1. グッドモーニングボイス
  2. 【GMV 332】裏切られたと感じ..
2021-03-04 34:55

【GMV 332】裏切られたと感じたら

萩尾望都さんのローマへの道の話を織り込みました
00:04
おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
ローマへの道っていうタイトルだったと思うんですけど、
萩尾的さんの作品で、コミックなんですけどね、バレーダンサーかな。
ああいう作品って特に少女コミックには多いなと思うんですけど、
要はバレーで頑張るみたいな話ですね。
私がこういう言い方になったのは、私はバレーというものにあまりにも興味がないせいで、
バレー系の漫画を読み通すというのでも一定の努力を要するんですよ。
これが野球漫画とかなら即座に入れるんですけど、
バレーとなるとですね、何を読んでいてもちっとも入ってこないんですが、
この作品は大変インパクトがあって、
誰かが怒っていたり、いわゆるグッドバイブスでいうところの不安や恐れによるおかしな行動というのを見つけたらですね、
即これを思い出せるとベストだといつも思っている作品なんですね。
がいして思い出すのは後からで巻き込まれてしまうというか、
そもそもこれが不安や恐れによるおかしな行動だという認識に至るまでのタイムラグがですね、
依然として僕の中では1秒とかではないんですよね。
もうちょっとかかってしまうんですよね。
その間に巻き込まれていって、あっそうだったと思うのに時間を要するんですよ。
この自分が怒っているケースでも、最近は自分からということは本当に少なくなってきたけど、
でもそれは大体ほとんどのケースではお互い様で、
自分が怒るときは言ってみれば反撃なので、反撃ということは攻撃されたということなので、
攻撃というのはおかしな行動であるか、あるとともになんですけどね、
私のイリュージョンですからと言い切れるようになるためにですね、タイムラグがあるんですよ。
そうは思えないということですね。
例外なくそうなのかというと、私がグッドバイブスを倉田経三さんから知って以来ですね、
例外なくそうですね、例外があったことはないんですね。
あからさまに攻撃ということもあれば、話の中に攻撃が入り混じってくるというケースもあるし、
様々なんですけど、これがおかしな行動だと気づかないということはないんだなというのも驚くところです。
03:09
ただこれはですね、グッドバイブスを知ろうと知る前とみんな気づいています。
気づいているからこそ腹が立つんですよ、自分は攻撃されていると。
仮にそういう確信が持てないケースでもやっぱりそれはそうですね。
この恐れや不安によるおかしな行動というところから派生して、私は精神分析の方向にと向かっていったんですけど、
それは言ってみれば偶然であり、言ってみれば偶然ではないんですけれども、トラウマということに入っていったんですね。
で、なんでトラウマなのかというと、やっぱり恐れや不安を抱き、安い人ってどうしてもいまして、
しょうがないくってですね、ほとんどの場合はトラウマがあるんですね。
トラウマっていうのは思い出すということです。
思い出すということは記憶なので、過去にそういう体験がある場合もあればない場合もありますが、
トラウマになるほどの場合は大体体験そのものがありますよね。
例えば溺れかけたことがあり、水を見ると恐ろしくなると。
これは思い出しているわけじゃないですか。
水を見たと、プールがそこにありますとか、川が流れてますというのを見たからといって、
そこに入って溺れるということはほぼないわけですよね。
入らなきゃいいわけですし。
でも見ると怖いというのは、溺れた経験を思い出すからであって、
これがトラウマなわけですけど、
つまりその人は多分水を見るとおかしな行動を取り始めるはずなんですよ。
なぜならば怖いからなんですよ。
なぜ怖いかというと、怖い目に、それに関連する怖い目にあったからですね。
これが水の場合は本人も非常に自覚がしやすいし、
ほとんどの場合周囲もそれなりに適切に同情的に対応できるんですが、
これが人間関係となってくると分かりにくいわけですね。
結局トラウマが人間関係によるものというのは、
大体お母さんが何かについて神経過敏だったというようなことなわけです。
その神経過敏な体験はもちろん子供だから何度もさせられますよね。
どうってことないことでよく叩かれるとトラウマになるわけです。
そうすると例えばですけど、
そのどうってことないことをしているような人を見るとか、
どうってことないようなことを目の前で、
例えば水槽に指紋をつけるとかガラス窓に指紋をつけるでもいいんですけど、
06:08
それを見るとおかしな行動を取り始めると。
だけどここに人間関係が入ってきているので、
その人はたぶん最もらしいことを言ってしまうんですよ。
水が怖いというのとは違ってですね。
他の人にも一応理解できるようなことを言うものだから、
言われた方は大変腹が立つんですね。
例えば汚い手でガラス窓を触るだとか、
そういう言い方をするわけですよ。
そうすると話がこじれるわけですよね。
いや俺の手は汚くないとか、そういう反応になるじゃないですか。
何を言われているのか分からない人からすれば。
実はその人が言っているのは、
昔私の母はガラスに指紋をつけたということで、
私をひどく殴ったから、
ガラス窓に手をつけている人を見ると怖くなるんだと言えば、
周りの人はなるほどなと思うんだけど、
そうは言わないし、
必ずしもトラウマを受けた人はそうは思っていないので、
分からないんですよ。
そうして違う戦いが始まってしまうというのが、
恐れと不安による不適切行動なんですが、
ここにトラウマという話がしっかりと入ってきた場合、
これはもう完全にフロイトが昔言った、
フロイトが言ったというよりは、
精神分析の世界で共有されるようになった一つの考え方ですね。
これが大概の場合、実はあるんですよ。
多くの人間関係でこじれるとか、
クレームをこの人は出してくるとか、
私たちはクレームを見ると、
クレームを見てしまうんですよね。
その人が過去どういうトラウマを背負ったかとかは、
全く見えないじゃないですか。
だからついつい目がクレームに行ってしまって、
そこで話が、さっきのガラス窓に手をつけて、
手が汚いというわけじゃないとか、
そういう話を始めてしまうんですね。
これを始めなきゃいいんですけどね。
だいぶ昔になりますが、
Evernoteの一種のハンドブックという電子書籍を出したとき、
それなりに話題になったので、
それなりにクレームが増えたものもいただいたんですけど、
ついやっぱりですね、
そんなことはEvernote社に言ってくれとか思っちゃうわけですよ。
その人がどういう恐怖感をこれによって抱いているかって、
分かりにくいじゃないですか。
Evernoteハンドブックを読むことによる恐怖感。
あるんですよ、やっぱり。
それが分からないっていうのはもちろん分からないんですけどね。
そういうものは、
09:02
どういうきっかけであっても起こってくるんですね。
昔私、これはビデオで見たんですね。
アメリカの留学中に。
全ての数字が4までいかないと完結しないという恐怖症を持っている人がいて、
本当に、
例えば会話のストロークで何かを言う相手が答えてくる。
自分がそれに対して答える。
相手が少し黙ると切れるんです。
4ストロークしないといけないから、
ダメなんですよ。
3で止まるということが彼には耐えられない。
なぜかあったのかは分からないんですけど、
例えば足が3脚の椅子とかを見ると壊したくなるというか、
叩きつけたくなる。
4脚ないとダメなんですね。
こういう恐怖症も世の中にはあって、
つまり何でもあり得るということですね。
恐怖症とかトラウマということは。
ただそれは分からないですよね、他の人にはね。
なぜ2で終わったらダメかとか、3で終わったらダメかという話を
してもしょうがないので、
その過去に一体結局何があったのかを、
何らかの形で決着をつけるしかないわけです。
だから私たちはたぶん納得したがるんだと思うんですよね。
なるほどそうだったのかというような納得の仕方をしないと、
なかなか表面的な不可解な現象を見てしまうとですね、
みんなで不愉快になっていくと。
クレームってそういうところあるじゃないですか。
出してる方も不愉快だし、読んでる方も不愉快だし、
こじれて喧嘩してその喧嘩を見てる方も不愉快だしという、
大変不思議なんですけどやっぱり恐怖が伝播しているんでしょうね。
大物の恐怖は実のところ、
その出来事と何の関係もないところまで遡らなければいけないので、
いつまで経ってもどんなにそこでやりとりを巧みにやってもダメなんですね。
そういう問題ではたぶんないからでしょうね。
ということがこのローマの道、ローマ絵の道か、
萩尾本さんの作品を読むとすっごい綺麗にわかるんですよ。
こんな風に作品を作れるっていうのが不思議だっていう感じなんですよね。
最初に確かですね、確かですよ、
気になる人は作品を読んでください。
手に入るんでね。たぶん電子でも今手に入ります。
萩尾本さんの作品ですからね。
マリオっていう人だったと思うんですけど、
それはそれは不適切行動に満ち溢れているわけですよ。
もうタスク集定のクレームとかそういうレベルでは全くないんですね。
彼はもう大変先頭的で、
12:02
ありとあらゆるところでっていうのが一番自分が関わってなければいけない
ど真ん中でトラブルを起こしまくるんですね。
彼は大変先頭的で、
このことがまず一つ、周囲を誤解させる大きな原因なんですね。
というのは私はさっぱりわかりませんが、
バレエの世界というのは先頭的な人ほど伸びるみたいなのがあるらしくて、
大体どの漫画を読んでもそのこと書いてあるんですよね。
アグレッシブじゃなきゃうまくならないみたいな。
大変なんでしょうね、それだけ。無理な動きをしているような気もするし。
だからアグレッシブであるということはですね、
みんなは高評価を出すんですよ、彼に。
これが一つの誤解なんですね。
彼がアグレッシブなのは恐れと不安が猛烈にあるからであって、
別に彼はバレエダンサーとして向いているから、
ここがでもやっぱり分けにくいですよね。
バレエダンサーにアグレッシブであることは良いことなので、
非常に理不尽な言いがかりをつけたり、
やたらと人に対して高発的なんだけど、
それが良いと言われちゃうわけですよね。
だからバレエをやっているみたいな、
そういう背景も、そうは説明されないけどあるわけですよ。
この辺からしてこの作者すごいなと思うんですけど。
でも、あまりにも言っていることが無理があるので、
どうしてもあるところまでしか行けないんですよね。
この辺の描き方も非常に上手で、
私のように事情がよくわからない人間でも
なんとなく飲み込めるような感じがあるんですよ。
ちょっと彼に比べると引っ込み次男っぽい…
引っ込み次男ってバレてはダメなんですね。
引っ込み次男っぽい人が先に何か賞とかにノミネートされると、
彼はもう猛烈にキレる、マリオくんは。
それはだからつまり、いろいろと言うわけですよ。
骨を使っているとか、コーチのダンサーと根だからだとか、
いろいろ言うわけですよ。
同性愛的なテーマも絡んでいて、
この同性愛というのは今日は脱線しませんが、
前の講座の中でドイ・タケオさんがですね、
夏目漱石の心に同性愛的な分析をすごい当てていて、
ものすごく興味深い内容なんですが、
この話は後日しようと思います。
非常にですね、やっぱりなるほどなと思い知らされるような感じの話で、
それは自分にはなかなかわからないことだと思ってたんですけど、
実はすげー簡単にわかることなんじゃないだろうかと。
15:02
男性の同性愛ですけども、
実は関係ないんじゃないかなという感じが非常にします。
それはいいんですが、
そういうふうにこのマリオという人はやたらとすぐ切れて、
すごく職望されてるんだけど、何しろトラブルを起こすということで、
だんだんうまくいかなく当然になってくるわけですね。
それまでどうやってうまくいってきたんだろう、
この人というぐらい無茶苦茶なことを言うんですけど。
彼がですね、でもひょんなことでというか、
途中かなりはしょりますが、
要は実家に戻るんですね。
実家で何か面白くないことがあったのは確かなんですよ。
だけど彼は実はそれが何であったのかよくわかってないんですね。
幼かった頃のことなので、
要するに記憶が少し違ってるんですよ。
これがすごく大事なところで、
記憶が違うということは、
トラウマがあった可能性はあるということになりますよね。
いろんなことがあるんだけれども、
まず私たちはショッキングな出来事に遭遇すると、
その記憶を過大評価する傾向があります。
それほどのことが起きてないんだけど、大事件が起きたように。
目撃者ってそういうものですよね。
一方で全く逆になっちゃうケースもあります。
ものすごく大変なことが起きたのに、
大したことが起きてないように解釈してしまうことで、
封じ込めちゃうと。
いずれもあるんだけど、こうやってやっぱり記憶をずらしていくんですよね。
本人にとっていろいろ毒だから。
やっぱりマリオの場合、家に帰ってみると、
そのお母さんがいると。
お母さんとの間の秘密があって、
ネタバレは極力下げたいんですけど、
要はこれ、お父さんを殺しているんですよ。
で、一体誰が殺しているのかというのが問題なんですね。
この話20ぐらいに秘密が細かくてですね、
その書き方もすごい驚くほど、
本当にそういうことがあったかのような感じを抱いてしまうというのかな。
こうであったら確かにこうなるだろうなと。
私はそんなトラブルは知りませんから。
父親を殺しかけたこととかないですし、
母が父を殺したとかそういうこともないですからね。
でもということはつまり、読んだだけじゃわからないような話なんですよ。
ところが読むとスーッとわかるような感じを抱くんですね。
それはちょっとトリッキーですけどね。
非常にその辺に萩生元だなと思い知らされる感じがありました。
で、そうやってですね、自分の秘密を、
結局これは出生の秘密ってことになるんだけれども、
18:00
どうして今自分はそんなに、
些細なことでやたらと腹が立つのかと。
非常にやっぱり面白いセリフがあって、
あなただって泣いていたじゃないって、
その彼女に最後に言われるんですよね。
あれはやっぱりですね、
わかる人にはわかるっていうことを意味してるんですね。
私にはそこまでわかる人はいないんじゃないかと思ったんですけど、
要するに他の人はみんなマリオは先頭的で怒ってると思うわけですよ。
私も漫画読んでるときずっとそう感じてました。
だけど最後までわかれなかった彼女は、
この人は泣いていると言うんですよね。
要するに何かに怯えていると言いたいんでしょうけれども、
私はそれがですね、そうはなかなか思わないものだと思ったんですよ。
泣いていた理由は、
とてつもない秘密が自分が子供の頃に体験しているせいなんですけれども、
そのとてつもない秘密というのは結局最終的にわかるのは、
みんなで彼を守ろうとした結果そうなったんですね。
私も幼い頃にとんでもないことが起きたので、
みんなで彼をこのショックからこのショックに直撃しないようにしようとした結果、
彼の記憶はそういうふうに少し歪んだと。
で、この歪みを元に戻して、要するに言ってみれば真実を知るってことになっちゃうんですけど、
そこによって彼はびっくりするくらい穏やかになるっていう展開なんですが、
彼はびっくりするくらい納得感があったんですよ。
きっとこうなるという感じがしたんですね。
でも不思議な話じゃないですか。
真実を知ったからといって穏やかになれるような真実ではないんですけれども、
なぜかこの真実を知ることで、きっと彼も穏やかになれるだろうなという感じが、
作品からちゃんと伝わってくるんですよ。
その上で彼はですね、結局それまで異常に嫉妬していたライバルとかも全く気にならなくなるんですけど、
これがグッドバイオスだよなと思うんですよね。
結局こういうことなんだなと。
嫉妬とか出世競争とか様々あるんですけれど、アグレッシブになる理由ですよね。
これらは全部自分の中の、言ってみればこの番組で言ってきた妄想分裂ポジションなんですけど、
このポジションに入った時に絶大な力を発揮して、むちゃくちゃなことになってしまうわけです。
妄想分裂ポジションというのは、これを初めて聞くという人がこの番組を聞いているかわからないんですけど、
あれです。お菓子を食べてしまったらお菓子はなくなってしまうというような話です。
つまり、良いものというものがそこにあると。
お菓子ですね。幼児ですからね。
21:03
良いものを自分が食べてしまう。自分の食欲というものによって良いものを食べてしまうと、良いものはなくなると。
つまり、自分が良いものをなくしてしまったり壊してしまったりするという根源的な恐怖と、そういう言い方をするんですよ。
もちろんこれは例え話ですよ。
でもまさにこの通りのことがマリオには起こるんですよ。
まあ、起こったと彼は感じるんですね。
良いものというものは、つまり彼にとっては必要な家庭というものを自分が壊してしまうと。
自分がお父さんを殺してしまうと。
実際にはそうではないんだけれども、彼の心理としてはそうなってしまう。
それが非常に彼にとって恐怖心があり、したがってですね、よくこういう説明がされるんだけど、
自分の良いものに向かいたいという欲求は、その良いものを壊すことにしかならないから、
それだったら先にその関係を結ぶのはやめておこうというような感じになるんですね。
これが欲打つポジションという言い方をするんですよ。
欲打つポジションというのはつまり、欲打つじゃないですか。
つまり、それって悲しいことじゃないですか。だから欲打つなんですね。
自分がお菓子を食べてしまったら、お菓子がなくなっちゃう。
だから自分のこのお菓子を食べたいという欲求は控えておこうと。
そういうふうになったら人は一段成長したことになりますよね。
だから欲打つポジションというのは悲しいポジションなわけですよ。
だけれどもそこには一定以上の自己認識というものがありますよね。
このお菓子の例えだと、なんかちょっとわかりにくいんですけど、こういう人は僕はいっぱいいると思うんですよ。
なんか結構気になる異性がいますと。
よくあるじゃないですか。今時の人はわかんないですけれども、
眺めてるだけでいいんですとかいう話をしだす人いるじゃないですか。
つまり自分が勝手に好きになっておけばそれでいいんだと。
これ欲打つポジションですよね。
わざわざ告白しに行って、相手にきしょいとか言われるのが怖いと。
だから控えておこうと。
これはどうしてそういうことができるのかというと、
つまり好きになった自分というのは既に過去の自分ですよね。
告白しに行く自分というのも過去の自分になりますよね。
で、振られた自分、それが現在の自分ですよね。
この歴史的な経緯というものを全部同じ私なんだと認識できて、初めてこのポジションに入れるわけです。
そんなのは当たり前じゃんと思われるかもしれませんけど、そうじゃないはずなんですよ。
私たちってそんなに常に自分の行動を客観的にきちっと把握できるわけじゃないから、
24:05
幼児だったらですね、食べたからなくなるんですけれども、
それは当然なんですけれども、
それが本当にそんなことがわかるように生物ってできているだろうかってちょっと考えてみてほしいんですよ。
例えば、たぶんカエルとかが何かご馳走を食べちゃいましたと。
自分が食べたからなくなったんだと果たして思うだろうか。
で、私たち結局動物ですからね。
自己同一性のようなもの、自分がこうしたからこうなったんだということを記憶で全部認識できるというふうに考える理由は本当はないんですよ。
だから、例えば会社に行くじゃないですか。
会社に入りますと、どうしてもこの会社に入りたかったという。
学校でもいいですよね、東大とかでも。
どうしても東大に入りたかったと。
過去の自分が望んだことですよね。
そしてそうしましたと。
ところが東大でいじめに会いましたと。
知りませんけどね。
そしてこんな大学に入ってもう本当に辛くなったと。
辞めますと。
これは過去の経緯を一貫して通そうとするならば矛盾した行動ですよね。
これが妄想分裂ポジションなんですけれども。
要するに、いいものを自分がお菓子のように東大を眺めてたんだけど、
いいものなんだけど、自分が関わってしまったためにそれがダメなものになってしまったと。
で、腹を立ててそことの関係を誤破算にすると。
これはギリギリのところでどうか難しいところですけど、
抑圧ポジションに入りきれてない気がするんですよ。
一貫性がなくなってますよね。
実は東大はダメだったみたいな、そういう感じになってるじゃないですか。
良かったはずのものが悪いものになりましたよね。
そういう考え方で私たちは関係を壊していくと。
これが要するに壮的防衛という言い方をするんですけど、
いいというものは実は悪いんだと。
これ多々ありますよ。
私たちは本当これ頻繁にやります。
離婚する時の心理ってまさにそういうことだと思うんですよ。
そんなに素晴らしい言ってたのが最悪の人間みたいに逆転するんですよね。
で、ということが分かったとかって言うじゃないですか。
そこに無理やり歴史的なものを組み込んでるんですけれども、
判断が180度逆転する時にということが分かったっていうのは少し微妙なんですよ。
だけれどもこれが過去のトラウマに囚われていると、
こういうことが頻繁に起きてしまうんですね。
というのは結局その人はトラウマがあって苦しいので、
例えば親を殺したってことは多分ないんですけれども、
非常にひどいことがあったと。親との関係で。
27:03
人間関係全体においてですね、
常にある程度の恐怖感を抱くのは当然だと思うんですよ。
マリオみたいな人はですね。
だから自分が少しでもやれそうだと思ったことで、
アグレッシブにのし上がっていくわけですよね。
アグレッシブにのし上がっていって、
自分は特別な人間だと人に思ってもらわなければですね、
どんな扱いを受けるか分かったもんじゃないと。
こういう恐怖感で自分を借り立てているということは、
別に珍しいことじゃないと思うんですよ。
そこまで背景として描かれてないですけどね。
そこまで読んじゃうところが、あの作品のいいところです。
バレエでのし上がっていけるはずだという確信があるから、
他の人はみんなダメに見えるわけですよ。
ダメなバレエダンサー。
だから自分は当然一目置かれるべきだし、
そういうふうに扱ってもらわなければ困ると。
これはやっぱり幼少時代に、
かつてとんでもない扱いを受けたということがですね、
彼の不安感の中に根強いわけですよ。
油断しているとまたああいう目にあってしまうということですよね。
のし上がるんだけれども、彼の目からするとですね、
何が自分を脅かすか分かったもんじゃないわけですよ。
人は信用ならないですからね。
ちょっと可愛い目の男の子がコーチにうまく性的に取り入って、
より下手なのに上に行くと。
こういう解釈ってよくあるじゃないですか。
これと全く同じ解釈は頻繁にはないでしょうけど、
こういうことを考え出したり言い始めるという方は
いらっしゃると思うんですよ。
ここにですね、さっきの妄想分裂ポジションが明瞭にありますよね。
このコーチは俺が見込んだいいコーチだと思ってたんだけど、
実はこんなちょっと悩々した男の子に取り入れられる
ダメなコーチだったということがわかったと。
そういう話になってるわけですよ。
一貫性がないんですよね。
一貫性がないのが全部アグレッシブに出てきてしまう。
みんなは最初バレーダンサーとしてアグレッシブだから
こいつは耐性するだろうと思ってたんだけど、
実はなんかよく分かんないことでアグレッシブなわけですよ。
すぐ妄想めいたことを言い始めると。
この辺のこともね、フロイトとか精神分析とか
そういう言葉が一切出てこないのに
バレー教室の中の話として描かれてるだけなのに
全部そういう感じで描かれていて
やっぱ非常に面白いんですよね。
そういう妄想をたくましくしているわけです。
こういう妄想の大元にあるのは
全部やっぱり1歳とか3歳とかその辺ですよね。
の時の非常にショッキングな体験に目指してるわけですね。
それを全部投影してしまっている。
30:01
何が起きるか分かったもんじゃないわけですよ。
だって3歳児にとってそんな出来事があったら
何が起きるか分かったもんじゃないと思うのは自然ですよね。
けれども実はそうではないということが分かった。
実は母親は自分をひたすらかばってたんだということが分かったとなると
世界に対する信頼感が劇的に戻ってくる感じがあるわけですよ。
本当はおかしいんですよ、これちょっとある意味では。
だってバレー教室で起きたことと母親がかばってくれたことは
そこに直接の関係はないわけですよ。
だけれどもマリオの中では不幸が起こるわけですよね。
バレー教室であったひどいことというのは
家庭であったひどいことと同じですから彼にとっては。
世の中の人は信用もならなくてひどいことばかりしてくるわけではなかったと。
母親は実は自分をただかばってただけなんだということから
そういう視点で眺め直してみると
バレー教室での出来事にもひどいことは一個もないんですけどね。
ないということに気づくわけですよ。
こうして彼は元の、元のというのはつまり3歳以前の
穏やかなマリオに戻って教室に戻ってくると。
すべてがうまく回り始めるというストーリーなんですけど
非常にグッドバイブス的だと自分は感じたわけです。
これが私がローマへの道を読んだのを思い出してですね。
要するに家でのいざこざとか仕事でのトラブルとか
メールを読んだ時にクレームっぽかった時って感じたら
この話を思い出せば一発なんだと。
自分もきっと何かトラウマはないけども
父親殺したり殺し損ねたりしたことはないけど
何かあったんですよ。
それを投影するんですね。
メールとか奥さんとかに。
逆に同時にそういうことが起こってるわけですよ。
奥さんは昔の何かを私に投影するし
メール出した人はメールやメールを先に見る私だと思ってる
何かに投影してるわけですよね。
そうしてお互いがアグレッシブになってるわけです。
考えてみると例えばエヴァノートの本だろうと
タスクシュートの本だろうとタスクシュートだろうと
やっぱり妄想分裂ポジションってどこにでもあって
最初は良いものだと思ってそれに関わってくれるわけじゃないですか。
うちの奥さんがいい例ですよね。
私をいいものだと思って関わる。
それが罵ってるときは180度逆転してしまう。
これは妄想分裂ポジションそのものですよね。
良かったはずのものが悪いものになったと。
私に見る目がないんだと思ったらよく打つポジションですが
33:00
そうではないんだと。
こいつは悪だったんだとか
悪に転落したんだっていう判断をした場合は
これは妄想分裂ポジションですよね。
すべて外のものが勝手に白かったものが黒くなるみたいな
そういう話なので
それだったらもう世の中何でも起こり得るわけじゃないですか。
そういう風に世の中を見るということの危険性なんですね。
結局妄想分裂ポジションというのは
この人は理想の上司だったはずなのに
実はパワハラとセクハラのモンスターみたいな
逆転してるじゃないですか。
変身して急に悪魔になっちゃうみたいな話。
何でも起こり得ちゃうわけです。
こういう視点でいる限り。
だから自分の中の一貫性というのは
実は外が一貫して安定しているということを
理解するための何かなんですね。
そうしないと急にナヨナヨしているだけだと思っていた
いきなり実はうまく出し抜いて
うまいことやって
自分より実力ないんだけれども賞を取っていくみたいな
いきなり自分が信用していた世界が
逆転して真っ黒になっちゃうわけですよ。
これを我々は
私はですね
避けたいと思うように今なっていて
そのためにはどうしてもやっぱり
自分が一貫していないということに
気づかなきゃいけないということなのかなと。
それが欲打つポジションですね。
ヒストリーがあるからですね。
マリオは欲打つポジションを手に入れると
途端に穏やかになると。
きっとそうなんだろうなと。
この場合良くないんですけどね。
多分歴史的ポジションというのがいいと思います。
34:55

コメント

スクロール