんどくてやめたので次農業とやるやるんで
じいちゃん教えてくれって言ったらねえサラリーマンに帰れとお前には無理じゃと言われてる中 いやまあ明日も来るけんまたよろしくみたいなことを何ヶ月か続けてね
お前ほんまに帰れとほんまに来るなっていうやり取りをこの 5回じゃ済まないな5回か10回ぐらいねほんまにもうこれをお前1ヶ月分の給料くれとか言われてないけど
42:08
お前にやるけん帰れみたいなことをねやられてこれでしまいにせえみたいなこうやり取りを今まで何回もやった中でまあそれでもまあ続けさせてくれとかね機械だけ貸してくれ畑だけ貸してくれみたいな感じでこう12年ねなんやかんや続けているような感じなんですよね
なのでこういうじゃりーさんのおっしゃる猫の孫がいてくれてね 安心してくれたんじゃないかなっていう思いもあるんじゃないかなと思う一方で
a ストレスばっかり最後与えてしまったらっていうふうにもね 思ったりするんですよねこれはちょっと僕自身でないと上手に
把握できない気持ちだと思うんですけどもね最後僕がいたから良かったとかね安心できる っていうふうにじいちゃんも持ってくれていたらいいなぁというふうに思ったりします
じいちゃんが亡くなって3週間ぐらいかなと思うんですけども本当にもういろいろ忘れて ってますねあんなに濃厚な1週間まあ1日2日だったんですけども
その時に自分が書いたメモをね改めて読み直してもこんなことあったっけみたいなとか あれこれとこれ順番どっちが先だったっけっていうの本当に思い出せなくなっちゃうんでなってる
のでやっぱり皆さんもねなんか大切な出来事とかこれは本当に忘れたくないなぁとかね 自分の子供たちとか自分の大切な人に伝えていきたいなっていうものがあったら
ぜひね何らかの形でメモに残すとかこういう音声配信をしている方だったらぜひ 音声に残してみるとかいうことにもチャレンジチャレンジしてみていただけたらと思います
ゆーちゃりさん色々とお気遣いのコメントとお悔やみのコメントありがとうございました そしてこの回最後のコメントが c ちゃんですね多分ちょっと前段を説明しないといけないので背景を
説明しておくとですね この548回目の放送は葬儀とかが全部終わった後の放送なんですけども
実はその葬儀の日とか2夜の日の朝に僕はじいちゃんのいる葬儀場に寝泊りしていたん でその日の音声配信は実はじいちゃんのご遺体の横で親族控室で収録していた放送があった
んですよっていうね 放送をネタバレのような感じで後日談のような感じでお話ししたんですよね
そしたら c ちゃんの方は以前の放送でなんかいつもと ok さんの 放送の雰囲気が違うなっていうのを感じ取っていたっていうことをね以前のコメント会でも
言われていましてそれに追記するような感じのコメントですね c ちゃんのコメントが
あーそっか今日の放送を聞いて納得しました だからなんとなくわかったんだ
じいちゃんじいちゃんは ok さんの話している姿を笑顔で見ていたと思いますよということで 僕がね親族控室でじいちゃんのね
遺体の横で収録していたのに対して笑顔で見ていたと思いますよというねコメントを 下さいました
45:00
さすが ok ファームのヘビーリスナーにしてストーカーの c ちゃんであります僕の雰囲気がねなんとなく違う っていうのが何か伝わっていたものがあったそうです
まあじいちゃんは職人気質な人だったのでそうですねテレビ局が取材に来てテレビに 流してもらうというのは実感として
何をやっているのかわかってたと思うんですけど sns で情報発信をするとか youtube とかブログで自分の思いを届けるみたいなことに対しては
なんとなくはわかるけど自分はそれを摂取してないわけなんですよね スマホも持ってないしパソコンも持ってない
新聞とテレビしか見ないラジ新聞ラジオテレビしかね普段使わないというじいちゃん だったのでもうねインターネットってね
存在はわかってるけど自分では体験してないんですよね そして僕自身も猫音声を取るときは基本的に一人の時でしか音声を収録することがない
ので当然じいちゃんの横で 音声を収録するみたいなことをしたことがなかったので
最後ぐらいちょっとじいちゃんの横でこんなことやってるんだぜっていうのを見せておこうかな っていうのと不謹慎かもしれませんがまぁネタになるからみたいな
思いも兼ねてそこでね収録をさせてもらいました まあしーちゃんのコメントでいうところの音笑顔で見てくれていたのか
お前はこんな時までようわからんことをしてるのっていうような 目で見られていたのかは謎のままではあるんですけどもね
僕が何十年か経ってこうね僕もじいちゃんのいる世界に行くことがあれば あの時どういう気持ちだったっていうのをね聞いてみたいかなぁとかいうふうにも
思ったりしていますしーちゃんもいつも応援のコメントありがとうございます また時々じいちゃんの話もね放送で出てくるかなーってくるかなーってますので
服が忘れていそうなじいちゃんのエピソードとかもまた教えていただけたらと思います ありがとうございました
はいということで今回は特別コメント返し会として 547回目96歳の祖父旅立つという放送会と548回目忘れたくないなら記録するしか
ないというね放送のコメント返しをさせていただきました 一応念入りにコメント欄を見たつもりではあるんですけども私のコメントが読まれて
ないというものがありましたらお知らせください 8追加で音声を入れたりとかいう機能があったりするので
もし忘れている方がいたらその方は後日というかね あと改めてこの放送の最後に追加を入れさせてもらおうと思っています
そして改めましてじいちゃんへのたくさんのコメント本当にありがとうございました おそらくほとんどかな全員かな多分全員ですね多分全員がコメントしてくださった方全員が
僕のじいちゃんとはリアルであっていないはずなんですよねあの僕の畑に遊びに 来たことがある方とかだったらあるかもしれませんけど多分ねこの音声配信での
つながりで来てくださった方の中でじいちゃんに会ったことがある方はいない かなぁと思うので
48:03
sns でしか僕のじいちゃんの姿を見たことがないのにもかかわらず ここまで思いを寄せてくださって本当にねありがたいなぁというふうに思っています
なんというかこのじいちゃんを見送った一人の孫としてありがとうございますという気持ち を抱くとともになんかこういう時に自分自身はこう俯瞰してねこの一連の出来事を見て
しまうような癖があったりするんですけどもそういった中でこのやっぱりこの sns の明るい使い方というのかな正しい使い方というのかな
なんか人を攻撃するためではなくて誰かを気遣ったりとかね誰かにこの自分の気持ち を伝えるツールとして本当にやっぱりこの今のインターネットと sns というツールは
今回の僕はとてもありがたい存在だなぁということを再確認しています やっぱりこの誹謗中傷みたいなもので一番最悪のケースとしてはねあの
コメントを嫌なコメントを見てその方が自ら命を断つみたいなこともあったりとか 戦争のためのツールで sns が使われているみたいな側面もあったりするので
良い面だけではなくやっぱり悪い面もこの存在する sns だと思うんですよねでも正しい使い方正しいの定義もまた難しいんです
けども明るい使い方正しい使い方プラスの使い方を することができれば身近にいる人とかあったことはないけどつながっている人の日常を
ちょっと支えたりできるとかね前向きな気持ちにすることができるのもこの sns のすごい ところだと思いますそして実際僕はこのじいちゃんがなくなったという出来事を通して
いろんな方からね励ましの言葉をいただいたりしてとかね じいちゃんの昔のエピソードを思い出してもらうことによってとても
sns っていいなぁというふうにねそんな風にも思ったりしたんですよね なので僕自身もまだまだ音声配信ですとか sns でのね写真とか動画の投稿を続けていこうとは思うん
ですけども改めまして自分が投稿する際には意味もなく人を傷つけたりとかね 攻撃するような投稿はしないようにしようということを心がけようかなというふうに思っています
し僕の投稿を見てね何かちょっとでも前向きになれたとか元気が出たとかね 学びがあったとかそういうような投稿を一つでもまた増やしていきたいかなというふうに
思っています これはあのさっき紹介した僕の友人でもあるユーチューバーのアパラボってやつも言ったんです
けども 僕が sns を今後使っていく中でねあのすごい攻撃的な投稿が増えてきたりとかね
闇落ちしそうななんかバズるためには人を攻撃してもいいんだみたいなことを僕がもし やりそうなことがあったらねこのじいちゃんがなくなりましたっていう時のね放送を僕に
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もう1回聞かせてくれとリンクを送ってくれというふうにね 冗談半分本気半分でこうアパラボにも言ったりしたんですけどもこの今この放送を聞いて
くださっている皆さんも僕が何かねえらい荒れていたりとか こいつどうしたんだっていうようなねことがありましたら
お前じいちゃんとのじいちゃんの放送を思い出せみたいなことを言っていただけたらな というふうに思ったりもしています
まあじいちゃんの49日が終わるまでもう少しねへ時間があったりするので完全に何というの かな
一区切りつくまでにはもう少し時間があったりするんですけども 音声配信とか sns の上では一応これでねへじいちゃんのツイート放送とかねツイート投稿みたいな
ものは今回で高齢を区切りとさせてもらいたいかなと思います ok ファームとねほう刑事さんを応援してくださった皆様本当にありがとうございました
この放送を聞いてくださっているあなたとあなたの大切な方が健康であることを願っ ております
はいそれでは最後になりますが皆様腰痛にならないように肩を上げ下げしたり腰を回したり しながら今日やるべくことに向かって頑張っていってみてください
ここまでのお相手は ok ファームの ok でしたまた遊びに行きたいほいじゃまたの