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おはようございます。グッドモーニングバイブスです。
先日ですね、Twitterでどうしてもダラダラして後悔してしまう、その後悔をやめたいというご質問をいただいているので、その話をしたいんですけれども、
多分タスクシュートを使いだと思うんですね。
私はそもそも出だしのところに、タスクシュートについての大きな誤解が、これ誤解ではないんですけど、
私の考えでは、これは一種の誤解であって、そこをなんとか取り払えば、この問題はそもそも存在しないんじゃないかと思うんですよ。
その話をしたいんですけど、タスクシュートというのは、何度か言っている通り、大橋立夫さんという仕事の管理している方が、中の人がですね、
開発したExcelベースのタスク管理ツール、時間管理もできますというものですね。
だから、大橋さんが多分デザインしている考え方が正しいんですけれども、
大橋さんはこれをすごく広げていかれたし、今多くのユーザーが使われているので、自分の考え方の通りにみんなに使ってほしいとは思ってないと思うんですよ。
みんなが自分のデザイン通りに使うべきだって、固く縛れば縛るほどユーザー減るはずなので、増えることはないですよね、これで。
減るはずなので、そういう意味では、めいめいが自分に一番合った使い方をしてくださいということだと思うんですね。
私、一ユーザーなので、私が一番合った使い方をするわけですね。
ただ、私の場合は、これが正しいんですってある程度言い切っちゃってるところがあるわけですよ。
ここを含んでおいていただきたいというのがありまして、本当はどう使ったっていいんですよ、間違いなく。
だけれども、私はこういうのが一番有効だと信じてますというのを喋ったり書いたりするんですね。
このことに何か思われることはあると思うんだけど、そこはもう思っててください。
ここで私までがですね、実はどうでもいいんですよって言うと、私の感じからして面白くないと思うんですよ。
私が面白くないんではなくて、聞いてる人が少しも面白くないと思うんですね。
ただ、私はそういう風に妄心して突っ走っているんですというところを含んでおいていただければ、結局は好きにお使いいただければいいんですよ。
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そもそも使ってない人の方が多いんですからね。
使わなくてもそういう意味ではね。
だけれども使った方が絶対いいという風に私は言い続けるし、少なくともしばらくはね。
こう使うのがいいんですと言い続けるんですね。
なぜこんなことをだらだらと言うかというと、このタスクシュートに限りませんけれども、
全てのタスク管理やスケジュールツールはやるべきことを書くわけじゃないですか。
今日例えば、これでもいいですよね。
グッドモーニングバイブスの収録をすると書くじゃないですか。
そこでこういうことが起こるわけですよね。
いやでも今日はネタもないし、眠いし、やる気もしないと。
で、ついついツイッターを見て30分過ごしてしまった。
これだったらグッドモーニングバイブスをやればよかったのにと後悔すると。
このような自堕落というものを今しめて、今後より良い時間の使い方、
ちゃんとグッドモーニングバイブスをやり、できればそれのCMもきっちりやり、マネタイズもして、
メンタリストさんのようになって、図紙のいいところに住んで、いい人生を送りたいのに、
なぜ私はツイッターをやってしまうんでしょうかというご質問だと思うんですね。
私はそれに対して、ダラダラしてしまった時間を深く反省して、
1日の終わりにレビューをしてですね、ここに大きな赤いバッテンをつけて、
今後これをやらないための心理的にリフレッシュする方法とかを伝えてほしいという、
そういうご希望もあると思うんです。それはわかります。
でも私がそういうことを言ってみれば、堅くなに言わないので、
なぜなら私はそんなことをしてないからなんですが、
それがちっとも良いことだとは思えないというか、とても悪いことだと、悪いまで言ったら言い過ぎですね。
とても何か怪しげな方法だなと思うので、
それは期待されている向きもあろうけれども、言いたくはないということがあるわけですよ。
なので私が言うことはどうなるかというとですね、
グッドモーニングバイブスをやると、これを書くのを原則やめましょうということになるんですよ。
なぜならば、やりたくないことだからですね。
いつもここ喋りながらね、喋る前は頭の中はすっきりしてるんですけど、
喋ってるとだんだんめまいがしてくるというか、頭の中がぐるぐるしてくるんですよね。
これアドリブで喋ってますから、ここもお含みをお聞きいただきたいんですよ、ぜひ。
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アドリブで喋ってるということはですね、私は何を喋る必要は書いてないということなんですよ。
ここをですね、聞かれていてある程度面白く聞かれている方は、
ぜひですね、念頭に置いてほしいんですよね。
喋るべきことを書いておいた方が面白くはならないと私は信じてるんですね。
このこととグッドモーニングバイブスをやるべきだと書くべきではないということは、
同じ意味になるんですよ。
つまり、一瞬先のことを書いておくというのは本当は私は決していいことじゃないと思ってるんですよ。
ましてや、それに縛られるのは全然ダメだと思うんですね。
そうするとアドリブの良さが失われるとかそういう言い方になると思うんですけど、
本当に私が言いたいことはそういうことよりもですね、
頭がぐるぐるしてるんですよね。
喋る前はスッキリしてるんですよ。
このことは自明だと思ってるんだけど、
喋ろうとすると決して自明じゃないことに気付くんですよね。
タスクシュートで私は朝の支度とか起きる時間とか散歩するとか書いてますよ。
グッドモーニングバイブスも書いてます。
忘れないようにするということもあるけれども、
タスクシュートはそういうシステムだということもある。
今私すごいですね、誤解を招きそうな曖昧なことを喋ってる自覚はあるんですが、
私の本当のところはこういうことなんですよ。
つまり記録を残すということが絶対だとは思ってないんだけれども、
でも記録は残しておきたいんですね。
私の性分としても、またこれまでタスクシュートをやってきた経緯としても、
あとある程度はやっぱり家族と社会生活を、
私の脳のこれもですね、そんなことがはっきりわかってるわけじゃないけれども、
多分記録を取っておいた方がトラブルになりにくい面があるから記録を取りたいと。
そうすると記録を取りやすくなるんですよ。
あらかじめ書いておいた方がね。
このあらかじめ書いておいた方が記録を取りやすくなるから、
あらかじめ書いてあるのであって、
あらかじめ書いてある通りに生きていきたいから、
あらかじめ書いておくわけではないんですよ。
このグッドモーニングバイブスだって、
しゃべった端から消えていってしまったっていいじゃないかっていう考え方も、
禅的とか言ったら仏教的とか言ったらあるかもしれないけど、
それじゃ誰も聞けないですよね。
だから記録に残しておくわけですよ。
そしてそのままポッドキャストの上に置いておくと。
それでいいわけですよ。
あらかじめしゃべるべきことを決めておいた方が良くなるという人は、
そうしたらいいわけですよ。
でも私はそうは、そうして良くなるとは絶対に思えないから、
そういうことは基本的にやらないと。
書いておいたところでその通りにしゃべりませんからね。
で、ここなんですよ。
書いておいた通りにしゃべらなかった。
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しかし自分としては面白いことがしゃべれたからそれでいいとする。
なぜこの時に後悔しなければいけないのかと。
あらかじめ書いておいた通りにしゃべらなかったことを後悔しなければいけないのかと。
そういう人って現にいらっしゃるわけですよ。
そしてそれは異常なことじゃないですよね。
例えば事前にプレゼンテーションの準備をきっちりしておきましたと。
スライドもばっちり作っておきましたと。
でも会場から面白い質問が出て、それに乗っているうちにスライドの十数枚使いませんでしたと。
ここで強く後悔するかしないかはその人次第だと私は思います。
でも強く後悔するのが自明であるということには全然ならないと思うんですね。
で、このことが例えば仕事をしようとしている矢先に何か面白い漫画があったから読んでしまったと。
同じことじゃないでしょうか。
現実に何かが目の前にやってきたわけでしょう。
そして自分はそっちをやりたいと思ったと。
だからあらかじめ書いておいたことをしなかったと。
で、なぜそれをした方がいいということにみんなしているんだろうというかみんなしてないんだけど。
タスクシュートを使っている人たちはそういうふうに言う人が多いわけじゃないですか。
でも私はそうは信じられないからそういうふうには言わないんですよ。
事前に書いておいたとおりにやった方が自分の人生がベターになるとは少しも信じられないんですよね。
これを信じられるのが僕にはむしろ不思議なんですよ。
なぜならば事前に書いておいたことというのは事前に僕が勝手に予測し事前に勝手に僕が想像したことですよね。
例えば昨日の私が。
だけど今日になってみるとそうはなってないと。
違うことが面白そうであるという時にですね。
どうして昨日の自分の方が賢明だとみんなが思えるのかがわからないんですよ。
で、いくらかの人がそう思うのは別に構わないと思うんですよね。
前の自分がプログラムしたとおりに今日の自分が動くのが正しいんだと。
そうした方が人生は良くなるんだと言うならばそれはそれでいいと思うんですよね。
ただ私はそうは思わないので、それも全く思わないので事前に書いておくべきだとも事前に書いたとおりにましてやるべきだとは思わない。
だから事前に書いたとおりにやらないとしてもその通りにやるべきだと思ってないわけだから後悔する理由は全くないわけですよね。
その通りにやらなかったからと言って。
その通りにやった方が人生が良くなるとも本当に思えないんですよ。
むしろ逆だと思うんですよね。
その通りにやると人生が悪くなるんじゃないかぐらいに思ってます。
やるべきだと一見していることって常に同じなんですが、
親が喜びそうなことじゃないですか。
学校の先生がとか。
で、みんな言うじゃないですか。
学校の先生の言うとおりに生きたり、親の言うとおりにばかり生きていてはいけませんって言うと思いますよね。
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10人のうち6、7人は言うと思いますよ。
なのに、どうしてその事前に決めておいた優等生みたいな生き方の方がいいっていきなりそこで反転してしまうのかなと。
それはなんとなくですね、私はこの話が本当はしたかったんですけど、分裂的だなと思うんです。
で、分裂的っていう言葉になると極度に専門的なので、意味がさっぱりわからんと思われると思うんですね、はっきり言って。
分裂的って言うのは、なんだろう。
寄生獣という漫画でも知らない人もいらっしゃるよね。
あのですね、例えばですね、こういうイメージならいいかな。
ゲームとかでお腹から手とかが出てきちゃう人っているじゃないですか。
お腹から手がグイッと出てきて、勝手にそいつが敵を攻撃するみたいな、すごいモンスターみたいな人が。
現実にはいませんよ、そんな人。
いるじゃないですか。
あ、もっと違う例えがいいですね。
例えばですね、目の前に前から付き合いたいと思っていた女性がいるとしましょう。
あなた男だと思ってくださいね。
多分これ聞いてる人男性多いと思ってるんでね。
それで一生懸命にやって、ようやくこう待ち合わせ、デートの待ち合わせにこぎつけたと。
いきなりですよ、その時。
その時、目の前に女性がいて、いきなりその自分の足が、自分の意思とは全く関係なくいきなりパッと女性のスカートを蹴り上げたとする。
で、そして女性がびっくりして怖がって帰って行っちゃったと。
この足ですよ。
この足を分裂と、専門用語で言うんです。
これは何なのかと。
この足は何なのかと。
自分の意思では思い通りにならない自分の動きですよね。
そういうものが自分の中にある。
そしてそのことが本人をとてつもなく困らせる。
困りますよね、こんなことがあったら。
うまくいかないじゃないですか。
つまり、そういう足が分裂的なんです。
分裂的な私ということなんです。
このようなことをやる人は、リアルにいないわけじゃないんだけれども、
それでこういうことで困ってる人もいないわけじゃないんだけど、
もっと、もうちょっと違った形で出るのが普通です。
例えば、居酒屋のバイト、私もしてたんですけどね。
松原団地の紫というところ、今は松原団地駅ないな。
とにかくしてたんですよ。
で、居酒屋のバイトに行きましたと。
で、一生懸命面接とかで喋るわけじゃないですか。
でも、なんか不意にね、店長の顔が気に食わなかったとか気づかないですよ、自分では。
不意に、さっきの事例と似てます。
いきなり足が出たように、いきなり口をついて出るんですよ。
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まあ、あの、適当にやって稼ぎたいと思ってるんですみたいな。
なぜそれを言うみたいなことを言う人っているじゃないですか。
なぜこの場でそれを言うと。
分裂的だと、そういう風に考えるんですね。
活気の検査みたいなものなんですね。
勝手に口が動く。勝手に足が出る。
そして何をするか、関係を破壊する。
で、まあ、たまにはしょうがないと思うんですよ。
それともう一つ、関係を破壊すること、すなわち頭がおかしいのではないんですよ。
大事なことは、関係を破壊しようという気が全くなく本人に、
関係を破壊してしまう自分のある部分にすごく困る。
そのために精神分析という特殊な治療を受けたりする人もいるし、
診療内科に行って、カウンセリングを受けながら薬を飲む人もいる。
あるいは行動療法と言ってですね、
そういう足を出したら自分に罰を与えるとか、
そういうアメリカらしい考え方もありました。
とにかくみんな同じなんですよ、問題は。
分裂。つまり自分が分裂してしまっている。
自分が本当に関係を作りたいと思っているところ、
働きたいと思っているバイトとかで、
いちいちその関係を自分のある部分が壊す。
その時に特にフロイトはですね、
そのようなことをする、それで本当にやたらそういうことをする人、
つまり彼は反復とそれを呼ぶんですけれども、
同じことを同じように繰り返しては失敗してしまうということをしてしまうのは、
その人が好きでやっているわけじゃなくて、
無意識の働きでそういうことが起こった。
この時初めて彼はその無意識というものと分裂というものを結びつけることをしてきたんですね、強く。
それで彼は非常に有名になったというか、
それが彼の発想を揺るぎないものにしてきているわけです。
これ以前には無意識って言葉自体はありましたよ。
なかったわけじゃないんですけど、
無意識というものがこれほど人間の心理で大きな影響を与えているというふうには考えられてなかったんですね。
初めてこの時に考えられた。
そういう意味では革命的なわけですよね。
その革命的なのが、
彼がずっと特に臨床の世界では創始者という感じで、
大バッハみたいなものかな。
大バッハとベートーヴェンを合わせたような感じの人なんですよね。
それぐらいの巨大な感じになっているんだけれども、
その一番大きな核にですね、
その無意識が悪さをするようなものはそもそもどこに原因があるのかというと、
ごくごく幼い頃のお父さんやお母さんとの関係。
そのトラウマみたいなもの。
例えばそのお父さんが、
これは本当に出てくるんですよね。
エキプスコンプレックスってやつですよ。
お父さんが、
すごく権威的で威圧的。
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フロイトの動画って一つあるんで、
探してみていただくと分かるんですけど、
本当にフロイトの時代ってこうだったんだなと思うんですけど、
彼本当にいわゆる山高ハットをかぶって、
きちっとした製造をして、
孫に会うんですよ。孫にですよ。
孫と遊ぶ時ですら、
どっかのパーティー行くような格好をして、
パイプをやって、
孫と遊んでた。
確かそういう動画があったと思うんですけど、
私あれ見て、やっぱこの時代って権威的だよなと思うんですよね。
今でいうとなんだろう、
孫に会うと言うんで、
父さんが羽織袴の一番いいのを出してくるみたいな感じですかね。
ああいう格好って今の人誰もしませんよね、
その程度のことでは。
やっぱ権威的なんだと思うんですよね、時代が。
父さんは権威的。
リフスコンプレックスっていうのは、
ものすごい古いじゃないですか。
あれギリシャ神話みたいな話ですよね。
で、アジアセコンプレックスっていうのがアジアの方にもあって、
あれちょうど仏教に出てくるんですけど、
天皇と言ったらですね、
インドでマガダ王国とかの話なんですよ。
紀元前ですよね。
紀元前の一つの重大な問題だったんだと思うんですよね。
そんなに家柄のいいところでも、
王子様が王様になるとお父さんを殺しちゃうと。
毎度毎度多分頻繁にそれが起こってたと思うんですよね。
お父さんがやっぱり権威的なんだと思うんですよ。
で、どんな時代だって同じじゃないですか。
未春期の子供の男の子とか、
2歳児でも4歳児でもいいんですけど、
お父さんがそんなに権威的で面白いはずがないですよね。
しかもそこには権力が絡むから、
絶対その、統合失調しょうがない今で言う妄想的な、
妄想ですよ。
妄想燃料がひた走るじゃないですか。
お父さんは実はお前のことを殺そう、
あんたのことを殺そうとしてるんで、
その前に私が味方をしてあげるから殺してしまえっていう話、
絶対に出てますよね。
そういうところで起源前に、
やっぱり王子様がお父さんを殺して、
自分が王様になるわけですよね。
そうしたら全てが綺麗に片付く感じがするわけですよね。
こういう話を多分フロイトはしてたんだと思うんですよ。
それをごく幼い頃のトラウマが、
だって子供だからお父さん好きじゃないですか。
分裂してるわけですよね。
お父さんを殺したいという気持ちっていうのは。
それが投影されるっていう言い方をしますけれども、
さっきのスカートを切り上げた人みたいに、
思わぬところで、思わぬ形で出てしまうわけですね。
お父さんとちょっと顔は似てるとか、
物の言い方が似てるとか、
決めつけるところが似てるとか、
女の人に失礼なことを言うのが似てるとか、
そういうところで自分が王様ともなれば、
そういう奴は片っ端から殺せるわけですよね。
そういう王様がいましたよね、皇帝の寝ろという皇帝の。
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つまりそれを私たちは殺せないので、
殺しはしませんけど、代わりに関係を破壊していくと。
しかも自分がそこでいい関係を築きたいと思っているのに、
手が勝手に出たり、口が勝手に出たり、
罵声をいきなり浴びせたり、
それを司っているのは自分の意識では、
少なくとも自意識ではないから、
つまり無意識って話になっていくわけですよね。
ここから先はもう戻るんですけれども。
でですよ。
この問題って結局どういう問題かというと、
自分で自分がままならないってことなんですよ。
本当はそんなことをしたいわけじゃないのに、
させられてしまう。
大概の場合だから相手が悪いような気がする。
まさか自分の無意識の自覚がなければないほどそうですが、
そんなことをしているとは思わないので。
例えばさっきの足でスカートを蹴り上げた人でいうと、
自分の足がかっけの検査みたいにパッと上がってしまったんだけど、
例えば短いスカートを履いてきたからああいうことをしたくなったとか、
原因を考えたくなってくるわけですよね。
お父さんに似ているとかお母さんに似ているとか、
いろんな原因を考え始めるわけですよ。
フロイトは反復というわけですね。
繰り返しそういうことが行われている。
ちなみに精神分析の治療というのは、
なぜあえてどんどん患者に喋らせてその間ずっと一緒にいるという治療かというと、
その反復が必ず起こるはずだというわけですよね。
だってバイト先だの、彼女だの、友達だの、
いろんなところで人間関係がうまくいきませんと言っている人なんだから、
精神分析方だってうまくいくわけないじゃないですか。
精神分析方だけうまくいったら変ですよね。
うまくいっていきそうになりかけたら何かが飛び出してきそうなものですよね。
その人に原因があるならば。
だけれどもその人は本人としては自分に自覚がないから、
すべて外の原因で関係が壊れてきたんだけど、
どうも自分は人間関係を傷つくのが苦手らしいということであるならば、
当然そこでカウンセリングを受けようが、精神分析を受けようが、
精神科医に通い詰めようがですね、
その人との接触頻度が上がれば上がるほど何かトラブルが起こるはずなんですよ。
こいつを捉えるというのが反復ということと、
よく言う転移ってやつなんですね。
専門用語が立て続きましたので戻しますけれども、
少し冗度的な話に。
そもそも何なのかというと、
何か仕事をしようとする度についダラダラしちゃうんです。
反復じゃないですか、これは。
そして思わず出てますよね。
自分は本当は書いてある通りにやりたいのに、
それがやれないんですと。
違うことをやっちゃうんです。
反復ですよね。
反復であり分裂ですよね。
24:00
小さいけれども。
それが自分の人生全体に悪影響を及ぼすとは思えないほど小さいけれども、
それを分裂ですよね。
各県の検査の足と同じですよ。
ついついTwitterに行ってしまう。
無意識の働きに近いですよね。
無意識じゃないとは思うんですけど、
自覚はあると思いますよ。
Twitterが面白すぎるから悪いのか、
自分の心にそういう問題があるのか、
いろんな見極めなければいけないポイントってあるはずなんですよ。
何かそこに理由というのかな、
理由付けみたいなものなんですけどね。
何かがあると。
そもそもただ私がよく言うのは、
投影にしてもそうなんだけれども、
本当はそれが悪いことなのかっていうことは、
ぜひ考える必要があるんですよね。
人間環境を片っ端から破壊してしまうと、
実人生に影響を及ぼすけれども、
それが発狂というふうに言ったり、
異常と言ったりする方がいいのかどうかは、
まだまだわからないところがあるじゃないですか。
例えば幼児ってすっごく怒りだしたかと思うと、
急にニコニコしだしますよね。
それは正常なことですよね。
でもこれと全く同じことをいい大人がやると、
それは異常だってみんなされるんだけれども、
なんでなのかってことですよね。
急に機嫌が悪くなっては良くなったって、
構わないじゃないですか。
それは結局どんな人だってですね、
何か嫌なことがあって怒ったと。
怒ってすぐニコニコしだすと引っ込みがつかないから、
一定程度怒ったふりをするとかいうことを
する人いるじゃないですか。
子供だってそういうことはよく考えますよね。
もうすっかり機嫌直ってるんだけど、
さっき泣き喚いてしまった関係上、
ニコニコ急にしだすと、
またお父さんにからかわれるかもしれないので、
むすっとした顔を頑張ってし続けるとかってあるじゃないですか。
分裂ですよね。
分裂じゃないでしょうかね。
こういう人を私たちはよく境界例と呼んでみたり、
分裂気味だって言ってみたりするんですけれども、
つまりでもそれって誰もがやることですよね。
どういうことかというと、
私たちはずっと機嫌が悪いままでは
いられないということですよね。
その人と親しい関係にあるなら、
特にどこかで機嫌を直さないわけにいかないですよね。
だからある人が怒ってみたり笑ってみたりが
頻繁に繰り返すというのは、
結局は程度問題であって、
誰だってやっていることだと思うんですよ。
会いたい人に会っているからといって
ずっと始終ニコニコしている人ってのは
よっぽどできた人だと思います。
で、そういう意味でですね、
ダラダラしてしまったり仕事をしたりするというのは
実に当然のことであってですね、
それを果たして修正したり改善したりするのが
本当にいいのかどうか分からないということは
絶対に意識しておいた方がいいと思うんですよ。
27:00
本当に前の日に書いた通りにやるのがいいのか、
一番いいとはどうして言えるのかということですよね。
でも、何か仕事をしようとするたびに
ツイッターに走ってしまうと、
その分裂の程度があんまりひどくなると
仕事に確かに差し障りがありますね。
その時一体何が起こっているのかということだと思うんですよ。
その仕事をしようとすると
何かお父さんにガミガミ言われているのが思い出して嫌なのか
そういうことはあり得ると思うんですよね。
こういうふうになったら完全に精神分析的な話になりますけど
もっと違うところで、その仕事に向き合おうとすると
体が痛くなるとか、
その仕事で時間をいっぱい費やすのが怖いとか
この辺が多分自然だと思うんですね。
その時に、例の考えようにもよりますが
ウッドバイブス的なあれですよ。
何でそれをやると怖いのか
本当にそれをやって時間をたくさん失うというのが
人生に致命的な結果を与えるのかということを
考えられるかどうかですよね。
考えないと、私たちはこれもアフロイトが言ったことです。
考えられないということは
外にぶつけるということになるんですよ、だいたい。
考える代わりに行動しちゃうんですね。
それがダラダラを生むんですよ、多くの場合。
考えるって大事なんですよね。
考える必要があるわけじゃないですか。
私はあっちこっちにいろんな女性と付き合おうとして
あふられて関係が壊れてきたんだけど、なぜだろう。
考えないじゃないですか。
多くの人はそんなこと考えるの嫌だから。
考える代わりに、今までのは相性が悪かったんで
次の方に頑張ろうみたいになるじゃないですか。
考えないんですよね。
考える必要があるってことなんですよ。
特にリアルタイムで。
それまでの恋愛関係を全部レビューするとかではなく
それでも効果はあると思うんですけどね。
考えた時にアフロイトがやってくれたような
生々しい問題っていうものも
すでにいろんな形で出されているんだから
絶対それについても検討するべきだと思うんですよね。
実は今まで全部付き合おうとしていた女の人は
何らかの意味でお母さんと似てたんではないかとかね。
そしてお母さんとの関係というのは
しかし全てがバラ色だったわけじゃないから
自分でそれを壊したいんじゃないかとか
そういうことですよ。
単位のないことだとも思うんですけど
本人はそういうことを考えるのがすごく嫌だったりするんですよね。
仕事をやる時もそういうことが邪魔になることは
頻繁にあります。
あるはずなんですよ。
私は原に、昔原稿を書いている時に
うちの父ってそういうところがちょっとあったんですけど
バラを入れるというか
その言い回しはおかしいとかって
ブツブツ言ってきたりしてたんですよ。
面白がってですね。
なんかそれが気に入らなくてですね。
まあ思春期だったんで。
30:00
それを思い出して一時原稿を書くのに
なんかこう、引っかかりを覚えるみたいなことがあったんですよね。
そんなもんなんですよ、私たちって。
それって自分がすっかりそのことを忘れていると
無意識になってしまいますよね。
なんか書こうとすると気が乗らないとかって
言い出すじゃないですか。
だから例えば喫茶に行って書こうとか
全然何の解決にもなってないですよね。
問題の根元が違うんで。
そういうことがあるはずなので
ダラダラしたからといって
それを反省して後悔してみたところで
何の解決にもならない可能性って
大いにありますよということで
でも私がやっぱりいいと思うのはですね
少なくともタスク管理という枠組みだけで言うならば
書いた通りにやることが本当にいいことなのかどうかということと
何で書いた通りにやるのがいいと思い込んだかと
それがそのこと自体が分裂なんじゃないんですかと
言いたいわけです。