2022-01-23 29:07

#90 2022/1/23 負けずに踏みとどまる

エペソ-13からの礼拝説教。2022年1月23日録音。ウクライナとの国境におけるロシアの軍事配備の問題など実際の軍事衝突やその危機が今も世界的に起こっています。一方日本ではオミクロン株の感染者が昨日(2022/1/22)都内で初の1万人超え、全国でも初の5万人越えを記録しました。まさに目に見えないウイルスとの戦いに臨んでいるかの如くです。この6:10-17の一連の戦いの表現はエペソ人の手紙の特徴でもあり聖書中非常に有名な箇所でもあります。その前半部分から私たちが直面する戦いについて3つのことを学んで行きましょう。

00:04
エペソビトへの手紙、6章、10節から13節をお読みします。
終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
悪魔の策略に対して固く立つことができるように、神のすべての武具を身につけなさい。
私たちの格闘は、血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいる諸々の悪霊に対するものです。
ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また一切を成し遂げて固く立つことができるように、神のすべての武具を取りなさい。
以上です。今日はこのところから、負けずに踏みとどまると題して見言葉を取り付けます。
皆さんおはようございます。新型コロナウイルスの感染のことがいつも話題になるぐらい、今、拡大が広がっております。
そんな中でもですね、国際情勢も様々動いていまして、旧ソ連、ロシアがですね、ウクライナ共和国の国境付近に軍備をしていると。
NATOとの関係においてですね、牽制しているというんですけれども、そのような軍事的な衝突はそこに限らずですね、ミャンマーなんかもそうですけれども、この近辺でもそうですが、世界的に今でもまだ起こっているわけですよね。
一方、日本では、もう皆さん驚いたかもしれませんが、昨日、東京で初めて新型コロナウイルスの感染者が1万人超え、また全国でも5万人を超えたというですね、街頭インタビューでも渋谷にいた女の方にですね、NHKだったんですけど、今日の感染者数わかりますかって聞いたんですね。
そしたらですね、わかんないですね。何千人くらいですかって言ったので、あのアナウンサー、インタビューはですね、1万人超えましたって言った。えーっとか言って。3秒くらい絶句してたんですよね。まあいろんなことを言われていますけれども、そういう感染拡大が広がって、感染拡大になっていて、まさにですね、目に見えないこのウイルスとの戦いの中にいるような、そんな中にいるような感じをしますけれども、
今日のパウロのこの言葉は、エブソビトの手紙を締めくるにあたり、終わりに言いますと言っています。まあある学者に言わせれば、エブソビトの手紙4章から後半に入るんですけども、4章のクライマックス、もしかしたら手紙全体のクライマックスがここに当てるんではないかと言われています。
03:02
少し振り返っていきますけれども、パウロは1章から、クリスチャン一人一人のいわゆるアイデンティティの課題を取り上げている。新しい神の民になりましたよ。神に選ばれて祝福されているんですよということから始まって、そしてユダヤ人に比べた、イホウ人、エブソのクリスチャン、アジアのクリスチャンということで、一つの共同体という神の民というふうに広げていきました。
そしてそれで3章終わった後、今度4章に入ると、クリスチャンの道徳について語りましたよね。ムヒンコを避けなさいとか、いわゆる一人一人のクリスチャンがどうやって神の民としてふさわしく歩むかという、そういうことを教えていきながら、そしてこのクリスチャンの個人生活、共同体生活というところにパウロは目を向けさせながら最後の部分で、
外に対してパウロは目を向けさせている。クリスチャンは外との戦いがありますよということで、まあ教会生活長い方はですね、霊的戦い、スピリチャルバトルという言葉を聞いたかもしれませんけれども、そのようなクリスチャンが外と対峙する戦いについて最後、パウロが述べているわけですね。
この6章の1節から17節に霊の戦いに関して書いてありますけど、これはですね、エペソビトの手紙で非常に特徴的な箇所です。
教会生活長い方は分かると思いますけど、聖書の中の有名な言葉がいっぱいありますよね。その中でもこの霊の戦いの霊的武具という部分はやはり非常に有名な箇所です。私自身もここを詳しく学ぶのを楽しみにしていまして、今週と来週に分けて前半後半から学んでいきたいと思います。
今日の部分はですね、前半のところで霊の戦いの基本的なことを3つの点から一緒に学んでいきたいと思います。
まず最初の点はですね、
なかなか上手くいかない。
まず第一点はですね、クリスチャの戦いは目に見えない霊の戦いであるということなんですね。読んでみますね。
悪魔の策略に対して固く立つことができるように、神のすべての部分を身につけなさい。
ここから読めるかと読んでみましょうか。
3、私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいる諸々の悪霊に対するものです。
06:07
11節、12節ですね。
実はですね、この聖句の後半部分、霊の戦いの相手、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、天上の諸々の悪霊とかですね、一番最初の悪魔、英語でサタンと言われてますけど、
実はですね、学者さんたちの間でこれがはっきり何を意味するかよくわからないと言われてるんです。
だからこれ一個一個が何かということを細かく言い当てて、何か私たちがするということはあまり望ましくないんですね。
それよりも一番大事なことがあるんです。
それは、これは目に見えない神に敵対する、そしてクリスチャーに敵対するサタンという存在がいるよということをまず知っておかなきゃいけないということが一つ。
そしてそれがですね、どういうやり方かわからないけれども、この私たちの周りというか、私たちの信仰を阻害するために働いているということなんです。
でもっと言えば一番大事なことはですね、サタンの目的はクリスチャンをつまずかせることだということを知っておく必要があるんですね。
もう少し詳しく言うと、サタンの願っていることは、クリスチャン、神の民の信仰をつまずかせて、そしてキリスト信仰をやめさせることにある。
そのことをまず私たちは知っておく必要があるわけです。
どういう方法かとかそこまで詳しくわからないんですけど、それを知っておきましょう。
どうやってそのような戦略がなされているかというとですね、大きく二つの言い方をします。
一つは否定的なアプローチと言えるかもしれません。
それはですね、私たちの身に降りかかる試練、苦難、迫害、嫌なことですね、一般的に。
そのようなことを通してクリスチャンに疑念を抱かせるんですね。
そして、例えばイエス様が救い主なのになぜ私にこんなことが起こるんだ、あるいはどうして神様がいるのにこんな不幸なことが世に起こるんだ、そういう疑念を抱かせる。
否定的なアプローチしてくるわけですね。
そして結果的にはですね、その人、そのクリスチャン、神の民をしてキリスト信仰を諦めさせる。それが敵の狙いだということなんです。
皆さんあの石地に落ちたイエス様の種薪の例えでですね、岩地に落ちた例えの人があると思いますけど、それ似てるかもしれませんね。
09:01
信仰の試練でつまづいて信仰を捨てる。
もう一つはちょっと言い方は微妙なんですが、積極的なアプローチ、サタンがあると。
それはですね、イエス様のその種薪の例えの中で言えば、茨の種、中に巻かれた種と言えるかもしれません。
それはですね、このエペソビトの手紙の中で繰り返し言われていますが、
違法人のかつての生活、2章とか4章にありますけど、違法人のかつての生活にもう一度魅力を感じて死ぬ。
そういう世界から引きずり、また戻されていく。
そしていわゆるこの世に絡めとられて、再びいわゆる違法人の生活に逆戻りしていく。
そういう喜んでですね、そうやって信仰を捨ててこの世に戻っていく、そのようなアプローチですね。
実はここに、6章11章の冒頭にですね、悪魔の策略って言われています。
英語でスキームとか言われるんですけども、策略っていうのはですね、手口が狡猾であるって意味なんです。
昔学生時代にですね、アメリカから学校にクリスチャンの方が来て活動を手伝ってくれたんですけども、
その人がですね、私が持ってたNBAのチームかなんかのですね、ステッカーで、なんとかデビルズっていうのがあったんですね、デビルズ。
で、そのマークがですね、ロゴがですね、いわゆるデビルズって言われています。
いかにも宗教的で、いかにも親切そうで、魅力的に装うのが悪魔なんだよって、
30年以上前にその方が教えてくれたのが今でも思い出すんですけれども、
その悪魔の策略って言われているんです。
で、その悪魔の策略って言われているんです。
で、その悪魔の策略って言われているんです。
で、その悪魔の策略って言われているんです。
で、その悪魔の策略って言われているんです。
で、その悪魔の策略って言われているんです。
30年以上前にその方が教えてくれたのが今でも思い出すんですけれども、
まさにヘビーがですね、エヴァを誘惑したように、
悪魔の誘惑というのは、目に麗しい、魅惑する、魅惑的なものである、
そういう策略なんですね。
見た目に良いとか、あるいはですね、よく言う偽りの宗教で言えば、
心地よい、ご利益がありそうだなとか、分かりやすい、
人生の問題を全部解決する、この世の矛盾に全部答えがある、
そういう教えかもしれません。
パウロもエブソビトの中にも、騙し事の哲学と言っていますけれども、
そういう類のものです。
何やともあれ、そういうこの世の私たちを、
クリスチャンを絡めとるような生活とそれに対する欠別、
このようなことがですね、レジュメにもありますが、
12:01
エヴェソの4章の17節から5章7節にですね、
してはいけませんと言われているようにですね、
この書いてありますから、復習するとそのありようがよく分かると思いますし、
私たちへの警告になるかと思います。
第一の点、悪魔の策略というのは目に見えない。
私たちの戦いは血肉、人間とかですね、目に見えるものではなくて、
霊の戦いだということを覚えておきましょう。
二番目、しかしですね、大事なことがあります。
聖書は、パウロは神様はこう述べているんですね、
固く立つために神の武具を身につけなさい。
11節、13節、繰り返しになりますが、ちょっと読んでみますね。
悪魔の策略に対して固く立つことができるように、
神のすべての武具を身につけなさい。
ここから読んでみましょう。読める方は3回。
ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、
また一切を成し遂げて固く立つことができるように、
神のすべての武具を取りなさい。
ここにありますね。
このパウロはクリスチャンにここで命令しています。
それは、信仰に固く立つために、神のすべての武具を身につけなさい。
神のすべての武具を取りなさい、と言うんですね。
ここで大事なことなんですけれども、
正確に言うと、命令は武具を付けなさいなんですけれども、
それに関わる大事な命令は、固く立ちなさいという言葉です。
こっちもありますね。固く立ちなさい。
ある学者が、なるほどということを言うんです。
パウロはここで、霊の戦いに臨むクリスチャン、私たちに対して、
勝利しなさいと命じていないんです。
あなたが言って、勝ちなさいと言っているのではなくて、
固く立ちなさいと言っているんです。
それはどういうことか。
それはですね、勝利はすでにイエス様が取ってくださっているから、
だからあなたは固く立っていればいいんだよ、そういうことを言っているんですね。
もうちょっとわかりやすく言いますと、絵を引っ張ってきましたけど、
これはローマン・ソルジャーズですね。当時のローマの軍のイラストですけれども、
このパウロが言っている兵隊のイメージはですね、最前線の兵隊を言っているようです。
いわゆる肉弾戦をする。
15:01
この戦いはですね、スポーツのレスリングとか、去年モニピックがありましたけど、
柔道とか相撲みたいに、体と体がぶつかり合う、そういう戦いを言っているんです。
でも当時ですね、ローマの軍隊の最前線の兵士たち、戦いの最前線の兵士たちの使命の一番大事なことは、
そこから動かないということだったんです。
敵が攻めてきても動かないで押し留める。
まさに固く立っていることが当時の兵隊の大事な役目だったんですね。
一歩も引かない。
相手の軍隊が迫ってきても踏み留まって後退しないということだったそうです。
サダンのことを例えて言いますけど、敵はですね、例の敵は、神の国に攻め入るために、
さっき言った、よく分からないと言いましたけども、何か悪霊を私たちのところに送り込んでくれるかもしれません。
そして、あわよくば私たちを捕虜にして、自分の国に引きずり込む、いわゆる信仰を諦めさせる、
捕虜にしようとするかもしているということなんですね。
でも私たちはですね、そこで信仰に固く立っている。
踏み留まるべく神様に期待されているんですね。
実はパウロここではですね、ローマかエペソの牢屋に投獄されていました。
つまり、あのパウロでさえ簡単な信仰生活を送っていなかったんです。
このまさにローマの兵隊が見守る中で牢屋にいた戦いの最年生に彼もいて、
クリスチャン生活はイージーじゃないとしていたんですね。
そこでだから、勝たなくてもいいから、固く留まりなさいと。
そうパウロは私たちにも勧めているわけです。
この13節のこのですね、
13節のこのですね、
邪悪な日に際して対抗できるようにという言葉。
この邪悪な日、そしてその後一切を成し遂げて固く立つことができるように。
似たような言葉の言い換えです。
これはですね、言い換えるとですね、
ごめんなさい、これ言い換えると先ほど言ったようなですね、
否定的積極的な悪魔のアプローチがあるかもしれません。
信仰の試練や罪の誘惑が起こる日々の中、
そういうですね、悪魔の誘惑や信仰の試練、罪の誘惑が起こる日々というのが、
邪悪な日々だと言っているんです。
そういう日が来ます。
あなたに試練が訪れる時があるかもしれません。
でもそういう日が来ても、
信仰にとどまって、神の民としてふさわしく生きてください。
18:05
踏みとどまってください。
そして大事なことは、そんなあなたはいわゆる丸腰ではないんですよ。
丸腰。
丸腰。
つまり、あなたには神のあらゆる武具が用意されているんですよ。
その武具を身につけなさい。
とパウロは言っています。
実はその神の武具の詳しい説明が来週出てきますね。
アメリカなんか行くとクリスチャンのそういうおもちゃがあって、
子供向けのおもちゃにこういう神の武具を模したですね、
こういうおもちゃなんかありますけれども、
その神の武具一つ一つについて来週詳しく学んでいきます。
とにかく大事なことは、
信仰に固く立って、どんなにつらいことがあったり、
この世的な魅力的なものがあっても、
あなたの信仰を捨てないで、神を信じ続けていきなさい。
そして、エピソード4章、5章にあるような、
神の御心を行いなさいということをパウロは言っています。
私、ここ文語訳聖書で見てみたら、
非常に格調高い言葉で励まされたんですね。
皆さん共有したいと思うんですね。
ちょっとこれすごいですね、この字ね。古い字ね。
ちょっと読める方、声出してこれ読んでみましょうか。
これ術ですね。
口語体ですけど読んでみましょう。3、はい。
悪魔の術に向かいて立ち縁ために、
神の武具を持ってよろうべし。
サムライみたいですね。
この故に、神の武具を取れ、
汝ら、悪しき日にあいて、
仇に立ち向かい、全てのことを成就して、
立ち縁ためなり。
この格調高いレジュメにもありますからですね。
是非また見てください。
こういう、神の武具を持ってよろうべし。
全てのことを成し得て、立ち縁ためなり。
格調高く言っていますが、固く立っていきましょう。
最後、素晴らしい福音に耳を傾けて終わりにしましょう。
3番目、主の善能の力で強めてもらいなさい。
私たちはですね、これまでの話を聞くと、
霊の戦いの最前線にいる。
それを聞いて不安になるかもしれません。
けれども、戦い臨む私たちの大前提である、
素晴らしい約束がここにあるわけです。
読んでみましょうか。
6章10節3、終わりに言います。
主にあって、その大能の力によって強められなさい。
ここでの鍵はですね、この命令は受動体なんです。
21:02
ギリシャ語で見ると。
でも英語の戦書をみんな見たらですね、
全部be strongといって普通の命令系なんですけれども、
ギリシャ語にはですね、
中動体、能動体、受動体というのがあってですね、
話がややこしいから詳しく言いませんが、
ここでは受動体の命令で直許訳するとですね、
つまりあなたは自分の力で強くなれと言われています。
強くなれと言われているんじゃないんですね。
じゃなくて、神様によって強めて強めてもらいなさい。
戦いの最前線の私たちを強くするのはイエス様なんですよ。
そのイエス様に強めてもらいなさいとパウロは、
この例の戦いの冒頭ではっきりと命令しているんですね。
それは逆に言うと、命令でありますけれども福音です。
先ほど私たちに対してですね、神様の期待は勝利することじゃなくて、
立っていることだと言いましたよね。
固く踏みとどまる。
なぜならイエス様が既に勝利してくださった。
復活によって神様がイエス様によって勝利を成し遂げてくださったからなんですね。
それがあってのイエス様によって、
イエス様によってイエス様によって強くされなさいという命令なんです。
皆さん相撲を見るか分かりませんけどね、
今日は大相撲の千秋楽で三丈組が優勝するから。
知らないか関心ないかでいいんでしょうけど、注目されています。
よく相撲を見ているとね、残った残ったって本当に土俵際で耐えて逆転しますけれども、
まさにですね、土俵際でこの粘って結局勝利するその力の源は私たちにとってはイエス様ご自身だということなんです。
残った残ったの力の源はイエス様の全能の力にあるんだということなんですね。
この全能の力、別の聖書では大能の力、英語の聖書ではオルマイティ。
ギリシャ語ではパントクラトーラという専門語なんですけど、
このね、全能という言葉、それね私辞書で調べてみたんです。
日本で一番ポピュラーな三聖堂の神明会国語辞典で一番新しいやつで全能って調べてみたんですね。
そしたら二番目にですね、全能の項目の二番目の記述にですね、
全能の意味、それはトランプで最も強い札、スペイドのエースだって言ってるんですね。
全能のこと、最も強い札のことを言うトランプではスペイドのエースだ。
24:01
それが二番目の意味。一番目の意味なんて書いてあったか。
だからですね、全知全能で、全知全能の神って言葉がですね、日本の国語辞典に一番最初に出てるんです。
それくらいインパクトのあるこの聖書の言葉なんですね。
私たちの、この勝利の、そして源であり、私たちが神として生まれる、
この聖書の言葉なんですね。
私たちの、この勝利の、そして源であり、私たちが堅く立つ力の源は、
全知全能の神ご自身のその力であるということなんですね。
そしてパウロはエペソーショでたくさんこのことを繰り返しています。
その見言葉を最後に二つともに読んで終わりにしたいと思います。
ちょっと長いんですけどね。
最初の1章の19節から21節。
最初の部分だけ読んでみましょう、ここまで。
3回、神の大能の力の働きによって、私たち信じる者に働く神の優れた力が、
どれほど偉大なものであるかを知ることができますように。
私ここから読みますね。
この大能の力を神はキリストのうちに働かせて、キリストお使いの中からよみがえらせ、
天上でご自分の右のだにつかせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、
また今の世だけでなく、次に来る世においても唱えられる、すべての名の上に置かれました。
このイエス様がミザに着座したその下にいる支配、権威、権力、主権というのは、
さっき言ったパウロが6章で言っているアフレイたちとも関係あるとも言われています。
ちょっと油断になりますけどね、当時の世界観というのがあったんです。
ユダヤ教から続く。
それはね、天が何層かになっていると考えていたんですよ。
1層、2層、3層みたいな。
その人間とダブル部分の天界に、いわゆる天使とか悪霊がいたと考えていたそうなんです。
一番上に善能の神がいたと、そう考えたんです。
そういう背景がもしかしてあるとしたらですね、
まさに私たちの周りに足切れがいるかもしれないけども、
一番高いところにすでにイエス様が復活して勝利しているから、
その力によって強められれば大丈夫だとパウロは言っているようなんですね。
何はともあれここで、その善能の力の偉大さを知ることができるようにパウロは祈っているわけです。
最後、エピソード3章20節から21節ですね。
27:03
これちょっと長いですけど読んでみましょうか、頑張って。
どうか私たちの内に働く身力によって、私たちが願うところ、思うところのすべてを遥かに超えて行うことのできる方に、
教会において、またキリストイエスにあって、栄光が世々限りなく常しえまでもありますように、アーメン。
神様、イエス様の善能の力というのは、私たちの内に働いて、私たちの願いや思いをすべて遥かに超えているというものなんですね。
そのことを知ることがクリスチャン生活の醍醐味でもありますね。
これらの神様の力をイエス様の力に頼り、またその力を知りながらこの世に置かれている、
戦いを一緒にやって歩んでいきたいと思います。お祈りしましょう。
天の神様、皆お賛美いたします。
パウロの御言葉を通して、レール戦いについて学びました。
私たちは戦いの最前線に置かれているレール戦について学びました。
レール戦について学びました。
私たちは戦いの最前線に置かれているそのような身でありますけれども、
イエス様にある善能の力によって強めていただけることを感謝いたします。
どうかその素晴らしさ、その幸い、その奥深さを、私たち一人一人が豊かに知ることができるように、どうか導いてください。
この願いと感謝を、私たちの救い主、主イエス様のお名前によって祈ります。
アーメン
それではその場でお一人お一人一分ほど黙祷して、主にお答えする時間を持ちましょう。
29:07

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