2020-09-27 34:45

#25 20/9/27 光の国の民として

コロサイ-14からの礼拝メッセージ。2020年9月27日録音。暗闇から光へ、新しい国に移植された私たちと教会の関係について学びます。
00:04
1章13節14節を読みします。 新海約聖書2017年の版です。
道地は、私たちを、暗闇の力から救い出して、 愛する御子の御支配の中に移して下さいました。
この御子にあって、私たちは贖い、すなわち、 罪の許しを得ているのです。
以上です。今日はこのところから、 光の国の民としてと題して見事を送り継ぎます。
皆さん、おはようございます。
急にですね、飽きめいてきて、むしろ涼しいところから 寒くなってきましたが、皆さんが守られ、共に礼拝できることを感謝しています。
今日は、13節14節ですが、 これはですね、12節先週のところからの続きです。
早速本題に入ってしまいますが、 先週の中の3つ目の祈りですね、12節の
私たちが、きしなる神様に喜びをもって 感謝を捧げることができますように、という祈りが先週ありました。
そしてその理由がですね、 光の中にある生徒の相続文に預かる資格を、
あなた方に、私たちに神が与えてくださったからだ、 ということです。
そして先週少し触れましたけど、 この光の中にある生徒の相続文、
それは素晴らしいということ、 それがこれからパオロが解説していく、 話していく内容に関わっているというんですが、
実は今日の13、14節は、 そのことを受けて語られています。
そこにはですね、新しい神の民とされた、 そういうイメージがあります。
で、こちら復習になりますけども、 コロサイという教会のある場所は、
この日本から見てだいたいこの辺です。 今のトルコですね。
この地中海を拡大しますと、 ここにイエス様が活動されたエルサレムがありますけども、
このエペソという有名な町から、 ちょっと150、160キロ入ったラボディキアの辺り、
こっちにありますが、 エペソから少し入ったこのコロサイという町にある教会です。
ここはパオロが直接伝道したわけじゃないんですが、
エペソの町でパオロから福音を聞いた、 エパフラスというキリストチャーがここで福音を伝えたわけです。
で、今いろんなことを見ましたけども、 これら国とかですね、統治と関係しています。
先週、国連のアメリカと中国のやり取りが話題になりました。
新型コロナウイルスに関しての責任のなすり合いですね。 避難の報酬です。
03:01
そして、そこの国連に参加している国はですね、 日本も含めていわゆる統治国家です。
まあ形こそ違ってあれ、国家元首がいて、 そしてその国や政府の統治、支配のもと、
国が成り立っている国民がいるという、 それは国連です。
で、実は今日の13、14節は、 国と国民というイメージが背景にあります。
最初にちょっとだけ説明しますが、 イエスサンを信じた私たちは、
この暗闇の権威から、光の統治、 イエスサンの国へと移された新しい国の民だ、
光の国の民となった、という意味のことです。
そしてその内容、また私たちがこれを理解する上で持つべきイメージ、
そして教会の意味ということを、 この3つの点から今日お話ししていきます。
まず最初はですね、 このポイントの1番にありますように、
イエス様を信じた私たちは、 暗闇の力から、
巫女イエス様のご支配へ、 光の国へと移し入れられたということです。
で、こちらにも掲示しましたが、 1章の13節、復習します、読んでいますね。
その御父は、前の説を受けて、 父なる神様は、私たちを暗闇の力から救い出して、
愛する巫女イエス様ですね、 そのご支配の中に移して下さいました、
パウロは宣言しています。
先ほどの統治国家という言葉にありますように、
統治国家というのは、国家原始とその統治機構、
それによって国民がある意味支配されている、 そういう国です、そういう機構です。
そしてその統治国家というイメージが、 この13節には色濃く描かれているわけです。
先ほども言いましたが、ここで見えるのは、
イエス様を信じた殺されの人々や私たちは、
この暗闇の支配から、
父なる神様によって愛された巫女イエス様の支配の中に 移されたとパウロは言うんですね。
実はこの暗闇の力というのは、学者に言わせれば、 サタンの支配です。
そこからイエス様の支配の中に移されたというんです。
実はさらに私たち知るべきことは、
ここにはコントラスト、対比があります。
スマホの写真のコントラストのように、
白黒、光と闇のコントラストがあります。
サタンの暗闇の力と、
イエス様の光の支配という、 闇と光のコントラストがあります。
06:00
そしてこのサタンの力と、 イエス様の支配のコントラストです。
ちょっと難しい話をしますが、
実はこの力という言葉は、 元のギリシャ語ではエクスシアというんです。
直訳すると、権威です。権威。
もう一つ対比されている、 イエス様のご支配のご支配は、
ギリシャ語ではバシレイヤと言って、 文字通り国という意味です。
皆さんも今日その言葉を使いました。
主の祈りの中で、御国が来ますように、
最後の国と力と境とはの、その両方の国。
それがこのバシレイヤという言葉で、
文字通り国という意味と、
先ほどから話している統治国家の統治、 いわゆる支配するという意味が、
バシレイヤという言葉の背景にあるんです。
だからここでは国ではなくて、 支配と訳されていますし、
あとでもう少し詳しく説明しますが、
イエス様の支配の中にあるということは、 イエス様の国の民となった。
そういう意味です。
ただし、私たちはイエス様の国の民となった。
そういう意味がここに込められています。
そして私たちはですね、
サタンの支配とイエス様の国の関係を 知る必要があります。
この世界は神様が作っておられて、
イエス様が統治しておられます。
でもまだ完成していません。
いつも言っていますが、 イエス様が再び帰ってくるまで、
それは完成しないんです。
だから、まだイエス様の究極的には 支配の中にありますが、
サタンの権威も強く影響しているというのが この世の現実です。
私たちがイエス様を信じる前は、 イエス様の支配はなかったので、
簡単に言うと、知らずのうちに サタンの支配の中に置かれていた。
サタンの権威の中に置かれていた。
そういう思想がここにあるわけです。
どういうことでしょうか。
ちょっと今の話に戻します。
昨日、新聞にこういう線理を見つけました。
前に書いてあります。読んでみますね。
身に覚え、どこもないのに引き出され。
わかります?
身に覚え、どこもないのに引き出され。
ドコモ講座からお金が不正に引き出された。
それに限らず、ニーザーシティで活動していると、
よく市の警察の放送が流れます。
今日、振り込め詐欺の電話がありました。
ちょっと皆さん、聞いて考えてほしいんですけど、
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詐欺の上等手段は何ですか。
詐欺師の武器。
そうそう、嘘です。
中城清一のことなんてことを知っている世代もいるかもしれない。笑えた人は知っている。
嘘が上等手段なんです。偽りが。
で、何をしているか。
嘘によって人々を自分のコントロール下に置きますね。
息子を装って、その高齢の男性女性を支配する。
そしてお金を振り込ませる。
そういう偽のままに、嘘によってこの人を支配して、
自分の偽のままに行動させる。
それが詐欺師と嘘の関係ですね。
で、同じように、サタンの武器は私たちを直接傷つけることができません。
サタンの上等手段は嘘です。
偽り。偽りの神と聖書で言われています。
その偽りによって、自分を自分の権威の下に人々を置いて、
その支配下に置こうとするのがサタンの作戦です。
例えば、こういう嘘です。皆さんピンとくるでしょ。
聖書なんか嘘だよ。サタンの偽り。
聖書なんか嘘だし、聖書の神様なんかいないし、イエス様に救いなんかないよ。
というのがサタンの偽りで、
それが普通に世の中の常識としてはみこっていますよね。
そういう意味で、サタンはこの世を支配しているわけです。
あるいはですね、目に見えているものが全部真実で、
見えないものは信じる必要がないんだよ、というのがサタンの偽りですよね。
見えない神様とかイエス様なんかは信じられない。
で、そこで私たちが
気をつけなきゃいけないというか、注意すべき点はですね、
例えば私たちは一つの日本という国家に属している、
そして仕事や学校に行く、
あるいは家族や趣味というものの中で楽しんでいる、喜んでいる。
これらは全部ですね、神様の恵みの手段です。
神様がご自分の恩恵を与えるために、国家とか仕事とか家族とか趣味とか、
そういうものを私たちのために備えてくださってますよね。
生活の過程がいるわけですから。
でも、偽りによって私たちは本当の主人であるイエス様が見えなくなって、
その私たちが属している国や仕事や家族や趣味や、
それが全てだと思ってしまうわけです。
そしてイエス様を知らないとですね、知らないうちに、
それらが全てだと思って、神ではなくて、
その神が備えてくださった手段を全てだと思って、
知らない間にその支配下に、サタンの支配下に入れられてしまうという構造です。
12:00
そして、それはもちろんですけども、もっとわかりやすい偽りの宗教とか、
オカルトというのはもう言うに及ばない。
本当にサタンの偽りの最たるものでしょう。
しかし、イエス様は真理を語られますね。
ちょっと違いになりますけど、ごめんなさい。
皆さん、自分の聖書を見れたら見てください。
この1章の14節で、パウロはイエス様の真理を語ります。
1章の14節。
この御子にあって私たちは贖ない、すなわち罪の許しを得ているのです。
これがイエス様にある真理です。
つまり、私たちには目には見えませんが、
イエス様が私たちに罪の許しを与えてくださった。
イエス様が11月に死んでくださって、私たちの罪は許されている。
サタンのもう一つの嘘はですね、
お前の罪なんか許されてないよ。
あんな悪いことをしたじゃないか、しているじゃないか。
そういう嘘を私たちに吹き込んで、
私たちが罪のみじめな生活を送る、
自分の財政化に苦しめられること、
それがサタンの譲渡手段です。
しかし真理は、このイエス様にあって私たちは、
罪の許しを受けている、それが真理です。
そして罪の許しを受けた私たちは、
この目に見える世界を超えた、
新しいイエス様の御国、統治の中に入れられている、
というのが真理です。
知らずに服従させられていたサタンの支配から、
私たちはイエス様の真実に許されて、
解放されました。
そしてイエス様の御国の民、
新しい光の国の民とされた、
それが真理です。
ですから、ちょっとここだけでも、
広く深く難しい話かもしれませんが、
私たちが覚えておくこと、
このサタンの嘘に騙されないために、
真理である聖書の言葉を読むわけです。
国には法律や、またいろんな決まりがあるように、
聖書の言葉は私たちが新しく、
民とされて生きるべき指針が書いてありますから、
そういう意味でも、聖書から学び続けるわけです。
本当に忠誠を誓うのはですね、
国家や仕事、また家族ではなくて、
もちろん大事です。
そうではなくて、本当の忠誠を誓うべきお方は、
イエス様であるということを、
この礼拝においてお互い、
確認したり告白するわけですよね。
じゃあ、もうちょっと、
このイエス様の支配の中に生きている、
15:01
そのことを知るために、
2番目は大切なイメージについてお話しします。
2番目のイメージはですね、
光の国を目指して旅をする、
国民のイメージです。
旅する国民のイメージ。
皆さんよくわかります、この絵は何でしょう。
これは、出エジプトですね。
何度も説明しましたように、
クリスチャンというのが、
この出エジプトの神の民に伝わる存在です。
旧約聖書の時代、
神の民はイスラエル民族だけに、
ある意味限られていました。
アブラハムの子孫に限られていました。
その物語ですね、
当世紀と出エジプト時期にも書いてありますから、
時間があれば、ちょっと時間かかりますが、
読んでみてください。
神が世界を作られて、アブラハムを選んで、
そしてイスラエル民族を作って、
エジプトに逃れたイスラエル民族が、
神の民でありながら、
エジプトの奴隷となった。
その奴隷の区域から、
モーセを通して、
神様がイスラエル民族、神の民を救い出してくださった。
そしてその神の民は、
神の約束の地を目指して、
40年間砂漠・アラの旅をした。
その物語が、出エジプトの物語であり、
出エジプト記に書いてあります。
この出エジプト記の物語、
理解するために、
一つの例えを話しましょう。
皆さんに持ってもらいたいイメージを、
共有したいので話します。
これですね。
この最近、1年前後ですか、
香港が話題です。
芸能人の香港じゃないですよ。
香港という国。
なぜか、香港はかつてはイギリスの植民地、
イギリス領でしたが、
1997年に中国に返還されましたね。
そしてここ数年、
中国は、この香港への統治を強めています。
そして、いろいろ法律を作って、
今年にはもっと厳しい法律を作って、
香港を実際、
デモや暴動が起こったということもあるでしょうから、
法律を作って、
香港を中国が実質支配を強めることができるようにしましたよね。
そして、いろんな思想家や新聞社の社長が、
投獄されたりして、話題になりましたよね。
そこでちょっと、あくまでも、
馬鹿げた例え話をします。
香港と中国の平和を願いながら、
例え話ですからね。
じゃあ、この香港の人たちが、
自分たちの自由を願って、
こういうことをしたとしたらどうしますか。
香港の人がですね、
自由を求めて、
暗闇の世界から光の世界へ目指して、
この香港ってここにあるんですよね。
18:00
ここからですね、
ここから香港の人が丸ごと、
イギリスに目指して旅をする。
香港の人全員がですね、
まさにイスラエルの民族のように、
ユーラシア大陸を民族大移動して、
イギリスの統治下に入って、
例えば光の国の中で自由を得ようとする。
それをちょっとイメージしてください。
絶対ありえないんですけどね。
そのイメージ分かりました?
実はこのイメージ、
一つの民が暗闇からの解放を目指して、
一つの国から新しい国へと旅立っていく。
それがこのヒツエイジプトキに
褒められているイメージ、内容なんです。
40年間の旅をしたというのはそういうことなんですね。
実はこの出来事も、今読んだ
コロサイの1章13節の背景に隠れているんです。
この13節の御言葉、さっきも言いましたけども、
黒闇の力から愛す御子の御支配に
神によって映されたということはですね、
ヒツエイジプトに与えられているのならば、
神の民イスラエルは、
エジプトの暗闇の力から、
パロの圧勢からの解放を目指して、
神様によって新しい神の国の民として
映されました。
そういうイメージがこの御言葉の背景になります。
そしてそれはすなわち、
今の私たちとどういう関係があるかというと、
イエス様を信じたあなた方は、
コロサイの人々よ、日本人よ、
あなたは暗闇の力から、
サタンの支配から救い出されて、
神の愛する御子イエス様の国の民となって、
愛するイエス様の国の民として、
今、移植されたんだよということなんです。
実はですね、この映して下さったという言葉は、
ギリシャ語の意味では、
移植という言葉です。
まさに植民地という言葉、
さっき言いましたけど、
植物を暗いところから成長が良くなるように、
新しい土地に移すように、
神は私たちを暗闇の中から、
新しい光の下に移し変えて下さいと、
そういうイメージがここにあるんですね。
前後しちゃいますけども、文字通り、
イスラエルが国ごとエジプトから
新しい地に移植されたように、
クリスチャンは日本人であろうが、
アメリカ人、ドイツ人であろうが、
21:01
ベトナム人であろうが、チリ人であろうが、
その国から移植されて、
イエス様の国の民となった、
そういうイメージがここに描かれているわけなんです。
で、その時にですね、
次の話に入っていきます。
じゃあ、私たちは文字通り、
一つの国の旅として、
旅しているわけではありませんよね。
バラバラじゃないですか。
平日普通に仕事して、
全然お互い関係ないところがいろいろ。
ましてや、世界が一つの教会と言われてますけども、
チリリリバラバラですね、
今のコロナ時代であればなおさらば。
じゃあ、私たちは一つの国の旅として旅をするって、
どう考えたらいいんでしょうか。
実は神様はそのために、
教会というものを設立されたってことなんです。
イエス様が復活して以来、
使徒の働きを読んでくださればわかりますが、
ジョニーデシから始まって、ペテロの選挙から始まって、
教会が始まったんです。
それが今の歴史を通して、文字通り、
全世界に広がっているわけです。
そして、歴史上たくさんのクリスチャンがいて、
世界中いろんな教会がありますけど、
難しい言葉でね、
普遍的教会って言うんですけども、
普遍的教会っていうのはそれだ。
全部が神の前で一つの教会だっていう、
そういうイメージ、意味なんです。
で、神様はそれだけじゃなくて、
地域教会、ローカルチャーチといって、
このニーザーのような、
一つ一つの目に見える教会を通して、
私たちが神の旅として成長し、
また、旅している神の民であるということを
確認する術をですね、
教会を通して与えてくださっているんです。
で、実はここの13・14節を学んでいて、
興味深いことを知ったんです。
学者が言うんですね、
実はこのプロサイド13・14や1章の背景は、
教会論的に読みなさいって言うんです。
あの、ちょっと専門的な話をしますと、
プロサイドの手紙っていうのはですね、
キリスト論、専門用語でキリスト論とか、
救済論っていうことが書かれてるって言うんですね。
どっちも気が付きます。
でもその、学者はさらにここの背景には、
教会論っていうことを捉えて理解しないと、
本当の意味が伝わってこないって言ってるんです。
そういう意味で、実はここの御言葉をですね、
ちょっとここに書きました。
共同体的要素を持って読みなさいって言うんです。
ちょっと今日皆さん覚えてほしいんですね。
共同体とか、共同体的要素という大事なことは覚えてください。
それは今の時代に、
24:00
まあ、逆行する面もあって、
今の時代は個人主義の時代ですよね。
ましてやコロナの時代になると集まれないから。
お一人様の時代。
でも、聖書はですね、
共同体的、特にプロサイドの子は、
教会的要素を持って読まなきゃいけないって言うんです。
そしてさっきも言いましたが、
神様は私たちがこの世を旅する術として、
確認する術として、
教会というものを実際に与えてくださったんですね。
例えばですね、
私たちの体は、
あるいはですね、私たちの見えない霊というのは、
私たちが身を置く、身を置いている場所の影響を、
知らず知らずのうちに受けています。
例えば、白い服とか着ます?
知らない間に汚れてますでしょ?
医者が白衣って言うのは何でか知ってます?
それはね、白衣を着ていると血が付くんですよ。
血が付いたらわかるから、白衣を着ているんです。
だから厳しい人はですね、
医者や医療従事者が白衣を着て外を歩き回っているのは、
邪道だって言うんです。
本当は白衣っていうのは、
そういう施設内だけで着て、
汚れたものがわかるようになっているから、
白衣になっています。
それはさておきまして、
私たちが日々生活の中で、
身を置いている場所で、
見ること、聞くこと、すること、
あるいはそこで話されている内容や雰囲気、
そこに知らず知らずの間に影響を受けてしまうんですね。
さっきも言いましたが、
この世は究極的に神の支配にありますが、
まだサタンの権威が働く余地が残っている。
そうするとですね、
その権威の中では、
イエス様の救いとか存在が否定されていますよね。
だから実はそういう私たちの周りの雰囲気は、
イエス様を否定する雰囲気に囲まれていますので、
知らない間に、
私たちはその影響を受けてしまうんです。
ああ、イエス様なんかいなくて、
自分の力だけで切り開かなきゃいけないんだ、
それでもやってみるんだ、
体に染み込んでしまう。
思想に染み込んでしまう。
でも、教会に足を運ぶことによって、
共に賛美歌を歌う、
そして目に見えませんが、
精霊が共に臨在することにあってですね、
私たちはその場所に体を置いて、
神の民として、
身も心もリフレッシュ、
リセットされて、また使わされていく。
それが教会でもあるわけです。
さっきも言いましたけども、
教会は、次の点ですけど、
共同体的要素がある。
で、
私たちはコロナ禍の中で、
GoToキャンペーンに預かるかどうか分かりませんけども、
27:01
またこんな線流を見ましたら、
息抜きに紹介します。
GoToで不要不急は死後になる。
GoToで不要不急は死後になる。
不要不急な外出は控えてくださいと言いながらですね、
9月25日にはですね、
10月1日から東京もGoToの除外から外して、
自由に旅行してください、
となってしまいました。
まあ私たちがGoToトラベルを使えるかどうかは別としまして、
この世を旅をする民です、私たち。
そしてその旅をする民、
イスラエルがアレヌを旅したように、
新しい国の民として、
この世を私たちは旅続けているわけですね。
そして旅の途上で、
まさにイスラエル民族もそうでしたが、
お互いの安否を確認していますね。
みんなで動いているわけです。
そのように私たちも、
教会で共に集うことによって、
お互いの安否を確認しているわけです。
あ、1週間あの人守られているんだな、
あの人いないけどどうなっているのかな、
気になったりするわけですよね。
だから休みの連絡とかあると助かるし、
そういうことをみんなが報告するわけです。
この1週間無事に守られているということを、
実は確認し合っているわけです。
だいたい教会ではですね、
イースターとかクリスマスで食事会するんですけど、
今はできません。
礼拝の後もコロナ感染予防のために、
すぐ話し合いに帰ってしまいますけれども、
実はお互いがそうやって、
無事を確認し合っているのが、
この教会の交わりなんですね。
そしてまた、旅する神の民、イエス様の国の民は、
世界で少数派です。
クリスチャンって日本に何パーセントあるか知ってます?
1パーセント。
でも本当に礼拝を守っているクリスチャン、
何パーセントかというと、さらに少ない。
0.2パーセントです。
少数派です。
だから私たちは、教会の外でなかなか
クリスチャンの方に出会うことはありません。
少数派だと肩身が狭かったり、
色々するかもしれません。
自分の意味を、クリスチャンとしての意味を
見失うかもしれません。
でも、教会でこのように互いに、
礼拝に募っている兄弟姉妹の姿を見ることによって、
私は孤独ではないんだな、と。
イエス様の神の民として
共に歩んでいる兄弟姉妹がいるんだな、
ということを確認する。
ある意味では、神の民の存在やアイデンティティを、
無意識の間にお互いで確認し合っているんです。
サタンの嘘はですね、
お前に価値がないということです。
この世では、自分の存在価値を証明するために、
量積を上げなければいけないわけですよね。
実績を上げたり、
持ち物とか外見とかで、
自分の価値を高めなければいけない。
30:00
その中でサタンの偽りは、
お前は価値ないよ、と。
でも、私たちはですね、
教会に集うこと、礼拝に集うことによって、
お互いがお互いを、
良い影響を与え合っているんです。
あの人も神の民であり、
私も神の民だということを、
無意識の間に意識し合って、
実は、私たちこの存在することにおいて、
他の方の役に立っている。
クリスチャンとして、他の方が
自分のアイデンティティを確認する上で、
私たちは教会に集うという、
いることだけでも意味があるということなんですね。
そして何度も言いましたが、
私たちがこの礼拝で賛美を捧げ、
祈りを捧げ、横束を着くことによって、
何を告白し、何を確認しているか、
それは、私たちの本当の王は、
本当の主人はイエス様なんだ。
そのことを告白して、確認している。
それがこの礼拝であるわけです。
そして、目には見えないけれども、
イエス様こそが私の、そして、
究極のこの世界の支配者だということを、
礼拝で確認するわけです。
目に見えるところだけだと、
そんなものはない、あるいは、
サタンが支配しているということのほうが、
本当かなと思いますけれども、
イエス様こそ、真実の支配者だということを、
この礼拝で確認し、告白しているわけです。
そして、この日本にありながら、
私たちは日本人、あるいは、
ドイツ人、アメリカ人、ベトナム人、
いろんな方がいるかもしれませんが、
私は本当は、イエスの神の国の国籍なんだ。
そういうアイデンティティを、
具体的な形で、
教会に集うことによって、
確認し、あるいは、
表明しているわけなんですね。
今日はちょっと広い話をしましたが、
ぜひ、私たちが理解していくこと、
それが私たちの深刻な意味となること、
それはですね、
神の国の民であるということ、
そして、神の国の民として旅をするという、
そういうイメージ、
そういう共同体的なイメージですね。
そのことをぜひ、
それぞれが掴み取って、
この世の旅路を続けてほしいと思います。
最後に、聖書の励ましの言葉を読んで終わりにしましょう。
こちらに掲載しました。
兄弟たち、あなた方の中では、
誰も悪い不信仰の頃になって、
生きる神から離れるものがないように気をつけなさい。
今日と言われている間に、
日々、互いに励ましあって、
誰も罪に惑わされて、
固くなりならないようにしなさい。
ペグル13の3章12節から13節。
33:01
読みましょう。
天の神様、皆を賛美いたします。
私たちをイエス様の十字架の贖いによって、
罪をゆるいてくださり、
暗闇の支配から、
イエス様の光のご支配へと、
あなたの見栗の民としてくださったことを感謝いたします。
見えるところでは、
イエス様のご支配が、
わかりづらいこともありますけれども、
どうぞそのことを、私たちの心と目を開いて、
さらに知ることができるように導いてください。
また、共に旅する神の旅の場所として、
神の国の現れとして、
あなたが教会を備えてくださったことを感謝いたします。
ここに集うお一人お一人が、
あなたにある尊い器であり、
また互いにとって、
励ましの存在であることを覚えて感謝いたします。
今、それを実感する機会がなかなかないですけれども、
どうぞ、ご手で玉元の真理を、
私たちの心に深く焼き付け、
また、今日から始める新しい一週間、
この世において、
あなたの御心の内を、
あなたにふさわしく歩み、
あなたの光を放つことができるように導いてください。
この願いと感謝を、
私たちの救い主、
主イエス様のお名前によってお祈りします。
アーメン
それではお祈りしましょう。
今日の聖書の言葉に応答して、
皆さんが心に思うことを、
それぞれ神様にお祈りしてください。
34:45

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