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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
昨日ですね、あ、そうそう、なるべくこれからまたグッドモーニングバイブスも平日、日間に戻そうかなと思ってます。
理由はそれができそうになってきたからというのと、他にもちょろちょろっとありますけど、その辺は適当に割愛し、
要は感想とか質問とかいただく中でですね、またネタが結構充填されてきたので、
それを使いながらというのかな、全部に質問にお答えしていくっていうよりは、
質問に答えているような感じで進めていきたいというところですね。
とにかく同月か水木金ぐらいはやれそうなので、できなさそうな日はスキップしますけれども、
そんな感じでやっていきたいかなと。ブログとよく似てますよね。
また浮杉さんアカウントですね、ツイッターアカウントの方から追加でお感想いただいたんですけど、ありがたいことに。
今日これに関連してですね、難しいというイリュージョンのことをちょっと考えたいと。
グッドワイブスの最近あるあるにイリュージョンという言葉が、なんて言えばいいんですかね、クッションみたいになってるんですよね。
イリュージョンなことがイリュージョンなんだろうけどっていう枕言葉をつけることでですね、
イリュージョンであると思うだけでは問題は解決しないというニュアンスが簡単に生み出されるようになったんですよね。
これはよしよし言ってもしょうがないんですけど、そういうことは起こりますからね。
フロイトノーで完全に一人歩きして全然違う意味になりつつある欲圧と言っておけば何でも通っちゃうみたいな、そういうものが感じられますね。
イリュージョンであることを僕らは分かってないんですよね。
イリュージョンであることは分かってるって言ってるのはだいたい嘘なんですよ。
現実だと思ってるんですよ。
イリュージョンというのは存在しないものを意味してるんで、そういう意味ではですね、これは非常にややこしい話をわざわざ持ち出すみたいなんですけど、
精神分析家にビヨンっていう実に抽象的な難しいことを、ただでさえややこしい話に難しい表現を使って緻密に書きたいという人なんだと思うんですけど、
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その人がですね、Kっていう何でも記号にする、最初読んだ時は本高いのに意味不明な本で困っちゃったんですけど、
Kっていう、Kはknowingだと脳を知るみたいな感じかな、ナレッジなのかな、とにかく知っていることみたいな感じの意味でKっていう、
これKの説明をしているとずっとしても誤解しか残らない上に終わらなくなるんでやめますが、
このKに対して、マイナスKっていう記号を当てるんですけど、例えばマイナスKの中には多分私が思うに無っていう言葉があるんですよ。
無っていう言葉おかしいじゃないですか、私も若い頃悩んじゃったんですけど、ないっていう意味の言葉があるわけですよね。
死とかもそうなんですよ、死ぬの死ですね。死っていうものを私たちは知っているような気になるんだけど、死っていうのはないじゃないですか。
よーく考えてみると死があるかっていうのは大変疑わしい。これドストエフスキーも書いてたことあるんですけどね。
で、そういうのを美音はマイナスKっていう多分表現を当ててるんですけど、イリュージョンはマイナスKなんですよ、美音的に言うところの。明らかに。
存在していないものにラベルをつけて、存在しているかのように表現するんですね。人間はそういうことができるんですよ。
これ動物できないと思いません?
で、このイリュージョンはないんで、ところが私たちはそれをあると誤解しているあるものなんですよね。
ないわけだから、ないものが私たちにとって重要だとか、例えば時間を損するというイリュージョンですよ。
みんなこれをあると信じているわけですよね。
でも、そのあると信じている人々でさえも、どのように、どんな形で、どう損をしているのかをはっきりさせることには成功したのを僕は見たことも聞いたこともないんですよね。
ただそう信じている。神様と、神様がいるのかいないのかという議論が出てくるからやめとくとして、死後の世界みたいなもんですよね。
で、結局それは信じるか信じないかみたいなところに入っていくしかないと思うんですけど、イリュージョンというのは私たちはあると信じているんですよ。
だから難しいって話に多分なってくるんですよね。
昨日の木杉さんからのお話でも、万能のためにも他人の依頼に応えるが難しい。
これはこれを実行するのが難しいという意味なのか、私の話がややこしかったという意味なのかちょっと分からなかったんですけれども、話は別に難しくはないと思うんですね。
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私たちは、例えば用水の中でも万能です。やるべきことは全部できるから。じゃなきゃ死んじゃいますからね。
赤ちゃんの時も万能です。今の私も万能です。ただし万能であるためには人の力を借りなければならないです。
赤ちゃんなんかがいい例です。万能であるというためにはですね、お母さんからのウィニコットが言うならば環境供給が必要です。
お母さんが環境供給してくれない赤ちゃんはすぐ死んじゃいますよね。あるいは用水の中の赤ちゃんが万能だというのは完全にお母さんの環境に100%に近く依存しています。
その上で万能ですね。というだけの話なんですよ。万能というのは無敵だという意味ではないんですね。
万能というのはやる必要があることは全部やれるという意味です。現にやる必要があることは全部するという意味でもあると思うんですね。
私はそういう存在にすぐなれる。その気になれば。ただそれは他人の力を借りる必要がある。他人に助けてもらう必要がある。
という話が難しいとは私は思わないんですよね。どんな時でも私たちはそうだと思うんですよ。
例えば駅に行って電車に乗る。必要なことは全部やれますよね。今で言えばスイカをかざす。
できないという方もいらっしゃると思いますが多分人の力を借りればできる。私たちはそれができる。できるけれどもスイカを発明したりはできないですよね。
あるいはスイカを捏造するとかそれは問題なんですけどそれは無理ですよね。電車に乗って目的地に行ける。万能なんですよ。
そこでやるべきことは全部やれるんだから。他のことやる必要は別にないわけですからね。
ただ電車を越させるとかいうことはできないです。だから人の力を頼るしかないですよね。そこで万能を発揮するためには。
というだけなんですよ。
以上のような前提を考えた時に人の力を借りて万能であるにもかかわらず人の依頼に応えるのは難しいですっていうのは私はそんなことはないと思うんですよね。
私は人の力を大いに借りて万能でありたいけれども人には絶対力を貸したくないですっていう方が結構僕には難しいと思うんですよ。
これを意識しておきながら人に力を貸すのはとても惜しいです。
人に依頼されてもできるだけ何もしないでいたいですと、私にはそう思う方が結構難しいんじゃないかなと思うんですよね。
そう思うためには、つまりこれほど人の力を借りて万能である存在でありながら人に力を貸さずにおくためにはむしろイリュージョンを必要とするというふうに思うんですよね。
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例えば、人に力を貸したいのは山々だが私はすぐ疲れるというイリュージョンを持っておく。
こうしないとできないんじゃないかと思うんですね。
全然疲れもしません。時間も失えません。お金もなくなりません。必要なものは全部持っています。
でも絶対貸しません。この方が難しいと思うんですよ、実は。
多分、子供を見ていると本当に思うんですよ。
子供は親が大好きですからね。よほど難しいことになっていなければ3歳とか4歳の子供はなんとか取ってきてくれます。
飛んでいって取ってきてくれますよね、だいたい。
あれが私が見るところの万能なんですよ。
万能であって、私たちの、この場合は親のとか家のとかいろいろですけど、
子供は力を借りなきゃ死んじゃいますので、力借りて生きていて、
いやいや、時間がもったいないからって言わないんですよね。
子供はそういうイリュージョンをまだ手に入れていないので、そういう発想はないんだと思うんですよ。
いや、そのみかん取ってくると疲れちゃうからっていう子供を3歳時くらいだと僕は聞いたことがない。
で、子供って疲れやすいんですよ。ところが、我々のように体力は本当はないんで。
飛んでいくんだけど、夕方の5時くらいに寝落ちとかするんですよ。
滑り台から滑ってきて、降りたら寝てるってことは結構ありますよ、見てて。
育てた経験がない方からすると、そんな話は信用できないかもしれないですけど、
本当に寝てるんですよ。スーッと降りてカタンと寝てるんですよね。
それぐらい力の交配分とかをしてないということもあるし、
それぐらいたくさん睡眠を取らないといけないということもあるんですけど、
万能で他人の力を借りていて、すぐに行動を起こすけれども、
そこのところに引っかかりは覚えないというですね。
それはイリュージョンを知らないからなんですね。持ってないから。
イリュージョンを私たちは持ってるから、自分の行動を複雑にしていくわけですよね。
時間を損したくない、体力を温存しておきたい。
もう一つは、誰それさんの依頼ならばすぐ答えたいから。
気に入らない親父の依頼だと断りたくなる。
すべてイリュージョン。子供は持ってないですね。
イリュージョンというものは存在してないんですよ。
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ここがポイントだと思うんですよ。マイナスKなんですよね。
だからイリュージョンは存在していないということに気がつけばですね、
その行動を起こすのが難しいということは起こり得ない。
難しいというのはマイナスK、イリュージョンなんですよ。
というのがご質問に答える形になるのかなと思うんですね。
もう一つ、二つあったのがですね、本気で向き合えない依頼は断るということになると生活はどうなるか。
これはですね、僕、むしろ生活は簡単だと思うんですよね。
生活が一番簡単なんで、僕はむしろ逆に生活からお勧めしたいんですけど、
まず生活というのは普通依頼の塊だと思いますね。
食事の支度もそうですし、布団の用意とか全部依頼ですよね。
明言されてはいないかもしれませんし、その時の役割に名称はないでしょうけれども、
依頼に違いはないと思うし、それを本気でやるのは実に簡単なことだと思います。
本気でやるというのは死ぬ気でやるとかじゃないんで、
要するにそれを本気でやればいいだけなんですよ。
もうちょっと簡単に言うとそうだな。
それを最優先事項として実行するだけでいいわけですよね。
非常に簡単なことだと思うんですよ。
しかもそういう時には万能じゃないですか。
寝床の支度が難しいですっていう大人は多分いないと思うんですよね。
ちょっと前にZoeさんという方がポトキャストの中で
洗濯が難しいかっていう話をしてたんですよ。
家事ができないって男の人もいるけど、洗濯なんてボタンを押すだけじゃんかっていう話をされていて、
いや、そうなんですよ。本気でやるとかまでもないわけですよ。
ボタン3回押すだけでできちゃうわけですよ、今だったらね、普通に。
これが依頼ではないとか難しいとか考えるとすると、
よほどのイリュージョンがそこにある。
洗濯機を扱うのはとても難しいとかね。
私でもそれ考えたんですよね。
もしかすると難しいというイリュージョンはあり得るのかもね、洗濯機とかを回すのは。
水出てきちゃいますしね。
例えば扉を閉めずに、ただ今ロックかけない限り水出てこない洗濯機が普通ですけどね。
とにかくiPhoneのデジタルのボタンの多さ、バーチャルのボタンの多さ、
あるいはパソコンのキーボードの数を考えて、果たして洗濯機が難しいですかね。
炊飯器とかね。
めちゃくちゃ簡単だと思いますけどね。
ボタン2個ぐらいしかついてないですし、押す返すも3回とかですからね。
3回ってトリプルクリックの世界ですからね。
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トリプルクリックするのが難しいとか言わないですよね。
多分これを聞いているような方はそんなことはあり得ないと思うんですよ。
iPhoneのボタンが多すぎて難しいよね。
お年寄りならわかります。
でもそのiPhoneの数と比較すると100分の1もないじゃないですか、洗濯機とかって。
しかも物理的に作動しますよね。
この方が本当に簡単なはずなんですよ、私たち人間にとっては。
なので生活に関してはですね、本気で向き合う依頼に応えるというのは実は一番簡単な分野なんですよね。
数が多いとか会社の仕事と両立しないとかいう話とは全然違うんですよ、これは。
あと自分の体からの依頼というのは僕はよく言うんですよ。
これタスクシュートやっているとすぐわかることなんですけど。
例えばトイレですよね。
これ完全に自分の体からの依頼。
即座に本気でやると非常に簡単。
あれできない人はやっぱりあんまりいないと思いますね。
ここに大きなイリュージョンの元があるというのがフロイトが言ったことなんですけど、
今日は本当飛ばしますけどね。
確かにそうなんですよ。
子供はうんちとか汚いと思っていませんからね。
これはイリュージョンを作り上げているわけですよ。
ただこのイリュージョンがないと私たちはむしろ異常だと見なされるので、
このイリュージョンをみんなで共有するようにしているわけですけどね。
トイレ行ったら本気でやると。
だってその方が絶対いいですよ、これは。
年取ってくると特にわかるんですけども、
トイレを先延ばしにするとかですね、
その間にiPhoneいじるとか、私はすごいお勧めしません。
交換神経の調節がだんだん苦手になってきているのに、
そういうことをやっているとお腹痛くしたりすぐします。
本気でやるというのは、つまりそれだけやるということです。
それだけやったらいいわけじゃないですか。
新幹線に乗っている間中、新幹線を本気で乗るとかじゃないですよ。
そんなことはしません。
そういうときは私たちはあれですよ、それこそ。
意向対象を使って、完全に精神分析的なことをベラベラ喋ってますけど、
そういうことですよ。空想の世界に行っちゃいますよね。
それはその場にいなくなるんだけど、
トイレとかは絶対その場にいた方がいいと思いますね。
あれこそ、今ここなんじゃないかなと思うんですよね。
もう一つが、お金という報酬のない依頼に
時間無制限で答えるのは無理だよなというイリュージョンですね。
これですね、
よきすぎさんが会社員さんなのか、会社員さんでも今ね、
いろんな形態があるからもう一概に言えないですよね。
という時代に入ってくれば、特にそうだと思うんですけど、
いくらになるから本気を使うとか、いくらになるから万能である自分を温存しておくとか、
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そういう発想って、昔から一度も成立したことがないと思うし、
今はまして成立させない方がいい。
地球観山すると虚しいとかいう話もありますけど、
あれ大変むしろ無理のある発想だなと思いますね。
本当に私たちは、そんなにお金を動機づけにするということに成功できるのかと思うんですよ。
一部特殊な人はいますよね。
お金のためだけに動けるという。
でもあれは私はイリュージョンに自分を完全に調節した一つの成果であって、
普通の人にそんなことできるとは思えないんですよね。
時間無制限という言葉がいけないのかもしれない。
でもこれ時間無制限という必要が僕はあると思ってます。
時間無制限というのは永遠という意味ではないんですよ、当然。
だいたい仕事を永遠にやってほしい人は誰もいませんから、
永遠にやっても依頼に応えたことにはならないですよね。
私がメダカの餌をやるということを依頼されるとして、
時間無制限でやるという意味は、
メダカに餌をやるのに10時間かけるという意味では全然ないですよ。
かかって5分ですよね、そりゃ。
それが5分か3分であった方がいいかどうかという議論はしないというだけです。
メダカに餌をあげたからって報酬は出ませんよ。
この報酬が出ない依頼に時間無制限でやるということは、
ごく常識的な話であって、
そんなに無茶苦茶なことをしなきゃならないということにはならない。
生活が破綻するレベルに入る。
私たちはむしろ逆だと思うんですよね。
依頼に応えるのとは何の関係もないことをやるときこそ、
時間無制限といったときは、
しり滅裂な行動を取れると思うんですよ。
朝から閉店までパチンコ屋に行くとかいう話は、
よくプラスのけいぞさんもしてくださるんだけど、
この間もテレビで見たんですけど、
あれができるのは依頼系ではないですね。
あれはすごい行為だと思いますよ、ある意味では。
私には到底無理だと思った。
どんなことにせよ、あれほどできたことはない。
朝の9時だ、10時だから、夜までそこにいる。
それだけでも結構難しいですよ。
たぶん難しくなくなる心理的なからくりがあるんでしょうけど、
昔そういうことできたことはないですね。
昔から受験勉強とかですごく大変な人たちが、
一日中とか夜中までとかいう話があったけど、
あれだって私そういうことはまずできなかったんですけど、
依頼系じゃないもの、特殊な精神状態に入れるものだけだと思いますね。
21:05
その一日中やってられる。
比較的快適な空の旅っていうやつが、
24時間で割と食事なりなり至れり尽くせるじゃないですか。
でも僕はフライトってすっごい長時間の苦手で、
20時間超えるやつは本当、
かなり準備して準備して準備して、
なるべく寝るようにして、ようやくなんとかこなせるみたいな。
本当永遠に人間と同じことをやってられるものじゃないですよね。
快適だろうと不快じゃとても無理ですけどね。
なので、お金という報酬のない、
時間無制限というのはとにかく、
半永久的という意味では全くないです。
これがそうですよ。
このグッドモーニングバイブス、お金という報酬がなく、
依頼はわかんないな。
誰も依頼してない気もしますが、
時間無制限でやってます。
まあ3、40分じゃないですか。
これ17時間とかやって誰も聞いてくんなくなりますよね。
つまり、時間無制限すなわち長時間とは限らないわけですよ。
それには望ましい時間と長さって一つ一つのことにはあるわけで、
決して本気でやるから、無制限だから、
そうだからといって生活が破綻する方向に向かうということは、
絶対起こらないと思いますね。
それが起こるというのが一つのイリュージョンで、
マイナス経緯ですよ。
存在しません。そういう事実はね。
お金という報酬が最後にちょっとですね、
これはもうご質問とは少しずれるのかもわからない。
こういう話もしますけど、
僕も最初にグッドバイブスで倉津野さんに、
お金のことを聞いたんですよね。
やっぱりね、このイリュージョンは確かに重大です。
死ぬというと、セットではないな、死ぬ方が大変ですね。
でもお金は確かに重大なイリュージョンですね。
ただ今回コロナの給付金というのがあったじゃないですか。
あれでだいぶ目が覚めた気がするんですよね。
あれはやっぱりですね、もともとそういうカラクリはみんな知ってます。
私だけ知ってるなんてことは絶対ない。
私こういうことあんまり得意じゃないですからね。
太い方です。
お金というのは数字が印刷されている券ですよね。
ってことはみんな知ってるわけですよ。
数字が印刷されているコインであったりもしますけど、
同じことですよね。
で、あれ、うちの町にはですね、どこの町にもあるような、
町内のある加盟店でやっているスタンプというのがあるんですよね。
24:00
で、そのスタンプが50ぐらい貯まると500円の金券に取り替えてもらって、
その金券でやはり加盟店だったらどこでも使えるというのがあるんですよ。
あれ失って、心の底から後悔する人ってどのくらいいるでしょうか。
でも私はあれと日本銀行が発券しているものと、
基本的なカラクリに違いはないと思うんです。
あれは金券ですよ。だってお金ってそういうもんじゃないですか。
だから必要だとみんなが判断すれば、
その金券を国民という、
二宮町民と同じじゃないですか。
国民という定義の人のところには郵送される。
郵送はされなかったけど今回は。
今回の方がよっぽどいよいよ金券っぽいですよね。
数字が切り替わるだけですもんね。
あれエクセルのデータベースに数字入れれば、
私たちはお金を持ったことになるわけじゃないですか。
これと同じものに、
命が懸けられる人って不思議っちゃ不思議だと思うんですよね。
要するにこれは一つのゲームみたいなもので、
人生ゲームの券みたいなもので、
人生ゲームの券は何とも交換できませんけど、
二宮町内のスタンプは一応交換はできるんですよね。
なんとか町内のスタンプはみんな同じだと思いますけど。
あれのスタンプと基本は同じじゃないですか。
カラクリは。
結局それの価値ってどれほど多くの人が、
どれほどそれを信じて使っているかに左右されると思うんですよ。
インド行けばルピーですし、日本来れば円なんだけど、
ルピーって結構日本で交換する場所がなくて、
ある時にルピーをいっぱい持っちゃうことになっちゃって、
そのまま日本に来ちゃって、
ああーって思ったんですよ。
たちまち町内のスタンプ以下のものになりかねないわけですよね。
状況次第によっては。
それどころか経済力がある国ほどそうなんですけれども、
自国通貨以外は大体使い物にならない国って大変なんですよ。
日本はそうですよね。
ここでドル使おうとしても結構難しいじゃないですか。
アメリカの力って強いんで、
南米のある種の国に行くとドルで十分なんですよ。
わざわざ買えることないんですね。
だけどそういう癖がついたものは、
私アメリカ留学してたから、
癖がついたものはイギリス渡るじゃないですか。
全くドルなんて使えないですよね。
なんとなくですよ。やっぱり日本人なんですよね。
Aポンドとかユーロとかなくても、
ドルあればなんとかなるんじゃないかなと思う。
27:00
絶対ダメなんですよね。
空港でさえダメなんですよ。
大変なことになるんですよ。
ドルであれば10万から20万弱持ってるのに、
トイレひとつ使えない。
イギリスのトイレって結構有料なんですよね。
20円ぐらいですけどね。
でも20円とか持ってないじゃないですか。
ポンドに換算して。
金の価値って何いうところに行くと、
すごくある種感じさせられるものがあるんですよね。
お金さえあれば何でもできそうな気がするんだけど、
お金があるのに何にもできないっていうことがあるわけですよね。
20万円ぐらい持ってるのにトイレひとつ入れない。
クレジットカードとかも当然できませんしね。
何しろよくわからんポンドみたいなものを入れるところに入れて、
ガチャガチャっていう鎖みたいなのを外すしかなかったりするんですよ。
そうしないとトイレ使えない。
切実ですよね。
日本とちょっと違うんで、
そこらへんのマクドナルドとか入ってもトイレ貸してくんないんですよ。
マクドナルド行って、今だったらピッてやれば何か買えるはずなんだけど、
何かじゃあ買ってトイレ入ろうと思うじゃないですか。
どうするしかないんですよ。
本当に。
泣きそうになりましたから。
あれですよね。金券というものは。
そういうものだと思うんですよね。
お金にならないっていうのは、
お金ないと今言ったみたいに大変困るんですけど、
お金があるっていうのは結局、
ある種のスタンプラリーであって、
これのために全てをします。
これが手に入らない限り何もしませんっていうのは、
よほどガチガチに自分をイリュージョンでしつけない限りは無理かなって思います。
こういうことですよね。
私がすごく感じるのは、最近は本当こういうようなことなんですよ。
依頼に応えるというのも結局万能でありたいじゃないですか。
そのためにはどうしても人の力を借りれば借りるほど万能であり得るわけですよね。
今の話もそうなんですよ。
人の力を全く借りられなくなると、
トイレ一つ、用一つ足せなくなっちゃうわけですよ。
お金あっても、お金があるというのは、
人の力を借りやすく今の世の中のシステム上になっているというだけであって、
お金があれば心よくみんなが力を貸してくれるかどうかはまた別の問題ですよね。
家族なんかがそうだと思うんですよ。
家庭で何か取ってきてってお子さんに頼んで、
パッとかけて取ってきてくれるはずなんですよ。
取ってきてくれないとお小遣いあげないとかって言うて、
何かが狂ってきてるじゃないですか。
これをいろんなところに持ち込みたいのかどうかってことですよね。
これ究極的には街のスタンプラリーですからね。
30:02
スタンプ山のように貯めていれば、
結局のところそれは金券になるわけなんだけれども、
たぶんあれの価値を信じている人ってごくごく少ないと思うんですよね。
生きてはいけますよ、金券だけだって。
生活必需品は揃うようなぐらいのお店は入ってるわけですから。
でも病院とか無理だから、無理っちゃ無理ですね。
でもかなりのところ、あれだけで網羅しようと思えばできますけれども、
まあまあ日本銀行みたいには見えないわけだけど、
日本銀行だって結局言ってしまえば同じことじゃないですか。
規模が大きくて、より利便性が高くて、
信じている人が多くて、使える地域が広いとは言えますよ。
でもそれだけのこととも言えますよ。
話を元に戻すとですね、
だからスタンプラリーだからどうでもよくて、
全部粉々になって灰になっちゃっても痛くも痒くもないわけじゃないです。
痛いですよ。痒くはないけど。
ただそれはギリギリ最低のことをするためには必要という、
ある程度のことをするためには必要ということと、
そのイリュージョンに乗っかって
全人生をやっていくのが一番良いって思えるのとは、
ものすごく違うことだと思います。
だからイリュージョンは存在してないんですよ、本当は。
本当はマイナスKなんですよ。
ないっていう言葉と同じなんですよ。
ないってことは分かってますって人が言うときに、
いやーとんでもないなって思うんですよ。
私たちはないってことが分かってないわけですよね。
分かってないから死ぬのが怖いんだと思うんですよ、きっと。
死ぬのが怖いっていうのは本当はどういう意味なのか
多分分かっちゃいないんだと思うんですよ。
これを言っても虚しいだけなんですけど、
痛みっていう感覚あるじゃないですか。
極めて現実的な感覚ですが、
あれは脳神経科学的に言うとほぼイリュージョンですよ。
大体痛いところと怪我しているところが一致するわけでも何でもありません。
あれは痛いというイリュージョンを作ることによって
自分の体を大切にするっていう機構なんですよ、一つの。
だから原始という最も不思議な痛み、
つまり腕をなくしてしまった方とか足がなく、
手術とかで切り落として、
その足首が痛いっていう病気があるわけです。
治しようがないですよね。
そこの足が存在しないんですから。
ただ脳はそうは考えていない可能性があるわけですよね。
33:03
あったわけだから。
つまり記憶の足に対する記憶的な痛みなの。
これはまさに私は美音が言ったマイナスKだと思いますね。
これがイリュージョンなんですよ。
原始痛っていうのはイリュージョンですからね。
確か英語で言うとイリュージョンだった気がする。
これが本当に分かっていれば痛みなくなるはずですが、
それが意外に難しい。
まさに難しいっていうのはイリュージョンなんですよね。
ないわけですからね。
ラマ・チャンドランというおもしろい脳科学者が
これの治療方法みたいなのを開発されていて、
なんてことはなくて作り物の足をくっつけて、
鏡の上で合わせるように見せて、
本当に足があるように見えるよっていう風にして見てみると、
完全に子供の足みたいな方法ですけど、
痛みが消えるっていう患者さんがいらっしゃるみたいですね。
イリュージョンというのはそういうところがあるんですよ。
人間のイリュージョンというのは。
この辺の話を全部考え合わせてみると、
時間を損するというようなイリュージョンというのは
私はお金もそうですけれども、
のめり込まないに限るなって思います。
だってありもしないところが痛くなっちゃったら嫌じゃないですか。
実にわかわくさい話で、
しかもそういう痛みはやけに痛いみたいなんですよ。
ありもしないものが痛いとか、
ありもしないものが失うのが恐ろしいとか、
そういうことをのめり込めるんですよね、脳というのは。
原始を作り出す、イリュージョンを作り出すある意味、
機能を備えているので。
これは極力、
必要最小限にとどめておくというのが基地で、
お金があればあるほどいいとか、
自分の時間があればあるほどいいというイリュージョンの方向に
突き進めば突き進むほど、
結局そこには何もないわけですから、
いいことはないんじゃないかなと思うわけですね。
ちょっとお知らせというか、
こういう話をですね、
私はいつも話してて、
なんか思うんですよ。
これは倉須野さんがどう言うんだろうというか、
倉須野さんがやっぱり言うのを聞きたいと、
私なんか思うんですね。
皆さんにもやっぱり、
これが原、
腹っ端の原ですよね。
原的体現ってよく言い方するんですけど、
原点で聞いてほしいという思いがありまして、
直近で言えばですね、
11月28日に東京で、
倉須野さんがまた、
ちょうどいい感じで、
グループセッションっぽく、
カウンセリング的な要素ではないんだけど、
36:01
でも多分お悩み相談みたいなものを
お希望ならばそういう方向にもなっていくと思うので、
浅草でやるので、
ぜひよろしかったら聞きに来ていただければと思います。
やっぱり私が喋るのは、
読んだりいろいろなものをしてですね、
もちろんずっと聞いてもいて、
例えば今、
今日は精神分析よりだったけど、
いくつかの臨床的な話と、
時々仏教的なものと、
ミックスしてお出ししてるわけだけど、
こうやって喋ってますし、
喋ってるわけですけど、
これのやっぱり、
どんなものもそうなんですけれどもね、
オリジナルって大事だと思うんですよ。
これまた長引いているのに脱線しつつありますが、
ストレスという学説を最初に考え出した人は、
ハンス・セリエなんですが、
ハンス・セリエという人の論文が、
私は抜群に面白いと思うんですね。
その後いろんなことが分かってきていて、
もちろんもっとずっとですね、
今のストレスの話を教科書に書かれているような話の方が、
イラストもあるし、
飲み込みやすくて洗練されてるんだけど、
セリエの誰がオリジナルなのかっていうのは、
全部の論文を読むと分かる気がするんですよね。
これがオリジナリティなんだなと、
なかったものに発見していくっていうのは、
やっぱり相当のことで、
よく思うんですよね。
同じような時期に、
同じような人たちが同じようなことに取り組むわけですよ。
ライト兄弟が飛行機に空を飛べるようになった時には、
もうライバルの人たちと数日を争う戦いだったんですけど、
最初に飛んだ人たちっていうのはすごいですよね。
その後も成功はしてないんだけれども。
しばしばですね、
その後の成功の人たちがもうちょっと自分だって言い出したり、
みんながそう考えたりするんですよね。
花々しく成功する人たちは、
意外と別の人だったりするんで。
でもやっぱり原点っていうのは、
なんていうのかちょっと違う気がするんですよ。
だから原点聞きに来てほしいということなんですね。
本当ストレス学説もそうなんですけれども、
やっぱりフロイトもそうなんですよね。
なんかやっぱり、
例えば一時日本ではユングが流行って、
一時日本でアドラが流行ったりしていて、
するんだけれども、
やっぱりそういうことではないとよく思っちゃうんですよね。
そういうわけで、
倉園さんの話を聞きに来てねということです。
浅草で11月28日の夕方5時ぐらいからやると思います。
よろしかったらということで。
はい、じゃあ今日はこんな感じで。