2022-01-30 22:42

#91 22/1/30 解説:神の武具

エペソ-17 からの礼拝説教。最近近隣の国から飛翔体が頻繁に放たれます。今日の箇所に出てくる「火の矢」をある学者は、当時のミサイルのようなものであると述べています。先週学んだ霊的戦いの前半部分の大切な戒めは、神様の全能の力によって強められなさい、でした。その上で信仰に堅く立つよう命じられていました。それを受けて今日の箇所では明確に「(主によって)堅く立ちなさい」と命じられています。そのために、私たちには神の武具が与えられていると言うのです。ここでは、実際のローマ兵が身に着けた順番で各武具が語られています。今日は、その流れにそって各霊的な6種類の武具を一つ一つ取り上げます。

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お読みします。エペソビトへの手紙、6章、14節から17節です。
ですから、邪悪な日に際して、対抗できるように、また、一切を成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具を取りなさい。そして、堅く立ちなさい。
腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てをつけ、足には平和の福音の備えを履きなさい。これらすべての上に信仰の盾を取りなさい。
それによって、悪い者が放つ火矢をすべて消すことができます。 救いの兜をかぶり、御霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。
以上です。今日はこのところから、解説神の武具、
解説神の武具と題して御言葉を取り継ぎます。皆様おはようございます。
先週、霊的戦いについて話しました。近隣でいろんなことが起こっているとも言いましたけれども、今朝もでしょうか、
近隣のある国から飛翔隊が放たれたと速報が入りましたが、頻繁にそのようなものが放たれていると。
人工衛星か弾道ミサイルかわからないので、ミサイルと言わずに飛翔隊という言い方をしているらしいですね。
今日の箇所に出てくる、悪魔の放つ火の矢とあるんですけれども、それに関してある学者は
ミサイルのようなものであるとも述べているんですね。 先週
お話ししましたこの霊的戦いの前半の部分、 その大切な忌ましめ、
それはですね、まず神様の全能の力によって強められなさいでしたね。
そしてその上でもう一つ大事な忌ましめというか命令は、 信仰に固く立ちなさいと言われています。
今日はそれを受けて、某と主によってというカッコつけが入るんでしょうけれども、
固く立ちなさいと命じられています。 その後ですね、その固く立つために神の武具が与えられていると言われているわけですね。
これは実際のローマ兵が身につけた順番で各武具が語られているとある学者は述べているんですね。
いつも3つの話をしますが、今日はその流れに沿って
6種類のですね、武具になるかと思いますが、 一つ一つ簡単になるかもしれませんけれども取り上げていきます。
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解説すると言っておきながらなんですが、あまりこの細部にこだわらないで、 一番パウロがここで言いたいことは、
私たちキリスト社の日常生活の中で訪れる様々な困難、 悪魔の霊的な戦いとされているものにどう対処するかという、
具体的なイメージを与えるためにこれらの武具を当時の身近な霊から挙げているとも言われているようです。
何やともあれ一つずつ見ていきましょう。 まず最初は腰には真理の帯を締めなさいという、真理の帯です。
帯を締めなさいとはイエス様もよく言いますが、準備しなさいという意味です。 be ready というですね。
下辺が立ち上がって帯を締めるとかですねありますが、この帯を締めるとは準備をする。 でこの帯はですね
全ての武具を身につける、一番最初に身につけるものなんですね。 それを身につけることによってこれから装着する武具を一つにまとめることができる。
それがきちんと帯が装着されていないと、 その後つける武具がずれてしまって戦いにならないと言われているわけです。
そしてその帯は真理である。 なぜこう言われているかというと、
先週申し上げましたこの霊的な戦いにおきまして、敵なるものはですね、 偽りを吹き込んで私たちを揺るがす。
私たちの信仰生活、神から離れさせようというその根本は偽りという手法なんですね。
ですから、福音を中心とした聖書やキリスト教のメッセージこそ真理だ、
そのことがですね、基本である。 私たちの戦いの信仰生活の大前提になるということなんです。
まずそれをしっかりと帯のように身につけるメッセージは、神の言葉は真理だ。
それを身につけていくことがまず基本だということです。
2番目、胸には正義の胸当てをつけなさい。
ローマ兵、先週も言いましたが、この兵隊は歩兵、最前線で接近戦に戦う兵士を予想されていました。
この画像にもありますが、鉄の板をですね、革紐などでくくったものを胸当てとしていたようです。
胸は心臓があって大事な部分でもあります。肺があって大事な部分でもありますが、
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ある面、もう一つは良心が宿るところですね。 自分の胸に手を当てて考えてみなさい、などとよく言われる通りです。
私たちの霊の敵は私たちの良心を攻め立ててきます。 そして私たちを神様の愛や神様への信仰から、この良心の覇借を覚えて、自ら身を引くように仕向けてくる。
これが敵の戦略ですね。 しかし大事なことは、私たちは自分の努力ではなくて、
神様からの義を授けていただいたということなんです。 同じパウロがローマ人の手紙3章23節24節でこう書いていますね。
読める方、どうぞそれぞれ読んでみましょう。
頭からですね。3、はい、すべての人は罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、
ただ、神の恵みにより、キリストイエスによる贖えぬ上に、値なしに義と認められるのです。
こうある中で、特に値なしに義と認められた、 義と認められる、
このことが大事なわけです。 ぜひこのことを胸当てとして胸に刻んでいきましょう。
続きまして3番目。 足には平和の福音の備えを履きなさい、ということで。
平和の福音の備えとしての靴。 実はこれはローマ兵の革製のサンダルを意味するんですね。
しかしサンダルといっても、この今のクロックスのようなものではなくて、そこにはですね、底辺に鉄の錶が打ってあってですね、
このスパイクのようにしっかり地に足をつける、グリップすることができるわけです。
そしてこのソウルですね、いわゆる、は特別な加工がしてあって、地面の上の釘や錶などが靴底を突き通さないようになっています。
よく日本の忍者なにかは、忍者は薪菱をしてですね、
それをこの藁地で踏んだ敵が足を痛がって退散するとありますけれども、そういうものを踏んでも大丈夫なようにそこがしっかり加工されている。
私たちの敵は様々な方法で私たちの足元を揺るがすような誘惑をしてきます。
しかし、しっかりしたこの靴が兵士の歩みを守るように、安心を与えるように、
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朱の平安は私たちの足をしっかり捉えて支えてくださるのです。
敵の誘惑はこの地面に巻かれた薪菱のようなものかもしれません。
しかし朱の平安はそれらが私たちの足を突き刺さないように守ってくださいます。
そして私たちはそれだけではなくて、平和の福音の備えをしなさいということで、
つまりですね、平和の福音を運んでいくために靴を履いて準備しなさいということでもあるのです。
神様は私たちをふさわしい場所に導いてくださって、ご自身の平和の福音を伝えるべく用いてくださる。
そう信じていきましょう。
4番目、信仰のお盾です。
これらすべての上に信仰のお盾を取りなさいとありますように、
要は身につけたものに加えてこの信仰のお盾を取ると。
これはですね約幅90センチ、縦ですね130センチぐらいの縦でした。
木製でその上に革などで加工し、そして真ん中に大きい丸い鉄が打ってありますね。
実はこの鉄はこの大きな槍が向かってきても大丈夫ですし、
この火をまさに先ほど言いましたミサイルのようなですね燃え盛る槍が飛んできても、
この丸い錶の部分でそれを防げるというわけなんですね。
で、悪魔の放つ火跡、この聖書では言っていました。
この当時ですね弓矢の先端にですねこの浅布を巻き付けて、
そこに歴史性いわゆる当時のアスファルトのようなものを染み込ませる。
まあ今では灯油でしょうか。
そういう可燃性の強いものを朝の矢印の中にですね染み込ませて、
そしてそれを火につけて弓矢あるいは特別なカタパルトですね飛ばすわけです。
そうすると弓矢が飛んでいくとですね、あるいは燃えた槍が飛んでいくと空気の抵抗を受けて、
かえってですねたくさん酸素を吸収して炎が大きくなるわけです。
そしてそれが相手の陣地に着弾するとですね燃えていく。
そういうものが火矢あるいは火の槍のミサイルであったようですね。
しかしこの大きな盾の後ろに身を隠すと、
悪いものの放つ火矢から私たちの身が守られるということなんですね。
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この敵の放つ火矢、それはですね、
例えば先ほども申し上げました偽りによる疑い、
神への疑いや不安、そして実際の逆境などがあるとも言えると思います。
しかし私たちの復活のイエス様への信仰の大盾はその火の矢から私たちを守るのですね。
皆さんのこの画面に映りませんけども、後でご覧になっていただきたいしレジュメにも書いておきますが、
旧約聖書の四篇、六十二篇の八節にはこのような見言葉があります。
民をどんな時にも神に信頼せよ。
あなた方の心を神の御前に注ぎ出せ。
神は我らの避け所である。
そのような見言葉があるわけですね。
あるいは同じパウローの書いたローマ人の手紙の八章三十七節にはこのような見言葉があります。
しかし私たちは私たちを愛してくださった方によって、
これらすべてのことの中にあっても圧倒的な勝利者となるのです。
これらすべてのことというのは、皆さん後で見ていただきたいんですけども、
死も命もとかですね、あらゆる逆境が列挙されています。
ローマの八章の三十七節です。
すべてのことの中にあっても私たちを圧倒的な勝利者としてくださると、
私たちを愛してくださった神様はそういう信仰です。
このような見言葉をもとに、このような神様のご性質をもとに、
その神様に信頼する信仰によって疑いの飛夜を吹き消すことができるというわけです。
また、このローマの兵隊の盾を使った戦い方にこういうものがあるそうです。
ちょっと面白いので直接関係ないんですけども、
この陸亀戦術というのがあります。
それは、この盾を背中に背負って、そして歩幅前進して相手のところに届いていく。
そうすると、上から敵がこの矢を放っても歩幅前進していますから、火が当たることがない。
もう一つついでに申し上げますと、
実はエルサレムが70年に陥落した時に、そのようにこの歩幅前進してくる、
神のように背中に被った盾を避けるために何をしたかというと、
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油を熱してその油をこの盾の上に落とした。
そうするとその油の熱で盾のいろんな樹脂が溶けて、
その油がローマの兵隊の体に入って勝ったということもあったわけですね。
その後滅ぼされてしまいましたけども、これは余談です。
こういう戦略があったそうです。どういう戦略かと言いますと、
エンジンを組んで、何人かで、2,3人、4,5人でしょうか。
そしてそれぞれが外側を向いて、外側にこの盾を構えるわけです。
そして盾のいわゆる外側に向けたエンジンで、盾をこうやって囲んで、
そしてその一人は上にこの盾を屋根のように被せて、
そしてその塊になって相手に突進していくという、
そういうチームワークがあったようなんですけども、
これをしてある学者は、クリスチャンの時に信仰の友として、
チームとして互いに支え合って、この敵の誘惑に負けずにいる、
そういう共同体の一致ということも言われているようでもあります。
何はともあれ、この信仰の大盾、神への信頼が悪いものの放つ疑いの火や、
火の矢、それから私たちを守るということを覚えておいてください。
5番目、救いの兜です。
失礼しました。
救いの兜、頭が最も大事な部分ですね。
そしてそれは同時に、私たちの知性や思考を司る場所とも信じられていました。
ですから私たちは、救いに対する正しい知識が必要だということなんです。
私たちがよみがえられた主なるイエス様の家族であるという正しい知識。
また、主が私たちの救い主であるということは、
私たちをあらゆるものから、あらゆる状況から救い出してくださる。
そのようなしっかりした知識や知性をですね、ヘルメットのように私たちは頭に身につける。
忘れていたら、それをしっかり思い出す。
また、聖書を通して、信仰生活を通して、主が私たちの救い主であるということを体験をもって知り続けていく。
これが救いの兜を身につけるということかもしれません。
最後ですね、御霊の剣である神の言葉。
ここでいう神の言葉はですね、一節によれば福音のメッセージそのものを指すと言われています。
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つまり、この福音の言葉によって神様の力強い技がなされ、
その結果、私たちの心も私たちの人生や生活も清められた。
そのような福音の言葉が剣になる。
この剣というのは、今までの武具はほとんど全て防御の武具でしたが、
剣は防御用でもあり攻撃用にもなるとも言われているわけです。
剣によって相手の刃を受け止めつつ、
そしてそれを持って、この自分の剣を持って相手を突き通す。
そのような守りと攻撃がこの剣にあるわけ、役割としてあるわけですね。
実はその良い例が、イエス様のアラノでの誘爆の時の対応に見られるとよく言われています。
例えば、マタイの四章では、四十日四十夜断食したイエス様が空腹を覚えられた。
そして悪魔はイエス様に持ちかけたわけですね。
お前が神の子であるならば、この石をパンに変えてみなさい。
自分勝手な誘爆のために、この神の奇跡を誤用するように惑わしたわけです。
それに対してイエス様はこう答えられましたね。
人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉によると書いてある。
このように神明記の御言葉を通して、イエス様は守りまた相手への攻撃としたわけです。
私たちがもし聖書の言葉に慣れ親しんでいて、
折に触れたふさわしい御言葉で対応する時に、目に見えない敵から自分自身を守ることになるのです。
つまり、私たちの思いに疑念が生じたり、何かの誘爆に接した時に、
ふさわしい御言葉を思い出す時に必要であれば、それを声に出して宣言することによって、
私たちは守られ、時に攻めることができるというわけです。
6つの神の武具を今日紹介しました。
これらのもの、それは皆さんにとってはよく耳に馴染んだ言葉だと思います。
真理、救い、神の義、御言葉、御霊の剣。
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つまり、私たちが日常生活で直面する様々な困難や、
悪しきものの誘爆とされるものも、これらのものを武具として身につけて、私たちは対応し、
そして時に、主に会って福音を述べ伝えていくものだということです。
そして先ほども述べましたが、盾を共に取り合って協力したように、
時に信仰の家族同士が力を合わせて、主の備えられた勝利を体験していき、前進していくものでありたいと思います。
それではお祈りしましょう。
天の神様、皆を賛美いたします。
御言葉の中で大変知られた神の武具について、その御言葉から学びました。
どうぞ、これらの武具、あなたから与えられた素晴らしい神の福音を、
私たちが日常生活の中でふさわしくそれを捉え、また生き生きとそれらを体験し、また用いていくことができるように、どうか導いてください。
そして悪しきものから、あなたに会って守られ、信仰に固く立ち、
また時に福音の備えをもって前進していくことができるよう、どうか導いてください。
この願いと感謝を、私たちの救い主、主イエス様のお名前によってお祈りします。
アーメン。
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