2022-01-05 28:00

【GMV 528】フリーでやっていくなら甘えを受け止める他ない

甘えを許さない世界では、フリーランスは生きていけない
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おはようございます、グッドモーニングヴァイブスです。
えーとですね、明日、ぶっちゃけ相談の収録の年初のがあるんですが、
えー、歯書きがついに月すずあるんですね。
まだ多分、書き集めれば、えーと、毎回収録分くらいはあるかもしれないなと思うんですけど、
あの、手元に私は確認している資料はないので、えーと、厳密なことは言えないんですけど、
まだ多分ギリギリあるかなーぐらいな感じなんですけど、
まああの、今ですね、ツイッターの方で、えーと、倉園さんと私もリツイートしましたけれども、
えー、なんて言うんですかね、あの、まあ、リアルで、えーと、お話を伺って、
それを、えー、でもどういう形になるかはまだやったことがないから、
ちょっと僕の中では完全なイメージができてないんで、うまく説明できないんですけど、
えーと、なんかちょっと違う形で、えー、直接相談をいただきながらお答えするものを収録していくという形も、
えーと、今後模索しようと思っているので、まあちょっとチェックしてみていただけると幸いです。
で、えーとですね、今日は、あのー、久しぶりに、あのー、甘えの話みたいなのにしていきたいと思うんですが、
えー、最近、あのー、相次いでと言いますか、えーと、まあ、結構そんなに近くもない、えーと、
お友達から、まあ新年だからですね、年始の、あのー、ちょっと長めのメッセージをいただいたりして、
えー、やや考えたことがあるんですけど、要は私が長らくフリーランスでやっていて、
えーと、まあ不思議だとまでは言われてないんですけど、まあ、あのー、すごいねと言われつつも、
実際にはどうしてそんなことが可能なんだという、そういうところがちょっとある、えー、メッセージだったと思うんですよ。
で、あのー、これは、よくそういうことって時々聞かれるわけだけど、えーと、答えるとなんだっていうか、
その、何の参考にもならんだと多分思われると思うんですね。
えー、私の場合は、あのー、まず留学したってのがあるんですよ、背景に、あ、明らかに。
だけどその留学というのは、言ってみればその、まあ、うーん、非常に、だからやっぱり参考にならないんですけど、
ラッキーだったという面と、えー、逃避だったという、つまり逃げたという面があるんですね。
まあ、2つともラッキーなんですけどね。
えー、つまり、当時私が、えー、ダコモサービスというところに埼玉で勤めていたんですね。
それが派遣社員だったんですが、えー、派遣社員というのは3年同じところにいてはいけないか、
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ちょっとね、厳密にはよくわからなかったんですよね、正直、当時もあんまり真面目に調べませんでしたから。
確か時の総理大臣が大内慶三さんで、あのー、地球のように悪い人と言われていた方で、
えーと、派遣法が多分改正されたんですよね。
まだ当時は派遣が、今みたいになんかこう厳しいものとしては見なされてなくて、
というのは、あの、正社員の方がほとんどだった時代だったと思うんですよ。
で、派遣社員というのは割と気楽に、割と稼げるみたいな、私も結構欠額でいただいてたんですよ、その時代は。
ただ3年同じところにいないか、正社員になれと。
で私は、えーと、また違うところに移るのも正社員になるのも嫌だなと思ったんですね。
で、すいません。
そうすると、えーと、たまたまなんですけれども、
自分の持ち株が、あの当時結構ITバブルみたいなのがきつつあって、
持ち株が、僕はIT大好きだったから、月間でもですね、それこそプラザの慶三さんが編集長されてたのか知りませんが、
インターネットマガジンとか、毎月のように買うか読むかしてたし、
週間アスキーでしょ、月間アスキーでしょ、日経モバイルとか、日経PCとか、
もう、なんか、同じようなの、PCユーザーとかもあったな。
とにかく、7市から8市は買って読んでました。
なんかね、あれを読んでないと会社勤めとか到底やってられないみたいな。
で、派遣でもらってるお金を使えば、1市あたりはそんなに高いとは、
月間アスキーとかインターネットマガジンとか、割と分厚くて高いんですけど、
そうは言っても、痛い存在ではないという状態だったんで、
割と大人がいして、バンバン買ってはバンバン読んでいて、バンバン雑誌出す日に出すみたいな。
なんかね、保存するには無理がある量だったんですね。
で、そういうことをやっていて、これをずっと続けるのは嫌だなと思ったんで、
一番嫌だったのが朝の通勤ラッシュだったんですけど、
あの、武蔵野線と埼京線とどっちも当時すごい混んでたんですね。
なんか今日、喉があれですね。
はい、あの、ちょっと飲み物を飲んできたんですけど、
そう、だから派遣から逃れるようにしてアメリカに行ったわけです。
そのITバグの少しお金を親とかにも借りましたけどね。
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で、アメリカの話は散々したのですっ飛ばして5年経ち、
おじいちゃんが亡くなったのでお葬式に戻るとか、そういったことがあって戻ってきたわけですね。
で、その時たまたま橋立夫さんと日経ビジネスオンライン化を書くということになって、
そっからは基本的にはですね、もうフリーランスでやってるんですよ、結果としては。
当時はそういう意識はまるでなく、なんか人のお手伝いをしつつ、
これうまく起動になったら、これをやりながらまたアメリカに行って留学しようという、
そういう、僕の頭の中でそういう算段になっていたんですけど、
さまざまあって結局そうはならず、
当時ですね、アメリカから出るのはそう難しくはなかったんですけど、
再度入るのは結構難しい面もあったんですね。
イラク戦争とかテロ戦争みたいな話が難しくなっていて、そういうことがあったんですよ。
そういう問題もあったから、どうしようかなとは思っていたんですけれども、
悩んだっちゃ悩んだこともあったような気がするんですけど、覚えてないんですよね。
こういう経緯なので、全然参考にならない気がするんですよ。
そのIDバブルで株に当たるとかですね、派遣法が改正されてそこから逃げたとかですね、
帰ってきてみたらたまたまうまく仕事があったとかですね、
何も参考になる要素がないというか、つまり不現性がない話だと思うんです。
だからこの話を聞きたい人はいるかどうか知りませんが、
多分これを友達は聞きたいわけじゃないだろうなというのは想像がつくんですよ。
今は在宅でやるとかフリーをやるといっても、全然当時とは違って幅があるわけじゃないですか。
この幅がやっぱり難しくむしろさせている面もあるんだろうなと思います。
当時例えばYouTuberになるという言葉もなかったし、
動画をそもそもあんまりですね、仕事に、
そもそもネット上で物を売っても買う人いないというパターンですね。
銀行振り込み、なぜならば決済をするというものを構築するのがすごい難しかったし、
一般には銀行振り込みの口座番号を書くみたいな話もあって、
無理やりで口座に振り込んだお金を使わせて詐欺に合わせるみたいな、
そういう独特の特殊詐欺も今もあったぐらいで、
すごく決済問題ってまだ当時はあったぐらいなんですよ。
今じゃ考えられないぐらい広告収入で食うっていうのも、
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一人とかなら、あるいは一人細々と食べるぐらいならできたかもしれないですけど、
当時からすでにそういう動きはあったような気もするんですけどね。
そういうわけで全然参考にならない話になっちゃうなと思うんですが、
一つすごく感じることはですね、
私が甘え、つい顔色をかがってしまう私を手放す方法で書いた時の
反発的にレビューが書かれていましたよね。
あの感覚があると、別にあのレビューは最もだと思うんですよ。
当然来るレビューだろうと編集さんとも話していた話で、
要は人を甘えさせると搾取されるって話ですよね。
甘やかすと付け上がるってわけですよね。
甘やかすと甘えを受け止めるの違いをさざさざ四小言で図にしてみたりもしたんですけど、
まあまあすっ飛ばされますよね。
甘やかすというのは好意がないんですよ。
好意というのは好きな気持ちですね。
グッドバイブスというところの愛の選択になってない甘えなんですよ。
そういうものは甘えではないんですね。
愛の選択イコール甘えみたいなもんだから、
甘やかすという表現はドイトヒョウさんがわざわざそこを指摘してたから私も表にしたんだけど、
好意のない甘えに似たものというのが甘やかすってことなんですよ。
あれは恐れによる選択方法なんですね。
これは多分ピッタリそれに一致するくらいの話で、
全然違うものになってしまうよっていう件なんですよ。
だから子供を甘やかすというのは危険なことなんです。
なぜなら子供を恐れているから。
おそらく子供の方にも親に対する恐れがベースとしてあるんでしょう。
この親子関係が難しいものになっていくのは必然的ということなんですよ。
表面上うまくいっているように見えても。
表面上うまくいかせちゃダメなわけですね。
お互い恐怖心を抱きながら。
そこをうまく、うまくじゃない、そこをちゃんと区別しましょうねというのが
土居さんの甘えの構造の一つのメッセージだと私は思うので、
甘えを受け止めることができないからといって甘やかしてはいけないんですね。
こういう言い方をするとなんかふわっとしている感じじゃないですか。
分かるような分からんような話になりますよね。
上司なんですか、上司でなくてもいいんだろうけど、
要するにサイコパスみたいな人にいいようにされるって話は、
つまりそれは甘えにならないんですよ。
って書いたつもりもあるんだけど、甘やかすという形と同じなんですね。
なぜならその上司のこと好きじゃないでしょう。
明らかに。
その状態のまま甘えを受け止めるという方向に努力すると起こることは、
相手がつけやがるというような恐怖感にとらわれる。
おそらくそうなる。
あるいは自分が犠牲になって全部を胸一つに収めるという表現ですか。
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ああいう風になると思うんですね。
どっちも非常によろしくないわけです。
ネットワイプスで言っていることは全然違うし、
甘えを受け止めるって話も全然違うんですよ。
これは行為がないと。意味がないんです。ベースとしてですね。
ベースに行為があるかどうか。
別の言い方をすると、ベースに恐怖がないかどうか。
恐怖心があったらもうそれはほぼアウト。
恐怖心があること自体が悪いことだというわけじゃないですよ。
人を恐れるというのは恐ろしいんだからしょうがないですが、
恐れがあるまま甘えに似た行為を取ったら
まずいことが起きるはずなんですよ。
それは精神分析の世界だなと私は思うんですね。
それでこの甘えを受け止めるという発想なく、
ひたすら利用されないとするという意識で
フリーランスに突入すると、
その会社員時代に上司に搾取されたり利用されたりしないように
きちんと契約的に自分の領域に
自分の領域を侵されないように仕事をしようという
その観点そのままにフリーランスするのは危険だろうと思うんですよ。
何かがあるとかないとかいう話を皆さんよくされるんですね。
まずコネがあるとか実績があるとか特別な才能があるとか
私その3つはまずコネはどこにもなかったわけですよ。
私のコネはここら辺が世の中で宗教というのがどう受け止められているのかと思うんですけど
うちの実家は寺なわけですね。
人間関係が全部坊主に集約されるんですよ。
例えばうちの母のママ友的な存在もすべて坊さんの奥さんなんですよ。
本当にそうなっていくんですよね。
うちの母は晩年はスポーツチームとかに通ってたから
そっちのお母さん友達みたいなのもいましたけど
そっちはコネでもなんでもないやつが
もし社会的に通じる何かがあるとすると
父の人間関係が全部なんですよ。
それは宗教関係がすべてで
宗教のその中では絶大ですよそういうものって
だけどもそこから一歩出ちゃったら何もないんですよ。
だから私にコネみたいなものは一切ないと言ってもいいぐらい
人間関係はなかったわけですよね。
特にアメリカから帰ってきちゃってましたからねコネも。
実績とかももちろんあるはずがないじゃないですか。
仕事してないんだから。
派遣で5年以上前に支払状態を調査してましたというのが
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実績っちゃ実績ですけど
まあどうかなって感じですよね。
特殊な才能。
これは結局僕の場合は書くってことになるんでしょうけど
当時はそれが同意されるとかも一切なかったし
一切なかったですね。
自分で本を出版したぐらいですからね。
だけれどもまあまあ冗談みたいなものです。
これぐらいのものであれば
誰でもそれなりにあるはずなんですよ。
30年ぐらい生きてればですね。
ということはですね
そういうもんではないと思うんですね。
今思ってもなんですが
僕がフリーランスで
まあこれもプロセスっていう話に
多分なっちゃうんですけど
ただまあ後から振り返ってみて
ああしなきゃよかったなということがあるとすると
全部一つの言葉に集約できるんですね。
怖がらなければよかったなって
言葉に集約できちゃうんですよ。
僕がやらかしてしまったとか
ここはうまくいってないなとか
あれはもったいなかったなと思うと
すべて恐怖感に結びついてます。
つまり万全の体制で
守りに入って防御をするということが
私の考えではですね
フリーランスをそうですね
20年近くやってきて
20年やってないのかな
でも15年ぐらいやってきてみて
一番良くないのは
守りに入ることに尽きるんですよね。
この守りはしかも
純心理的なものなんです。
あれですよね
フロイドの言う防衛です。
防衛規制がすべて
悪いというのかな
残念な結果を引き起こすのであって
搾取されるとか利用されるというのは
フリーランスはいかにもそれは
まずいことのようだけど
そうじゃないと思うんですね。
現に私の知り合いのフリーランスの皆さんの中でも
あれがなければなっていうのが
僕がそれを言うのは
いかにも余計なことだし
言いませんし
思うだけでもおごがましいですが
でもですね
これがない方が
みんなは多分この人をよく思うなというのも
やっぱりその人の恐怖なんですよね。
よくわかります。
恐怖する、守りに入るというのは
でも会社員以上
会社員の3倍ぐらい
守りに入るのはまずい。
僕は会社員は
そもそも原則として
立場上守られているんだから
フリーランスに比べればですね
苦労はその分多くなるとは思うんですよ。
守られているということは
縛られているという形にならざるを得ないケースもあるから
でもそこで自分をさらに守りに入る必要って
全然ないような気がしちゃうんですが
まあまあ余計なことは言わず
フリーランスはダメだと僕は思います。
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例えばですね
本書くとか
一つとっても
本書く
そうだな
例えば公演とか依頼されるじゃないですか
ギャラとかピッチリ決めるというのは
一つ悪いことじゃないと思うんですよ。
ただ
この契約以上の仕事をさせられるのは
作手であるって考える
考えるほど
僕はですね
フリーランスでやるのには向かないなって思うんですよね。
ただ同然で働くということは
割としょっちゅうあります。
問題なのはそれをどう捉えるかだけなんですよね。
どうせだってただでやっちゃったんだから
相手がどういう意図であったにせよ
僕が望む通りのお金になってないとか
僕が望む通りの時間では済まなかったという話じゃないですか。
それはもう過去の話ですよね。
その時に損害感というものを強く持つと
倉殿さんに二次塾後に
勘とか制度がつけるのやめろっていう話が書き上げ塾であるんですが
損害感とかいかにもダメだなと思うんですけど
そういう感じの損失感とはまた違って
被害にあった感じを受けるというのは
まずいことだと僕は思います。
大体においてそれをやると
結構自分がフリーだから
いたれを負ったような気持ちになるんですよ。
僕はこれを繰り返していると
人は欲打つ状態になると思うので
フリーランスの場合、まず仕事にならなくなっていくと思います。
一つは。
もう一つは、そうならないために
我々は食ってかかるんですよ。
相手に。
自分の弱いところを見せちゃダメだって思うから
フリーランスって後ろ盾がないから
すぐ食ってかかるという手段がいいことだと思っちゃうんですよね。
そこから仕事来なくなるんですよ。
あれはですね、怖いことだと思います。
そもそもフリーランスって
早々仕事が来ないんですよ。
私はそういうのが
たまたまめちゃくちゃ運良く
家が寺だったことはあってですね。
そして僕はあまり気の強い方ではないので
食ってかかった回数自体が少なかったに過ぎないんですね。
なかったわけじゃないんですよ。
食ってかかるべきだと思ってもかかわらないんですね。
ブレーキがかかる。
っていう風にして残った関係のところから
仕事が回ってきてるわけですよ。
一回もないとは言わないけれども
例えばずっとやって減らせてもらってる
パオハシエ像さんに
食ってかかったことは僕はほぼないと思うんですね。
これは何でかっていうと
家が寺だったことと
僕があんまり気が強くない
それでも食ってかかったことがないとは思わない。
彼は多分我慢してくれたことが何回か絶対あると思うんですね。
これがなくなったかあったかは大きな違いを生む。
だから絶対に僕は食ってかかるとか攻撃って
結局それは怖いからなんですよ。
自分が何か被害をこむったと思ってるから
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そういうことをやるんですよ。
そういうことをやっちゃって
切れちゃってる縁も僕は何個かあって
あれはもったいなかったかなと。
ただもうそれも合わせて
否定的に見ても今更しょうがないぐらい昔だったりもするので
プロセスだと思うんですけれども
甘えを受け止めるっていうのは
絶対にフリーランスには
僕は一番筆頭で必須だと思います。
仕事は楽しいかね?という本
あれもアイディアをどう仕事に生かすかの
自己啓発書なんですけど
私はあれは甘えの構造で見ても面白いと思うし
もう一個それをもっと緻密に書いたような
仕事は楽しいかね?はフィクションですから
ノンフィクションのラテに感謝ってやつ
あれはもう感謝って言葉がある通り
甘えの世界なんですね。
あれの本は僕は
グッドバイブス的にも非常にいい内容だと思うんですけど
あの人が甘えは許されない世界に生きていて
もうあそこまで極端にはなんないと思いますよ。
主人公って悪報道みたいなところの
重役家専務みたいな人が失職して
不倫がバレて
奥さんに遺写料を全額払って
家もあげちゃって
つまりほぼホームレス
ホームレスになるような人では絶対ないんですよ。
エリザベス城と接見してるような人ですからね。
考えられないような展開で
でも転落して
それが全部彼の書いたものを読むと
それは甘えが許されない世界の恐ろしさなんですよ。
食ってかかったわけじゃないんですけど
彼は穏やかな人だから
食ってかかったことがないわけじゃないと思うんだけど
その後にスタバでトイレ掃除をする仕事に就くんですけど
そこからがつまり甘えの世界なんですよ。
羨ましいとか
ああなってもいいとは思わないと思いますし
僕だって思いませんけれど
それで立て直していくんですね。
老人になってからですよ。
この話もそうなんですけど
この話が僕の中では
だいぶ前に読んだ本なんで
ずっとあって
だいぶ前に出た本ですからね。
少しあれを読んでから
方向性に変化が出ているんですけどね。
私には。
とにかく甘えというのは大事だというのは
あの辺から意識するようになったんですね。
はっきりと。
家が寺だからというのは何かというとですね
やっぱり寺っていうのは
怒るっていうのは最低なんですよ。
仏教的にはですね。
怒るっていうのは全然ダメで
一番ダメに近いぐらいなんですね。
宗教なんて存在そのものが
社会に甘えているようなものじゃないですか。
ある意味甘えさせてるんですけど
だから与えると同時に受け止めるっていうのは
全くそうなんですけれども
宗教ってものですね。
その存在自体がそういうもんですけれども
だってあれビジネスじゃないですよ。
ビジネスにしちゃうって人もいますけど
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あれをビジネスにしてしまったら
一番根本のところでは成り立ってない
っていうことを自分で常に自覚しなきゃ
ならないような気がします。
何かをもらった代わりに
何かを起こすってことができないものですからね。
あれは。
だからあれは甘えの構造なんだけれども
そういうところにいて人を怒るってのは
ナンセンスなんですよ。
だって甘えさせてもらってなければ
死んじゃう人たちなわけですから
それが一大勢力なんですからね。
だからあんまり私は人を怒るってことを
生まれつきしたくないような
世界に生きていたわけです。
父親や母親は怒りますけどね。
でも究極的にはそれはありえないんですよ。
宗教の世界で人を怒るなんてというのは。
だから食ってかかるっていうのは論内で
私は父がですね
人を怒ると死んだ人が怒るってことは
結局ないわけじゃないのは知ってるんですが
食ってかかったのは見たことがないんですよ。
絶対やっちゃダメだと思うんですよね。
そういうのって。
ああいう世界ではね。
だから甘えから遠ざかる一方なんです。
人に食って。
人に食ってかかるってのは実は
とても甘えた行為なんですけどね。
とにかくそうやって縁を切ってしまうと
私は得意としてたんですよ。
結局思春期を寺で過ごすと
僕みたいな人間はですね
すごく壮的防衛の塊になるんですって。
縁を切ればいいんだみたいになりやすい。
縁だけで成り立っている世界で
思春期の観光誌みたいなのが出ると
それだけになっちゃうんですよね。
だから私はそういうのがすごく多くて
非常にこう考え
なんて言うんですかね。
良くないよなとは思ってたんですけど
今は本当に
不利あるならば結局
守られてないだけに
目の前の縁を切るということによって
自分が守られたと思うのは
一番ヤバいやり方だなと思うんで
一個や二個それで切ってしまうのは
致し方ない面もあると思うんだけど
その慣性というのかな
その方針でやるのは無理だろうと思うんですね。
ヤバくなったらすぐ切るわけですよね。
そうすると本当に仕事来なくなっちゃいますよね。
そういうことは時々見かけいるんですよ。
すごく簡単なことなんですけれどもね。
やめたほうがいいだろうなと。
それで不利あるくらいなら
会社にいるほうがずっとマシな気がします。
それはそれで辛いんでしょうけれどもね。
だけれども甘えを受け止める気が全然なく
一人で生きていくっていうのは
一方の仕事は文字通り
人は一人では生きられないってやつで
真逆に向かおうとしているようなもんなんで
無理ですよね。
砂漠に一人で寝てたらすぐ死んじゃうのと同じで
それは無理だろうっていうやり方です。
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若い時は分かんないし
ここもちょっと謎というか
僕の中でちょっと答えがないんですよ。
20代はそういうことで
誰の力も借りずにやるんだという
ある独特の信念で突っ走ったほうが
上手くいくのかもしれないんですが
30代後半になってから会社を辞めた場合
少なくともそこは
結局甘えを受け止めるという観点なしに
自分を防衛するという観点だけでいったら
たぶんひたすらひたすら
シュリンプしていくしかなくなっちゃうし
そうしてまで別に振りでやることないじゃないですか。
だからそんなことを念しをもらいながら
感じましたね。
そういうことだなというふうに思います。
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