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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
たぶん、これですね、途中で途切れると思うので、
今日も朝からテンテホマイでして、いろいろあります。
小学校に行っていると、本当にいろいろありますね。
来週の土曜日に、グッドバイブス勉強会の最終回があるので、
シーズン2の最終回ですね。
一連のシリーズになっていて、ビデオ販売もしています。
そのセミナーの動画を販売していますので、
過去にさかのぼってみることもできます。
最終回だけ来ていただいても、意味がわからないということはないと思うので、
前回、私、先をきっくりのセミナーをやったと言いましたけど、
小規模セミナーですけどね。
これもそうなんですが、別に本来難しいことは言っていないんですよ。
ただ、文脈がですね、先送りで言うと、
例えば、タイマーかけるとか、5分でダッシュをするとか、
タスクを分解するとか、いう話だろうと思っていなくても、
なんとなくそういうのが、頭に構えとしてあると思うんですね。
そういう話は一切しないから、
私、例えば今、タスクの分解とかは全然しないんですよ。
別にそれをしてはならないということはもちろんないし、
することによって先送りをしばしば防げるんですが、
私、別にそれをしなくても先送りとかはしないので、
分解もしなくなったんですね。
そういう話自体をそもそもしないんですよ。
それは、例えばタスクを分解するということは、
タスクをするということとはちょっと違うし、
いろいろあるんですが、この話をすればいいのかな、今日は。
とにかく分解するとか、そういう話を期待されている方には、
ちょっと引っかかるかもしれないんですけど、
この引っかかりが割といいと思うんですね。
この引っかかりがなくなっちゃうと、
それはライフハックになるか、
さもなくば多分意味不明な話になってしまうと思うんですね。
引っかかるということは、何か意味があると思うんです。
とはいえ、やや今の話ですと、
よく分からんセミナーだなって話になってると思うんですよね。
だから、あんまり叩くってもどうかと思うんですよ。
似たような話をライフハックで聞くとなるとですね、
多分僕は他の人はやってないと思うんですね。
そういうのって高いじゃないですか。
そういう考え方もありだと、最近私は思うんですが、
マニアックでニッチで、めったに人が喜ばないようなものは、
結局そのことの価値そのものとは別に高くつくというのも
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一つの考え方だと、この年になって思うようになったんだけど、
それだと多分私の話は広まらないので、
これって何なんだろうな。
めったに入手できない本は、
その本がすごいよく書けてるとか何とかいうこととはまた別に高いみたいな、
そういう古本っていっぱいありますよね。
もう手に入らないから高いってやつですね。
今私が思うに、ライフハック×精神分析みたいに、
かかってないんですけどね、きちんと。
そういう風になってるものって、
これに相当する部分があるかなとは思ってるんですよ。
だから格安ですみたいに出す理由は、
本当はないかなみたいなのもあるんだけど、
私の性分からして、
なんかですね、あるじゃないですか、
神田の奥の方にある古本屋で、
しかも店頭には並んでない本みたいなね、
そういうことを成り割にするっていう能力がないので、
やってません。
普通の値段ね、普通のセミナーみたいな顔してますけど、
多分これは普通じゃないんだろうなっていうのがあります。
そういうことで、
なんかちょっと得体が知れないのはですね、
多分類似品が少ないから、あるいはほぼないからなんですね。
多分ですね、フロイト×ライフハックとかって、
僕はそんなこと言ってるわけじゃないですけど、
が出てくると、
もう全くイメージがつかないと思うんですね。
でも私は非常に近い関係に
置くこともできると思うんですよ。
例えば、失策行為を無意識から解いてるのはフロイトですからね。
世界で最初に、僕は間違いなくだと思うんですよね。
郵便箱にポスト投函をし忘れるということを、
彼は解いてますからね、論文の中で。
それは入手可能ですよ。高いですけどね。
で、それ1900年代初頭の頃の話ですからね。
初頭と言っちゃいけないかもしれないけど、
でも第二次大戦よりは前ですからね。
発達障害とか言う言葉ができる。
はるかはるか前ですよ。
僕は発達障害からこれを説明しているのは、
説明しているようで十分説明しているとは言い切れない気もするんですよ。
当然なんですが、発達障害の説明というのは、
症例主義ですからね。
何かをやり忘れることが非常に多い。
不注意で多動を時々含む。
Hはハイパラクティブは多動で、
多動が入らない場合もある。
とにかく注意欠如があるとか、
失策行為が多いとか、
物忘れや人の顔が覚えられないとか、
メモが苦手だとか、
そういうのを総称して発達障害と言いますという表現、
説明はいっぱいありますけど、
なぜそうなったって話がどこにもありませんし、
どうすればいいのかって話もほぼほぼないですから。
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本当か嘘かはともかく、
その人はなぜそうなったかというのは、
はっきり言明してますからね。
ある意味では。
なぜそうなったかがなく、
ただただ症状を並べて、
このような症状がある人、
こうこう言いますというのが、
現在のDSMのマニュアルの診断基準の
基本的な考え方ですし、
特に2000年の最初の頃は、
なぜそうなったかを問うてはいけないみたいなのって、
すごい強く言われていました。
私はアメリカにいた時はそういう話でしたね。
でも、守ってませんでした、はっきり言って。
私が受けた精神分析っぽい、
あれっぽいっていうのは非常に良くないと思うんですけど、
でもそういう言い方しかできないですよね。
カウンセリングとか、
日高度療法の先生に見てもらうのは、
事業の一環として心理カウンセリングを受けるみたいなのもあるんだけど、
受けた会議では、結局そこでは原因は問われてましたから、
私の幼少時代とか、めっちゃ普通に考えてましたよ、
その辺のこと、日本ではそういう教育をするんだ、
そうするとこうこう、こういうふうにあなたは考えるようになりますよね、
みたいな、そういう話をしましたからね。
だから症例主義って言っても、
結局原因を全然問わずに済ませているかというと、
実際はそんなことはないんですけど、
だって私は別に病気だったわけではないから、
薬とか処方するわけにもいかないですしね、
そういうわけなんです。
話が飛んだんですけど、
来週の土曜にGood Vibes勉強会のオンラインで、
最終回をシーズン2やります。
よろしくお願いします。
分割、タスクを分解しない。
理由は単純で、
そのタスクにおいて一番最初にやることは、
別にでかいこととは限らないから、
それを何等分化にするとか、
小さく分けてからやるということを、
わざわざしなくても別に、
結局手がけているところが手に余るということは、
自然解消されるということになるんですけども、
かき止めるということもそうですし、
分解するということもそうですが、
まず自分が甘えたいという、
この話を僕は先立っても持ち出したんですけど、
自分の甘えを受け止めるということが、
僕らはスルーするんですね。
特に危機感を持つ人は、
これをスルーする傾向が顕著になって、
だから私はこの危機感を持つというのは、
役に立たないんだなっていうのを、
グッドバイブスとほぼ同じ文脈で、
よくよく考えるんですが、
昔からこの危機感を持つって、
ダメだなとは思ってたんですよ。
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私、週刊期末テストで危機感ばっかり持ってたんですよね。
危機感の塊みたいなので、
テストの点が良かったためしかないんですよ。
背伸びして、自分の身の丈には間違っても合ってない
新学校に行っちゃったもんで、
周りは僕から見ると、
異常に頭が良いというか、
異常に勉強するんですよね、そもそも。
頭も良い上に。
私はあそこまで頭が良くない上に、
あんなには勉強したくないんですよ、最初から。
だから全然ついていける感じじゃなかったんですね。
でも週刊期末で悲惨な点を取ると、
みんなに攻撃されるから、
めちゃくちゃ危機感持つわけですね。
この危機感でテストの勉強の盲点として
点が良かったということは、
6年間、3学期かける6年間だから18回、
かける2だったら36回、中間一環校でしたからね。
36回はやったテストで、
1回も良い成績取ったことがないんで。
本当に高校の時は悲惨でしたからね。
後ろから2番目っていう順位はあったぐらい、
349位いて348位っていうのが、
そこまで順位出すなよって話なんだけど。
そういう時代がありましたけど、
前の方にいたってことは、
ただの一度もないですから、
危機感ってやっとに立ちはしないんですよ。
危機感持ったからって勉強するわけじゃないし、
勉強したこともありますよ。
でも勉強しても、
やっと200位を脱することができるぐらい、
200番台の190何番とかまでは行けるんですけど、
これは危機感のおかげなのかもしれませんけれども、
大してはがばかしい成果は出ないんですよ、とにかく。
だから危機感っていうのは、
すごい当てにならないなっていうのはありました。
その危機感のみならずそうなんですけれども、
危機感を持った時というのは、
別に危機感を持った時も、
自分の名前を受け止めればいいんですけどね。
中学高校時代、
そういうこと考えつきませんよね。
うちの母は、
中高時代になると、
私を突き放せばいいというふうに信じるようになってたんで、
何かというと怒るわけですね。
怒る以外の戦略は持ってないぐらい、
何かというと、
要するに危機感を立てたがるわけですよ。
私はそれに対して、
ただ腹を立てるというので応酬するんで、
何ら建設的なものは出てこないですね。
大学時代はひどくて、
私は大学時代ってほとんど授業に出てない年って2年あったんですよ。
2年次と3年次なんですけどね。
ほぼあれは欲打つでした。
僕としてはあれは、
モラトリアムだと信じてたんだけど、
今思うとあれは、
モラトリアムでは説明がつかないですね。
欲打つだと思います。
とにかく、
学校に行くという行為そのものに嫌悪感があって、
だけどその嫌悪感がですね、
僕の場合やっぱり、
性格上自罰的に出ちゃうんですよね。
鬱っぽくなってしまうんですよね。
暴れるとか言うことができずに、
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悶々とする、
そういう傾向を強烈に持ちました。
だから女の子に優しくしてほしかったんだけど、
誰も優しくしてくれないから、
一層欲打つ的になっていくんですよ。
ただただ欲打つ的になっていくと。
昼間から暗い部屋でお酒飲んでは、
難しげな本を読んで、
起死年齢ばっかり高いみたいな、
そういうライフだったんですよね。
私いつも思うんですけど、
全然話にまた飛んでるんですが、
グッドバイブスで、
倉園平塚さんは話が腹も万丈で、
いいなって思うんですよ。
僕は話が内にこもるから、
何にもないんですよね、
いいエピソードが。
部屋で酒飲んでたって、
面白くないじゃないですか、
そういう話を。
面白くする可能もできるのかもしれないんですけど、
なかなかこう、
新宿に繰り出してみたいな、
そういう話がしたいんだけど、
経験がないので、
そういう面白い話がないなっていうのが、
いつも話をするのも半分なりわいだから、
もっとエピソードが欲しいとかっていう、
できれば、
危機一髪でやばい目に遭ったみたいな、
エピソードが欲しいと思ってるんだけど、
なんかこう、
内にこもってるんですよね。
比較的、
例えば危ないといったって、
所詮大学の単位を落としそうという、
ちっとも危なくないわけですよね。
崖から突き落とされそうになったとか、
マグロ船に入れられそうになったとか、
そういうのはないんですよ。
ないようにしてきた側面が強いんで、
正確ですね。
話を戻すと、
つまり、
危機感から分解、
分解して、
危機感から分解するんですよ。
危機感から、
なぜか先送りもするんだけど、
とにかく危機感を煽って先送りをすると、
目がなと思うようになっていたので、
分解するという時は既にですね、
それをどうにかしなくちゃという気持ちと、
どうにもしたくないという気持ちと、
攻めにあってると思うんですね。
先送りってそういうもんですよね。
朝かすなんていい例で、
朝絶対起きないと、
俺はダメな人間になるっていう風に、
思ってるわけじゃないですか。
でもどうしても朝起きたくないって、
そういうことですよね。
こういう攻めに合いが起きている時に、
危機感を強くすることによって、
無理やり起きるっていうのは、
戦略でも何でもないような気もするし、
ここには依然として甘えがあって、
しかも外に漏れ出そうになってると思うんですね。
自分で受け止めきれていない。
ダメ人間になってもいいよっていうのが、
甘えを受け止めるってことですよね。
あるいは、
そんなに辛くても何とかなるからって言って、
起きるっていうのも甘えを受け止めるってことだけど、
どっちもできない。
ただ攻めにあってしまう。
そういうところから、
例えば、
戦だっても、
無理ゲーの方と、
会社無理ゲーの方とお話しだときも、
この名ぼけしてんじゃねえと上司が怒ると、
この上司が甘えているわけですよ。
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この上司の中にも攻めに合いがあって、
リアルに久しぶりに出てきたから、
こういうふうに社員を持っていこうみたいな、
部下を持っていこうみたいな、
どうしてもそういうふうなのが、
出てくると思うんですね。
社員がダメダメでも、
自分で何とかできるからって思うのが、
自分の中で甘えを受け止めるってことなんだけど、
そういうことはできないので、
不快感というものが、
外に出なきゃいけなくなるんですね。
自分の中の不快感を、
自分の中に置いておくと、
私のように、
私が大学時代そうであったように、
抑圧っぽくなるか、
それとも、
外に出すか、
どちらかになるんです。
受け止めきれないと、
解消されないと、
というべきですね、
その不快感が。
外にその不快感を投げ出せば、
その不快を作り出した連中が、
悪いわけだから、
そいつらに向かって猛烈に怒鳴るとか、
そういう戦略になってくる。
これはもう戦略ではないんですけどね。
これは反応なんだと思うんですけれども。
これをやると、
僕ピッとなったって思うんですよ。
そういうイリュージョンを作り出せるから、
人の頭を。
決してそうはなってないはずなんですけど、
よく見ると。
よくは見ないんですよね、そもそも。
私は怒鳴っている人は、
怒鳴っている相手の顔を、
ちゃんと見ていないような気がするんですが、
怒っている人っていうのは、
怒っている相手のことを、
ちゃんと見ていないような気がするんですよ。
つまり、ちゃんと見るのは怖いって、
なんか刻苦に向かって怒鳴るんですよね。
最近私が人に怒られても、
家族とかなんだけど、
全然怖くなくなってきたのは、
だいたい相手は、
自分のことを見ていないということに、
気づいたからなんですね。
これは、最近読んだ、
高階良子さんの、
今70年目で反省書いていて、
お母さんがひどいんですよ、
そういう話なんですけれども、
それを読んでいて、
このお母さん、
この子のことを全然見ていないっていうことが、
この漫画でも、
この漫画では叩かれる側なのに、
それが描けているので、
非常にその辺に何かと、
確信を得た感じがするんです。
殴られるとなってくると、
やっぱりどうしようもないから、
怖いですけれども、
怒鳴られる場合、
怒鳴られる対象が自分じゃないならば、
自分のことを直視してないってね、
そういう時は、
よく考えてみると、
的がずれてるから、
怖くないはずだっていうのが、
最近思うところなんです。
タスクを分割する時っていうのは、
私たちは要は、
タスクを直視したくないんですよね。
なんで直視できないかというと、
私たちの恐怖感というものが、
外に漏れ出てしまうからなんです。
自分で自分の恐怖を受け止めて、
だって自分の恐怖なんでね、
自分で自分の恐怖を受け止めて、
それを解消した上でタスクを見てみると、
多分別段大した話じゃないんだけど、
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タスクを見た瞬間に恐怖が湧いて、
その恐怖を外に投げ出してしまうと、
その恐怖を受け止めるのは誰なのかというと、
手近に人がいるとその人が怒られるという、
理不尽な目にあるんだけど、
手近に人がいないと、
そのタスクに恐怖が投げられるんですよ。
こうやって私たちは、
自分の恐怖感とか、
自分の甘えをですね、
人にまず投げようとするんだけど、
手近に人がいないとか、
人に投げるのがはばかられる人は、
物に投げるんですね。
多分、例えば家計簿を見ると怖くなるとか、
家計簿を常にきちんとしていないと気が済まないとか、
気が済まない系だけど、
それこそ手を洗わないと気が済まないとか、
全部恐怖をですね、
手近なところに投げつけちゃったんですね。
自分の手とかに投げつけると、
自分の手を洗わなきゃならなくなるんですよ。
こういう病理ってあると思うんだけれども、
そのうちの一環にタスクに投げるっていうのは、
すごく頻繁に、だって普通ですよね。
ここに英語の勉強とか書いてあったら、
嫌じゃないですか。
この嫌だっていうのがすでに意味付けであって、
甘えを英語の勉強に投げたんですよ。
英語の勉強っていうのは文字ですから、
別にそれが何を意味するわけじゃない、
本当はないわけだから、
それを怖がるとか、
歧視するとか、
嫌悪するとか、
いう意味は全くないんだけど、
そうなるんですよね。
これもさっき話した、
高階良子さんの反省機能の方にあった話なんだけど、
彼女は牛乳が嫌いだと。
スーパーで牛乳の箱を見ると吐くと。
それぐらい牛乳が嫌いだと。
そうなった時に初めて気がついて、
なぜこれは明らかに異常で、
自分牛乳飲むわけでもないのに、
スーパーの箱を見ただけで
吐かなくてもいいはずだと思って、
なぜ牛乳が嫌いになったのかと思い出そうとしたら、
これも自分で精神分析やってるような話だなと思ったんですが、
幼い頃は牛乳が好きだったと。
牛乳を喜んで飲んでた時期があった。
そもそも自分たち貧乏で、
自分はいつもお腹が空いていたから、
牛乳のようなものは喜んで飲んでいたと。
なんだけれども、
いつしか牛乳が嫌いになったというふうに
記憶をたどってみると、
衝撃的に思い出したくない記憶があって、
思い出せない。
なぜ思い出せないかというと、
トラウマになっているからなんですけど、
要するにそれが牛乳を嫌いになった理由なんですね。
一言で言うと、
牛乳が嫌いって言ってる子が羨ましかったってことなんですよ。
その子は多分お金があるんでしょうね。
その時代に戦後間もなくなって、
牛乳が嫌いだからあげるっていう子は、
すごくかっこよく見えたと。
非常に不思議な感じがしますけど、
その時代が違いますからね。
それ以来、その時にたまたま運悪く、
すごく先生に怒られるという経験があって、
つまり、
あなたが牛乳を譲るべきだって怒られるんですね。
高階さんは中学の時に生活保護を受けていたのかな。
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それで給食費も出せずに給食を食べていたから、
ああいう時はあなたが譲りなさいと。
この意見もすごいんですけど、
戦後間もなくですからね。
だからそういうことがあったわけですね。
それで牛乳を嫌いになろうと決意して、
ただしその記憶は封印したんですね。
これはフロイトが言う欲圧そのものですよね。
欲圧、リプレッション。
欲圧そのものだと思うんですけど、
以来牛乳は嫌いになって、
ただ無意識というのは程よくとかできないんですよ。
無意識にやることなので雑なんですよね。
そうか、嫌いになればいいのかということで
どんどん嫌いにしていく。
やがてスーパーで牛乳を見ると
吐くほど牛乳が嫌いになる。
でも牛乳が嫌いではなかったわけですね。
これを思い出した以降は多分戻ったと思うんですよ。
僕らこういうことできるんですよ。
これってすごいことだと思うんですよね。
だからタスク好きになったり嫌いになったりは
簡単ですよね。
朝飯前だと思います。
ただ嫌いになっちゃう可能性の方が高く
いろいろな理由でありますよね。
上司が嫌いとか。
上司嫌いなのと上司が降ってきたタスクが嫌いなの
はっきり言って関係ないんだけど、
今のような話からしても
上司嫌いだからタスク嫌いになる。
非常に簡単ですよね。
このタスクを切り刻む。
非常にやりたいですよね。
だから僕はやっちゃいけないんじゃないかと思うんですよ。
私のタスクは別に上司に振られているわけではないから
そもそも嫌う理由はない。
嫌う理由のないものを変な扱いをしていると
好きになれなくなっちゃうと。
好きになっている方がよっぽど話としては楽なはずなんです。
それに取り組むわけだから。
これはもう昔からある話ですが
英語が好きな人と英語が嫌いな人が英語の勉強をするんだったら
好きな方が楽に決まってますよね。
だからこの、刻むだの分解するだの
5秒で片付けるだのってのは
どれをとってもあまり良い印象がないわけです。
これ好きなものに対してこれやらないじゃないですか。
大好きなケーキをタイマーかけて5分で食べ切るとか
一個一個が原型を留めないように切り刻んでから食べるとか
明らかに好きじゃなくなってしまいそうな
初意、後意ですよね。
だから自分はこれをタスクにもやらない方が
おそらく良いんだろうなと思うんです。
そういう意味ではグッドマイブスで倉野さんが言う通りで
タスクってそもそも呼ばない方が良いだろうなと思います。
思いますけど、今のところライハックサークルでは
タスクと呼ぶことにタスク管理とかタスク習得って言ってるから
タスクはタスクとして取ってますけれども
自分はもう仕事って言ってみたり活動と呼んでみたりは
内心ではしてます。
その方がやっぱりですね、距離感が近づく
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この距離感ってのがやっぱりこの話の中では大事なんだろうなと。
一番やっぱりいけないのが甘えをタスクに投げちゃうというやつなんですよね。
私の感じでは。
この話をセミナーでしたんだけど
明らかに一部受け入れられてないなという感じはありました。
今後継続的にいろんなところでいろんな形で言い続けていくしかないと思うんですよね。
たとえその投影を辞めたからといってタスクに取り掛かれるのかと言われると
取り掛かれると絶対思うんですよ。
この投影をやるやらないの差は極めて絶大だと思うんです。
だって牛乳を見て吐くんですよ。
そういうところまで人は持って行っちゃうんで好きだったものですからね、もともと。
ニュートロルだったものではないので。
タスクを見て吐くっていうのは僕は十分あり得ると思うんですよ。
この状態とタスクが好きだっていう状態は全く違いますよね。
先送りする可能性も全然変わってくる。
かたや100%先送りますよね。先送るじゃ済まないと思うんですよ。
そういう心理状態というのは特殊だと思われるでしょうけれども
特殊ではないと思います。
私だって中間期末試験時の英語とか最悪だと思ってましたからね。
なんてことないですよ、今ならば。
だけれどもそれは冗長的な問題です。
当時の方が私の頭がバカだったかというとそんなことはないし
当時の方が私が英語ができなくて当然かというとそんなこともないですよ。
つまりこれは冗長的な問題なんですね。
だから自分は今特にライフハックで限界にきつつあると思うこと
つまり冗長的な引っかかりに引っかかってきたというタイミングでは
そこを無理やりスキルで乗り切ろうとしない方がいいんじゃないかと思うんですね。