2021-04-05 21:08

【GMV 351】イリュージョンでもリアルでも同じことをやりたい

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マトリックスで懇親会が盛り上がりました
00:04
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
来週の日曜日、6日後にライブで赤入れをします。
これ、要するにですね、
書いたことがある原稿とか、今まさに書いているよとか、
これから書く論文みたいなものの赤入れというか、
フラゾの慶応さんにその場で、ライブで赤を入れてもらうという
編集の一環をしてもらうという参加者さんの文章ですね。
という企画というか、セミナーです。オンラインですね。
いろんなメリットがあると思うんですけど、
僕が感じると思っている一番のメリットは、
自分の言いたいことがあまり文章を変えることもなく、
変えるんですけど、変えないと赤入れになりませんから、
変えるんですけど、あんまり大きくいじらずに言えるようになるんですよ。
これに割と尽きるかなと思います。
もの書きをしているとですね、全部書き直したいと思うことが結構あるんですよ。
でも全部書き直すというのは全然現実的でなくてですね、
それで割と本を書くのが途中で冷やがってしまうというか、
挫折してしまうという人が結構いらっしゃるんですよ、見ていると。
私、あれはやめたいなと思うんですよ。
昔、ショパンだったと思うんですけどね、
ずっと書くと、音楽作曲して、最初にできた作品が気に入らないわけですよね。
どんどん直すと、直しに直しても、
肌で見ているとすごい気の毒になるほど苦しむんだそうです。
直しに直しに直すじゃないですか。
ずっと直して、出来上がってみると一番最初に書いたやつだったというエピソードが結構あるらしいんですけど、
確かショパンだったと思うんですけどね。
これ、起こりやすいことなんですよ、本を書いてても。
書いてみて気に入らなくて直していくじゃないですか。
でも意外と結局言いたかったことは最初に書いたことだったりするんですね。
だから、女子とかをちょっといじるだけで割とわらっと変わっていくことが多くて、
蔵園さんの中で見ていると本当そうで、
ここのにととが違うっていうのは大きくてですね、
それを繰り返しているうちに言いたいことが全部出てくるっていうことがしばしばなので、
これをぜひ体験していただければと。
で、このことをやっていればですね、本一冊書き直すとかをしなくて済むはずだっていうのはわかるようになるんですね。
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これ、記事でも論文でも全部同じで、もうダメだみたいな感じで全部消してまた一から書き直すっていうのが、
なるべく僕はやめといた方がいいと思ってるんですよ。
それするしかない時もありますけどね。
ということなので、特に書き上がらないよという人は、
だからこれの元は書き上げ塾なんですけど、書き上がらないという人にぜひチェックしてみていただけるといいかなと思います。
それとは、またあるようなないような話なんですけど、
先日、これは勉強会のシーズン2の3回というのをやったんですね。
先日です、本当に。
日曜日。
昨日じゃなくて一昨日かな。一昨日は土曜日ですね。
これなんですけど、そこで懇親会があって僕途中参加だったんですけど、
マトリックスの話がなぜか出たんですね。
別々不思議はないんですよね。
グッドバイブスではイリュージョン、イリュージョン、誘拐。
イリュージョンというのは、つまり目の前の幻想を見ているということだし、
マトリックスはもう集団で幻想を見させられているという映画ですから。
でですね、実際でも私たちは本当にああやって繋がれている存在ではないんだろうかというような話になったわけですよ。
で、なるじゃないですか。
今時の人は、私はこういう考えを持つに至るだろうなとつくづく思うんです。
一つにはバーチャルが発達しているし、
もう一つはやっぱり世の中が大変人間向きに未人間向きにカスタマイズされてきたので、
リアルを信じにくくなると思うんですね。
毎年のように洪水が起きて、どんどん病気で人が死ぬみたいな世界は、
リアリストで死にないわけにはいかないですよね。
お互いが戦争して首を切るみたいなことをやっていたら、
これは夢かもしれないとか言っているうちに殺されちゃうじゃないですか。
だからあんまりマトリックス的な想念を発達させるにはいたらないと思うんですけど、
だからやっぱりこういう考えは戦後に発達してきたと思うんですけどね。
マトリックスではないのかあるのかって究極的には議論の決着ないですよね。
私も大学時代に暇だったから、結局これ暇だったからだと思うんですけど、
ずっとこのことを考えていたんですけど、
決着つかないですよね。今の現実が夢なのか現実なのかっていう議論は。
ただですね、私はこれをどこかで折り合いはつけている感じはあって、
まずマトリックスは映画だからなんですけど、あれはダメだなって思ってるんですよ。
なんでダメかというと、目覚めた先の世界が過酷でなさすぎる気がするんですね。
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もしあんな状態であるとすれば、目覚めた先に仲間がいたりすることはありえないと思うし、
たぶん目覚めた瞬間に殺されるだろうなとしか思えないんですよ。
もう一つは、そもそもあの疑問を持たないようになるだろう。
絶対普通常識的にはと思います。
つまりこの夢の中で夢を見るみたいな現実とか精神分析とか、
ある種の宗教とかは一切許されないと思うんですよね。
私だったらそれは夢を見させている人間には絶対にタブーにしますね。
それに気づきそうになったらそいつは殺すみたいな。
だってそうしておかないと危なくてしょうがないと思うんですよ。
藤本真鶴さんというもう亡くなっちゃった漫画家さんなんですけど、
やっぱり同じようなことをすごく題材にされる漫画家なんですよね。
すごく題材にされる漫画家で、夢警察というのが出てくるんですよ。
その中にほっぺ立つねり剤というのがあるんだけど、
あれなんですよねまさに。
マトリックスではそこが緩すぎると思ったんですよ。
あれは漫画だからギャグ化してるんですけど、
ほっぺ立つねり剤があるはずなんですよね。
幻想をみんなに見させているというのであれば。
ここから冷めさせるわけにいかないじゃないですか。
G.I.ザメアチンという人かな。
我らという小説を書いているんですけど、
あれの中では日記を書くことが禁じられているんですよね。
その中で密かに日記を書く。
1948年というのは村上春樹さんもQをアルファベットにして話題になっていましたけど、
OLの1948より僕はザメアチンの方がよくできているなと思っていたんですよね。
やっぱり日記を書くことを禁ずるというのは非常に正しい論点だと思うんですよ。
あれはマトリックスではないですよ。
どっちかというとスターリンのソ連だと思うんですけど。
日記を書くのを見つけたら死刑みたいにする人は、
今ライフハックの人の中で日記が流行ってますけど、
本当に僕はあると思うんですよね。
日記を書くのは許されないというのは。
今の北朝鮮で近いことが行われているんじゃないのかなと時々思うんですけど、
やっぱりマトリックスの世界で日記が書けるはずないと思うんですよ。
そう思った時に逆に考えればいいように思うんですね。
この世界がイリュージョンなのかリアルなのかを分岐させる一つの考え方として、
どっちでも同じことをするならば、それはどっちでもいいんじゃないのかというふうに僕は思うんです。
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だから私は夢の中でタスクシュートをしばしばつけていて、
夢の中でグッドファイブスを意識していて、
これが自分にとってはわりと譲れない一戦かなと思っています。
つまりリアルに目覚めたいというのはどうしてもあるじゃないですか。
それは多分モチベーションの問題だと思っているんですよ。
最近時々話題に出しますが、
アツマルエ動物の森の中で株の売買という漬物にする株を100ベル未満で買って、
100ベルって通貨なんですけど、100円以下で買って大量に仕入れて、
小豆そばみたいな話ですね。
時々跳ね上がるんですよ、500ぐらい。
そうすると5倍じゃないですか。
5万株ぐらい売ると、もうお金持ちですよね。
これをやるんだけどゲームの中で、
まあ、所詮ベルは通貨じゃないわけですよ、リアルなね。
いくら500万ベルとか持っていても何もならんっちゃ何もならんわけですよ。
これがつまり、私は人がイリュージョンだということを見抜きたい理由だと思っているんですよ。
夢の中で一生懸命お金貯めたり仕事したりしてもしょうがないじゃないですか。
だから、ということは現実もイリュージョンであればですね、
この中で悪セクしてもしょうがないじゃないかと、
そういうことをアルベルカーミンって人が書いてますよね。
苦労するまでもないと人が気がついた瞬間に自殺したくなるって、
あの人は実存主義の中でも暗い人の方なので、
そういう発想になりやすいと思うんですけど、
死なないわともかくとして、
苦労するまでもないっていうのが、
イリュージョンを見抜きたい時の一つの大きな理由になると思うんですよ。
逆に言うと、この世界の中であれば、
これをするには対すると思えるのであれば、
それはイリュージョンであろうとリアルであろうと変わらないかなと。
つまり、日記をつけたいというのが、
夢の中でも日記をつけているなら、
これはアリなんですよ、私の中では。
その日記が幻だろうと現実だろうと、
大した違いはないと思うんですね。
どうせどんな日記であろうと、
死んだ後は関係ないじゃないですか。
紙もいずれ朽ち果てるじゃないですか。
何億年も経てば絶対に。
同じことだなと思わなくはないんですよね、ある意味では。
極めて極端ではあるけれど、
それをするということが大事なのであって、
それが残るとか、物理的に実在するとかしないとかいうのは、
特にこういう時代になってくれれば、
だんだん二次的な方向かなというふうに思っています。
だから逆に考えてみると、
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あつ森の中で一生懸命ベル貯めたくなって貯めるわけですけど、
これがウィニコットが言う遊びってやつなんですけど、
まももとに真剣になっていくのであれば、
これはもう夢であろうと現実だろうと、
あつ森だろうと同じだと思うんですよね。
その中で貯めるお金に価値があると思えるならば、
バーチャルだろうと、もともとお金はバーチャルだと思うんですけど、
つまり価値があると思えるんだから、
価値があるんだと思うんですよ、そういう言い方をすれば。
これはあまりグッドワイブス的だとは思わないんだけど、
グッドワイブスで気をつけるべきは、
イリュージョンってあること自体ではやっぱりなくてですね、
攻撃を生み出すイリュージョンかなと。
だから恐れを抱くというイリュージョンだろうなと。
やっぱりそれが一番イリュージョンらしく機能しちゃうんですね。
現実に悪影響を及ぼすというのかな。
現実が何であるかはこの議論の中では大変確かに難しいんだけど、
とにかく何かがそこにあって、悪影響を及ぼす。
だから私最近はゲームの中でも、
やめといた方がいいことってあるんじゃないかなって思うようになってきたんですよ。
昔に比べてね、そこまで気にすることもないんですけど、
他の動物いじめるとか、不可能なわけじゃないんですよね、裏技的に。
夢の中でもですね、戦うのをなるべく避けるんですよね。
同じだと思うんですよ。
夢の中ならタスクシュートを取らないって言うんだとすると、
タスクシュートっていうのはやっぱりその分、
僕の中では価値のないものになっていくのかと思うんですよね。
残る残らないは関係なくて、
夢の中でも取るならば、夢の中でも取ってるんで、
常に取ってるとは言えませんけど、夢の中でも取ってる時は間違いなくあって、
開始時刻、終了時刻というのを入れてるんで、
これを夢の中でやればですね、現実にもやってるし、
その現実が夢かもしれなくても、そこはもう気にしなくていい。
自分の中では良くなっていますね。
このモチベーションって言ったじゃないですか、
最終的にはですね、疑うモチベーションなんだと思うんです。
私がこの世の中がマトリックスでないと思っているのは、
疑っても晴れないからなんですよ。
夢は疑うと晴れるんですけどね、
疑うというのはモチベーションなんだと思うんですよ。
疑うモチベーション、それは現実に向かいたいっていう意味じゃないですか。
よく出てきますよね、リンゴが目の前にあって、
これは本当にリンゴなのかとか、本当にあるのかとかいう話を
哲学でよくやるわけですけど、
あれが例えばですね、今でものすごく進んでいるから、
実は人工の合成リンゴかもしれないという議論があるわけですよ。
でもですね、食べてこれがリンゴだとしか思えなければですね、
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合成だろうと天然だろうと、
そんなことは問題じゃないような気がするというのが一つと、
もう一つは、なぜそれが合成リンゴかどうかなんて
疑いを出し始めるのかということですよね。
マトリックス定まらない。
マトリックス定まらない。
なぜ疑うのかというと、それは疑いたいからに決まっているとやっぱり思うんですよね。
ここが映画にはなかった視点かなと。
最後にあるんですけどね、そういう問いかけがあるから。
で、疑いたいかどうかって大事じゃないですか。
このままでいいやって思うっていう視点も当然あるわけだから。
で、我々でも多分マトリックスじゃないんで、
疑いたくて疑っても目は覚めないはずなんですよ。
でも疑うと、それは目を覚ましたいっていう意味になるじゃないですか、必然的に。
だからそれは何か理由があるはずなんですよね。
これをこのまま信じていたくないという理由があると。
例えば哲学的に、夢を信じさせられているわけにはいかないとか、
洗脳というような問題とかもありますよね。
だけども私はそんなに疑っている人が洗脳っていうのはおかしいと思うんですよ。
最初からそこまで疑おうとしているわけだから。
人の洗脳を心配するっていうのは、この文脈では余計なお世話かなと思うんですよ。
まず他人がそこに実在するかどうかの決着がついていない段階で、
人が洗脳されていることを心配するっていうのはイリュージョンだと思うんですよね、そういう意味では。
だから自分がこの現実が現実ではないのかもしれないって疑い始めたということは、
そこには何か理由があって、わからないんですけど、
この現実が嫌になったという神風のやつもあると思うんです。
彼は書いてあるんですよね、月、川、水、木、金、銀と進んでいって、
突然気がつくと、とても理不尽だと。
これは理不尽だというのは、つまりその現実が嫌になったというのは、
嫌だってことじゃないですか。
現実で会ってくれればまだマシだが、もしかして完全に夢を見させられているなら、
こんなことはやってられないって話ですよね。
つまり嫌になっているっていうのは一つの大きなモチベーションになると思うんですよね。
私もあるんですよ。すっごい恥ずかしい思いをした時に、
これは夢なんじゃないかと思ってみるっていうことを何度もやったんですね。
これはやっぱり自分の起こした現実が現実であってほしくないということなんですよ。
ただちょっと年を取ってくると、過去のことなんて、
僕が覚えていることはみんな覚えているわけじゃないんで、
夢だろうと現実だろうと、やっぱりここも同じように考えてしまって、
差し障りないなっていうのを意識するようになりました。
ここにこだわるのって、やっぱり子どものやることかなという気がします。
そうやってずっと追っていくと、やっぱり一つのところに最後は行き着くことが多くて、
つまり疑うモチベーションというものがどこまで意味を成すのかと、
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最終的にはそういう話になっているなと思います。
今は私はこれが攻撃を生まないイリュージョンであれば、
イリュージョンであっても現実であってもさっき言った通り、
同じだなというふうに思うようになったので、
ある意味ではこれは現実というのは非常にイリュージョンらしいし、
それで差し障りがないと自分は思えるようになっているんですね。
それではダメだというふうには思わなくなってきたということですね。
同じように扱えば、扱うというのは変なんだけど、
やっぱり扱うに近いんですよね。
同じように接すればいいのかなと。
考えてみると夢の中でも、
なるべくしないでおいた方がいいことってあるような気がするんですよね。
夢の中だったら自分の子供をぶったたいてもいいのかというと、
そうではないような気がするんですよね。
しないですしね、やっぱり。
それは確かにそうしたとしても、
現実に何らの影響は及ばないんですよね。
その現実を僕らは意識しているんだと思うんです。
ところが、私は最近はそうじゃないような気がしているんですよ。
夢の中で殴っても、もちろんそれで相手が痛むということはないんだけど、
現実に作用はするような気がしてきているんですよ。
その現実というのは多分自分のことなんだと思うんですね。
だからこれをするということは結局自分は痛む。
自分の現実というのは何なのかがわからないんですけど、
僕が今自分だと思っているのは全部イリュージョンだと思うんですけれども、
でも現実というのがどこかにあってですね、
それはマトリックス的にあるのではなくて、どこかにあって、
そこに悪影響を及ぼすということを、
そこに悪影響は及ばないような気もするんですけどね、そんなことでは。
でも及ぼさないということが、
及ぼさないようにするということが結構大事なことで、
そのこととですね、夢の中でもグッドバイブスをやるということが
かなり関係していて、
そのことと夢の中でもタスクシュートをつけるということが
やっぱり結構関係しているんですよ。
極論こういうことなんですよ。
マトリックスだとしても、何か繋がれているとしても、
そして目が覚めてああいう世界に行ったとしても、
やっぱりあそこでもタスクシュートを僕はしたいと思うんですよ。
ここが大事だなと。する。きっとするだろうなと思うんですよ。
あそこでもグッドバイブスをしたいと思うので、
あそこに行っていきなりカンフーで薙ぎ倒すとかをするとは、
僕には到底思えないんですよね。
やっぱりあそこに行ってもなるべく攻撃はしない。
なるべくあそこに行ってもイリュージョンは手放すとかって、
絶対あそこに行っても正しさあったじゃないですか。
正しさを手放すとか、そういうことを言い出すと思う。
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そしたら同じだとやっぱり思うんですよね。
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